Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2021/05/02

東京新聞(夕刊)「海外文学の森へ」第8回で『ウサギ』について書きました

 今回は、ジョン・マーズデン文、ショーン・タン絵『ウサギ』岸本佐知子訳、河出書房新社刊、について。4月27日の東京新聞(夕刊)です。

 素晴らしい本です。絵本だけれど、絵本だから、ここまで細かく細かく描けるのか、そして想像力による読解を読者に委ねることができるのか、とため息をつきたくなるほどすごい本でした。

 ショーン・タンが24歳のときに描いた絵は、とんがっていて、鮮やかで。ジョン・マーズデンのことばは、「コロンブスが新大陸に到達した500年」を記念する1992年にバリー・ロペスが書いた本を思い出させます。

 1990年代に出た本だけあって、あのころのオーストラリア政府の先住民に対する姿勢も考えることができます。とにかく、謝ったのですよ、それまでの白豪主義でヨーロッパ白人を優先させてきた人種主義を捨てて、政府がこれまでの政策について、先住民に対して謝罪した。歴史的に見て、それはもう間違いなく、画期的なことでした。

2021/04/28

1964年はブリティッシュ・ポップスばかり聴いていた。

 先日、駅前のスーパーで買い物をしていたときだ。不意に耳に飛び込んできた。「ショート、ショート、……」なんだったっけ、この曲? 日本語で歌われてるみたいだけど、これ、原曲は英語だったな。60年代なのは間違いない。でも、思い出せない。気になってしかたがない。

 気になると、はっきりするまで徹底的に調べるのが癖なのだ。でも「ショート、ショート、……」だけでは手がかり不足で、数日がすぎた。

 少女期からのメモワール原稿をしあげていると1964年ころのことが出てきた。中学2、3年だった。北海道の田舎町で、古いラジオのダイヤルを東京の局に必死で合わせながら「ハローポップス」なんかを聴いていた。その年のヒット曲チャートをにぎわした曲を、記憶を頼りに手あたりしだいにGoogle やYouTube で調べた。圧倒的に1964年のものが多かった。

 出てきた!「恋はスバヤクShort on Love」ガス・バッカスGus Backus。これだ!発売は1963年だけど、あのころ洋楽が日本に入ってくるには時差があって、1年遅れなんてのはザラだった。でもスーパーで耳にしたのは日本語で歌っていた(ような気がした)のだけれど、誰? 

 まあいいか、とそこまでは深追いせずに、あのころのブリティッシュ・ポップスを調べているうちに出てくる、出てくる、当時はラジオと限られた写真しかなかったから、情報を次から次へ渡りあるいているうちにたっぷり夜は更けていった。

 ダントツ大好きビートルズは言わずもがな、デイヴ・クラーク・ファイブ、ゾンビーズ、ピーターとゴードン、サーチャーズ、ほとんどがブリティッシュのポップスだ。まあ、ロックといってもいい、4人組、5人組の男の子グループ。「グループ・サウンズ」の走りだ。

 ガス・バッカスはアメリカンだけどドイツで活躍した。アメリカンのヒットソングを次々とYouTube を見てると、ブリティッシュとは体の動きが決定的に違うのがわかる。面白い。なんか変にくだけてるのだ。ビートルズが流行らせた(とわたしは勝手に思っているのだけれど)襟なしスーツの、一応カチッとしてるブリティッシュとは決定的に違う。

 先日これもまたひょんなことからサーチャーズの「Love Portion No.9」という曲の歌詞を調べた。シングル盤やEP盤を買ったビートルズの曲は曲がりなりにも歌詞がついていたけど、耳から入るばかりの曲は、意味はほとんどわからない。日本語が「恋の特効薬」だったかな。

 英語の意味がサイコーにおかしいのだ。媚薬をゴクリと飲んだら目に入るものに手あたり次第にキスをすることになって、お巡りさんまで……という。。。そんなこと全然知らずに聞いていた中2、中3の少女だったなあ。笑うしかない。

2021/04/19

フェミニズムの視点からJ・M・クッツェー『少年時代』を読み直す(2)

『少年時代』はこう続く。

 母親が独り裏庭で自転車の乗り方を習得しようとする。脚を両側にまっすぐ伸ばして養鶏場までの斜面を下る。自転車が倒れて止まる。クロスバーがないので母親が転ぶことはない。ハンドルにしがみつきながら、ぶざまな格好でよろめくだけだ。
 彼は内心、母親に反感を覚える。その夜は父親のひやかしに加勢する。これがひどい裏切りなのはよくわかっている。いまや母親は孤立無縁だ。

 それでも母親は自転車に乗れるようになり、おぼつかない、ふらつく乗り方ながら、懸命に重たいクランクを回転させる。

 母親がヴスターまで遠出するのは、午前中、彼が学校へ行っているときだ。一度だけ母親が自転車に乗っている姿をちらりと見かける。白いブラウスに黒っぽいスカート。ポプラ通りを家に向かってやってくる。髪を風になびかせて。母親は若く見える、少女のようだ、若くて生き生きとして謎めいている。


 この描写は、もちろん、当時の少年の心理を57歳の作家が鋭く分析しながら書いたものだ。

 少年は、周囲の環境のなかで孤立すると、どうして自分はみんなと違うんだろ、どうして自分の家族が「ふつう」じゃないんだろ、と悩む。でも、自分の母親がみんなとは違うことがちょっぴり自慢でもある。他の家族と違って母親が家で主導権を握っていることにも、変だと思いながら、ありがたいと思う。でも。


 父親は黒く重たい自転車が壁に立てかけてあるのを見るたびに冗談にする。父親の冗談によれば、ヴスターの住人たちは自転車に乗った女があえぎながら通り過ぎるあいだ、仕事の手を止めて身を起こし、口をあんぐりと開けているそうだ。よいしょ! よいしょ!  と彼らは母親を囃し立て、冷やかす。冗談は少しも面白くないが、彼と父親はそのあと決まって大声で笑う。母親のほうは、機知に富んだことばを返すことがない。そんな資質に恵まれていないのだ。「笑いたければ笑えばいい」という。

 そしてある日、なんの説明もないまま、母親は自転車に乗るのをやめる。それから間もなく自転車は姿を消す。だれもなにもいわないが、彼には身のほどを思い知らされた母親が諦めたことがわかる、そして自分にその責任の一端があることもわかる。いつかきっとこの埋め合わせをしよう、と彼は心に誓う。


 でも、幼ない子供にとって、母親は生きるための大地のような存在だ。とりわけ最初の子供は生まれ落ちたときから自分を中心に世界が回っている経験をすることが多いため、母親には、とにかく子供である自分を中心に生きていてほしい。少年の体験として、クッツェーは正直にそれを書く。

 自転車に乗っている母親の姿が彼の脳裏から離れない。母親がペダルをぐんぐんこいでポプラ通りを走りながら、彼から逃げて、自分の欲望に向かって行こうとしている。母親に行ってほしくない。自分の欲望をもってほしくない。母親にはいつも家にいてほしい、家に帰ったとき彼を待っていてほしい。彼が父親と組んで母親に対抗することは滅多にない。断然、母親と組んで父親に対抗したいほうなのだ。でもこの件では、男たちの側につく。

 そして「いつかきっとこの埋め合わせをしよう」と心に誓った少年は、ものすごい勢いで自立して成功への道を探る。ノーベル賞受賞時の晩餐会のスピーチにもあるように、「とにもかくにも、自分の母のためでなければ、われわれはノーベル賞を受賞するようなことを、はたしてするものだろうか?」といってテーブルについた大勢の客達から笑いをとった。

 実は、必ずしも母親でなくてもいいのだけれど、自分を大事に思ってくれる人、自分を大切にケアしてくれる人への繋がりが子供の成長にはとても大切なのだ。幼い生命にとっての養分なのだから、それが手当なく遮断されたり、長期的に途切れたりすると、幼い命は疲弊する。疲弊すると、花でも野菜でも、伸びやかには育たない。子供は自分だけの「誰か特別な人」がほしいものだ。長いあいだそれは「母親の仕事」とされてきた。1940年代の南アフリカでも。
 クッツェーの母親は周囲に同調して、みんなと同じように子供を育てることはしない。その子の性格や力に合わせた教育が大事だとして徹底的に保護する。『サマータイム』の最後の断章でも、シュタイナー、モンティッソーリという教育者の名前を作家自身が引き合いに出している

 『少年時代』の第1章の最後で、クッツェーは「男たちの側に」ついたことが母親への裏切りだったと自省する。フェミニズムという語が、今のような意味で使われるのは1960年代になってからだ。セクシャル・ハラスメントという語も知られるようになった90年代後半に、50年ほど前の田舎町ヴスターでの出来事を作家は書いている。それも自分自身が息子を早々と失ったのちに。。。

 そのことを考え合わせると、この第一章を書いている作家の位置が、二重、三重に違って見えてきた。読者によって、フェミニズム的視点から分析されるのを待っているような作品ではないか。

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2021.4.27──昨日、facebookとtwitter でシェアしたときのコメントを備忘のために追加:
「1940年生まれの作家が自分の少年時代、青年時代から30代の「朱夏のとき」まで、徹底的に自分を突き放すようにして他者化して、過去の記憶の内部をさらしながら物語にまとめる作業はフェミニズムという時代の風を受けてさらに輝いて見える」

2021/04/18

フェミニズムの視点からJ・M・クッツェー『少年時代』を読み直す(1)

J・M・クッツェーの『少年時代』を読みなおした。

 16歳の少年ジョンはカルティエ=ブレッソンに憧れて、将来は写真家になろうと考えていた。カレッジ時代のことだ。そのころ撮ったフィルムや機材などが出てきて、Photographs from Boyhood として2020年に出版された。そこにはアーティストとしてのクッツェーの出発点となる方法論が明確に出ている。(日本語訳も2021年の秋に出る。)

 翻訳作業にあわせて自伝的フィクション『少年時代』を再読した。そして面白いことに気づいた。これは個性の強い、しっかり者の母を持ち、その母から深く愛されて育った少年の自伝的物語として読めることだ。つまり、フェミニズム的な視点から読みなおすことができるのだ。

 アパルトヘイト制度が確立されていく1940年代後半の南アフリカで少年時代を送ったジョン・クッツェーは、母親をどんな風に見ていたか。白人女性である彼の母親は社会的にどのような位置にあったのか。母親と少年の関係を軸にしてこの作品を読み直すとどんなことがわかるか。

 学校の成績は抜群だが周囲から浮いてしまう男の子を母親がどう守って育てたか。その母親はどんな人物だったか。これは母と男の子の関係を考えるための宝庫のような作品だった。

 のっけから母親が家に閉じ込められることを嫌って、自転車を買ってくる場面がある。第一章だ。

 母親は、馬は買わない。その代わり予告なく自転車を買う。女性用の中古で、黒く塗ってある。やけに大きく重たいので、彼が庭で試してみても、ペダルをまわすことができない。

 母親は自転車の乗り方を知らない。たぶん馬の乗り方も知らないかもしれない。自転車を買ったのは、自転車なら簡単に乗れると思ったのだろう。そこで母親は乗り方を教えてくれる人がいないと気づく。

 父親は、それみたことかと笑いを隠さない。女は自転車になんか乗らないもんだという。それでも母親は負けない。わたしはこの家の囚人になんかならないわよ、わたしは自由になるの、といって。

 家に閉じ込められずに自由に生きたい、と移動の手段に、母は自転車を手に入れた。

 最初、彼は母親が自分の自転車をもつなんてすばらしいと思った。三人そろって自転車に乗り、ポプラ通りを走っているところを思い描いたこともある。母親と自分と弟と。ところがいま、父親の冗談に母親が頑固にだんまりを決め込むしかないのを見ていると、気持ちがぐらついてくる。女は自転車になんか乗らないもんだ、という父親のほうが正しかったらどうしよう? もしも母親に乗り方を教えてくれる人があらわれなかったら、もしもリユニオン・パークのほかの主婦はだれも自転車をもっていなかったら、とするとあるいは女は本当に自転車になんか乗らないものかもしれない。

 ケープタウンから移り住んだ田舎町は、「女は自転車なんか乗らないもの」とする社会だった。クッツェーの母親ヴェラが、今から見れば非常に自立心の強い頑張りやで、気骨のある女性だったことが伝わってくる。

 

2021/04/16

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェのインタビュー:パート1&2



これはアディーチェがナイジェリアで受けた初めてのインタビューです。インタビュアーはエブカ・オビ=ウチェンドゥ:Ebuka Obi-Uchendu。非常に細やかな質問がいくつも出されて、それに対してアディーチェは注意深く考えながらも非常に細やかに答えている、そんな感じがします。


2021/03/26

日本語訳が出ます──J. M. Coetzee: Photographs from Boyhood

ブログを長いあいだ書かなかった。3月は今日が初めてだ。いろんなことがどんどん起きているけれど、ほとんど冬眠状態のような暮らしだった。完全引きこもり状態で冬を越した。引きこもっているうちに、翻訳を1本しあげた。この本です! 秋に書店に並びます。

     J. M. Coetzee: Photographs from Boyhood 

 そして、春になった。まちがいなく春になった。梅が咲いて、風が吹いていたけど、桃が咲いて、杏が咲いて、ユキヤナギの白いはなびらが風に散って、ついに桜の咲く季節になった。

 今年も、コロナ禍は続く。去年のいまごろに比べたら「どうしよう感」は少なくなった。このウィルスがどういう性質を持つのか、どういう経路で感染するのか、感染を防ぐにはどうすればいいのか、対処法も伝わり、少しは身について、日々の暮らしのなかで、緊張感はやや薄らいだ。でも、感染者は増えている。死者も着実に増えている。身体の弱い人、基礎疾患をもつ人や高齢者の割合が、当然のことながら高い。ウィルスは人を選ばないから、感染したらたたかえる力の少ない者は自衛するしかない。危険をできるだけ避けて、家に引きこもりがちになる。淋しいし、辛いけど、もしも感染したら……と思う緊張感のほうがまだまだ強い。重い病気になったり、大きな怪我をしたら、病院へ行っても……と不安になる。だから、それについて考えずにいられるような空間に引きこもる。

 もう一冊、しあげたのだけれど、それについてはまた別に報告したい。今日はひたすら脱力。吹く風の音に耳を澄ましている。

 母が逝ってもうすぐ7年になる。

2021/02/19

アディーチェ『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』が出てから約4年

 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』(河出書房新社)が出たのは2017年の4月だった。あれからもうすぐ4年。

 まだ4年とみるか、もう4年とみるか、人それぞれでずいぶん違うかもしれないけど、4年前にこの翻訳書を出すとき自分が考えていたことと、いま感じていることの差に呆然とする。4年前の3月末、見本ができてきて、これは家族みんなにプレゼントしなきゃ、と思って息子、娘、夫の妹、などに手渡したことを覚えている。ちょっとドキドキしながら。そう、「フェミニスト」という語を見て、みんなどんな反応をするかな、とドキドキしながらだったのだ。

 でも、あれから4年がすぎてみると、フェミニストという語はとりわけドキドキするような語ではなくなった。どこにでも出てくる。別に特別なことばじゃなくなった。すごい変化があったということだ、この4年間に。

 本が出た年の5月末、B&Bで作家の星野智幸さんと「"フェミニスト"が生まれ変わる」というイベントをした。このときもまだドキドキは続いていた。なぜ We Should を「私たちは〜」と訳さずに、あえて「男も女も〜」と訳すことにしたか、そのときも話題になった。あのころは、「私たち」とすると、そこに男性読者が自分も含まれていると当たり前のように、すっと感じるだろうか? その疑問が、当時は避けて通れない「重たい」課題だったからだ。自分には関係ない、と素通りする男性が圧倒的に多いだろう、と訳者も編集者も考えた。それは絶対に避けたい、そう思った。

 次々とセクハラ事件の被害者が声を上げたのはこの年だった。夏になって、神田でイベントが開かれたときの熱気もすごかったけれど、じわじわじわっ〜と広がっていった「フェミニズム」という語へのポジティヴな動きは、翌年12月にチョ・ナムジュ『1983年生まれ、キム・ジヨン』(斎藤真理子訳・筑摩書房)が出て決定的なものになった。一気に火がついた。それまでにもいろんな本が出ていて、勢いは野火のように広がっていった。2019年春にはフラワーデモが始まった。

 どれだけ、これまで、みんな、ガマンしてきたんだろう。どれだけ、これまで、みんな、思っていても言えなかったんだろう。どれだけ、これまで、みんな、ことばを奪われてきたことに気づかずに生きてきたんだろう。気づいてことばを発しても、無視され、変人扱いされ、後ろ指さされてきたんだ。。。

 さまざまな思いが駆けめぐる。そしていま、バックラッシュと言われようが、なんと言われようが、これはもうそんな一過性のものじゃないんだと、多くの人たちが思っている。大きく何かが変わった。風穴があいて、シフトが変わった。認識を改める時期にきたのだ。風向きだけじゃない。大地に亀裂が走って、川がザンブリと波打って、この流れはもう止まらない、止められないところへやってきたのだ。マグマのように意識の下で燃えるもの。

 ようやく。

 この4年間にいろんな本が出た。韓国の文学が多いけれど、それだけじゃない。説教したがる男たちの「マンスプレイニング」を白日の元に晒した名著とか、男性が自分の「男らしさ」を検証する本も出るようになった。まだまだこれから、だけど。

 2017年5月のイベント@B&Bは「すばる」に掲載されて、「ハッピーなフェミニスト」としてウェブで読むことができる。We shoudを「私たち……」と訳しても、男性読者がそれは自分のことでもあると思う日がくるといいなあ、と思ってから4年。いまなら「私たち」と訳してもいいだろうか、いいような気が「ちょっとだけ」している。

 この4年間の変化は大きい。ジェンダー指数が低い日本社会にも、ようやく春がくるだろうか。。。もう引き返すことはできない。後ろはないのだ。崖っぷちまで全員が来てしまったのだ。そう、「私たち」「男も女も」「女でなくても男でなくても」みんなが。

 昨日、『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』の何度目かの重版見本が届いた。