なぜ『去年マリエンバードで』なんか、いまごろ見てるかというと、この映画にヒントを得てJ・M・クッツェーが第二作目の小説『その国の奥で/In the Heart of the Country』(1977)を書いているからだ。クッツェーの小説はタイトル内の「Heart/奥」で、ジョゼフ・コンラッドの『闇の奥/Heart of Darkness』を響かせながら、映画のモンタージュ技法(アッサンブラージュ技法)を小説という形式に果敢に採用したポストモダン小説といわれている。各章に、1から266まで番号をふって、南アの農場に幽閉されているような主人公マグダの空想、妄想が「父殺し」をめぐって時間的に、場面的に、シャッフルされる構成なのだ。
ずいぶん前になるが、年末の2日間を費やしてJ・M・クッツェーの出世作 Waiting for the Barbarians(『夷狄を待ちながら』)を再読したことがある。最初に読んだのはキングペンギン版のペーパーバックで Life & Times of Michael K(『マイケル・K』)と2冊まとめて読んだときだったから、1980年代の後半だ。ほぼ20年ぶりの再読だった。
作品のタイトルWaiting for the Barbarians は、クッツェー自身が明かしているように、カヴァフィスの詩から採られている。コンタンティノス・P・カヴァフィスは1863年にエジプトのアレキサンドリアで裕福なギリシア人貿易商の家に生まれているが、一家の根拠地はコンスタンティノープルだった。それで思い出すのは、ランサム・センターに移されたクッツェーの草稿である。じつはクッツェーは第三作目をコンスタンティノープルを舞台にした世紀末的な暗いラブストーリーとして書きはじめた。しかし当時、南アフリカで起きたスティーブ・ビコの拷問死事件のためか、それを破棄してあらたに書かれたのがこの作品だった。その経緯はデイヴィッド・アトウェルの研究などで詳細が明らかになっている。
ここで、14年11月にアデレード大学で開かれた「トラヴァース・世界のなかのJ・M・クッツェー」の初日に、非常に興味深い問題提起がなされたことをお伝えしたい。基調講演でステージに立ったのはシカゴ大学の哲学教授ジョナサン・リアで、そこで扱われたのがこの Waiting for the Barbarians だった。
I have never seen anything like it: two little discs of glass suspended in front of his eyes in loops of wire. Is he blind? I could understand it if he wanted to hide blind eyes. But he is not blind. The discs are dark, they look opaque from the outside, but he can see through them. He tells me they are a new invention.
考えてみると、この作品が発表された1980年、南アフリカには厳しい検閲制度があり、検閲官がちくいちテクストを読み、発禁にするかどうかを決めていた。前作の『In the Heart of the Country/その国の奥で』が、通常なら一人の検閲官が審査するところを3人の検閲官によって詳細に検閲された事実が、今世紀になって明らかになっている。どのように書けば発禁にならずにすむか、作家自身も頭をひねりながら書いていた時代だ。検閲官が容易に判定できる語の明記を避け、架空の帝国と植民地、時代は特定できない作品と思わせながらじつは作者は、最初のページに時代をしっかり忍び込ませていたのだ。
どれもいかにもクッツェーらしいコメントである。「七人の侍」については『Diary of a Bad Year/厄年日記』(2007)の巻頭を飾る章「国家とはなにか」で詳述しているし、「大地のうた」も「奇跡の丘」も『青年時代』に出てくる。ロンドン時代に映画を観ることが唯一の気晴らしだったコンピュータプログラマーのときの話である。とりわけ、インド映画の音楽に心身ともに揺さぶられたこと、母親と息子の関係の描きかたなどが心に残ったこと、が書かれていた。
しかしなんといっても「奇跡の丘」を観たときの体験が印象深い。政教一致の南アフリカで彼は教育を受けた。それまでに心身ともに染み込んでいるキリスト教文化の土埃を足から振り払ったつもりが、そうではなかった、最後に近いシーンでキリストの両手に釘が打ち付けられる一瞬一瞬に身体がぶるっぶるっと震えたこと、見終わったときは不覚にも涙が出てきたこと、などが体験として述べられていたのだ。 このへんのことが、いま彼が書いている「イエスの連作」とどう関連するのか。 いずれにしても、上の映画評はたんなる印象評ではなく、それぞれの映画が制作された時代背景や、そのときどう評価されたかまで含めて、概略ながらじつに的確な論評である。全文をぜひとも英語のオリジナルで読んでみたいものだ。
Grazie mille, Doi-san!
シーロ・ゲーラというコロンビア出身の若い映画監督は(なんと1981年生まれか!)これからJMクッツェーの『Waiting for the Barbarians』を映画に撮る予定。(2018年に撮影して、リリースされるのは2019年の予定だそうだ。)
若いころから映画狂のクッツェーが、あのBarbarians を映画化する許可を出した若い監督の作品とあって観たのだけれど、出てくる人たちの描き方に、いたく納得した。こうなると、Barbarians の映画もすごく楽しみになってきた。わくわく。
クッツェーの『マイケル・K』の翻訳が出た翌年だった。オリヴァーさんはあの作品のことを、はにかみながら「I love it!」といった。電車のなかでつり革につかまった姿勢でそういった彼の横顔が、写真を見ていると、ありありとよみがえる。「友だちがあの作品を映画化しようとしたんだけれど、うまくいかなかった」とも語っていた。1960年生まれで、ケープタウン大学を出ている彼は、きっと、クッツェーの授業にも出ていたのだろうなあ。いまになってみれば、もっと話を聴いておけばよかったと悔やまれる。