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2011/11/16

Clarke's Bookshop ── ケープタウン日記(2)

昨日のケープタウンは晴れ、日差しが強く、めずらしく風のない一日だった。

 街へ出た。ぶらぶら歩いてロングストリートの Clarke's Bookshop を訪ねた。南アフリカ国内で出版された本を買ってきた書店だ。1990年代初めはファクスで注文していた。A4に印刷した手紙を一通出すと250円ほどかかった。すると、しばらくしてからしっかり梱包された包みが届く。本が傷まないように、とても丁寧に梱包してくれるのだ。

 店主のヘンリエッタ・ダックスさんが不在なのはわかっていた。ケープタウンを訪ねます、とわたしがメールすると、残念ながらその期間は海外へ出かける予定があると返事がきた。よりによって、なんという不運なめぐりあわせ。

 でも、スタッフのイザベルさんとメグさんが歓迎してくれて、店内を自由に見てまわり、写真も撮らせていただいた。ヘンリエッタさん宛に、メッセージと持参した拙訳のちくま文庫『マイケル・K』を託した。


今朝のケープタウンは昨日とは打って変わって風が強い。聞いてはいたが、これがまた半端ではない。宿は高いビルの9階にあるので、窓を開けるとびゅうびゅうとすごい音がする。テーブルマウンテンの頂上には白い雲が面白いほどの速さで流れていく。(下の写真は、真っ平らなテーブルマウンテンのうえを流れるように走る雲、「テーブルクロス」と呼ばれるそうだ。)

2011/08/21

クッツェーがオースターとステージで対話!

クッツェーが9月22日にカナダのキングストンで開かれる文学祭に招かれて朗読する。

 朗読のあと、ポール・オースターといっしょにステージ上で対話をするというのだから、これはちょっと驚き。
 80年代から、オースターはみずからクッツェーファンであることを公言してきた人だから、念願かなって、ということなのかもしれない。

 そんな話が「The Whig Standard」なるウェブマガジンの「J.M. Coetzee, in the third person」で読める。


 そう、なぜカナダのキングストンなの? と疑問に思う人もいるかもしれないが、この土地はクッツェーの自伝的三部作の最終部「Summertime 」の最初に出てくる女性ジュリアが「現在住んでいる」街なのだ。といっても物語はあくまで架空のものだから、もちろん、現実のキングストンにジュリア・フランクルなる人物が住んでいるわけではない。

 ステージ上の対話はきっと、この Summertime やオースターのカフカエスクな最新作をめぐるものになるのではないか、とこの記事を書いた Wayne Grady は期待を込めて述べている。どんなものになるのだろうか? (ドラえもんの「どこでもドア」でちょいと行ってみたい気がする/笑。)
 
 クッツェーはノーベル賞を受賞したとき、受賞スピーチの代わりに「He and his Man」という文章を読みあげた。表面上はロビンソン・クルーソーとデフォーを下敷きにした、不思議な、連想にみちた話だったけれど、グレイディが上記の文章でジェイムズ・ミークの文章(Guardian, September 5,2009)から引用しているように、あれは確かに、「He and his double」といったほうがいいような内容だった。つまり、クッツェーとその分身、登場人物と作家をめぐる話なのだ。

 ノーベル賞受賞後の2005年に発表された小説「Slow Man」もぴたりこのテーマが当てはまるけれど、そういえば「J.M.Coetzee and His Doubles」というタイトルのシンポジウムが2007年に、ニューヨーク大学で開かれたことがあったっけ。

 そのときの論文集をさらに発展させてまとめたものが2009年に刊行され、現在はネットで読むことができるようだ。これは嬉しい。シンポで中心的な役割をしたMark Sanders がずばり「J.M.Coetzee and his Doubles」というイントロダクションを書いているし、『デイヴィッドの物語』を書いたゾーイ・ウィカムも「Slow Man and the Real」という、シンポジウム発表時のものに加筆した文章をよせている。ほかにもアトウェルやアトリッジ、クラークソンなどおなじみのクッツェー・スポッターの名前がいくつも見える。

 先の記事のタイトル「J.M.Coetzee, in the third person/三人称で(語られる)、J.M.クッツェー」は9月に出る一巻にまとめられた自伝的三部作を考慮してのこととは思うけれど、はて、キングストンに登場するクッツェーが何を読むのか、オースターと何を話すのか、う〜ん、聞いてみたい!

2011/07/27

記憶と創造性──ウィカムが今日からヴィッツ大へ

翻訳中の『デイヴィッドの物語』の著者、ゾーイ・ウィカム Zoë Wicomb が今日から3日間にわたってヴィッツヴァーテルスラント大学で開催されるシンポジウム「記憶と創造性について」に参加するらしい。おっ! グラスゴーから南アフリカへちょっと里帰りですね!

「記憶と創造性」というタイトルもなんだか気になる。「第3回アパルトヘイト・アーカイヴ会議」の一環として開催されるというのも興味深い。
 というのは、結局、作品というのはそれを作る人の記憶や歴史観と、意識的に向き合う程度はさまざまだとしても、不可分につながっているのは紛れもない事実だから。そこから切れてしまうと、自分が何者であるのかわからないまま荒唐無稽なダンス・マカーブルを余儀なくされる。
 だから、作者の意識に眠る、いや、意識内で覚醒している、そのつながりを可視化しようとする作品がおもしろい。

 前面に出る必要はない。しかし深いところで歴史認識を欠いた作品は、どれほど意匠が凝らされていようと、どれほど練りあげられた作品構造をもっていようと、時間の強い光で色褪せていかざるをえないだろう。「ことばは文脈がすべて」とは先日、訳していたところに出てきたウィカムの文章だけれど、一冊の書籍を翻訳して紹介するときも、それとほぼおなじことがいえるかもしれない。

 思い出すのは「翻訳紹介するときの文脈がすべて」ということば。これは翻訳を志した遠いむかし、尊敬する大先輩、藤本和子氏にいわれたことばでもあった。日本語に移し変える側の歴史を照射する視点のことではないか、といまは理解できる。

 写真はナマクワランド出身の作家、ゾーイ・ウィカム。ズールー、コーサといったブラック(バンツー系)の人たちとはちょっと異なる褐色の肌の、東洋人を思わせる切れ長な目元。南アフリカにもっとも早くから住んでいた先住民系の人といっていいだろう。
 1948年生まれの彼女が生きてきた世界は、アパルトヘイトの歴史、さらに植民者としてやってきたヨーロッパ人と先住民との混交の歴史ぬきにしては語れない。その歴史に鋭く、深い光をあて、現在と切り結ぶ作品を読んでいると、見えない存在として裏舞台に押し込められてきた人たちを、ほとんど自分の分身として生み出し、言語化していくプロセスに出会っているように思えてくる。

 作品の背景遠くヴァニシングポイントに感知されるのは、サヴァルタンと呼ばれる人たちのおぼろげな像で、ウィカムにとって「書くこと」はその存在をあたうるかぎり可視化しようとする作業なのだと得心する。

 この作業がめざす地点は、ある意味、クッツェーとその作品群が呼び求めるカウンターヴォイスが響きはじめる地点ともいえそうだ。まさに究極の「ポストコロニアル文学」であり、そう呼びたければ「フェミニズム文学」といったっていい。女が書いているからフェミニズム文学、旧植民地出身の作家が書いていたり旧植民地が舞台だからポスコロ文学、という大雑把すぎてぼやけたくくりとは決定的に異なる視点が、きっちり見えてくる。

 ま、彼女自身はそんなこと知っちゃない、かもしれないけれど、ね。

2011/01/08

『サラ・バートマンとホッテントット・ヴィーナス』──(2)

この本は歴史学者が書いたものですが、堅苦しいところはあまりなく、図版も豊富に使われています。本扉を開くと図版の説明があり、そのつぎに「DRAMATIS PERSONAE/登場人物」と銘打たれたページがもうけられています。これが面白い!
 1770年代生まれのサラ・バートマンから始まって、彼女を解剖したフランス人医師ジョルジュ・キュヴィエにいたるまで、すべて歴史上実在した人物です。なんとディケンズの『ピクウィック・ペーパーズ』に出てくる人物のモデルになった人まで登場します。まことにドラマチック。
 では、以下にそれを紹介します。

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Sara Baartman and the Hottentot Venus : A Ghost Story and a Biography, by Crais & Scully : Princeton,2009

<登場人物>
サラ・バートマン:ヨーロッパで「ホッテントット・ヴィーナス」として知られた女性。サーキ・バートマンともいう。Sara(サラ), Saartje(サーキ), Sarah(サラ) とも表記される。

デイヴィッド・フーリー:植民者、サラの最初の主人。

コルネリウス・ミュラー:植民者、サラの二番目の主人。

ライダー・バートマン:サラの兄弟。

ピーター・セザール:ヘンドリックの兄弟で、エルツァーに雇われていた。サラをケープタウンに連れて行った男。

ヤン・マイケル・エルツァー:裕福な肉屋で、ケープタウンでのサラの最初の主人。

ヘンドリック・セザール:アンナ・カタリーナ・スタールの夫で、サラをイギリスへ連れて行った二人の男のうちの一人。

アンナ・カタリーナ・スタール:ヘンドリック・セザールの妻。

ヘンドリック・ファン・ヨンク:サラのオランダ人パートナー。

ヨハネス・ヤコブス・フォス:Burgher Senate(オランダ系市民議会) の大統領、ヘンドリック・セザールが借金をしていた相手。

アレグザンダー・ダンロップ:王立英国海軍の船医、ケープ・スレイブ・ロッジの医者でもあった。サラをイギリスへ連れて行った二人の男のうちの一人。

ウィリアム・ブロック:リヴァプール博物館の所有者。この博物館はロンドン博物館あるいはエジプト博物館としても知られる。

「聖」ザカリー・マコーリー:主要な奴隷廃止論者。イギリスでのサラの処遇について調査を指導した人物。

「聖」トマス・ベイビントン:主要な奴隷廃止論者。

スティーヴン・ガスリー:軍医ダンロップの弁護士、1815年にナイト爵に叙され、1824-37年に民事訴訟判事をつとめる。ディケンズの『ピクウィック・ペーパーズ』に出てくる「ステアリー判事」のモデルとなった人物。

クイーンズベリー公爵:ロンドンの有名な遊蕩者で、サラを自分が所有するピカデリーハウスで見せ物にするため連行させた人物。

ヘンリー・テイラー:サラをパリへ連れて行った男。

レオー:パリの動物調教師、店の持ち主で、ケープタウンではサーカス団のメンバーでもあったらしい。サラの最後の所有者。

ジョルジュ・キュヴィエ:科学者、比較解剖学の確立者。

(イギリス人、オランダ人、フランス人、さらに、もと奴隷の人につけられた名前と多様なネーミングがあるので、読み方がはたして正しいかどうか、ちょっと不明なところもありますのであしからず。)
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付記:人名の発音については、その後、明らかになったところを訂正しました。

2011/01/06

『サラ・バートマンとホッテントット・ヴィーナス』──(1)

文末に「付記」を加えました。
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いま読んでいる本です。ひとりで読むにはもったいないので、ここで紹介します。ゾーイ・ウィカムがこんなふうに絶賛する本です!(サラ・バートマンについては、以前のブログを参照してください。)

Sara Baartman and the Hottentot Venus : A Ghost Story and a Biography, by Crais & Scully : Princeton,2009

「サラ・バートマンの神話化された生について、典拠の確かな、信頼できる書物がついに出た。細部にいたるまで正確に調査されたテーマが、クレイスとスカリーという二人の歴史学者の手によって具体化されたのだ。彼らは歴史的バイオグラフィーを書くことにつきものの落とし穴を巧みに回避し、細心の注意を払って、サラ・バートマンという一人の女性とイコンとなったホッテントット・ヴィーナスとを峻別して記述する。さらに、優雅な文体で書かれ、情熱と共感を込めながら注意深く状況を追跡した研究のなかには、彼らが発見した事実がひるむことなく提示されている。すばらしい・・・過去と未来にわたる南アフリカ文化へのずば抜けた貢献である」──ゾーイ・ウィカム

 昨秋、フランスで「VENUS NOIRE/黒いヴィーナス」という映画が公開されたことをネット情報で知りました。チュニジア出身の男性監督が撮った映画だそうですが、サラ・バートマンと当時のフランス人がどんなふうに描かれているのか、とても気になります。3月にはDVDになるそうですから、それを待ちましょう。

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付記:1770年代に南アフリカで生まれたサラ・バートマンという女性と、彼女をもとにしてヨーロッパ近代がどのようなイメージを作り上げたか、その結果どんな価値観が成立していったか、そのプロセスを知る手がかりとして、吉見俊哉著『博覧会の政治学/まなざしの近代』はとても役立つ、というか必読書に近いかもしれません。

2011/01/01

今年もウィカムとアディーチェ

あけましておめでとうございます。

今年もまたゾーイ・ウィカムの『デイヴィッドの物語』です。主人公はクッツェーの『Disgrace/恥辱』に登場する人物とおなじ名前のデイヴィッド、舞台が南アフリカのケープタウンと東ケープ州であることもおなじですが、こちらは「カラード」と呼ばれた人たちのなかでも先住民族「グリクワ」にオリジンを持つ人たちの話です。(「ホッテントット・ヴィーナス」としてヨーロッパ人の見せ物にされたサラ・バートマンの話も、彼女の遺体を解剖して標本にした医師キュヴィエの話も皮肉たっぷりに登場します。)

 グリクアの人たちが、北ケープのナマクワランドから民族大移動をして東ケープへ移るところは、ボーア人のグレイトトレックを思わせますが、主人公が反アパルトヘイト闘争で ANC 軍事部門で活躍したフリーダムファイターであるところが、1991年当時の南アの状況と微妙な絡みを見せます。カラードの女性たちが置かれていた状況もありありと浮かんで、小説ならではの、内部の声が伝わってきます。

 J. M. クッツェーが「何年ものあいだ、アパルトヘイト後の南アフリカ文学はどのようなものになるだろうかと、私たちはずっと待っていた。いま、ゾーイ・ウィカムがその逸品を届けてくれた。ウィットに富んだ語調、洗練された技法、多層的に織り込まれた言語、そして政治的にはだれの恩恵も受けていない『デイヴィッドの物語』は、途方もない達成であり、南アフリカの小説を創り直す大きな一歩でもある」と高く評価した作品を、もうすぐ日本語でお届けできるのは嬉しい。
 
 さらに今年は、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの日本オリジナル短編集第二弾も進行中です。
 2009年に英語版で出た短編集『The Thing Around Your Neck』から未邦訳の6編と、雑誌 Granta や NewYorker に掲載された作品などを集めてお届けします。最新作も入ります!

 お楽しみに!!

ねずみは眠る、猫も寝る、ゆたんぽ抱えて夢をみる2011年、今年もどうぞよろしく!

2010/09/07

ブルームズデイってソウェト蜂起の日なんだ!

9月に入っても暑い暑い東京で、ゾーイ・ウィカムの『デイヴィッドの物語』を訳していて、こんな箇所に行きあたった。

<わたしは彼に、ドアがノックされたことに答えてジェイムズ・ジョイスが口にした「カム・イン」が誤って記録された話をする。ジョイスの筆記者だった若きベケットがテクストにそれを含めてしまったのだ。そこでふと思い出したわたしは、柄にもなく、きゃあああっと叫んでしまう。

「青年の日」って、そうよ、ソウェト蜂起の日の6月16日ってのはジョイスの「ブルームズデイ」じゃないの、わたしは興奮してしゃべりつづける、ことばの革命が起きた日よ。考えてもみて、黒人の子供たちがアフリカーンス語は抑圧者の言語だといって反乱を起こしたまさにその日に、かのレオポルド・ブルームは栄養にみちみちた朝食を食べはじめ、さも旨そうに、内臓を食べて──
 デイヴィッドが顔をしかめ、首を振ってそれを遮る。>

 ふ〜〜ん、そうなんだ!
 南アフリカは北ケープ州、ナマクワランド出身の作家ウィカムの、すばらしいユーモアに、あらためてニヤリとなる。

2010/07/01

翻訳者泣かせの南アフリカ英語──その2

「kaffir/カフィールという語」

サッカーのワールドカップでは早々と負けてしまった南アフリカだけれど、「虹の国」と呼ばれるこの国には、じつにさまざまな人が住んでいる。さまざまなという意味は、この国の成り立ちとおおいに関係していて、アパルトヘイト体制による「人種」という「厳密な」定義によって、その実、きわめて恣意的な区分が何十年にわたって人々の暮らしや心に残したものは、10年や20年では払拭できないほど深いのかもしれない。

 ましてや、ヨーロッパ人がやってきて、銃と聖書とさまざまな物資をもちこんで土地を奪っていった歴史がその前提となっているのだから複雑きわまりない。でも、その複雑さのなかに、アジアやアラブの人間が深く絡んでいることは案外、見落とされがちだ。つい「ヨーロッパ対アフリカ」の構図に目を奪われてしまうからだろうか。ヨーロッパ人がやってくるはるか前から、東アフリカ地域、海域ではアラブ人交易商たちが活躍していたのは周知の事実。

 そのことを示す端的な例が「kaffir」ということばである。この語を「リーダーズ英和辞典」で引くと「1a<古>カフィル人(南アフリカのBantu族); カフィル語(Xhosa語の旧称)b[derog](南アフリカの)黒人」と出てくる。「ジーニアス英和辞典」では「1カーフィル[コサ]族(の人)(南アフリカのバントゥー族の一部族;<南ア><侮蔑>アフリカ黒人」とあり、つぎに「2カフィール語<コサ語の旧称>」さらに「4(イスラム教徒から見て)不信心者、異教徒」となる。

 では件の「南アフリカ英語辞典」ではどうか。出てくる、出てくる。すごい量の情報だ。二段組みで約3ページ半。しかし、これなどまだ少ないほうで、先日、遅ればせながら取り寄せた「A Dictionary of South African English on Historical Principles/South Afirican Words and Their Origins」(Oxford, 1996)では、三段組みの細かな文字で、関連項目を含めると、なんと10ページを越える。

 クッツェーやウィカムの小説にこの語が出てくるのは、たいてい会話のなかで、話者が「アフリカ黒人」を罵るようにして呼ぶときだ。もっとも強い侮蔑語として使われる。だから「コサ人」とか「ズールー人」といった民族集団をさす語とは全く違うニュアンスをもつことに注意しなければいけない。
 しかし、「イスラム教徒から見た不信心者、異教徒」というところも興味深い。この「kaffir」という語、語源をさかのぼるとアラビア語に行きつく。つまりこの語の裏には、アラブ商人によって売買された奴隷と南部アフリカの関係が見え隠れしている。ご存知、ケープタウンには「Slave Logde」という建物がある。売られてきた奴隷の一時滞在所とでもいうべき建物である。

 英帝国やオランダが植民地にしていたインド、インドネシア、セイロン、マラヤなどから労働力として運ばれて来た人々や、東アフリカからアラブ商人に売られてきた奴隷が相当数いた(当然、その人たちの子孫がいる)ことを考えると、アラビア語やイスラム教と強く結びついた文化が、かなり古くから持ち込まれていたことが理解できるだろう。彼らイスラム教徒からみた「異教徒」を意味する語が、イースタンケープ州に多く住むコサ(マンデラ元大統領が属する民族)の人々をさすようになった経緯というのも興味深い。
 
 歴史に強いわけではないから細かなことまでは分からないけれど、これはたった一冊の小説を訳すためにも、その国の時代的背景、歴史的背景を調べなければ正確な訳ができないことばがある、という具体例かもしれない。
 ちなみにコンサイス版のOED(2003)ではこの語、「an insulting and contemptuous term for a black African/アフリカ黒人を意味する侮辱語、軽蔑語」となって、他の説明はいっさい出てこない。さすが現場に強い旧宗主国の辞書。この説明が現代の南アフリカ(および他のアフリカ諸国)から出てくる同時代的文学作品のなかで使われる「kaffir」の意味合いを、もっとも端的にあらわしているといえそうだ。

2009/05/11

『デイヴィッドの物語』──ゾーイ・ウィカム著

<南アフリカ解放闘争と先住民グリクワのナラティヴ・ヒストリー>

 ゾーイ・ウィカムの『デイヴィッドの物語/David's Story』は、さまざまなテーマが色とりどりの糸で編み込まれた一枚の布のような物語である。スリラー、ゴシック、あるいはポストモダン小説。

 主人公のデイヴィッド・ディルクセはカラードのフリーダムファイター、時代は1980年代後半から1991年、アパルトヘイトからの解放が間近に迫る、南アフリカ社会の転換期だ。

 それまで自分のアイデンティティのことなど深く考えることのなかったデイヴィッドだが、あるとき思い立って、グリクワとしてのルーツ探しの旅に出る。グリクワとは、南部アフリカの先住民族「コイサン・ピープルズ」に属する一民族のこと。コイサンとは、ヨーロッパ人がつけた蔑称「ホッテントット」や「ブッシュマン」という呼び名によって日本にも伝えられていた人たちのことだ。
 解放闘争の裏面史的性格をもつこの作品は、だから、グリクワ民族の歴史物語ということにもなる。デイヴィッドの祖母や曾祖母たちの語りによって、20世紀初頭にナマクワランドからオレンジ川流域へ、さらにコックスタッドへ、それからふたたび東ケープ北部へとグリクワの首長たちに率いられてトレックする人たちの姿が、くっきりと浮かびあがる仕掛けになっているのだ。ここに「白人」対「黒人」という二項対立で見られがちな「アパルトヘイト」の裏側、歴史の細部を伝える物語が展開される。

 さらにこれは女たちの物語でもある。デイヴィッドの妻サリー(やはりフリーダムファイター)や、同志ダルシー(拷問を受けた身体をもつ女性)の語りが活写するのは、解放闘争にリクルートされたカラードの女たちの姿だ。物語が進むにつれて、外部からは見えなかった解放組織の内実、その知られざる姿が影絵のように浮かびあがる。旅の途中、デイヴィッドは自分が「抹殺者予定リスト」に載っていることを知る。ダルシーとデイヴィッドの関係も、なるほど、そうか──と、じつにスリリング。ここが、現在の南ア政権党=ANCの内部性格を理解するうえで役立つ。ある意味、この物語の最大のポイントかもしれない。
 ゾーイ・ウィカムの重層的なナラティヴのなかに、じわじわと浮上して像を結びだすのは、解放運動の活動家、スパイ、破壊工作員、地下活動者たちの相矛盾するいくつもの真実だ。それは、アパルトヘイトからは解放されたが、苦悩に満ちた過去の重みから、いまだ解き放たれていないこの国の人々の現在ともリアルに重なる。

 この小説は南アの解放からわずか6年後の2000年に出版された。ジンバブエなど、解放闘争の真実が文学作品として描かれるまでに10年待たなければならなかったことを考えると、それもまた驚きというべきか。          
 
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<讃辞>  
「何年ものあいだ、アパルトヘイト後の南アフリカ文学はどのようなものになるだろうかと、私たちはずっと待っていた。いま、ゾーイ・ウィカムがその逸品を届けてくれた。ウィットに富んだ語調、洗練された技法、多層的に織り込まれた言語、そして政治的にはだれの恩恵も受けていない『デイヴィッドの物語』は、途轍もない偉業であり、南アフリカの小説を創り直す大きな一歩でもある」
   ──J.M.クッツェー

「目撃することのパラドックス、民族解放の確かさと底辺層のハイブリッドなアイデンティティの不確かさ、性交の神秘、政治的フィクションの苦さに導かれて読む、繊細でパワフルな小説。ウィカムの本は、マリーズ・コンデやイヴェット・クリスチャンセとおなじ書棚に置かれるべきだ」
   ──ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァク

2009/02/11

グレイスさんのディスグレイス

『恥辱/ディスグレイス』といえば南アフリカ出身のノーベル賞作家、J・M・クッツェーの二度目のブッカー賞受賞作だけれど、それとおなじタイトルの短篇を季刊「季刊 真夜中 No.4」(リトルモア、1月22日刊)に訳出した。作者はこれまた南ア出身の作家、ゾーイ・ウィカム。昨年7月に出たばかりの短編集『出ていった人/THE ONE THAT GOT AWAY』に入っている作品だ。(写真はNew Press からもうすぐ出る予定の米国版)

 物語は、グレイス(恩寵)という名の主人公が、一枚の絹のスカーフをめぐって、不面目(ディスグレイス)なことになってしまう話で、語呂合わせをねらうタイトルは、そのままにするしかなかった。
 舞台はアパルトヘイト解放後のケープタウン。主人公は郊外のタウンシップから街の白人屋敷へ通う、74歳のカラード(混血)のメイドである。苦労して大学を出た娘のことや、のらくら者とグレイスの目にうつるその夫、預かって育てている孫たちとの暮らし、雇主の白人マダムやスコットランドからきた客、フィオナとのやりとりなどが、臨場感あふれる会話調の文体で生き生きと描かれている。

 作者のウィカムは1948年、ちょうどアパルトヘイト体制が制度化された年に、ウェスタンケープでカラードとして生まれている。20代で渡英し、解放後は一時帰国したけれど、現在はグラスゴーとケープタウンを行ったり来たりの生活だという。アパルトヘイト解放闘争の裏面史を描いた長編『ディヴィッドの物語/David's Story』(2000年)は、南ア国内では物議をかもした野心作で「南ア文学における途方もない達成」とクッツェーから絶賛された。

 この作家の最初の短篇集『You Can't Get Lost in Cape Twon/ケープタウンで道に迷うことはない』は1987年、ヴィラゴ/Virago から出版されている。それで、はたと思い当たった。これは、日本でもおなじみのハニフ・クレイシやキャリル・フィリップスなど、「第三世界」との関わりをもつ作家たちを強力に売り出すシリーズを出した出版社ではないか! 当時は「ブラック・ブリティッシュ」とずいぶん話題になったものだ。(この場合、「ブラック」というのが「非白人」を意味することは明白。)そうか、そういうくくりでウィカムも売り出されたのか、と改めて思いいたった。でも、ウィカムの場合、次の作品は2000年の『ディヴィッドの物語』まで待たなければならなかったけれど・・・。

 彼女の書くものは、とにかく、抜群にスパイシーだ。ナラティヴを多用したその文体も、他にちょっと類を見ない。昨年出た短篇集もまたスパイスの効いた作品が多く「外部から問うクールさと、内部の事情に通じる温かな眼差しを結合」とクッツェーも賛辞を惜しまない。

 来年のワールドカップ開催国の暮らしの内実を知る絶好の作品群である。

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北海道新聞夕刊(2月10日)に掲載されたコラム「世界文学・文化アラカルト」に大幅に加筆しました。
2009.6.28 追記:「ウィコム」と表記してきましたが、発音は「ウィカム」に近いと判断して、訂正いたします。ご了承ください。

2009/01/21

ゾーイ・ウィカム──「ディスグレイス」を「真夜中」に

南アフリカ出身の作家、ゾーイ・ウィカム Zoë Wicomb の短篇「ディスグレイス/Disgrace」を訳しました。1月22日発売の雑誌「季刊 真夜中 No.4」(リトルモア刊)に載っています。
(2009.6.28注記/「真夜中」に発表当時は「ウィコム」の表記でした。)

 主人公のグレイスが、なにやらディスグレイス(不面目)なことになってしまう話で、昨年、南アの出版社 UMUZI から出たばかりの短篇集「THE ONE THAT GOT AWAY」に入っています。クッツェーが表紙に賛辞を寄せています。

 ぜひ本屋さんで、ぱらりぱらりと!!