Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2022/09/23

優しい地獄の天国行き

イリナ・グリゴレ『優しい地獄』(亜紀書房)について東京新聞に書きました。「海外文学の森へ」というコラムです。最初に「優しい地獄の天国行き」というタイトルをつけて送ったのですが、予想通り、そのタイトルはサラリと却下されました・笑。

 でも、そんなふうに、天国行き、という表現を使いたくなる何かがこの本にはあるんです。だから、却下されて文字には残らなかったけれど(まあ、当然でしょうが)、自分でも忘れてしまわないように、ここに記録しておきます。

 ルーマニア北部の農村で生まれて育ったイリナ・グリゴレという人が書いた本です。とにかく、すごい迫力の日本語でのっけから頭をガツンとやられます。その切迫性がもろに伝わってくるところがこの本の最大の魅力なんだけれど、書くことに対する厳しい方法論にも、映像文化人類学者であるイリナさんの美しいまでの矜持が感じられます。

 読んでいくと、1984年にチェルノブイリの近くで(ルーマニア北部からそれほど遠くないのだ)生まれ育ったことによる影響を、同じ世代の人たちがモロに受けていることが、じわじわと滲み出てくる内容でもあって、がっつり視野が開かれます。

 9月20日東京新聞夕刊の記事を、ここに全文貼り付けます。


優しい地獄の天国行き


 この切実さはなんだろう? と思いながらページをめくる手が止まらない。

 赤ん坊がいきなり世界に放り出されるときはこんな感じなのか。素描される世界のイメージと、それを感知する生身の感覚が、ざらりとした詩的表現として迫ってくる。


 土と木と畑の匂いが立ちのぼる。畑から素手でもいだトマトの味がよみがえる。著者はルーマニアの農村で生まれ、祖父母が作る畑と近くの森で採れた食べ物で育つ。家の前の桜の木の実、森のきのこや山菜。畑で葡萄を作り、育てた豚を屠り肉を貯蔵する。どの家にも地下に貯蔵室がある。お昼ご飯はいつも畑のそばの胡桃の木の下で食べた。それは自分もまた生き物であることを認識する、かけがえのない感覚であり記憶だ。


 母や父は町で教師として、工場労働者として働く社会主義時代。だが著者が生まれた二年後にチェルノブイリ原発事故が起き(詳細を知るのはずっと後)、五年後にチャウシェスク政権が打倒される。

 町の学校に通うようになったイリナは、十四歳のときここから出ていきたいと切実に思う。本当は映画監督になりたかった。でも、女性が映画監督になるには…分厚い壁が立ちはだかる。


「トンネルを抜けると雪国」と始まる川端康成の小説を読んでこれだと思った。日本語を学び、日本へやってきた。舞踏にのめりこみ、文化人類学者として獅子舞の研究を始める。現在は大学で映像人類学を教えながら二人の娘を育てている。寝る前の娘にダンテの『神曲』の話をしたときのやりとりから、この本のタイトルは生まれたという。


 自分の身体を舞台にして、そこで展開される生そのもののイメージを、獲得した言語で突き放すように書くオートエスノグラフィー。文学のオートフィクションへ通じる斬新さは「翻訳されて生まれてきた/born translated」ことばたちに支えられている。


 そんなことばが読み手に激しく流れこむとき、壁が音もなく崩れ落ちて、見えない境界がいくつもあったことを知らされた。

 この世に生まれて、<ある>、という違和感を、そのひび割れを満たしてくれる本だ。




2022/09/13

J・M・クッツェーの新作 The Pole について

 いま訳している本について少しだけ書きます。

スペイン語版 El Polaco
 J・M・クッツェーの新作です。The Pole、最初このタイトルを見たときは、えっ! 南極とか北極とか、いわゆる極地か? と思いましたが、いやいや、これは「ポーランドの人」という意味でした。

 もちろん英語で書かれたテクストですが、クッツェーの覇権言語としての英語に対する批判的態度は揺るぎなく、今回もまず、スペイン語訳の El Polaco が7月1日に出版されました。ふたたびアルゼンチンのMALBAの出版局「アリアドネの糸」からです。

 これは2018年に出た『モラルの話』とおなじパターンですが、今回の翻訳者はマリアナ・ディモプロス、2018年4月にカテドラ・クッツェーのラウンドテーブルで舞台に上がったり、その後、オーストラリアとアルゼンチンの相互プログラムに参加していた作家、翻訳者です。オーストラリアに滞在する2人のアルゼンチン作家にクッツェーがインタビューした記事があって、そこでは非常に重要なテーマが議論されていたのをこのブログでも紹介しました。

 今回、ディモプロスには翻訳者としてだけでなく、作品が書かれるプロセスにも最初から関わってもらったと、クッツェー自身がスペイン語圏のニュースで述べていました。その理由は? 作品を読んでいただければ、よくわかりますが、登場人物の49歳の女性の考え方や言葉遣いなどについて、ディモプロスの意見をクッツェーが取り入れた、ということのようです。そのため、作品内の会話に違和感がない。

 どんな話かって?

 じつは9月6日に発売された「すばる」に少しだけ書きました。斎藤真理子さんとの往復書簡「曇る眼鏡を拭きながら 9」です。ぜひチラ読みしてください。

 上の写真は、9月に入ってすぐに到着したスペイン語版の書籍です。Amazon fr.から取り寄せました。


 

2022/09/06

「すばる 10月号」──「曇る眼鏡を拭きながら 9」

斎藤真理子さんとの往復書簡もいよいよ後半に入り、その後半もさらに半ばを超えて、というところまできました。峠の茶屋で一服です。

 今日発売になった「すばる 10月号」の「曇る眼鏡を拭きながら 9」には盛りだくさんに、いろんなことを書きました。1968年の記憶、1984年から89年にかけて起きたさまざまなこと。懐かしい人たちもたくさん登場して。そして! 
 ぜんぜん話は飛べてないけど。ふたたびの「ヴィヴァ、藤本和子ルネサンス!」になりました。

 それにしても、斎藤真理子さんの著書『韓国文学の中心にあるもの』(イースト・プレス)は本当にありがたい本です。多くの人に読まれている──そりゃそうでしょう、と言いたくなる。

 というのもこの本は、朝鮮戦争が勃発した1950年に生まれた人間(わたしです!)にとって、かの半島に関連する文学を読むとき、歴史的背景を貫く一本の背骨となってくれるからです。大きな森への入り口を指差してくれる本といってもいいかもしれない。

 森へ誘われながら、入り口を見つける手がかりを求めながら、ここかなと思って入っていくと、すぐに怖いゲートキーパーが現れて、あんたは北なの南なの!と問いただされた。それでボークして先へ進めなくなったころの、自分の至らなさ、力不足をくっきりと指し示してくれるからです。森の豊かさまで至れない。それは日本語をあやつるこの地の歴史認識の浅さをも指差している。
 
 キーワードは「恥の忘却」です。

 おまけに『韓国文学の中心にあるもの』には、向こうの崖にあるものまで整理してもらえる。そんな力技に満ちているんです、この本は。感服しました。書いてくれて本当にありがとう、と何度でも言いたい。

 その斎藤真理子さんとの往復書簡の第9回、集英社刊「すばる 10月号」には、いま訳している J・M・クッツェーの新作 The Poleについてもチラリと書きました!



2022/09/05

藤本和子著『イリノイ遠景近景』(ちくま文庫)がとどいた!

 藤本和子著『イリノイ遠景近景』(ちくま文庫、2022年9月刊)がとどいた! 

手前がちくま文庫、後ろが単行本
岩波文庫『塩を食う女たち』(2018年12月刊)、ちくま文庫『ブルースだってただの唄』(2020年11月刊)に続いて、文庫化されたのは三冊目です。

 八巻美恵、岸本佐知子、斎藤真理子、くぼたのぞみが、4人揃って初顔合わせをしたのは神保町の日本酒を飲ませる店だった。

 あれは2016年か、2017年ころだったろうか。最初に文庫化された『塩を食う女たち』にあやかって、4人の会を「塩くい会」などと呼んで、あれ以来、酒を飲んでは知恵を出し合ったのだった。

 おかげで、藤本和子が80-90年代にこの世に送り出してくれた仕事を、あらためて再確認しながら、文庫にすることができたのは本当に嬉しい。今こそ読まれる本たちなのだから。

 今回『イリノイ遠景近景』の解説は岸本さんが書いてくれて、これはもう解説だけ読んでも美味しいのだ。

『ブルースだってただの唄』の解説を斎藤さんが書いたときも、オイラなどは感激に咽び泣きたいくらいだったけれど。

 ちくま文庫に入るよう頑張ってくれた編集者の河内卓さんに、深々と頭をさげてお礼もうしあげる。Merci beaucoup!

2022/09/01

J・M・クッツェーの短編集『スペインの家──三つの物語』が暮れに出ます!→11月になりました。


すっかりご無沙汰してしまったブログですが、facebook  twitter を見る時間が増えて、気がつくと元気が削がれている。情報は早いし貴重な意見もあるのだけれど、パッチワークのような細切れの情報ばかりだと、変に心がすさんできます。というわけで、バランスを取るために、古巣に戻ってきました。


 訳書としては初訳となる『スペインの家──三つの物語』は、原タイトルが Three Stories、オーストラリアのText Publishing から2014年に出版された、おしゃれで、小さな本です。

 この年、アデレードで11月に開かれたシンポジウム、「トラヴァース、世界のなかの J・M・クッツェー/Traverses: J.M.Coetzee in the World」の2日目に、先行発売されたのをわたしもゲット。そのときのことはここに書きました

 あのシンポジウムからすでに8年、あっという間のようにも感じられますが、その8年のあいだにどれほどたくさんの出来事があったか、とりわけこの土地で(日本で!)起きたことについては、思い出すだけでほとんど目眩がしそうです。

 さて、『スペインの家──三つの物語』には、タイトルの通り三つの物語が入っています。日本語訳のタイトルになった「スペインの家」、そして「ニートフェルローレン」と「彼とその従者」ですが、それぞれにクッツェーらしく、淡々と、それでいてペーソスに溢れ、ノーベル文学賞受賞記念講演「彼とその従者」にいたっては、ロビンソン・クルーソーの話を背後に置いて、と思っていたら、どこへ連れて行かれるのか?という展開で、十二分にひねりの利いた物語になっています。

 白水社から12月に刊行予定です。どんな装丁になるのか、とても楽しみ!