Elizabeth Costello : I believe in what does not need to believe in me.──J. M. Coetzee

2008/05/13

ヴェロニク・サンソン──Amoureuse/Vancouver

 30数年ぶりに、埃っぽいヴェロニク・サンソンのLPアルバムを引っ張りだして聴いた。雑誌「ラティーナ5月号」に彼女のインタビュー記事が載っていたからだ。でも、そもそものきっかけは、この号にアディーチェの『アメリカにいる、きみ』の書評が載っていると教えてくれた知人がいたからで、その表紙がヴェロニク・サンソンだったのだ。おお、なつかしい!!

 手許に残っているLPアルバムは、1972年の初アルバム『愛のストーリー/Amoureuse』(日本版は1973年発売)と、1976年の来日記念アルバム『ヴァンクーヴァー/Vancouver』。なんといっても初アルバムの出だしの曲「Amoureuse」が、声ののびやかさといい、曲まわしといい、だんとつに良い。この2枚のアルバムのあいだに、もう2枚出ているのだけれど、手許にはない。でも、雑誌のディスコグラフィーにのっているジャケ写真を見る限り、どちらもよく覚えている写真だから、あるいは、買ったのかもしれない。だれかにあげてしまったのかな。手許にあるのは2枚とも、当時は非売品あつかいのプロモーショナル・コピーだから、ほかのアルバムは売ってしまったのかもしれない。
 なぜ、ヴェロニク・サンソンをなつかしい、と思ったかというと、じつは、この来日記念版『ヴァンクーヴァー』の歌詞を、依頼されて訳したことがあったのだ。いま見ると拙い訳だけれど、ヴェロニクと1歳ちがいのわたしには、とても面白い体験だった。もう32年前のことだけれど。 

 雑誌の記事を読むと、ヴェロニク・サンソンはフランス初の女性シンガーソングライターという位置づけになるらしい。
 1949年生まれで、裕福な家庭で育っている。でも、父母は対独レジスタンスの経歴の持ち主で(その後、父親は保守系国会議員になった)、2人姉妹の妹に生まれ(両親は男の子が欲しかったとか)、60年代から、つっぱり、反逆、家出、音楽活動、アメリカ人のロッカーと結婚、離婚と、一生反抗期みたいな人生だったのかもしれない。

 そうか、そういうことだったのか。当時、その歌声を聞いたとき、わたしがまず感じたのは、「ひりひりするような痛みと愛されたいという心の渇き」だ。「自立しようとするフランス女の強さと脆さ」の感覚もあった。なにしろ、自己主張が強い。あの国の文化や歴史を考えれば、あたりまえだけれど、当時、愛聴していたバルバラのような、絶望的な暗さから突き抜けてくる深い魅力は、なかった。ジャズ・ヴォーカルのもつ包み込むような声の力も。でも、それはないものねだりだろう。
 日本では荒井由実が出てきたころだ。
 スティーヴン・スティルスと結婚して男の子を産んで、アメリカのコロラド住まいになって孤立感を深めているようなヴェロニクの歌声は、いささか荒れ模様ではあるけれど、いま聴いてもなかなか魅力的だ。その後、スティルスと別れて、離婚訴訟でもめて、アル中になって、息子に支えられてアル中を治療して・・・。
 ヴェロニクもなかなか大変だったんだねえ、と思いながら30数年ぶりに聴いていると、アン・バートンのLPをかけたときは、近寄ってきてふんふんと嗅ぎまわったわが家の猫も、ヴェロニクの歌声とは相性がわるいのか、遠くで、ちんまりと緊張した面持ちで聴いているではないか。これには思わず笑ってしまった。
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註:アル中と「ヴァンクーヴァー」といえば、思い出すフランスの女性作家は誰でしょう?
 答えは、マルグリット・デュラス。もうひとつ共通項がありますね。男の子をひとり産んでいること。
 

2008/05/09

エドウィージ・ダンティカとエムリン・ミシェル

 エムリン・ミシェルのこのアルバム「Cordes & Ame」で、びんびん心に響くハイチクレオールの歌を聞いたのは、エドウィージ・ダンティカの『アフター・ザ・ダンス』を訳していたころだから、もう5年も前になる。ほかにもブックマン・エクスペリアンスやブッカン・ギネ、ラムといったミュージシャンのアルバムを手当たり次第に聴きながら、アフリカン・アメリカン文化の核ともいえるカーニヴァルに思いをはせた。

 エドウィージは2002年1月の初来日のときや、翌2003年8月に結婚1周年記念旅行をかねて、連れ合いのフェドさんといっしょに再来日したときは、まだ、初々しさの残る若い女性といった感じだったけれど、いまでは3歳の娘の母親だ。最近の写真をみると、なかなかの貫禄ぶりを思わせる表情に変わってきて、頼もしいかぎり。

 2003年夏には、来年がハイチ独立200年のお祝いだといっていたのに、年が明けるとすぐに、またしてもクーデター。アリスティド大統領は国を出て、国内はほとんど無政府状態に近くなった。
 エドウィージがニューヨークの父母のもとへ行った12歳まで、彼女を育ててくれた牧師のジョゼフおじさんも、なんとしてもハイチでがんばると主張しつづけたけれど、ついに米国へ渡った。ところが、81歳の彼の健康状態はすこぶるわるく、移民局の心ない対応であっけなく死んでしまった。翌2005年にエドウィージとフェドに娘のミラが誕生して、それを待っていたかのように、エドウィージの実父もまた肺の病気で他界する。  
 この間のことをづづった自伝的な作品「Brother, I'm Dying」をいま読んでいる。昨年、本が出たときすぐに買ってはあったのだけれど、ほかの仕事にかまけて、1章を読んだだけで「積読」の棚に差し込まれていたのだ。

 1789年のフランス革命からわずか5年後に、世界で初めて建国された黒人共和国ハイチはいま、皮肉なことに、世界の最貧国となってしまった。コロンビアから米国へ流れる麻薬の中継地として、軍や警察がその利権に絡み、利益は一部特権階級の懐へ。紛争地でみるおなじみの構図。背後に見え隠れするのはまたしても、例の超大国の二重外交。
 来日したときにエドウィージが、最近の日本のことを聞いて、眉曇らせながらいったことばを思い出す。「ハイチは貧しいけれど、人びとは毎日の暮らしを精一杯生きている。自殺する人はいない」

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追記:最近のインタビューで、彼女は「自分の娘の孫の世代のことを考えたら、オバマを支持する」と語っていた。自分が乗っている小型車、Toyota Echo に「Obama Yes」というステッカーを貼って・・・。

2008/05/02

J・M・クッツェーの文体──読書、切り抜き帳(8)

 インタビュー嫌いで有名な作家、J.M.クッツェーが思いっきり饒舌に語った9つのインタビューがある。インタビューのプロジェクトは、クッツェーがデイヴィッド・アトウェルとともに1989年に計画し、再録を終えたのが1991年の初め、1992年に出版されたエッセイ集『ダブリング・ザ・ポイントDoubling the Point』(ハーヴァード大学出版)の各章導入部におさめられた。最後の、全体を回顧した独白調の語りが、その時点でのこの作家の自画像を描いていて興味深い。
 この本には70年代から80年代にかけて書かれたエッセイが集められていて、ここ数カ月のあいだ『鉄の時代』につける年譜や解説を書くために、かなりまとめて再読した。そして、こんなことばにぶつかった。

「フロベールが述べているように、文学でも通俗文学ほど literary な傾向の強いものはありません」 (Doubling the Point, p338 )

 この「literary」という語、言語についていわれるときは「文語調の」という意味になるようだけれど、オクスフォード英英辞典を引くと二つ目の意味に「having a marked style intended to create a particular emotional effect」という説明が出てきた。要するに「特別な感情的効果を創り出そうとする意図が目立つ文体」ということだろうか。なるほど、ここで使われているのは、その意味か。それが通俗文学の大きな特徴ということか──。
 上で引用したクッツェーの語りでは、アレックス・ラ・グーマという南アフリカの作家について1974年に発表した文章が自分としては気に入らない、と述べながら、ラ・グーマの文体が「過剰なほどliteraryだ」と指摘している。過剰な文飾がほどこされた文体が通俗文学の特徴だ、とするのは、フロベールの無駄のない文体を考えると、なるほど、と思う。

 クッツェーの文章もまた文飾とは無縁の、無機的とまでいわれる、切り詰めるだけ切り詰めた節約型文体であることは誰もが指摘するところで、それは作家自身も認めている──自分の家族の文化的ルーツは、アフリカに移植された西欧の農民文化だから、質素、倹約が特徴なのだ、といって。

 でもクッツェーの鍛え抜かれた文章はまた、比類なく美しく、その美しさは、おそらく彼の文章の静けさと関連している。ざわつきがなく、明晰で、引き締まっている分、読んでいて、はげしく快い緊張感をもとめられる。ぐいぐい惹きつけて読ませながら、ひとつひとつのことばの余韻や意味の深さを味わい、語と語のあいだに漂う余白でじっくり考え、自問することを誘われる文体ともいえるだろう。クッツェー文学を読む醍醐味は、その静けさを聞き取ることにあるのかもしれない。Age of Ironを訳していてそう思った。