Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2022/07/24

日経新聞にチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの拙者訳『パープル・ハイビスカス』の書評が

前回の投稿から、あっという間にひと月が過ぎました。この間にいろんなことが起きて、心がざわつきますが、忘れないうちに記録しておきます。

 23日の日経新聞に、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの拙者訳『パープル・ハイビスカス』(河出書房新社)の書評が掲載されました。

 評者は「アフリカの文学」についての、いまや彼女の右に出る人はいないと思われる研究者であり翻訳者でもある、粟飯原文子さん。

 ナイジェリアという国を舞台にした作品の背景をきちんと書いてくれました。アディーチェが26歳のときに発表した初作『パープル・ハイビスカス』は、15歳の少女カンビリが語る、崩壊していく家族の物語であり、少女自身の成長物語でもあり、作者アディーチェの故郷への熱い思いが行間からじみ出てくる作品です。


粟飯原さん、丁寧に読み解いてくれて、ありがとう!

以下、部分的に引用します。

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>興味深いのは父親が単なる狂信的な悪人ではなく、複雑で孤独な人物として描かれているところだ。歪(ゆが)んだ愛の形や矛盾含みの正義感には、ミッション・スクールの規律と懲罰を含む教育、ナイジェリア独立後の痛みに満ちた現代史の影響も垣間見える。


>冒頭の「家族の絆が崩れはじめた」から始まる時代背景には、クーデターの勃発によってさらなる混乱に陥る国家の姿がある。(中略)


>作品では暴力的な父親、国の動乱や悪政という否定的な面が目立つ。とはいえ、それは著者が愛を込めて故郷と向き合い、どれほど欠陥や困難があろうとも、より良い未来のあり方を信じる姿勢の表れである。「何度かやって失敗しただけ」という叔母の言葉にはその信念と誇りが読み取れる。


>(中略)叔母の庭に咲く希少な紫のハイビスカスがカンビリたちの庭でも根づいて蕾(つぼみ)をつけたように、再生の明日が予感される。


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