Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2024/07/13

『その国の奥で』が空を写して、『マイケル・K』が電子書籍になる

続きです!

 J・M・クッツェー『その国の奥で』(河出書房新社)が、あるハプニングで予定より5時間ほど遅れて、昨日の午後に篠突く雨のなか届いた。 

 カバーの映像が出てから実物を手にするまでの待ち遠しさは、何冊訳しても馴れることがない。ネット環境のなかった頃より、待ち遠しさはむしろ加速されたんじゃないかとさえ思える(いや、気が短くなっただけか──🐐?? 今日は晴れたので屋外で撮ったら、なんと、空が写り込んでしまった、、、左の写真の左側)

 とはいえ2000年までは──とつい昔語りになるけれど──編集者とじかに会って「みほん」を手渡されるとき、初めてカバーの絵を目にすることが多かった。実物を目にするまでは、ファクスで送られてきたぼやけた画像から想像をたくましくするばかりで、ひたすら待つしかなかった。筑摩書房から出た初めての訳本『マイケル・K』を受け取ったのは、1989年の初秋だったか。国立のロージナ茶房で、何冊か入った袋がどさりとテーブルに置かれたときの感動は忘れない。 

 でも思えばあのころは、待つ時間はいまよりずっとゆるやかに、おだやかに流れていたような気がする。編集者ともじかに顔を合わせて、ゲラの引き渡しをしながら、細かな疑問をその場で解決するといった感じで作業は進んだ。人と人がじかに会ってことばをかわし、いろんなことを決めていた時代。ネット時代になって、それが簡略化されて、宅急便や郵便でやりとりすることが多くなった。いろんなことが省かれて、とにかく早い。連絡事項や決定事項が記録として文字として残るので、これは非常に確実。疑問などもすべてメールで即座に解決することが多い。備忘のためにも、齟齬をきたさないためにも、便利は便利。でも……。

 カバーデザインをPDF で前もって目にするようになって、それから実物が出来上がってくるまでの短からぬ時間は、まだかな、まだかな、と焦燥の念に駆られるようになったんじゃないかとやっぱり思うのだ。なんでも早くできる時代に、待つことに不慣れになり、ちょっと疲れて、頭のなかで少し横に置いたころ、どさりと届く──という感じになった。

『その国の奥で』を訳していて思った──J・M・クッツェーの作品を翻訳するのは、これで何冊目だろう。共訳を含めると軽く10作品は超えるかも知れない(数えてみると12作か)。南アフリカを舞台にした作品を、クッツェーは長短篇をすべて含めて9作書いているが、そのうち8作を訳したことになる。作品の背景や時代のコンテキストを重視する訳者として、南アフリカの事情を、はしょらず、正確に、ニュアンスを細部まで伝える努力をしてきたつもりだけれど、責務は果たせただろうか。

 とりわけジョン・クッツェーの生きた時代とぴたりと重なるアパルトヘイト時代の政治制度の内実や、人種による微妙な人間関係の心理をめぐる細部は、どんどん大雑把にまとめられて歴史の彼方へ葬り去られていくようだ。翻訳者も解説者も編集者も校閲者も、勘違いや見落としを最初から疑って、歴史的事実を正確に伝えるよう努力しなければいけない時代になった。
(たとえば、南アフリカで国民党が政権を奪取したのは1948年、1960年代ではない。1948年は時代の分岐点で、アパルトヘイト制度という人種差別制度が公然と開始されたのはこの年だったこの年は少年ジョンがケープタウンから内陸のヴスターへ引っ越した年でもあった。)

 『マイケル・K』はそのアパルトヘイト末期を舞台に描かれた小説だ。1983年に発表されて、この年のブッカー賞を受賞した。1989年の初訳が出たころは、日本ではバブル経済で南ア産のプラチナを若い女性が買い漁った時代でもあった。

 現在入手可能なバージョンである岩波文庫『マイケル・K』が7月27日(7月25日に早まりました!)、電子書籍化される。単行本が出たのは35年前だ。2006年にちくま文庫に入り、2015年に岩波文庫になり、9年ごとの「変身」を重ねて、ついに電子書籍になる。カフカの『断食芸人』『審判』とも響き合うこの作品が、カフカ没後100年に、またまた変身して新世代の読者に届くのは訳者冥利に尽きる。

 J・M・クッツェー作品が初訳から一周、二周して、新しい読者と出会ってほしいものだ。

🎃🎃🎃🎃🎃🎃🎃🎃🎃🎃🎃🎃 

2024/07/12

J・M・クッツェー『その国の奥で』のみほんが届いた

 J・M・クッツェー『その国の奥で』(くぼたのぞみ訳、河出書房新社)

 J・M・クッツェーの二作目に当たる『その国の奥で In the Heart of the Country』は、20世紀めの南アフリカ奥地で、外部世界から孤絶した農場を舞台に展開される。非常に実験的な作風は初作『ダスクランズ』を凌ぐほど。1~266の断章から構成される、孤独な、マグダという女性の暗い情念と観念と幻想の物語だ。

 1977年にまずアメリカで(タイトルを一語変えて)、次いでイギリスで出版され、翌1978年に南アフリカで、会話の部分がアフリカーンス語の二言語バージョンとして出版された。じつはこの作品が、アメリカ、イギリスなど北半球の英語圏での実質的デビュー作だったのだ。その経緯についてはここに詳しく書いた

 新訳『その国の奥で』のカバーは、版元サイトにも、ネット書店にも既に出ていて、このブログの右上にも少し前からアップされている。でもカバーの色が黒ではなく、青みがかったダークな色だと知ったのは今日みほんが届いたときだ。そのインクを混ぜたような黒色空間(たんなる平面には見えない)に浮かびあがる、もの言いたげな薄紫の花と花びら、その濃淡がかもしだす幻想世界、キリッとした白い文字。

 アメリカ移住がかなわず、1971年、無念を断ち切り船に乗って南アフリカへ帰国したジョン・クッツェーが、このまま「地方」に埋もれてなるものかという意気込みで『ダスクランズ』(1974)を発表し、その次に発表したのが、この『その国の奥へ』(1977)だった。さらに広い読者層を獲得したいという野心と、実験精神にあふれた若き作家の熱いエネルギーが行間からほとばしる作品なのだ。訳しながら時々くらくらっとなった。詳細は本書「訳者あとがき──J・M・クッツェーのノワールなファンタジー」を!



帯の文句がまた比類ない。きっちりと内容を伝える表の帯。

植民地支配の歴史を生きたものたちの、人種と性をめぐる抑圧と懊悩を、ノーベル賞作家が鮮烈に描いた、濃密な、狂気の物語。語りと思考のリズムを生かした新訳決定版!!!

 帯裏にはマグダの独白が具体的に引かれている。

「父さん、許して、そんなつもりじゃなかった、愛してる、だからやったの」
              

 装画は熊谷亜莉沙さんの作品。送られてきた最初のラフを見たときの、戦慄にも似た深い感覚は忘れられない。作品と挿画の、火花を散らすような、比類なく幸運な出会いだと思う。


 バックカバーの裏の折り返しにも注目してほしい。「その国の奥で」という文字といっしょにさりげなく、掘り抜き井戸の写真が使われているのだ。訳者のたっての希望で、最後の最後に入れていただいた。南ア奥地の半砂漠地帯カルーで農園を営むためには絶対に欠かせない掘り抜き井戸。風車の力を使って水を汲みあげ、貯水池に貯める。その水で農場の生き物たちは生を営む。空の部分をぼかした見事なアレンジだ。ブックデザインの大倉真一郎さん、ありがとうございました。


(思えば掘り抜き井戸は『マイケル・K』にも頻出するが、物語の最終場面にも象徴的なかたちで使われていた。)

 そして終盤、あまりにノワールで妄想的な物語世界に半分持っていかれそうになった訳者に、最後まで根気よく伴走してくれた編集の島田和俊さんに深くお礼をもうしあげる。


************

(この続きと、『マイケル・K』の電子書籍化については次回に!)


 

2024/06/13

フランソワーズ・アルディの訃報、開花数が増える朝顔、そしてクチナシ

昨日は、爽やかな風が吹いた。そして、フランソワーズ・アルディ(1944~2024)の訃報が流れた。それからずっと「Ma Jeunesse Fout le Camp・もう森へなんか行かない──私の青春が逃げていく」を聴いていた。R.I.P.🥀 
 この曲をめぐる記憶については、こことここに書いた。もうずいぶん昔だけれど。


2024.6.12
 あけて今日は曇り空。でも、朝顔はしっかり咲いている。陽の光が強い日はあっけなく萎む花も、薄曇りの日は長いあいだ咲いているのだ。

 数日前は、朝起きて見ると、2輪、3輪だった開花数が、昨日からぐんと増えた。昨日は7つ、今朝は8つも咲いていた。あれ、葉っぱの陰に隠れているのを数えると、もっと多そうだな。(ちゃんと数えると10の花が咲いていた。)

2024.6.13
 比較的早く種を蒔いた植木鉢から先に咲き始めたのだけれど、大きめのプランターも負けていない。絡まる蔓を競って伸ばして、ぐんぐん上の方へ葉群れが広がっていく。午後の強い風に吹かれて、蔓の先は心もとなげにあっちこっち揺れながらも、朝になると、さらに長く伸びている。朝顔は強いなあ。

 そこへ新顔がやってきた。ミニチュアの西洋クチナシだ。ビリー・ホリデイがステージに立つとき、いつも耳のところに差していたというクチナシ。いい香りがする。この季節の華だ。


西洋クチナシ

 ミニチュアだから、葉っぱも花も小ぶり。バス停までの道すがら、いつも前を通る茂みでたくさん花を咲かせるクチナシは、丈もぐんと大きく、花も大ぶり。花が咲き始めると、香りがあたり一面にただよって、遠くからでもすぐにわかる。一瞬、しあわせな気分になる。雨の季節の風物詩。



2024/06/08

晴れた朝、おおぶりの朝顔が一輪咲いた

 日の出が早くなってきた。

 生き物の端くれである身も、だんだん早く目が覚めるようになって、曙光さすベランダに出ると、おおぶりの朝顔が一輪、予想通り咲いていた。初咲きよりも二番手がしっかりと大きい。

 思えば、実の部分をいただく野菜や果物もそうだった。トマトなどは二番手がいちばん大きくて味もいい。でも花はどうだったか? 欲深いニンゲンは、果実の大きさのことは覚えていても、その前に咲く花の大きさまでは覚えていない。

 樹木の緑が日に日に濃さを増していく。

 夏至が近づいている。

2024/06/05

今年初めての朝顔が咲いた

 鳥の声で目が覚めた。ベランダの窓を開けると、ちらり。薄い赤紫の色が見える。

 朝顔の花が咲いた。おなじ植木鉢に、2輪。あっちとこっちを向いて咲いている。3年ぶりの朝顔の花、種子のままじっと植木鉢の土のなかで時間をやりすごし、ようやく帰ってきた花たち、たぶん4月に蒔いた種子から。命はつづく。

 雨で洗われた緑が美しい。

 昨日は1時間ほどの距離を、バスに乗り継いで帰ってきた。バスを降りたとたん、周辺の樹木がしゅくしゅくと吐く美味しい空気に、思わず深呼吸。空気のおいしさは、この季節がいちばん。

 そして今朝は、今季初の朝顔の開花。ようこそ! めぐる命!


2024/05/26

ことばの杭としての記憶──海外文学の森へ 81

 東京新聞「海外文学の森へ 81」に書いた、ハン・ガン『別れを告げない』(斎藤真理子訳、白水社)をアップします。多くの人に読んでもらいたい文章だから。

 原稿を送ってから、数日後にゲラが送られてきて、手を入れるための時間は数日あったけれど、結局、赤字はひとつも入らなかった。そんなことは初めてだった。タイトル「ことばの杭としての記憶」は記者の方が付けてくれたものです。

***

"ことばの杭としての記憶"

「尾根から裾野に向かって」植えられた「何千本もの黒い丸木」に雪が降る。すべてを包み込むように、降る。これは#幻視者(ルビ・ヴィジョネール)の文学ではないか、読み終えてそう思った。


 二十年来の友人インソンが作業中に電動鋸で指を切断した。駆けつけた作家キョンハが彼女の家へ向かう。水と餌がなくなると、あっけなく死ぬ鳥の命を救うために。時間はない。バスを待つ身に降りしきる雪は、ふわりと落ちてすぐ溶けるぼたん雪だ。

 膝までの雪を漕ぐ。薄明かり、黒い樹影、手探りで進む物語の森は暗く深い。キョンハ自身の偏頭痛と豆のお粥、インソンの母が悪夢よけに、布団の下に敷いていたという糸鋸、洞窟。


 インソンの母は幼いころ「朝鮮半島の現代史上最大のトラウマ」ともいえる虐殺事件を体験した。1948年済州島四・三事件だ。偶然にも生き残った母の身振りや声、断片的な語り、娘の心に刻まれた重たい記憶の切れ端が、薄墨色の綾布を織っていく。

 インソンとキョンハは海辺に黒い丸木を林立させて、映像作品を制作しようとしていた。一旦中止になったその計画が、この物語になったのだろうか、記憶をことばの杭として打ちこむために。読者の想像力を極限まで引き出さずにおかない小説だ。


 封印されてきた歴史的事実を調べて生前の母の不可解な姿に光をあてる娘、それを幻聴のように聞きとる友人は、物語の双子のよう。次々と浮かぶ幻影を、語りの現在が固定具となって繋いでいく。その夢と救済の物語をしなやかな日本語で読むことは「死から生への究極の愛」を受ける恩寵に満ちた体験だった。

 

 解説に引用された「光がなければ光を作り出してでも進んでいくのが、書くという行為」という作家のことばに深く頷く。日本語使用者が心得るべき歴史を詳細に記す解説も迫力がある。

 出版後ただちに多くの読者に迎えられ、早々にフランス語に翻訳されてメディシス賞(外国小説部門)などを受賞と知って、フランスにも幻視者文学の長い系譜があったことを思い出した。


2024/05/21

幻視者の文学、ハン・ガン『別れを告げない』斎藤真理子訳について

 ハン・ガン『別れを告げない』斎藤真理子訳(白水社)について、東京新聞のコラム「海外文学の森へ 81」に書きました。今日5月21日夕刊に掲載されています。

******

 これは「幻視者(ヴィジョネール)の文学」ではないか、というのが筆者の見立てだ。ヴィジョネールの作家・詩人についてはフランス文学に長い歴史がある。ネルヴァルとかミショーとか。もちろんフランスだけではないけれど(ドイツの美術とか)、この作品を読んで脳裏に浮かんできたのは、そのことばだった。60年代のフランス文学全盛時代に学生だった者にとって「ヴィジョネール」はある種、特別な意味を含んだ呼称なのかもしれない。例えば梶井基次郎なんかは「ヴィジョネールの作家」と言えるだろう。

 ハン・ガンの作風は、そんな幻視の世界へ読者の視線や心を引っ張っていく──というのは深い物語の森に入っていって、ここはどこ?と思ったときに気がついたのだけれど。

左がフランス語訳、右が日本語訳

 済州島 4.3 事件。この虐殺事件は日本帝国の植民地化からの解放まもない1948年前後に、東西対立、大国間のかけひき、朝鮮戦争といった政治事情が複雑に絡まりあう状況のなかで起きた。非情なジェノサイドである。その後、軍政権が何代も続いた時代に、解明されることなく、封印されて、記憶の風化が進むかと危ぶまれる時代になった。事件が解明されはじめたのはそれほど昔ではない。

 1970年生まれの作家ハン・ガンは、『別れを告げない』の語りの中心に、この虐殺事件のサバイバー2世である映像作家インソンと、その友人である作家キョンハを置く。物語はふたりの交流と複雑に絡まる記憶を薄墨色のざっくりした布に織り込むように進んでいく。全編に雪が降る。深い雪の世界だ。

 読んでいくうちに、キョンハとインソンが、幻聴や幻視のモノクロ世界で「物語」を構成する縦糸と横糸のような関係、いや、双子のように感じられてくるから不思議だ。

 とにかく読ませる。70年生まれのハン・ガンは、おそらくそれほど遠くない未来、ノーベル文学賞を受賞するんじゃないかと確信させる作品だ。もしそうなったら、アジア人女性として初めての受賞者になるのだろう。

 昨秋から現在形で続く「パレスチナ/イスラエル」のジェノサイドが二重写しになって迫ってくる。


2024/05/10

朝顔はいま──ローズマリーもぐんぐん育って

 ずいぶん間が空いてしまった。

 4月2日に蒔いた朝顔はいくつも芽を出し、双葉を広げ、本葉も大きくなってきた。今日は5月10日だから、38日ぶりか。そろそろ蔓を絡ませるための支柱を立ててやらなくちゃな。

 ローズマリーは、伸びてきた芽を何度か剪定したので(もちろん料理に使った)、枝葉がいくつも出て、全体にこんもりしてきた。

 今日もまた、陽射しは強く、風もとても強い。気温も低めだ。午前中にベランダに出て、つい油断したら、吹きつける風で体がすっかり冷えてしまった。気がつくと時計の針は12時をまわっている。あわてて温かいお茶を淹れて早めの昼食。それでもまだ寒さが体から抜けない。5月って、そういう季節だったっけ。

 一昨日の豪雨もすごかった。ひさびさに都心に出たのだ。地下鉄からJRに乗り換えるため、市ヶ谷駅のホームに出る階段をのぼっていると、工事のような轟音が聞こえてきた。ほとんど全方位から聞こえる。一瞬「?」と思ったら雨だった。両側から吹きつける雨のしぶきで、狭いホームは真ん中にいても濡れるほどだ。それでも、お堀に張り出した釣り堀のデッキで、何人もの人が釣り糸を垂れていて、これには感心した(嘘)。

 初夏になった。


2024/04/02

ローズマリーを大きめのポットに移して、朝顔の種を蒔いた

 風が吹いて、陽射しの強い4月。「四月の魚=エイプリル・フール」も終わり、今日は2日。

 暮れに、水を入れたグラスにローズマリーの枝を漬けておいた。たっぷり根が出たものを植木鉢に移植した。太くて鮮やかな緑の、大ぶりの葉を出して、ぐんぐん育ってきたローズマリー。このままでは、間違いなく鉢が小さくなる。そこで3年前に朝顔に使った大きめの鉢に植え替えた。(写真右)

 それまでローズマリーが植えられていた鉢(写真左上)に新たに土を入れて、ベランダに放り出されていたポット類から朝顔の種を集めて蒔いてみた。プラスチックの鉢(写真左下)もあったので、それにも蒔いた。

 調べてみると、最後に朝顔ジャングルを愛でたのは2021年の夏だった(こういうときブログは役に立つなあ)。昨年と一昨年は、植物の世話を焼く時間も余裕もなかったけれど、今年はまた復活だ!

 空いていたのがたまたま白いプラスチックの鉢と、それまでローズマリーが植えられていた素焼きの鉢。どちらが先に芽を出すか、どちらが花をたっぷり咲かせるか、今年は観察が楽しい。そんな余裕がようやくできた。

 しかし種が古いのだ。もしも去年の種なら発芽率はぐんといいのだけれど、なにしろ2021年秋に結実した種だ。2.5年もベランダで風雨にさらされていたので、どうなるかなあ。発芽率はそれほど期待できないかもしれない、、、。新しく種を買って蒔いたほうがいいのかなあ。悩ましい。

 種蒔きには少し早かったかもしれないけれど、とりあえず、今日の日付を記録して、写真を貼っておこう。

 鶯が鳴いている。一週間ほど前は、ホーケキョ! と素っ頓狂な鳴き方だったけれど、今日はちゃんと「ホーホケキョ!」と「正しく」鳴いている😁。腕を上げたな、鶯くん!

2024/03/21

プラド美術館で語るJ・M・クッツェー、マリアナ・ディモプロスとの対話

 昨年7月末にプラド美術館で開催された、ジョン・クッツェーとマリアナ・ディモプロスの対話の英語版(当初のバージョンはスペイン語の同時通訳がかぶさっていた)があった。ここ半年は『その国の奥で』の翻訳などに忙しく、フォローが遅くなったけれど、ここに備忘のためにシェアしておく。

 言語をめぐるJ・M・クッツェーという作家・思想家・言語学者の考え方の基本が伝わる動画だ。

 The Languages of Arts


最初は絵画(イメージ)と言語について、絵画の言語について語っているが、解釈、翻訳についても敷衍するかたちで話は進む。フェルメール、ヴェラスケスなどによって描かれる人物(写真に撮られる人物)の視線について、take the photograph(写真に撮る)、shoot them(彼らを写す)、という表現の動詞について。
 さらに翻訳する二言語間の歴史的、文化的差異について。例えばヴェトナム語にはbrotherにあたる語はなく、兄か弟しかないため(これは日本語もそうだけれど、アジアの言語の多くに見られることかもしれない)、原文にある2人のbrothersはどっちが兄でどっちが弟か、という翻訳者の質問に対してクッツェーは答えられなかった(つまり区別せずに書いているということ)、だからヴェトナム語の翻訳者が自分で決めてくれ、と(笑)。これはもう日本語への翻訳でいつもいつも悩むことだけれど、前後の文脈から訳者が自分で決めなければいけないことなのだ。質問しても答えはない! さらにresonance of the words の重要性についてスペイン語への訳者であるディモプロスは語る。

 そして『ポーランドの人』の翻訳の話になる。そこに描かれている2人の関係について、著者が言語上は意識せずに書いている「関係の変化」について、翻訳者は著者よりさらに意識的(創造的)に会話のことば遣いに配慮する必要があると、スペイン語訳者のディモプロスと非常に重要なことを語り合っているので、要注目だ。英語には二人称はyou しかないが、スペイン語などには距離をおく敬称 usted と、親しい人に使うtú があることの違いなど。

 The Pole という英語で書かれた作品が、スペイン語に翻訳され、そのスペイン語のテクストから(舞台はバルセロナ!)英語のテキストが作者自身によって書き変えられていくプロセスを語っていて、非常に面白い。確かに、最終的なテクストは最初に届いたPDFテクストから大幅に変化していた。照合するのが本当に大変だったなあと。ちょうど去年の今ごろ、その作業をやっていたんだった。


 さて、人とモノとのあいだには、そのモノを指し示す語がメディア(メディエーション)として入り込むが、絵画の場合はイメージが見る者にじかに伝わる。それから言語による解釈というテーマへと移っていったが、このメディアというテーマをクッツェーは第二作目『その国の奥で』で、主人公マグダが宇宙から飛行してきたと思われる存在に向かって、メッセージを必死で伝えようとするときに「あいだ」に入り込むものとして指摘している。
 マグダ(クッツェー)の場合、それはことばだ。面白いのは、第二作目の『その国の奥で』からクッツェーはメディアとしての言語にスペイン語を選んでいること。それも漆喰で白く塗った石を山肌に並べて、空飛ぶ円盤でやってきたものたちにそのメッセージを伝えようとすることだ。「スペイン語は普遍的な言語だ」として。実際に書かれたメッセージにはラテン語、フランス語、イタリア語などがゴチャゴチャと入り込んでくるのだけれど。


 そしてこの動画の最後に、イメージや絵画と小説を書くことの微妙で複雑な関係を、2人はきわめてシンプルな言語で表現していく。その「わかりやすさ」がこの動画のベストポイントだ。

2024/03/13

中村佑子「冬の日の連想」⇨ 置き去りにしたものに青い硬質な光があたる

 「me and you little magazine」というウェブマガジンがある。そこに中村佑子の連載「午前3時のソリチュード」(編集は河出書房新社の谷口愛さん)がぽつぽつとアップされる。これが面白い。

 この連載は、ことばがひたひたと迫ってくる小さな波のようで、穏やかながら、ひとつひとつの波は存外、感覚の深いところへ降りてきて、その周辺の記憶に響き、あざやかに揺らす。新しい文章が加わったというお知らせがXに載ったので、さっそく読んだ。「冬の日の連想」だ。

 書き出しは2歳の男の子の頭を撫でることから始まるのだけれど、それがミケランジェロ・アントニオーニ(1912-2007)の映画「情事 (1960)」のあるシーンに繋がっていく。出てくる女優がモニカ・ヴィッティ、「L'Eclisse/太陽はひとりぼっち (1962)」のあの女優だ。この映画については以前、クッツェーの『青年時代』に絡めてここに書いたけれど、初めて観たのは学生時代、いや10年ほど前か。『情事』はたぶん観ていない。

 ところが中村佑子は学生時代に、ミケランジェロ・アントニオーニが映画監督でいちばん好きだったと書いている。驚いた。1990年代のことなのだ。

 それで思い出した。まだノーベル文学賞を受賞する前のJ・M・クッツェーが、毎日新聞にコラムを連載していたことがあった。あれは1990年代半ばから文学賞受賞までだったか。日本語に訳されて紹介されたのは、当時の南アフリカ社会の断片をスパッと切るようなコラムだったが、あるとき自分の好きな映画監督ミケランジェロ・アントニオーニのことを書いた。でもそれは、あまりにも古いネタと見做されて没になった。これは担当記者のFさんから、後で聞いた話だ(註)

 「午前3時のソリチュード」は、去年まとめて読んだ。でも読みそびれていたものがあったことに今回、気づいた。「火の海」だ。のっけからマルグリット・デュラスの『ロル・V・シュタインの歓喜』が出てくる。でも、この作品と狂気について詳しく書かれているのは、ひとつ前の「現実の離人感」だ。とにかく、おお、デュラスかあ、とため息が出た。


 1968年に大学に入って、ストライキで授業がなくなって、それからまあ色々あって、授業が再開された。数人で作品を選んでそれについて発表することになった。そのとき5人の女子学生は、なぜか、翻訳が出たばかりのデュラスの『破壊しに、と彼女は言う/Détruire dit-elle』(訳:1969)を選んだ。ずらりと居並ぶ教授陣を前にして、あの作品をどう読んだのか、誰が何を言ったのか、いまやまったく覚えていないけれど、とにかくほぼ徹夜して、それぞれが書き上げたリポートが、デュラスの極めて難しいと言われる作品についてだったのだ。

午前3時のソリチュード」の書き手、中村佑子はマルグリット・デュラスを、この作家のもっとも深いところまで降りていって、読む。その狂気をも含めて、ぶれることなく読む。

 当初、デュラス作品を日本語にした翻訳者は清水徹、田中倫郎、平岡篤頼といった男性研究者が圧倒的に多かった。それはなぜだろう、と以前から考えていた。(研究者も翻訳者も圧倒的に男性だったからだろうな。)でも残念ながら、会話が、とりわけ女性が発することばが、どうもしっくりこなくてはがゆかった。(今世紀に入ってからは関連書籍を北代美和子さんなどが翻訳するようになって嬉しい。)

 大学を卒業してからも、デュラスは断続的に読んだ。とりわけ80年代に発表された『アガタ』『愛人』『苦悩』『物質的生活』『エミリー.L』『北の愛人』などはどれも、詩人Kさんといっしょに貪るように読んだ。デュラスの訃報に、Kさんと献杯した記憶もある。

 J・M・クッツェーの作品を翻訳するようになって、わたし自身はデュラスからは一気に遠ざかった。ある時点で、デュラスの本はほぼすべて処分している。それもいまにして思えば自然な成り行きだったかもしれない。でも表層的には学生、OL、母親、翻訳者をこなしながら、どこかに置き去りにしてきたものがあるのだ。そのことに思い至った。

 クッツェー翻訳が一段落したいま、そんな遠い20代、30代の自分と再会させてくれる、青い硬質な光を発する、中村佑子のことばに出会えたのは幸いだ。「冬の日の連想」を読んで、しみじみ抱く不思議な感覚に身震いする。

***************

註:発表されていれば、少年時代に写真家をめざしたクッツェーの映画論として、貴重な映像論になったのに、没になったのが惜しまれる。 

2024/03/07

アブドゥルラザク・グルナ『楽園』(白水社)の書評とエッセイ

忘れないうちに記録しておきます。

少し前になりますが、 2月17日付日経新聞朝刊にアブドゥルラザク・グルナの本邦初訳『楽園』(粟飯原文子訳、白水社)の書評を書きました。(左の写真は、白水社のXのTLから拝借。)

東京新聞のリレーコラム「海外文学の森へ」にも、エッセイ風にこの『楽園』について書きました。

日経新聞ではもっぱら本の内容紹介と、誰の目線で「アフリカ」を書くかに焦点を当てましたが、東京新聞ではグルナがノーベル財団から受賞の知らせを受けた時のエピソードや、この作家が作品を書くときの姿勢について触れ、結びを次のようにしました。

 ──ネットで視聴できる動画「インド洋の旅」でグルナは、自分が作品を描くことは制圧者により乱暴に要約されてきた「我々の複雑で小さな世界」を再構築する営みだと語る。

 1994年に発表されてその年のブッカー賞最終候補になった『楽園』は、作品として特別実験的な試みをするといった仕掛けなどはありませんが、淡々とした文章のなかにめくるめくスワヒリ社会の多様性が描かれていて、つい、メモをとりながら読みました。

 わたしにとってスワヒリ社会はほとんど未知の世界。いろんな人が耳慣れない名前で登場するため、これは「登場人物一覧」があると便利だなあと思いながら読んだことも書いておきます。

白水社から刊行された『楽園』でスタートしたグルナコレクションは、まだこれから3冊も続くそうです。とっても楽しみ!