Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2023/02/28

雪のなかの早春譜──2月も今日で終わり

西日本新聞にエッセイが載りました。2023年2月26日(日曜日)

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⛄️ 雪のなかの早春譜 ⛄️

生まれ育った北国から東京に移り住んで半世紀あまりが過ぎた。一月は一年でいちばん寒い季節で、寒さの底へ降りていく感じがスリリングだ。でも東京は陽の光も多い。気温の変化が安定しているためか仕事が進む。


 二月はそうはいかない。曇り空に風が吹く。紅梅白梅の香りにふっと気持ちが緩んでも、風は強い。そして冷たい。冷たい風に吹かれると、つい口からこぼれる歌がある──「早春譜」だ。 

©︎ Brian Smallshaw

 春は名のみの風の寒さや

 谷のうぐいす歌は思えど

 時にあらずと声も立てず


 初めて耳にしたのはいつだったのだろう。目を閉じると、台所仕事をしながら歌うメゾソプラノの母の声が微かに聞こえる。「早春譜」「庭の千草」「スコットランドの釣鐘草」、朗々と歌う声が雪に埋もれた家のなかに響いていた。


 テレビさえまだない時代、家のなかで耳にした音楽といえば、母の歌と、ラジオから流れる音楽と、父が我流で弾いたバイオリンくらいだったかもしれない。やがて兄といっしょにバイオリンを習いはじめ、バスや汽車を乗り継ぎ遠くまで通った。


 田舎では家と家のあいだがずいぶん離れていたので、大声で歌も歌えたし、バイオリンの練習も遠慮なくできた。そう気づいたのは十八歳で東京に住みはじめてからだ。

 東京という街は家と家の間隔がなんて近いんだろうと最初は緊張した。建物群のあいだを走る狭い通路を「路地」と呼ぶことを知った。それはとても濃密な空間で、凍える手をポケットに突っ込んで足繁く通ったジャズ喫茶も、たいてい路地の一角にあった。


 でも「早春譜」とともに真っ先に目に浮かんでくる光景は、深く積もった雪原なのだ。

 北海道の雪は日本海側の雪にくらべて乾いていると言われる。たしかに、粉雪がひたすら降り積もった。晴れた日は、雪原にスカーンと空が青く、遠く広がる。積雪量の多い地域に住んでいたため、雪かきが大変だった。吹雪くと一階の窓は外が見えなくなる。二月はまだ正真正銘の真冬だった。温暖化で雪の量が減ってきたとはいえ、先日も知人から、雪下ろしをしていて脚立から落ちたという話を聞いたばかり。


 そういえば小学生のころ、春が近づくと学校で告げられる「注意事項」があった──軒下を歩かないこと。太い氷柱が垂れ下がる屋根の庇から、積もり積もった雪が春近い日差しに溶けて、ザザザザーッ、ズシン! と地響きを立てて落ちる。子供はあっけなく下敷きになる。大人だって生き埋めになりかねない。



 北国では雪が半年近く「そこにある」。そんな雪の記憶はだんだん遠くなっていくけれど、冬はいまも雪の恋しい季節だ。空から舞い落ちる雪片の美しさは比類ない。ミトンの手にふわりと受けた雪のひとひらが、そのまま結晶を形づくる不思議に、溶けるのを惜しんで見入った。


 東京にも以前はよく雪が降った。立春のころとか、三月に牡丹雪とか。今年はまだ降らない。降るかな、降るかな、と曇り空を今日も見あげる──と書いた翌日、東京に雪が降った。

 そしてあっけなく溶けた。


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2023/02/21

アンジェイ・ムンクの『パサジェルカ/Pasażerka』を観る

 1963年のポーランド映画だ。監督のアンジェイ・ムンクはこの映画を制作中に、なんと39歳の若さで交通事故で急死してしまった。残されたスチール写真と動画をもとに、仲間が仕上げたという作品だ。映画の最初にその事情が語られる。『パサジェルカ/Pasażerka/乗客』。

 舞台は一艘の客船。時代は1960年。第二次世界大戦の記憶もまだ薄れていないころだ。

 船に乗っているドイツ人女性リザが、階段を登ってくる一人の女性を見て、突然、仕舞い込まれていた記憶に引き戻される。リザは戦争中はSSで「義務として、仕事として」きわめて職務に忠実に、ユダヤ人強制収容所の監視をやっていた。彼女の突然の狼狽に、いっしょに旅をしていた夫に問いかけられても、結婚前の出来事はあなたに語っていないから理解できない、とそっけなくリザは答える。

 収容所での出来事。ユダヤ人女性マルタにリザがかけた厚情をめぐって起きた事件と、その記録、記憶、記憶の揺れ、不確実性。

 60年も前の映画だけれど、少しも古びていないどころか、次々と発見がある。観終わった後に、あれ、あそこはどうなっていたっけ? そうか、もう一度見なくちゃ、確認しなくちゃ、と思わせる映画だ。たぶん、もう一度観るのだろう。58分にしてはじつに中身の濃い、事実とその記憶をめぐる、懐疑と内省を掻き立てる作品なのだ。

 J・M・クッツェーが『In the Heart of the Country/その国の奥で』を書くにあたって、クリス・マルケルのLa Jetée とともに、この作品から強い影響を受けたのが納得できる。

*2023.2.28 追記:写真は左上が英語字幕バージョン、右下が日本語字幕バージョン。両方見ましたが、細部までよくわかるのは、当然ながら、日本語字幕の方ですね。ぶつ切りにされたシーンにナレーションがかぶさることで、観客が積極的にコミットして理解するよう作られている映画なので。

2023/02/11

サイモンズタウンで朗読するクッツェー、クロッホ、アグアルーザ

 2月10日、サイモンズタウンの文学フェアで朗読するJ.M.クッツェーらの情報がtwitter (Book on the Bay :主催者の方ですね) にアップされました。ここでも記録のためにシェアします。

2023.2.10  @サイモンズタウンのSt Francis 教会

読んだのは「短いメモワール」──新作でしょうか──で、子どものころの先生について回想しながら、「自分は非常に静かな子どもだった。不自然なほど静かだった、といまは思う」と語ったとか。

アンキー・クロッホ

 なんとこの文学フェアには、クッツェーやアンキー・クロッホのほかにジョゼ・アグアルーザも参加しています。すでに木下眞穂さんの翻訳『忘却についての一般論』(白水社)で日本にも紹介されているアンゴラ出身の作家です。アンゴラってナミビアの北に位置する南部アフリカの大きな国です。

 作家はその著作『忘却についての一般論/Teoria Geral do Esquecimento』(A General Theory of Oblivion)から朗読。アグアルーザを紹介したデイヴィッド・アトウェルは、彼の作品を「乾いた根に降る雨のよう」だと述べたとか。

アグアルーザ


 イベントの会場となった聖フランシス教会はこんな感じ↓です。2月の暑い日の夕べに、朗読を聞きに教会に集まった人たち、そして、中央やや左に立って白いシャツの背中を見せているのがジョン・クッツェーですね。元気そうで何よりです。

追記:2021.2.15   お知らせしたサイモンズタウンのイベント、ここで詳細なリポートが読めます。サイモンズタウン・ハイスクールのバンドによる音楽付き!(ジョン・クッツェーがめずしく、 Gパンをはいてます!)

2023/02/09

2月9日はジョン・クッツェーの誕生日

Happy Birthday, John Coetzee!

February 9, 2023

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J・M・クッツェー、故郷に帰る。

 83歳になるジョン・クッツェーが、10日午後、サイモンズタウンのイベントにあらわれます。ケープタウンからフォールス湾沿いに半島を南下したところにある港町。イベントでは7月に出版予定の新作 The Pole から朗読するのでしょうか。

(facebookのデイヴィッド・アトウェルさん情報をシェア!)


***追記***

このイベントにはアンキー・クロッホも参加するみたい。真実和解委員会のドキュメントを徹底ルポした『カントリー・オブ・マイ・スカル』(現代企画室)の著者、アフリカーンス語の詩人ですね。



2023/02/06

『スペインの家』の書評が「すばる 3月号」に、評者は小野正嗣さん!

  今日発売になった雑誌「すばる 3月号」に斎藤真理子さんとの往復書簡の最終回が掲載されています。1980年代に森崎和江は読者にどんなふうに読まれたか、そして読まれ続けてきたかという鋭くも的確な指摘。それが斎藤真理子ならではの、とても柔らかい筆致で書かれています。

 手紙は、パク・ミンギュが「ブローティガンとの決闘」でどんな落とし前をつけたかで結ばれました。虹色の「うんこ」をした主人公が(なぜ虹色かは読んでね!)それを粉末にして首からかけていたが、それをブローティガンに飲ませるなんて、もうどういったらいいのかわからない話ですが、そこにはきちんと韓国と米国の微妙な関係も書かれていました。最終回の斎藤真理子さんのお手紙、みごとに決まりましたね。

 1年間、お付き合いくださって、真理子さん、どうもありがとうございました。編集の2人のKさん、本当にお世話になりました。読んでくださった読者の方々に深く感謝します!

 そして、そして。今月号では小野正嗣さんがJ・M・クッツェー『スペインの家 三つの物語』(白水社)の書評を書いてくださってます。同時代作家としてのクッツェーの最も重要なポイントを指摘し、人間クッツェーと作家クッツェーへの敬意と愛が溢れる、とても丁寧で心温まる評です。拙著『J・M・クッツェーと真実』のタイトルが「クッツェーの真実」ではなく「クッツェーと真実」であることの含意にも触れられていて、読んでいて身が引き締まる思いがしました。
 小野さんがロンドンでクッツェーに会ったシンポジウムの話がとても印象的です。そのときクッツェーが『スペインの家』の二つ目に収められた「ニートフェルローレン」を朗読するのを、小野さんは直に聞いていたんですね。

 小野さん、どうもありがとうございました。