Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2016/01/31

今日はフランツ・シューベルトの誕生日

今日はフランツ・ペーター・シューベルトの誕生日だとMさんに教えてもらって、そうか、と膝をたたいて郵便ポストまで行くと、届いていたCD。

 25日に高橋悠治+波多野睦美のシューベルトの「冬の旅」を聴いて以来、ドイツ語の音に引っ張られつづけている。YOUTUBEに飽き足らず、ついにCDを購入。

『冬の旅』
ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ:歌
ジェラルド・ムーア:ピアノ

 中学時代に聴いたコンビだ。録音は1972年3月、ベルリン、とあるから、最初に聴いた音源よりはかなりあとのテイクだ。1972年の冬は札幌オリンピックのアルバイトなどをしていたころで、クラシック音楽からかなり離れていた。

 いま後ろで鳴っている。飽きない。計算しつくされたパフォーマンス。ディースカウは1925年5月生まれだから、彼が46歳のときの録音か。

 今日が誕生日だというフランツ・シューベルトは1797年1月31日、モラビアから移住した農夫の息子を父(教師)に、13人兄弟姉妹の12人目に、当時神聖ローマ帝国の首都ヴィーンで生まれている(Wiki情報)。没したのは1828年11月、おなじヴィーンだが、このときはオーストリア帝国の首都になっていた。享年なんと31歳。
 
 むかし音楽室にクラシック音楽の、つまりは、西欧古典音楽の作曲家の肖像がずらりと額に入れられて飾ってあったけれど、シューベルトは右上の写真のような鼻眼鏡のプロフィールだった。中学生にとっては、完全にオジサンだ。

 いまにしてみれば、31歳など青年に近い。当然、このプロフィールは31歳以前のものだ。だからだろうか、あえておじさん臭を抜いた、左の、先日のコンサートに使われていたイケメン風のスケッチにはにやりとなった。まるでどこぞのアニメに出てきそうな顔ではないか(笑)。
 自分の家をもたず、妻を娶ることもなく、天才シューベルトは31歳で病死した。だが、友人にだけは恵まれていたと聞く。
 この「天才」という概念を生み出した「西欧ロマン主義」まっただなかの、暗い時代に、シューベルトは生きた人だった。

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後記(2016.2.2):上の若者のプロフィールはどうやらシューベルトではないらしい、ということがここでわかった。詳しくはこちらで。

2016/01/29

アデライーデとアデレード

 シューベルトの「冬の旅」を聴いた刺激で、YOUTUBEでドイツリードをあれこれ聴いてしまった。懐かしい歌声がどんどん出てきた。
 なにを隠そう、わたしは中学生のとき、ごく短期間ではあったけれど、ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ中毒にかかっていたことがあったのだ。「魔王」も、もちろんフィッシャー・ディースカウの歌、ジェラルド・ムーアのピアノで聴いた。そして思い出した。当時、母が買ってくれたオムニバスのLPには、シューベルトの曲だけでなく、ベートーヴェンのこの曲も入っていたのだ。

「アデライーデ/Adelaide」女性の名前と記憶していた。ところがその固有名詞、よく見ると、かの作家が住んでいる南オーストラリアの都市の名前ではないか。こちらは英語風に、アデレード、と読むけれどアルファベットは:Adelaideだ。へえっ!



Adelaide  
by Dietrich Fischer-Dieskau



 
    
Einsam wandelt dein Freund im Frühlingsgarten,
Mild vom lieblichen Zauberlicht umflossen,
Das durch wankende Blütenzweige zittert,
Adelaide!

In der spiegelnden Flut,im Schnee der Alpen,
In des sinkenden Tages Goldgewölken,
Im Gefilde der Sterne strahlt dein Bildnis,
Adelaide!

Abendlüfte im zarten Laube flüstern,
Silberglöckchen des Mais im Grase säuseln,
Wellen rauschen und Nachtigallen flöten:
Adelaide!

Einst,o Wunder! entblüht auf meinem Grabe
Eine Blume der Asche meines Herzens;
Deutlich schimmert auf jedem Purpurblättchen:
Adelaide!

2016/01/26

高橋悠治+波多野睦美の『冬の旅』

昨夜は仕事のあいまを縫うようにして、初台へ『Winterreise/冬の旅』を聴きにいった。高橋悠治のピアノ、波多野睦美のメゾソプラノで、寒い冬に深く満たされるひとときだった。

高橋悠治+ の「冬の旅」が始まったのはいつだったのだろう。寅年生まれの彼の仲間たちがヴィルヘルム・ミュラーの詩を大胆に日本語に訳し、その歌詞を斎藤晴彦さんがこれまた大胆に歌った『冬の旅』は、暗い時代をじつにあっけらかんと歌ってステキだった。「菩提樹といえ~ば、御釈迦さまだよ」と歌って、戦後日本の音楽教育の一面を笑い飛ばしてもいた。その斎藤さんもいまはない。

昨日の波多野睦美さんの歌は、まさに、水も漏らさぬとはこのことかと(めったにクラシックコンサートに行かなくなった人間が勝手に形容する/汗)、その密度に圧倒された。ドイツ語の歌を聴くのも久しぶりだった。たっぷり聴いて堪能した。悠治さんのピアノもいつもながらすばらしかった。

 シューベルトを弾く高橋悠治さんは、何年か前の朝日ホールのアンコールで弾いたソナタで、わたしは完全にノックアウトされたのだけれど、昨夜は、波多野さんの歌声と絶妙なかけあいで、一音一音が冬の寒空に光る月のように冴え渡って聴こえた。こまやかなささやくような音がきらきら光る星屑のように彼の指からこぼれていた。
 最初の「Gute Nacht/おやすみ」から、わたしの大好きな「Frühlingstraum/春の夢」をへて、最後の「Der Leierten/ハーディ・ガーディ弾き」まで全24曲。70分あまりの濃密な時間。耳に馴染んだメロディのあいまに、何度か、斎藤晴彦さんの歌声がゴーストのようによみがえってきた。とりわけ「カラス」や「勇気」では、斎藤さんの握りしめた拳まで目に浮かんできた。

 帰り道は、やっぱり冬の月がこうこうと輝いていた。あれが冬の大三角形で、あれがオリオン、と連れに教えてもらいながら夜道を帰った。寒い、寒い冬の東京で、こんなに熱いコンサートも久しぶりだったナ。

2016/01/17

2010年にアムステルダムで『サマータイム』から朗読するクッツェー



以前、このブログでシェアした動画が現在、見ることができなくなっていましたので、ここに再度アップします。以前アップしたのは2010年5月25日のポストで、邦訳『サマータイム』がまだ出版されていないころでしたが、現在は訳も出ています。
 クッツェーが読んでいるのは『サマータイム』の「マルゴ」の章です。6年ほど前の朗読です。訳者としても懐かしく聴きました。

Please enjoy it!

2016/01/01

頌春──「水牛のように」に詩を書きました。



 今年はどんな年になるのやら。おだやかな、風のない一日がすぎていく。猫が陽だまりで仰向けになり、背中を、温まったコンクリの地面にこすりつけながら、ごろんごろんと寝返りを打っていた。至福の時間。いいなあ、猫。お~い、ネコッ!
 大きな出来事の荒波に翻弄されながらも、ゆっくりと、細かなものも見落とさずに、日々の時間を生きていきたいと思う。

 今年もどうぞよろしくお願いします。