Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2009/11/26

10年目を迎えたケイン賞

英語文学におけるアフリカ文学の登竜門、ケイン賞が今年で10回目を迎えた。今年はナイジェリアのE・C・オソンドゥが、難民キャンプを舞台に書いた短編「Waiting/待っている」で受賞し、1万ポンド(約150万円)を獲得した。

物語は10歳の少年オーランド・ザキが語り手。オーランドはもちろんフロリダのオーランドだ。赤十字からもらったTシャツの胸にそう書いてあった。だからそう呼ばれている。ザキは彼が発見された場所の名前だ。
キャンプにいる子どもたちはアカプルコ、ロンドン、パリといった具合に、着ているTシャツのキャッチコピーからとった、変な名前で呼ばれつづける。本人は意味がわからないまま、いつかその土地の人が自分を養子にしてくれることを夢想している。キャッチコピーだから、セクシーなんて名もある。

毎日、食料トラックが来るのを待ち、給水タンクが来るのを待ち、カメラマンが写真を撮りに来るのを待ち、戦争が終わるのを、家族が自分を見つけてくれるのをひたすら待っている。
この作品、平易な会話調で、ときにドキッとするほど過酷な日常がさらりと描かれている。そこが評価されたらしい。

ケイン賞の10年間の受賞者を見ると、ナイジェリアとケニアから各3人、南アフリカから2人、スーダン、ウガンダから各1人で、男女半々。

この賞はアフリカを、欧米の目からではなく、アフリカ人みずからの目で書くための場を作ってきた。その成果がバラエティに富むアンソロジーとなって、すでに何冊か出ている。たとえば今年出たのは『Ten Years of the Caine Prize for African Writing

ぜひ、どこかで翻訳紹介したいものだ。

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北海道新聞2009年11月24日夕刊に掲載されたコラムに加筆しました。
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付記:2012.6.27/ 先日、都甲幸治さんと柴田元幸さんの対談を読んでいて、この短編を柴田さんが訳出紹介したという話が出てきて、おっ、そうなのか、と思った。もっとどんどん紹介されるといいなあ。今年、2012年の発表も間近です。

2009/11/22

最近のチママンダ・ンゴズィ・アディーチェ

『半分のぼった黄色い太陽』の著者、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの最近の写真と、2年ほど前の写真を、ならべてみました。

さあ、どちらが最近のものでしょう? わかるかな?
 

2009/11/19

11月の断章

鉄の時代に、
敷居をまたげないファーカイル、
生と死の境界にいるミセス・カレン、
Yes / No で答えられないもの。
子どもたちにむかって
「ダメ! 生命を大切にしなさい!」と叫ぶカレン。
現実には決して届かないことばたち。

「現実のむごさを虚構で凌駕したい」がために小説を、激しい小説を、書く──といったのは、桐野夏生だ。
             
リチャード・ブローティガンは、しかし、軽やかなことばで
「現実のむごさ」を凌駕する作品を書いた。
 思いがけないことばの連なりによって…。

2009/11/13

深まる秋に ── ささやくハリス・アレクシウ

秋もじわりと深まるころです。

 黄金色に花火のように枝をひろげる萩、赤茶色や黄褐色のグラデーションが美しい梅と桃、そして真っ赤なもみじ。
 雨あがりの濡れた葉の、鮮烈な色合いが目にしみるこの季節に、ぴったりの音楽を。あったかな飲み物を用意して、アレクシウのささやくような歌声に耳を澄ます。

 ギリシア通の友人がおしえてくれたアルバムです。しみじみと、心の奥深く響きます!

HARIS ALEXIOU WHISPERS

1. I'M IN LOVE AND I CARE ABOUT NOTHING
2. SMALL HOMELAND
3. DO NOT ASK THE SKY
4. TAKE ME
5. A SHOOTING STAR IS FALLING
6. FLOOR
7. THE GREATEST HOUR
8. I'M ONLY ASKING YOU FOR A FEW CRUMBS OF LOVE
9. THE WILD FLOWER
10. FOLLOW MY TRACKS
11. DO NOT GET TIRED OF LOVING ME
12. YOU'RE ASKING ME TO SING FOR YOU


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付記:このCDは残念ながらAmazon.co.jp では売っていません。USやUKのサイトにも出てきません。ところが、ドイツとカナダのAmazonには出てくるのです。なぜ? きっとこの2つの国には、ギリシャからの移民が多いからでしょう。

2009/11/09

第3回ファラフィナ・ワークショップ

今年もまた、ナイジェリアのラゴスで9月下旬、10日間の「ファラフィナ・ワークショップ」が開かれた。このワークショップは、2004年に雑誌「ファラフィナ」を創刊したムフタル・バカラと作家チママンダ・ンゴズィ・アディーチェが設立したNPO「ファラフィナ・トラスト」が、作家を育てるために毎年開いてきたもの。

今年で3度目を迎えるこのワークショップ、申し込み者のなかから参加者をしぼりこみ、期間中は泊まり込みで徹底討論するという。参加経費はすべてスポンサーが提供。今年からそのスポンサーが変わった。昨年までのフィデリティ銀行から「ナイジェリア・ブルーワリー」というビール会社にバトンタッチされ、むこう3年間はこの会社が受け持つという。ちなみに出版社を起こして、アディーチェの第一作『パープル・ハイビスカス』のナイジェリア独自版を出版したムフタル・バカラは、なんと元銀行マン。

写真はワークショップ最終日にラグーン・レストランで開かれたリーディングの夕べのようす。5人のファシリテイターは、左からチママンダ・ンゴズィ・アディーチェ(ナイジェリア)、ビンヤヴァンガ・ワイナイナ(ケニア)、ジャッキー・ケイ(英)、ドリーン・バインガーナ(ウガンダ)、ネイサン・イングランダー(米)。

photo:©Abiodun Omotoso

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2009/11/01

荷物運ぶ「キックスケーター」── アフリカは遠いか?(その3)

「アフリカは遠いか? ─ その3」

宝物のように取っておいた切り抜きがあります。8年以上も前の記事ですが、いつか、どこかで、必ず書こうと思っていました。

 まず、記事を読んでください。キャプション入りの写真も見てください。(写真をクリックすると拡大します。)

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★世界発2001★「自前 こだわりの装備/ルワンダ」──世界のくらし

ルワンダ西部の山間地で「キックスケーター」がはやっていた。日本でブレークしたあのキックスケーターと、構造に違いはない。人が乗る板、ハンドル、前後に小さな車輪がつく。進む時に地面を足でけるのも同じだ。
 遊ぶためや街中をおしゃれに駆け抜ける道具ではない。少年たちが買い物や給水などに使う。「イキジュクトゥ」という武骨な名前がある。現地のことばで「荷物を運ぶ木製のもの」を意味するという。
 手作りで木製。廃品タイヤを切って車輪を覆ってある。後輪の泥よけのようなゴムの覆いはブレーキらしい。自転車のベルを付けたり、板とハンドルをつなぐ部分に金属製のバネを使ったり。こだわりが装備に表れる。
 下り坂はゴロゴロと音を立てて調子がいい。上りでは、降りて重い車体を押さなくてはならない。ファッション性も、輸送手段としてもいまいちだが、数十キロはあろうかと思われる大きな荷物と、こだわりを載せて坂道を行く。(ギセニ<ルワンダ西部>=江木慎吾)

<写真キャプション>
大きな荷物を積んだルワンダ版「キックスケーター」。この荷物、丘を越えて運ぶと800ルワンダフラン(約200円)=ギセニで、江木写す。
(2001年5月5日付朝日新聞より)
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 前回紹介した『ルポ 資源大陸アフリカ』は、紛争や暴力といった烈しいテーマでなければなかなか新聞などでは取り上げられない現状を逆手に取って、あえて紛争地域に乗り込んだ記者が、海外支局に勤務する者でなければ書けないものをまとめた貴重なルポでした。
 でも、書評を書きながら「もうひとつのアフリカ」の話がなければ、これもまたシングルス・トーリーになってしまうなあ、と思い続けていました。その、もうひとつの物語の例として、ここに短い記事を紹介しました。

 ルワンダといえば多くの人が連想するのは、やはり「ツチ系」と「フツ系」ということばと共に思い出される1994年の内戦のことでしょうか。映画になったり、ノンフィクションが何冊も翻訳されたり。
 でも、この記事は、ふつうの人たちの、ごくふつうの暮らしの断面をみごとに切り取っています。写真のなかのハンドルを握る男の人の表情もいいし、子どもの姿勢がまた、なんとも可笑しくて、面白い。

 こういう記事は残念ながら、日々の新聞にはめったに掲載されません。おそらく、記者が本社へ送っても没になることが多いのでしょう。ニュース価値として低い、と考えられているからなのかもしれません。
 でも、アメリカ(中米や南米はもちろん含まない)やヨーロッパ(イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、イタリア、それにせいぜいオランダ、ベルギー、ポルトガルくらい)の場合は、文化欄や海外事情コーナーなどで、そういった情報が頻繁に記事になる。こんなふうに、大きな情報格差が当たり前のようになっていることに私はとても違和感をおぼえます。それがアフリカを遠くして、シングル・ストーリーの色眼鏡を作ってしまう、そんな気がするからです。