E. Costello : I believe in what does not need to believe in me.──J. M. Coetzee

2013/05/30

アフリカ文学は闘う──2013.5.26 朝日新聞読書欄

今週は月曜、火曜とあわただしく札幌まで行ってきました。そのため日曜日の新聞に掲載された記事について、ここにアップする余裕がなく、あれよあれよと今日になりました。

あらためてご紹介します。
 2013年5月26日(日曜日)朝日新聞読書欄「ニュースの本棚」に載った、福島富士男さんの「アフリカ文学は闘う」です。

先ごろ他界したナイジェリアのチヌア・アチェベから始まり、西アフリカ出身のオラウダ・イクイアーノの古典、『やし酒飲み』で日本でもおなじみのエイモス・チュツオーラ(彼は鍛冶屋兼作家という、大変ユニークな語り部的存在だった)、ケニアの巨匠グギ・ワ・ジオンゴ、コートジボワールのアマドゥ・クルマと続いて、最後にチママンダ・ンゴズィ・アディーチェが紹介されています。
 代表作の『半分のぼった黄色い太陽』ばかりか、新作『アメリカーナー』まで論じられていています。アフリカ文学好きの方は必読!

 紙面上部には書籍が三冊、写真とクレジット入りで紹介されているのですが、それが切れてしまいました。ごめんなさい!

2013/05/25

「COYOTE 文芸フェス特集」

さわやかな5月の朝に「COYOTE 文芸フェス特集」が届きました。タイトルは「TOKYO LITERRY CITY」です。3月1日から3日まで、東京のあちこちで開かれた「東京国際文芸フェスティバル 2013」の催し物の記録、再録がおもですが、とにかく写真が豊富です。行きそびれた数々の催し物の写真を見ながら、へえ、そうだったのか、と楽しめます。

 また、ポール・オースターとジョン・クッツェーとの往復書簡集「Here and Now」からの全10ページにおよぶ抄訳は(訳書は来年春に岩波書店から刊行予定!)、本邦初公開ですので、これはお薦めです。オースターの手紙を山崎暁子さんが訳し、クッツェーの手紙をくぼたのぞみが訳しています。

 雑誌では、池澤夏樹さんとJ.M.クッツェーさんのツーショットがこんな具合にいい感じに(下の写真)仕上がっています。

1日のレセプションのときには、ワイングラス片手の池澤さんとオレンジジュース片手のクッツェーさんを、わたしも撮影したのですが、なにしろ室内が暗くて、お二人の輪郭がちょっとぼやけてしまいました。残念! 
 でもクッツェーさんは、このときは朗読も終わり、緊張もとれて、とても柔らかな表情をしているので、ご本人の了承を得て、顔写真としていずれどこかで使えたら、と思っています。

2013/05/23

追悼──ジョルジュ・ムスタキ

ジョルジュ・ムスタキの訃報が流れた。悲しい。淋しい。20代から好きだった歌手だ。

 以前も書いた。パリで買ってきたアルバムのことを。

 ギリシアにもどって、ダララスとデュエットをする晩年のムスタキについても。
 
 地中海には、秋を怖れぬ
 美しい夏が残っている

そのときの映像をここに.....合掌!


リディア・デイヴィスがマン・ブッカー国際賞受賞

アメリカの知る人ぞ知る「静かな巨人」といわれる作家、リディア・デイヴィスが今年のマン・ブッカー国際賞を受賞した。これは作品ではなく作家の仕事全体に与えられる賞だ。

日本語でも岸本佐知子さんの訳で『ほとんど記憶のない女』(白水社)や『話の終わり』(作品社)が読める。2011年2月にNHKの週間ブックレビューに出たとき「いちおし」として取りあげた『話の終わり』は、ホントに面白い作品だ。きわめて論理的かつ知的な思考が、逆に(いや順当に?)妄想やストーカー的追求になったり、クールな分析のなかに突然、あふれるごとくリアルな熱い感情がほとばしり出たり、はらはらしながら、でも、ゆっくりと噛み締めるように、味わいながら読んでいける本だった。
 
 リディア・デイヴィスはフランス文学者で、ブランショやプルーストの英訳者でもあり、それでフランスの大きな賞も受賞している。最近もフロベールの『ボヴァリー夫人』を訳したり。
 ポール・オースターと最初結婚していたけれど離婚、というのが日本ではよく取りざたされるけれど、彼女の仕事ぶりを見ていると、どうやらアメリカではオースターよりずっと重鎮なのかな、と思わせるものがある。
 
 ブッカー賞は、10月に発表されるマン・ブッカー賞にしろ、今回の国際賞にしろ、審査員が毎回入れ替わる。これは風通しがよくていい。毎年、似たような傾向の作品ばかりが押し出されることなく、異色の才能が認められるチャンスも大きい。今年の国際賞の審査員は、チェアが Sir Chiristopher Ricks、審査員が Elif Batuan、Aminata Forna、Yiyun Li、Tim Parks だ。このなかで馴染みがあるのは、ティム・パークス、アミナタ・フォルナ、イーユン・リーだけれど、英語を第一言語としないリーの存在は目を引く。「ガーディアン」の記事も、こんなうに結ばれている。


Parks and Ricks were joined on the jury by the authors Elif Batuman, Aminatta Forna and Yiyun Li. "The problem is when you've got a jury, only one member of which's first language is not English [Li], the problem is it becomes much more difficult to develop a consensus around someone coming from a different culture," said Parks. "You can make what you will of that, and perhaps the only thing to do is to have a jury which is not all native English speakers."


 デイヴィスの日本語訳はこれからも岸本さんの訳でぞくぞくと出版される予定だと聞いている。それは、待っている楽しみというのがこれからずっと続くということでもあるな。わくわく!

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付記:2013.5.24    ついでに受賞スピーチを貼付けておこう。翻訳と言う行為の重要性をしっかり述べているリディア・デイヴィス。小説、短編、そしてフランス語から英語への翻訳、その仕事全体にあたえられた賞というところが、今回の受賞の際立ったポイント。その意味でも、すばらしい。



2013/05/20

映画「半分のぼった黄色い太陽」の一部がアップ!

見つけました! 11月に封切りが予定されている映画「半分のぼった黄色い太陽」のワンシーンがアップされていました。



オランナが結婚を承諾するシーンですね。わくわく、どきどき!

 この映画は原作はもちろんアディーチェですが、監督/脚本のビイ・バンデレ/Biyi Bandele はイギリスに住むナイジェリア人であり、2人のプロデューサーのうちナイジェリア人女性ヤワンデ・サンディク/Yewande Sadiku はこのフィルムをナイジェリア国内から資金を集めて制作したそうです。

 この2人の沈着かつ知性あふれるインタビューはこちらで

2013/05/17

「クッツェーとりびあ」全開!


昨日は曇り空の下、新緑の樹木のあいだを抜けてたどりついた一橋大学の東キャンパス。そこの大学院の授業で「クッツェーを訳しながら考えたこと」という題で話をしました。午後3時スタートでしたが、時間がずいぶん延びて、朗読、質疑応答などなど2時間以上になったかな。
 クッツェーの作品を順番に講読している授業なので、参加者の関心の持ち方が深く、鋭く、応答も非常にビビッド。それぞれの人たちが研究課題との取り組みを述べながら、すごく活発に質問や意見を聞かせてくれたのが嬉しかった。
 
 わたしとしては過去25年間のクッツェー作品との格闘や、その過程で経験した視点の広がりと深まり、翻訳にたずさわる姿勢の変化──外側から作品を読み評価する姿勢から、あたうるかぎり作家の脳内に入り込む、あるいは、書いている机のそばに立つような、内側から読み解く姿勢へ──などなど率直に述べることができました。
 いま訳している三部作の「少年時代」からエディー少年が出てくる章をアレンジして朗読し、ある質問への応答のかたちで、最後に、ケープタウンへ行ったときに書いた詩「きみのいない岬の街で」を読んで締めました。

 まさに、「クッツェーとりびあ」全開でした!

 二次会は、雨のぱらつくなかを国立の斜めに走る通りの、地下のお店へ。そこで出てきたのが、大好きなホッキ貝のお刺身。大満足。どういうわけか、60年代、70年代ジャズの話で局地的にもりあがったりして/笑。20代、30代の若者たちとクッツェーについての突っ込んだ話ができたのは得難い体験でした。気持ちのいい時間を過ごすことができました。

 みなさん、ありがとう。呼んでくれた中井亜佐子さん、ありがとう。

2013/05/13

こんなのあります/クッツェーを訳しながら考えたこと


5月16日木曜日、午後3時から、話をします。まあ、クッツェーとりびあです。朗読もします。

 クッツェーという作家の作品と出会って、この5月でちょうどまる25年になります。いやあ、こんなところまで来ることになるとは、そのときはゆめゆめ思いませんでした。
 3月にジョン・クッツェーご本人と会ったときも、あなたの作品との出会いがわたしの人生を変えました、とついいってしまいました。。。
 話はいま訳しているクッツェーの自伝的三部作について、翻訳について、などなど、地味目に、濃く。
 場所は国立の一橋大学、国際研究館5階、共同研究室3です。参加自由。外部の方は事前にちょっと、お知らせいただけるとありがたいとのこと。連絡は:こちらです。

2013/05/12

『Life & Times of Michael K』の脱落部分


いまも出回っているペーパーバック版の Life & Times of Michael K には、どうやらまだ脱落が残っているらしい。少なくとも、2006年のとき発見され、当時は著者である J.M.クッツェーさえ知らなかった脱落だ。第二章の最後近く、Vingate版もPenguin版も、次の部分が脱落していた。

 The state rides on the backs of earth-grubbers like Michaels; it devours the products of their toil and shits on them in return.  But when the state stamped Michaels with a number and gobbled him down it was wasting its time.  For Michaels has passed through the bowels of the state undigested; he has emerged from its camps as intact as he emerged from its schools and orphanages.

 Secker & Warburg のハードカバー版なら221ページの上部に存在する上の文章が、ペーパーバックには脱落しているのだ。手元にあるペーパーバック(Vingate, Viking Penguin,1985)ではp161のまんなかあたり。Wherasで始まるパラグラフの直前、本来なら上記の文章が入るのだが、それがない。
 なぜ、このような脱落が起きるか、クッツェー自身からの手紙によれば、ペーパーバックまで著者にゲラが送られてくることはないから、だそうだ。

 英文でじかに読む読者のみなさん、せっかく読むのだから、著者が書いた通りの「正しい」原文でぜひ読んでほしい。

ちなみに拙訳の、ちくま文庫の『マイケル・K』では件の部分をこんなふうに訳した。

「国家はマイケルズのような土を掘り返す者たちの背中に乗っているんだ。国家は彼らがあくせく働いて生産したものを貪り食い、そのお返しに彼らの背中に糞を垂れる。だが、国家がマイケルズに番号スタンプを押して丸飲みにしても、時間の無駄だ。マイケルズは国家の腹のなかを未消化のまま通過してしまった。学校や孤児院から出たときとおなじように、キャンプからも無傷で抜け出してしまったのだから」

2013/05/06

この3月にメルボルンで朗読するクッツェー

 3月25日にメルボルンで、新作『The Childhood of Jesus』から朗読するジョン・クッツェーです。3月初旬の東京での文学フェスからオーストラリアへ帰国した直後の朗読。



 読んでいるのは、シモンとダビッド少年が偶然発見したレジデンシアを訪れる場面です。そこでテニスをするイネスやその兄弟、そして犬のボリバル(この名前もまた唸りますね、ベネズエラ出身の革命家でボリビアなど南米諸国の独立のために奔走した英雄ですから)を発見するところです。
 9章の途中から読み始めて、次に途中で少し飛ばして20章へ。ソーセージと pooh が出てくるところがここでもくり返されています。この物語の核なのでしょう。かなりアレンジして読んでいます。昨年末のケープタウンでの朗読のときと聴衆の反応が少し違うのも面白い。
 しかし、ケープタウンのときと違って、ここではクッツェーさん、ダビッド、シモーン、とスペイン語風に発音しています。この辺が、要注意です。

 いまひとつ、些細なことではありますが、クッツェーを紹介する役を引き受けているマイケル・ヘイウッドさん、どうやらオーストラリア版を出した出版社の方のようです。彼の「クッツェー」という発音はオランダ語(初期アフリカーンス語)の発音どおりであることも要注意。

2013/05/05

昨年秋に手紙を朗読するクッツェーとオースター

 またまた動画を貼付けます。
 2012年11月にジョン・クッツェーとポール・オースターがニューヨーク州立大学で、『Here and Now』からそれぞれの手紙を朗読しています。



 ポールが、カンヌ映画祭でチャールトン・ヘストンと話をし、すぐまたシカゴで彼の姿を見かけ、さらにまたニューヨークのホテルで偶然エレベーターから降りてきたこの老俳優を見かける経験をしたと書いた手紙を読みます。そしてポールがこの俳優の名前を口にしたとき聴衆から笑いが.....

 ジョンの手紙のほうは、ポールの手紙にくらべるとおよそ半分くらいの長さで、2通つづけて読みます。若いころチェスにはまっていたこと、初めてニューヨークへ渡る船のなかでチェスの競技に参加して、最後まで勝ち残ったけれど、下船する時刻が迫り、対戦相手のドイツ人学生ロベルトと引き分けたが、それがはたして正しい判断だったか念頭から離れなかったこと。心もそぞろでオースティンへ向かうバスのなか、彼はチェスの手ばかり考えて、頭が狂人のようになっていたことを書きます。それ以来、彼は二度とチェスをしなくなったと。
 このジョンの手紙は今月末に出る雑誌「COYOTE」に訳出しました。本が出る一足先に日本語になって発表されます。
 もう一通は名前について。

 ポール・オースターはこの映像と音声を聞く限り、低く、しかも朗々と響き渡る、という形容がふさわしい声の持ち主です。一方のジョン・クッツェーはおなじみの渋い、ハスキーな、抑えた声ですが、この声がまた彼の文体のように、一瞬しんと静まり返って聴く者は耳を思わずそばだることになります。こうしてみると、朗読する調子というのは、あるいは声とういのは、彼らの文体そのものをじつによくあらわしているように思えます。楽しめます。

2013/05/04

昨年12月にケープタウン大学で朗読するクッツェー

facebook でも紹介したけれど、こちらにも貼付けておこう。
 2013年に古巣のケープタウン大学の階段教室で『The Childhood of Jesus』から朗読するクッツェーさんです。この大学でクッツェー研究をしているキャロル・クラークソン教授が「Welcome home, John」と彼を紹介していて、ジョンもとてもリラックスしている感じです。
 読んでいるのは、19章と20章かな。pooh が続出して笑い声が.......聴衆を映し出す映像がまた、Disgrace の映画の場面を思い出させて興味深い。



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2013.5.5  付記:これを聴いてあらためて思ったのは、クッツェーがDavid をダヴィド/ダビドとは読んでいないことです。デイヴィッドと読んでいます。Simon もシモンではなくサイモンのままです。どっちでもいいのかしらね。南アフリカだからでしょうか? 言語間の揺らぎがなんとなくわかれば。。。
 こういう場合、しかし、翻訳者はどうすればいいのだろう? わあ、大変だなあ.....とりわけスペイン語に訳す人はどうするのだろう? 英語文をスペイン語にして、スペイン語の部分は英語にでもするのかしら? それともフランス語かなにかにするのかな? まさかね。原文の言語間の差異を際立たせるためには、どんな処理をするのか、スペイン語の翻訳が出たら確かめてみたい。いずれにしても、いくつも織り込まれている言語世界全体の差異を塊として可視化させるために、翻訳者は苦労しますね、これは。

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2014.10.24 付記:キャロル・クラークソンの著書『J.M.Coetzee: Countervoices』について書いたので、この投稿にリンクを貼りましたが、再度、クッツェーの動画を見ていて彼が最初に述べていることを書いておきます。
『The Childhood of Jesus』から読むクッツェーは、前置きとして、この小説を本当はカバーもタイトルページも真っ白にして出版したかった。読者は小説をすべて読み終わってから、最後に、このタイトルを見るようにしたかった──と述べています。これは要注意。この作品をどのようなものとして読んでほしいか、ということがはっきり出ているところですから。

クッツェーの『青年時代』── いよいよ開始!

さて、準備は整った。
 五月晴れの今日、5月4日から本格的に翻訳を開始するのは、南半球の旧植民地、旧属州である「ザ・ケープ」から寒い、寒い北のメトロポリスへ逃亡する青年の物語。
 すでに全体の4分の1ほどは訳してあるので、それをまず見直す作業から始めよう。1章から4章までは、まだジョン青年がケープタウン大学へ通っていたころの話だ。

 両親の家を出てモーブレー駅のそばに部屋を借り、その家賃や、学費を支払うためにどんなアルバイトをしたか、その種類と賃金が細かく、細かく書き出されていく。食べ物のこと、衣服のこと、冬の雨のなかをサンダル履きで大通りを歩いたこと。こういった細部はクッツェーのメモワールの際立った特徴である。19歳にして親から仕送りなどなくても人は生きていけることを示すために、細部を延々と述べるところが彼らしい。

 He is proving something: that each man is island; that you don't need parents.(彼はあることを証明しようとしている。つまり、人は誰もがひとつの島であり、親は不要だということを。)──『Scenes from Provincial Life, p144』

 第1章に、ケープタウン大学の図書館で夜間、アルバイトをしていたときのことが出てくる。学生のジョンが、白いドレスの美女といっしょに裏山のスロープへふらふら彷徨い出ることを夢想する場面。この大学は山の急斜面に建てられていた。2011年11月に現地を訪れたとき、その場面を思い出して、ここかと納得した。

 年度末試験もほぼ終わって学生の姿がほとんどないキャンパスをぶらぶら歩いたり、図書館の係の方に以前使用されていた古風な閲覧室や、地下の製本室まで(たちこめる古文書のダスト臭にマスクをして)見せていただいた。
 UCTを訪ねる前に訳したところをいま改めて見直すと、わくわくするような感覚がある。思い浮かぶ情景の鮮度がまるで違うのだ。そこでまた、この作品のエピグラフにあるゲーテのことばを思い出すことになる。

 Wer den Dichter will verstehen muß in Dichters Lande Gehen. ──Goethe(詩人を理解しよう思う者は、詩人の国に行かねばならない──ゲーテ)

 ここしばらくは、頭が1960年前後のケープタウンにトリップすることになりそう!

2013/05/01

クッツェーにとっての「英語」


オースター&クッツェー往復書簡集で今日訳したところは面白かった。この本の最初の白眉となる部分かも。

 母語の話から始まり、英語をめぐる二人の考え方の違いがくっきり。おなじヨーロッパから(旧)植民地へ移動した父祖の末裔でも、住んでいる土地の差異でここまで違うか、と思わせるものがある。いや、個性の違いかもしれない。
 とりわけ、クッツェーがオーストラリアへ移住したあと、自分自身と英語とのあいだの距離がどんどん広がっていった、と書いているところは訳していてもスリリングだった。オーストラリアは1945年以降、南部ヨーロッパやアジアからの移民を奨励してきたにもかかわらず、また、アボリジナル言語がいくつもまだ生き延びているにもかかわらず、この国はモノリンガルであり、「English」である点では南アフリカの比ではないと。その異常なまでの英語漬けの生活が、彼にとって、アングロ的世界観に対する懐疑的な距離を広げるきっかけになったらしい。

 クッツェーが母語について深く考えるようになったのは、そう、デリダの「Le monolinguisme de l'autre, 1996*」を読んでからで、この本を愛読している、とオースターに書いた手紙の日付は2009年5月11日だ。ちょうど『Summertime』を脱稿して、次の作品を構想していた時期である。それで、今日訳したところには妙に腑に落ちる瞬間があって面白かった。

 思えば、最新作『The Childhood of Jesus』は構造的に見るならカットワーク刺繍のような作品、つまり穴だらけなのだ。素材の布は英語だけれど、そこには他の言語のことばの穴がぽこぽこあいていて、縁をきれいにかがった穴の向こうに透かし見えるのは、『ドン・キホーテ』を持ち出すまでもなく、明らかにユートビア/デストピアがないまぜになったスペイン語世界の広がりであり、なかにはかの有名なドイツ語の「魔王」の歌詞を「英語だ」と大人も子供も述べる箇所さえある。なんというひねり!
 
☆上の写真は、クッツェーとオースターが審査員として参加したポルトガルの映画祭のときのもの。そのときの話はこの書簡集にも詳しく出てくる。

*この本の日本語訳を発見しました! しかし、なんで近くの図書館にないんだろう、デリダって! 2冊しか入っていない。借りる人がいないのかなあ〜〜。