Elizabeth Costello : I believe in what does not need to believe in me.──J. M. Coetzee

2014/03/28

クッツェー自伝的三部作の初校ゲラを戻した

クッツェー自伝的三部作の初校ゲラ、さっき戻した。ふう。表紙や扉に使う写真もほぼ決まった。2011年11月に南アフリカへ旅したときに撮影した写真から、雲のかかったテーブルマウンテン、ヴスター駅前のユーカリの並木道、内陸部へ国道一号線を走ったときに撮った風景、ケープタウン大学でクッツェーが長年働いた建物、などなど。(ここにあげた2枚は含まれません。)

 カンネメイヤーの『伝記』から転載する写真もある。少年ジョンが犬といっしょに写っているショットとか、青年ジョンがケープタウンの街を闊歩する写真とか。この三部作は、『少年時代』『青年時代』『サマータイム』という個々の作品を形づくる、クッツェーの硬質なことばだけではなく、詳しい年譜や作品リスト、それに写真が豊富についた、豪華なつくりになりそう。

 5月下旬にインスクリプトから、詩集『記憶のゆきを踏んで』と同時刊行予定です。どうぞお楽しみに!

2014/03/25

こぶしの花が開く

夕暮れに、疲れきった頭を冷ましに散歩に出た。ひさしぶりにカメラを持って、まぶしい斜光のなかを歩いた。

根詰め仕事がつづいている。クッツェーの自伝的三部作のゲラ読みと年譜作成だ。620ページをゆうに超すゲラは、なかなか一気に読み通せない。それでも全体のめどはついてきた。あとがきに入れる写真の許諾ももらった。

 今日はぐんと気温があがって、こぶしが一気に花開いていた。ここは都心より数度低く、丘陵地帯の丘の中腹に位置しているので、まだ桜は川沿いの低地にちらほら。それでも花をもとめる目が、夕闇が迫るなか、ふくよかな白い花弁が焦げ茶色の枝からじかに開いているのを見つけた。足元には水仙もちいさな黄色い花を咲かせている。

 隣国、台湾では、話し合いも十分せずに強行採決した法律に抗議して、若者たちが立法院を占拠しつづけている。法律が法律だけに、野党はもちろん、大学の教師も、街の商店主も、市民も学生たちを支持しているという。どうなるのか。
 わたしが住んでいる国の紙媒体の大きな新聞は、なかなか詳細を伝えてくれない。写真も載らない。かろうじてネット上の情報が入手できる程度だ。こんなに大きな出来事なのに。
 
 それでも容赦なく、春はやってくる。今日もまた、容赦なく一日が閉じていく。
 

2014/03/17

それでも春はくる


 机に向かうと窓の向こうに、濃いピンクの花芽がちらちら揺れる。寒彼桜が一足早く咲きはじめた。今年もまた、ヒヨドリがやってきた。2羽そろって桜の木の枝を大きく揺らして、どこかへ飛んでいった。
 どんな災厄が襲ってきても、毎年、春はやってくるのだ。「春をうらんだりはしない」という詩を思い出す季節はやってくるのだ。

この3年、いったい「わたしたち」は、なにを失い、なにを得たのか。この3年、「わたしたち」は途轍もなく鍛えられた。それだけは間違いない。


 またやって来たからといって
 春を恨んだりはしない
 例年のように自分の義務を
 果たしているからといって
 春を責めたりはしない

 わかっている わたしがいくら悲しくても
 そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと


あの有名なヴィスワヴァ・シンボルスカの詩(沼野充義訳)だ。今年もまた、この詩のことばを一行一行、噛み締める。

わたしが一番きれいだったとき/When I was most beautiful.


When I was most beautiful.




茨木のり子の代表作ともいえる詩「わたしが一番きれいだったとき」は、60年代にピート・シーガーが曲をつけて何人もの人が歌ってきたものだ。しかし、迂闊にも今日まで、そのことを忘れていた。この詩が英訳され、こんなふうに歌われているのを聴くまで。
 
 茨木のり子さんは、めったに詩集のお礼は書かないけれど、といって、わたしの三冊目の詩集『愛のスクラップブック』を読んだ感想をハガキに書いて送ってくれた人だ。とても嬉しかった。嬉しかったのに、考えの足りない、未熟者であるわたしは当時、それに適切な応答をする術を知らなかった。思えば、一生の不覚だ。
 それ以後、詩の世界と距離をおかねばならなかった事情もあったが、正直いって、そのような個人的事情よりも、むしろ、92年の、バブル崩壊後の日本社会に蔓延していた空気──バブルは崩壊したけれど、まだ現状維持が可能なのではないか、というファンタジー──のなかに、わたしもまたどこか安易で、不毛な、逃げ道を求めていたのかもしれない。

 もう一つ別のテイクがありました。おなじ女性の声ですが録音はこちらのほうがいいかも。



追伸:この動画で歌っている女性シンガーがだれかわからなかったので、facebook に質問投稿したところ、幾島幸子さんが調べてくれた。ピート・シーガーの姪、Sonya Cohen という人らしい。Muchas gracias!
  ちなみに、この歌、「デモクラシー・ナウ」のエイミー・グッドマンが来日して取材し、東京から発信した3つの動画の2つめ、沖縄の基地問題を論じたものの最後に流れた曲です。

http://democracynow.jp/video/20140115-1

2014/03/14

アディーチェの『アメリカーナ』が全米書評家協会賞を受賞

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの長編傑作『アメリカーナ』が全米書評家協会賞のフィクション部門を受賞しました。満面の笑みを浮かべるチママンダと編集者ロビン・ドレッサーです。おめでとう、チママンダ! 励みになるなあ、翻訳がんばらなくちゃ!


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2014.3.15付記:イギリス、アメリカのあちこちのメディアにアディーチェ受賞の記事が載っています。たとえばガーディアン。それで知りましたが、アフリカの作家が National Book Critics Circle/全米書評家協会賞を受賞したのは今回が初めてだそうです。これまでにトニ・モリスンなど、アフリカン・アメリカンの作家はいたけれど、アフリカ人は初めてだとか。まあ、Americanah は半分はアメリカを舞台にした作品だから、ある意味、アメリカ文学ともいえるかもなあ。

 しかし、その理論でいけば、J・M・クッツェーの『ダスクランズ』も70年代のヴェトナム戦争を推進する心理作戦を担当する男の話が前半だったから、あれも半分アメリカ文学ということになるな。1974年の出版だった。彼は「アフリカの作家」とか「○○の作家」といわれるのを徹底的に忌避したけれどサ。今日、あちこち調べながら三部作のあとがきを書いていて、その理由がはっきり分かったけれど。。。

2014/03/11

3.11 から3年目──tu fotografía/きみの写真

ペルーのシンガー、ジャン・マルコの歌う「きみの写真」。今日はこれを聴いてすごします。



歌詞と訳詞は、こちらへ。すてきです。
作家のHさんが facebook に投稿していた情報をいただきました。Muchas gracias!

Tu Fotografía by Gian Marco

2014/03/10

アンチ・アパルトヘイト・ニュースレター全号の「目次」完成!

昨年の暮れにお知らせした「アンチ・アパルトヘイト・ニュースレター」のサイトに、全号の目次ができました! ぜひ、活用してください。
 
 このニュースレターについては、ここで詳しく紹介しましたが、1988年から1995年まで、創刊準備号を含めて全86号が、毎月刊行されていました。日本の反アパルトヘイト運動の歴史を知るための絶好の資料です。元編集長の須関さんが、すべて手打ちで入力して作られた目次です。

 目次はここです。

2014/03/07

チウェテルの「チ」はチママンダの「チ」!

いやあ、名前の読みは難しい! 
 今年のアカデミー作品賞を受賞した映画「12 Years a Slave/それでも夜は明ける」の主演男優、Chiwetel Ejiofor の名前の読みはこれまで日本では「キウェテル」とされてきましたが、実は「チ」で始まる音です。ご本人が「tʃ」です、と言ったこともあって、日本版のWiki も「キウェテル」をやめて「チ」で始まる表記に訂正しよう、という動きが出てきました。Welcome!

この俳優はまた、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの原作『半分のぼった黄色い太陽』を映画化した同名の作品にも出ていて、オデニボを演じています。このブログではもっぱら原音に近い表記「チウェテル」を使ってきました。たとえばこのサイト、あるいはこのサイト

 チウェテル・エジオフォーは1977年にイギリスで生まれていますが、両親はアディーチェとおなじイボ人。奇しくも同年生まれのアディーチェの名前 Chimamanda/チママンダ、を見てもわかるように、イボ人には、Chi で始まる名前がとても多い。これにはれっきとした理由があります。

 「チ/chi」というのはイボ民族にとってはとても重要な意味をもつ語なのです。手元にある 「Igbo-English Dicitionary」(Yale University Press, 1998)によれば

「personal god; Guardian angel; spiritself; symbol of personal identity, autonomy, fate and destiny」

とあります。まあ、 その人の守護霊、守護神のようなもの、と考えていいのかもしれません。

Chimamanda の場合は、Chim=my god で、全体としては、My god will never fail. という意味です。直訳すれば「私の神は失敗しない」となりますが、fail には「落ちる、衰える、消える、弱る」といった意味もあるので、まあちょっと意訳ですが「わたしの神は倒れない」としてきました。
 
 さて、問題の Chiwetel ですが、これは「God brings」という意味だとか。「神がもたらす」というわけですね! ほかにも、Chi で始まるイボ民族出身の有名人がいます。あの「アフリカ文学の父」(この呼称にはさまざまな異論はありますが)といわれた、Chinua Achebe/チヌア・アチェベです。Chinua は Chinualumogu の略で、「May God fight on my behalf/神がわたしのために闘ってくれますように」という意味だとか。わーお!(といったことはすべて知人Mさんに教えてもらいました。)

というわけで、イボ語のにわか知識を総動員して書きましたが、1977年生まれの若手俳優、若手作家は、いまや欧米の映画界でも文学界でも(覚えやすいようにと)自分の民族名をヨーロッパ言語の名前に変えたりしない、誇り高い意識の持主たちです。誤った、というか、実際の音とは違う読みに対してはとても敏感なはず。にっこり笑いながら心の奥では「きちんと発音してくれ!」と思っていることは容易に想像がつきます。

 アカデミー賞受賞を機に、日本でも広く知られる俳優になると思われるチウェテル・エジオフォー。来日したとき、インタビュワーから「キウェテルさん」と呼ばれたら、きっといい気持ちはしないでしょうねえ。まあ、名前の読みは、ホントに難しいんですが、間違えながら修正していくしかないのでしょう。
 Wiki はだれもがアクセスして、ひとつの目安にするサイトです。ぜひ、これを機会に原音により近い表記にあらためられるといいなあ、と思います。

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2014.3.8付記──あらためて俳優ご本人の発音を聴くと、Ejiofor をエジオフォーといっているため、このブログ内の「エジョフォー」を「エジオフォー」に変えました。
 

1日早い「ハッピー国際女性デー」

ん?

Google のサイトに、なぜか、一日早くロゴに「ハッピー国際女性デー」の動画が出てきた。
国際女性デーは3月8日。さて、その明日はどうなるかな?  

2014/03/02

暗い日曜日はクープランで

春めいたと思ったら、また寒のもどり。いつものことだけれど。Sombre dimanche. 暗い日曜日。

 オーディオ装置が壊れたのでついに新調した。15年ぶりだ。これまで使っていたものとおなじDENONのもので、今回はレシーバーとスピーカーというシンプルな組み合わせ。20代に初めて買ったコンポとおなじだ。

 ところが、いざ音楽を聴いてみると、こっちの耳が軟弱になっているのか、どうも音が硬い。友人によると、心地よい音になるまで30時間くらいかかるそうだ。がんがん好きな音楽をかけて、装置自体をならす必要があるらしい。ふ〜ん、そうなのか。これまでそんなことを意識したことはなかったなあ、やっぱり聞き手の変化かなあ、などと思いながらいろいろかけてみる。

 最初はバッハの無伴奏チェロ組曲。軽いのりのマイスキーだ。それからグールドでバッハのパルティータをかけてみた。さらにフランス組曲。悪くはないが、最後のほうになると、耳がちょっと疲れてくる。

 そこで、ふと思い出してかけたのが、このクープラン。1991年の録音で、購入当時から何度もくりかえし聴いてきたCDである。これがいける! オーボエの音がじつに美しい。くっきりと立ちあがってくる。ファゴットの低音部も心地よく、何度もくりかえしかけることになった。

 外は小雨。気温もぐんぐん下がっていくが、室内はふんわり暖かく、しかし輪郭はシャープなオーボエの音色が響く。これで「暗い日曜日」は乗り切ろう。

 アレクサンドル・ヘモンの『愛と障害』を読む。これがめっぽう面白いのだ。明日のイベントも楽しみ。
 ヘモンといえば、そのむかし雑誌「ヴィレッジ・ヴォイス」に、カプシチンスキイの『黒檀』に対するピリ辛の評「Misguided Tour」を書いていたっけ。
 そういうことだったのか!

2014/03/01

へろへろOL時代 ──「水牛のように 3月号」

遠いむかしといっても「むかし」にはいろいろある。

「水牛のように 3月号」に「へろへろOL時代」を書いた。決して長くはない時間だったけれど、わたしの20代にとって重い記憶を残した経験だった。その後、何度も舗道を駆ける夢を見たほどだから。

 記憶の断片をつなぎあわせてひとつの物語ができても、必ずしもその物語が実際に起きた出来事によって成り立っているとはかぎらない。細部には無数の記憶違いや、あいまいな記憶をことばのピンで留めるためにフィクション化による書き替え、書き加えをすることがある。無意識にやっている場合もある。できるかぎり、意識化し、記憶する自分に批判的であろうとする人もいる。自分はどっちなんだろう、とふと思う。だが、自分の記憶に対する疑義と再定着化は、書いていて新鮮だ。