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2026/03/15

降矢洋子さんの追悼展 ⎯ そこにある命


 3月12日、昨年90歳で永眠した降矢洋子さんの追悼展を見に国立コート・ギャラリーヘ行ってきた。追悼展は17日まで。

 かなり広い空間に、降矢さんが描いた油絵と版画がゆったりと並んでいて壮観だった。懐かしい絵もあって。これは80-90年ころ反アパルトヘイト運動が盛んだったころに、カレンダーになった絵だったなあ、とか、「ナイロビの売春婦」というタイトルの絵を含めた「反アパルトヘイト」の絵はがきセットを作って批判され、すごい議論になったり、とか。
 

 

 でも、わたしにとってはなんといっても、自分が初めて訳した本のカバーに作品を使わせていただいたことが忘れられない。

J・M・クッツェー『マイケル・K』

 単行本は筑摩書房から1989年に出版されて、2006年にちくま文庫に入った。(いまは岩波文庫になって作家の顔写真が使われている。)


 ギャラリーでは降矢さんの簡潔な年譜があり、歩いた道を大まかにたどる写真がスクリーンに次々と映し出されていくコーナーもあったり。入り口のテーブルに降矢さんの作品を絵はがきにしたものが四セットもあって。「自由にお持ち帰りください」とある。遠慮なくいただいてきた。なんと豪華な!

 初日にゆっくり作品を見せていただいたのはよかった。お嬢さんの降矢奈々さんともゆっくりお話ができて、充実した時間を過ごせた。降矢洋子というアーチストへの敬意がすみずみに感じられる素晴らしい追悼展。いまごろギャラリーでは「偲ぶ会」が開かれているのだろう。

 そうだ、あの原画を使ったカレンダーがあったはず、とゴソゴソやったら、出てきた出てきた。「'90 ANTI-APARTHEID 反アパルトヘイト、いまなにができる?」と書かれたカレンダーが。

 1988-1990年は、南アフリカが劇的に動いた年だった。非合法だった解放組織が合法化されて、その数日後にマンデラが釈放されたのが1990年2月、来日したのが10月。いろいろなことがあったなあ。

 70年代からアフリカに足繁く通った降矢さんにとって「アフリカ」とはなんだったんだろう、としきりと考える。

 秋田生まれの(初めて知った!)降矢さん、最後までキャンバスに向かって油絵を描いていた降矢さん、絶筆は庭の柘榴を描いた絵だったという。

お世話になりました。ありがとうございました! 心から! 🧡🧡🧡🧡🧡



2026/02/09

ジョン・クッツェーさん、お誕生日おめでとう!

Happy Birthday,  John Coetzee!



お誕生日おめでとうございます!
2026年2月9日でクッツェーさんは86歳に。まだまだ現役です。
🎂🎂🎂 


今年は秋ごろから、軽装で読みやすいクッツェー作品が書店にならびますよ〜

自伝的三部作『少年時代』『青年時代』『サマータイム』を、順次ペーパーバック📚にするべく絶賛みなおし中🖋️ 白水社🐓Uブックスです!

ご期待ください!

2025/12/25

本が2冊いっぺんに届いたんだよ、メリー・クリスマス! 

 今日はクリスマス!

 幼いころは両親や兄といっしょに教会へ行ったクリスマス。 

 父が山奥から、雪まみれの大きな木を掘り出してきて、大樽に生けて部屋の隅に置いた🎄 
50年代の田舎には大きな植木鉢は滅多に手に入らなかったんだろうな。その木の枝に綿をのせて、キラキラの星やモールや、ささやかな手作りの飾りをぶら下げた。母も張り切ってチカチカ点滅する電飾を買ってきて、木のてっぺんから垂らした。天井の照明を消して、じっとそのチカチカを見たっけな。

 晴れた朝、雪道を歩いて隣町の教会へ行った。わたしは子供のクリスマス会で、頭にコサージュなんかつけて、ほかの男の子と「ごあいさつ」をやったんだ。でもその子は、言わなきゃならないことばを途中で忘れてしまって、ずっとハイソックスをひっぱりあげてる。隣のわたしは(たぶん4歳くらい)ヤキモキやきもき、どうしていいのかわからないまま、これが永遠に続くのかと絶望的な気持ちになった。

 人前で話をするのが苦手なのは、このときの体験のせいだ!

 もうクリスマスに教会に行く習慣はないけれど、書籍みほんが2冊いっぺんに届いて、これはクリスマスプレゼントだな思うことにした🎄🎁🎄🎁🎄🎁

 一冊めは、久野量一・千葉敏之・真島一郎編『生を見つめる翻訳⎯世界の深部をひらいた150年』。東京外国語大学出版会から刊行された33のエッセイ/論考と4つのインタビューが入っている鈍器本。分厚い、重たい、内容がすごい!

 わたしのエッセイ「J・M・クッツェー翻訳の長い旅」は、原稿を一年以上前に渡してあったので、新刊のクッツェー本の情報が入ってない。ちょっと残念。ゲラは忘れたころに断続的にパラ、パラっと送られてきて、そのたびにハラ、ハラっとお返しした。大きく手を入れることなく編集校閲の指摘部分だけ直した。

 目次では、沼野恭子さんと宇野和美さんにはさまれて、しごく幸せそうな、ひらかなの名前が並んでいる。

****

 さて。届いた二冊めは、来年1月7日に発売予定のチママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』の文庫(河出書房新社)。初めて「フェミニズム」なる言葉に触れる人に読んでほしい本だ。

 後半には『イジェアウェレへ  フェミニスト宣言、15の提案』も入っていて、アディーチェの考えがエッセンシャルな言葉で簡潔にまとめられている。

 今回あとがきにも書いたけれど「前半は、フェミニズムってそういうことかと理解するための基礎入門編。後半は、家事や育児ケアなど具体的な場面を想定した応用実践編」という組み合わせになっている。

 こんな混迷と停滞の時代だからこそ、そもそもフェミニズムってなんだったっけ?と初心に戻ってみるのも悪くないはず。16歳くらいから読めるフェミニズムの本です。

2025/12/13

Dusklands『ダスクランズ』のカバーにクッツェーが使おうとした写真

 これも記録のために書いておく。

写真1
 昨年2024年はJ・M・クッツェーが最初の小説『ダスクランズ』を発表してから50年にあたる年で、ケープタウンとアデレードで相次いで記念のコンフェランスが開催された。

 4月18-19日にまずウェスタンケープ大学で開かれたコンフェランスの記録が、雑誌 English in Africa Volume 52, Issue1-2 にアップされている。発表された論文のなかでは、キャロル・クラークスンとハーマン・ウィッテンバーグのRe-readingDusklandsデイヴィッド・アトウェルのDusklands and the Postcolonial Turn あたりがおもしろそうだ。

 クラークスンとアトウェルはオランダやイギリスの大学で教えていたが、現在はケープタウンに戻っている。この常連たちにつづいて、若手研究者の論文がならぶ。概略はそれぞれのリンク先で読めるが、本文は購読手続きが必要だ。

写真2
 注目すべきは、雑誌今号のカバーだ。このナマ民族の女性の写真を、クッツェーは作家としてデビューする自作のカバーに選んでいたという(写真1、2)。

 だが出版元のレイバン社はそれを採用せずに、田園風景をぼんやり遠くから描いた絵を使った。1974年の南アフリカの読者層を考えると、あるいは、検閲制度を考えると、どういうことだったのか、あらためて考えざるをえない。というよりも、植民地主義をどう考えるか、クッツェーという作家の仕事を、50年という時間の経過から考えると何が見えてくるか、ということなんだろう。


 実際に発売された Dusklands の田園風景ふうのカバーも、すでに何度かこのブログでも紹介してきたけれど、ここにもアップ。比較して考えてみてほしい。

 1974年、アパルトヘイト政策が開始されて26年、クッツェーは34歳。

 1994年、アパルトヘイト撤廃、作家54歳。

 2024年、『ダスクランズ』発表から50年、作家84歳。


 アデレードで開催されたコンフェランスは、もっぱら文学理論上のテーマなどでクッツェー作品を分析し論じる会だったようだ。アデレード在住のクッツェーは出席者たちに、3年後に『その国の奥で』50周年なんてのはもうやらないでほしい、と釘を刺したとか。ふ〜ん、やっぱり。62歳でオーストラリアへ移住したクッツェーが、自分はそれほど南アフリカから遠ざかったわけではない、と言ったのをまた思い出してしまうな。

 先日はベルギー、オランダ、スペイン、ポルトガルなどを訪ねた長旅の最後に、南アフリカを再訪して、ステレンボッシュ大学で11月3-7日に開催された Nobel in Africa


アブドゥルラザク・グルナたちとステージに上がっていたっけ。

2025/12/04

マッチョなアフリカに「愛はくる」か?⎯で秋は終わる

 11月1日、世田谷文学館で「マッチョなアフリカに「愛はくる」か?」という、我ながらどこから湧いてきたんだろ? と思うようなタイトルで話をした。記録のため書いておきたい。

 5回の連続講座で共通のテーマが「愛」。ええっ? そういうのめっちゃ苦手なんだなあ、と一瞬思ったけれど、他の4人の講師陣を眺めやると、ほぼ男性で、私とほぼ同世代で、となると「愛」は舌に美味なる大きなテーマに違いない。苦い愛も含めて全体には愛への讃歌に満ちた作品が登場するんだろうと想像がついた。(ちがっていたら、ごめんなさい!)

 アフリカンの文学をどう関連させればいいの? 困ったな、と思っているうちに、藪から棒に浮かんだのが「マッチョなアフリカに「愛はくる」か? こないよな〜〜」という脳内会話だ。後ろの部分はもちろん省いて、それでいくことにした。

 最初はこれまで訳してきたアフリカンの文学全般について、思いつくままにあれこれ話をするつもりだった。ところが、夏にJMクッツェーの自伝的三部作『少年時代』を再読しはじめて、頭はすっかりケープタウンとヴスターに行ってしまった。2011年のケープタウン旅行の写真などひっぱり出して眺めているうちに、たった1.5時間にまとめるなら、これだけでめいっぱい。そこで朗読は『少年時代』の第一章と、クッツェーの愛してやまないカルーの農場フューエルフォンテインがベースとなった短編「ニートフェルローレン」(『スペインの家』所収)からとした。当然、話はヴスター時代の少年ジョンと農場生活のことにしぼられてくる。

『少年時代』第一章は、田舎町のヴスターへ引っ越して、狭い家に閉じ込められたくない、と思った母親が、中古の自転車を手に入れてなんとか乗りこなす話。ところが「女は自転車になんか乗らないもんだ」という周囲の意見に加勢して、少年は父親といっしょに冷やかす側にまわってしまう。ずっと悔いていたのだろうか、フェミニズムからクッツェー自身が学んだ成果なのか、とにかくそれをなんとか贖おうとすることばでこの章は終わる。ちなみに『少年時代』を書いていた作家は40-50代だ。

 自伝的三部作をまとめて訳出した2014年からすでに11年が過ぎた。2021年には、写真家になりたかったクッツェーが十代に撮影した『少年時代の写真』も日本語版が出版された。そこに岩だらけの平地を背景に、貯水地で水を飲む子羊の写真がある。これがいい。じっといつまでもながめていたくなる写真だ(このブログ最初の写真)。キャプションに「フューエルフォンテイン、クッツェー家の農場、カルーのプリンス・アルバート通り」とある。

 そうか、『マイケル・K』の主人公がめざしたプリンス・アルバートは、フューエルフォンテイン農場のある土地のことだったのか! 母親が幼いころ過ごした農場へ連れて帰ってくれ、そこで死にたい、と懇願した。そこでマイケルは手作りの手押し車でプリンスアルバートを目指す。プリンスアルバートとは、クッツェーの愛する農場がモデルだったのだ。

 というわけで文学館での話は「母親への愛(憎)と農場への愛」が中心になった。「愛」というと、きっと男女のロマンチックな愛を思い浮かべる人が、とりわけ同世代には多いことだろう。そこをちょっと「外した」のは無意識だったのか、意識的だったのか。おまけに、クッツェー自身が『サマータイム』で、死んでしまったジョン自身に、自分は文学とか音楽とか詩なんてものは「女々しい」とされた「マッチョ文化」が優勢な社会で育ったんだ、と言わせている。だから。

 マッチョなアフリカに「愛はくる」か?⎯という問いに率直に答えるなら、どうかな、来ないな、マッチョなまんまじゃ無理だろな、日本だって同じだけどな、と思いながら話をしたのだった。「アフリカで癒されたい」と「マッチョ」をポジティヴな意味にとった人には期待外れだったかもしれないけど😅。

 とにかく無事に終わってよかった2025年の秋のイベントでした。お世話になった世田谷文学館のスタッフのみなさん、わざわざ足を運んでくださった大勢の方々、どうもありがとうございました。

2025/05/12

J・M・クッツェーとマリアナ・ディモプロスの共著

 

今回もまた、まず最初に出版されたのはスペイン語版だ(写真右)。タイトルは Don de Lenguas(言語の贈り物)。

 最近、JMクッツェーは英語より4ヶ月ほど先にスペイン語訳を出版する。表紙にはクッツェーとディモプロス、そしてそのあいだにこちらに背を向けた男性が写っている。でも、よくみるとこれは彫像。おそらくプラド美術館で撮影されたもだろう。

 共著者のMariana Dimópulos はクッツェーの最新長編小説『ポーランドの人』を翻訳したアルゼンチンの人で、スペイン語版 Don de Lenguas の翻訳者としては Esther Coross の名前が記されている。つまりクッツェーとディモプロスのやりとりは英語だったことがわかる。

 数日前に出版されたばかりの英語版 Speaking in Tongues (米国版)が届いた(写真左の赤い表紙の本)。そこで2冊ならんでいただいて、写真におさめた。2冊をぱらぱらめくってみると英語版にはエピローグがある。これはスペイン語版にはない。

 But that which is native to us needs to be learned just as well as that which is foreign.  ──Friedrich Hölderlin                                              

 ヘルダーリンだ!なるほど!わたしもまた東京に出てからニホンゴを学びなおしたんだったなあ。いまだに学習の途上にいる。

2025.5.10
本の内容は:

1.The Mother Tongue

2.Gender

3.Translating "The Pole"

4.Words


そうそう、今年の2月に85歳になったジョン・クッツェー、まだまだ元気に活躍しているようだ。先日も「フランクフルター・アルゲマイネ」というドイツ語の新聞に記事が載っていた。ウィーンにあるジークムント・フロイトのミュージアムを訪れて講演をしたクッツェー、めずらしくネクタイをしめたフォーマルな出立ちで。

 フロイトはクッツェーが若いころから読み込んで、引用も多い心理学と精神分析の、超がつく有名な学者・医師だけれど、クッツェーの講演ではそのフロイトが自分のことを語っていないと述べたらしい。「らしい」というのはドイツ語の記事をグーグル翻訳にかけてざっくり読んだだけなので、そんな表現をせざるを得ないのだけれど。これはなかなか興味深い。 

2025/02/09

お誕生日おめでとう! ジョン・クッツェーさんは今日で85歳


お誕生日おめでとう、ジョン!



暦の上では立春が過ぎたけれど、風の冷たい冬の東京では室内でシクラメンが花盛りです。真夏の南半球アデレードへの花便り!


***

 窓から見る空は今日も青く、木々は茶色の枝枝に、きっと葉芽をふくらませている。いずれかならず緑の芽を吹く。樹木は偉い。

 一ヶ月以上もブログをほったらかしにしてしまって、すみません!

2025/01/01

あけましておめでとうございます

 今年はゆっくり(自社比)歩いていこうと思います。よろしくお願いします。

 昨年11月に日経新聞のコラム「こころの玉手箱」に書かせていただきました。有料記事ですが、ここにリンクを貼っておきます。
 タイトルは「クッツェーと格闘した36年」となりました。おもに、J・M・クッツェーの『マイケル・K』に出会ってからほぼ36年にわたる翻訳作業について書いたからでしょう。


・初回は、1988年に高田馬場の洋書店ビブロスで買った『マイケル・K』の原書と作家のポスターについて。

・次は、1974年に大学最後の冬休みに初めて国際線の飛行機に乗ってパリ、ロンドン、南仏へ行ったときの、大失敗。

 ・そして、クッツェーからもらったフルーツケーキの入った赤い箱がブレスレットボックスだったこと。

・ケープタウン空港でビーズ細工のチョーカーとブレスレットを買った土産物店の名前に、カレン・ブリクセンの有名な作品名が使われていたこと。

・最後が、10歳のとき母から手渡されたL・モンゴメリの分厚い一冊『赤毛のアン・続赤毛のアン』、文庫化された最終巻『アンの娘リラ』まで夢中で読んだ中学生時代。そこから始まった北米、ヨーロッパ、アフリカ大陸を経る「学びほどき、学び直す/アンラーン」の旅の帰還が、認識地図のなかで明らかになった──わたしが学んだ日本の歴史教育が教えなかった──北海道が旧植民地だったこと。

 2024年はクッツェーが30代に書いた『その国の奥で』の新訳、22年前の訳書マリーズ・コンデの『心は泣いたり笑ったり』の復刊、そして『マイケル・K 』からのクッツェー翻訳を振り返るコラム連載で、大きな一区切りになりました。

 2022年2月に始まったウクライナ・ロシアの戦争は先が見えず、2023年10月からのイスラエルによるパレスチナのジェノサイドを世界は止めることができず、想像を絶するスーダンやチャドの死者数は滅多に伝えられることがない。

 今年はどんな年になるのやら、ですが、とにもかくにも、この世界にあるかぎり──ハン・ガンが言うように──人の心と心をつなぐ糸を紡ぎ、わずかでも暗雲を払うような仕事をしたいものです。

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

2024/07/13

『その国の奥で』が空を写して、『マイケル・K』が電子書籍になる

続きです!

 J・M・クッツェー『その国の奥で』(河出書房新社)が、あるハプニングで予定より5時間ほど遅れて、昨日の午後に篠突く雨のなか届いた。 

 カバーの映像が出てから実物を手にするまでの待ち遠しさは、何冊訳しても馴れることがない。ネット環境のなかった頃より、待ち遠しさはむしろ加速されたんじゃないかとさえ思える(いや、気が短くなっただけか──🐐?? 今日は晴れたので屋外で撮ったら、なんと、空が写り込んでしまった、、、左の写真の左側)

 とはいえ2000年までは──とつい昔語りになるけれど──編集者とじかに会って「みほん」を手渡されるとき、初めてカバーの絵を目にすることが多かった。実物を目にするまでは、ファクスで送られてきたぼやけた画像から想像をたくましくするばかりで、ひたすら待つしかなかった。筑摩書房から出た初めての訳本『マイケル・K』を受け取ったのは、1989年の初秋だったか。国立のロージナ茶房で、何冊か入った袋がどさりとテーブルに置かれたときの感動は忘れない。 

 でも思えばあのころは、待つ時間はいまよりずっとゆるやかに、おだやかに流れていたような気がする。編集者ともじかに顔を合わせて、ゲラの引き渡しをしながら、細かな疑問をその場で解決するといった感じで作業は進んだ。人と人がじかに会ってことばをかわし、いろんなことを決めていた時代。ネット時代になって、それが簡略化されて、宅急便や郵便でやりとりすることが多くなった。いろんなことが省かれて、とにかく早い。連絡事項や決定事項が記録として文字として残るので、これは非常に確実。疑問などもすべてメールで即座に解決することが多い。備忘のためにも、齟齬をきたさないためにも、便利は便利。でも……。

 カバーデザインをPDF で前もって目にするようになって、それから実物が出来上がってくるまでの短からぬ時間は、まだかな、まだかな、と焦燥の念に駆られるようになったんじゃないかとやっぱり思うのだ。なんでも早くできる時代に、待つことに不慣れになり、ちょっと疲れて、頭のなかで少し横に置いたころ、どさりと届く──という感じになった。

『その国の奥で』を訳していて思った──J・M・クッツェーの作品を翻訳するのは、これで何冊目だろう。共訳を含めると軽く10作品は超えるかも知れない(数えてみると12作か)。南アフリカを舞台にした作品を、クッツェーは長短篇をすべて含めて9作書いているが、そのうち8作を訳したことになる。作品の背景や時代のコンテキストを重視する訳者として、南アフリカの事情を、はしょらず、正確に、ニュアンスを細部まで伝える努力をしてきたつもりだけれど、責務は果たせただろうか。

 とりわけジョン・クッツェーの生きた時代とぴたりと重なるアパルトヘイト時代の政治制度の内実や、人種による微妙な人間関係の心理をめぐる細部は、どんどん大雑把にまとめられて歴史の彼方へ葬り去られていくようだ。翻訳者も解説者も編集者も校閲者も、勘違いや見落としを最初から疑って、歴史的事実を正確に伝えるよう努力しなければいけない時代になった。
(たとえば、南アフリカで国民党が政権を奪取したのは1948年、1960年代ではない。1948年は時代の分岐点で、アパルトヘイト制度という人種差別制度が公然と開始されたのはこの年だこの年は少年ジョンがケープタウンから内陸のヴスターへ引っ越した年でもあった。)

 『マイケル・K』はそのアパルトヘイト末期を舞台に描かれた小説だ。1983年に発表されて、この年のブッカー賞を受賞した。1989年の初訳が出たころは、日本ではバブル経済で南ア産のプラチナを若い女性が買い漁った時代でもあった。

 現在入手可能なバージョンである岩波文庫『マイケル・K』が7月27日(7月25日に早まりました!)、電子書籍化される。単行本が出たのは35年前だ。2006年にちくま文庫に入り、2015年に岩波文庫になり、9年ごとの「変身」を重ねて、ついに電子書籍になる。カフカの『断食芸人』『審判』とも響き合うこの作品が、カフカ没後100年に、またまた変身して新世代の読者に届くのは訳者冥利に尽きる。

 J・M・クッツェー作品が初訳から一周、二周して、新しい読者と出会ってほしいものだ。

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2024/07/12

J・M・クッツェー『その国の奥で』のみほんが届いた

 J・M・クッツェー『その国の奥で』(くぼたのぞみ訳、河出書房新社)

 J・M・クッツェーの二作目に当たる『その国の奥で In the Heart of the Country』は、20世紀めの南アフリカ奥地で、外部世界から孤絶した農場を舞台に展開される。非常に実験的な作風は初作『ダスクランズ』を凌ぐほど。1~266の断章から構成される、孤独な、マグダという女性の暗い情念と観念と幻想の物語だ。

 1977年にまずアメリカで(タイトルを一語変えて)、次いでイギリスで出版され、翌1978年に南アフリカで、会話の部分がアフリカーンス語の二言語バージョンとして出版された。じつはこの作品が、アメリカ、イギリスなど北半球の英語圏での実質的デビュー作だったのだ。その経緯についてはここに詳しく書いた

 新訳『その国の奥で』のカバーは、版元サイトにも、ネット書店にも既に出ていて、このブログの右上にも少し前からアップされている。でもカバーの色が黒ではなく、青みがかったダークな色だと知ったのは今日みほんが届いたときだ。そのインクを混ぜたような黒色空間(たんなる平面には見えない)に浮かびあがる、もの言いたげな薄紫の花と花びら、その濃淡がかもしだす幻想世界、キリッとした白い文字。

 アメリカ移住がかなわず、1971年、無念を断ち切り船に乗って南アフリカへ帰国したジョン・クッツェーが、このまま「地方」に埋もれてなるものかという意気込みで『ダスクランズ』(1974)を発表し、その次に発表したのが、この『その国の奥へ』(1977)だった。さらに広い読者層を獲得したいという野心と、実験精神にあふれた若き作家の熱いエネルギーが行間からほとばしる作品なのだ。訳しながら時々くらくらっとなった。詳細は本書「訳者あとがき──J・M・クッツェーのノワールなファンタジー」を!



帯の文句がまた比類ない。きっちりと内容を伝える表の帯。

植民地支配の歴史を生きたものたちの、人種と性をめぐる抑圧と懊悩を、ノーベル賞作家が鮮烈に描いた、濃密な、狂気の物語。語りと思考のリズムを生かした新訳決定版!!!

 帯裏にはマグダの独白が具体的に引かれている。

「父さん、許して、そんなつもりじゃなかった、愛してる、だからやったの」
              

 装画は熊谷亜莉沙さんの作品。送られてきた最初のラフを見たときの、戦慄にも似た深い感覚は忘れられない。作品と挿画の、火花を散らすような、比類なく幸運な出会いだと思う。


 バックカバーの裏の折り返しにも注目してほしい。「その国の奥で」という文字といっしょにさりげなく、掘り抜き井戸の写真が使われているのだ。訳者のたっての希望で、最後の最後に入れていただいた。南ア奥地の半砂漠地帯カルーで農園を営むためには絶対に欠かせない掘り抜き井戸。風車の力を使って水を汲みあげ、貯水池に貯める。その水で農場の生き物たちは生を営む。空の部分をぼかした見事なアレンジだ。ブックデザインの大倉真一郎さん、ありがとうございました。


(思えば掘り抜き井戸は『マイケル・K』にも頻出するが、物語の最終場面にも象徴的なかたちで使われていた。)

 そして終盤、あまりにノワールで妄想的な物語世界に半分持っていかれそうになった訳者に、最後まで根気よく伴走してくれた編集の島田和俊さんに深くお礼をもうしあげる。


************

(この続きと、『マイケル・K』の電子書籍化については次回に!)


 

2024/03/21

プラド美術館で語るJ・M・クッツェー、マリアナ・ディモプロスとの対話

 昨年7月末にプラド美術館で開催された、ジョン・クッツェーとマリアナ・ディモプロスの対話の英語版(当初のバージョンはスペイン語の同時通訳がかぶさっていた)があった。ここ半年は『その国の奥で』の翻訳などに忙しく、フォローが遅くなったけれど、ここに備忘のためにシェアしておく。

 言語をめぐるJ・M・クッツェーという作家・思想家・言語学者の考え方の基本が伝わる動画だ。

 The Languages of Arts


最初は絵画(イメージ)と言語について、絵画の言語について語っているが、解釈、翻訳についても敷衍するかたちで話は進む。フェルメール、ヴェラスケスなどによって描かれる人物(写真に撮られる人物)の視線について、take the photograph(写真に撮る)、shoot them(彼らを写す)、という表現の動詞について。
 さらに翻訳する二言語間の歴史的、文化的差異について。例えばヴェトナム語にはbrotherにあたる語はなく、兄か弟しかないため(これは日本語もそうだけれど、アジアの言語の多くに見られることかもしれない)、原文にある2人のbrothersはどっちが兄でどっちが弟か、という翻訳者の質問に対してクッツェーは答えられなかった(つまり区別せずに書いているということ)、だからヴェトナム語の翻訳者が自分で決めてくれ、と(笑)。これはもう日本語への翻訳でいつもいつも悩むことだけれど、前後の文脈から訳者が自分で決めなければいけないことなのだ。質問しても答えはない! さらにresonance of the words の重要性についてスペイン語への訳者であるディモプロスは語る。

 そして『ポーランドの人』の翻訳の話になる。そこに描かれている2人の関係について、著者が言語上は意識せずに書いている「関係の変化」について、翻訳者は著者よりさらに意識的(創造的)に会話のことば遣いに配慮する必要があると、スペイン語訳者のディモプロスと非常に重要なことを語り合っているので、要注目だ。英語には二人称はyou しかないが、スペイン語などには距離をおく敬称 usted と、親しい人に使うtú があることの違いなど。

 The Pole という英語で書かれた作品が、スペイン語に翻訳され、そのスペイン語のテクストから(舞台はバルセロナ!)英語のテキストが作者自身によって書き変えられていくプロセスを語っていて、非常に面白い。確かに、最終的なテクストは最初に届いたPDFテクストから大幅に変化していた。照合するのが本当に大変だったなあと。ちょうど去年の今ごろ、その作業をやっていたんだった。


 さて、人とモノとのあいだには、そのモノを指し示す語がメディア(メディエーション)として入り込むが、絵画の場合はイメージが見る者にじかに伝わる。それから言語による解釈というテーマへと移っていったが、このメディアというテーマをクッツェーは第二作目『その国の奥で』で、主人公マグダが宇宙から飛行してきたと思われる存在に向かって、メッセージを必死で伝えようとするときに「あいだ」に入り込むものとして指摘している。
 マグダ(クッツェー)の場合、それはことばだ。面白いのは、第二作目の『その国の奥で』からクッツェーはメディアとしての言語にスペイン語を選んでいること。それも漆喰で白く塗った石を山肌に並べて、空飛ぶ円盤でやってきたものたちにそのメッセージを伝えようとすることだ。「スペイン語は普遍的な言語だ」として。実際に書かれたメッセージにはラテン語、フランス語、イタリア語などがゴチャゴチャと入り込んでくるのだけれど。


 そしてこの動画の最後に、イメージや絵画と小説を書くことの微妙で複雑な関係を、2人はきわめてシンプルな言語で表現していく。その「わかりやすさ」がこの動画のベストポイントだ。

2024/03/13

中村佑子「冬の日の連想」⇨ 置き去りにしたものに青い硬質な光があたる

 「me and you little magazine」というウェブマガジンがある。そこに中村佑子の連載「午前3時のソリチュード」(編集は河出書房新社の谷口愛さん)がぽつぽつとアップされる。これが面白い。

 この連載は、ことばがひたひたと迫ってくる小さな波のようで、穏やかながら、ひとつひとつの波は存外、感覚の深いところへ降りてきて、その周辺の記憶に響き、あざやかに揺らす。新しい文章が加わったというお知らせがXに載ったので、さっそく読んだ。「冬の日の連想」だ。

 書き出しは2歳の男の子の頭を撫でることから始まるのだけれど、それがミケランジェロ・アントニオーニ(1912-2007)の映画「情事 (1960)」のあるシーンに繋がっていく。出てくる女優がモニカ・ヴィッティ、「L'Eclisse/太陽はひとりぼっち (1962)」のあの女優だ。この映画については以前、クッツェーの『青年時代』に絡めてここに書いたけれど、初めて観たのは学生時代、いや10年ほど前か。『情事』はたぶん観ていない。

 ところが中村佑子は学生時代に、ミケランジェロ・アントニオーニが映画監督でいちばん好きだったと書いている。驚いた。1990年代のことなのだ。

 それで思い出した。まだノーベル文学賞を受賞する前のJ・M・クッツェーが、毎日新聞にコラムを連載していたことがあった。あれは1990年代半ばから文学賞受賞までだったか。日本語に訳されて紹介されたのは、当時の南アフリカ社会の断片をスパッと切るようなコラムだったが、あるとき自分の好きな映画監督ミケランジェロ・アントニオーニのことを書いた。でもそれは、あまりにも古いネタと見做されて没になった。これは担当記者のFさんから、後で聞いた話だ(註)

 「午前3時のソリチュード」は、去年まとめて読んだ。でも読みそびれていたものがあったことに今回、気づいた。「火の海」だ。のっけからマルグリット・デュラスの『ロル・V・シュタインの歓喜』が出てくる。でも、この作品と狂気について詳しく書かれているのは、ひとつ前の「現実の離人感」だ。とにかく、おお、デュラスかあ、とため息が出た。


 1968年に大学に入って、ストライキで授業がなくなって、それからまあ色々あって、授業が再開された。数人で作品を選んでそれについて発表することになった。そのとき5人の女子学生は、なぜか、翻訳が出たばかりのデュラスの『破壊しに、と彼女は言う/Détruire dit-elle』(訳:1969)を選んだ。ずらりと居並ぶ教授陣を前にして、あの作品をどう読んだのか、誰が何を言ったのか、いまやまったく覚えていないけれど、とにかくほぼ徹夜して、それぞれが書き上げたリポートが、デュラスの極めて難しいと言われる作品についてだったのだ。

午前3時のソリチュード」の書き手、中村佑子はマルグリット・デュラスを、この作家のもっとも深いところまで降りていって、読む。その狂気をも含めて、ぶれることなく読む。

 当初、デュラス作品を日本語にした翻訳者は清水徹、田中倫郎、平岡篤頼といった男性研究者が圧倒的に多かった。それはなぜだろう、と以前から考えていた。(研究者も翻訳者も圧倒的に男性だったからだろうな。)でも残念ながら、会話が、とりわけ女性が発することばが、どうもしっくりこなくてはがゆかった。(今世紀に入ってからは関連書籍を北代美和子さんなどが翻訳するようになって嬉しい。)

 大学を卒業してからも、デュラスは断続的に読んだ。とりわけ80年代に発表された『アガタ』『愛人』『苦悩』『物質的生活』『エミリー.L』『北の愛人』などはどれも、詩人Kさんといっしょに貪るように読んだ。デュラスの訃報に、Kさんと献杯した記憶もある。

 J・M・クッツェーの作品を翻訳するようになって、わたし自身はデュラスからは一気に遠ざかった。ある時点で、デュラスの本はほぼすべて処分している。それもいまにして思えば自然な成り行きだったかもしれない。でも表層的には学生、OL、母親、翻訳者をこなしながら、どこかに置き去りにしてきたものがあるのだ。そのことに思い至った。

 クッツェー翻訳が一段落したいま、そんな遠い20代、30代の自分と再会させてくれる、青い硬質な光を発する、中村佑子のことばに出会えたのは幸いだ。「冬の日の連想」を読んで、しみじみ抱く不思議な感覚に身震いする。

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註:発表されていれば、少年時代に写真家をめざしたクッツェーの映画論として、貴重な映像論になったのに、没になったのが惜しまれる。 

2024/02/09

今日、2月9日はジョン・クッツェーの誕生日

Happy Birthday, John Coetzee!

February 9, 2024

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  2024年になってから時の過ぎるのがひどく早い。あっという間に1月がすぎて、あっという間に2月も半ば。

 月曜日から雪が降って、少しだけ積もって、一瞬、雪景色!と思ったけれど、それもどんどん溶けて、寒さだけは本格化して、2月9日金曜日、今日は昨日よりちょっと暖かい。

 南半球は真夏です

 1944年2月9日にケープタウンで生まれたジョン・クッツェーさん、84回目の誕生日をやっぱり真夏のオーストラリアで迎えているのでしょうか?

 今年2024年は、作家J・M・クッツェーが誕生して50周年になります。初めての作品『ダスクランズ』が出版されたのが1974年でした。それから半世紀がすぎて、50周年を祝う催しが、4月にケープタウンで、6月にアデレードで開かれる予定。

 いま訳している『その国の奥で』は1977年に出版された第二作ですが、これがファンタジックこの上ないのです。今年半ばには書物の形になって、本屋さんに並ぶはずです。版元は河出書房新社です。がんばりま〜す!💕

 それにしても、自分の書く文章が、日本語だけれど、長年クッツェーを訳しつづけたせいか、どうもガッツリ系になっていく、というか、すでになってしまったなあとつくづく思います。35年間に12作も訳したんだから、よくもわるくも、影響受けないわけがないですよね。😂

 

2023/12/30

来年は、J・M・クッツェー『その国の奥で/In the Heart of the Country』です

 今年1年を振り返る時期になったけれど、ここには来年のことを書いておこう。

 現在、新訳を進めているのは、長らく絶版だったJ・M・クッツェーの第二作『In the Heart of the Country/その国の奥で』だ。河出書房新社から、来年半ばには刊行される予定。河出書房新社はチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの邦訳全作品を出している出版社で、クッツェーの『鉄の時代』が入っている池澤夏樹個人編集の世界文学全集の版元でもある。

 この第二作目はまったくもって一筋縄ではいかない作品だ。ファンタジックでゴシックで、実験的という点では初作『ダスクランズ』をはるかに凌ぐ。とにかくものすごい妄想、また妄想なので、読みこんで日本語にするのは作品との「格闘また格闘」となる。やたら時間がかかる。半ページしか進まない日もある。翻訳を始めたのは何年か前だが、全139ページがまだ終わらない。それでも、あと〇〇ページを残すところまできた。

 この作品の出版をめぐる経緯については、以前このブログでも書いた。ウォルコヴィッツの『生まれつき翻訳』について触れたときだ。(ここで読めます。)クッツェー作品としてこの小説が英米で初めて出版されたのは1977年、南アフリカ本国でバイリンガル版として出版されたのは翌年のことで、『鉄の時代』の年譜にも書いたし、自伝的三部作の年譜にも、『J・M・クッツェーと真実』の詳細な年譜にも、必ず書いた。この作品が出版された経緯は、この作家の作家活動にとって非常に重要な細部だからだ。

 当時の南アフリカにはまだ厳しい検閲制度があり、異人種間の結婚はおろか、性交まで禁止する法律があった。世界から切り離されたような南アフリカ奥地の農場を舞台に、極端に狭い人間関係のなかで、事件は起きる。姦通、泥酔、銃撃、殺人、レイプ、ect. ect. しかしそれが実際に起きたのか、起きなかったのか、事実と妄想の境界がきわめて曖昧なのだ。銃を握るのは三十代の独身女性マグダで、彼女の独白が全編を貫いている。

 日本語訳は原著の出版から約20年後の1997年、スリーエーネットワークの「アフリカ文学叢書」の一冊として出た。それから四半世紀以上が過ぎて、その間、この作家は二度目のブッカー賞を受賞、その3年後にオーストラリアへ移住、直後にノーベル文学賞を受賞した。そんなニュースと相前後して作品が次々と紹介されて、作品や作家の全容がほぼ見えるようになった。

 今年6月に日本語訳が白水社から出版された『ポーランドの人』(それについてはここで)は、非常に無駄のない、端正な、流れるような文体で書かれていた。このレイトスタイルへ至るまでの半世紀におよぶ長い道のり。

 これまでにクッツェーは南アフリカを舞台にした長編小説を8作書いている。出版順にいうと、『ダスクランズ』『その国の奥で』『マイケル・K』『鉄の時代』『少年時代』『恥辱』『青年時代』『サマータイム』で、このうち6冊を拙者訳で読んでいただける。来年は新訳『その国の奥で』が出る予定で全7冊となるはずだ。

 南アフリカの作家クッツェーと出会った者として、あまり知られていな南アフリカの自然や風土、作品舞台となった時代の人間関係の細部をあたうるかぎり潰さずに、なおかつ、含みをもって伝える責任を、これでほぼ果たせるように思う。感慨深い。

 手元にあるこの作品の紙の書籍3冊と、Kindle版1冊のカバー写真をあげておく。左上からペンギン版のペーパーバック(1982)、右へ行ってヴィンテージ版(2004)、スイユ版のフランス語訳(2006)、そしてKindle版スペイン語訳(2013)である。

 いろいろ心が砕けそうになる事件や出来事が起きた2023年だったけれど、それでも今年は藤本和子さんの4冊目の文庫や斎藤真理子さんとの往復書簡集『曇る眼鏡を拭きながら』が出版された年でもあった。

 人生はまだまだ続く。La lutte continue!

 🌹 みなさん、どうぞ良いお年をお迎えください!🌹


2023/10/01

J・M・クッツェー:ヨーロッパと外の世界──バルセロナ現代文化センターでの対話

 久しぶりの更新です。

9月30日、バルセロナ現代文化センターで、JMクッツェーとヴァレリー・マイルズの対話が行われました。

Europa i el món de fora/ヨーロッパと外の世界」という対話は、ヨーロッパ文化をめぐるいくつかの対話や講演の締めくくりだったようで、早速、カタルーニャ語のウェブサイトに報告が載りました。

詳細はいずれバルセロナ現代文化センターのウェブサイトに掲載されるそうですが、昨日の対話でクッツェーは<作家自身の「いま」と世界の「いま」>を結びつける重要な発言をしているようです。

とりわけ、この記事のタイトルとなった「J.M. Coetzee: “Escriure té més a veure amb cuinar que amb filosofar”」 の最後に、ロシアに対する世界のあり方をめぐるクッツェーの意見が紹介されていて、これは注目に値します。現在ロシアに対して行われている制裁が、国内にいて抵抗を続ける作家たちを見えない存在にすることにならないか、という危機感を表していて、アパルトヘイト時代の南アフリカに対して外部諸国が実行した文化制裁、経済制裁と、当時その国内にいたクッツェーの心情を彷彿とさせます。

(以下は記事をカタルーニャ語から英語、さらに日本語へG翻訳して、引用者が少しだけリライトしたもので、ざっくりした意味と理解していただければ幸いです。)

"ロシア古典の偉大な読者である作家は、この国についての彼の見解で話を終えたいと考えていたが、それはここ数十年の歴史、ソ連の敗北、そして90年代の資本主義の「有害な」押し付けによって彩られていると彼は語った" 

今はロシアとの関係を断ち、彼らを忘れ去るべき時ではない。 私たちはあらゆる機会を利用して、彼らの努力を支持していることを彼らに示さなければなりません。」(下線引用者)


***

J.M. クッツェー:「書くことは哲学よりも料理と関係がある」

ノーベル文学賞受賞者がCCCBでヴァレリー・マイルズとともに言語と文学について振り返る: 

Europa i el món de fora ヨーロッパと外の世界──ヌリア・フアニコ・ルマ、@バルセロナ 


作家 J.M. クッツェー(南アフリカ、ケープタウン、1940年生)は今週土曜日、バルセロナ現代文化センター(CCCB)を訪れ、ヨーロッパ大陸に対する自身の見解を語った。 しかし、クッツェーは南アフリカで生まれ、20年間オーストラリアに住み、残りの人生を米国で(引用者註・英国でも)過ごした。 このため、「Europa!」サイクルの締めくくりの話を始める前に、自分が習得していないものについて意見を言うことに非常にアレルギーがあると説明している。 「現在、全国民が自分の意見を広めるチャンネルを持っており、その意見の正当性や強さは、その意見が真実かどうかではなく、誰がその意見を支持するかによって決まります。私たちは、ある種の意見が生き残るダーウィンのような意見の市場に住んでいます。そうしない人もいます」とクッツェーは、作家・編集者のヴァレリー・マイルズ(ニューヨーク、1963年生)との会話で語った。


両者とも「ヨーロッパでは部外者」と感じていると告白しており、おそらくそれが地政学的問題よりも文学的な対話に焦点を当てた理由だろう。 この会議では、ガブリエル・ガルシア・マルケスやミゲル・デ・セルバンテスからロバート・バルザー、オクタビオ・パス、ギュスターヴ・フローベールまで、何人かの文学者を参照。 2003年にノーベル文学賞を受賞したクッツェーは、バルセロナを舞台にした最新小説『The Pole』(エディション62、ドローズ・ウディナ訳)の創作ギアを掘り下げている。

 カタルーニャ州の首都を主な舞台に選んだ理由は何ですか? 「書くことは、哲学することよりも料理と関係がある。私はバルセロナについてあまり知らないが、あの物語ではそれがうまくいった。私は直感に従って仕事をしている」とクッツェーは説明した。


アングロサクソン文化における「詐欺師」


『ポーランドの人』はピアニストと既婚女性の間のあり得ないラブストーリーだが、プロットを超えて、作家はこれが彼にとって完全な意思表示であることを示した。 クッツェーはここ数年はまずスペイン語で本を出版し、その後英語で発表してきた。 「スペイン語が英語に代わる優れた代替手段となり得ることを示したかったのです。私はアングロサクソン文化の中で詐欺師のように感じてきました。」と、芸術創作においてスペイン語がますます重要になっている著者は強調する。


「どの言語にも、哲学的、宗教的、歴史的に非常に大きな重みを持つ単語があります。それらを適切に翻訳するには、その背後にある意味論的な文脈を移す必要があります。英語で単語を書くとき、私はそれがどのような意味になるのかという問題を意識しています。 翻訳者に質問し、翻訳者が見つけられる解決策は何なのかを尋ねます。そのため、問題を引き起こす可能性のある造語は避けるようにしています」とクッツェー氏は振り返った。(下線引用者)


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対話の相手、ヴァレリー・マイルズは『ポーランドの人』の謝辞にあがっていた3人の1人で、他の2人はスペイン語訳者のマリアナ・ディモプロス、フランス語訳者のジョルジュ・ロリです。カタルーニャ語訳は3月末に、イタリア語訳も8月末に出版されたのに、なぜかフランス語訳が出ないですねえ。

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2021.10.2──付記:今日になって気がついたのですが、このバルセロナでの催しはKosmopolisという大がかりなフェスで、以前もこのブログで紹介したことがあります。ここです
 ルー・リードとアミラ・ハス、そしてJMクッツェーの写真が並んでいますが、ブログを見た友人に、この並びはすごい!と驚かれたことがありました。2009年3月でした。あれから、14年あまりのときがすぎたわけです!

2023/07/24

なぜ、クッツェーは覇権英語に抵抗するのか

2018年1月、カルタヘナで開かれた文学祭でJMクッツェーが行ったスピーチ。なぜ、英語で書くクッツェーがその言語を自分の言語ではないと思ったか、 詩と言語の関係、世界を映し出す鏡としての言語、少数言語に対する英語ネイティヴのアロガントな態度なども含めて。備忘のためにここにシェアしておきます。

http://coetzeecollective.net/audio/jmc-hegemony-of-english.mp3

カルタヘナの文学祭のようすは、ここで詳しく報告しました。


2023/07/23

日本語訳『ポーランドの人』の書評が掲載されました

「山陰中央新報」と「北國新聞」に、拙者訳のJMクッツェー『ポーランドの人』 (白水社)の書評が掲載されました。

 twitter で記事の写真をシェアしてくださった方がいたので、ここでもシェアさせていただこうかな。この作品をしっかり読み込み、限られた字数内にポイントを過不足なく書き込む離れ技をやってのけたのは、吉田恭子さん! Merci beaucoup!

どうしても文字がぼやけます。くっきり読みたい方は、twitter で!↓

https://twitter.com/mayumi3141/status/1683011623978692609/photo/2

「山陰中央新報」のサイトはここです。(7/22)↓

https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/420902

「北國新聞」のサイトはこちら。(7/23)↓

https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1133119

2023/07/19

南アフリカ出身の文学研究者スー・コソーさんの書評

 まずシェアボタンのついている facebook や twitter でシェアして、つい後手後手にまわってしまうブログですが、 じつは後から検索をかけると、早く、確実に行き当たるのがこのブログだったりするので、やっぱりここに記録のために書いておきます。

the conversation の書評 

オーストラリア版の The Pole and other Stories がText Publishing から出版されたのは今月の初めだった。早速、書評があちこちに載った。じつに細やかな、痒いところに手が届きそうな読みで展開された書評が The Conversation というネット雑誌(?)に載った。書き手のSue Kossew さんは1990年代、南アフリカ文学にまつわる研究書にいつも名を連ねている人だったという記憶がある。モナシュ大学で教えていらしたようで、2014年にアデレードで開かれたJ.M.Coetzee: Traverses in the World に参加したとき、わたしもチラッとお会いして話をした。

 翌年2015年にイタリアのプラートで開かれたクッツェーと作品内に登場する女性をめぐるシンポジウムの主催者がモナシュ大学だった。そのこともまた、彼女の名前といっしょにわたしはしっかり記憶している。

 今回の書評は、The Pole と他の短篇について、個別に紹介し論じる内容で、クッツェーのファンだけでなく、クッツェー初心者にとっても、この本を読むための良い手引きになるだろう。

 書評ページの頭に犬の絵が出てくる。これがいい。このサイトにちょっとお借りすることにした。なぜ犬かというと、『モラルの話』では巻頭を飾った The Dog が今回の「短篇集」では最後に置かれているからで、その効果が抜群なのだ。今回の短篇集のような流れで読んでいくと、「犬」という短篇にはまた違った読みが可能で、動物と人間の生命との絡みで、ぐんと冴え渡る効果を生んでいるのだ。

 その橋渡しをしているのがひとつ前の短篇「The Hope/希望」なんだけれど、どういうことかはぜひ、10月に出るイギリス版で確認してほしい。

 今回の書評に見られる、「肉体が衰弱していくとき重要性が増してくるのは魂である」という読みは、キリスト教文化ならではの把握かもしれない。確かに。

2023/07/14

シドニー・モーニング・ヘラルドに掲載されたThe Pole and Other Stories の書評


シドニー・モーニング・ヘラルドに、英語版として世界で最初に出版されたJMクッツェーの最新作The Pole and Other Stories の書評が載りました。記事のタイトルは、"Is this the greatest living philosopher writing fiction?"(いま生きているもっとも偉大なフィクションを書く哲学者なのか?)評者はDoug Battersgy さん。

 シドニー・モーニング・ヘラルドの書評

ざっくり訳してみた以下の引用は、オーストラリア版の書籍中いちばん長い「The Pole=ポーランドの人」の驚くほど感動的なところへの評価です──翻訳できないことの悲劇、ことばにはその言語のネイティヴではない人間には永久に伝わらずに終わる意味の深さがある、という悲哀に満ちた感覚。

>The tragedy of untranslatability, the elegiac sense that words have depths of meaning forever lost to non-native speakers, is the most surprisingly moving thing about this book.

記録として。

2023/07/07

マドリードのセルバンテス文化センターを訪れるJMクッツェー


 マドリードのセルバンテス文化センターを訪れるJMクッツェー。

セルバンテス文化センターを訪れて、スペイン語でメッセージを読み上げる。読み上げた文章にサインしてボックスに収め(動画を見るともっと分厚いから、違うテクストかもしれないが)、鍵をかける習わしらしい。その鍵(915)を受け取って記念写真に収まる作家。なんだか嬉しそうだ。セルバンテスはクッツェーが最も尊敬する作家だと述べたらしい。
”J. M. Coetzee ha bromeado con que su presencia en la #CajadelasLetras es un «accidente», aunque pertenece a la tradición en español «en un sentido espiritual». Y afirma que aceptó la invitación porque le permite asociar su nombre con el de Cervantes, el escritor que más venera."