E. Costello : I believe in what does not need to believe in me.──J. M. Coetzee

2018/07/21

少女の「静かなたたかい」

北國新聞と埼玉新聞に、サンドラ・シスネロス『マンゴー通り、ときどきさよなら』(白水社Uブックス)のステキな書評が載りました。

 詩は「静かなたたかい」
 少女の「静かなたたかい」

 22年ぶりに復刊されたこの本、現代の日本社会には以前よりもっともっと切実になっているような気がします。移民の問題、難民の問題、ふたむかし前はどこか遠くの出来事のように感じていた人も多かったかもしれないけれど(じつはすぐそこで起きている現実だったんですが)、2018年のいま、だれもが気づく時代になりました。
 だって、ほら、すぐ隣にいるんですから、土俵の上にも、グリーンの上にも、いろんなオリジンをもった人が。街をゆくこの土地生まれの子供が。


 温又柔さんの解説にもあるように、作品のなかでエスペランサに向かって、詩を「書きつづけなければだめよ。書けば自由になれるからね」と病気のルーペおばさんがいったところは、何度読んでも涙ぐみそうになります。


 そう──彼女は「静かなたたかい」を始めたんです。「ひとりで立つために。自由のとびらを開くために」──書いてくださった田村文さん、どうもありがとうございました。森佳世さんのすてきなイラストもついていて、復刊書なのに立派な書評あつかいです。こんなに嬉しいことはない。

この「本の世界へようこそ」は、14歳くらいの読者を想定したシリーズで、共同通信の配信です。

2018/07/20

日経プロムナード第3回「湿気のない土地」

日経新聞のコラム、プロムナード第3回目がアップされました。

  湿気のない土地

「なにもない」を背景にしたカバー
北海道生まれの人間には、東京の暑さや湿気はとてもにがて。数年前に、そんな湿気がない土地を旅したことを書きました。ケープタウンです。光がくっきりしていて、素人でも本のカバーなどに使える写真が撮れたのは驚き!
 ケープタウンを旅したのはいまから4年ほど前のことで、ちょうど自伝的三部作『サマータイム、青年時代、少年時代』(インスクリプト)を訳している最中でした。

 この三部作の表紙につかった写真は、ケープタウンから内陸をめざす国道1号線の途中で撮影したものですが、装丁の間村俊一さんから「なにを撮りたかったのかわからない」写真だ、と編集のMさんはいわれたと伝え聞きます。それで、わたしは思わずニヤリとなりました。だって、あの写真には「なにもないこと」が写っていたからです。

 クッツェーの三部作を訳し終えて、ゲラも読み終えたとき、結局、クッツェーの文体はこのなにもない空間の苛烈さと拮抗するのではないか、ということで上のカバー写真になりました。

2018/07/13

日経プロムナード第2回「生き物たちのさざめき」

日経プロムナード第2回がアップされました。

 生き物たちのさざめき


2018/07/08

この夏は『鏡のなかのアジア』第1章でさらわれました!

谷崎由依著『鏡のなかのアジア』(集英社)
本来なら堂々と、きちんと書評すべき本だと思いながら、そういう「表だった場所」に自分の大切な読後感を晒したくない、という極めて私的な思いを抱かせる、これはわたしにとってとても貴重な本だと最初の短編を読んで、まず思った。切実だ。

 物語の筋はあるようで、ないようで、確かにあるのだけれど、それを理性的に分析して書きしるそうと思うより前に、ここに書かれている日本語の、美しい文体の、リズミックなことばの連なりの、流れの、その心地よさに浸っていたい! ことばの海にざんぶり身をひたして、そのまま流されようが、溺れようがかまわないから! という思いに完全に足をすくわれた。

 物語の舞台となるのはチベット。サンスクリット語と思しき「るび」が(もちろん英語もある)、アルファベットで、漢字やひらかなの単語や熟語にふられるというアクロバット。これ、いいなあ、こんな技があるのか、わたしもやってみたいな、と思わせる心憎いスキルである。そのルビが文体にあたえる華麗なまでの共振というか、視覚による擬似レゾナントというか、連想の奥行きというか。たとえば、

 「筆」に「pen」とルビがふられ、「牛酪」に「butter」、「獣」に「yak」、「僧院」に「gompa」、「空」には「gnam」、「ねずみ」に「tsi tsk」、「城」に「zong」、「湖」に「mtsho」なのだ。

 いきなり、ぼうぼうと岩山に吹く風の、乾いた音が聞こえてくるのだ。もうイヤなことばっかり続く、この湿気で腐敗しきった土地で読む、乾いた風景の作品世界がたまらない。リズミックにくりかえされる「馬の足で二日、風が強ければ五日、ひとの足なら十日かかる場所」といった距離感を示す、凛とした表現の妙。
 ここちよくさらわれてみたい文章がここにある。久しく体験しなかった詩的な散文である。幻想短編集というわかりやすい表現が、どこか平板に感じられるほどに。
 
 といった私的な感情のことをひたすら書き連ねたくなる本なのだから、そんな文体への思いつめた感想ばかり、公の書評では書けないじゃないか。それ以外のことは、たとえば物語の筋やら、登場人物やら、舞台背景のことやら、それぞれ大切なことなんだけれどあまり口にしたくないのだ。陳腐な表現で読者にわざわざ説明してもしかたがないし、説明なんかしてあげない、といいたくなるのだ。これじゃ全然、書評にならないし、作家に失礼だから、ブログに書くことにした。

 おまけに「鏡のなかの……」である。ぐんと近しく感じるタイトル。あと一冊加わると「鏡のなかの……」シリーズができあがりそう! ほら!

 『鏡のなかのアジア』
 『鏡のなかのボードレール』
 『鏡のなかの蝦蟇』とか。
  (そういえば、有名どころでエンデの『鏡のなかの鏡』があったわねえ。)

「気だるくやつれ伏すアジア、灼熱に身を焦がすアフリカ」もあっけなく凌駕して。いや、もう、幻視者(visionnaireとルビ)作家、谷崎由依、おそるべし! 

2018/07/06

日経新聞夕刊「プロムナード」の連載が始まりました!

7月6日から、日経新聞の夕刊で「プロムナード」の連載が始まりました。
 
担当は金曜日です。第一回は「翻訳の置きみやげ」というタイトル。
 肩書きが「翻訳家」ひとつになったので、それでは最初は翻訳を中心に。というわけで、ここ半年間のあれこれと、その置きみやげについて、書きました。

J・M・クッツェー『モラルの話』の主要登場人物、エリザベス・コステロに憑依された話です。でも、同時にゲラ読みしていたサンドラ・シスネロス『マンゴー通り、ときどきさよなら』のエスペランサも登場します。

 これまで肩書きは「翻訳家・詩人」と名乗ってきたのですが、ひとつだけに絞ってと言われて、そうなるとやっぱり「翻訳家」というわけで、後半の「・詩人」(ナカグロ・シジン)は消えました。これについてはまた別に書きます。

 こんな感じで金曜夕刊に年末まで書かせてもらいます。

 ウェブでも読めるので、みんな読んでね〜〜〜!