Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2018/10/26

日経プロムナード第17回 シャコタン

 木々が色づいて秋も深まっていきます。遠目に、あれ、花かな、と思って近づくと、鮮やかに色づいた木の葉だったり。

   シャコタン

 日経プロムナード第17回目は、シャコタンという海辺の土地について。北海道で自分が生まれて育った場所以外で、もっとも懐かしい場所のひとつです。


2018/10/24

J・M・クッツェーの母方の曽祖父はポーランド系

このところ「英語」という言語が世界を覆う勢いについて極めて批判的な態度を表明しつづけているクッツェーだが、今朝いちばんに飛び込んできたニュースもまた、クッツェーのそんな姿勢が強く感じられる内容だ(10月23日付)。


シレジア大学で名誉博士号を授与されるJM・クッツェー。壇上にはデイヴィッド・アトウェルとデレク・アトリッジの姿も見える。これから3人でアウシュビッツへ向かうのだろう。クッツェーのスピーチは49:40ころから8分ほど。

 ポーランド、カトヴィツェにあるシレジア大学で名誉博士号を授与されたことを伝えるこの記事(原文はポーランド語、読んだのはGoogle英訳)によると、クッツェーの母方の曽祖父バルタザール・ドゥ・ビールはそれまでドイツ人だと思われていたが、生まれたのはチャルヌィラスCzarnylas(「黒い森」の意)という村で両親はポーランド人、村の学校ではポーランド語で授業が行われていたことが突き止められたそうだ。

 突き止めたのはシレジア大学の研究者ズビグニエフ・ビアワス教授Zbigniew Białas。バルタザール・ドゥ・ビールの第一言語はポーランド語であると。(動画のなかでは、ズビグニエフ・ビアワスが2004年6月13日(日曜日!)にクッツェーから突然メールがきて、彼の曽祖父が「Balcer Dubylバルツァル・ドゥビル」という名でポーランドで生まれていたが、詳細を調べてほしいと依頼されたそうだ。)(追記:その結果についてのエピソードを今回、披露しているが、その事実はデイヴィッド・アトウェルの評伝にあったし、そこにはクッツェーがポーランドにあるドゥビルの親戚の墓を訪ねる写真も添えられていた。)

 カトリックのポーランド人として生まれたバルタザール(バルツァル)(1844~1923)は、10歳のころの宗教的な体験によってプロテスタントになることに決め、ドイツ人になって宣教師協会の宣教師として1868年に南アフリカへ送られ、南部アフリカで布教した。結婚した相手がモラビア出身の女性アンナ・ルイザ・ブレヒャー。その娘が、父親が宣教で渡米中にイリノイ州で生まれたルイザ(1873~1928)、つまり母方の祖母だ。このルイザが子供たち全員を英語で育てたために、ジョンの母ヴェラもまた英語で自分の子供を育てることになった。

左がズビグニエフ・ビアワス
 ポーランド生まれのバルタザール・ドゥ・ビールの姿は、『少年時代』ではちょっと狂人じみた宣教師の姿として描かれていて、少年ジョンの大叔母アニーが父親の書いた本をドイツ語からアフリカーンス語へ翻訳して印刷製本して売り歩く姿が出てくる。ドイツ語から、つまり、宣教師バルタザールは、当時、自分の第一言語のポーランド語ではなく布教活動のために獲得した言語、ドイツ語で書いたわけだ。それを南アフリカでアフリカーンス語に翻訳することに一生を費やしたのが「アニーおばさん」、ジョンにとっては大叔母さんだった。
(こうして新事実がわかることで、『少年時代』もまた、結果として、フィクション性の強い作品であることが明らかになっていく……。)
 動画はシレジア大学のサイトにもアップされている。

2018/10/20

日経プロムナード第16回 高橋悠治のピアノ

日経プロムナード第16回、書きました。1970年代半ばからずうっと断続的に「聴いている音楽」について。

  高橋悠治のピアノ

 飽きることなく、しかし逆に、夢中になっておっかけて、もういいや、と区切りをつけて遠ざかるのではなく、「断続的に」(←ここが特徴)、これまで生きてきた山あり谷ありの時間、ずっと聴いてきた音楽。これからも、多分、変わらず聴きつづける音楽。それがグレン・グールドと高橋悠治のピアノなのだ。

2018/10/18

J・M・クッツェーが第1回マヒンドラ賞を受賞

 現地時間の10月17日(水曜日)午後、ハーヴァード大学サンダーズ劇場で、第1回マヒンドラ賞の授賞式が行われた。受賞者はJ・M・クッツェー。

アナンド・G・マヒンドラと彼の妻アヌラドハ・マヒンドラの名にちなんで設けられたこの賞は、 Mahindra Award for the Humanities とあるように、人文学と芸術に多大な貢献をした人にあたえられる賞だ。今年創設され、隔年に授与される。
 授賞式では、マヒンドラ人文学センターのディレクターとしてホミ・バーバがまず紹介のことばとして、クッツェーを「今世紀のfoundationalな作家だ」と呼び、その「理由はわれわれの基礎foundations を揺さぶったからだ」と述べた。バーバは、クッツェーの「じりじりと燃え立たせるモラル上の勇気」を強調しながら、この作家の仕事を「古典」と呼んだ。

 正賞である彫刻(写真で透明なケースに入っている金色の彫刻)はサー・アニシュ・M・カプーアが彫った、多くの頂と谷をもつ峻険な峰をかたどったもので、受賞者のたどった生涯にわたる旅をあらわしている、とバーバは述べた。長く危険なトレックを経たのち山頂からの眺めに到達するのだと。

 それでありありと思い出すのは、クッツェーの自伝的三部作の第一部『少年時代』にでてくるヴスター小学校の帽子の紀章のことだ。「紀章には山頂を星が取り巻くようにラテン語で”困難を経て星へ( ペル・アスペラ・アド・アストラ)”と書かれている」(p68/インスクリプト版)──この「自己犠牲」的な努力については、シカゴ大で行ったレクチャーでも、自分にとって現在進行形のテーマとしてあると彼は述べていた。

 クッツェーは受賞スピーチで、シカゴ大学でのレクチャーに続いて、子供時代を通して英国で編集出版された『子供百科』を読むことの影響について述べ、聴衆にこう問いかけた。「母語をもつとはどういう意味か? 母のいない人たちはいるだろうか?」クッツェーはまだ、英語を自分の母語と呼べないと述べた。

ラウンドテーブル
それを受けたラウンドテーブルで、バーバがクッツェーの提起した問題を11人の参加者それぞれに投げかけた。舞台には英語や英文学の教授陣がならび、なかにはジャメイカ・キンケイドの姿も見える。
 パネリストはクッツェーの3つのお気に入り:自転車、バッハ、ロジェ類語辞典の長所と相互の関係について語った。
 キンケイドは、自分は類語辞典なんか使わない、ときっぱりいって類語辞典を使う他の作家たちとぶつかったが、このイベントのために8冊ほど購入したことを認めたとか──ふうん、面白い。

 詳細は、ハーヴァード・クリムゾンのニュースへ。 
 
 

2018/10/12

日経プロムナード第15回 わたしお母さんだったけど

曇り空からぱらぱら雫が落ちてきたり、急に冷たい風が吹いてきたり、秋は確実にやってきています。

 日経プロムナード第15回がアップされました。

 わたしお母さんだったけど

 少し前に「あたしおかあさんだから」という歌が流れたことがありました。お母さんだから諦める……みたいな。それに対して、「あたしおかあさんだけど」、でも諦めない、とさわやかに、こ気味よく、応答する若い女性たちのことばがとても印象に残ったので、それについて書きました。
 自分の場合はどうだったか、とあれこれ思い出しながら書いていると、行き着くところはいつも……ここなのよね、というオチもついて。

2018/10/05

日経プロムナード第14回  ジョンとポール

半年の予定の日経プロムナードも折り返し点をすぎて、4ヶ月目に入りました。10月最初の回は:

  ジョンとポール

 言わずと知れたビートルズのあのコンビです。でも!
 ジョンもポールも、もとはといえば聖書に由来する名前。使徒ヨハネとパウロ。そして話は途中から、もう一組のジョンとポールへ移っていって……。
 

2018/10/03

Nina cried Power



今日はもうひとつ! この曲、サイコーに好き! ニーナってもちろんニーナ・シモンよね。
映画:Cry Freedom (1987)を思い出す。南アのアパルトヘイト時代に拷問で殺されたスティーブ・ビコが主人公の映画。日本では「遠い夜明け」なんて変なタイトルになってしまったけど、全然、夜明けは遠くなかった!

Nina Cried Power

[Verse 1: Hozier]
It's not the waking, it's the rising
It is the grounding of a foot uncompromising
It's not forgoing of the lie
It's not the opening of eyes
It's not the waking, it's the rising

[Verse 2: Hozier]
It's not the shade, we should be past it
It's the light, and it's the obstacle that casts it
It's the heat that drives the light
It's the fire it ignites
It's not the waking, it's the rising

[Verse 3: Hozier]
It's not the song, it is the singing
It's the hearing of a human spirit ringing
It is the bringing of the line
It is the baring of the rhyme
It's not the waking, it's the rising

[Chorus: Mavis Staples and Hozier]
And I could cry power (power)
Power (power)
Power
Nina cried power
Billie cried power
Mais cried power

And I could cry power
Power (power)
Power (power)
Power
Curtis cried power
Patti cried power
Nina cried power

[Verse 2: Hozier]
It's not the wall but what's behind it

The fear of fellow men, his mere assignment
And everything that we're denied
By keeping the divide
It's not the waking, it's the rising

[Chorus: Hozier and Mavis Staples]
And I could cry power (power)
Power (power)
Oh, power
Nina cried power
Lennon cried power
James Brown cried power
And I could cry power
Power (power)
Power (power)
Power, lord
B.B. cried power
Joni cried power
Nina cried power

[Bridge: Mavis Staples]
And I could cry power
Power has been cried by those stronger than me
Straight into the face that tells you
To rattle your chains if you love being free

[Chorus: Hozier and Mavis Staples]
I could cry power (power)
And power is my love when my love reaches to me
James Brown cried power
Seeger cried power
Marvin cried power

Yeah ah, power
James cried power
Lennon cried power
Patti cried power
Billie, power
Dylan, power
Woody, power
Nina cried power

ママとわたし(とクッツェー) by セリドリン・ドヴィ

Mommy and Me (and Coetzee)

セリドリン・ドヴィ Ceridwen Doveyの興味深いエッセイです。

 現在30代の作家であるセリドリン・ドヴィは、1980年に南アフリカで生まれて──Waiting for the Barbarians が出版された年──幼少時に家族とオーストラリアへ移住し、現在もオーストラリアに住んでいます。その母親テレサ・ドヴィTeresa Dovey はラカンの理論を用いて、世界で初めてJ・M・クッツェーの作品をまとめて論じ、南アフリカの知る人ぞ知る出版社、アド・ドンカーから出版した人でした。
 
Teresa Dovey : The Novels of J M Coetzee: Lacanian Allegories: Johannesburg: Ad Donker. 1988.

 幼少時からJ・M・クッツェーの作品が身近にあって、母親からこの作家と作品の話を聞いて育ち、自分もまた作家になったセリドリンにとって、クッツェー作品はまるで「母乳のよう」なものだと語っています。食卓にさらりと置いてあったクッツェー作品のカヴァーが、幼いセリドリンに強烈な印象を残したようです。白人の男が切断された黒人女性の足を洗っている光景、とあるのはペンギン版のWaiting for the Barbarians ですね──とにかく、なかなか面白いエッセイです。

 たぶんこれは、もうすぐKindle で発売されるJ.M.Coetzee: Writers on Writers の出だしの部分だと思われます。女性が母親になりながらクッツェーを読むことについて、とても興味深い「体験」が書かれています。

 母親テレサの本は古書でしか手に入りませんが、、、、英文学研究者の方々は各国の大学の図書館に入っているのを参照できるはずです。残念ながらわたしは入手法がまだ発見できません😭。

 ちなみに、デイヴィッド・アトウェルがテレサ・ドヴィの1988年の本について手厳しい書評を書いていることも付記しておきます(Research in African Literatures Vol.20, No.3:1989)。ラカンだけでクッツェーのそれまでの作品(『ダスクランズ』から『フォー』までですが)を論じることはとてもできない、と。南アフリカの歴史と社会に軸足を置いたもっと深い洞察と読みが必要だと、具体的に例をあげて論じています。そのあとですね、『Doubling the Point』が構想されたのは。
 いずれにしても、80年代末の南アフリカでクッツェーという作家と作品をめぐって、とても熱く激しい文学的、歴史的、哲学的議論がやりとりされていたことがわかります。

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2018.10.8──付記:Dovey の読みを「ドヴェイ」から「ドヴィ」に変更しました。1990年代にアフリカの文学に詳しい英文学者が「ドヴェイ」と発音していたので、その表記に従ってきましたが、テレサは南アフリカで英語の達者なオランダ系植民者を父や祖父に生まれた人だそうなので、オランダ語やアフリカーンス語の発音に近い「ドヴィ」とします。