Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2018/01/28

カルタヘナのクッツェー:越境もここまできたかと

27日、カルタヘナの文学祭でステージにあがったJMクッツェーは、スペイン語でイントロを少しやって、1999年に初めて書籍のなかに登場したエリザベス・コステロの履歴とその書籍がまとめられたいきさつを述べた。

 文学祭アカウントがtwitter でアップしたコメントによると(付記:2018.1.30──twitter 上ではなく、webの記事に基づいてできるだけ正確な表現に変えました)、クッツェーはこんなことを言ったようだ。『ヒア・アンド・ナウ』でもすでに述べていたことだけれど(ここでも触れました)、彼がこのところスペイン語圏で、それもアメリカスのスペイン語圏で活躍する理由が、ここから判断できるだろう。


・わたしは英語で作品を書いてきたが、英語が自分の言語だと思ったことはない。

・わたしは英語が世界を乗っ取っていくやり方が好きではない。英語が進む道の途中でマイナーな言語を押しつぶすやり方が好きではない。英語がもっとも普遍的であるかのようなふりをすること、つまり、世界とは英語という言語の鏡に映るものであると疑いもしない考えが好きではない。


 クッツェーという作家は、スペイン語圏へ足しげくおもむいて、それも、西側というか北側を「中心に」まわっている創作、出版活動からできるかぎり距離を置いた地点から発信する方法を選んでいる。南アフリカという生地から外へ、国境はすでに超えた。アパルトヘイトからの解放についても「一国だけの解放」に興味はない、と明言して周囲を驚かせたクッツェーは、いま、言語の境界を内部から超えようとしている。

 小さなアフリカーナー社会から広い世界へ出ていくために両親が(とりわけ母親が)家庭では英語を使い、英語で教育を受けさせた結果、クッツェーは英語で書いてきたし、おもに英語を使って生きることになった。しかし、人間として、作家として心身の内部に染み渡るその言語が、いまも自分の言語のように思えない──という。これはどういうことか?
 彼の姿は、まるで自分の胸を切り裂いて、子供たちに餌として食べさせるペリカンの母のようにさえ見えてきた。これはクッツェーがよく用いる例なのだけれど。

 ちなみに写真の左手に座っている女性は、ブエノスアイレスの出版社「アリアドネの糸」の編集者(MALBAのディレクターでもある)ソレダード・コスタンティーニさん。クッツェーが英語で読んだテクスト「The Dog」を、スペイン語で読んだようだ。その短編を含む新刊書 Siete cuentos morales ももうすぐ出るらしい──どうやら3月発売のようだ。


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付記:2018.2.4──El Pais に掲載された記事によれば、27日は文学祭のステージで、28日はカルタヘナ市内の書店で、それぞれコスタンティーニさんと二人で「朗読」と「トーク」(サイン会も)を行ったそうだ。上の投稿にはその2つの内容が混在していることをお断りしておきます。

2018/01/27

アディーチェ:ナイジェリアの書店について、図書館ではなく

1月25日の夜、パリで「思想の夜」というイベントのこけら落としにチママンダ・ンゴズィ・アディーチェのインタビューが行われ、その動画を昨日ここにもアップしましたが、質問の内容が物議をかもしているようです。
 それについてアディーチェ自身がfacebookに、以下のような文章を投稿しています。
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フランス人ジャーナリスト:ナイジェリアであなたの本は読まれていますか?
アディーチェ:はい。
仏ジャーナリスト:ナイジェリアに書店はありますか?
アディーチェ:はあ?
仏ジャーナリスト:こんな質問をするのは、フランスの人たちが知らないからです。彼らはボコ・ハラムのことしか知りませんので。
アディーチェ:なんというか、あなたがその質問をするのは、フランスの人たちのことをきちんと表していないと思いますよ。

上のやりとりは、すばらしい「思想の夜」というイベントのこけら落としに、昨日パリで行われたインタビューからの、わたしが覚えている抜粋です。
どうやら、フランス語の「librairie」が、本当はbookshopのことなのに、英語の「library」(図書館)と誤訳されたようです。

フランスの人がナイジェリアのほとんどすべてを知っていると、わたしは期待していません。わたしもフランスのほとんどすべてを知っているわけではありません。でも、「フランスの人たちに、ナイジェリアには書店があると言ってください、彼らは知らないから」という質問は、故意による後ろ向きの考え──アフリカはあんなに遠く離れているし、あんなに病理学的に「異なっていて」、非アフリカ人にはそこでの生活を理性的に推測することが不可能だという考えです。

わたしはナイジェリア人の作家です。初期教育をナイジェリアで受けました。ナイジェリアには少なくとも書店がひとつはあると考えるのが妥当です。わたしの本はそこで読まれているのですから。

質問が「本にアクセスするのは難しいですか?」とか「本は手ごろな価格で売られていますか?」だったら、話はちがっていたでしょう。それならもっと内容の濃い話もできたし、フェアです。

世界中でいま書店の数が減ってきています。それなら議論したり、嘆いたり、希望をもって変えていく価値があります。ところが「ナイジェリアに書店はありますか」という質問は、それについてではありませんでした。むしろアフリカに対する、意図的な、偉そうな、うんざりする、全面的な、さもしい無知に正当性をあたえるものでした。そんなことにわたしは我慢できません。

ひょっとしたらフランス人は、ナイジェリアを書店がある場所と考えることが本当にできないのかもしれません。これは、2018年に、相互に連絡を取れるインターネットの時代に、とても残念なことです。
つまり、ジャーナリストのキャロリーヌ・ブルエは知性的で、思慮深く、準備もよくしていました。彼女がその質問をしたとき、わたしはぎょっとなりました。なぜなら、それ以前に彼女がした質問より、ひどく程度の低いものだったからです。

いまなら彼女がアイロニーを出そうとしていたことがわかります。「無知を演じる」ことによって啓蒙するために。でも、それまでアイロニーとなるものがまったく示されていなかったために、わたしにはそれが認識できませんでした。彼女のアイロニーは本気の試みでした、面白くなかったとはいえ、だから彼女がおおやけに笑い者になってほしくありません。

書店についていえば、ラゴスのイコイ地区のアウォロウォ通りにある「ジャズホール」という店が、わたしのお気に入りです。わたしの育ったスッカには、オギゲ市場にあった、埃っぽい小さな書店の良い思い出があります。わたしの故郷出身の、穏やかな物腰の、ジョーという男性の店でした。『So Long A Letter』(註:マリアマ・バーの小説、野間賞受賞作品)を買ったのはその書店でした。
わたしの叔父のサンデイは母の弟ですが、30年以上もマイドゥグリに住んで、そこで書店を経営していました。
最近になって、彼がマイドゥグリはもう安全ではないと感じ始めて、東部へ引っ越したとき、叔父さんの書店がなくなったことがわたしにはとても悲しかったのです。

CNA

2018/01/26

深夜2時からだというので寝てしまったけれど

日本時間の深夜2時からだというので寝てしまったけれど、一夜あけて、一仕事すんで、さて、とのぞいてみたネット世界に、出てくる出てくる、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェがインタビューを受ける動画がもうアップされていた。JMクッツェーの写真や記事も!

 同時通訳のイヤホン越しにやりとりする会話なので、残念ながら、いや、当然ながら、というべきか、チママンダの声にはフランス語の通訳の声がかぶさって、本人の声はまったく聞こえない。おまけにインタビュアーであるジャーナリストのキャロリーヌ・ブルエCaroline Brouéが「シママンダ」と呼ぶ。なんだかな、でもまあ、そういうものか! フランス語では、Chi は「シ」となるからね!



 でも、あらためてこのイベントNuit des Idées 2018, Quai d'Orsayの趣旨を読むと、今年のテーマとして「想像力に力を」という表現がならんでいる。これは1968年の5月革命にオリジンをもつことばだそうだ。う〜ん、そういえば……おまけに、イベントのようすを伝える記事のなかに、こんなのがあった。

「文学は世界を変えることができるか?」という質問に対して、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェは「ええ、もしも政治家が年に3冊、本(文学書だよね、この場合)を読むなら、、、」と答えたという。
 ──日本にこれを当てはめてみると、真剣に、笑える😎

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昨年のイベントの記事を読むクッツェー
一方、コロンビアのカリブ海沿岸に位置する城塞都市カルタヘナでは、Hay Festival という文学祭が開かれていて、予告はされていたけれど、もうすぐ78歳になるJMクッツェーがちゃんと姿を見せていた。

 WMagazin という雑誌に写真をたくさんのせた記事がアップされていて、そのなかにフアン・ガブリエル・バスケスとならぶ写真もあった。昨年のイベントの詳細な記事にもリンクが貼られていて、そこにならぶ写真がとても面白い。

バスケスと
記事の内容はスペイン語なので、おおまかなことしかわからないけれど、今回もブエノスアイレスのMALBAのディレクターで、出版社「アリアドネの糸」の編集者でもあるソレダード・コスタンティーニ氏といっしょに参加、とあるので、いよいよここで新作MORAL TALES のスペイン語版を、英語版に先駆けて発売するのかな、と想像力をふくらませる。

左の写真とイラストによるプログラムを見てもわかるように、ほかのゲストもなかなか豪華。
 あれ、ジェフ・ダイヤーって「イギリスからの参加」なんだ。Yaa Gyasiが「ガーナから」だとすれば、そういうことになるのか。ちなみにJMクッツェーは「南アフリカから」だ、やっぱり。

2018/01/07

JMクッツェーのCBCラジオによるインタビュー(2)

備忘のためにシェアしておきます。
これはカナダのCBCラジオのインタビューで、ここでシェアした動画とおなじ、2000年2月に録音されたもの



 もとは2時間におよぶ長いインタビューですが、今回アップされたのは「言語について」とりわけ『少年時代』に出てくるアフリカーンス語と英語の関係、それをめぐって少年時代に経験したことなどを語る部分が含まれます。インタビューの場所は、当時クッツェーが勤務していたケープタウン大学の研究室で、暑い夏の日とか。
 英語に対するクッツェーの発言を2018年のいま再度確認すると、また別の位相が浮かびあがるように思えます。英語以外の言語で書く気はないか?と問われて、ありえない、書いてもひどくラフなものになるだろうと。アフリカーンス語で書くとしたら、そこにはlifeがなくなると。これは、学習した言語で書くことに光があたる現在、クッツェー文学の「無国籍性」が語られたこととと絡めて再考してみたいことでもあります。

 重要な作家は?と問われて、カノンのことへ続きますが、アフリカでいま語るとしたら、エッセンシャルな基礎となるのは、、、、、『イリアス』。クラシックとは、、、、、プラトン、アリストテレス、ホラティウスの名前も聞こえてきますが……。
 ほかにも、アウトサイダーとしての4人の作家、フォード・マドックス・フォード、ベケット、カフカ、ドストエフスキーについて語っています。ベケットが英語からフランス語へ切り替えたことについても、かなり突っ込んで語っています。
 アメリカの作家は? と問われて、メルヴィル、フォークナーとエミリー・ディキンソンの名前だけあげておきます、という答え! ドストエフスキーとトルストイについて、まったく異なるかたちのクリスチャンの作家であることをまず述べておきたい……。etc.etc.
 最後の12分ほどはクッツェー自身の Disgraceからの朗読です。

 最後に、これは10年前のインタビューです、と言っています。ということは2010年に番組として編成されたものでしょうか。インタビュアーはかのエレノア・ワクテル(Eleanor Wachtel)です。
***
2020.5.10──動画が削除されていたため、CBCのサイトから音源が聞けるようにリンクを貼りました。

2018/01/01

あけましておめでとうございます!

今年もどうぞよろしくお願いします。

2018年もまた、J・M・クッツェーとチママンダ・ンゴズィ・アディーチェで明け暮れる年になりそうです。
昨年9月にクッツェーのデビュー作『ダスクランズ』の新訳を出せたことは本当に幸運でした。それをめぐり「図書新聞3334号」の1-2面にインタビューが載ります。「翻訳文学も日本語文学」と大きなタイトルがつきました。

「クッツェーを読むとき、読者もまたクッツェーに読まれてしまう」という恐い(!)サブタイトルも……。

Philadelphia Museum of Art/© Succession H. Matisse,
Paris/Artists Rights Society (ARS), New York
この作家は2月で78歳ですが、新著 Moral Talesを英語版より先にスペイン語版で出そうとしています。まさに Born Translated、その姿勢に日本語訳者としてもチューンナップしていきたいと思っています。
 1月27日にコロンビアのカリブ海に面した城塞都市、カルタヘナで開かれるブックフェアに参加するというニュースが流れましたが、この新作から朗読するのでしょうか?
 そういえば、つい先日も、ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックスに短編「Lies/嘘」を発表したばかり。これはスペイン語版でまず出る上記の短編集に含まれる作品です。

 さてさて、9月に41歳になるチママンダ・ンゴズィ・アディーチェ。ここ数年の彼女をめぐるニュースの多さには圧倒されっぱなしで、あちこちにアップされるインタビューやらトークやらの動画の多さ、もう追いかけきれません💦! 日本でも昨年は長編『アメリカーナ』の書評やエッセイ、スピーチなどの訳が雑誌に載り、4月には『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』が出て、それをめぐるイベントが開催されました。多くの人たちの心をわしずかみにするアディーチェのことば、視点、笑顔、いまや世界のオピニオン・リーダーといえるでしょう。

『早稲田文学女性号』に掲載された「イジェアウェレへ、15の提案にに込めたフェミニストのマニフェスト」も好評でした。今年はこの『イジェアウェレヘ』も書籍化したいものです。できるでしょうか、みなさん、ぜひ、応援してください!

 シングル・ストーリーではなく多くのストーリーが大切、とアディーチェはいいます。政治的に右とか左とかには関係なく、ややもすると単眼的になりやすい偏狭的な発言に、きっぱりと「ノー」といってその理由を明快に述べる。多くの人を納得させることばを発する彼女の知性は本当に魅力的です。

 アディーチェを初めて日本に紹介したのは2004年8月、北海道新聞に書いたコラムでした。彼女の初作『パープル・ハイビスカス』がオレンジ賞(現在のベイリー賞)の候補作になったときのことで、あれから14年かと感慨深い思いにかられます。
 2006年にクッツェーが初来日したときも、この『パープル・ハイビスカス』のことが話題になったのを思い出します。15歳のカンビリが悲劇的事件を経験しながら大きく成長するこの物語に、クッツェーが賛辞を寄せていたからです。この初作もまた日本語にしたいものですが。。。
 
 2018年、世界のなかの日本はどうなるのか? 日本語文学にどんな新風が吹き込まれるのか、心して見ていきたいものです。