Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2018/10/24

J・M・クッツェーの母方の曽祖父はポーランド系

このところ「英語」という言語が世界を覆う勢いについて極めて批判的な態度を表明しつづけているクッツェーだが、今朝いちばんに飛び込んできたニュースもまた、クッツェーのそんな姿勢が強く感じられる内容だ(10月23日付)。


シレジア大学で名誉博士号を授与されるJM・クッツェー。壇上にはデイヴィッド・アトウェルとデレク・アトリッジの姿も見える。これから3人でアウシュビッツへ向かうのだろう。クッツェーのスピーチは49:40ころから8分ほど。

 ポーランド、カトヴィツェにあるシレジア大学で名誉博士号を授与されたことを伝えるこの記事(原文はポーランド語、読んだのはGoogle英訳)によると、クッツェーの母方の曽祖父バルタザール・ドゥ・ビールはそれまでドイツ人だと思われていたが、生まれたのはチャルヌィラスCzarnylas(「黒い森」の意)という村で両親はポーランド人、村の学校ではポーランド語で授業が行われていたことが突き止められたそうだ。

 突き止めたのはシレジア大学の研究者ズビグニエフ・ビアワス教授Zbigniew Białas。バルタザール・ドゥ・ビールの第一言語はポーランド語であると。(動画のなかでは、ズビグニエフ・ビアワスが2004年6月13日(日曜日!)にクッツェーから突然メールがきて、彼の曽祖父が「Balcer Dubylバルツァル・ドゥビル」という名でポーランドで生まれていたが、詳細を調べてほしいと依頼されたそうだ。)(追記:その結果についてのエピソードを今回、披露しているが、その事実はデイヴィッド・アトウェルの評伝にあったし、そこにはクッツェーがポーランドにあるドゥビルの親戚の墓を訪ねる写真も添えられていた。)

 カトリックのポーランド人として生まれたバルタザール(バルツァル)(1844~1923)は、10歳のころの宗教的な体験によってプロテスタントになることに決め、ドイツ人になって宣教師協会の宣教師として1868年に南アフリカへ送られ、南部アフリカで布教した。結婚した相手がモラビア出身の女性アンナ・ルイザ・ブレヒャー。その娘が、父親が宣教で渡米中にイリノイ州で生まれたルイザ(1873~1928)、つまり母方の祖母だ。このルイザが子供たち全員を英語で育てたために、ジョンの母ヴェラもまた英語で自分の子供を育てることになった。

左がズビグニエフ・ビアワス
 ポーランド生まれのバルタザール・ドゥ・ビールの姿は、『少年時代』ではちょっと狂人じみた宣教師の姿として描かれていて、少年ジョンの大叔母アニーが父親の書いた本をドイツ語からアフリカーンス語へ翻訳して印刷製本して売り歩く姿が出てくる。ドイツ語から、つまり、宣教師バルタザールは、当時、自分の第一言語のポーランド語ではなく布教活動のために獲得した言語、ドイツ語で書いたわけだ。それを南アフリカでアフリカーンス語に翻訳することに一生を費やしたのが「アニーおばさん」、ジョンにとっては大叔母さんだった。
(こうして新事実がわかることで、『少年時代』もまた、結果として、フィクション性の強い作品であることが明らかになっていく……。)
 動画はシレジア大学のサイトにもアップされている。