この10年のアディーチェの活躍ぶりは目を見張ります。『半分のぼった黄色い太陽』がオレンジ賞を受賞したのが2006年(あれ、2007年だったかな?)。2009年に短編集『なにかが首のまわりで』を出して、2013年に『アメリカーナ』で大ヒット。2016年には We Should All Be Feminists(『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』)でさらにブレイクでした。
さて、ここでクッツェーがなぜ Late Essays の最後に「ヴィットボーイの日記」をめぐる章を入れたか、という話に戻ると、彼の母方の曽祖父バルタザール・ドゥ・ビール(1844~1923)が、1868年にドイツ宣教師団の一員として南アフリカへ送られ、この南西アフリカで布教活動をしているのだ。そのことはすでに書いた。モラビア出身の宣教師の娘と結婚し、数年後にアメリカへ渡って、イリノイ州のドイツ人コミュニティで布教。そのとき生まれたのがジョンの母親ヴェラ・ヴェーメイエルの母、つまりジョンの祖母ルイザ・ドゥ・ビール(1873~1928)だった。
少年ジョンはポメラニア出身の曽祖父バルタザールはてっきりドイツ人だったと思っていたが(そう教えられた)、調べてみるとどうやらポーランド人で若いころ名前をドイツ風に変えてドイツ人宣教団に入ったことがわかった(これは今世紀に入ってから判明した事実)。
J・M・クッツェーが Late Essays の最終章になぜ「The Diary of Hendrik Witbooi/ヘンドリック・ヴィットボーイの日記」を入れたか?
それを考えるために、ヴィットボーイが生きた大ナマクワという土地の歴史について再度学び直している。舞台は南西アフリカ、現在のナミビアである。
1. Daniel Defoe, Roxana
2. Nathaniel Hawthorne, The Scarlet Letter
3. Ford Madox Ford, The Good Soldier
4. Philip Roth's Tale of the Plague
5. Johann Wolfgang von Goethe, The Sorrows of Young Werther
6. Translating Hölderlin
7. Heinrich von Kleist: Two Stories
8. Robert Walser, The Assistant
9. Gustave Flaubert, Madame Bovary
クッツェーの最新エッセイ集
10. Irène Némirovsky, Jewish Writer
11. Juan Ramón Jiménez, Platero and I
12. Antonio Di Benedetto, Zuma
13. Leo Tolstoy, The Death of Ivan Ilyich
14. On Zbigniew Herbert
15. The Young Samuel Beckett
16. Samuel Beckett, Watt
17. Samuel Beckett, Molloy
18. Eight Ways of Looking at Samuel Beckett
19. Late Patrick White
20. Patrick White, The Solid Mandala
21. The Poetry of Les Murray
22. Reading Gerald Murnane
23. The Diary of Hendrik Witbooi
そのとき「ドイツ政府のスポークスパーソンは、ナミビア国民に向けて慎重なことばづかいでスピーチを行なったが、ドイツ人の犯罪に対して、許しを乞う"Bitte um Vergebung"(plea for forgiveness)としながら、"Enschuldigung"(apology)という語は避けた」とクッツェーは書いている。スポークスパーソンが「当時、犯された残虐行為は現在ならジェノサイド(Völkermord)と呼ばれるだろう……そして今日ならフォン・トロータ将軍は起訴され、有罪判決を下されるだろう」と述べた、とクッツェーは Late Essays (p282)の最後に記録したのだ。(つづく)
今日、11月7日3時から、アデレード大学にあるJ・M・クッツェー・センターでとても面白そうなレクチャーが開かれる。 Against World Literature: Photography and History in Life & Times of Michael K(世界文学に抗して──『マイケル・K』における写真術と歴史) 講師は、ハーマン・ウィッテンバーグ。ウェスタン・ケープ大学の准教授で、クッツェーが少年時代に撮影した写真やフィルムの編集をまかされた人だ。クッツェー自身の初期作品2昨(In the Heart of the Country, Waiting for the Barbarians)のシナリオを出版した人でもある。
**** J・M・クッツェーの『マイケル・K』(Life & Times of Michael K)がグローバルな文芸市場に華々しく参入したのは、この作品が1983年にブッカー賞を受賞したときである。南アフリカという国の狭い文脈をはるかに超えて、世界文学という、より広い文化的フィールドでこの本は読まれはじめた。『マイケル・K』を、南アフリカという原点を超えて、ヨーロッパ中心の世界文学という、さらに広いスペースの一部として読むよう後押しをしたのは、もちろん、小説の間テクスト的なオリジンであるクライストの中編小説や、カフカを連想させる一連の偽装である。そういった読み方が主流になったことは、クッツェーが初期のインタビューで「Kという文字はなにもカフカの占有物ではない。それにプラハが宇宙の中心でもない」と指摘していることからみても、クッツェー自身を困惑させたようだ。
アナンド・G・マヒンドラと彼の妻アヌラドハ・マヒンドラの名にちなんで設けられたこの賞は、 Mahindra Award for the Humanities とあるように、人文学と芸術に多大な貢献をした人にあたえられる賞だ。今年創設され、隔年に授与される。
授賞式では、マヒンドラ人文学センターのディレクターとしてホミ・バーバがまず紹介のことばとして、クッツェーを「今世紀のfoundationalな作家だ」と呼び、その「理由はわれわれの基礎foundations を揺さぶったからだ」と述べた。バーバは、クッツェーの「じりじりと燃え立たせるモラル上の勇気」を強調しながら、この作家の仕事を「古典」と呼んだ。
[Verse 1: Hozier]
It's not the waking, it's the rising
It is the grounding of a foot uncompromising
It's not forgoing of the lie
It's not the opening of eyes
It's not the waking, it's the rising
[Verse 2: Hozier]
It's not the shade, we should be past it
It's the light, and it's the obstacle that casts it
It's the heat that drives the light
It's the fire it ignites
It's not the waking, it's the rising
[Verse 3: Hozier]
It's not the song, it is the singing
It's the hearing of a human spirit ringing
It is the bringing of the line
It is the baring of the rhyme
It's not the waking, it's the rising
[Chorus: Mavis Staples and Hozier]
And I could cry power (power)
Power (power)
Power
Nina cried power
Billie cried power
Mais cried power
And I could cry power
Power (power)
Power (power)
Power
Curtis cried power
Patti cried power Nina cried power
[Verse 2: Hozier]
It's not the wall but what's behind it
The fear of fellow men, his mere assignment
And everything that we're denied
By keeping the divide
It's not the waking, it's the rising
[Chorus: Hozier and Mavis Staples]
And I could cry power (power)
Power (power)
Oh, power
Nina cried power
Lennon cried power
James Brown cried power And I could cry power
Power (power)
Power (power)
Power, lord
B.B. cried power
Joni cried power
Nina cried power
[Bridge: Mavis Staples] And I could cry power
Power has been cried by those stronger than me
Straight into the face that tells you
To rattle your chains if you love being free
[Chorus: Hozier and Mavis Staples]
I could cry power (power)
And power is my love when my love reaches to me
James Brown cried power
Seeger cried power
Marvin cried power
Yeah ah, power
James cried power
Lennon cried power
Patti cried power
Billie, power
Dylan, power
Woody, power Nina cried power
現在30代の作家であるセリドリン・ドヴィは、1980年に南アフリカで生まれて──Waiting for the Barbarians が出版された年──幼少時に家族とオーストラリアへ移住し、現在もオーストラリアに住んでいます。その母親テレサ・ドヴィTeresa Dovey はラカンの理論を用いて、世界で初めてJ・M・クッツェーの作品をまとめて論じ、南アフリカの知る人ぞ知る出版社、アド・ドンカーから出版した人でした。
Teresa Dovey : The Novels of J M Coetzee: Lacanian Allegories: Johannesburg: Ad Donker. 1988.
幼少時からJ・M・クッツェーの作品が身近にあって、母親からこの作家と作品の話を聞いて育ち、自分もまた作家になったセリドリンにとって、クッツェー作品はまるで「母乳のよう」なものだと語っています。食卓にさらりと置いてあったクッツェー作品のカヴァーが、幼いセリドリンに強烈な印象を残したようです。白人の男が切断された黒人女性の足を洗っている光景、とあるのはペンギン版のWaiting for the Barbarians ですね──とにかく、なかなか面白いエッセイです。
たぶんこれは、もうすぐKindle で発売されるJ.M.Coetzee: Writers on Writers の出だしの部分だと思われます。女性が母親になりながらクッツェーを読むことについて、とても興味深い「体験」が書かれています。
ちなみに、デイヴィッド・アトウェルがテレサ・ドヴィの1988年の本について手厳しい書評を書いていることも付記しておきます(Research in African Literatures Vol.20, No.3:1989)。ラカンだけでクッツェーのそれまでの作品(『ダスクランズ』から『フォー』までですが)を論じることはとてもできない、と。南アフリカの歴史と社会に軸足を置いたもっと深い洞察と読みが必要だと、具体的に例をあげて論じています。そのあとですね、『Doubling the Point』が構想されたのは。
いずれにしても、80年代末の南アフリカでクッツェーという作家と作品をめぐって、とても熱く激しい文学的、歴史的、哲学的議論がやりとりされていたことがわかります。
9月7日付の「ル・モンド」に Obscure clarté de la finitude というタイトルでJ.M.クッツェーの『モラルの話』(L'Abattoir de verre)の書評が載りました。「作家とその分身」を主眼にしてクッツェー作品を論じる、なかなか読ませる内容です。評者はCamille Laurens カミーユ・ロランス。