Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2009/02/21

もうすぐ春!

 今年もまた、窓の向こうの緋寒桜に、つぐみがやってくる季節になった。
 無残なかたちに枝を伐り取る電動鋸の音が絶えない時代になって、それでもこの緋寒桜だけは魔の手を逃れて、寒風に長い枝をはたつかせている。てんでに伸びたその細い枝先の、開きかけた花をめがけて、大ぶりのつぐみがやってくる。
 遠目には枝と見分けがつかないけれど、枝をしなわせる鳥の動きで、ああ、また今年も、と思うのだ。胸のところに霜降り模様をつけたつぐみ。甲高い声でにぎやかに鳴き、糞を落としていく。緋寒桜の花の色は、咲き匂う紅梅に負けないほどの濃いピンク。

 ローレルの木も花芽がふくらんできた。昨秋から、しっかり準備していたのだ。一ミリほどの半透明の球を、暗紅色の薄い皮が包んでいる。花芽は、そのままの大きさで秋をながめ、冬をやりすごし、開花のときを待っている。ちいさな拳をしっかり握り締めて、長い時間を耐えてきたのだ。

 日差しもだんだん足が短く、強くなってきた。朝夕の寒暖の差の大きさに、人間たちは身を縮め、若い生き物たちが活気づく。

 ちかごろは、なんだか猫も落ち着かない。
 

2009/02/11

グレイスさんのディスグレイス

『恥辱/ディスグレイス』といえば南アフリカ出身のノーベル賞作家、J・M・クッツェーの二度目のブッカー賞受賞作だけれど、それとおなじタイトルの短篇を季刊「季刊 真夜中 No.4」(リトルモア、1月22日刊)に訳出した。作者はこれまた南ア出身の作家、ゾーイ・ウィカム。昨年7月に出たばかりの短編集『出ていった人/THE ONE THAT GOT AWAY』に入っている作品だ。(写真はNew Press からもうすぐ出る予定の米国版

 物語は、グレイス(恩寵)という名の主人公が、一枚の絹のスカーフをめぐって、不面目(ディスグレイス)なことになってしまう話で、語呂合わせをねらうタイトルは、そのままにするしかなかった。
 舞台はアパルトヘイト解放後のケープタウン。主人公は郊外のタウンシップから街の白人屋敷へ通う、74歳のカラード(混血)のメイドである。苦労して大学を出た娘のことや、のらくら者とグレイスの目にうつるその夫、預かって育てている孫たちとの暮らし、雇主の白人マダムやスコットランドからきた客、フィオナとのやりとりなどが、臨場感あふれる会話調の文体で生き生きと描かれている。

 作者のウィカムは1948年、ちょうどアパルトヘイト体制が制度化された年に、ウェスタンケープでカラードとして生まれている。20代で渡英し、解放後は一時帰国したけれど、現在はグラスゴーとケープタウンを行ったり来たりの生活だという。アパルトヘイト解放闘争の裏面史を描いた長編『ディヴィッドの物語/David's Story』(2000年)は、南ア国内では物議をかもした野心作で「南ア文学における途方もない達成」とクッツェーから絶賛された。

 この作家の最初の短篇集『You Can't Get Lost in Cape Twon/ケープタウンで道に迷うことはない』は1987年、ヴィラゴ/Virago から出版されている。それで、はたと思い当たった。これは、日本でもおなじみのハニフ・クレイシやキャリル・フィリップスなど、「第三世界」との関わりをもつ作家たちを強力に売り出すシリーズを出した出版社ではないか! 当時は「ブラック・ブリティッシュ」とずいぶん話題になったものだ。(この場合、「ブラック」というのが「非白人」を意味することは明白。)そうか、そういうくくりでウィカムも売り出されたのか、と改めて思いいたった。でも、ウィカムの場合、次の作品は2000年の『ディヴィッドの物語』まで待たなければならなかったけれど・・・。

 彼女の書くものは、とにかく、抜群にスパイシーだ。ナラティヴを多用したその文体も、他にちょっと類を見ない。昨年出た短篇集もまたスパイスの効いた作品が多く「外部から問うクールさと、内部の事情に通じる温かな眼差しを結合」とクッツェーも賛辞を惜しまない。

 来年のワールドカップ開催国の暮らしの内実を知る絶好の作品群である。

**************************
北海道新聞夕刊(2月10日)に掲載されたコラム「世界文学・文化アラカルト」に大幅に加筆しました。
2009.6.28 追記:「ウィコム」と表記してきましたが、発音は「ウィカム」に近いと判断して、訂正いたします。ご了承ください。