Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2022/05/27

花はどこへ行った? 5月30日午後9時(日本時間)に全世界で歌おう!

昨夜、詩人・作家の池澤夏樹さんから呼びかけるメールがきました。

1955年に米国のピート・シーガーが作った曲「Where have all the flowers gone? 花はどこへ行った?」を全世界で歌おうという内容でした。ヴェトナム反戦歌として非常に有名なこの曲は、シーガーがその直前に読んだというショーロホフの『静かなドン』のなかに出てくるコサックの民謡「Koloda-Duda」から採られているそうです。メロディーはアイルランドの労働歌が用いられているとか(Wikipedia による)。ロシアとウクライナの文化がミックスされた歌が本歌、だから、それを全世界で一斉に歌おうということです。

 英語はジョーン・バエズ、フランス語はジュリエット・グレゴ、ドイツ語はマレーネ・ディートリッヒが、それぞれ歌っている動画がYOUTUBEに出てきます。

 びっくりしたのはロシア語のバージョンです。沼野恭子さんによると、「歌っているのはジャンナ・ビチェフスカヤЖанна Бичевская(1944年生まれ)というシンガーソングライターで、1970年代にとても人気がありました」とのこと。

 歌い上げずに、淡々と歌うところが、とてもとても心打たれます。日本語の字幕もついています。ぜひ聞いてください。そして、何語でもかまわないから、5月30日午後9時にみんなでこの歌を歌おう。

英語バージョンの最後、「When will they ever learn? いつになったら彼らは学ぶんだ?」というルフランが、痛みを持って迫ってくる。

2022/05/20

スイカズラと『パープル・ハイビスカス』

 夕暮れの散歩の途中で見つけた花、名前が思い出せないので少しだけ持ち帰って、「カズラ、花、5月」で検索すると一発で出てきた。

 スイカズラ

 あまい香りをあたりにふわりと漂わせている。

 青空の下で昨日、撮影した、出来立てホヤホヤの拙者訳、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『パープル・ハイビスカス』の写真と並べて見る。なんとなく色調が似ているのだ。


 2022年5月20日の発売記念に。


2022/05/11

アディーチェ初作『パープル・ハイビスカス』、発売です!

 お待たせしました。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェのデビュー作パープル・ハイビスカスが、今月20日に河出書房新社から発売です。(追記:5.18ネット書店で「在庫あり」になりました!

異端になることを恐れるな。たった一度の自分の人生を生きるために  西加奈子

 舞台はナイジェリアの南部エヌグという町、主人公カンビリは15歳の女の子。裕福だけれど、とても厳格なカトリック信者の父親の、強い支配のもとに暮らしています。兄のジャジャとは、ことばではなく、もっぱら眼差しで会話をするような暮らしです。

 父親の妹で大学講師のイフェオマおばさんが、それをみかねて、兄と妹をスッカの家へ招いてくれます。おばさんの家で、いとこたちが自由に自分の意見を言い合う様子にカンビリは心底びっくりして、最初はガチガチに緊張しながらも、だんだん外の世界に目覚めていきます。

 おばさんの家によく訪ねてくるアマディ神父に、いとこたちは辛辣な疑問を投じて、議論の花を咲かせています。一言もしゃべらない内気なカンビリを心配したアマディ神父は、彼女をサッカー場へ連れ出して、思い切り走ることを教えてくれます。うっとりするような美声のアマディ神父に、カンビリは淡い恋心を抱きますが……

 イフェオマおばさんはガーデニングに凝っていて、家の前の花壇には赤ではなく、紫色のハイビスカスが咲いていました。兄のジャジャがその茎を家に持ち帰って育てるのですが。。。自由という色を秘めた、紫色のハイビスカス。

 この作品には、発表当時JM・クッツェーからこんな賛辞が寄せられました。

 宗教的不寛容とナイジェリアという国家の酷薄な面に、あまりに年若くしてさらされた子どもの、繊細で心に沁みる物語。          J・M・クッツェー

            

 2003年に米国南部にある小さな出版社アルゴンキンから出た、アディーチェの初めての長編作品。『半分のぼった黄色い太陽』や『アメリカーナ』にくらべると登場人物も多くないし、人間関係もそれほど入り組んでいないので、初めてアディーチェの作品と出会うには、この本が最適かもしれません。 

 

2022/05/06

「すばる 6月号」に「曇る眼鏡を拭きながら 5」が

 今朝は少し雲が多いけれど、でもまだまだ気持ちのいい初夏の一日、斎藤真理子さんとの往復書簡「曇る眼鏡を拭きながら」も第3ラウンドに入りました。

 今日発売の「すばる 6月号」に載っているのは、斎藤真理子さんへ、くぼたのぞみが書く3通目の手紙です。

 先月号の手紙で真理子さんから、クッツェーの『青年時代』の切り抜きの意味を質問されたので、お返事としてそれについて書きましたが、予想通り、書いているうちにどんどんハマって、クッツェー祭りになってしまいました(笑)。

『青年時代』はクッツェー自伝的三部作の第2巻で、2014年にインスクリプトから出た『サマータイム、青年時代、少年時代──辺境からの三つの<自伝>』に入っています。

 第1巻と第3巻に挟まれて、やや影が薄い作品のように見えますが、どうして、どうして、改めて読むと、これはサンドイッチの中身のようにコクがあって、噛み締めると味がにじみ出てくる作品です。どこまでもドライな筆致で書かれていますが、若いってこういうことだったよなあ、と納得の一冊です。納得だけではなく今回は『ダスクランズ』を翻訳した後初めて読んだこともあって、新たな発見がいくつもありました。

 この第2部は、自分を死んだことにして、生前の友人や恋人へのインタビュー構成で読ませる第3部『サマータイム』に比べると、やや地味に見えますが、青春の嵐をくぐり抜けた人がじっくり読むと、きっとジーンとくること間違いなしです!