Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2008/06/29

コサックという犬──『少年時代』より

 犬がほしい、母親はそう決める。ジャーマンシェパードがベストね──いちばん賢くて、いちばん忠実だから──でも、売りに出されているジャーマンシェパードはいない。そこでドーベルマンが半分、ほかの血が半分混じった仔犬にする。その子は自分が名前をつけるといってきかない。ロシア犬ならいいのにと思うので、ボルゾイと呼びたいところだが、本物のボルゾイではないので、コサックという名前にする。だれにも意味がわからない。みんなは、コス・サック(食糧袋)という意味にとって、変な名前だという。
 コサックは聞き分けのない、訓練されていない犬だと判明する。近所をうろついては庭を踏み荒らし、鶏を追いまわす。ある日、その子の後ろから学校までずっとついてくる。どうしても追い返すことができない。怒鳴りつけて石を投げると、両耳を垂れ、尻尾を両足のあいだに挟み込み、こそこそ離れていく。ところが、その子が自転車に乗ると、またすぐ後ろから、大股でゆっくりと走ってくる。とうとう、犬の首輪をつかみ、片手で自転車を押しながら、家まで連れ戻すしかなくなる。激怒して家に着いた彼は、もう学校へは行かないという。遅刻したからだ。
 十分に成長しないうちに、コサックはだれかが出したガラスの砕片を食べてしまう。母親がガラスを排泄させるために浣腸をしてやるが、回復しない。三日目、犬がじっと動かなくなり、荒い息をして、母親の手を舐めようとさえしなくなると、母親はその子に、薬局まで走っていって、人に薦められた新薬を買ってくるよう命じる。大急ぎで薬局までいって大急ぎで戻るけれど、間に合わない。母親の顔はひきつり、うつろで、彼の手から薬ビンを取ろうともしない。
 コサックを埋めるのを手伝う。毛布にくるんで庭の隅の土のなかに埋めてやる。墓の上に十字架を立て、その上に「コサック」と書く。もう別の犬を飼いたいとは思わない。みんながみんな、こんな死に方をするはずはないとしても。
         J.M.クッツェー『少年時代』(みすず書房刊)より
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付記:少年時代のクッツェーが南アフリカの内陸ですごしたころのメモワールです。動物への陰湿な暴力を描いたシーンですが、訳したあとも忘れられない場面のひとつです。

2008/06/27

映画『Disgrace/恥辱』のシナリオライターは語る

 J.M.クッツェーの1999年に発表された小説『Disgrace/恥辱』が映画化された。主演がレイフ・ファインズからジョン・マルコヴィッチに変わって(たしか、ファインズの前にも別の候補が噂されていたような…そう! ジェレミー・アイアンズ! この俳優がデイヴィッド・ルーリーを演じるのを見てみたかったナ)、最終的にはオーストラリアのスティーヴ・ジェイコブズ監督、アナ=マリア・モンティセッリ脚本によって完成。撮影は2007年はじめに、ケープタウンとその近郊シーダーバーグで行われ、ケープタウン大学も撮影場所に使われた。
 脚本を書いたモンティセッリは女優からシナリオライターに転じた人で、クッツェーのこの小説を買ったとき、まさか自分がそのシナリオを書くことになるとは思わなかったそうだ。「でも、すぐに、これはすばらしい映画になると思ったの・・・いろんな思想や複雑なものがぎっしり詰まった本だから・・・さんざんスクリプトを読んだけれど、どれも陳腐で意外性に欠けていた。思想ってものがない、というか、自分を見つめさせるような、困難なことに直面させられて、それを否応なく、深く考えさせる論点が含まれていないの」。
 映画を監督したスティーヴ・ジェイコブズはモンティセッリの夫。「THE AUSTRALIAN/2007年7月18日付」に彼女のインタビューが掲載された時点で、2008年の公開に向けて、映画はポストプロダクションの最中だというから、フィルムはすでに完成したと考えていいのだろう。

 アパルトヘイト撤廃後の南アフリカを舞台にした小説『恥辱』の主人公は、「大学改革」に失望した大学教授だ。教えている女子学生のひとりを誘惑したことをきっかけに、彼の人生は混乱のきわみに陥る。モンティセッリによると、このキャラクターは彼女に、映画のなかで、男の欲望と、権力と、偽善を深くさぐりたいと思わせたという。アフリカで映画を製作したいと思っていた、モロッコ生まれのモンティセッリは、映画『恥辱』でその夢がかなったわけだ。

 英国の映画製作会社のいくつかが、この小説の映画化権についてオプションをもっていたため、その期限が切れるのを待って、彼女はこの物語の映画化を熱望する人たちの列に加わった。もちろんその前に、原作者クッツェーに自分のシナリオライターとしてのデビュー作「ラ・スパグノーラ」(2001)を観てもらい、強い印象をあたえておいた。

「わたしにとって最も重要なことは、この本を歪曲しないこと、素材に誠実であることだった」と彼女は述べている。「シナリオを書くための決め手は、登場人物たちがなぜその行動をとるのか、彼らがどのように考えているのか、そのような状況のもとで生きるのはどういうことか、それをきちんと理解することだった。良いスクリプトを書くのは本当に大変だけれど、でも、こつをしっかり理解すれば難しくはなくなるものよ」とも。

 オーストラリアや南アフリカでは、2008年公開が予定されている。
 日本でも、一般上映されるといいなあ!

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You ought to be in pictures:THE AUSTRALIAN,July 18, 2007」をもとに加筆しました。

2008/06/22

エデンの園──イナ・ルソー

  エデンのどこかで、この時代のあとになお、
  まだ立っているだろうか、廃墟の都市のように、
  打ち捨てられ、不気味な釘で封印された、
  幸運に見放された園が?

  そこでは、うだる暑さの昼のあとに
  うだる暑さの夕暮れと、うだる暑さの夜がきて、
  黄ばんだ紫色の木々の枝から
  朽ちかけた果実が垂れているだろうか?

  その地下世界には、いまもなお、
  岩々のあいまに広がるレースのように
  縞瑪瑙や黄金の
  未発掘の鉱脈が伸びているだろうか?

  青々としげる葉群れのなかを
  遠く水音をこだまさせて
  この世に生きる者は飲まない、川面なめらかな、
  四本の小川がまだ流れているだろうか?

  エデンのどこかで、この時代のあとになお、
  まだ立っているだろうか、廃墟のなかの都市のように、
  見捨てられて、ゆっくりと朽ちる運命を背負った、
  誤りであると知れた園が?

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 この詩のオリジナルはアフリカーンス語。1954年に発表されたイナ・ルソー(1923〜2005)の第一詩集『見捨てられた園/Die verlate tuin』におさめられています。今回は、J.M.クッツェーの英訳からの重訳です。訳者ノートにはこうあります。

「1954年という年は、白人のアフリカーナー民族主義者たちが波にのって、その頂点に登りつめた時代だ。国内的には、彼らが建設しつつあったアパルトヘイト国家に反対する者を徹底的に鎮圧する途上にあり、国外的には、その執拗な反共産主義が西側諸国からの支持ないし黙認を、なんとか取りつけたところだった。彼らがその信奉者に約束した未来は、繁栄と安全である。したがって、この時点であらわれた「エデンの園」は驚きに満ちた、心おだやかならぬテキストであり、しかも、政治的に多岐にわたるどの視界にも入ってこない、若いアフリカーナー詩人の手によるものである。
 形式やイメージは伝統的手法を用いているが、「エデンの園」はあいまいな詩だ。内容的には南アフリカをあらわす形跡はまったく見あたらない──作品が書かれた言語をのぞいて皆無だ。だが、ひとたび「南アフリカ」というキーフレーズが息づくとき、この詩は花のように開いてくる。最初のヨーロッパ人入植者がアフリカの最南端に入植したのは、オランダ人商人が東インドを含むアジア東南部地域へ航行させる船に、新鮮な果物と野菜を供給するためだった。彼らが設計した庭園──いまもモダンな、ケープタウンの中心にある、いわゆるカンパニー・ガーデン──は、ルソーによって、ユダヤ・キリスト教神話の天国の楽園と関連づけられ、ゆえに、堕落のない国家への回帰という、新たな出発の約束に結びつけられている。これはヨーロッパ人によるアメリカスの植民地化に、きわめて強い影響をあたえた約束でもあった。
「mislukte tuin」 つまり、誤りであると知れた庭、あるいは、誤りであると知れた植民地を、見捨てらたものとしてだけでなく、過去の霧のなかに遠くかすんでしまったものとして、ある不特定の未来の日から逆に見つめる、この詩の深いペシミスティックな視点は、ルソーのまわりで未来永劫の彼方まで続くと吹聴されていた、白人キリスト教徒の南アフリカのヴィジョンとは真っ向から対立する」

 1954年という時点で、このような詩を書いていたイナ・ルソーという詩人の作品は、とても気にかかります。

(左の写真は1965年ころのカンパニー・ガーデン)

 

2008/06/15

ブークマン・エクスペリアンス──LIBÈTE

Boukman Eksperyans というハイチのグループがいます。1804年に奴隷たちが蜂起して、世界で初めて黒人共和国を打ち立てたハイチですが、政変、また政変で、人びとの苦悩は絶えません。そのハイチの伝統的宗教、ヴードゥー教と深いつながりをもつ音楽を、すごく楽しめるリズムにのせて奏でてくれるグループ、それがブークマン・エクスペリアンスです。わたしの好きな1995年のアルバム「LIBÈTE(PRAN POU PRAN'L!)/FREEDOM(LET'S TAKE IT!)」から1曲「ガンガ」を紹介します。ガンガというのは数あるヴードゥー教の精霊の名前。オリジナルの歌詞はハイチ・クレオール語です。

GANGA (Traditional)

Anpil koze k'ap pase
Gen je ki la ki pa janm ka wè
Bouch ki la, ki pa janm pale
Zòrèy ki la ki pa janm tande
Men nou menm ki wè, k' tande
Fòk nou pa ret de bra pandye
Zanj yo se sou nou yo mize
Pou nou met lakou yo sou pye
An nou rele Ganga
(Refwen)
Ganga wouke se kon sa Ganga pale
Ganga wouke
E! voye rele Ganga
Ganga wouke se kon sa Ganga pale
Ganga wouke
E se wouke n'a wouke Ganga
Ganga wouke
Wouke, wouke Ganga
Ganga wouke
Se kon sa Simbi koze
Ganga wouke
Kon sa Ganga koze
Ganga wouke
Se wouke, n'a wouke Ganga
He He! Ala yon ti peyi dwòl O
Chak fwa yo panse' n koule
Yo wè'n remonte
Yon jou pou chasè, yon jou pou jibye
Wi se kon sa Granmèt la vle' l
Kèlke swa sa y' eseye
Nèg Kiongo k'ap toujou devan
(Refwen)
Hey Hey!
E ya ya ya!
Yo chèche yo fouye
Men yo pa jwenn
Kote rasin nou ye
Tout bon vre
(Refwen 2x)

LAKOU=「ラクー」は死後の世界


ガンガ(伝承)

たくさん、たくさん、ことが起きてる
まるで盲人みたいにふるまうやつ
まるで耳が聞こえないみたいにするやつ
口がきけないみたいにするやつ
でも、知ってるし、分かってる俺たちは
腕組みして立ってるわけにはいかない
精霊が俺たちを当てにしている
ラクーをこの世にもたらすことを
ガンガを呼ぼう
(リフレイン)
  ガンガが遠くで吠えてる、それがガンガの語り方
  ガンガが遠くで吠えてる
さあ! ガンガを呼び出そう
  ガンガが叫ぶ、それがガンガの語り方
  ガンガが叫ぶ
ほら! 嘆いている、俺たちもガンガに嘆こう
  ガンガが嘆く
悲鳴をあげろ、悲鳴をあげろ、ガンガ
 ガンガが悲鳴をあげる
そうやってシンビは語るんだ
 ガンガが叫ぶ
ガンガの語り方だ
 ガンガがわめいてる
叫んでる、俺たちもガンガに叫ぼう
  ガンガが叫ぶ
ったく、なんて変な国なんだ
俺たちがやられるたびに
俺たちはまた立ちあがる
追っ手のための日、獲物のための日
そう、それが全能の神が望むこと
やつらがどうあがこうと
俺たちコンゴは、勝つ
(リフレイン)
ヘイ! ヘイ! ヤ、ヤ、ヤ!
やつらは探して、掘り返す
でも、見つけられっこないさ
俺たちのルーツがどこにあるか
本当は、本物は
(リフレイン)

2008/06/04

もう森へなんか行かない──(2)

「Ma Jeunesse Fout le Camp/わたしの青春が逃げていく」という曲はフランソワーズ・アルディのオリジナルではなく、ギイ・ボンタンペッリ/Guy Bontempelliの作詞作曲だ。1973年に日本で初めて出たアルバム「フランソワーズ」(ECPM-24)のA面4曲目に収められている。
  
 73年から翌年にかけて、フランソワーズ・アルディの邦盤は、ゴールドディスクも含めるとEPICレーベルだけで6枚リリースされている。このアーティスト、なかなかのヒットだったのがわかる。アルディの歌はのちに山田太一のテレビドラマの主題歌にも使われたそうだ。そんな数ある彼女の曲のなかで、なにはさておき、わたしはこの「もう森へなんか行かない」を推す。切々と歌う白眉の一曲である。歌詞のつづきはこんなふうだ。

  わたしたちはもう、
  スミレを探しに、森へなんか行かない
  今日は雨が降って
  わたしたちの足跡を消してしまうから
  それでも、子どもたちは
  しっかり歌をおぼえている
  でもわたしにはそれがわからない
  でもわたしにはそれがわからない

  わたしの青春が逃げていく
  ギターの奏でる曲にのって
  静かに、ゆるやかな歩調で
  このわたしから離れていく
  わたしの青春が逃げていく
  それは舫い綱を断ち切ってしまった
  その髪のなかに
  わたしの20歳の花を差して

  わたしたちはもう、森へなんか行かない
  すぐに秋がやってくるから
  わたしは退屈を摘み取りながら
  春を待つ
  それがもう帰ってこなくて
  もし、この心が震えたら
  それは夜が来るから
  それは夜が来るから

  わたしたちはもう、森へなんか行かない
  もうわたしたちが、いっしょに行くことはない
  わたしの青春が逃げていく
  あなたの足どりとともに
  どれほどそれが、あなたに似ているか
  あなたにわかっていたら…
  でもあなたにはそれがわからない
  でもあなたにはそれがわからない
 
 フランス人にとって「森へ行く」というのは、軽いピクニックのような感じなのだろうか。ちょっとしたおやつを持って、近くの森へ遊びに行く。仄暗い森のなかには、さまざまな生き物がいて、春ならスミレ摘み、秋ならきのこ採り、子どもは解放感いっぱいで遊び惚け、大人も木漏れ日のなかを散策する。
 ちょっと調べてみると、18世紀に作られた「Nous n'irons plus au bois/私たちはもう森へは行かない」という曲があって、いまでは子どもの遊び歌になっているとか。歌詞は、かのポンパドール夫人が作り、メロディはグレゴリオ聖歌の「天使のミサ」と呼ばれる曲が使われているそうだ。ロンドのように1番の歌詞の最後が2番のあたまにくり返されて、2番の最後が3番のあたまに出てきて、といった感じで延々とづづく形式。

1.私たちはもう、森へは行かない
 月桂樹が伐られてしまって
 この娘が
 拾い集めにいくわ

 *ルフラン*
    さあ、ダンスに加わって
   みんなが踊るのを見て
   跳ねて、踊って
   好きな人にキスしてね

2. この娘が
 拾い集めにいくわ
 でも森の月桂樹が
  伐られたままにしてていいの?
 *ルフラン

3. でも森の月桂樹が
  伐られたままにしてていいの?
 だめだめ、ひとりずつ順番に
 拾い集めにいくのよ
 *ルフラン

 いかにも、フランス風の遊び歌だ。パプーシャが歌う「森へは行かない」とはずいぶん違う。アルディが歌う曲はフランス語だから、フランス人にとってはもちろん、このわらべ歌が連想されるはずだけれど、でも、曲想はむしろ、喪失を歌うパプーシャの歌に近い。

 ふと思うのは、かりにこの曲が日本で「私の青春が逃げていく」というオリジナルタイトルのまま紹介されていたら、こんな強い手がかりといっしょに記憶に残っただろうか、ということだ。「森へ行かない」という暗喩があったからこそ、パプーシャの歌の歌詞を見たとき、アルディのことを思い出したのではなかったか。おまけに「森へなんか」である。この「なんか」を加えた当時の担当ディレクターの目は、いや耳は、急所を心得ていたといえそうだ。

もう森へなんか行かない──(1)

 ずっと気になっていたことがある。ある歌詞の一行。
 10年ほど前に『立ったまま埋めてくれ』(青土社刊)という本を訳した。ロマ民族(ジプシー)をルポしたイザベル・フォンセーカの名著だ。そのプロローグ「パプーシャの口からこぼれた歌」のなかに、つぎようのような歌詞が出てくる。

  おお、いったい、どこへ行けばいいの?
  わたしに、なにができるというの?
  物語や歌は
  どこで見つければいいの?
  わたしは、森へは行かない。
  そこでは川と出会えないから。
  おお、森よ、わたしの父よ、
  わたしの、黒い父よ!

 パプーシャ(本名ブロニスワヴァ・ヴァイス、1910-87)はポルスカ・ロムだった。クンパニア(キャラバン)を率いて旅をしていたポーランド・ジプシーの女性だ。この歌詞は、彼女の才能にいちはやく目をつけた詩人、イェジ・フィツォフスキによって、当時のポーランド社会主義政権の徹底した同化政策の手がかりとして「表」に出されたロマの歌のひとつである。
 ずっと気になっていたのは「わたしは、森へは行かない」というところだ。訳しながら、どこかで聞いたような歌詞だなあ、と思ったのだ。記憶の奥にずっとしまいこまれたなにかと響きあうフレーズ。

 パプーシャはまた、こんなふうにも歌う。

  森と川のほかは、
  だれもわたしをわっかってくれない。
  歌にしてきた森と川の物語は、
  みんな、みんな死んでしまった。
  なにもかも、それといっしょに行ってしまった… 
  そして青春の日々もまた。

 先日、思いたって埃だらけの一枚のLPをターンテーブルにのせてみた。針を落とすとこんな歌詞が流れ出てきた。

  わたしの青春が逃げていく
  一篇の詩といっしょに
  ひとつの韻からもうひとつの韻へ
  腕をぶらつかせながら
  わたしの青春が
  枯れた泉の方へ逃げていく
  そして柳を切る人たちが
  わたしの20歳を刈り取っていく
  
  わたしたちはもう、森へなんか行かない
  詩人の歌
  安っぽいルフラン
  へたな詩句
  みんなで歌ったっけ
  パーティーで出会った男の子を
  思い浮かべながら
  もう名前さえおぼえていない子
  もう名前さえおぼえていない
 
 1967年にリリースされたフランソワーズ・アルディのアルバムに入っていた「Ma Jeunesse Fout le Camp/わたしの青春が逃げていく」という曲である。(つづく)