Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2019/02/13

ナディン・ゴーディマの『夷狄』への感想

備忘のために、ナディン・ゴーディマが1980年ころにJMクッツェーの作品について述べたことばを記録しておく。ペンギンから送られてきた Waiting for the Barbarians のアドヴァンス・コピーを読んだゴーディマは、その感想を乞われてこう書き送った。

「JMクッツェーの視線は存在の中枢を射抜く。そこで彼は多くの人が自分について知る以上のものを見つけて、それを、有能な作家のもつ、緊張と優雅さという熟達の技で伝えてくれる」

”J.M.Coetzee's vision goes to the nerve-centre of being.  What he finds there is more than most people will ever know about themselves, and he conveys it with a brilliant writers mastery of tension and elegance.”

J・M・クッツェー作品の電子化が進んでいる

しばらく前から、じわじわっと来てるな、来てるな、とは思っていたけれど、今朝しらべてみて、おおおっ! と声をあげてしまった。

 J. M.クッツェーの小説のほぼすべての作品がKindleになっているのだ。英語のオリジナル版のことだけど。オースターとの往復書簡集『ヒア・アンド・ナウ』も! イエスの連作は2冊とも! 自伝的三部作もそれぞれ単独版はまだのようだけれど、3作1巻本はKindle化されている。
 
 例外は Diary of a Bad Year。あの三段ポリフォニックのレイアウトを電子版にする技術はまだ開発されていないのかもしれない。
  以前、電子版になったものをダウンロードしたけれど、ちょっと悲惨だった。3段の中身がごっちゃになってしまい、切れ目がわからないのだ。しかしよく調べてみるとこの作品はスペイン語版は電子化されている! う〜ん、買ってみないとどんなレイアウトになっているのかわからないけれど、できないわけじゃないんだな。

 エッセイ集はどうかな、と見てみると、なんと最新エッセイ集Late Essays までKindle化されている。それ以前のエッセイ集では、検閲制度について論じたGiving Offense のKindle版が出ているが、そのほかはどうやらまだらしい。でも、おそらく、順次そうなっていくのではないか。
 初期の Doubling the Point や White Writing が早く電子化されないかなあ──と。小さな活字がだんだん苦手になってきた身としては期待がつのる。



2019/02/09

お誕生日おめでとう、ジョン!

今日は、J・M・クッツェーの79回目の誕生日です。

 お誕生日おめでとう!

古巣のシカゴ大学で 2018.10.9
昨年のいまごろは、くる日もくる日も『モラルの話』の翻訳作業に明け暮れながら、
これまでのジョン・クッツェーの仕事について考えていた。
今年もまた、この作家が最初の小説を発表した1974年から
80年代後半までの南アフリカの検閲制度について、
調べたり、読んだりするうちに
夕暮れになった。
東京郊外の外では雪が降っている。ここは北半球だからね。
でもあなたの生まれた南半球では、いまは夏。
そんな夏の日に、ケープタウンの
モーブリーにある産院で、
あなたは生まれた。

昨年ここに書いたものを再読して、再度アップすることにした。
だって、そこに訳者であるわたしがいいたいことは
ほぼすべて書かれていたから。

*****

 人は生まれる場所も、生まれる時代も選ぶことはできない、とあなたは言った。そのことばでどれほど多くの人が、少しだけ自分の肩から荷をおろすことができたか。
人は生まれてくるとき、その親を選ぶこともできない、とあなたは言った。そのことばでどれほど多くの人が、こうしていま自分がこの世にあることには、どう努力しても自分の力だけでは変えられない部分があるのだと認めることができた。
ならば、その立脚点から最善を尽くせばいいと知ったのだ。
それは諦めにも似ているけれど、それだけではない。

 もちろん、特権的な立場にいることに盲目であっていいわけはない。ヨーロッパ系の、白人で、男性であるあなたは、その盲目性をとことん自問する作品を書いてきたように、私には思える。恵まれないと思ってきた自分が、広い視野から見てみれば、相対的には恵まれた立場にあることに気づかせてくれる、
その「広い視野」へ出ることをあなたの作品群は教えてくれるのだ。

 作家としてのあなたの姿勢は、
必要以上の富をもとめる強欲が地表をおおう、この心の氷河期に、
希望という埋み火を、個々人の胸のうちに掘り起こそうとする営みに似ている。

 Muchas gracias, John Coetzee!

2019/02/08

ブラボー! サンドラ・シスネロス!

おお! サンドラ・シスネロスが PEN/Nabokov Award for Achievement in International Literatureを受賞!というロサンゼルス・タイムズのニュース


Congratulations!  Bravo, Sandra Cisneros!

短編集『サンアントニオの青い月』も近々に白水社Uブックスから復刊しますので、みなさん、待っててくださいね〜〜〜!!

2019/02/06

フランス24のインタビューに答えるアディーチェ

またまたアディーチェの動画です。今度はワシントンから。
 まず、いまは批判的にものを考えることが絶対に必要で、ソーシャルメディアをどう使いこなすかはその人自身にかかっている。これまで書いた小説について、『アメリカーナ』はシネマ・ヴェリテのやり方を借りた。などなど、とても興味深い内容です。



さらに、トランプ大統領になってからのアメリカ国内で、レイシストでもOKというメッセージが出て、それがどれほど問題かと語ります。「トランプはアフリカ諸国のビッグマンといろんな意味で似ている」と。

 作家であることと、社会や政治や歴史の問題にはっきり発言することを真正面から引き受けて、明解に語るアディーチェの姿がここにあります。オススメの動画です。
 低くて安定したアディーチェの声がよりいっそう魅力的になってきました。
 

2019/02/04

アディーチェ:カルタヘナのネルソン・マンデラ地区で女性たちと

ヘイ・フェスティバルの公式サイトに、土曜の夜、そして日曜の朝、アディーチェが行ったスピーチのまとめがアップされました。
 
まんなかにアフロヘアで笑顔のチママンダが
土曜の夜のステージでは、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』とアディーチェが書いた歴史小説『半分のぼった黄色い太陽』の関連付けをしながら、「ジャーナリズムと文学」について語ったアディーチェ。

"Journalism is the work of the diligent carpenter, and fiction the mad artist. But writing a novel, you must be both."

「ジャーナリズムは熱心な大工職人の仕事、フィクションはマッド・アーチストの仕事。でも小説を書くときは、その両方でなければいけない」これは巧い言い方です。

 翌朝のネルソン・マンデラ地区でのスピーチでは、マジョリティである黒人女性たちに向かって、女性としてさまざまなありかたのままで美しいと思うよう呼びかけた、という内容です。コロンビアの黒人人口は全体の20%近く、米国の15%弱にくらべてかなり多いです。『サヨナラ』という邦題で訳されたラウラ・レストレーポの Novia Oscura の主人公を思い出します。色の浅黒い恋人。

 詳しくはここで! この記事は英語です。

カルタヘナのチママンダ・ンゴズィ・アディーチェ

ヘイ・フェスティバルようす
 今年も1月末から2月頭にかけて、コロンビアのカルタヘナでヘイ・フェスティバルが開かれました。ゲストにチママンダ・ンゴズィ・アディーチェが招かれて、話題になっています。

 EL PAÍSのインタビューで、アディーチェ自身は「自分はフェミニズムのイコンなどではない」と明言する記事が、スペイン語ですがここで読めます


この記事で注目すべきは、アディーチェがアメリカスのブラックに対して強い関心を示していることです。アメリカ、ではなく、アメリカスです。つまり、南北アメリカ全域にわたるNegre/Black について。これはおそらく、次の長編作と深い関係があるのではないかと推察しているのですが。(ちなみにコロンビアの黒人が人口全体に占める割合は20%近く、とのことで、米国の約15%より大きいのですね。)


出版イベントでマイクを握るバスケス
 昨年『シングルストーリーの危険性』がスペン語版になりましたが、それはどうやらスペイン本国のエディションだったようで、アメリカス版が今回あらためて出版されるのを機にイベントも開かれたようです。そのイベントに参加して語るフアン・ガブリエル・マルケスの写真もネット上にアップされました。

 この『シングルストーリーの危険性』はちいさな冊子として日本語でもぜひ出したいものだと思うのですが。