Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2014/05/27

クッツェー三部作、作業終了! あとは本になるのを待つだけ。

すべて終った。ついに、クッツェーの自伝的三部作の翻訳作業が訳者の手を離れた。

 あとは装丁家にきれいな衣装を着せてもらい、編集者の細やかな配慮に見守られて「本」というかたちになって、書店という舞台にのぼるのを待つだけだ。当初の出版予定より少し遅くなるかもしれないけれど、みなさん待っていてくださいね!

 ここにいたるまでには、なんとも険しい山あり、深い谷あり、急流ありで、難所をいくつも通らねばならなかった。長い道のりだった。

 思い返すと、このトリロジーとの旅は1997年の北半球の秋、第一部『少年時代』が出版されたときに始まった。かれこれ17年も前のことだ。数ページ読んだだけで「あなたの仕事だよ!」と言われているような気がした。
 幸い『マイケル・K』を世に出してくれた編集者O氏の力で1999年、『少年時代』の拙訳は読者に届けられた。しかし、続編が難航した。第二部の『青年時代』が原稿で送られてきたのが2001年5月、いま読んでも、内容の苛烈なまでの面白さは文句なしなのだが。

『青年時代』を翻訳することは『少年時代』を訳した者の仕事/duty だと思う、そんなことをクッツェー氏とお茶を飲みながら話して、原著にサインをもらった。2007年12月に彼が再来日したときのことだ。そのサインページを撮影してフレームに入れ、仕事部屋の棚に置いた。それ以来、『青年時代』の翻訳は実現すべき課題となり、毎日「さあ、ちゃんと仕事をしなさい」と棚の上から激励されることになったのだ。
 2003年に作家がノーベル文学賞を受賞し、2006年、2007年と来日が続いたことは大きかった。『鉄の時代』が、河出書房新社の池澤夏樹個人編集による世界文学全集に入ったことも力強い追い風になった。Merci!

 2009年、みぞれ降る2月に、クッツェーの次の作品『サマータイム』が、なんと、自伝的三部作の最後の部分にあたることを知ったときの驚き。クッツェー氏に連絡すると、「まだ草稿の段階で完成していないが、数週間のうちに仕上げられるといいのだか」というメールが返ってきた。あれはゾーイ・ウィカムの『デイヴィッドの物語』と悪戦苦闘していたころだったろうか。

 それから数えて5年、1巻になった2011年から数えても3年、終ってみると、こうして年数ばかり数えてしまい、苦笑する。3冊分の翻訳期間として3年もらって、ついに完成だ。書棚の上から見下ろしていた写真も、もうすぐ、本ができてきたらお役御免かな。6年あまり激励の視線を注いでくれた写真たちの埃を、今日はきれいに払って記念撮影だ(いちばん上の写真)。本当に長い道のりだった。

 本ができあがるまでの時間は、いっときの脱力感に不思議なわくわく感とかすかな不安が混じり込む、いわく言いがたい時間だ。昨夜の雨でちょっと湿り気のある空気を、深々と吸い込む。書架にある写真の周辺にも、心地よい風が吹き抜けていく。
 

2014/05/22

遠くでリラの花が咲く季節に

 朝起きたら、ふんわり晴れのお天気が、いまは青い空をところどころ残しながら雲が広がり、曇天になってきた。おや、雨! 降ってきましたね。雷鳴まで聞こえる。

 昨日、クッツェーの『サマータイム、青年時代、少年時代──辺境からの三つの〈自伝〉』(インスクリプト近刊)の「解説、年譜、訳者あとがき」の3校を速達で郵送して、完全脱力。これで訳者としての仕事は99%が終った。残るは送ったゲラの最後の確認と、著訳者略歴、カバーなどに入る写真のキャプションをチェックするだけ。

 4冊目の詩集『記憶のゆきを踏んで』(水牛/インスクリプト)を校了したという知らせも届いた。嬉しい。念願の三部作と詩集の同時発売だ。

 ここまでくる道のりは長かったのか、そうではないのか、いまとなってはよく分からない。なにしろそもそものスタートは1997年なのだから。
 クッツェー三部作はタイトルを決めるまでが大変だった。あれこれアイディアを出し、議論をし、最後の最後までなかなか決まらず、ああでもない、こうでもない、と悩みに悩んで・・・それでも、結果はごらんの通り。なにを議論したのか定かではないような、あっさりしたタイトルになった・・・ように見えるところが肝(笑)!

 梅雨に入るにはまだ早い。日一日と緑が濃さを増していく、大好きな東京の初夏に作業が終ったのは幸運だった。北海道ではリラの花が咲いているころだ。樹影が目に入るまえから、ふっと匂いが流れてくる、あの薄紫色の小花たち。家までの一本道を、だんだん匂いが近づいてくるのを確かめながら歩いた、あのころ。家に入る小径をまがると圧倒的な芳香に包まれた、あのころ。11歳から7年間住んだ家の前庭には、2本のリラの灌木が植わっていた。父が好きだったのだろうか、それとも母が好きな木だったのだろうか。ふたりとも逝ってしまったいまとなっては確かめようもない。

「リラ」という呼び名は、たしか、東京にきてから知った名前ではなかったか。北海道ではライラックと呼んでいたのだ。フランス語の呼称を知ったのは、いま思えばじつに「分かりやすい」単純な理由でフランス語を学ぶ学科を選び、そこへ入ってしまったからだ。それが正解だったかどうか、これまた、いまだによく分からない。その出来事から出発した、というだけのこと。

 東京に出てから、なにが恋しいと思ったかとえいば、リラの花の香りほど恋しかったものはない。最初の娘が生まれたとき、ついに、この花の名前をつけてしまったくらいなのだから。そんな思いつきが、名前をつけられた当人に、その後どんな影響をおよぼすことになるかなんて、とんと無頓着な30歳の母親の単線的なアイディアだった! わたし自身の名前もまた、ある意味、それと似たような道をたどってきたような気もするけれど。親なんて・・・(爆)。

 と、こうして書いているうちに、しのつく雨になり、その雨がやんで陽が差してきた。遠雷はまだ聞こえるが、雨に洗われた樹木がまぶしい。遠く南アフリカのカルーとジョン・クッツェーの家族との関係を考えながら、北海道のリラの花に思いをはせる。

2014/05/20

映画「半分のぼった黄色い太陽」の予告編



合州国ではすでに上映されているようですが、ナイジェリアでは、なんと、上映が無期限延期となったままです。女生徒誘拐事件が解決されるまでは、無理なのでしょうか。

 日本で上映されるのはいつなんだろなあ。

2014/05/19

ニンゲンは行儀よくしなければ、地上では動物たちの客なんだから/クッツェー

facebook を毎日のようにのぞいていて、ほとんどアディクトめいたようすになってきたことに、われながら驚く。そのせいか、ブログを書く回数が減ってきたような気がする。これはまずい。

facebook はすぐに誰かの反応があるので面白い反面、そこに書き込んだことがどんどん下の方に落ちていき、またたくまに視界から消える。自分のタイムラインにシェアしても、数カ月もたつと取り出すのさえ面倒になる。情報の断片を、これは前に読んだことと関連していると思って、以前の情報を検索しようとしてもうまく辿り着けない。つまり、情報は「その場限り」のはかない生命となりやすいのだ。

 時間をかけてじっくりやる仕事や作業にはまったくもって向いていない。ただの「反応」の山であって「応答」にはなりにくい。情報発信には役立ち、相互作用も組み込まれているから「広場」的な役割もはたしているが、それが発信者のほとんど独りよがりともいえる書き込みや、つぶやきが中心になってしまうとつまらない。

 池の水面に落とされた小石の波紋。その波紋をゆっくり読み取る作業はあまり重要視されない。これは「文学」とは対極の流れ方かもしれない、facebook に流されないために、いま一度、ブログに戻ろうと思う。


先日はこんな書き込みを facebook にした。再度ここにペーストしておく。

When a journalist ・・・asked why he should want to help animals, he gave sharp, humorous reply:  "They were here on earth before we were.  We are their guest.  I'd like to persuade human beings to behave like good guests." ──J.M. Coetzee: A life in Writing by J. C. Kannemeyer p591

あるジャーナリストがクッツェーに、なぜ動物を助けたいと思うのか、と訊ねると、彼はきっぱりと、ユーモラスにこう答えた。「動物たちは地球上にわれわれが来る前からいた。われわれは動物の客なんだ。わたしは人間に行儀の良い客として振る舞えと説得したい」──J. C. カンネメイヤーの『伝記』より

けだし名言である。

さて、クッツェー自伝的三部作『サマータイム、青年時代、少年時代──辺境からの三つの自伝』(インスクリプト近刊)の作業も、98%が終った。あと一息だ。

2014/05/18

さわやかな五月の午後に


 昨日は風かおる五月の空を見ながら、南アフリカ大使公邸で開かれた催しに行った。

日本での反アパルトヘイト運動を記憶、記録するための催しといっていいだろうか。いまひとつ貴重な経験だったのは、日本と南アフリカのグラスルーツ的な繋がりをつくる努力をしてきた若い人たちの声が聞けたことだ。

 会場にはアパルトヘイト白人政権下の南アフリカ時代から縁の深い外務省や、経済界の面々もいたようだが、もちろん面識がないからわたしにはわからない。わかるのは、かつて日本で反パルトヘイト運動をやった広い意味での仲間たちだ。それについては昨年暮れに一度書いた

 さわやかな五月の風に吹かれて、これで訪れるのが三度目になる、南ア大使公邸の庭でいただく白ワインのおいしかったこと! ズールー民族の出身だという大柄なペコ大使の笑顔がなかなかすてきだった。

 その場でもらったペーパーのなかに「日本で出版された反アパルトヘイト関連書籍」のリストがあって、そこに、ゾーイ・ウィカムの『デイヴィッドの物語』が入っていることにいまごろ気がついた。なんと!

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時事通信でもう記事になりました


PS: 肝腎なことを書き忘れました。この催しは、南アフリカ民主化20周年と、日本と南アの人々の連帯と協力の50周年を記念したものでした。ほら、民主化というのは1994年のアパルトヘイトからの解放のことで、撤廃は1991年ではないのですよ。くれぐれも、お間違えのないように!

2014/05/04

クッツェー:草庵に暫く居ては打ち破り、明日はモンテビデオ

草庵に暫く居ては打ち破り

先月末はブエノスアイレスにポール・オースターとあらわれて、往復書簡集から読んだりしていたクッツェーさんですが、明日はウルグアイのモンテビデオで「個人ライブラリー」について話す予定だとか。
 このところ南アメリカの国々を集中的にめぐっているようです。次はどこに行くのだろう?


 さてさて、もうすぐクッツェーの自伝的三部作の拙訳が出ます。初めて紹介する作品をふたつも含む三部作です。予定では680ページ。タイトルは:

『サマータイム、青年時代、少年時代 ── 辺境からの三つの〈自伝〉


 本文はもうあがりました。なんとしても5月末には、という意気込みで、いま解説と年譜など最後の見直しをしています。写真がたくさん入りますよ! インスクリプト刊
 
 今日は五月晴れの朝でしたが、また風が出てきて、なんだか風邪がぶりかえして、家族との外出を取り止めました。窓からの眺め、躑躅がとてもきれい。ハナミズキも白い花を誇らしげに咲かせている。

 それにしても、クッツェーさん、6月にはイギリスのオクスフォードやノリッジにあらわれる予定だというので、このままずっと旅をつづけるのでしょうか。いまや、旅こそ人生、という感じですね。それでつい思い出してしまったのですよ、かの有名な芭蕉の句を。

 草庵に暫く居ては打ち破り  


2014/05/01

歌曲/ジュノ・ディアス『こうしてお前は彼女にフラれる』から生まれた曲

ジュノ・ディアスの短編集『こうしてお前は彼女にフラれる』(都甲幸治・久保尚美訳/新潮社)のエピグラフに出てくるサンドラ・シスネロスの詩「One Last Song for Richard」に曲がつきました。なんと!
 
 facebook で作者のジュノ・ディアスさんがアップしていて知りました。作曲したのはリチャード-リカルド・ハラミジョさん。こんな曲です。驚きです。