facebookへの投稿をこちらにも残しておこう。どうもfacebookは扱いにくい。
夜に、またひとつ小さな星が墜ちた──それでも
今朝もまた、簾のように広がる黄ばんだ葉むれのなかに
若い朝顔の色鮮やかな花が10も咲いている。
花は硬い種子をたくさん残す。そして暑かった夏が終わる。
esperanza's room by Nozomi Kubota
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夜に、またひとつ小さな星が墜ちた──それでも
今朝もまた、簾のように広がる黄ばんだ葉むれのなかに
若い朝顔の色鮮やかな花が10も咲いている。
花は硬い種子をたくさん残す。そして暑かった夏が終わる。
歴史を語る叙事詩や、知恵を伝える民話神話など、リズミックな反復に乗せて語り継がれる口承文芸は、アフリカ大陸のそこかしこで発達してきた。この反復は、ダンスと共に戦士を鼓舞して一体感を作り出す歌にも多用される。
ダヴィド・ディオップは、フランス語の小説に大胆にこのくり返しを挿入する。ひどく主観的な語りが気にならないのはそのせいだろうか。リピートの響きが前面に出るため、奥に流れる話に耳を澄まさざるをえなくなる。懐疑を押し殺す呪文に近いこの催眠効果が曲者だ。
──以下略
西洋クチナシといえば、梅雨から初夏にかけて大きな白い花を次々と咲かせるもの、そう思っていた。通りを歩いていると、ふわっといい匂いが漂ってきて、ああクチナシだな、雨の季節だな、と感じたものだけれど。
その匂いが好きで、今年は花屋の店先にならんでいたミニチュアの西洋クチナシを2株買ってきて、大きめの素焼きのポットに植え替えた。特別なことはしていない。とにかく毎朝、たっぷり水を遣る、それだけ。連日35度、36度になるベランダで、それでも、花をつけるクチナシ。偉い!と声をかけたくなった。
朝顔のすだれも、まだまだ大ぶりの緑の葉っぱを広げて元気だけれど、こちらはさすがに黄色い葉が混じってきた。それでも、後から芽を出した後輩たちが、とても元気に枝を伸ばして、今を盛りに花を咲かせている。
植物って、ホントに偉い!
今年はベランダで朝顔が咲き乱れている。文字どおり次から次へと咲くのだ。どんどん蔓がのびて、物干し竿に絡み付き、ベランダの天井まで伸びて、ふたたび下向きになって横に伸びて、、、、。
暑いので、とにかく朝夕たっぷり水を遣る。早く咲いて散った鉢はすでに種を作って枯れてしまった。ひと月ずつ時期をずらして水を遣ったので、いまを盛りに咲いているのは、最後の6月初めまで水を遣らなかったプランターのものだ。写真はその茂りに茂っている朝顔。やっぱりプランターのようにたっぷり土があるほうがいいのだね。
窓から見ると、朝顔のすだれのようだ。こんもり茂った葉っぱが光を通して、透かし模様を作って、とても涼しげ。
続きです!
J・M・クッツェー『その国の奥で』(河出書房新社)が、あるハプニングで予定より5時間ほど遅れて、昨日の午後に篠突く雨のなか届いた。
カバーの映像が出てから実物を手にするまでの待ち遠しさは、何冊訳しても馴れることがない。ネット環境のなかった頃より、待ち遠しさはむしろ加速されたんじゃないかとさえ思える(いや、気が短くなっただけか──🐐?? 今日は晴れたので屋外で撮ったら、なんと、空が写り込んでしまった、、、左の写真の左側)とはいえ2000年までは──とつい昔語りになるけれど──編集者とじかに会って「みほん」を手渡されるとき、初めてカバーの絵を目にすることが多かった。実物を目にするまでは、ファクスで送られてきたぼやけた画像から想像をたくましくするばかりで、ひたすら待つしかなかった。筑摩書房から出た初めての訳本『マイケル・K』を受け取ったのは、1989年の初秋だったか。国立のロージナ茶房で、何冊か入った袋がどさりとテーブルに置かれたときの感動は忘れない。
でも思えばあのころは、待つ時間はいまよりずっとゆるやかに、おだやかに流れていたような気がする。編集者ともじかに顔を合わせて、ゲラの引き渡しをしながら、細かな疑問をその場で解決するといった感じで作業は進んだ。人と人がじかに会ってことばをかわし、いろんなことを決めていた時代。ネット時代になって、それが簡略化されて、宅急便や郵便でやりとりすることが多くなった。いろんなことが省かれて、とにかく早い。連絡事項や決定事項が記録として文字として残るので、これは非常に確実。疑問などもすべてメールで即座に解決することが多い。備忘のためにも、齟齬をきたさないためにも、便利は便利。でも……。
カバーデザインをPDF で前もって目にするようになって、それから実物が出来上がってくるまでの短からぬ時間は、まだかな、まだかな、と焦燥の念に駆られるようになったんじゃないかとやっぱり思うのだ。なんでも早くできる時代に、待つことに不慣れになり、ちょっと疲れて、頭のなかで少し横に置いたころ、どさりと届く──という感じになった。
『その国の奥で』を訳していて思った──J・M・クッツェーの作品を翻訳するのは、これで何冊目だろう。共訳を含めると軽く10作品は超えるかも知れない(数えてみると12作か)。南アフリカを舞台にした作品を、クッツェーは長短篇をすべて含めて9作書いているが、そのうち8作を訳したことになる。作品の背景や時代のコンテキストを重視する訳者として、南アフリカの事情を、はしょらず、正確に、ニュアンスを細部まで伝える努力をしてきたつもりだけれど、責務は果たせただろうか。『マイケル・K』はそのアパルトヘイト末期を舞台に描かれた小説だ。1983年に発表されて、この年のブッカー賞を受賞した。1989年の初訳が出たころは、日本ではバブル経済で南ア産のプラチナを若い女性が買い漁った時代でもあった。
現在入手可能なバージョンである岩波文庫『マイケル・K』が7月27日(7月25日に早まりました!)、電子書籍化される。単行本が出たのは35年前だ。2006年にちくま文庫に入り、2015年に岩波文庫になり、9年ごとの「変身」を重ねて、ついに電子書籍になる。カフカの『断食芸人』『審判』とも響き合うこの作品が、カフカ没後100年に、またまた変身して新世代の読者に届くのは訳者冥利に尽きる。
J・M・クッツェー作品が初訳から一周、二周して、新しい読者と出会ってほしいものだ。
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J・M・クッツェー『その国の奥で』(くぼたのぞみ訳、河出書房新社)
J・M・クッツェーの二作目に当たる『その国の奥で In the Heart of the Country』は、20世紀めの南アフリカ奥地で、外部世界から孤絶した農場を舞台に展開される。非常に実験的な作風は初作『ダスクランズ』を凌ぐほど。1~266の断章から構成される、孤独な、マグダという女性の暗い情念と観念と幻想の物語だ。
1977年にまずアメリカで(タイトルを一語変えて)、次いでイギリスで出版され、翌1978年に南アフリカで、会話の部分がアフリカーンス語の二言語バージョンとして出版された。じつはこの作品が、アメリカ、イギリスなど北半球の英語圏での実質的デビュー作だったのだ。その経緯についてはここに詳しく書いた。装画は熊谷亜莉沙さんの作品。送られてきた最初のラフを見たときの、戦慄にも似た深い感覚は忘れられない。作品と挿画の、火花を散らすような、比類なく幸運な出会いだと思う。
バックカバーの裏の折り返しにも注目してほしい。「その国の奥で」という文字といっしょにさりげなく、掘り抜き井戸の写真が使われているのだ。訳者のたっての希望で、最後の最後に入れていただいた。南ア奥地の半砂漠地帯カルーで農園を営むためには絶対に欠かせない掘り抜き井戸。風車の力を使って水を汲みあげ、貯水池に貯める。その水で農場の生き物たちは生を営む。空の部分をぼかした見事なアレンジだ。ブックデザインの大倉真一郎さん、ありがとうございました。
(思えば掘り抜き井戸は『マイケル・K』にも頻出するが、物語の最終場面にも象徴的なかたちで使われていた。)
そして終盤、あまりにノワールで妄想的な物語世界に半分持っていかれそうになった訳者に、最後まで根気よく伴走してくれた編集の島田和俊さんに深くお礼をもうしあげる。
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(この続きと、『マイケル・K』の電子書籍化については次回に!)
2024.6.12 |
数日前は、朝起きて見ると、2輪、3輪だった開花数が、昨日からぐんと増えた。昨日は7つ、今朝は8つも咲いていた。あれ、葉っぱの陰に隠れているのを数えると、もっと多そうだな。(ちゃんと数えると10の花が咲いていた。)
2024.6.13 |
そこへ新顔がやってきた。ミニチュアの西洋クチナシだ。ビリー・ホリデイがステージに立つとき、いつも耳のところに差していたというクチナシ。いい香りがする。この季節の華だ。
西洋クチナシ |
ミニチュアだから、葉っぱも花も小ぶり。バス停までの道すがら、いつも前を通る茂みでたくさん花を咲かせるクチナシは、丈もぐんと大きく、花も大ぶり。花が咲き始めると、香りがあたり一面にただよって、遠くからでもすぐにわかる。一瞬、しあわせな気分になる。雨の季節の風物詩。
生き物の端くれである身も、だんだん早く目が覚めるようになって、曙光さすベランダに出ると、おおぶりの朝顔が一輪、予想通り咲いていた。初咲きよりも二番手がしっかりと大きい。
思えば、実の部分をいただく野菜や果物もそうだった。トマトなどは二番手がいちばん大きくて味もいい。でも花はどうだったか? 欲深いニンゲンは、果実の大きさのことは覚えていても、その前に咲く花の大きさまでは覚えていない。
樹木の緑が日に日に濃さを増していく。
夏至が近づいている。
朝顔の花が咲いた。おなじ植木鉢に、2輪。あっちとこっちを向いて咲いている。3年ぶりの朝顔の花、種子のままじっと植木鉢の土のなかで時間をやりすごし、ようやく帰ってきた花たち、たぶん4月に蒔いた種子から。命はつづく。
雨で洗われた緑が美しい。
昨日は1時間ほどの距離を、バスに乗り継いで帰ってきた。バスを降りたとたん、周辺の樹木がしゅくしゅくと吐く美味しい空気に、思わず深呼吸。空気のおいしさは、この季節がいちばん。
そして今朝は、今季初の朝顔の開花。ようこそ! めぐる命!
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"ことばの杭としての記憶"
「尾根から裾野に向かって」植えられた「何千本もの黒い丸木」に雪が降る。すべてを包み込むように、降る。これは#幻視者(ルビ・ヴィジョネール)の文学ではないか、読み終えてそう思った。
二十年来の友人インソンが作業中に電動鋸で指を切断した。駆けつけた作家キョンハが彼女の家へ向かう。水と餌がなくなると、あっけなく死ぬ鳥の命を救うために。時間はない。バスを待つ身に降りしきる雪は、ふわりと落ちてすぐ溶けるぼたん雪だ。
膝までの雪を漕ぐ。薄明かり、黒い樹影、手探りで進む物語の森は暗く深い。キョンハ自身の偏頭痛と豆のお粥、インソンの母が悪夢よけに、布団の下に敷いていたという糸鋸、洞窟。
インソンの母は幼いころ「朝鮮半島の現代史上最大のトラウマ」ともいえる虐殺事件を体験した。1948年済州島四・三事件だ。偶然にも生き残った母の身振りや声、断片的な語り、娘の心に刻まれた重たい記憶の切れ端が、薄墨色の綾布を織っていく。
インソンとキョンハは海辺に黒い丸木を林立させて、映像作品を制作しようとしていた。一旦中止になったその計画が、この物語になったのだろうか、記憶をことばの杭として打ちこむために。読者の想像力を極限まで引き出さずにおかない小説だ。
封印されてきた歴史的事実を調べて生前の母の不可解な姿に光をあてる娘、それを幻聴のように聞きとる友人は、物語の双子のよう。次々と浮かぶ幻影を、語りの現在が固定具となって繋いでいく。その夢と救済の物語をしなやかな日本語で読むことは「死から生への究極の愛」を受ける恩寵に満ちた体験だった。
解説に引用された「光がなければ光を作り出してでも進んでいくのが、書くという行為」という作家のことばに深く頷く。日本語使用者が心得るべき歴史を詳細に記す解説も迫力がある。
出版後ただちに多くの読者に迎えられ、早々にフランス語に翻訳されてメディシス賞(外国小説部門)などを受賞と知って、フランスにも幻視者文学の長い系譜があったことを思い出した。
ハン・ガン『別れを告げない』斎藤真理子訳(白水社)について、東京新聞のコラム「海外文学の森へ 81」に書きました。今日5月21日夕刊に掲載されています。
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これは「幻視者(ヴィジョネール)の文学」ではないか、というのが筆者の見立てだ。ヴィジョネールの作家・詩人についてはフランス文学に長い歴史がある。ネルヴァルとかミショーとか。もちろんフランスだけではないけれど(ドイツの美術とか)、この作品を読んで脳裏に浮かんできたのは、そのことばだった。60年代のフランス文学全盛時代に学生だった者にとって「ヴィジョネール」はある種、特別な意味を含んだ呼称なのかもしれない。例えば梶井基次郎なんかは「ヴィジョネールの作家」と言えるだろう。
ハン・ガンの作風は、そんな幻視の世界へ読者の視線や心を引っ張っていく──というのは深い物語の森に入っていって、ここはどこ?と思ったときに気がついたのだけれど。
左がフランス語訳、右が日本語訳 |
1970年生まれの作家ハン・ガンは、『別れを告げない』の語りの中心に、この虐殺事件のサバイバー2世である映像作家インソンと、その友人である作家キョンハを置く。物語はふたりの交流と複雑に絡まる記憶を薄墨色のざっくりした布に織り込むように進んでいく。全編に雪が降る。深い雪の世界だ。
とにかく読ませる。70年生まれのハン・ガンは、おそらくそれほど遠くない未来、ノーベル文学賞を受賞するんじゃないかと確信させる作品だ。もしそうなったら、アジア人女性として初めての受賞者になるのだろう。
昨秋から現在形で続く「パレスチナ/イスラエル」のジェノサイドが二重写しになって迫ってくる。
ずいぶん間が空いてしまった。
4月2日に蒔いた朝顔はいくつも芽を出し、双葉を広げ、本葉も大きくなってきた。今日は5月10日だから、38日ぶりか。そろそろ蔓を絡ませるための支柱を立ててやらなくちゃな。ローズマリーは、伸びてきた芽を何度か剪定したので(もちろん料理に使った)、枝葉がいくつも出て、全体にこんもりしてきた。
今日もまた、陽射しは強く、風もとても強い。気温も低めだ。午前中にベランダに出て、つい油断したら、吹きつける風で体がすっかり冷えてしまった。気がつくと時計の針は12時をまわっている。あわてて温かいお茶を淹れて早めの昼食。それでもまだ寒さが体から抜けない。5月って、そういう季節だったっけ。
一昨日の豪雨もすごかった。ひさびさに都心に出たのだ。地下鉄からJRに乗り換えるため、市ヶ谷駅のホームに出る階段をのぼっていると、工事のような轟音が聞こえてきた。ほとんど全方位から聞こえる。一瞬「?」と思ったら雨だった。両側から吹きつける雨のしぶきで、狭いホームは真ん中にいても濡れるほどだ。それでも、お堀に張り出した釣り堀のデッキで、何人もの人が釣り糸を垂れていて、これには感心した(嘘)。
初夏になった。