Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2012/12/31

Auld Lang Syne ──さよなら、2012年



去年もおなじヴァージョンで聞いた曲。ゲール語がまじる歌詞がいい。

2012/12/30

Acoustic Africa ── 雨の日に資料を整理しながら

 今日は思い切って、1988年から89年にかけて反アパルトヘイトの運動に少しだけかかわったときの資料や手紙類を整理した。1989年1月に国連の会議に出席するため、ジンバブエのハラレまで旅したときの手紙類、会議で出会った南ア人から託された南アフリカ国内難民の写真、それといっしょに新聞に書いた記事など、ダンボール箱いっぱいの黄ばんだ紙類から、保存するもの、捨てるもの、区分けして大量の紙を資源ゴミへ。
 国内難民/inner refugee という言葉をこのとき初めて知ったけれど、いま、福島から避難している人たちは、それまで住んでいた場所に住めなくなるという意味で、まさに国内難民にちがいない!

 なつかしい名前、手紙、侃々諤々の論争になったポストカード、20年以上も前の写真は自分の顔もまったく別人のように思える。町田で開かれた会のあとのダンスパーティで、当時のナイジェリア大使とその夫人(じつに美しい人だった)が踊っている写真もあった。いっしょに連れていった末の娘はまだ小学生になったばかり。

 88年、89年、日本は、世界中からアパルトヘイト撤廃のための「経済制裁」を受けた南アフリカとの貿易額が世界一になって、国連総会で名指しで非難された。アパルトヘイト政権下の国を視察して「この国には人種差別等ない」と明言したのは先ごろ都知事を辞めた人だった。あのころは国会議員で、南アの国会議員とともにつくった友好議員同盟の日本事務局長をつとめていたんだ。忘れない。

 日本反アパルトヘイト委員会が、ネルソン・マンデラをはじめとする獄中にある政治囚(とりわけ子どもたち)の解放をもとめ、不名誉きわまりない「名誉白人」を返上したいと、連帯の思いを込めて「WEEKLY MAIL」に出した意見広告も出てきた。南アフリカで検閲制度とたたかいながら情報を掲載していた週刊新聞、日付は1988年7月15-21日。メッセージのあとに、賛同者の名前をアルファベットでつづっていく形式だ。

 さまざまな記憶がよみがえるなかでCDをかけた。Putumayo Presents ACOUSTIC AFRICA (2006)、2年半ほど前にここでも触れたけれど、雨の日に部屋にこもって聴くのもいいな、とあらためて思う。

2012/12/25

クリスマスの思い出


昨日のつづき、今日は降誕祭の当日。

Merry nothing! などと書きましたが、かくいうわたしも子どものころはしっかりサンタクロースの存在を信じていたし、イヴは翌朝、枕元にプレゼントが置かれるのをわくわくしながら眠ったものです。
 10歳になるまで、家では薪ストーブだったので、当然ながらしっかり煙突もあって、あの細いところをサンタはどうやって入ってくるのだろう? と真剣に考えました。朝外へ出て雪原にトナカイの引く橇の跡が残っていないかと念入りに調べもしました。橇が空を飛んでくる絵本と、現実の家の外の雪の原が、どうしても頭の中で結びつかなくて、正直、悩みましたね/笑。

 父が切ってきた樹木に綿をのせて、モールや天使の飾りをつけて、いちばんうえに大きな星型を差し込み、きらきらの電飾をうえから裾広がりにかけると、クリスマスツリーのできあがり。
 北海道の田舎の町で、周囲はみんな仏教徒ばかりの環境で、クリスマスツリーのある家というのはとてもめずらしかった。1950年代半ばのことです。
 25日はクリスマス礼拝のため、隣町の教会に行き、賛美歌を歌い、子どもたちは降誕祭の劇をやって、というのが、わたしの幼いころのクリスマスでした。その劇で、いっしょに台詞を交互にいうことになっていた相手の男の子が台詞を忘れてしまって、靴下をひたすらひっぱりあげようとするのを、困って、困って、困って見ていたのを思い出します。5歳だったかなあ。
 
 母親になってからも、子どもが小さいころは、とても熱心にクリスマスはやりました。楽しかったなあ。当然、サンタクロースがいることをわたしの子どもたちも、ある時期までは信じていました。お正月のしめ飾りはなくても、クリスマスツリーとリースは欠かさなかった。そういうふうに育てられると、自然、自分の子どももそんなふうに育ててしまう。すでにキリスト教徒としての信仰も習慣も捨てていたので、さすがに、教会には行きませんでしたが。

*写真はネットから拝借しました。

2012/12/24

クリスマス・イヴに読む、 佐藤研著『最後のイエス』

 12月24日、いわゆるクリスマス・イヴ。いわずもがなの、イエス・キリストが誕生する前夜のことだ。そこで遠いむかし、なんというか一種の俄クリスチャンに育てられた者として読んでいるのが、この、佐藤研著『最後のイエス』だ。これがまた刺激的。

 キリスト教の信者が多いわけでもないのに、いつのころからか、たぶん第二次世界大戦後だろう、日本社会でもこの日を祝って、ローストチキン、シャンパン、ワイン、ケーキ、などなど盛りだくさんのごちそうを食べ、子どもたちはサンタクロースからプレゼントをもらう風習が根づいた。
 最初のころは、キャバレーやバーで赤い三角帽子をかぶった「オヤジ」たちがばか騒ぎする写真がメディアをにぎわせた。遠いむかしの話だけれど・・・。いまは家族中心、若いカップル中心のファッション?

 これらのモノ、モノ、モノを生産する産業と、その販売を後押しするメディアのなせる結果、といえるだろうか。モノを売る絶好のチャンスだから、この風習は日本に限らず、全世界に広まった。
 昨年ケープタウンからの帰路、トランジットしたドバイ空港にも(アラブ首長国連邦はもちろんイスラム教文化圏)大きなクリスマスツリーが飾られていた。

 さて、キリスト教である。この宗教はご存知のとおり、イエス・キリストという、大工の息子が家族を捨てて、バプテスマのヨハネのもとに馳せ参じたところから始まることは、つとに知られている。(ン?)

 といったことを、もう一度、おさらいするためにこの本を読んでいるのだが、これがめっぽう面白い。イエスという男を最初から聖人あつかいせず、あくまで人間として心理分析をしたり、当時の社会を背景に、彼がなぜあのようなことをしたか、言ったか、という視点から解き明かそうと試みている。新約聖書の翻訳で名高い、屈指の学者が、である。

 きわめて刺激的なこの書物、来年3月に発売される J・M・クッツェーの新著『The Childhood of Jesus』を読むための下準備にはうってつけではないか。イエス・キリストについてこの作家が「that aberrant Jewish prophet Jesus of Nazareth/あの奇人変人のユダヤ人預言者、ナザレのイエス」と言っていることから考えても、あるいは、John とは「洗礼者ヨハネ」つまり「バプテスマのヨハネ」であることから考えても・・・。

 いまは、Merry nothing!

2012/12/22

J・M・クッツェー、3度目の来日

来年のことを言うと・・・と笑ってください、鬼といっしょに。

 さて、来年の3月1日、2日、3日に開催される「東京国際文芸フェスティヴァル」に参加するため、J・M・クッツェーがふたたび来日します。ジュノ・ディアスも、ジョナサン・サフラン・フォアも来るようです。
 
 クッツェーさんは2006年9月が初来日で、翌2007年12月が再来日でしたから、5年ぶり3度目の来日です。インタビューも対談もめったにしない方なので、おそらく、自作の朗読になるのでしょう。詳細はわかりません。わかりしだい、このブログでも情報を共有したいと思います。

 写真はそのジョン・クッツェーさんがヘルメット姿で自転車をこいでいるところですが、彼は知る人ぞ知る自転車狂です。
『少年時代』にも8歳の誕生日にもらったお小遣いでスミス製の自転車を買った話が出てきました。1980年代に彼はスポーツとリクリエーションをかねて、ふたたび自転車への熱に取り憑かれます。

 この写真のキャプションには、ケープタウンで毎年開催される「アーガス・サイクル・ツアー」に15回も出場したとあり、1991年には彼のベストタイム、3時間14分で完走したとか。1994年にもおなじタイムを出したとキャプションは語ります。(あら、1991年と1994年というと・・・南アフリカの祝祭気分の年ですね)

 じつは今日、オーストラリアの「Monthly」というネット上の書評欄にこの写真が掲載されているのを発見したのですが、これは J・C・カンネメイヤーの伝記『J.M.Coetzee: A Life in Writing』に挟み込まれている何枚かのショットの一枚で「Family Album」と銘打たれています。さて、どこから流出したのか、伝記掲載のショットとは微妙に縁取りが違っているようですが・・・。
 とにもかくにも、こんな写真がたっぷり入ったカンネメイヤーの伝記です。クッツェーふぁんにはたまらない面白さ。どこか出版するといってくれる勇敢な出版社はないものでしょうか・・・。

2012/12/21

もしもいま、希望を語ることができるとしたら

 すっかり忘れていた。昨年、6月に自分でリンクを貼りながら、今朝まで忘れていた。でも、あるきっかけで思い出して、再読したことばたち。

1年半も前だけれど、いま、こうして生きているこの社会のなかで、さらに絶望的な思いに駆られそうになる「いま」、もう一度、読んでみても、ある意味で深くうなずけることばたち。

 もしもいま、希望を語ることができるとしたら、それはこういうことなのだと思う。

 *写真はネットから拝借しました。

2012/12/19

ひさしぶりに絵本 ──「チャーリーのはじめてのよる」

本当にひさしぶりに絵本を読んだ。いただいた絵本だ。

チャーリーのはじめてのよる

 ゆきの日に子犬をだっこして、ヘンリー少年が家に連れて帰る。初めて子犬が少年の家で眠る夜の、どきどき、はらはら、そして・・・。とてもやわらかな心が描かれている。

 ちょうど9年前のいまごろ、生まれて3カ月の子猫が、私たちの家にやってきた。そのときのことを思い出した。

 絵本のなかでさえ、ちいさな子どもといっしょに過ごす時間は、大人にとっては宝物なんだよね。

エイミー・ヘスト/ぶん、ヘレン・オクセンバリー/え、さくまゆみこ/やく(岩崎書店)。

2012/12/18

12月10日クッツェーがヴィッツ大学で名誉博士号を授与されて

またまた、ジョン・クッツェー登場です/笑。
 12月10日ヴィッツヴァーテルスラント大学で J・M・クッツェーが名誉博士号を授与された、そんなニュースが数日前にあちこちに流れた。

 そのときの彼のスピーチがまた面白い。まず卒業生に向かって、人文学はもう女性の専門領域になってしまったと思ったが、以外にも多くの男性がここにいて嬉しい(会場は爆笑)、ぜひ、小学校教師になってほしい、小さな子どもたちにとっては男の教師も女の教師とおなじくらいいるほうがいい、と述べたのだ。その発言に聴衆も「ええっ?」と戸惑いを隠せなかったようだ。
 
 教師という仕事は、労力の割にはささやかな収入だが、若年人口が多い南アフリカでは将来性のある重要な仕事だ。官僚制度が作り出す多量のペーパーワークと格闘することにはなるが、なにより、小さな子どもたちといっしょに過ごすことは、物を売買したり、コンピュータの前で数字や記号だけをいじっているよりはるかに良いことだし、人間として成長できる仕事だ、とこの作家は述べる。

 スピーチの英文テクストはそっくりここで入手可能。また、スピーチはここで聴けるので、ぜひ!
 
 クッツェーは、自分が小学校で男の教師に初めて教わったのは11歳だったが、小さいときから両性の教師に教わったら、もっと十全な成長ができたのは間違いない、と述べる。社会に出るときの準備ができる、と。これは彼の人間観、教育観ともいえるものがあらわれていて興味深い。

 ちなみに彼の母親ヴェラは小学校教師だった。彼女は幼いころから2人の息子たちを、当時のアパルトヘイト国家体制に奉じる人間をつくりあげる(form)教育に抵抗して、モンテッソーリ・メソッドやルドルフ・シュタイナーの教育理論にしたがって育てた。その子のもっている個性をあたうるかぎり伸ばし、学校教育が押しつけてくる「型にはめる/form」やり方を回避する方法だ。それが彼(ら)を孤立させもしたけれど、ジョン・クッツェーという人間の基礎部分を形づくった。そのことは自伝的三部作の『少年時代』や『サマータイム』のなかで詳しく述べられている(いま訳してま〜す)。

 72歳にして母国、南アフリカのジョハネスバーグにある、アフリカーンス語の名を冠する(かつてはアフリカーナーの法律家を数多く排出し、アパルトヘイト思想の牙城と呼ばれた)大学の名誉博士となったこの作家が、若い卒業生に、ときに笑いをとりながらあくまで平易に語ることばは、彼の思想を考えるうえでも、なかなかに深い意味合いが込められている。

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付記:アパルトヘイトという「人類への犯罪」と呼ばれた制度のなかで加害の側に組み込まれながら、50年を、歯ぎしりしながら、絶望的な思いに駆られながら、それでも真摯に生きてきた人間のシンプルで強いことばは、いまこの怨念が渦巻くような社会のなかに生きるものたちにも強くシンプルに伝わる。ことばの表層の意味ではなく。

2012/12/16

バッハの無伴奏チェロ組曲 ── 今夜はこれ!

 チェロはピエール・フルニエ。録音は1977年、ジュネーヴ。

 その前に持っていたアルヒーフ版の3昧組のLPは、学生時代に買ったもの。モノラル録音をステレオにしたらしく、さすがに音がよくなかったけれど、真冬になると、縁を糸でかがった、文字だけが書いてあるシンプルなクリーム色のジャケットから引っ張り出して、よく聴いた。録音はLPのレーベルに、1960年12月20日と書かれている。ドイツ原盤。

 いまかけている写真の2枚は、CDになってから買い替えたものだけれど、これもよく聴いた。その後、もっと軽くて、楽しい演奏のマイスキーのものをかけることが多かった。90年代だ。でも、先日かけてみるとどうも違うな、という気がした。今夜、フルニエをかけて、いまは絶対にこれだと思った。しっくりくる。

 音楽のほうは変わっていないのだから、聴く者の変化が大きいのだろう。こんなふうに時代はめぐり、耳が求めるものもめぐり、めぐるのだなと思う。

 文学作品にしても、それはおなじかもしれない。何年も前に書かれた作品がふたたび読まれるようになって、新たな読者とめぐりあうこともあるのだ。新刊ばかりがすべてじゃない。
 それにしても、この国は「内破」しようとしているのだろうか?

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付記:さあ、気分を切り替えて、明日からはまた仕事! 自分のできることをやるだけだ!

投票に行ってきました

前回の選挙のときより、投票場が混んでいました。書き込む用紙が多いということもあったけれど、それだけではないような・・・

2012/12/13

16日の選挙に、どうしようかなあと迷っている人

いいサイトを見つけました。16日の選挙に、自分の考えがどの政党のものと一致するのか? 各政党が発表している政策や方針を細かく調べるのが億劫な人、そんな人向けに、自然に浮かぶ質問の形式で結果がわかるサイトがあります。

こちらです

 わたしもやってみました。結果に納得です。詳細がすぐに出ます。
 今回の選挙は、ぼんやりしていると大変な結果を招く、ものすごく重要な選挙ですから、ふだんあまり関心のない人もぜひ、投票場に足を運んで、しっかり投票権を行使してください。

 勝つとマスコミの「世論調査」がのべている政党は、憲法9条を変えるどころか、非常事態を宣言して行政権でいかなる法律も、国会の審議なしで成立させることができる憲法にしよう、という驚くべき提案をしています。国民の基本的人権の条項もすっぽり落ちています。恐ろしい社会が現実のものとなる・・・。

 2011年3月11日の被害による原発事故について、もう一度、基本から考えてみたい。そのためには、こちらのサイトもおすすめ。納得できる発言です。

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2012.12.14 付記: 「世論調査」ってやっぱり、かなり操作が入っているみたいですね。早々と、○○圧勝、なんてやって「なにかを諦めさせる効果」をねらっている・・・日本人は長いあいだ「長いものに巻かれろ主義」でやってきたことを熟知している人たちの巧みな世論操作。投票場では自分の考えにしたがっていいんだよ。ものすごく初歩的な一歩。諦めないで、それが今日も、明日も生きることなんだからさ。ぶつぶつ。

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2012.12.15 付記:この意見、わたしもリツイートではないけれど、ここに貼付けます!
自民圧勝を避けたいなら、当面の方法は一つ。「選挙区内の非自民候補で一番勝てそうな人」に入れること。現状なら自民は得票率3割で圧勝できる(比例区の得票率はその程度)。残りの7割が分裂していて、選挙協力もせず、みんな共倒れするからだ。脱原発支持の世論が7割以上でも選挙結果はそうなる by 小熊英二

2012/12/10

はじける dress after dress の中村和恵さん!

平凡社のヴェブマガジンに好評連載中の「dress after dress」、今月の中村和恵ねえさんは、ぱっきりしゃっきり、すんごいはじけてる! 男の子も女の子も必読です。

 なんてったって、女性が女性であるための身体の話です。いまの日本社会が、とりわけ男性中心社会が目をそむけてきたこま〜ったことを、あっけらかんと白日の下にさらし、それも、とっても前向きです。きっぱり!

 わたしもおおむかし、1980年代にかの「A新聞」に投稿したことのあるテーマでした。そのときも反響がすごかったなあ。あれからはや、30年になりますか。まだ、産婦人科には、あれがあるのよね! もういいかげん、消えてなくなればいいのに!

 えっ? なんのことかって? ではでは、こちらへぜひどうぞ

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2014/5/3   遅ればせながら、3月に中村和恵さんの『dress after dress』が本になりました。傑作です! お薦めします。
その時点で、おそらく、web-heibon のリンクがなくなりましたので、ぜひ本を手に取って、興味津々の、愛に満ちた批判の力を楽しんでください。

2012/12/02

真夜中に走り出す指

  暦も気候も、まさに師走。雪でも降りそうな東京、南多摩の夕暮れです。

「水牛のように」に詩を書きました。「真夜中に走り出す指」。

 編集長の八巻美恵さんが「水牛だより 12月号」で、ウィカムの『デイヴィッドの物語』を紹介してくれました。美恵さん、どうもありがとう!