Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2019/01/31

マドリッドでのJMクッツェー:May 26, 2018

昨年5月26日にマドリッドで行われたイベントで、JMクッツェーがソレダード・コスタンティーニとステージで交わす会話の英語バージョン(スペイン語がかぶっていないもの)を見つけたので、備忘のためここに埋め込んでおきます。このイベントについては、昨年ここで詳しく書きましたので、ぜひ参照してください。

 「イエスのシリーズ」は舞台が「死後世界」と明言しているのはこのスピーチです。



 精神分析は作家として重要かと問われて、クッツェーは作家writerとしてより思想家/思考する人間thinkerにとって、それは重要だと答え、アラベラ・カーツとの共著『The Good Story』について述べています。
 さらに、最後近くになって、拷問や犯罪を犯した人間が引退後に心穏やかに暮らせるか、とか、われわれの父祖が新大陸(オーストラリアやアメリカス)、あるいはアフリカでやったことが現在の基準から照らすと犯罪で(先住民に対する入植者が行った暴力行為、強盗、土地の強奪)それに対して、どう考えるか? われわれの罪悪感をどうするか、とか、結構突っ込んだ内容の話をしています。
 最後に、書くことと祈ることは似ているか? と極めつけの疑問まで出してくる。これはクッツェー読者、クッツェー研究者、クッツェー翻訳者にとっては、もう必見、必聴の動画ではないでしょうか。ぜひ!

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追記:2019.5.12──動画を再度みて、聴いて、ブログの内容を少し訂正しました。

アディーチェ:「アフリカの作家」の意味するもの

 今日はチママンダ・ンゴズィ・アディーチェが2018年10月にPEN Pinter Prize を受賞したときのレクチャーを聴きました。これで何度目かな? と思いながら聴いたのですが、このレクチャーで彼女はある質問をとりあけます。

──Are you an African writer? あなたはアフリカの作家ですか? あなたはアフリカ人作家ですか? 



 これまで何度か質問されてきたけれど、かならず仲間のアフリカ人から出てくる質問だというのです。この「アフリカの作家」という表現に質問者がどんなニュアンスを込めているかアディーチェは詳細に分析していきます。

 ささやくように、もちろんわたしはアフリカ人作家よ、とアディーチェは自分にいいながらも、アフリカ人からのそんなあからさまな質問に対して、あえて「No」と答えます。その意味するところは? アディーチェのような作家がどういう位置に立たされて書いているか、書いてきたか、どんな圧力に抗して自分に正直であろうとして書いているか、このスピーチを聞くとその複雑な背景がわかります。そう、彼女がいま書いている現場のコンテクストがわかるのです。

 作家と作品、作家であることと市民であること、その関係が西欧とアフリカでは歴史的に、社会的な文脈で見たときどう異なるか、そんな細部が浮上します。

 講演のフルテクストは1月9日にNew Statesman Americaにアップされました!

2019/01/25

『イジェアウェレへ』について語るアディーチェ

暮れから引き込んだ鼻風邪がお正月まで尾を引いて、お正月があけたら次にギクリと腰に痛みが走って......なんともさえない2019年の始まりでしたが、やっと抜けたかな、という感じです。外はまだ寒いけれど、紅梅も咲き出して、春はすぐそこまでやってきている気配。枯れ木の枝と枝のあいだを甲高い声を響かせて百舌が行き交っています。
 
 ようやくチママンダ・ンゴズィ・アディーチェ著『イジェアウェレへ/Dear Ijeawele, or a Feminist Manifesto in Fifteen Suggestions』の訳文みなおしを終えて、書籍化への本格的な作業が動きはじめました。いまグーグルで調べて知ったのですが、Ijeawele という名前はイボの女性の名前で、意味は「A Smooth Journey」あるいは「Safe Journey」だとか。へえ、そうだったんだ。すんなりと行く旅。安全な旅。おかしいのはGoogle翻訳では「Online」になっちゃうこと😆。



 アメリカでこの本が出版されたときの動画をここに埋め込みます。2017年春ころでしょうか。Bustle and Strand Bookstore で。
 日本語訳が「早稲田文学」に掲載されてから時間がたちましたが、そのあいだもアディーチェは行動範囲をぐんぐん広げ、つい最近はロンドンでのミシェル・オバマの自伝出版記念イベントで対話の相手をしたりしています。ステージにあがるたびにナイジェリアのデザイナーたちの奇抜な衣装を身につけ、ヘアスタイルも次々と変えて。世界を駆け巡るチママンダの姿は眩しいばかり。
 日本にアディーチェを紹介したのが2005年の北海道新聞のコラムでしたが、あれからすでに14年。まさに光陰矢の如しです。

2019/01/04

誰の寵児にもならぬがよい

Be Nobody's Darling      by   Alice Walker


誰の寵児にもならぬがよい
除けものでいるのがよい
おまえの人生の
矛盾を
ショールのようにして
身を覆うがよい
石つぶてを避けるために
からだが冷えぬように

……
……
……

口にした
勇気ある痛烈なことばのために
数知れぬ者たちが死に滅んだ
川岸で
陽気なつどいをもつことだ

誰の寵児にもならぬがよい
除けものでいるのがよい
死者とともに
生きる資格をもて



朝日新聞社刊 1982
アリス・ウォーカー『メリディアン』(朝日新聞社、ちくま文庫、高橋茅香子訳)の解説「衰弱と再生」で引用されている詩で、藤本和子さんの訳です。ウォーカーの第二詩集『革命的ペチュニア』に入っている詩篇。

『塩を食う女たち』北米黒人女性の聞書集(岩波現代文庫)が多くの人から歓迎されているのは、作品のもつことばの力ゆえでしょう。でも、60年代の公民権運動の果実はほかにもあって、なかでもお薦めはアリス・ウォーカーの『メリディアン』。ピューリッツァー賞を受賞して映画化された『カラー・パープル』も有名ですが、じつは一作前の『メリディアン』がダントツにすばらしいんです。
 この作品で、ウォーカーは運動のなかの「暴力」について徹底的に自問しながら、白人、黒人のカラーラインを超えて仲間と対話する人物たちを登場させます。
 解説を書いている藤本さんの文章がまた、比類なきすばらしさ。ここで全文が読めますので、ぜひ!

 この7巻本の解説も、ぜひ1巻のアンソロジーとして復刊させたいと思っているのですが.......!!!!

2019/01/01

あけましておめでとうございます

今年もどうぞよろしくお願いします

ひさしぶりに書きました。

 水牛のように──空知川、遠く

 なんだかすっかり3.5枚ペースが身についてしまって、書くものがなぜか似たような長さなっていく。日経プロムナードの後遺症です。

デンマーク版
昨年はほぼ全力投球で、J・M・クッツェーの『モラルの話』訳しました。サンドラ・シスネロスの『マンゴー通り、ときどきさよなら』も復刊できました。ほっとするまもなく、7月からは毎週、日経プロムナードに書かせていただきました。おかげで充実した年でしたが、年末からずっとおなじ時間が流れることになりました。完全脱力です。

 とはいえ、今年はまた新刊書、復刊書が1冊づつ出る予定です。実直に仕事します。そのほかにも、あれこれ計画だけは進んでいますが、さて、どうなるか? どうぞお楽しみに。