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2026/09/12

北海道新聞に掲載された、マリー・ンディアイ『みんな友だち』の書評

 20年前に北海道新聞に書いたマリー・ンディアイ『みんな友だち』(笠間直穂子訳・インスクリプトより2006年刊)の書評を、「エスペラントのファイル」にアップしました。

 文字がクリアにならないので、文字に起こしました。よかったら。

 ⭐️ ここです。

2026/09/08

無数の「薮」のなかを彷徨する⎯マリー・ンディアイ『復讐はわたしのもの』

夏休みも終わり、復帰した。ひさしぶりの読書だったこともあって、あっというまに読んだ。クラクラするほど面白かった。

  マリー・ンディアイ『復讐はわたしのもの』笠間直穂子訳・早川書房 

 原題は、LA VENGENCE M'APPARTIENT

 もとは旧約聖書の申命記にあることばだ。日本では文語訳の『復讐するは我にあり』というタイトルで佐木隆三が小説を書き、今村昌平監督が映画化した。70年代のことだ。映画は見なかったけれど大きな話題になった映画のタイトルとしてしっかり記憶している。

 2021年に原作が出版されたマリー・ンデイアイの『復讐はわたしのもの』は、売れない女性弁護士シュザーヌが主人公で、語りの中心にいる。ある日、事務所に一人の男がやってくる。この男、知っている、と咄嗟にシュザーヌ弁護士は思う。男は、三人の子供を殺したマルレーヌという女の夫で、ジル・プランシポと名乗った。でも事件として報道される前から知ってる、とシュザーヌ弁護士は思うのだ。

 自分は15歳のときのこの男を知った、とシュザーヌ弁護士は直感的に思うのだが、名前は果たしてプランシポだったか、自分はまだ10歳だったはずで、、、いきなり記憶のもやのなかへ突入する彼女は、どうにも確信が持てない。あれは母親がアイロンがけを頼まれてその仕事についていったときの出来事で、、、プランシポという家だったのか、、、それとも、、、でもそこで起きたことはとてもポジティヴなものだったと自分の記憶にはしまい込まれていて、そのおかげでこうして弁護士になるまで頑張れたのだけれど、でも、あれは、現在の価値観からすれば、、、父親に言わせるとまったく別の出来事のようで、、、

 事務所を訪れたその男から子殺しをした妻の弁護を依頼されて、、、シュザーヌ弁護士はその妻マルレーヌに会いに行って話をするのだが、、、はたして、、、

 最初は付箋をつけたり、余白にメモを書き込んだりしながら読んでいったけれど、3分の2ほど進んで、ンディアイの揺蕩う独白の波にさらわれて一気に読み切った。一組の夫婦と3人の子供。シュザーヌ弁護士と両親、シュザーヌ弁護士の元恋人ルディとその幼い娘リラ、シュザーヌ弁護士の家事をするモーリシャス出身のシャロンとその子供たち。スーパーで偶然会ったとき、シャロンは毅然とした表情で子供たちを、、、(最初から最後まではしょらずに「シュザーヌ弁護士」と記されるのが効いている!)

 夫婦や親子の関係にジェンダーや人種の影を絡ませながら、物語の底辺にはドロリと澱みながら「階層」「階級」の動かしがたい力が流れている。普段はあたり前のこととして受け入れてはいるが、実は、この力が人間の心理にどのような無言の力をおよぼすか。教師をしていたのに自分より上の階級の男と結婚して、子供を育てるために教職を諦め、そのためか母親や姉妹とも行き来をしなくなってしまったマルレーヌ(夫ジルの話では夫婦はとても仲が良くて、家族も申し分なく幸せだったというが・・・)、そして、弁護士にまでなったシュザーヌにも、、、ひょっとすると、この作品はそこが読みどころかもしれない。

 語りはちくちくと幾重にも絡まるいばらのような権力構造の内部で、人と人の関係と心理が永遠に定まらない無数の「薮」のなかを彷徨するかのよう。とにかくあらゆることが定かではないのだ。読み手はその彷徨にのっけから全身を包まれる。舞台は冬のボルドー。ずっと曇っている、ずっとだ。でも最後に主人公がモーリシャスへの旅をする。それが記憶と猜疑への悪魔祓いとなって着地へ向かう! 靄が切れて光が差しこむ。

 奴隷貿易に携わっていた家系の名前を変えたいという依頼人の登場が効果をあげているのも見逃せない。最後の裁判のシーンに、3人の子供を殺した女性を閉じ込めていた「家」、というキーワードが出てきて幕が降りる、みごと!


 マリー・ンディアイは最初にインスクリプトから笠間さんの訳で出た『みんな友だち』を北海道新聞で書評したのが、わたしの最初の記憶だ。おなじ出版社から『心ふさがれて』(2008)も出たけれど、なぜかぼんやりとしか覚えていない。(たぶん他のことで頭がいっぱいだったんだろうな。)それ以後も『ロジー・カルプ』(2010)『逞しい三人の女』(2019)(いずれも小野正嗣訳 早川書房)と2冊も翻訳が出ている。でも、とにかく『みんな友だち』が衝撃的だった。こういうアフリカ絡みの小説はじめて読むかも、と感じたことを思い出すのだ。

 そのせいだろうか、ンディアイの作品が日本語に上陸してから20年、と感慨深い。訳者あとがきがとても充実している。そこに出てくるンディアイの自伝的作品『善人ドゥニ』がいたく面白そうだ。「老いゆく母のこと、語り手の幼少時に家を出てセネガルへ戻った父のこと、そして父に会いに未知の国へ降りたった若い女性のことを、ドゥニという名の人物を通じて全篇がつながるように描いた連作」とある。これはぜひ、ぜひ読みたい!

 とにかくンディアイはこんなにすごい作品を書く作家になっていたのを実感した読書だった。間違いなく現代フランスを代表する作家だろう。ノーベル文学賞の候補と噂されるのも十分わかる。

 ちなみにンディアイは映画「サントメール」のシナリオも書いていて、あの映画にもこの『復讐はわたしのもの』にも「子殺し」というテーマが流れている。母性という名の「美名」に閉じ込められる暴力性と抑圧、その制度的な構造と、心理の力学を、21世紀という時代に、ポジとネガの境界を定めずに、ひたひたと言語化してンディアイは伝える。読むことが無数の薮のなかを彷徨うことになるのも必然である。

 藪の向こうを凝視すること。定まった答えはない。自分の経験と知識を総動員して見つけるしかない。そこがたまらなく刺激的だ。☆


***

2026.9.9/訂正:『ロジー・カルプ』の訳者も小野正嗣さんでした。お詫びして訂正いたします。

2026/06/23

アイヴァン・ヴラディスラヴィッチ Ivan Vladislavić を紹介しました

 柴田元幸氏編集のMONKEY6月号で、英語で書く南アフリカの作家アイヴァン・ヴラディスラヴィッチ Ivan Vladislavić を紹介しました。作品は「首相が死んでしまった」。初期の短編です。

 13人の「この人たち、本邦初訳です。」という特集。

 ヴラディスラヴィッチは1957年にプレトリアに生まれて、現在はヨハネスブルグに住んでいます。名前からわかるように、東欧系。父方はクロアチアからの移民だそうです。

 写真や絵画との関連作品が多く、ヴィジュアルな要素をことばでシュールに描き出す作家。「首相が死んでしまった」に出てくる編み物をするエキセントリックなおばあさんが出色です。タイトルはこのおばあさんがラジオを聞いていて、ニュースで首相が刺殺されたことを耳にして叫んだことばです。

 南アでは、1948年に立ち上げられたアパルトヘイト制度の実質的な骨組みを作ったヘンドリック・フルヴールト(1901~1966)という首相が、国会開催中に刺殺されるという事件が起きています。作品が描かれたのは事件が起きたときからぐんと下った80年代。検閲の厳しい時代に書かれた作品なので、暗に含みをもった表現が盛り込まれていて、なにげなく、一見フツーに描かれていることばの裏に、とびきり辛辣な揶揄が含まれている、そんな短編です。物語の後半にかけて、不穏な感じが勢いづいていく様子がなんとも。

 表紙をアイヴァンさんに添付ファイルで送ったら、愉快な表紙に描かれているほかの乗組員が誰なのか興味津々です、と返事が来ました。雑誌は現在、ヨハネスに向かっているはず。南アは郵便事情が危ういのでしっかり書き留めで送りました!


2025/12/27

ハン・ガン『光と糸』を読みはじめた

冬は大切な時間をはこんでくる。

窓を開けると鼻につんとくる冷気、遠く林の向こうに沈む夕日。

 ハン・ガンの『光と糸』を読みはじめた。

 これは読むタイミングを選ばなきゃいけない本だと、手にしたときから思っていた。だから、しばらく机の上に積まれていた。書物の置かれた場所が、時おり光って見えた。でも漆黒のカバーに包まれてじっと待っていてくれる、それはわかっていた。だからこそ読む側の心身の状態をていねいに準備したのだ。

 ようやくページを開く。これは冬の冷気、いや、寒気の訪れとともに読む本だという直感は、あたっていた。

 最初の「光と糸」を読んで⎯ノーベル文学賞受賞記念講演⎯8歳のハン・ガンが書いた文字の写真を見て、喉のあたりに込み上げてくるものに声をなくす。他にも心に染み入る文章がいくつもあって、ある種の至福感に打ちのめされる、響いてくる。

「人間性の日溜まりと血溜まりと。その二つが常に隣り合っていて、どちらかへ行こうとしたらもう一つも絶対に通らなくてはいけない。ハン・ガンの小説にはそんな特徴がある」と、あとがきで訳者は書いている。

 ノーベル文学賞を50代で受賞したハン・ガン。年齢ではなくて、2024年の世界がこの人を必要としたんだ、という訳者のことばに納得する。

 読みすすむにつれて、斎藤真理子の日本語で、この本を読める幸運をしみじみ思う。

  過去が現在を助けることはできるか?
  死者が生者を救うことはできるのか?

 2025年の必読書、おすすめです。主観のみの読書感想文、コバヒデみたいだな😅、でもいいのだ。

 ハン・ガン著/斎藤真理子訳『光と糸』(河出書房新社)


***

2025.12.30追記

ハン・ガンの作品を読むときのキーワードは「問い」だ。

2025/11/18

すてきな本がとどいた⎯『翔びたつ女たち コレット・ドゥブレ淡彩画集』

ふらりと散歩に出ると目に飛び込んでくる、赤、紅、橙、黄、浅緑、深緑、濃茶など、あざやかに色づく樹木たち。今年は紅葉がじつに美しい。目から胸に、その奥に、深々と染みる色たち。そして今日、すてきな本がとどいた。

『翔びたつ女たち コレット・ドゥブレ淡彩画集』


美しい。予告がでたときから心待ちしていた本だった。

フランスの画家コレット・ドゥブレ Colette Debléは1944年1月8日生まれだから、現在81歳。美術にうといわたしは初めて知る名前で、こうして画集となった絵も初めて見るのだけれど、なぜか、これ、好き、この透明な色合い、知ってる! と思うのだった。勝手な思い込みであることは重々承知で、そう言いたくなる衝動を抑えきれない。ラヴィLavis(淡彩画)というジャンルだそうだ。

最近は屋外で本の写真を撮ることもなくなっていたのに、これは冬の夕暮れ間近かのベランダで、パチリ、パチリ、パチッ!と素人写真を撮った。中身も1枚だけ。作品は右ページに、元になった絵が左ページにあって、これも絶妙。デューラーの「メランコリア」もあったり。ちなみに右の写真の見開きページの元の絵はフランソワ・ブーシェの「ユピテルとカリスト」。(追記:この本に寄せられた石川美子氏の文「視線は存在を自由にする」の最後に⎯ドゥブレによる「出典」メモには「ディアーナに化けてカリストを誘惑するユピテル」と書かれている⎯とある。ふうむ🤔)

カバーの折り返しに引用されていることばを少し。

  美術史のなかの女性の表象をめぐる造形的なこころみ。

  枠から出た女性たちを見ること。

この本に使われた原画が神保町のギャラリーで展示される予定だなんて、いまからワクワクしてしまう。どれほど美しい本か、実物にまさるものはないので、ぜひ書店で手に取ってみてほしい。『翔びたつ女たち』11月20日発売です。

2025/09/20

亀のような読書時間、山羊のように紙を食べて

  昨日でおしまい──だろうか? 9月に入って少し暑さが遠のいた感じもしたけれど、昨日まではまた酷暑と同じ気温。35度とか36度とか。天気予報によれば、これからもまだ日中30度超えの日がちらほらありそうだから、ほんとに終わるのは月末か──去年はどうだったかな? と記録を引っ張り出してみると、9月23日まで熱帯夜が続いていた!とあるので、今年は数日だけ早く涼しくなったわけだ。

 去り行く夏、はなかなか去らなかったなあ、という実感で迎える9月中旬。

歩いてみたい波打ち際
 亀のように、きっと秋は進む。だから亀のように本を読んで、山羊のように紙を食べて、また亀のように仕事をする、、、、今月は、知人、友人の仕事がたくさん届く。

 まず、北代美和子訳のフランチェスカ・スコッティ、その名も『亀たちの時間』(現代書館)が届いた。1981年生まれの新しいイタリアの作家だ。といっても日本とイタリアを行ったり来たりしながら書いた作品だという。これから「亀のように」読もう。楽しみ!

 グアダルーペ・ネッテルの短編集『赤い魚の夫婦』宇野和美訳も現代書館から出版されたのだった。もう4年にもなるのか! あれは鮮烈な作品だった。それに続く『花びらとその他の不穏の物語』も。


 そして昨日は、待望のマーガレット・アトウッド『ダンシング・ガールズ』(白水社)が届いた。言わずと知れた岸本佐知子訳の1989年初訳の新装改訳版だ。この作品が私が読んだ最初のアトウッドで、日常のなかになんとなく不穏な空気が漂っていて、とにかく面白かった。そしてその感覚と記憶があとあとまで尾を引いた。

鳥は踊ってる?
 大きな話題になった『侍女の物語』の日本語訳が出版されたのが1990年だから、翌年か。これは衝撃的な物語だったな。大島かおり訳の『浮かびあがる』が1993年。このあたりまでは追いかけて読んだ記憶があるけれど、それ以後は興味関心が、ちょっと違う方角へ(S・シスネロスとかラティーナ作家とかへ)向かったんだった。

 でもこうしてみると、アトウッドって多作だなあ。ずいぶん日本語にも訳されている。1939年11月生まれというから、1940年2月生まれのJ・M・クッツェーと、同時代を生きてきた作家だ。フランスとイギリスの植民地だったカナダ、オランダとイギリスの植民地だった南アフリカ、地球上の位置は北と南と異なるけれど、それぞれの土地で生まれて英語で教育を受け、英語で書いてきた作家たちだ。


 ずいぶん前になるけれど、シャルル・ボードレールとドストエフスキーの生年がおなじ1821年だね、というと、それがどういう関係があるんですか? とほぼ同年代の優秀な編集者から真顔で言われたことがある。その時わたしは絶句状態だったけれど、当時の歴史や文化の交流を視野に入れると、今なら、絶大な関係があるでしょ、と返せるだろう。フランスやロシアの文学史に疎い私にだっておぼろに見えるものがある。文化は一国内ではおさまらない。横のつながりを想像しなくちゃ。(自分を含め近代的な「国民文学」で作品を見てきた後遺症からの解放ね。)

 19世紀ロシアの貴族たちがフランス文化に憧れたことは超がつくほど有名で、高校時代に読んだトルストイの『アンナ・カレーニナ』の日本語訳には、登場人物たちの会話にフランス語のカタカナルビがふってあった。これはトルストイが生きた時代、ロシア貴族たちはフランス語で会話をしていたということを示しているわけで、それほどフランス文化への憧れは強かったのだろう。であれば、フランス文学にロシア文学者が憧れないわけはない。ドストだって作家になる前、バルザックの作品をフランス語からロシア語へ翻訳しているそうだし。

 同時代作家たちを横のつながりで眼差す視点は、とても大事なんじゃないか、(作家同士の交流が直接はないとしても)とアトウッドとクッツェーの生年を確認して、あらためて思ふのだ。

 他にもいただいた御本があるんだった。ありがとうございました。

・カンディ・アンドリューズ著 荒木和華子・渡辺賢一郎・上林朋広・苧野亮介訳『剥き出しの帝国』(明石書店)──「アフリカ」からの眼差し、とあって、これはじっくり読まなくちゃという本ですね。
・ジェニファー・イーガン著 谷崎由依訳『キャンディハウス』(早川書房)──分厚い作品を訳了された谷崎さん、ご苦労様でした。

(敬称略)

2025/07/26

掌篇小説『憧れの火ともる昭和』: 東京新聞


東京新聞の「月刊掌篇小説」のページに『憧れの火ともる昭和』が掲載されました。短い「手のひら」サイズの小説です。フィクションの衣をつけてさらりと揚げましたが、素材の鮮度は保証します。掲載は7月25日夕刊ですが、一部の地域では翌26日の朝刊。書いた時期は今年5月から6月にかけてです。

 なんだか、2021年秋に出版されたメモワール『山羊と水葬』(書肆侃侃房)の続編というか、番外編というか、そんな感じになりました。書き出しは昭和30年代半ばの北の田舎。テレビが初めてやってきたころです。
「懐かしの昭和」がここにきて大流行りですが、懐かしがってばかりもいられないのが昭和の中身でした。「その子」にとって「憧れ」の狼煙のあがったのが、白黒テレビが一家に一台入ってきた昭和30年代、憧れを機動力にして北の大きな島から海を渡って東京へ出たものの、気分は大海原の漂流者(ここはちょっと駆け足で進んで)、、、、ようやく翻訳など始めてから、世界が少しずつクリアに見えるようになって。やがて「翻訳の世界」は、言語も、国境も、民族も超え、ジェンダーさえ超えうるのだと気づいていきます。まさにトランスローカルな世界観。

 そしていまは2025年、母や父が生きてくぐり抜けたあの戦争に負けてから80年の歳月が過ぎました。空を見あげて、100年前のアンダルシアへふわふわと飛びながら、また憧れかよ、それでどうなるの? これからどうするっていうの? と自分にツッコミを入れたくなる。そんな掌編です。

 挿絵に仔山羊と鶏がいるんだよ〜〜泣ける😭!と「その子」は思っています。じつはとってもセンチメンタルだから──💦💦 可愛い仔山羊の挿画を描いてくれた小河奈緒子さん、ありがとうございました。

****

 世代交代で「海外文学の森へ」からは抜けましたが、このところあちこちで翻訳が出るようになった「アフリカン文学」について、どんどん紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

2025/07/13

朝顔すだれと『水脈を聴く男』の書評

今年も朝顔のすだれです。葉っぱの密度がすごい!

1週間ほど前の写真とくらべてみてください。あれから大きな葉がぐんぐん広がり、何度も束になってベランダの天井を突き抜けたいとばかりに伸びました。そこで束ごとくるっと旋回させて下へさげたり、横へ向けたり。

←するとこんな感じになりました。


 光を透かすようにして裏側から撮った写真の、葉が作り出す濃淡がおもしろい。花は外側に向かって少し咲くようになりましたが、今年の朝顔の特徴は、なんといっても、もりもり茂る葉っぱです。風に揺られて、とても涼しげ。

 今朝は光とは反対側に向かって、めずらしく花首を思い切り伸ばして一輪だけポツンと咲いてるのがあって、なんだか不思議な感じです。

***

先月のことになりますが、日経新聞(6月27日)に『水脈を聴く男』の書評を書きました。著者はオマーンの作家ザフラーン・アルカースィミー、訳者は山本薫、マイサラ・アフィーフィーのお二人、版元は書肆侃侃房です。

 オマーンってここか!と地図を見ながら読みました。

 すでにあちこちに書評や、来日した作家のインタビュー記事が掲載されているので、詳しい説明は省略します。

 すごく面白い作品で、おすすめです!


2025/06/10

梔子の花が咲いた

2025.6.10 開花

今シーズン初めての梔子が咲いた。花は小さいけれど、いい香りだ。

 昨年のちょうどいまごろ、ベランダに小さな梔子の鉢がやってきた。花が終わったころに大きめの鉢に植え替えて、西陽を当てないように水を遣りつづけ、冬を越した。

 鉢は2つあって、最初に咲いたのは、なぜか小さいほうの鉢だった。

 梔子=クチナシ。

 なにも見ずには書けない漢字だけれど、文字を見ていると矢川澄子が論じていた野溝七生子の『梔子』を思い出さずにはいられない。

 明治30年(1897年)に兵庫で軍人の家に生まれ、作家になった才人で、文学批評も書いた。女は結婚して子供を産んで、というのが定番だった時代に抗い、ひたすら本を読みたいと思った先人である。文学的才覚は比類なかった、と矢川澄子から直に聞いた記憶がある。1980年代半ばのことだ。新橋第一ホテルに長期滞在して、いわゆる「家」を持たなかった人。

 調べてみると『梔子』が、ちくま文庫(2023)から復刊されていた。野溝七生子の初作品、自伝的作品といわれている。先駆的な女性の作家の作品が正当に評価されて、続々と復刊されていくのは嬉しいかぎりだ。

(敬称略)

 

2025/04/29

山室静の「焼跡にて」という詩

 PC内の資料を整理していて、発見したものがある。「山室静」というフォルダだ。

 学生時代から山室静の名前は知っていた。教養文庫というのがあって、そこで山室静が、聖書やギリシア古典を簡略にリライトして、物語として読ませる本を何冊も書いていた。その日本語がわたしにはピッタリきた。変に学者ぶらず、小難しい衒学的な用語で読者を煙に巻くこともない。しなやかな、開かれた文章だった。

2025.4.29
 それから20年近くすぎたころ、図書館でふと山室静のエッセイ集を手に取って読んだ。抜群に面白かったのか、何冊か立て続けに読んだと記憶している。

 どんな生い立ちで、どんな活動をした人かは、調べるとすぐに出てくるので、ここでは詳しく書かないけれど、苦労して学び、信州と東北に住まい、堀辰雄らと季刊誌「高原」を創刊し、1946年には本多秋五、埴谷雄高らと共に「近代文学」の創刊に加わったとある。その後は日本女子大学で教えた。無類の酒好きだったらしい。

 山があっても登らなかった、海があっても泳がなかった、人生あともう少し──というようなことをエッセイ集のあとがきに書いていた。30代のわたしは思わず笑ってしまったけれど、妙に印象に残った。

 そんな面白さに惹かれて、たぶん詩も読んだのだろう。書き写して作ったファイルを2005年にPCに入れたところを見ると、よほど気に入っていたらしい。


***** 

   焼跡にて


昼はひねもす無用の書を読み

夜は夜もすがら埒もなき夢を見て--------


こんな詩句を書いてからでも

もう十年あまりたち

いつのまにか七十五歳を越えた

目が霞んできて本を読むのもさすがに物倦く

酒もめっきり弱くなって

酔うとやたらに転んでばかりいる

そんなところへ突然火を失して

書斎と半生をかけて蒐めた本を焼いた


それでも命のあるかぎりはうろたえずに

さりげなく生きて行かなければならぬ

昨日は牡丹を植え

今日はフシグロセンノウの種をまき

筍を二本掘り取った

あとは昨日も今日も焼け残った黒焦げの本の整理-----

ただページを開くとばらばら落ちる黒い灰や砂に

とても読む気力は出ない

そこで早目に寝床について

うまくもない酒をチビリチビリやりながら

睡りと埒もない夢が訪れるのを待つ


裏山でフクロウがホーホー鳴いている

                   山室静『詩と回想 ひっそりと生きて』

                   (皆美社 一九八六年七月三十日発行)

****

2025.5.2
 この詩が収められた『詩と回想 ひっそりと生きて』が発行されたのは1987年で、1906年生まれの山室は80歳を超えている。詩を書いたのは、いまの自分とおなじ年齢かといささか驚く。住んでいる家が火事になるって想像できないけれど。それでも、あれから40年近くが過ぎて、詩の一行一行が、その余白が、しみじみと腑に落ちる。

PS: 多くの人はアンデルセンとかムーミンとか児童文学の翻訳者として記憶しているんだろうな。わたしももちろん読んだけれど、結局、93歳で老衰で他界したんだよね、このかた。


2024/05/26

ことばの杭としての記憶──海外文学の森へ 81

 東京新聞「海外文学の森へ 81」に書いた、ハン・ガン『別れを告げない』(斎藤真理子訳、白水社)をアップします。多くの人に読んでもらいたい文章だから。

 原稿を送ってから、数日後にゲラが送られてきて、手を入れるための時間は数日あったけれど、結局、赤字はひとつも入らなかった。そんなことは初めてだった。タイトル「ことばの杭としての記憶」は記者の方が付けてくれたものです。

***

"ことばの杭としての記憶"

「尾根から裾野に向かって」植えられた「何千本もの黒い丸木」に雪が降る。すべてを包み込むように、降る。これは#幻視者(ルビ・ヴィジョネール)の文学ではないか、読み終えてそう思った。


 二十年来の友人インソンが作業中に電動鋸で指を切断した。駆けつけた作家キョンハが彼女の家へ向かう。水と餌がなくなると、あっけなく死ぬ鳥の命を救うために。時間はない。バスを待つ身に降りしきる雪は、ふわりと落ちてすぐ溶けるぼたん雪だ。

 膝までの雪を漕ぐ。薄明かり、黒い樹影、手探りで進む物語の森は暗く深い。キョンハ自身の偏頭痛と豆のお粥、インソンの母が悪夢よけに、布団の下に敷いていたという糸鋸、洞窟。


 インソンの母は幼いころ「朝鮮半島の現代史上最大のトラウマ」ともいえる虐殺事件を体験した。1948年済州島四・三事件だ。偶然にも生き残った母の身振りや声、断片的な語り、娘の心に刻まれた重たい記憶の切れ端が、薄墨色の綾布を織っていく。

 インソンとキョンハは海辺に黒い丸木を林立させて、映像作品を制作しようとしていた。一旦中止になったその計画が、この物語になったのだろうか、記憶をことばの杭として打ちこむために。読者の想像力を極限まで引き出さずにおかない小説だ。


 封印されてきた歴史的事実を調べて生前の母の不可解な姿に光をあてる娘、それを幻聴のように聞きとる友人は、物語の双子のよう。次々と浮かぶ幻影を、語りの現在が固定具となって繋いでいく。その夢と救済の物語をしなやかな日本語で読むことは「死から生への究極の愛」を受ける恩寵に満ちた体験だった。

 

 解説に引用された「光がなければ光を作り出してでも進んでいくのが、書くという行為」という作家のことばに深く頷く。日本語使用者が心得るべき歴史を詳細に記す解説も迫力がある。

 出版後ただちに多くの読者に迎えられ、早々にフランス語に翻訳されてメディシス賞(外国小説部門)などを受賞と知って、フランスにも幻視者文学の長い系譜があったことを思い出した。


2024/05/21

幻視者の文学、ハン・ガン『別れを告げない』斎藤真理子訳について

 ハン・ガン『別れを告げない』斎藤真理子訳(白水社)について、東京新聞のコラム「海外文学の森へ 81」に書きました。今日5月21日夕刊に掲載されています。

******

 これは「幻視者(ヴィジョネール)の文学」ではないか、というのが筆者の見立てだ。ヴィジョネールの作家・詩人についてはフランス文学に長い歴史がある。ネルヴァルとかミショーとか。もちろんフランスだけではないけれど(ドイツの美術とか)、この作品を読んで脳裏に浮かんできたのは、そのことばだった。60年代のフランス文学全盛時代に学生だった者にとって「ヴィジョネール」はある種、特別な意味を含んだ呼称なのかもしれない。例えば梶井基次郎なんかは「ヴィジョネールの作家」と言えるだろう。

 ハン・ガンの作風は、そんな幻視の世界へ読者の視線や心を引っ張っていく──というのは深い物語の森に入っていって、ここはどこ?と思ったときに気がついたのだけれど。

左がフランス語訳、右が日本語訳

 済州島 4.3 事件。この虐殺事件は日本帝国の植民地化からの解放まもない1948年前後に、東西対立、大国間のかけひき、朝鮮戦争といった政治事情が複雑に絡まりあう状況のなかで起きた。非情なジェノサイドである。その後、軍政権が何代も続いた時代に、解明されることなく、封印されて、記憶の風化が進むかと危ぶまれる時代になった。事件が解明されはじめたのはそれほど昔ではない。

 1970年生まれの作家ハン・ガンは、『別れを告げない』の語りの中心に、この虐殺事件のサバイバー2世である映像作家インソンと、その友人である作家キョンハを置く。物語はふたりの交流と複雑に絡まる記憶を薄墨色のざっくりした布に織り込むように進んでいく。全編に雪が降る。深い雪の世界だ。

 読んでいくうちに、キョンハとインソンが、幻聴や幻視のモノクロ世界で「物語」を構成する縦糸と横糸のような関係、いや、双子のように感じられてくるから不思議だ。

 とにかく読ませる。70年生まれのハン・ガンは、おそらくそれほど遠くない未来、ノーベル文学賞を受賞するんじゃないかと確信させる作品だ。もしそうなったら、アジア人女性として初めての受賞者になるのだろう。

 昨秋から現在形で続く「パレスチナ/イスラエル」のジェノサイドが二重写しになって迫ってくる。


2024/03/13

中村佑子「冬の日の連想」⇨ 置き去りにしたものに青い硬質な光があたる

 「me and you little magazine」というウェブマガジンがある。そこに中村佑子の連載「午前3時のソリチュード」(編集は河出書房新社の谷口愛さん)がぽつぽつとアップされる。これが面白い。

 この連載は、ことばがひたひたと迫ってくる小さな波のようで、穏やかながら、ひとつひとつの波は存外、感覚の深いところへ降りてきて、その周辺の記憶に響き、あざやかに揺らす。新しい文章が加わったというお知らせがXに載ったので、さっそく読んだ。「冬の日の連想」だ。

 書き出しは2歳の男の子の頭を撫でることから始まるのだけれど、それがミケランジェロ・アントニオーニ(1912-2007)の映画「情事 (1960)」のあるシーンに繋がっていく。出てくる女優がモニカ・ヴィッティ、「L'Eclisse/太陽はひとりぼっち (1962)」のあの女優だ。この映画については以前、クッツェーの『青年時代』に絡めてここに書いたけれど、初めて観たのは学生時代、いや10年ほど前か。『情事』はたぶん観ていない。

 ところが中村佑子は学生時代に、ミケランジェロ・アントニオーニが映画監督でいちばん好きだったと書いている。驚いた。1990年代のことなのだ。

 それで思い出した。まだノーベル文学賞を受賞する前のJ・M・クッツェーが、毎日新聞にコラムを連載していたことがあった。あれは1990年代半ばから文学賞受賞までだったか。日本語に訳されて紹介されたのは、当時の南アフリカ社会の断片をスパッと切るようなコラムだったが、あるとき自分の好きな映画監督ミケランジェロ・アントニオーニのことを書いた。でもそれは、あまりにも古いネタと見做されて没になった。これは担当記者のFさんから、後で聞いた話だ(註)。

 「午前3時のソリチュード」は、去年まとめて読んだ。でも読みそびれていたものがあったことに今回、気づいた。「火の海」だ。のっけからマルグリット・デュラスの『ロル・V・シュタインの歓喜』が出てくる。でも、この作品と狂気について詳しく書かれているのは、ひとつ前の「現実の離人感」だ。とにかく、おお、デュラスかあ、とため息が出た。


 1968年に大学に入って、ストライキで授業がなくなって、それからまあ色々あって、授業が再開された。数人で作品を選んでそれについて発表することになった。そのとき5人の女子学生は、なぜか、翻訳が出たばかりのデュラスの『破壊しに、と彼女は言う/Détruire dit-elle』(訳:1969)を選んだ。ずらりと居並ぶ教授陣を前にして、あの作品をどう読んだのか、誰が何を言ったのか、いまやまったく覚えていないけれど、とにかくほぼ徹夜して、それぞれが書き上げたリポートが、デュラスの極めて難しいと言われる作品についてだったのだ。

「午前3時のソリチュード」の書き手、中村佑子はマルグリット・デュラスを、この作家のもっとも深いところまで降りていって、読む。その狂気をも含めて、ぶれることなく読む。

 当初、デュラス作品を日本語にした翻訳者は清水徹、田中倫郎、平岡篤頼といった男性研究者が圧倒的に多かった。それはなぜだろう、と以前から考えていた。(研究者も翻訳者も圧倒的に男性だったからだろうな。)でも残念ながら、会話が、とりわけ女性が発することばが、どうもしっくりこなくてはがゆかった。(今世紀に入ってからは関連書籍を北代美和子さんなどが翻訳するようになって嬉しい。)

 大学を卒業してからも、デュラスは断続的に読んだ。とりわけ80年代に発表された『アガタ』『愛人』『苦悩』『物質的生活』『エミリー.L』『北の愛人』などはどれも、詩人Kさんといっしょに貪るように読んだ。デュラスの訃報に、Kさんと献杯した記憶もある。

 J・M・クッツェーの作品を翻訳するようになって、わたし自身はデュラスからは一気に遠ざかった。ある時点で、デュラスの本はほぼすべて処分している。それもいまにして思えば自然な成り行きだったかもしれない。でも表層的には学生、OL、母親、翻訳者をこなしながら、どこかに置き去りにしてきたものがあるのだ。そのことに思い至った。

 クッツェー翻訳が一段落したいま、そんな遠い20代、30代の自分と再会させてくれる、青い硬質な光を発する、中村佑子のことばに出会えたのは幸いだ。「冬の日の連想」を読んで、しみじみ抱く不思議な感覚に身震いする。

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註:発表されていれば、少年時代に写真家をめざしたクッツェーの映画論として、貴重な映像論になったのに、没になったのが惜しまれる。 

2024/03/07

アブドゥルラザク・グルナ『楽園』(白水社)の書評とエッセイ

忘れないうちに記録しておきます。

少し前になりますが、 2月17日付日経新聞朝刊にアブドゥルラザク・グルナの本邦初訳『楽園』(粟飯原文子訳、白水社)の書評を書きました。(左の写真は、白水社のXのTLから拝借。)

東京新聞のリレーコラム「海外文学の森へ」にも、エッセイ風にこの『楽園』について書きました。

日経新聞ではもっぱら本の内容紹介と、誰の目線で「アフリカ」を書くかに焦点を当てましたが、東京新聞ではグルナがノーベル財団から受賞の知らせを受けた時のエピソードや、この作家が作品を書くときの姿勢について触れ、結びを次のようにしました。

 ──ネットで視聴できる動画「インド洋の旅」でグルナは、自分が作品を描くことは制圧者により乱暴に要約されてきた「我々の複雑で小さな世界」を再構築する営みだと語る。

 1994年に発表されてその年のブッカー賞最終候補になった『楽園』は、作品として特別実験的な試みをするといった仕掛けなどはありませんが、淡々とした文章のなかにめくるめくスワヒリ社会の多様性が描かれていて、つい、メモをとりながら読みました。

 わたしにとってスワヒリ社会はほとんど未知の世界。いろんな人が耳慣れない名前で登場するため、これは「登場人物一覧」があると便利だなあと思いながら読んだことも書いておきます。

白水社から刊行された『楽園』でスタートしたグルナコレクションは、まだこれから3冊も続くそうです。とっても楽しみ!

2023/12/31

遅読のすすめ──中村佑子著『わたしが誰かわからない』をゆっくりと読む

  早々に手に入れたのに、なぜか読みはじめるのをためらうものがあって、ずっと机の上に置かれていた本がある。中村佑子著『わたしが誰かわからない──ヤングケアラーを探す旅』(医学書院)だ。

 早く読みたい、という気持ちと、心の準備がまだできていないんじゃないの? とどこからともなく聞こえてくる声のあいだで、ピンと張った糸が糸巻きできりきりと巻きあげられていく。このままだと、弦楽器の弦のようにバツッと切れてしまいそうだ。

 著者の中村佑子さんと斎藤真理子さんのトークが、12月2日に開かれることは知っていた。でも、読まないうちに「話」を聞くのは違うと思った。だから、本を未読のわたしにはそれを聞く勇気がなかった。きっと読んでから、聞いておけばよかったと「後悔」するんだろうな、とほとんど確信に近い気持ちも湧いた。

 それでも、何かが熟して、読むべきときがやってくるのを待つしかなかった。躊躇いが消えて、本にすっと手を伸ばして、きわどいまでに素晴らしいカバー写真を一気にめくる、その瞬間が訪れるのを待つしかなかった。

 自分でも、なんだか大袈裟なことを言っているような気がするけれど、ゆっくり読むこと、じっくり読むこと、絶対に急いで読まないこと、を自分に課したこの躊躇いそのものを、その理由といっしょに考え抜いていくための読書。これは、おそらく、そういう本だ。

 そして、その直感は正しかった。

 昨夜、読みはじめた。昨夜とは12月30日の午後だ。前半は「あ、これは以前読んだお話かな」と思って、初出一覧を見ると、初期バージョンがウェブに掲載されていたことがわかった。ジョルジュ・バタイユが出てくるところも、読んだ記憶がある。

 この本で圧倒的な力をこちらに投げかけてくるのは後半だ。著者がヤングケアラーと呼ばれるようになった人たちに話を聞いていくうちに、つい自分の経験とくらべていることに気づいて、そのことの意味を何度も反芻する場面が出てくる。いわゆる「話を寝かせる」ことをめぐる自己省察。

 この本は小さな鏡面を無数に持つ本である。読んでいて、父や母や兄と「家族として」暮らしたころ体験したシーンと、そのときの感情がありありと蘇ることがたびたびあった。東京に出て短からぬ独り暮らしのあと、自分の新しい家族を作ると決めて結婚し、子育てをした怒涛のトンネル時間の記憶から、忘れていた強い感情がふいに飛び出してきたり。思わぬところへ連れられていく本だ。強い光が当たると、あれはこういうことだったかもしれない、と再認識することになったり(記憶の上書きだ)。

 自己と他者の境界が滲んでいく体験、を扱った、なかなか油断のできない本だけれど、これを書いた中村祐子という人の分析力や自己観察の鋭さに対するわたしの尊敬の念は、前著『マザリング』のときよりさらに強くなった。たとえばこんな文章。

 ──ケアを必要とする精神疾患を抱えた家族は、彼女たちにとって傷であり、刃であり、深い穴である一方で、光であり、憧れであり、生きる意味だった。そして彼/彼女は自分自身であり、一方であまりに他者のようだった。

 少しだけ引用してみたけれど、引用した途端に前後の文脈に支えられて理解される何かが決定的にはがれ落ちてしまうようだ。それはこの著書全体を貫くもっとも柔らかで、もっとも大切な何かと重なるのだけれど。引用すると、部分的なことばによる固定化が先行して「プロセス」が見えにくくなるのだ──と思いながらも、すぐあとにこんなことばが並んでいると、また書き写したくなる。

──自分をとりかこむ輪郭線をいつでも崩れさせ、自己と他者の境界を横断することができる。自己の固着という安心からいつでも離れられる無防備さというものが、ケア的主体の真価だろう。

 そしてジョルジュ・バタイユとドゥルーズ=ガタリの話になる。これはぜひ本文を読んでいただきたい。この本のいちばん「おいしい」ところは7章からなのだ。

 著者の中村佑子の生年は、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェと同じ、わたし自身が「母になる」経験をした年である。27年という短からぬ時間をすっと飛び越え、読み手のところへ真っ直ぐ届けてくれることばを紡ぐたぐいまれな知性と直感力、そして丁寧な分析と熟考。他者の存在への共感を分有し、分有へいたったプロセスを言語化する不断の努力の積み重ねがあればこそ届くのだけれど。ちょっと怖くて、とびきりの瞬間をゆたかに含みもつ本である。

***追記***

──母になったことを後悔しているという本が売れたこともあった。あなたを生んで後悔しているという意味に容易にとれる言葉をタイトルにつけた本を、理由もなく生まれさせられた子どもが手に取る可能性は考えないのだろうか。ベストセラーだと聞いてわたしのなかにうまれた違和感はあまりに強かった。(p208)

 ここで語られている本のタイトルに対する違和感の強さは、「毒親」に匹敵するほどで、わたし自身もその違和感の強さは誰にも負けないと思ったのだった。


2023/11/28

東京新聞夕刊(11月28日)マリーズ・コンデ『料理と人生』について書きました

 今日の東京新聞夕刊にマリーズ・コンデの『料理と人生』(大辻都訳、左右社)について書きました。リレーコラム「海外文学の森へ 69」です。

 すでに、やわらかなアプローチによる書評がいくつも掲載された人気の作品です。コンデ作品では1998年に日本語訳が刊行された『わたしはティチューバ:セイラムの黒人魔女』(風呂本惇子・西井のぶ子訳、新水社)以来の人気かも知れません。ついに、日本語読者もここまで追いついたか、なんてため息まじりの歓声をあげています。

 コラムでは、コンデの最初の自伝的作品『心は泣いたり笑ったり』(青土社)を2002年の暮れに訳した者として、これまでコンデが書いた4冊の自伝的作品を中心に、フランス語文学と奴隷制の歴史というコンテキストで、この作家の仕事を考えてみました。

 カリブ海に浮かぶグアドループという島に生まれ、16歳でパリに留学してからシングルマザーになり、ギニア人俳優と結婚して「憧れの」アフリカに渡り、筆舌に尽くし難い辛酸を舐めたであろうマリーズ・コンデが、ガーナでユダヤ系イギリス人のリチャード・フィルコックスと出会ったのは決定的な気がします。フィルコックスはコンデ作品の英訳者であり、終始献身的なケアラーであり続けて、『料理と人生』の聞き書きをして本にまとめた人です。

 コラムを書いてから気がついたのですが、マリーズ・コンデは、彼女が長年大学で教えたアメリカという国で、仲間に入れてもらえなかったという「アフリカン・アメリカン」の人たちとアフリカ大陸とをつなぐ貴重な立ち位置にあるのではないでしょうか。

 すでに誰かが指摘しているかもしれませんが、大西洋を中心にした地図を眺めながら思うのは、1950-60年代のアフリカ体験を書いたアメリカス出身の作家として、重要な仕事をした作家なんではないかということです。

もちろん、キャリル・フィリップスのような、カリブ海の小島に生まれて生後まもなくイギリスに渡り、学び育った英語で書く作家になって、アフリカへ旅をしてその経験を書いた人もいます。でも日本語圏文学では、そこまで視野に入れて「アフリカ」を見て、さらに「アメリカス」の文学を考える総合的な歴史的視点は、まだまだこれからなんだろうなと思うのです。


***

2023.12.13──東京新聞のコラム、貼っておきます。



2023/09/07

「海外文学の森へ 63」リディア・デイヴィス『サミュエル・ジョンソンが怒っている』

東京新聞火曜日の夕刊に隔週で掲載されるリレーコラム「海外文学の森へ」が始まったのは2021年1月だった。早いもので、あれから2年半が過ぎて、すでに63回 。

 今回は2023年9月5日夕刊に、「アメリカ小説界の静かな巨人」と言われるリディア・デイヴィスについて書いた。岸本佐知子さんの翻訳で『ほとんど記憶のない女』『話の終わり』『分解する』『サミュエル・ジョンソンが怒っている』の順に、単行本として出版されたものが相次いで白水Uブックスに入った。今回取り上げた『サミュエル・ジョンソンが怒っている』は、なんといってもそのタイトルが不思議におかしくて、泣かせる。

 さらに、つい最近、4冊とも電子書籍化されたことも嬉しい。

********「海外文学の森へ 63」******

 リディア・デイヴィスの作品はどこから読み始めてもいい。そこが好きだ。

 この『サミュエル・ジョンソンが怒っている』は『話の終わり』『分解する』と立て続けに白水Uブックスに入った、デイヴィスの訳書四冊の最後にあたる。単行本は書架にあるけれど、寝転んで読める軽い形は大歓迎、とわたしは小躍りして喜んでいる。

『サミュエル・ジョンソンが怒っている』はとても風変わりな短編集だ。タイトルになった作品はたった一行──蘇格蘭(ルビ・スコットランド)には樹というものがまるでない──だけで、エエッと声をあげたくなる。断章とか短文を集めたような構成で、味の際立つ逸品がならぶオードブルプレートみたいなのだ。ワイングラス片手に読むとその味が冴える。電車のなかでワインなしで読んでも、もちろん美味しい。

 気分が煮詰まってくると手を伸ばし、はらりとページを開く。するといきなり実況中継ふうの物語が始まって、書き手の外と内の世界が絡まり、出来事や場面が刻々と変化する。クイっと入って一つ読む、気分がカラッとする、切なくてじわっとくる。奥深い感覚描写に、唸る。

 カップルのすれ違いを詳述する少し長めの「「古女房」と「仏頂面」」を読んだときは声をあげて笑ってしまった。日常の微細な心理をここまで書くか、と作家の覚悟がひしひしと伝わってきたのだ。

 リディア・デイヴィスの名前を知ったのは『ほとんど記憶のない女』が出た二〇〇五年だった。五年後の『話の終わり』でハマって、いまはなきTV番組「週刊ブックレビュー」でイチオシ本に選んだ。傑出した自己洞察とヒリヒリするような繊細な文章に驚いたのを覚えている。

 父は大学教授、母は作家。とても知的な環境で育ったデイヴィスは、フーコー、ブランショなどを英訳し、プルースト『スワン家のほうへ』やフローベール『ボヴァリー夫人』の新訳も手がけている。

 ルシア・ベルリンがアメリカ本国で再評価されるきっかけとなった『掃除婦のための手引き書』にも序文を寄せるデイヴィス。訳者、岸本佐知子さんの「アメリカ小説界の静かな巨人」という紹介に深くうなずいてしまった。

くぼたのぞみ(翻訳家、詩人)  


2023/06/11

「海外文学の森へ 56」『過去を売る男』:ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ著、木下眞穂訳『過去を売る男』

東京新聞(6月6日夕刊)のコラム「海外文学の森 56」でジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ著、木下眞穂訳『過去を売る男』(白水社)を紹介しました。

 このリレーコラム、最初は「書評より、もっと柔らかく、身近なことも含めてエッセイふうに」という依頼だったように記憶しています。「柔らかく」がうまくいってるかどうかは別として、今回は、むかしのこともちょっと書いたり。

タイトルは、担当の記者の方が付けてくれたものです。

***アンゴラの風に乗って***

「トッケー、トッケー」と鳴くヤモリが壁を這う家に泊まったことがある。小さな娘たちとタイへ旅した遠い昔だ。『過去を売る男』を読んで、アンゴラのヤモリは笑うのか! と溜め息をつく。アンゴラのヤモリの声も聞いてみたかった。そんな叶わぬ旅への憧憬をかき立てる作品だ。

 主人公フェリックス・ヴェントゥーラはアルビノの黒人、資料を集めて過去を創作し、それを売ることを生業にしている。ポルトガル移民で古書店主の祖父、その息子が養父、という彼の系譜自体が謎めいている。おまけに家に住み着いたヤモリの語りに遠い記憶が入り込む。このヤモリ、かつては人間だったらしい。


 舞台となるアンゴラはアフリカ南西部の大きな国だ。西は大西洋に面し、北はコンゴ民主共和国、南はナミビアに隣接し、かつてはポルトガルの植民地で奴隷の輸出国だった。独立は一九七五年だが二〇〇二年まで内戦が続いた。


 六〇年生まれのアグアルーザは、ポルトガル語にいくつかバンツー系言語が混じる環境で育ったのだろう。作品内には渇いた風が運ぶいくつもの微かな声音が響き、鮮やかな色調が揺れる。


 南部アフリカにはトカゲ、ヤモリといった動物が登場する神話、民話が多い。ズールー民族の詩人マジシ・クネーネが記録した民族創世神話ではカメレオンが神の使者だし、モザンビークの作家ミア・コウトにはハラカブマ(センザンコウ)が男の内部に棲みつく物語がある。


 本書は三十二の短章が深い奥ゆきをもって連なる。過去を買いにきた男、美貌の写真家、浮浪者といった登場人物を天井から眺めるヤモリ。エピグラフのボルヘスが道づれとなり先へ先へと飽きずに読ませる。夢のなかで真実と嘘が一瞬のうちに入れ代わり、過去と現在の境が揺らぐ。


 フェリックスがヤモリと語り合うときは、書き留めたくなることばが多い。雲は「夢の出口に見えない?」とか「幸福とは、たいていの場合、無責任だ」とか。


 土地に染みついた裏切りの記憶がカラフルな房糸となって、一気にほつれて謎が解ける。その向こうに「アンゴラの海」が見えるだろうか?


                      くぼたのぞみ(翻訳家、詩人)


PDFでアップできないので、そっくりペーストします。

2023/03/10

読書記録──三浦英之著『太陽の子』

三浦英之著『太陽の子、日本がアフリカに置き去りにした秘密』(集英社、2022)を一気読みした。

 1960年代からコンゴ民主共和国で大規模な鉱山開発をした日本企業があった。鉱物資源企業「日本鉱業」だ。それはちょうど石炭が斜陽になっていった時期と重なる。資源を持たない国は必然的に、必要に応じてこの地球上で鉱山資源が埋まっている場所を試掘し、採掘し、精錬し、輸送し、と大規模展開をすることになる。
 そして、その企業活動のために、コンゴに約500名の日本人が住んでいた時期がある。1970年代から80年代にかけてだ。銅を採掘するための拠点として、事業所はもちろん、企業活動をする人たちのために住宅、宿舎、学校、病院などが建設された。

 何年もの労働と生活の場としてのコンゴで、コンゴ人女性と「結婚」して子供を作った日本人男性たちがいた。問題は女性たちが10代の少女だったことだ。日本人男性は20-40代。企業が撤退することになったとき、妻と子供たちは置き去りにされた。それはどういうことだったのか。その時代のコンゴと日本の社会状況、世界経済の波、さまざまな要因を考え合せながら、朝日新聞のアフリカ特派員、三浦英之は6年という歳月をかけて深く、長く取材を重ねていく。

「お父さんに会いたい、お父さんを探してください。僕は、私は、日本人なんです」

2006年版ペーパーバック
 そう語る「残された子どもたち」のインタビューが「フランス24」に流れ、さらにBBCの記事にもなったことは、わたしも鮮明に記憶している。日本人の病院でコンゴ人女性が産んだ赤ん坊が殺されたという噂がたった。それがニュースになった。これは、その報道内容がどこまで事実で、どこまでが「裏付けなしの一方的な報道」かを検証した報告書である。労を惜しまずに多くの人に直接インタビューをして書かれた報告書は、読みはじめたら止まらなくなり、最後まで一気に読んだ。
 コンゴの、できるだけ多くの人たちに直接インタビューをして話を聞いていく。日本に帰国した時は鉱山会社の人、コンゴで働いていた男性たちを探し出して話を聞く。そんな三浦記者を支えていたのは、長年コンゴに住み暮らしてきた70代の2人(いや在コンゴ日本大使館の人もいたから3人)の日本人カトリック教徒だったことが印象的だ。

 コンゴで鉱山開発が行われた60-70年代というのは、九州や北海道の炭鉱が相次いで閉山に追い込まれた時期でもあって、失職した炭鉱労働者がコンゴへ「出稼ぎ」に行ったことは想像に難くない。また著者が「あとがき」で「アフリカで鉱山開発に携わった少なくない数の労働者たちが帰国後、新しい、「純国産エネルギー」を支えるため、各地の原子力発電所へ送られている」と書いていることも忘れがたい。


 一時期「ザイール」という名になり、いまはまた「コンゴ」に戻ったこの国は、アフリカで最も広い面積を持っている国だ。かつては生ゴムの最大の輸出国でもあった。コンゴ河が海に流れこむ地域はフランス、ベルギー、イギリスなどの帝国による争奪戦になった。やがてウェールズ生まれの「ジャーナリストで探検家」スタンリーとベルギー国王レオポルド2世の結託で、長期にわたり「国王の私有地」となり、自動車のタイヤの爆発的なニーズによってゴム生産で巨大な富を生み出すようになる。そして第二次世界大戦後は、南東部カタンガ州がとりわけ鉱山資源が豊かなゆえに、ヨーロッパ諸国をはじめ世界中から熱い視線を浴びつつける。PCなどの蓄電池に欠かせないレアメタル、タンタルを含むコルタンの産出では他の追随を許さないからだ。アフリカのこの地域を長期にわたり「紛争地」にしておくことで利を得ている人たちがいるのだ。

 アフリカ諸国が次々と独立する1960年に、ベルギー領コンゴもまた独立。初代大統領にパトリス・ルムンバが選出された。だが、カタンガ州の鉱物資源の利権をめぐる権力闘争ゆえに暗殺された。『ルムンバの叫び』という映画にもなった。つい最近もこの暗殺にCIAとベルギー政府が絡んでいたことが明らかになったばかりだ。

 コンゴ事情を知るために三浦記者が参考資料としてあげている、藤永茂著『『闇の奥』の奥』(三交社、2006)は、出版されたときすぐに読んだ。だが、残念でならないのは、この本を書く動機になったというアダム・ホックシールドAdam Hochschildの名著『レオポルド王の亡霊/ King Leopold's Ghost, A Story of Greed, Terror and Heroism in Colonial Africa』(2006アップデート版)が日本語に翻訳されていないことだ。当時、企画会議にかけた出版社もあったと伝え聞くが、出版にいたらなかったのは日本の読者にとっても残念極まりない。

 なぜなら『レオポルド王の亡霊』という本は、現在のコンゴがなぜあのような国でありつづけるのか、レアメタルをめぐる紛争と筆舌に尽くし難い女性への性暴力の根幹を知るための必読書といえるからだ。ノーベル平和賞を受賞したムクウェゲ医師のところで止まらずに、いまからでも遅くないので、ぜひ、どこかの出版社がこの『レオポルド王の亡霊』を出さないものだろうか。

  調べてみると、原著はペーパーバックの表紙が何種類も出てくる。何度も版をあらためて、長期にわたって読み継がれているようだ。最近ではバーバラ・キングソルヴァーの序文がついた版もあるし、電子版もあるので、試し読みができる。コンゴについての基本的な史実を知りたい人には、いや、世界経済の根幹をなす「資源」について知りたい人に、超おすすめです。

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2023.3.11──昨夜、このブログを書きながら写真をうまくアップできずにいるうちに、消えてしまった部分があったことを、ある人から教えていただいた。それは図らずも今日で12年目を迎える「3.11」の原発事故と深く関係する部分でもあった。それを補ったことを付記しておく。


2023/03/08

「海外文学の森へ 51」:ジャン・フランソワ・ビレテール著・笠間直穂子訳『北京での出会い もうひとりのオーレリア』

東京新聞の「海外文学の森へ」(2023.3.7夕刊)で、ジャン・フランソワ・ビレテール著・笠間直穂子訳『北京での出会い もうひとりのオーレリア』(みすず書房)を紹介しました。

***

 最愛の伴侶を失ったとき、人はそれをどう悼むのか。本書には一九三九年スイス生まれの中国思想研究者ジャン・フランソワ・ビレテールの二冊の著書が収められている。前半『北京での出会い』は若き留学生が北京へやってきた六三年から書き起こされるが、先に書かれたのは後半『もうひとりのオーレリア』だ。

 一般人が外部世界とのやりとりを厳しく制限されていた北京で、ビレテールは医師の崔文(ツイウェン)に出会う。困難を潜り抜けて結婚にたどり着いた二人は、文化大革命が始まるころ危機一髪、シベリア鉄道経由でスイスへ向かう。だがその後長いあいだ文は家族と連絡が取れなかった。


 やがて読者は、文の家族が置かれていた状況を、彼女の次兄の語りによって知ることになる。六〇年代中国社会が、内部で生きた者の証言によって、詳細に照らし出されていく。当時は知り得なかった暮らしの細部を伝えるナラティブに、思わず手に汗握って読みふけってしまった。


 中国へ再入国できなくなったビレテールと文は、やむなく日本へやってきて京都に滞在した。六〇年代末の大学のようすを「五月のパリ」と比べる日本人に、ビレテールは「錯覚です」と応じる。五月のパリを実体験し、中国社会の内部をその目で見た者の視線の確かさが光る箇所だ。


 にべもないその応答に、わたしは視界から一気に曇りが吹き払われる思いがした。六〇年代末の日本で、ある種ファッションだった紅衛兵帽や、大学の壁に太く描かれた「造反有理」グラフィティの記憶に、異なる角度から強い光が当たったからだ。


 後半『もうひとりのオーレリア』には不意に逝った妻への追想が、日記風に記される。芸術作品の「使用法を教えてくれる案内書」と解説にあるように、これはネルヴァルの著作を下敷に、文と共に生きた時間を忘却と創作の力で新たなロマンスの殿堂へ再構築する試みといえるだろうか。


 記憶のなかで揺れる「わたしたち」の細部を固定しようとする情動の不確かさを、穏やかで淡々とした、見事な翻訳がすくいあげていく。


 ことばそのものを深く味わえる一冊である。


  くぼたのぞみ(翻訳家・詩人)