Happy Birthday, John Coetzee!
今年は秋ごろから、軽装で読みやすいクッツェー作品が書店にならびますよ〜
自伝的三部作『少年時代』『青年時代』『サマータイム』を、順次ペーパーバック📚にするべく絶賛みなおし中🖋️ 白水社🐓Uブックスです!
ご期待ください!
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11月1日、世田谷文学館で「マッチョなアフリカに「愛はくる」か?」という、我ながらどこから湧いてきたんだろ? と思うようなタイトルで話をした。記録のため書いておきたい。
5回の連続講座で共通のテーマが「愛」。ええっ? そういうのめっちゃ苦手なんだなあ、と一瞬思ったけれど、他の4人の講師陣を眺めやると、ほぼ男性で、私とほぼ同世代で、となると「愛」は舌に美味なる大きなテーマに違いない。苦い愛も含めて全体には愛への讃歌に満ちた作品が登場するんだろうと想像がついた。(ちがっていたら、ごめんなさい!)アフリカンの文学をどう関連させればいいの? 困ったな、と思っているうちに、藪から棒に浮かんだのが「マッチョなアフリカに「愛はくる」か? こないよな〜〜」という脳内会話だ。後ろの部分はもちろん省いて、それでいくことにした。
最初はこれまで訳してきたアフリカンの文学全般について、思いつくままにあれこれ話をするつもりだった。ところが、夏にJMクッツェーの自伝的三部作『少年時代』を再読しはじめて、頭はすっかりケープタウンとヴスターに行ってしまった。2011年のケープタウン旅行の写真などひっぱり出して眺めているうちに、たった1.5時間にまとめるなら、これだけでめいっぱい。そこで朗読は『少年時代』の第一章と、クッツェーの愛してやまないカルーの農場フューエルフォンテインがベースとなった短編「ニートフェルローレン」(『スペインの家』所収)からとした。当然、話はヴスター時代の少年ジョンと農場生活のことにしぼられてくる。『少年時代』第一章は、田舎町のヴスターへ引っ越して、狭い家に閉じ込められたくない、と思った母親が、中古の自転車を手に入れてなんとか乗りこなす話。ところが「女は自転車になんか乗らないもんだ」という周囲の意見に加勢して、少年は父親といっしょに冷やかす側にまわってしまう。ずっと悔いていたのだろうか、フェミニズムからクッツェー自身が学んだ成果なのか、とにかくそれをなんとか贖おうとすることばでこの章は終わる。ちなみに『少年時代』を書いていた作家は40-50代だ。自伝的三部作をまとめて訳出した2014年からすでに11年が過ぎた。2021年には、写真家になりたかったクッツェーが十代に撮影した『少年時代の写真』も日本語版が出版された。そこに岩だらけの平地を背景に、貯水地で水を飲む子羊の写真がある。これがいい。じっといつまでもながめていたくなる写真だ(このブログ最初の写真)。キャプションに「フューエルフォンテイン、クッツェー家の農場、カルーのプリンス・アルバート通り」とある。
そうか、『マイケル・K』の主人公がめざしたプリンス・アルバートは、フューエルフォンテイン農場のある土地のことだったのか! 母親が幼いころ過ごした農場へ連れて帰ってくれ、そこで死にたい、と懇願した。そこでマイケルは手作りの手押し車でプリンスアルバートを目指す。プリンスアルバートとは、クッツェーの愛する農場がモデルだったのだ。
というわけで文学館での話は「母親への愛(憎)と農場への愛」が中心になった。「愛」というと、きっと男女のロマンチックな愛を思い浮かべる人が、とりわけ同世代には多いことだろう。そこをちょっと「外した」のは無意識だったのか、意識的だったのか。おまけに、クッツェー自身が『サマータイム』で、死んでしまったジョン自身に、自分は文学とか音楽とか詩なんてものは「女々しい」とされた「マッチョ文化」が優勢な社会で育ったんだ、と言わせている。だから。 マッチョなアフリカに「愛はくる」か?⎯という問いに率直に答えるなら、どうかな、来ないな、マッチョなまんまじゃ無理だろな、日本だって同じだけどな、と思いながら話をしたのだった。「アフリカで癒されたい」と「マッチョ」をポジティヴな意味にとった人には期待外れだったかもしれないけど😅。とにかく無事に終わってよかった2025年の秋のイベントでした。お世話になった世田谷文学館のスタッフのみなさん、わざわざ足を運んでくださった大勢の方々、どうもありがとうございました。
暑かった夏が終わり、秋の気配に喜びつつも、この一年間の怒涛のような時間からようやく抜け出せてホッとしすぎてしまったのか、先月は脱力のあまり投稿ゼロとあいなりました。気がつくと今日はもう11月です。
ガッツリ翻訳をやったあとや、昔読んだ本を書架の奥から引っ張り出して(自分の記憶を訂正し)引用しながら書いたりしたあとに、このエッセイ集を手に取って、はらりと開く。読みはじめると、肩の凝り、首の凝り、そして気持ちの凝りまでほぐれてくるんです。
この『水牛のように』は、毎月「水牛」のウェブサイトで更新される短めのエッセイをまとめた「日々のかけら」(あ、これ、前にも読んだかな)と、しっかりエッセイと(これは初めてかも、でもひょっとしてあそこで……)とが混じりあっていて、こちらの記憶も定かではなく、ふんわり混沌としてきます。日付はあっても年の記載がないのです。そしてそれが心地よい。効能は抜群! それがどういうことかは……ふふふふ、ふっ🌹
八巻美恵さんと、この世で初めて会ったのは、多分、1970年代の半ばで、わたしがまだヘロヘロOLをやっていた時代でした。知人が企画したコンサートを手伝ったときでしたが(たぶん八巻さんは覚えていないと思う)、80年代になって「水牛通信」に混ぜてもらってからは、断続的に会うようになって、わたしが「アフリカ」で忙しいころまた少し遠ざかり、落ち着いてきたころ復活して……という感じだったかな。
そして2014年に出した第四詩集『記憶のゆきを踏んで』を八巻さんに編集してもらったのでした。装丁は平野甲賀さん、発売はおなじころ出た、J・M・クッツェーの自伝的三部作『サマータイム、青年時代、少年時代』の版元インスクリプト。
その後、藤本和子の本を復刊させるために集まった「塩を食う女たちの会」で飲み会を開くようになって3冊の復刊が成りましたが、八巻さんはその中心にいつもいた。ふわっと、重力のないような不思議な存在感を発揮して。
エッセイ集をはらりと開くと、そのあたかも「重力のないような」がたちどころに伝播して脳内に透明な膜をはり、独特な心地よさを醸成します。その不思議さには、分析なんかしちゃだめよ、ときっぱり言われているようなところがあって。。。ふむ。ただ、感じていたいような、月とか星とか花なんかもたくさん出てくるエッセイです、(あっ!そうか!)
帯は、斎藤真理子が書いた「読書感想文」から取られています。発行が平野公子の horobooks(hello@horobooks.net)、編集が賀内麻由子、装丁・本文デザインが吉良幸子、カバー画が木村さくら、という面々で、本に手を触れると紙からも指先にしっかり伝わってくる、とても素敵な本です。(敬称略)
今日発売の「すばる 6月号」に載っているのは、斎藤真理子さんへ、くぼたのぞみが書く3通目の手紙です。
先月号の手紙で真理子さんから、クッツェーの『青年時代』の切り抜きの意味を質問されたので、お返事としてそれについて書きましたが、予想通り、書いているうちにどんどんハマって、クッツェー祭りになってしまいました(笑)。
『青年時代』はクッツェー自伝的三部作の第2巻で、2014年にインスクリプトから出た『サマータイム、青年時代、少年時代──辺境からの三つの<自伝>』に入っています。
第1巻と第3巻に挟まれて、やや影が薄い作品のように見えますが、どうして、どうして、改めて読むと、これはサンドイッチの中身のようにコクがあって、噛み締めると味がにじみ出てくる作品です。どこまでもドライな筆致で書かれていますが、若いってこういうことだったよなあ、と納得の一冊です。納得だけではなく今回は『ダスクランズ』を翻訳した後初めて読んだこともあって、新たな発見がいくつもありました。
この第2部は、自分を死んだことにして、生前の友人や恋人へのインタビュー構成で読ませる第3部『サマータイム』に比べると、やや地味に見えますが、青春の嵐をくぐり抜けた人がじっくり読むと、きっとジーンとくること間違いなしです!
ようやく時間ができたので、レベッカ・L・ウォルコウィッツ著『生まれつき翻訳』(監訳・佐藤元状、吉田恭子/訳・田尻芳樹、秦邦生、松籟社, 2021)を読みはじめる。監訳者の方々は「クッツェーファンクラブ」の面々なので、読むのを楽しみにしていたのだ。
まずは序章「世界文学の今をめぐって」をざっくり読んでいくと、クッツェーという作家名がかなり出てくる。そこはゆっくり読む。するとチカチカと点滅する文字群に出くわした。p24の3つ目の段落はこう始まる
「ニューヨークやロンドンなど出版業界の中心から外れた場所にいる英語作家も、翻訳を余儀なくされることがある。ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴが最初の一連の長編をキクユ語で出版することにしたのはよく知られているが、自らの翻訳で英語でも出版してきた。チヌア・アチェベの『崩れゆく絆』にはイボの言葉がそこここに使われているが、一九六二年、ロンドンのハイネマンの叢書で出版されたときには用語集が必要だったし、クッツェーの『石の女』は一九七七年に南アフリカで初版が出たが、英国版では一部がアフリカーンス語から英語に翻訳されている」(下線引用者)アフリカ系/発の作家たちと言語との関係をざっと見渡す部分だが、下線を引いた箇所で「?」となった。クッツェーの第二作目に当たるこの本はまず、イギリスとアメリカで出たはずだ。念のため原文も当たってみたが、原文通りの訳になっているから、これは著者レベッカ・L・ウォルコウィッツの勘違いなんだろう。まず下線部前半。
1)クッツェーの『石の女』は一九七七年に南アフリカで初版が出たが
In the Heart of the Country(わたしはいくつかの理由で原タイトル通りに『その国の奥で』とする) の「初版は」たしかに1977年に出ているが、南アフリカのRavan社からではなくイギリスのSecker社からだ。同年にアメリカのHarper社からもタイトルが一語異なる形で出ている(理由は後述する)。南アフリカで英語とアフリカーンス語の混じった「バイリンガル版」として出たのは翌年の1978年2月*だ。出版にいたる事情は非常に複雑。この出版年の微妙なずれについては、2014年の拙者訳『サマータイム、青年時代、少年時代』(インスクリプト)の年譜にも、昨年の『J・M・クッツェーと真実』(白水社)の年譜にも載せた。だからここはちょっと残念。
クッツェーがこの作品を書き上げたときは2つのバージョンがあった、とカンネメイヤーの『伝記』(伝記 p288~)やデレク・アトリッジの著書(Attridge p22)は伝えている。デイヴィッド・アトウェルの作品論(p65~)にも詳しい。(参考図書はブログ下に)
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| Ravan 1978 |
2つのバージョンのうち1つはすべて英語のバージョン。もう1つは会話部分がアフリカーンス語のバージョンだ。ロンドンのエージェント宛てのクッツェーの手紙によると、会話部分にフォークナーが南部訛りの英語を用いたように、自分も英語でローカルな感じを出したいとやってみたがうまくいかなかった、とある。会話は英訳前のアフリカーンス語バージョンがしっくりくるとクッツェーは述べる。
テクストが海外版と南ア版で異なるこの作品の出版が、南アフリカで一年遅れた理由は、1970年半ばに南アフリカの検閲制度が大きく変化し、作家や編集者が検閲委員会の動きを注視せざるをえなくなったことと関連があるようだ。さらに、旧植民地をも市場にしたいイギリスの出版社と南アフリカの極小出版社との、販売権をめぐる複雑な事情が絡んでいる。
これはまだ初作『ダスクランズ』が南アフリカでしか出版されていなかったころで、クッツェーは二作目はイギリスやアメリカで出版したいと強く希望していた。そこでレイバンの編集者とイギリスのエージェントと同時に交渉していたらしい。その結果、まず英語のみのバージョンがイギリスとアメリカで出版され、会話部分がアフリカーンス語のバイリンガル版が翌年、南アフリカで出版ということになった。
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| Harper Collins 1977 |
クッツェーが2つのテクストを準備した理由は、農場を舞台にした会話場面の多いこの作品の本質と関わってくる。南アフリカの農場で用いられる言語は、『少年時代』を読むとわかるが、圧倒的にアフリカーンス語だ。会話はアフリカーンス語であるほうが、クッツェーを含む南アの読者にとって自然なのだ。次に下線の後半部分。
何語から何語への翻訳かは、アトウェルの草稿研究が明らかにしている。会話部分は最初アフリカーンス語で書かれていたが、作家が改稿の見直しをするとき、草稿の反対ページにアフリカーンス語会話の英訳を書きこむようになったのだ。「自分の作品は英語という言語にルーツをもっていない」と明言するにいたった作家の心情が、非常によく出ているのがこの農場を舞台にした『その国の奥で』だった。
というわけで、どうやらこの作品の出版年をめぐるウォルコウィッツの誤記に、「クッツェーファンクラブ」の面々は残念ながら気がつかなかったらしい。些細な誤記ではあるが、1970年代南アフリカの出版事情は、J・M・クッツェーという作家の誕生にとって重要なポイントなのだが。
なんでこんな文章を書いているのか、と自問してみる。どうやらそこには、日本のクッツェー研究者に南アフリカのことをもう少し突っ込んで探って欲しいと思っている自分がいることに気づく。アフリカなんか、と思わずに。クッツェーが生まれて育って、20代の10年間をのぞいて62歳まで暮らした土地なんだから。
ウォルコウィッツのこの本は、トピカルなテーマを追いかける文芸ジャーナリスト顔負けの奇抜な見立てと文章力で読ませてしまうところが、すごい。でもその足場として透かし見える軸は、「世界文学」としての英語圏文学をマッピングして描こうとする「北の英語文学理論」の欲望にあるのではないか。バッサバッサと斬新なテーマで切っていく勢いには、辺境で生み出される個々の作品の、いってみれば英語以外の「その他の言語」で書かれる作品の出版事情なんかにいちいちこだわらなくてもいい、という姿勢が見え隠れする。いや、ぜんぜん隠れてないか(笑)。村上春樹とJ・M・クッツェーを「翻訳」というキーワードでおなじ土俵に並べてしまうのだから。この2人にとって作家として生きる言語環境と、「翻訳」の切実性や必然性の依って立つところは、まるで異なるだろうに。
また born translated をわたしは「翻訳されて生まれてきた」と訳すことにしているが、それは「生まれつき翻訳」は「分類」「仕分け」には便利だが、作品が立ちあがる動きを切り捨てるニュアンスがあるためだ。おそらくそれは作品翻訳者の姿勢と、数多くの作品を「研究」する者の姿勢の違いからくると思われる。もう一つ、あえていうなら「生まれつき」に続く語にマイナスイメージ(差別語)を呼ぶ気配が消えないからだ。そのような表現を長く、耳から浴びつづけた世代だからかもしれないけれど。
翻訳はさぞや大変だっただろうなあと推察する。膨大な作品数と原註、そのファクトチェックの結果と思しき訳註で、クッツェーの書評集と小説の冊数をめぐる警告が入っていたりして、苦労の跡がしのばれます……ご苦労様でした。👏👏👏👏
ちなみに、2022.4.18現在のWikipedia(英語版)In the Heart of the Countryは、出版年、バージョンともに、きちんと事実を伝えています。💖
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追記:2022.4.24──
1)参考図書をあげておきます。(『J・M・クッツェーと真実』にも入れました。)
・Derek Attridge: J. M. Coetzee and the Ethics of Reading, University of Chicago Press, Chicago, London 2004.
・Peter D. McDonald: The Literature Police, Oxford University Press, 2009.
・J. C. Kannemeyer: J. M. Coetzee, A Life in Writing, Scribe, 2012.
・David Attwell: J. M. Coetzee and the Life of Writing, Viking, 2015.
・Marc Farrant, Kai Easton and Hermann Wittenberg: J. M. Coetzee and the Archive: Fiction, Theory, and Autobiography, Bloomsbury, 2021.
・Robert Pippin: Metaphysical Exile on J. M. Coetzee’s Jesus Fictions, Oxford University Press, 2021.
2)『その国の奥で』のことは『J・M・クッツェーと真実』第三章「発禁をまぬがれた小説」で、部分訳も引用しながら、詳述しました。
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さらに追記:2022.11.12──
*「6月」と書きましたが、正しくは「2月」でしたので、訂正しました。
ブログからずいぶん遠ざかっていたけれど、復帰します。
「東京コロナオリンピック 2021」とも言えそうな凄まじいイベントがこの国で進行していますが、感染症の専門家たちが何をいっても正面から問題と向き合おうとせず、適切な対策を講じないまま、シナリオありきの物事の進め方に、誰もが不満、不安、そしていまや生命を脅かされそうな恐怖さえ感じるようになって、本当にどうなるのかと思います。
短いメッセージに「いいね」や「ツイート」などで反応し、「シェア」することで元の情報に依存したまま自分のことばで書くことをどこかではしょっていないだろうか、と思い至ったのです。まあ、ちょっと忙しかったこともあるのですが。
現在、翻訳書が2冊、自著が2冊、同時進行で動いています。翻訳は以前も書きましたが、J・M・クッツェーの『少年時代の写真』と、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの初作『パープル・ハイビスカス』。自著はもう少ししてから具体的にお披露目しますが、1冊はコアなエッセイ集、もう1冊はどちらかというと柔らかい文章で書いたメモワールです。昨年は「仕込みの年」、今年は「蔵出しの年」となりそうです。 今年もベランダの植木鉢とプランターに朝顔のタネを蒔きました。早々と発芽して、梅雨空をものともせずにベランダの天井を目指して蔓を伸ばしています。毎朝、目が覚めるとまず朝顔たちのことを思います。昨日立てたポールに蔓は巻きついたかな? どこまで伸びたかな? 最初の花はいつかな?今年もまた朝顔と、そして、4冊の本といっしょに夏を越します。
*写真は昨年の朝顔*
それでも母親は自転車に乗れるようになり、おぼつかない、ふらつく乗り方ながら、懸命に重たいクランクを回転させる。
母親がヴスターまで遠出するのは、午前中、彼が学校へ行っているときだ。一度だけ母親が自転車に乗っている姿をちらりと見かける。白いブラウスに黒っぽいスカート。ポプラ通りを家に向かってやってくる。髪を風になびかせて。母親は若く見える、少女のようだ、若くて生き生きとして謎めいている。
この描写は、もちろん、当時の少年の心理を57歳の作家が鋭く分析しながら書いたものだ。
少年は、周囲の環境のなかで孤立すると、どうして自分はみんなと違うんだろ、どうして自分の家族が「ふつう」じゃないんだろ、と悩む。でも、自分の母親がみんなとは違うことがちょっぴり自慢でもある。他の家族と違って母親が家で主導権を握っていることにも、変だと思いながら、ありがたいと思う。でも。
そしてある日、なんの説明もないまま、母親は自転車に乗るのをやめる。それから間もなく自転車は姿を消す。だれもなにもいわないが、彼には身のほどを思い知らされた母親が諦めたことがわかる、そして自分にその責任の一端があることもわかる。いつかきっとこの埋め合わせをしよう、と彼は心に誓う。
16歳の少年ジョンはカルティエ=ブレッソンに憧れて、将来は写真家になろうと考えていた。カレッジ時代のことだ。そのころ撮ったフィルムや機材などが出てきて、Photographs from Boyhood として2020年に出版された。そこにはアーティストとしてのクッツェーの出発点となる方法論が明確に出ている。(日本語訳も2021年の秋に出る。)
翻訳作業にあわせて自伝的フィクション『少年時代』を再読した。そして面白いことに気づいた。これは個性の強い、しっかり者の母を持ち、その母から深く愛されて育った少年の自伝的物語として読めることだ。つまり、フェミニズム的な視点から読みなおすことができるのだ。
アパルトヘイト制度が確立されていく1940年代後半の南アフリカで少年時代を送ったジョン・クッツェーは、母親をどんな風に見ていたか。白人女性である彼の母親は社会的にどのような位置にあったのか。母親と少年の関係を軸にしてこの作品を読み直すとどんなことがわかるか。
学校の成績は抜群だが周囲から浮いてしまう男の子を母親がどう守って育てたか。その母親はどんな人物だったか。これは母と男の子の関係を考えるための宝庫のような作品だった。
のっけから母親が家に閉じ込められることを嫌って、自転車を買ってくる場面がある。第一章だ。
母親は、馬は買わない。その代わり予告なく自転車を買う。女性用の中古で、黒く塗ってある。やけに大きく重たいので、彼が庭で試してみても、ペダルをまわすことができない。
母親は自転車の乗り方を知らない。たぶん馬の乗り方も知らないかもしれない。自転車を買ったのは、自転車なら簡単に乗れると思ったのだろう。そこで母親は乗り方を教えてくれる人がいないと気づく。
父親は、それみたことかと笑いを隠さない。女は自転車になんか乗らないもんだという。それでも母親は負けない。わたしはこの家の囚人になんかならないわよ、わたしは自由になるの、といって。
家に閉じ込められずに自由に生きたい、と移動の手段に、母は自転車を手に入れた。
ブログを長いあいだ書かなかった。3月は今日が初めてだ。いろんなことがどんどん起きているけれど、ほとんど冬眠状態のような暮らしだった。完全引きこもり状態で冬を越した。引きこもっているうちに、翻訳を1本しあげた。この本です! 秋に書店に並びます。
J. M. Coetzee: Photographs from Boyhood
そして、春になった。まちがいなく春になった。梅が咲いて、風が吹いていたけど、桃が咲いて、杏が咲いて、ユキヤナギの白いはなびらが風に散って、ついに桜の咲く季節になった。今年も、コロナ禍は続く。去年のいまごろに比べたら「どうしよう感」は少なくなった。このウィルスがどういう性質を持つのか、どういう経路で感染するのか、感染を防ぐにはどうすればいいのか、対処法も伝わり、少しは身について、日々の暮らしのなかで、緊張感はやや薄らいだ。でも、感染者は増えている。死者も着実に増えている。身体の弱い人、基礎疾患をもつ人や高齢者の割合が、当然のことながら高い。ウィルスは人を選ばないから、感染したらたたかえる力の少ない者は自衛するしかない。危険をできるだけ避けて、家に引きこもりがちになる。淋しいし、辛いけど、もしも感染したら……と思う緊張感のほうがまだまだ強い。重い病気になったり、大きな怪我をしたら、病院へ行っても……と不安になる。だから、それについて考えずにいられるような空間に引きこもる。
もう一冊、しあげたのだけれど、それについてはまた別に報告したい。今日はひたすら脱力。吹く風の音に耳を澄ましている。
母が逝ってもうすぐ7年になる。
『去年マリエンバードで』監督アラン・レネ、脚本アラン・ロブ=グリエ。1961年の映画だ。日本で公開されたのは1964年。黒澤明監督の『羅生門』(1951)にヒントを得た映画だそうだけれど、黒澤の『羅生門』って芥川龍之介の『羅生門』と『藪の中』を合体させたような映画だったよね。
『去年マリエンバードで』はマリエンバードというチェコ西部の温泉のある保養地を舞台に、きらびやかなブルジョワ趣味の男女たちが不自然ともいえるスチールときわめて限られたムーヴによって撮影されたシーンがシャッフルされて、記憶のあいまいさを追い詰めていく構成になっている。
日本で封切られたのは1964年だが、60年代後半から70年代にかけて新宿3丁目にあったATGでヌーヴェルヴァーグ映画のリバイバル上映をやっていたころ、わたしはジャン・ジャック・ゴダールの『気狂いピエロ』やアラン・レネの『夜と霧』は見たけど、この映画は予告だけ見てスルーした。その理由も今回あらためて納得した。つまらなそうだったのだ。衣装も音楽もこてこてにブルジョワ趣味すぎたし。1960年代後半の東京のデパートはこのこてこて趣味をひたすら追いかけていたんだよね。ココ・シャネル! ![]() |
今日の午後は、ピエロ・パオロ・パゾリーニ監督の映画「奇跡の丘」をじっくりと観た。ジョン・クッツェーが若いころからくりかえし観てきた映画だ。
『青年時代』によれば、これは青年ジョンがロンドン時代に政教一致の南アフリカで教育を受けた自分が、それまでに心身ともに染み込んでいるキリスト教文化の土埃を足から振り払ったつもりが、そうではなかった、最後に近いシーンでキリストの両手に釘が打ち付けられる一瞬一瞬に身体がぶるっぶるっと震えて、見終わったときは不覚にも涙が出てきた、という体験として述べられていた。彼が眼鏡を初めて作って観た映画でもあった。
今回とりわけ印象に残ったのはイエスの母親役を演じた女優だ。なんと、パゾリーニ自身の母親だという。息子を磔にされる老女の悲しさが、震える全身から伝わってくるのだ。『鉄の時代』の主人公エリザベス・カレンの心象とつい重ねてしまいそうになった。
「弱き者と抑圧された者に寄り添うマタイ伝を忠実に映像化しようとした、イエスは超人的に描かれる、それはパゾリーニのイエス観にもとづく、神話を再現しようとしている、当初撮影が予定されていたパレスチナはイスラエルの意図により聖性が取り去られていて、南部イタリアに変更された、そこは先進国のなかの第三世界であり抑圧された土地だった、人々の慎みは聖地がもっていたものと同じである、その慎みと聖性は、現代のパレスチナのように、失われていくものだった、パゾリーニはのちにそれを嘆くようになる、パゾリーニはこの映画に中世の世界観を持ち込む、すなわち光は世界を照らすというものである、ゆえにこの映画の人々は逆光や真上からの光線により、造形的に正面から絵画的に描かれる、イコンのよう映像なのである。」(翻訳は土肥 秀行氏)
これは今回のセルールの質問に対するクッツェーの答えと思いっきり重なるが、クッツェーはその当時の自分を「彼」として突き放し、精緻かつ簡潔なことばで表現していく。『ダスクランズ』を出したころの自分への分析にはさらに磨きがかかり、ロンドンやニューヨークの出版社から本を出すことをめざしていた自分は、北の大都会こそが「リアル・ワールド」だと考えていた、と述べる。青年ジョンの頭のなかには「本物世界」とは「北」だという思い込みがあったのだ。(東京へ出ることを北海道の片田舎でひたすら目論んでいた60年代半ばの自分をつい思い出す...)
5年ほど前に、3巻まとめて出したとき、タイトルをどうするか、とても悩んだ。原タイトルの「Scenes from Provincial Life」をそのまま訳しても、訳書タイトルにはおさまりが悪い。いっそ一案として訳者が出した『とことん田舎者』とすべきだったんじゃないかといまでも思うのだ。![]() |
| 現在の札幌北1条教会 |
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| 少年ジョンが8-10歳を過ごしたヴスターの教会 |
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| 北1条教会の近くで摘んだオンコの実 |
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| 北1条教会の庭には母の好きだったダリアが |
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| 11月刊のオランダ語版『イエスの死』 |
講師は、ハーマン・ウィッテンバーグ。ウェスタン・ケープ大学の准教授で、クッツェーが少年時代に撮影した写真やフィルムの編集をまかされた人だ。クッツェー自身の初期作品2昨(In the Heart of the Country, Waiting for the Barbarians)のシナリオを出版した人でもある。 | ウィッテンバーグ(中央)Adelaide,2014 |
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| ポルトガル語版「学校時代」 |
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| スペイン語版「学校時代」 |