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2023/08/09

渋谷で映画「サントメール ある被告」を観てきたのだ

 朝から雷が鳴って、ざざーっと雨が降り、いきなり青空に白い雲が浮かんだかと思うと、また一天にわかにかき曇り……というのがくり返される1日だった。

 でも行ってきたのだ。金輪際いくもんかと思っていた「渋谷」へ。宮下坂側のBunkamuraシネマで観てきたのだ。噂の映画「サントメール」を! とてもよくできた映画だった。映画館で映画を観るのは、7年ぶりだ。

 まず大学の講義で始まる。マルグリット・デュラスがカメラに収めた白黒の映像が流れる。髪を切られて丸坊主にされる女性たち。対独協力者のフランス女性たち。

 講義をするラマは、売り出し中の若い作家だ。彼女が北部の町サントメールヘ赴くのは、そこで開かれる裁判を傍聴するためで、被告は15ヶ月の赤ん坊を満潮の浜辺に置き去りにした(自分では育てられない赤ん坊を海に返してやった?)女子学生ロランス。セネガルからやってきて、完璧なフランス語を話すロランスは、幼いころから現地語であるウォロフ語を話すことを禁じられて育った優等生だ。親の期待が重たかったと語るロランス、父は法律を学ぶなら学費を出すと言ってくれたが、彼女は哲学を学ぼうとする。すると学費を打ち切られ、身を寄せていた叔母との関係もうまくいかなくなって、ある男性と暮らし始める。やがて妊娠、ひとりで出産することになり、そして赤ん坊を……ラマはこの裁判を元に新作を書く予定なのだ。

 実際に起きた事件の裁判記録を用いてシナリオが書かれ、この映画が制作されたという。監督はセネガル出身のアリス・ディオップ。

 裁判の過程で、何が起きたかが少しずつ明らかになっていくのだけれど、このやりとりが絶妙。俳優の選び方もいい。裁判官も、被告の弁護士もキレキレの、しかし、人間的な心を失わない女性として描かれている。黒人女性のラマとロランス、白人女性の裁判官と弁護士、彼女たちの表情の変化と無変化で、観るものの想像力が否応なく掻き立てられる。

 何度か傍聴に通ううちに、ラマはロランスの母親と知り合う。直感力の鋭いその母親に、ラマは妊娠していることを見抜かれる。自分の母親と感情的にすれ違う記憶が何度もラマの脳裏をよぎる。

 事件の背景に埋もれる事実を掘り起こすための「なぜ?」が全編にあふれているが、決して「説明」的にならない。むしろそう簡単に文化の差異や歴史の暴力が、人間と人間の関係(ここでは母と娘)におよぼすものを言語化できるわけがないのだ。なぜ? と観客も自問し、考えながら、積極的にコミットすることをこの映画は要求してくる。裁判の結果も出さない。最終弁論と裁判官のコメントだけで終わる。それでいて、観るものにはある納得が準備されていもいて、制作者が安易な結論を観客へ押し付けない演出がなされている。そこがこの映画の最良のポイントだと言えるだろう。

 ヨーロッパ言語では「説明不可能」なものを、ヨーロッパ言語を使いながら、そこに浮かび上がらせる手法。

 シナリオを書いたのが、かの、マリー・ンディアイだと知って、膝を打つ。

 最後の方で、いきなりニーナ・シモンの「Little Girl Blue」が流れ、おそらくダカールと思われる街並みが映し出される。ここで感情がグッと柔らかくほぐされ、ほろりとしそうになるのだけれど。ああ、そうだよな、最後はやっぱり母と娘の関係の、繋がりの、、、ちょっとだけほの明るい場面が挿入されて終わる。それでこれは記憶のハッピー・メンテナンスなんだな、と納得するのだ。

 途中、ホテルでラマがPCで観る映画のなかに、息子を溺愛する母親の映像が挿入されていて(どうやらモロッコかアルジェリアが舞台の映画)、その息子が弦楽器を奏でる夢想シーンがある。そこに流れるのが、三味線を弾きながら女性が歌う端唄か小唄のようなんだが、そこがなんとも「エキゾチック趣味で」おかしかった。

(追記:PCの映画はパゾリーニの『王女メディア』1969 だそうです! 学生のころ観たけどな、全然覚えてなかったよ、マリア・カラス!😅)


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2023.8.12──付記。上の感想は作品構成とか背景とか描かれ方とかを中心に書いたのですが、この映画は2組の移民の「母と娘」を炙り出す映画でもあるんですね。

また、57歳の白人男性が、自分の娘の結婚式のときロランスを赤ん坊ともどもホテルに追いやっておいて、家族には絶対に紹介しなかったことが描かれているが、彼が身分の不安定な若いセネガル人留学生を「人間として壊れるほど軽く扱った」ある種の記録映画のようでもある←ここ、次に細かく書いてみたい。

2020/09/06

DVD『去年マリエンバードで』を見る──ロマン派について考えて、好き放題書いてみることにした(3)

垂れ込めた雲が空をおおい、ときどき雷が鳴り、ザザーッと雨が降ったと思うと、いつのまにか陽の光が差している──今日はそんな変わりやすい天気。台風のせいだ。気圧のせいか、どうも頭がすっきりしない。気分もすっきりしない。こんなときは、と思い立って、買ってあったDVDで古い映画を見ることにした。

『去年マリエンバードで』監督アラン・レネ、脚本アラン・ロブ=グリエ。1961年の映画だ。日本で公開されたのは1964年。黒澤明監督の『羅生門』(1951)にヒントを得た映画だそうだけれど、黒澤の『羅生門』って芥川龍之介の『羅生門』と『藪の中』を合体させたような映画だったよね。
 
 なぜ『去年マリエンバードで』なんか、いまごろ見てるかというと、この映画にヒントを得てJ・M・クッツェーが第二作目の小説『その国の奥で/In the Heart of the Country』(1977)を書いているからだ。クッツェーの小説はタイトル内の「Heart/奥」で、ジョゼフ・コンラッドの『闇の奥/Heart of Darkness』を響かせながら、映画のモンタージュ技法(アッサンブラージュ技法)を小説という形式に果敢に採用したポストモダン小説といわれている。各章に、1から266まで番号をふって、南アの農場に幽閉されているような主人公マグダの空想、妄想が「父殺し」をめぐって時間的に、場面的に、シャッフルされる構成なのだ。

『去年マリエンバードで』はマリエンバードというチェコ西部の温泉のある保養地を舞台に、きらびやかなブルジョワ趣味の男女たちが不自然ともいえるスチールときわめて限られたムーヴによって撮影されたシーンがシャッフルされて、記憶のあいまいさを追い詰めていく構成になっている。
 今回見て確認したのだけれど、この映画はいってみれば当時のヨーロッパにおけるブルジョワ男の人妻との不倫をめぐるストーカー的な妄想内でくりひろげられる物語だった。2020年になってみると、まあ、美しくも謎めいたオブジェとしての既婚女性とその心理が、じつに表層的なあつかいを受けて描かれていると思わざるをえない。あの当時はこんな感じだったんだよなあ、としか言いようがないけど。

 日本で封切られたのは1964年だが、60年代後半から70年代にかけて新宿3丁目にあったATGでヌーヴェルヴァーグ映画のリバイバル上映をやっていたころ、わたしはジャン・ジャック・ゴダールの『気狂いピエロ』やアラン・レネの『夜と霧』は見たけど、この映画は予告だけ見てスルーした。その理由も今回あらためて納得した。つまらなそうだったのだ。衣装も音楽もこてこてにブルジョワ趣味すぎたし。1960年代後半の東京のデパートはこのこてこて趣味をひたすら追いかけていたんだよね。ココ・シャネル! 
 
 でもおそらく60年代初めのロンドンでこの映画を見たクッツェーは、のちに自作にアッサンブラージュ技法を取り入れた。ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『太陽はひとりぼっち』を見て、モニカ・ヴィッティにぞっこんになる20代前半の青年がこの映画から刺激を受けるのは、十分すぎるほどわかる。7年ほど前にここにも書いたけど。

 字幕を見ていて笑ってしまったことがある。「ベット」という語だ。映画はフランス・イタリア合作でフランス語が使われている。これは lit の翻訳なんだけど、当時の日本語は「ベッド」ではなく「ベット」だったのだ。いつからだろう、「ベッド」と濁音になったのは? そういえば「ハンドバッグ」も最初は「ハンドバック」だったなあ、と思い出す「昭和」のわたしです😆。

台詞がまたとてもよくわかるフランス語で、アテネフランセなどでもくりかえし上映されていたかもしれない。なつかしい、というのは抵抗があるけど、あのころのティーポットや灰皿、グラス、ファッション、ヘアスタイル、大ぶりのパールをたっぷり使った宝飾類を確認できるのは面白い。たとえば、ハイヒールの踵のめっちゃ細いこと! とか、この重たそうなイアリングはまだピアスじゃないよな、なんて。93分。ランチ前に見終わった。
(つづく)

 

2020/06/25

今回もまた映画の話なのだ──『Waiting for the Barbarians』

シーロ・ゲーラ監督がJ・M・クッツェーの出世作『Waiting for the Barbarians/蛮族(夷狄)を待ちながら』を映画にとる、とっている、とった、という情報はずっと追いかけてきたが、映画の予告編がネット上にアップされていたので、シェア!




昨年のヴェネチア映画祭のプレスコンファランスで、出演した俳優たちと監督がならんで質問に答えているようすも、YOUTUBEにアップされていたので、備忘のためにここにシェアしておこう。



ポスターも。

この作品の映画用シナリオはずいぶん前に(2014年に)UCT出版から本として出ている。80年代に第二作『その国の奥で』がDust として映画化されたとき使われなかったシナリオといっしょに。そのことはここでも書いた。
 
とにかくクッツェーという作家は映像世界に深く影響されながら作品を書いてきたことだけは確かだ。十代に写真家になろうと思ったくらいなのだから。イメージという点では写真と映画を区別する必要はないと、あるインタビューでみずから語っているほど。

2020/06/09

今日の午後は映画「奇跡の丘」を観たのだ

 今日の午後は、ピエロ・パオロ・パゾリーニ監督の映画「奇跡の丘」をじっくりと観た。ジョン・クッツェーが若いころからくりかえし観てきた映画だ。

 7年前にJ・M・クッツェーの『青年時代』の翻訳のためにDVDを買って観たのだけれど、そのときは「ふ〜ん」と思っただけだった。だが、クッツェーが着々と書き進めた「イエスの三部作」の最終巻「イエスの死」を昨年10月に英語版で読んだとき、この映画は絶対もう一度観なければと思った。今日それを果たして、なるほど、これか! と唸ってしまった。

『青年時代』によれば、これは青年ジョンがロンドン時代に政教一致の南アフリカで教育を受けた自分が、それまでに心身ともに染み込んでいるキリスト教文化の土埃を足から振り払ったつもりが、そうではなかった、最後に近いシーンでキリストの両手に釘が打ち付けられる一瞬一瞬に身体がぶるっぶるっと震えて、見終わったときは不覚にも涙が出てきた、という体験として述べられていた。彼が眼鏡を初めて作って観た映画でもあった。

パゾリーニの映画は、聖書のなかでもいちばん物語性の強い「マタイによる福音書」に基づいていて、聖書の有名なエピソードが次々と描かれる。音楽はバッハだ。マタイ受難曲や、耳慣れた曲がいくつも聞こえてくる。また、最初に聞こえてきたのはアフリカンアメリカンのゴスペル歌手、オデッタの「ときには母のない子のように」で、ああ、この映画は1964年製作だったんだとしみじみした。

 今回とりわけ印象に残ったのはイエスの母親役を演じた女優だ。なんと、パゾリーニ自身の母親だという。息子を磔にされる老女の悲しさが、震える全身から伝わってくるのだ。『鉄の時代』の主人公エリザベス・カレンの心象とつい重ねてしまいそうになった。

 パゾリーニの映画についてはこのブログでも何度か書いてきたが、とくに2017年にミラノで行われた映画祭のときにクッツェー自身が映画評を書いているのを再録しておく。元ポストはここ。

「弱き者と抑圧された者に寄り添うマタイ伝を忠実に映像化しようとした、イエスは超人的に描かれる、それはパゾリーニのイエス観にもとづく、神話を再現しようとしている、当初撮影が予定されていたパレスチナはイスラエルの意図により聖性が取り去られていて、南部イタリアに変更された、そこは先進国のなかの第三世界であり抑圧された土地だった、人々の慎みは聖地がもっていたものと同じである、その慎みと聖性は、現代のパレスチナのように、失われていくものだった、パゾリーニはのちにそれを嘆くようになる、パゾリーニはこの映画に中世の世界観を持ち込む、すなわち光は世界を照らすというものである、ゆえにこの映画の人々は逆光や真上からの光線により、造形的に正面から絵画的に描かれる、イコンのよう映像なのである。」(翻訳は土肥 秀行氏)

「イエスの三部作」との関連はまた別に書こうと思う。

2019/09/10

ジョル大佐のサングラス── Waiting for the Barbarians

映画の「Barbarians」は「夷狄」でいいのかな?

映画 Waiting for the Barbarians
 ずいぶん前になるが、年末の2日間を費やしてJ・M・クッツェーの出世作 Waiting for the Barbarians(『夷狄を待ちながら』)を再読したことがある。最初に読んだのはキングペンギン版のペーパーバックで Life & Times of Michael K(『マイケル・K』)と2冊まとめて読んだときだったから、1980年代の後半だ。ほぼ20年ぶりの再読だった。
 作品は「帝国」と「夷狄/蛮族」という二項対立で語られることが多いが、それだけではない。あらためて通読していくつかの発見があった。主人公である初老の執政官の、男としての性的欲望の描かれ方のリアリティもそのひとつだ。この作品のほぼ20年後に出た Disgrace(『恥辱』)の初老の主人公の場合のそれと、重なったりずれていたり。そうか、70年代後半(作家は30代後半)に書かれた作品ではこうだったものが、90年代後半(作家は50代後半)ではああなるのか、と興味深く読んだ。もちろん舞台設定が一方は架空の帝国およびその植民地、他方はポストアパルトヘイトの南アフリカで、この違いは大きい。
 再読のきっかけは、わたしより5歳ほど年上の作家から「最後の章は要らないんじゃない?」という問いを受けたことだ。日本語で書いてきた男性の作家である。そのときは返すことばに詰まった。質問の内容を作品に照らして具体的に考え、反証するための情報が頭のなかになかったからだ。いくら好きで読んできた作家だとはいえ、20年前に読んだ作品の細部までは覚えていない。再読して気づいたのは、最終章は要らないどころか物語全体にくっきりとしたパースペクティヴをあたえるために不可欠ということだった。それが確認できたのは大きな収穫だ。なぜ「要らない」とその作家が考えるかもおよそ見当がついた。作品がクライマックスで終わるのを好むからだろう。
 
KingPenguin版
 物語の概要はこうだ。架空の帝国が支配権をもつ辺境の植民地で執政官を長年つとめる主人公(名前はない)のところへ、夷狄の襲来を懸念する帝国の第三局(ロシアの秘密警察を想起させる)からジョル大佐という人物が派遣される。そして夷狄狩りが始まる。ジョル大佐率いる部隊に連行されてきた夷狄の人たちは、人間以下の扱いを受け、尋問され、拷問を受ける。
 父親を殺され、自分も両足を潰され、視野も狂って、仲間に置き去りにされて、物乞いをするしか生き延びる手段のない夷狄の娘を執政官は街から拾ってくる。そして自分の本来の職務は法と正義を行なうことにあるはずだ──と、ジョルの行為や自分の立場をあがなうかのように、娘の足に油を塗り、撫でさすり、寝床をともにする。しかし性交に至ることがない。これまで女をつぎつぎと渡り歩いてきてなんの疑問も持たなかった執政官はそこで、自分の性的欲望について熟考することになる。

 旅籠屋の女たちに対してはなんの問題も生じない。女を「欲望することは彼女を掻き抱き彼女のなかに入ることを意味する、彼女の表面に穴を穿ち、その内部の静まりを掻き混ぜて恍惚の嵐を起こすこと、それから退き、終息し、欲望がふたたび結集するのを待つ。ところが、この女はまるで内部などないかのようで…」(p43)と男の性的欲望が詳らかに言語化される。これはそっくり、新しい土地(日本語では「処女地」などという差別的表現が使われてきたが)に対して帝国が抱く野望や欲望と重なるもので、ある種のアナロジーと読める。これはデビュー作『ダスクランズ』で描かれたあからさまな男の欲望のややソフィスティケイトされた形と読めるだろう。

 クッツェーはこの作品を書くためにモンゴル帝国の歴史を調べあげたといわれているが、確かに、季節の移り変わりと月の関係から、舞台は北半球を想定しているようだ。だが、主人公にも、褐色の肌の夷狄の女にも、名前があたえられることはなく、作中で名前があるのはわずかに3人。ジョル大佐、青い目のマンデル准尉(夷狄の娘をその仲間に返してきた主人公を逮捕して拷問する)、そして旅籠屋の料理女メイである。
 この料理女が不思議な存在なのだ。作品中で最初に登場したときは名前がない。その息子が獄舎に入れられた執政官に食事を運んでくる場面はあるが、その母親に名前があたえられるのは物語が終盤に入ってからだ。これは読んでいて奇妙な感じがする。それまで影のような、顔のなかった人物が突然、固有の名前と表情をもった人物となって、主人公の前にあらわれるのだから。

集英社文庫版
 このメイは、しかし、最終章できわめて大きな役割をはたす。主人公の語りを「聞く相手」──相対化の視点を運び込む役──として、さらに、主人公にはついに聞き取れなかった「夷狄の娘のことば」を聞き取ってきた者として、それを主人公に伝える存在として登場するからだ。唐突に名前をもった人物となる瞬間と、執政官の心理的変化があいまって、物語は一気に眺望が開けてくるのだ。

 物語の流れは、夷狄をめぐる嵐のような一年の出来事を追って描かれる。具体的にはジョルの到来、夷狄の捕獲、夷狄の娘を仲間に返還する旅、主人公の逮捕、さらなる夷狄狩り、拷問、ゲリラ戦で消耗した軍の破滅、大挙して逃げ出す住民たちのエグゾダス、残された少数の人びととの暮らし──といったプロセスをたどり、それまではおもに主人公の内面で生起することば(幻想/妄想も含む)によって展開されてきた物語に、この最終章で、その時間の経過を相対化する視点が入る。それによって主人公の経験と、その結果彼の内面に起きた変化が、ひとつのパースペクティヴのなかにくっきり浮かぶようになる。

 したがって、終章はエピローグとして機能し、物語はクライマックスで終わることなく、頂点を冷静に見つめる視点で終わる。そして視界は一気に見通しがよくなる。これはクッツェーのすべての作品に見られる、きわめて重要な特徴である。この章を読んでひとつのレッスンを修了し、クッツェー作品を読む醍醐味を味わうことができる流れなのだ。
 作品のタイトルWaiting for the Barbarians は、クッツェー自身が明かしているように、カヴァフィスの詩から採られている。コンタンティノス・P・カヴァフィスは1863年にエジプトのアレキサンドリアで裕福なギリシア人貿易商の家に生まれているが、一家の根拠地はコンスタンティノープルだった。それで思い出すのは、ランサム・センターに移されたクッツェーの草稿である。じつはクッツェーは第三作目をコンスタンティノープルを舞台にした世紀末的な暗いラブストーリーとして書きはじめた。しかし当時、南アフリカで起きたスティーブ・ビコの拷問死事件のためか、それを破棄してあらたに書かれたのがこの作品だった。その経緯はデイヴィッド・アトウェルの研究などで詳細が明らかになっている。

ジョンとジョナサン,アデレードで,2014
 作家自身のこの作品への言及は『ダブリング・ザ・ポイント』のインタビューにも見られ、当時の南アの監獄で起きていることに対する、病理学的応答として書いた作品だったと述べている。
 さらに2019年3月末に、オーストリア北部のハイデンライヒシュタインという町でクッツェーをフィーチャーした文学祭「霧のなかの文学」が開かれたとき、クッツェーは「この作品は現在とパラレルなのだ」と述べ、いわゆる野蛮に抗する側が野蛮になっていく、と現代の対テロ戦争を批判した。

 じつはこの作品の日本語タイトルは翻訳上の問題を抱えている。「barbarians」をどう訳すかだ。英語のbarbarianの語源はギリシア語の「バルバロイ」、「わけのわからないことばをしゃべる者たち」という意味だが、手元にあるOED(オクスフォード英語辞典簡略版)を引いてみると「(古代に)(ギリシア・ローマ人やキリスト教徒を中心とした)偉大な都市文明に属さない人たち」とある。つまり「野蛮人」。日本語タイトルに使われた「夷狄」を辞書で引くと、古代中国で漢民族を中心にした「東の未開国を夷、北のそれを狄」と呼んだことが始まりとある。

 ここで、14年11月にアデレード大学で開かれた「トラヴァース・世界のなかのJ・M・クッツェー」の初日に、非常に興味深い問題提起がなされたことをお伝えしたい。基調講演でステージに立ったのはシカゴ大学の哲学教授ジョナサン・リアで、そこで扱われたのがこの Waiting for the Barbarians だった。
 ジョナサン・リアは、シカゴ大学社会思想委員会のメンバーだったクッツェーがノーベル賞受賞の知らせを受けたときいっしょにいた長年の友人で、彼はまずそのときのエピソードに触れて場内をなごませた。ノーベル財団がクッツェーに連絡を取ろうとしたが、本人はそのときケープタウン大学ではなく、シカゴ大学で教えていた。財団から連絡を受けたシカゴ大学の誰かがリア教授の電話番号を教えてしまったので、突如として彼の電話がひっきりなしに鳴りはじめた。前夜、リア夫妻はジョンとドロシーと4人でディナーをともにしたところだった──といったエピソードはシンポジウム参加者の大方が知っていたが、重要なのはそこではなくて作品をめぐる彼の問題提起である。
初期2作のシナリオ, 2014刊
 この作品は一般に、架空の土地を舞台にした、時代も不特定の小説として読まれることが多いが、それは違う、とリア教授はいうのだ。「注意深く読む」と、冒頭にちゃんと年代が書き込まれている、決め手は第三局からやってきたジョル大佐がかけていた眼鏡なのだと。この作品の書き出しを見てみよう。

I have never seen anything like it: two little discs of glass suspended in front of his eyes in loops of wire. Is he blind? I could understand it if he wanted to hide blind eyes.  But he is not blind. The discs are dark, they look opaque from the outside, but he can see through them.  He tells me they are a new invention.

「そんなものは見たことがなかった。彼の両眼のすぐ前で、2つの小さなガラスのディスクが、環にした針金のなかに浮いている。彼は目が見えないのか? 見えない目を隠したいというならわかる。だが彼は盲目ではない。ディスクは黒っぽく、はたから見れば不透明だが、彼からはそれを透してものが見える。新発明なんだそうだ。」

 これはもちろんサングラスのことだが、サングラスという語は使われていない。執政官はジョル大佐から「新発明」との説明を受ける、と書かれているところに注目すべきだとリアは語った。サングラスが発明されたのは20世紀に入ってからだ。だから、じつはこの物語にはしっかり時代が書き込まれている、つまり時代はわれわれの2代、3代ほど前にすぎないと。もうひとつ、この作品は「夢のよう dreamlike」と言われることが多いが、「夢 dream」ではなくあくまで「夢のような dreamlike」であり、「夢のように」場所や時間が特定しにくいことが重要なのだと。なぜか?

 考えてみると、この作品が発表された1980年、南アフリカには厳しい検閲制度があり、検閲官がちくいちテクストを読み、発禁にするかどうかを決めていた。前作の『In the Heart of the Country/その国の奥で』が、通常なら一人の検閲官が審査するところを3人の検閲官によって詳細に検閲された事実が、今世紀になって明らかになっている。どのように書けば発禁にならずにすむか、作家自身も頭をひねりながら書いていた時代だ。検閲官が容易に判定できる語の明記を避け、架空の帝国と植民地、時代は特定できない作品と思わせながらじつは作者は、最初のページに時代をしっかり忍び込ませていたのだ。
 リア教授の基調講演を聴きながら、ある疑問がふつふつとわいてきた。日本語訳のタイトルで「夷狄」と訳したのは、はたして適切だったのか。「夷狄」とは19世紀までの中国で、漢民族を中心とした中央勢力から見た外部民族への蔑称である。したがって「夷狄」と銘打たれた小説を読む者は、否応なく19世紀以前の時代へと導かれ、物語の舞台として東アジアのある特定地域を思い浮かべる。つまり過去の物語を読んでいることになる。
 リアの指摘に沿って時代を考えるなら、それでいいのかという問いが浮かんでくる。クッツェー自身も「現代とパラレル」と発言している。古典の翻案ではなく、同時代を生きる作家の作品の翻訳である。Barbarians は不特定な「蛮族」と訳すべきだったのかもしれない。
 しかし邦訳の出た91年、あるいはノーベル賞受賞後に文庫化された03年、日本語読者は「夷狄」という聞き慣れない語に、耳をそばだて関心を持ったという事実もまた否定できない。すぐに東アジアと理解できる人たちにとっては聞き慣れた語だからだ。したがってこれはひどく悩ましい問題にならざるをえない。しかしノーベル文学賞受賞後は、3度の来日もあって、クッツェーの名前は一般にも知られるようになり、作品についても詳細に論じられるようになった。同時代をともに生きる作家の意図をあたうるかぎり伝えることが訳者、編者に求められる姿勢だとするなら、「夷狄」という訳語はこのままでいいのかといういう問いは残る。悩ましい。

 ちなみに、この作品はコロンビアの映画監督シーロ・ゲーラによって映画化され、2019年9月にヴェネチア映画祭で上映された。ロケ地はモロッコの砂漠、イタリア、チリで、執政官をマーク・ライアンス、ジョル大佐をジョニー・デップ、マンデル准尉をロバート・パティンソンが演じている。重要なのなシナリオをクッツェー自身が書いていることだ。日本公開も楽しみだが、ちょっと気がかりなのは日本語のタイトルだ。モロッコやチリを舞台にしてヨーロッパ系の俳優たちが演じる物語に「夷狄」は無理だろう。18年に出版された池澤夏樹訳『カヴァフィス全詩』(書肆山田刊)でも、この詩は「蛮族を待ちながら」と訳されている。映画はやっぱり「蛮族を待ちながら」がいいんじゃないかと思うのだが、どうだろう。

***
クッツェー自身がこの作品の冒頭部分を朗読している動画を最後に埋め込んでおく。

2017/08/29

7月のミラノ──映画狂 J・M・クッツェーと3本の長い映画


 ミラノで7月7日、ラミラネシアナという総合文化祭でJ・M・クッツェーが映画を3本上映しながら講演する、というニュースが入ってきたのはいつだったか。

 その3本とは:
 ・黒澤明監督の「七人の侍」
 ・サタジット・レイ監督の「大地のうた」
 ・ピエロ・パオロ・パゾリーニ監督の「奇跡の丘」


 フェスの様子がイタリアの新聞に掲載された、La Lettura という新聞の日曜読書欄別冊300号記念の分厚い号で、 3本の映画についてクッツェーが書いているという。イタリア語なのでまったく読めない。ところが「世界文学・語圏横断ネットワーク」の事務局をつとめる土肥秀行さんが電子版を定期購読していて、ページ画像を送ってくれたのだ。日本語の概略までつけて。ありがたきかな、とはこのこと! さっそくこのブログでシェアしようと思う。

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 序として、
40年前にロンドンで映画を観ていた、昔は映画が一番身近な芸術で、世界中の若者が同じ映画を観ていた、いまもそうだろうが20代は影響されやすいもの、だから自分が影響が受けたものーそれは今の映画よりもアンビシャスだったーを紹介する。

『大地のうた』について──
ベンガル地方の言葉で撮られた映画で、世界中で有名になったものの、インドのなかではマイナーである、サタジット・レイは裕福な家の生まれで、イタリアのネオレアリズムやクロサワに影響を受け、カルカッタ郊外の田舎を舞台にした、「さまよう」という言葉がふさわしい撮り方と語り方である、インドでは右派からも左派からもたたかれた、彼自身「普遍的な人道主義」に根差したとコメントしていたから余計たたかれてしまった、(クッツェーがひきつけられている点として)ブレッソンのように人とモノが対等に溶け合う映像である。
『七人の侍』について(3本のなかでもべた褒め)──
筋は単純だが、現代的なテーマを抱えていて、一次的にサムライを雇って悪者を駆逐した農村はその後どうなるのか、また別の悪者があらわれたらまたサムライを雇うのか、それとも常備軍を整えるのか、農村にそんな余裕があるのか、それにそんなことをしたら軍人層に圧迫されないか…といった疑問を生じさせる、時代背景としては日本がアメリカ統治期に「時代劇」が戦中の「武士道」を煽ったため禁止されていた、しかし軍政下でも「時代劇」は前近代的なものとして制限されていた、「時代劇」の復活は、戦後の日本の大変革を後押しするために行われた、笑いや恋愛を交えて展開していくクロサワの語りはシェイクスピアに匹敵する、ベストな俳優たちがベストな演技をみせている、特にミフネは道化的かつ悲劇的ですばらしい。

『奇跡の丘』について──
弱き者と抑圧されき者に寄り添うマタイ伝を忠実に映像化しようとした、イエスは超人的に描かれる、それはパゾリーニのイエス観にもとづく、神話を再現しようとしている、当初撮影が予定されていたパレスチナはイスラエルの意図により聖性が取り去られていて、南部イタリアに変更された、そこは先進国のなかの第三世界であり抑圧された土地だった、人々の慎みは聖地がもっていたものと同じである、その慎みと聖性は、現代のパレスチナのように、失われていくものだった、パゾリーニはのちにそれを嘆くようになる、パゾリーニはこの映画に中世の世界観を持ち込む、すなわち光は世界を照らすというものである、ゆえにこの映画の人々は逆光や真上からの光線により、造形的に正面から絵画的に描かれる、イコンのよう映像なのである。
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 どれもいかにもクッツェーらしいコメントである。「七人の侍」については『Diary of a Bad Year/厄年日記』(2007)の巻頭を飾る章「国家とはなにか」で詳述しているし、「大地のうた」も「奇跡の丘」も『青年時代』に出てくる。ロンドン時代に映画を観ることが唯一の気晴らしだったコンピュータプログラマーのときの話である。とりわけ、インド映画の音楽に心身ともに揺さぶられたこと、母親と息子の関係の描きかたなどが心に残ったこと、が書かれていた。
 しかしなんといっても「奇跡の丘」を観たときの体験が印象深い。政教一致の南アフリカで彼は教育を受けた。それまでに心身ともに染み込んでいるキリスト教文化の土埃を足から振り払ったつもりが、そうではなかった、最後に近いシーンでキリストの両手に釘が打ち付けられる一瞬一瞬に身体がぶるっぶるっと震えたこと、見終わったときは不覚にも涙が出てきたこと、などが体験として述べられていたのだ。

 このへんのことが、いま彼が書いている「イエスの連作」とどう関連するのか。


 いずれにしても、上の映画評はたんなる印象評ではなく、それぞれの映画が制作された時代背景や、そのときどう評価されたかまで含めて、概略ながらじつに的確な論評である。全文をぜひとも英語のオリジナルで読んでみたいものだ。


Grazie mille, Doi-san!



2017/08/03

彷徨える河──やっと観た、面白かった!

 エアコンを入れた途端にぐんと涼しくなって、プチ夏休みも最後の日。
 昨年の秋に観そびれていた映画をDVDでようやく観た。

「彷徨える河」 監督シーロ・ゲーラ

 日本公開のための予告編に、これまた定番のように『闇の奥』なるラベルがペタッと貼ってあったので、なんだかなあ、と思っていたけれど、信頼できる複数の人たちが「いい映画だよ」「面白いよ」といっていたので観に行こうと思ってはいたのだ。でも、昨秋は結局時間がなくて映画館に足を運べなかった。だからDVDになると聞いて注文しておいた。それが今日とどいた。さっそく観た。

 いやあ、面白かった。(それでふたたび『闇の奥』はやっぱり不要なラベルだと思ったんだけれどサ。)2時間あまりのモノクロ映画で、最後に少しだけカラーの映像が入る。この間、まったく見飽きなかった。途中で喉が渇いてきたけれど、一時停止ボタンを押す気になれなかった。ちいさなPC画面ではなく、やっぱり映画館の大きなスクリーンで観たかったなあとあらためて思った映画だった。

 なかなか良いレビューが密林(!)のサイトに載っているので、興味のある方はそちらへ。

 シーロ・ゲーラというコロンビア出身の若い映画監督は(なんと1981年生まれか!)これからJMクッツェーの『Waiting for the Barbarians』を映画に撮る予定。(2018年に撮影して、リリースされるのは2019年の予定だそうだ。)
 若いころから映画狂のクッツェーが、あのBarbarians を映画化する許可を出した若い監督の作品とあって観たのだけれど、出てくる人たちの描き方に、いたく納得した。こうなると、Barbarians の映画もすごく楽しみになってきた。わくわく。

2017/02/20

映画『レッド・ダスト』をDVDで観る

ひっさしぶりに映画を観た。DVDをPCで。それも何年も前に買ってあったDVDだ。そして、いわく因縁つき──というのは古いPCのドライヴに入れたところ取り出せなくなって、そのままDVDはマシンともども、昨年永遠の眠りについて、結局、新しく買い直したディスクをやっと観たのだった。いや、これが予想以上に面白かった。

南アフリカの真実和解委員会の話である。ジリアン・スロボ原作の小説を映画化したものだけれど、制作の途中でスロボは手を引いてしまったという話だけは耳にしていたので、これまたいわく因縁つきの映画だ。
 ジリアンの父はジョー・スロボ、母がルース・ファースト、いずれも70年代から「超」がつくほど有名な白人の反アパルトヘイト活動家だった。ジョー・スロボは南アフリカ解放後のマンデラ政権で1994-95年の短期間、大臣を務めたりしたが、ルース・ファーストは国外に出てモザンビークで活動していた80年代に、アパルトヘイト政権のセキュリティ・ポリスが送りつけた手紙爆弾で殺されたのだ。その実行犯が真実和解委員会で恩赦によって罪を問われなかったという経験をもとに、娘のジリアン・スロボは小説を書いた。それがこの映画の原作になった『レッド・ダスト』だ。
 
 映画は監督がイギリス人のトム・ホッパー。主演がチウェテル・イジョフォーとヒラリー・スワンク。ロケが東ケープ州のヒラーフ・ライネットで行われている。グレート・カルーの赤土の風景や、当時のANCの解放歌などが、90年代の雰囲気をそのまま伝えているように思える。

 当時の真実和解委員会の詳細については、もちろん、ジャーナリスとであり詩人でもあるアンキー・クロッホの『カントリー・オブ・マイ・スカル』の右に出るものはないけれど、映画はまたそれとはちがうものを圧縮したかたちで伝える手段だから、これはこれで面白かった。それにしても原作の小説は2000年、映画は2004年に出ているのだから、ずいぶんと時間が過ぎてしまったものだ。いや、時間が過ぎたために、かえって感情ぬきで記憶をパンフォーカスして理解できるところがある。それもまた面白い事実かも。


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2.22付記:facebook でつぶやいたことをこちらにも備忘録のために──

「南アフリカのアパルトヘイト政権下で、反体制派だというだけで逮捕され、拷問されて死んだ10代の若者をめぐる「真実和解委員会」のやりとり。そのやりとりをめぐって、当時の警察官とその上司がどんなことをしていたかがあきらかになっていく。田舎町で起きた事件、すさまじい拷問だ。アフリカーナ抵抗運動という白人極右派のふる旗がナチの卍の変形模様であることも思い出した。米南部でつい先日もふられていた旗にそっくりな。。。。
昨日この映画を観ながら、これは過去のことではなく、あるいは、これからの日本(戦前の日本も)、これからのアメリカ(これまでも、南部で起きたリンチ)など、もっぱら「これから」の世界が直面する(見えない状態のまま?)ことではないかと背筋が凍る思いに何度か襲われた。
アパルトヘイトと拷問が、世界中を取り巻く時代がやってくるのだろうか」

2015/12/16

2012.4.24の投稿がなぜか2015.12.16の日付に??──ローレルの花とオリヴァー・シュミッツ監督

曇り空がつづいたあと、からりと晴れて光がまぶしい。今年もローレルの花が咲いた。いつもより一週間ほど遅い。桜とおなじように。

 数年ぶりに書棚の整理をした。古いペーパー類も選り分けて捨てた。

 古い南アフリカ関連のファイルのなかから、映画「マパンツラ」の監督、オリヴァー・シュミッツさんの写真や手紙が出てきた。1990年にアップリンクが映画上映にさいして、監督を日本に招待した。彼がフリーの一日、当時の仲間と鎌倉山にのぼった。そのときの写真だ。オリヴァーさんの若いこと! もちろん、ほかの人たちも。

 クッツェーの『マイケル・K』の翻訳が出た翌年だった。オリヴァーさんはあの作品のことを、はにかみながら「I love it!」といった。電車のなかでつり革につかまった姿勢でそういった彼の横顔が、写真を見ていると、ありありとよみがえる。「友だちがあの作品を映画化しようとしたんだけれど、うまくいかなかった」とも語っていた。1960年生まれで、ケープタウン大学を出ている彼は、きっと、クッツェーの授業にも出ていたのだろうなあ。いまになってみれば、もっと話を聴いておけばよかったと悔やまれる。
 
 グーグルで検索してみると、新しい作品がいくつか出てきた。DVDになっている2本をさっそく注文した。「Hijack stories」と「Life, above all」だ。「なによりも、生命」は最近の南アフリカを描いた作品らしい。楽しみ!

 そういえば、まだネット書店もないあのころ、「なにか南アの本で必要なものがあったら送ってあげる」というご好意にあまえて、ズールー語の辞書を送ってもらった。分厚いその辞書はいまも手元にあって、ときどきお世話になっている。

2015/03/18

「パプーシャの黒い瞳」、映像の美しさに溜め息

白黒の映像って、こんなに美しかったのか! と思いながら、久々に映画を堪能した。

 昨日は『パプーシャの黒い瞳』の試写会のため、6月の陽気のただなかを六本木まで足を運んだ。20分ほど前に到着したにもかかわらず、入ってみると客席はほぼ満席。最後に残っていた席をようやく確保した。
 130分を超える作品なのに、少しも飽きずに、むしろ最後まで食い入るように観入ってしまった。帰ってからも、あのシーンはここと繋がっていたんだ、最後のシーンで頭のシーンに戻るのか、といろいろ思い出しては、パンフレットで確認したり、以前訳したイザベル・フォンセーカの『立ったまま埋めてくれ』(青土社刊)を引っ張り出して、映画の主人公となったパプーシャ自身の写真(下)をしみじみと凝視したりした。

 そう! この映画は1900年代初頭に生まれたポルスカ・ロム(ポーランド・ジプシー)の女性、ブロニスワヴァ・ヴァイス(愛称パプーシャ)を扱った映画なのだ。フォンセーカの『立ったまま埋めてくれ』はこのパプーシャをめぐるエピソードから始まる。彼女の歌の歌詞をめぐる思い出は随分前だけれどブログにも書いた。

 1989年から共産圏諸国が大変動を迎えたあと、フォンセーカは東欧のロマ社会を何度も旅する。ジプシー/ツィガン/ヒターノ/ツィンガリ/ツィゴイナー/ツィガーニ/ツィカン/アツィンガノイ、と言語によってさまざまに呼ばれてきた人たちの共同体に住み込み、歴史を調べ、一冊のルポルタージュを仕上げた。その結果、「流浪の民」というステレオタイプで語られる彼らが、どれほど多様な存在であるかが明らかになった。英語で書かれたその本は欧米で長期にわたってベストセラーを続けた。

 ジプシーは文字をもたない民族だった。この映画の主人公パプーシャは、でも、文字というものがあることを知り、それを覚えたかった。父親に怒られ、殴られても、土地の女性に「文字を教えて」と鶏や卵を授業料として持ち込んで文字を覚えた。その切実さはどれほどだっただろうか。ポーランド語の文字を覚え、その文字を使って、ジプシーのことば(ロマニ語)の歌や物語を書いていった。紙に。パプーシャより14歳ほど若いイェジ・フィツォフスキというポーランド人が、それをポーランド語に翻訳し、ポルスカ・ロムの歴史も書き添えて出版する。それが栄光と悲惨と呪いを運ぶ始まりだった。

 映画は、反体制活動家のイェジが逃げ込んでくる場面や、焚き火を囲んで詩や記憶をめぐってパプーシャとやりとりをする場面などが、含みをもった映像で示される。
 ジプシー社会を描く手法も面白い。新聞に載ったパプーシャの記事を見せられた少年(パプーシャがホロコーストの殺戮現場から拾って育てた子)も、夫も、最初は喜びながら、ジプシーの掟に反すると咎められると、手のひらを返したように反感をあらわにする。みんながパプーシャたちを仲間はずれにする。パプーシャは精神に異常をきたして八カ月入院。手書き原稿をすべて焼き払ってしまう。
 ほかにもジプシー社会の特徴を、核心を押さえながらそれとなく表現する場面が光っていた。もちろん、マジョリティとしてのポーランド人の差別的な態度、ナチのジプシーへの迫害、ポーランドがジプシーにとった強制的定住化政策、そして最終的には国家の文化内に取り込まれていくようすも、じつに抑制のきいた調子で描き出されている。

 とりわけ映画の冒頭で、オーケストラと合唱団が彼女の歌を曲にして演奏する場面で光るのは、国家の記念すべき催しに引っ張り出され、無理矢理ドレスに着替えさせられて隣席するパプーシャの苦渋に満ちた表情だ。それを最終場面とリンクさせる構成には溜め息が出た。
 その最終場面とは、灰色の雪原をとぼとぼと進む小さなキャラバンが、分岐点で左と右に分かれていく象徴的なシーンなのだけれど、ここで使われる音楽がジプシー音楽ではなく、オーケストラによる最初の場面の音楽なのだ。ジプシー音楽で有無を言わさず観客の情動に訴えかけて盛り上げる手法をとらずに、パプーシャの歌は、こうして歴史的な記録/取り込み/が行われた、と暗示する。余白を残し、余韻をかもし出しながら、少し距離をおいて、あくまで残された資料を想像力で補いながら歴史的事実を淡々と描こうとする姿勢といえるだろう。この映画のすばらしさは、おそらく、ここにある。映像による詩の響きとはこういうことかと思った。

 考え抜かれた構成の映画でもある。大きくシーンが変わるたびに必ず年代が字幕にあらわれるのが特徴。年代が前後するのだ。そのたびに、いまパプーシャは29歳、とか、39歳、と考えながら観た。パプーシャは少女役と成人した女性役の二人の女優によって演じ分けられるのだけれど、成人女性のパプーシャ役を、ジュリエット・ビノシュを思わせる女優が演じていたのが印象的だった。

 15歳で意に染まぬ結婚を強いられたパプーシャの人生では、「希望」や「願望」の裏に必ず「諦め」が織り込まれていたのかもしれない。わずかながら残っている彼女の詩にも、この映画にも、一貫して運命的な諦観が通奏低音のように流れている。狭い共同体に閉じ込められずに、どれほど外の世界へ飛び出したかっただろう。世界全体をその目で見たい、文字によって知りたい、とどれほど願ったことだろう。それを思うと身を切られるように切ない。それでも彼女の作品は、少ないながら、残っている。そこがアイヌ民族の詩人、知里幸恵との大きな違いだろうか。金田一京助とイェジ・フィソフスキを思わず比較してしまった。

 映画は1900年代初頭に生まれた一人の女性が生きた時代を、燈台のように照らし出しもするが、思えばカリブ海の小さな島で、1937年に生れたマリーズ・コンデの母の母は、文字を知らない人だった。この日本でも、1919年に旧植民地北海道に生れて銃後の看護婦を担わざるをえなかったわたしの母の、その母は文字を知らない人だった。20世紀とはそんな時代でもあったのだ。そんな想像の翼を広げさせる映画である。4月4日から岩波ホールで上映開始。

 この映画、もう一度、観てみたい。

2014/05/20

映画「半分のぼった黄色い太陽」の予告編



合州国ではすでに上映されているようですが、ナイジェリアでは、なんと、上映が無期限延期となったままです。女生徒誘拐事件が解決されるまでは、無理なのでしょうか。

 日本で上映されるのはいつなんだろなあ。

2013/08/01

またまた新しいショットが公開されました

このところ、いろんなところで話題になっている(と局地的に思っている/笑)映画「半分のぼった黄色い太陽」のfacebook で、新しいショットが2枚公開されました。
 たぶん、オランナがオデニボの家のパーティーで、アデバヨに紹介されるところでしょう。非論理的な美人、といわれた場面!



2013/07/26

映画「半分のぼった黄色い太陽」からのスティル

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ原作の映画「半分のぼった黄色い太陽」から、公表されたスティルを何枚かここでもシェアします。




2009/06/12

「オン・ザ・ルンバ・リヴァー」──ジャック・サラザン監督

「On The Rumba River」──by Jacques Sarasin

旧ザイール、現コンゴ民主共和国の音楽については「リンガラ」くらいしか思い浮かばない「シロウト」ですが、ルンバと呼ばれるキューバ発祥の音楽には、もちろん、いろんなものが含まれているのは知っています。根幹には、アフリカから大西洋をわたった人たちが創り出した「アフリカン・アメリカン文化」があります。
 この映画は「ルンバ・リヴァー」という語がタイトルに入っていますが、出てくるのはコンゴ川です。つい最近まで地図にはザイール川とも書かれていました。そこに浮かぶ、いまにも壊れそうな、旧式の船がなんとも印象的。

1960年前後、コンゴは独立のために、初代首相になったルムンバを初めとして多くの人が血を流しました。この映画の主人公、ウェンド・コロソイは1920年代の生まれで、独立当時は一世を風靡していたミュージッシャン。ところが、動乱のとき彼は逮捕され、ルムンバは殺されてモブツが大統領になった。以来、音楽の世界から遠ざかっていた彼が、モブツ亡きあと、音楽シーンへ復帰する。この映画はその物語を「記録」しています。
 なかなか一筋縄ではいかない映画ですが、コンゴ川対岸のブラザヴィルから盟友が背広にネクタイ姿でぴしっと決めて、ウェンドを訪ねてくるあたり(ウーン、どんなドラマが背後にあったのかなあ、いま彼はなにをしているのかなあ、と思わず考えてしまいましたが)、複雑な歴史的背景がここには埋もれていることが推測できます。

 それにしても、「コンゴは内戦によって400万人の人が死んだ」と字幕が流れると、打ちのめされる思いがします。ものすごい人数です。90年代、あるいは2000年以降も紛争は続いていますから。それが外部に適切に報道されるかどうかを決めるのは、決して巻き込まれた人たちの「数」ではないことを、この数字はよくよく物語っている。
 
 とはいえ、この映画には貴重なシーンがたくさんあります。道路で遊ぶ子供たちの姿が一瞬、見えたり、家々の軒先に綱から下がるたくさんの洗濯物、ポリバケツ、鶏肉の煮物、でっぷり太ったアフリカンママたちが着る素敵なプリントのドレス、壊れそうな家々の壁にペンキで描かれた「SHOP」という文字、ずらりとならぶ錆びたトタン屋根、ごぼっと穴のあいた下水路、ゆったりと流れる広い川の水に揺れながら川下へ押し流されて行く植物。そういった、一見どうでもよさそうな細部が、私にはとても面白かった。屋外のカフェ風のテーブルにならぶ白い椅子が、ハイチの街角の椅子とそっくりおなじ、というのも面白かった。フランス製なんでしょうか。

 ちなみに、先月出たばかりの『世界中のアフリカへ行こう』には、この国出身の在日コンゴ人、ムンシ・バンジラ・ロジェさんの貴重な話「コンゴはどうして貧しいか」が載っています。