Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2009/04/27

三鷹「文鳥舎」で、マチョイネ=西江雅之さんの話をきく

ジャズはアフリカ起源の音楽だ、なんてのは違う。ぼくは何年か前に数人の学者とその議論をして論破した──と語るのは、言語学と文化人類学を専門とするマチョ・イネこと西江雅之さんだ。

 昨夜は三鷹の「文鳥舎」で「世界中に散るフランスという国」なるトークショーを楽しんだ。西江さんの話しっぷりは、本当に面白い。噺家のようなのだ。「フランス語が話されている世界の地域」のことではなくて「フランスという国そのものが、ヨーロッパ本国と、マルチニック、グアドループ、レユニオン、フランス・ギアナといった海外県と、カナダの大西洋側にあるサンピエール・エ・ミクロン、インド洋のマヨットといった特別自治体と、さらには、ニューカレドニア、フランス・ポリネシア、ワリス・フトゥナ、南極の一部といったフランス領をすべて含めた、世界中に散在する国、として成り立っている」というお話だった。

 頭のなかでかたまっている「フランス」というステロタイプのイメージがゆさゆさ揺れて、そこかしこに風通しのよい穴があき、崩れる。そして新たなイメージで「フランスという国家」をながめやる目が養われる。西江さんの話はいつも聴き終わったあとが爽快で、気持ちよい。

 最初のジャズの話は懇親会で聴いたもの。前日、ツトム・ヤマシタとのコラボレーションのため京都へ行っていたそうだから、その流れから出てきたものかもしれない。それを聴いて、ありありと思い出したことがある。それは1970年前後の日本の、いわゆる「ジャズ・シーン」をめぐる熱い語りにみられた、ある傾向のことだ。

 当時、情報は、なんでもかんでも米国発のものが勢いをもっていた。というより、いま以上に、憧れをもって肯定的に語られていたというべきか。ヒッピー、フォーク、ロック(ときどきブリティッシュ)、文学だって、やれケルアックだ、ギンズバーグだ、サリンジャーだ、と圧倒的に「アメリカもの」で、さまざまなものが入り込む余地があまりなかった。見えていなかった。つまみ食いのようにして少しは読んだけれど、米国発の文学で興味を引かれるものは、ブローティガンが紹介されるまで、ほとんどなかった。でも、音楽は別、ジャズは別だった。

 あの当時のジャズ聴きたちは「ジャズ=黒人/アフリカ人の音楽」という固定観念から離れられなかったように思う。だから、ヨーロッパのジャズは二級扱いされ、極端な人は、白人プレーヤーのジャズは「白人だからダメ」とまでいう始末。いったい、どんな耳をしていたのやら。いや、どんな頭をというべきか──私も含めて。
 ジャズを演奏する人たちのなかにもまた「黒人のように」演奏すること、より「黒い」音楽を演奏すること、さらには「黒人のようになること」にまで(そんなこと不可能なのは分かりきっているのに)究極の目標を細めていく人もあらわれ、それを肯定する左派めいた論客もまた、人気を博していたように思う。それは「黒っぽいフィーリング」があるかないか、というふうに論じられた。
 なんか変だと思いながらもきっぱり反論できなくて、嘘くさいその手のライナーノーツや解説なるものを読まなくなったのは、そのせいだったのかもしれない、といまになると理由をつけることもできる──だって、じゃあ、なんで日本人がジャズをやるの、なんでロックをやるの、ということになるでしょ? 60年代後半って、そういう時代でもあったのだ。

 音楽も、文学も、人種と不可分に結びつくものなんかない。結局、それは「文化」なのだから。文化は「創り出すもの」で、アフリカン・アメリカンと呼ばれる人たちは、白人文化が命じる器のなかで、アフリカ起源のものをベースに、手近にある、さまざまな道具、アイディアを混入させながら、独自のものを創り出していった。彼らの創造性はそこにある。それは黒人でなければできないものではない。ただ、間違いなく彼らがやったことなのだ。そこのところを同一視すると、すごく間違う。その流れでいくと、日本人でなければ日本(語)文学は書けないという考えに(そう信じている人はある年齢層以上に、いまだって間違いなく、いる)反駁できない。

 日本人のすばらしいジャズメンはたくさんいるし、黒人でなければジャズができないなんて、いまじゃ誰も思わない。白人たちはジャズまで奪っていった、という黒人サイドの発言も聞いたことがあるけれど、それは見方を変えるなら、彼ら/彼女たちの「文化」が白人文化を凌駕したということにもなる。文化も、伝統も、きわめて創造的な、つまりは、恣意的なものなのだ。西江さんの話を聴くとすっきりするのは、その辺と大いに関係がある。自分を縛ってきたしがらみや不安から、解き放たれたような気持ちになるのだ。

2009/04/25

どのように永遠のひと時──ファファレーイの詩

現代詩手帖 5月号」に、スリナム生まれのオランダの詩人、ハンス・アントニウス・ファファレーイ(1933〜90)の詩をいくつか訳出しました。

 ファファレーイのことは「現代詩手帖 1月号」でも「世界の波頭」で、詩を引用しながら少しだけ紹介しましたが、今回は詩作品そのものを楽しんでいただけます。翻訳には力を入れました。

 ファファレーイの作品はたいていがサイクルになっています。あるタイトルのもとに、各ページに数行から十数行におよぶ詩句がならび、それが数ページまとまって一篇の詩を構成する、そんな連詩形式なのです。
 今回もフランシス・R・ジョーンズ氏の英訳アンソロジー『忘却にあらがい/Against the Forgetting』(New Directions, 2004)からの日本語訳ですが、すでに入手してある8冊のオランダ語のオリジナルも、行の移り、連の移りの部分など、少しだけ参照しました。それで改めて確認したのは、どうやらオランダ語と英語は、言語としては二卵性双生児みたいな関係にあるらしいということ。面白い。

「宝石のように美しい詩篇は、本を閉じたあとも永く、エコーのように心のなかに響きわたる」とJ・M・クッツェーが述べた、この詩人の澄明な詩のことばをうまく日本語に転換できていることを願って・・・冒頭の部分を少しだけ写しておきましょう。

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「どのように永遠のひと時」より

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  恋する女が
  身をまかせようか、まかせまいか、

  思いあぐねているように、
  一枚のカエデの葉が、ひさしく前から
  落ちかけ、それでもなお
  枝から離れずにいる。

  わたしの唇のうえの水のしずく
  ・・・・・・・・・・・
  ・・・・・・・・・・・
写真はオリジナル詩集『忘却にあらがい/Tegen het vergeten 』(1988)

2009/04/16

「博物館」──レイラ・アブルエラー/Leila Aboulela

スーダン出身の英語で書く作家、レイラ・アブルエラーの短篇「博物館/The Museum」を「神奈川大学評論 62号」に訳出しました。
 
 スコットランドのアバディーンを舞台に、スーダンからの留学生シャディァと、彼女が出会ったスコットランド人学生ブライアンとの淡い恋物語が描かれます。故国に裕福な実業家の婚約者がいるシャディァは、母親の強いすすめで、修士号をとるためスコットランドに留学しますが、北国の寒くて雨の多い暮らしのなかで体験する違和感や、授業についていけない焦り、孤独感に悩まされます。そんな彼女がノートを貸してもらったブライアンと初めていっしょに出かけたのが博物館でした。ところが、そこに展示されていた「アフリカ」に、ブライアンは強い関心を示しますが、シャディァはショックといたたまれなさを感じて・・・。

 アブルエラーは1964年、カイロ生まれ。母親がエジプト人、父親がスーダン人、育ったのはハルツームで、20代に英国に渡り、1990年代から作家活動に入ります。80年代にスーダン南部で石油が発見され、クーデタが起きましたが、アブルエラーの渡英はそれと無関係ではなさそうです。

 2000年の第1回ケイン賞の受賞者で、「博物館」はそのときの受賞作。ケイン賞というのは「アフリカン・ブッカー」の異名をとる、英語で書くアフリカ人作家の短篇に毎年あたえられる賞です。
 これまでに、ナイジェリア出身のヘロン・ハビラや、ケニヤ出身のビンヤヴァンガ・ワイナイナ、南アフリカ出身のメアリー・ワトスン、ヘンリエッタ・ローズ=イネスといった若手作家を輩出しています。

 今回訳出したアブルエラーの「博物館」は、その後、短篇集「Coloured Lights」に収められました。そのほかこの作家には『The Translator』、『Minaret』と長編が2作あり、いずれも高い評価をえています。(以前、このサイトでこの作家の名前を「アブーレラ」と紹介しましたが、「アブルエラー」が元のアラビア語の音に近い表記だそうです。)

 ちなみに、日本独自の短篇集として出したチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『アメリカにいる、きみ』(河出書房新社、2007)の表題作「You in America」は、2002年のケイン賞のショートリストに残った作品でした。

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アフリカの同時代文学では、日常を描こうとすると「政治的要素」がかならず入り込んできます。でもそれは「日本の読者にとって政治的と思える要素」といいかえる必要がありそうです。なぜなら、そこに住み暮らす人にとっては、とりわけ「政治的」とことわる必要もない、ごく日常的なものだからです。
 そういう意味で、残念ながら、日本に住み暮らす者にとって、アフリカの人々の暮らしは「情報としても」やはり「遠い」といわざるをえません。

 スーダンといえば「ダルフール」という地名を思い浮かべる人がいるかもしれませんね。「ダルフール問題」について、すっきり理解できるサイトがあるのでリンクしておきます。YOUTUBEで直接見るにはこちら

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 ☆お詫びと訂正☆ このブログ等で、これまで幾度か「ケイン賞」を「ケインズ賞」と誤表記したことがありました。ごめんなさい。正しくは「ケイン賞/Caine Prize」です。

2009/04/13

朝の光、ローレルの花

今年もまたローレルの花が咲いた。

 桜、レンギョウ、すみれ、ユキヤナギ、チューリップ、コデマリ、ハナズオウ、と鮮やかな色の花々が咲き乱れる春に、人目につかずにひっそりと咲く、月桂樹の花。
 
 秋のうちから、固い拳のような、ちいさな花蕾を準備し、冬をやりすごして春を待ち、ほかの花々がにぎやかに咲いて散るころ、ゆっくりと開く。
 色も、青磁を思わせる薄い半透明の緑色をさらに薄めたような色あいで、まことに地味。花のまんなかに少し濃い黄緑色の芯がのぞく。幹から交互に伸びる葉の付け根のところに茎を立ちあげ、その先に、いくつかの花が房になって咲く。

 コデマリもハナズオウも、わたしが育った北の土地にはなかった植物。もちろん月桂樹もそう。

 開花の時期が、今年は昨年よりも1週間ほど早い。


撮影:M.M.
 

2009/04/11

『ハーレムの少女 ファティマ』──ファティマ・メルニーシー

以前、この欄に書いたものですが、すこし思うところあって、ここに再録いたします。

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 ファティマ・メルニーシー著/ラトクリフ川政祥子訳『ハーレムの少女 ファティマ』(未来社、1998年刊)。
 拙文は11年も前に出たものですが、この本の中身はいまもって新しい!
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 モロッコの古都フェズを舞台にした、8歳の少女の目で見た女たちの日常生活の物語。そう書くと、なんとなくわかったような気になるかもしれない。
 でも、読み進むうちに、そんな思い込みは子気味よく裏切られる。
 むしろ、読み手である私たちのなかには、いまだにイスラム世界の内側、ベールに隠された暮らし、といったステロタイプなイメージとして、彼女たちを「未知の世界」に閉じ込めておきたい欲望が、意識されないまま眠っているのではないか。この本を読んでから、私はそんな疑問にとらわれている。

 過去百年にわたって、西欧キリスト教世界を通して見た世界観を否応なく学ばされてきた日本人にとって、これは新鮮な驚きや発見が随所にちりばめられている本だ。
「ハーレム」ということばひとつとっても、私たちが抱いているのは「権力を握った一人の男が多くの女性を囲っている後宮」といったイメージだけれど、そんな思い込みはさらりとくつがえされる。
 イスラム世界では、決しておろそかにされてはならないフドゥード(神聖な境界線)によって、多くの不自由を余儀なくされながらも、女たちは束縛の裏をかく術をみごとに発達させ、したたかに、賢明に生きてきたこと、そして、いまも生きていることが、少女の目を通して活写されていくのだ。

 なかでも私を爽快な思いにさせてくれたのは、主人公ファティマの母方の祖母、農場に住むヤースミーナだ。町中に住む女たちよりもずっと行動範囲が広くて、馬を乗りまわしたり、自然のなかで生き生きと暮らす場面が、じつに印象的。とりわけ、大勢の女たちが川べりで、競争しながら皿や鍋を洗う場面は圧巻。

 著者、ファティマ・メルニーシーは1940年生まれの、著名な社会学者で、モロッコ、フランス、アメリカで学び、海外で初めて博士号を取得したモロッコ女性だという。目からウロコの好著。

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付記:1998年10月初旬、共同通信社が配信したものに加筆しました。
(2001年9月以降、イスラム世界の情報はぐんと増えましたが、ごくふつうの人びとの暮らしが見えるものも、これから、どんどん紹介されてほしいものです。)

2009/04/10

リバティ アカデミー

<ちょっと宣伝を!>

 春から夏にかけて、またとない季節の土曜の午後、明治大学で一般向け講座として人気を集めているリバティ アカデミーが開かれます。2007年、2008年についで、今年もまた、ここでお話をさせていただくことになりました。

 コースは全6回、それぞれユニークな講師の面々が、じつに興味深い視点で世界を見わたし、見はるかし、さらに、ある部分を望遠レンズから一気に接眼レンズで詳細に語る、そんな講座です。

 中村和恵さんを中心に「世界文化の旅」というシリーズとして始まったこの講座、2007年の「アフリカ編」、2008年の「島めぐり編」につづいて、今年は「先住民編」となります。さあ、なにが飛び出すか?

講師は以下の顔ぶれです。

 中村和恵(明治大学、英語圏文学)
 阿部珠理(立教大学、アメリカ先住民研究)
 ムンシ・ロジェ(南山大学、宗教人類学)
 くぼたのぞみ(翻訳家、詩人)
 管啓次郎(明治大学、DC系)
 浜口稔(明治大学、メディア図書館論、沖縄研究)

ここでしかありえないこの顔ぶれ、この組み合わせは、なんとも刺激的ではありませんか? お茶の水駅から歩いて2分の地の利もあって、通いやすさは抜群です。

詳しくは→こちら

このブログを見て、受講希望の方が出てくだされば、とても嬉しい!!

一昨年の「アフリカ編」をもとにしたアフリカン・ディアスポラの本『世界中のアフリカへ行こう!』も完成間近(岩波書店、5月刊行予定)。こちらも出来上がりしだい、またお知らせいたします。どうぞよろしく!

2009/04/09

故郷のなかの異国にて──『安東次男全詩全句集』より

故郷のなかの異国にて

 おお そうか そうなのか
 きみらなのか
 あのあかしおのふくれたつている
 ひようたんようにくびれたところ
 ときおり茫漠とした光りが
 かすめていたのは
 うさぎの目のような
 よわいうすあかい視線を
 天のいくかくにはなつて
 ゆきどころかえりどころのない
 ニヒルにくわれていたのは
 機雷のしずめてある伝説の鬼が島の入口を
 どこからともなくただよつてきて
 隅田川の川口から白ひげ橋のあたりまで
 何万というむれをなして
 死臭をはなつて
 ぶわぶわとながれこんできた
 きみら
 きみら熱帯魚の魚族たち
 その憂愁にけむつた
 びいどろのような
 うすあかい網膜に
 きみらはなにを灼きつけたのか
 埒もない人間どもの生殖をか
 それの原子爆弾による間引きをか
 そしてまことしやかなそれの理由づけをか
 きみらそのとき
 いきどおる力はなくて
 たつてきたとおい時代の
 暗黒のふるさとのことをかんがえていたのか
 それでぶわぶわと
 青天に死臭をはなつて
 天の一角に
 びいどろのように霞んで
 充血したすが目をなげていたのか

 きみらではなかつたのか
 ニューギニヤの焼けただれた土に
 穂先にまだ緑のいろをとどめている
 一本の雑草を
 はずみのようにつかんでいた
 ひとつの手首を見たのは
 地面のところどころに飴のように凝固した血の膜面に
 あたらしい砂がねばりつき
 つかんだ指のあたりには
 立秋の生きた色を
 のこしていたが

 きみらではなかつたのか
 ブーゲンビル沖の
 昼の二十五ミリの曳光弾が
 びつしり四重に折れかさなつた人肉の背に
 一筋の ももいろの
 火箭のようにつつ立つているのを見たのは
 海へころがり落ちぬためには
 人間の堤防を築いてうちかさなる以外に何ができたか
 せめてまえを下にして寝るのが
 最後の人類への抗議ではなかつたのか
 それを見たのは
 きみらではなかつたか

 それをまたいま
 きみらは
 ぶわぶわとながれこんできて
 死臭をはなつて
 あのびいどろのような憂愁をふくんだすが目で
 天の一角をながめていようというのか
 神のように ながめていようというか!

六月のみどりの夜は 定本──『安東次男全詩全句集』(思潮社、2008刊)

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晴れ晴れとした、さわやかな微風のふく今日は、7年前に詩人、安東次男が逝った日。今日もまた、ぱらりと開いた本のページをここに写す。

「ニューギニヤ」の名の見える詩を、ここに写したのは、昨年暮れに西江雅之氏の「パプア・ニューギニアの話」を聞いたこととも重なる。西江氏はそのとき最後に語った。「草は泣いている」と。
 旧日本軍の戦車の残骸、司令本部として使われた洞穴などが、そのまま残っている南の土地に、遺骨を拾いに行く家族はいても、それを書籍にあらわす人はいても、そこに、現地の人たちのことを語ることばは、ない。「草は泣いている」というのは、そのことを指している。そこにいても、見えない人たち。まさに「Invisible Man」、いや「Invisible People」というべきか。

 安東次男のこの詩は、2009年のいま、わたしが初めて読んだ1960年代末とはまったく違った、思いがけない衝撃をもって迫ってくるものがある。
 さて、数年ぶりにお墓参りに行ってこようかな。
 

2009/04/05

KOSMOPOLIS のオーラル・ポエトリー

Kosmopolis 「今日の詩。近現代の伝統と語られることば」

昨年秋にバルセロナで開かれた KOSMOPOLISのサイトに「今日の詩。近現代の伝統と語られることば」というイントロがありました。うっかり見過ごしていましたが、ある方にご指摘いただいたこともあり、ここに訳出いたします。

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近現代の伝統を追いかける詩は、読者層の危機のみならず、テーマと美学上の危機に見舞われ、その形式が不毛で時代遅れになったのだろうかという疑問が生まれている。と同時に、ヒップポップのようなジャンル、さらには、語られることばとサウンド・ポエトリーが、オーラルな詩をふたたび活性化させ、新たな語りの形式とパワフルな社会的意義を取り込んでいる。

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Participants: John Giorno, Pierre Joris, Eduard Escoffet, Gonzalo Escarpa, Enric Casasses, Perejaume, Krzysztof Czyzewski i Chris Keulemans. Lydia Lunch (photo Marc Viaplana) Jorge Riechmann (photo Natividad Corral) i Bartomeu Ferrando (photo Chua Chye Teck) といった、サイト内にあらわれる詩人の名前を、私は寡聞にしてひとりも知りません。
 これもまた、現在の自分の立ち位置の、ある面をあらわしているのかもしれない、と思いました。じつに、17年ぶりに、詩の世界へもどりつつあります。完全「浦島状態」です。でも、思わぬ発見もあって、なかなか面白いものがあります。

2009/04/03

もえる白、もえる黄色、色づく真紅

 烈風の吹きあれた、弥生から卯月への変わり目。いつもなら、ソメイヨシノが終るころ、山桜が咲きはじめるのに、なぜか今年は、山桜のほうがひとあし先に咲いた。深大寺の桜でも見にいきたいナ。

 萌えはじめた若葉、次第に濃くなる緑のあいまに、ユキヤナギの白、レンギョウの黄色、生け垣のコックロビンの真紅がおりなす春の色彩。

 しだれ柳の若葉もやわらかく目にしみて。また思い出すあの歌。

  やわらかく柳あおめる
  北上の岸辺目に見ゆ
  泣けとごとくに
                啄木