Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2008/01/30

「the あり?」「the なし?」──マイケル・K

 J.M.クッツェーが1983年にブッカー賞を受賞した作品「Life and Times of Michael K 」(日本語訳は拙訳『マイケル・K』)について言及されるとき、いまだに「The Life and Times of Michael K」という誤ったタイトル表記があらわれつづけています。Googleで検索すると、正しい「Theなし」タイトルが733万件、誤表記の「The あり」タイトルが731万件、とほとんど互角に近い数です。不思議なことです。
 英語の表現としては「Theあり」タイトルのほうが、落ち着くのでしょう。でも、正確なタイトルは、表紙写真を見てもわかるように「Life and Times of Michael K」であって、「The」はありません。

 この「The」の有無をめぐって、あるインタビューで作者クッツェーみずからが答えていることばを紹介します。インタビュアーは南アフリカの当時、文芸評論家だったトニー・モーフェットです。
 インタビューが行われた時期は、作品が1983年に英国のSecker社から出版された直後で、南アの出版元Ravan社からはまだ出ていません。ブッカー賞受賞の前です。
 米国内で出版されるときに合わせて、雑誌などに掲載しようという計画だったようですが、それは実現せず、このインタビューが米国内で活字になったのは1988年、シカゴ大学出版局の『南アフリカから/From South Africa : New Writing, Photographs, and Art 」(Chicago Univ. Press)という分厚いアンソロジーに入ったときでした。ちなみに米国のViking社から小説が出たのは、手元にあるNELM版のビブリオグラフィーによると、翌1984年のことでした。
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<前掲書/p454からはじまるインタビューより>

トニー・モーフェット:まずいちばんに驚いたのはタイトルから「the」が省略されていることです。これについては頭をひねってみたものの──それはそれでけっこう楽しかったのですが──謎はいっこうに解けない、これといった答えが見つからないのです。これについて、なにかコメントはありますか?

J・M・クッツェー:わたしの耳には「The Life」というのは、すでに終わってしまった人生のように聞こえるのです。しかし「Life」なら、そんな響きはありません。

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 というわけで、「The」ひとつのことですが、タイトルには微妙なニュアンスがこめられているのです。日本語訳タイトルを『マイケル・Kの生涯』としなかったのは正解だった!「生涯」というとやっぱり、すでに終わった人生のように聞こえますから。

2008/01/22

読書、切り抜き帳(2)オランダの国民性

「オランダ語は、1500万人の人によって話されているだけ、という意味でいうなら、マイナーな言語である。また、オランダ語文学は、広く読まれているわけではないという意味では、マイナーな文学である。 
 しかし、マイナーな位置とわたしが呼んでしまうものには、そういった意味には収まりきらないものがある。そう呼ばせるさまざまな衝動が、背後にあるのだ。17世紀以降、オランダが世界という舞台で、いや、事実上はヨーロッパという舞台で、その力を顕示することができなかったとうことではない。国力が、活力にみちた芸術的生活を生み出さなければならない理由は、どこにもないのだ。
 絶え間なく、より強大な──フランス、ドイツ、イギリスといった──隣国の陰に身を置く経験、ときには、その大国によって踏みにじられる経験が、オランダ国内において、歴史に見放され、時代から取り残されていくことへの懸念へとつながり、それゆえに、海外から入ってくる様式への盲目的な服従へとつながっていったのは間違いない。おまけに、カルヴァン主義者たちの唱える、礼儀正しさ、強い義務感、そして倫理的省察といった美徳に強く染めあげられた国民の生活様式は、思考上の豪胆さに資することもなかった。」

 J.M.クッツェー訳・著『漕ぎ手たちのいる風景』の「まえがき」より

2008/01/19

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ短編集、書評もう2つ、3つ

 1月13日放映の「週刊ブックレビュー」を、昨日ようやく観ることができました。西加奈子さん、評者のみなさん、どうもありがとうございました。『アメリカにいる、きみ』が若い読者層にも受け入れられているようで、とても嬉しい。

 情報収集力にいささかおぼつかないところのある筆者が、先刻ネット上で見つけたのは、角田光代さんが書いてくださった「サンデーらいぶらりぃ」の書評です。それぞれの短篇を深く読み込み、「全作、舞台設定はかなしみと、抑えた怒りに満ちているが、そこで生きる人々の姿は、強い光りに包まれている」と結ぶ、凛としたことばに身が引き締まりました。

 じつは、直木賞を受賞されたばかりの桜庭一樹さんも、2007年11月初旬という早い時期に「週刊現代」の「リレー読書日記」のなかで、この本を取りあげてくれていたのです。「ここまでグイグイ引っばられて楽しく読めたのは、この小説と作家の確かな力だなあー、と思う」と。とても嬉しい評でした。

 評者の方々の、確かな目とことばに、とても励まされています。

2008/01/12

「バラッズ & バートン」

 あれは1990年ころ、のことだったか。新宿タカノの斜め向かいの、大きな通りに面したカフェ・ラ・ミルで、友人と話をしているとき突然、店内に流れているBGMの歌声が耳に飛び込んできた。その瞬間、恥ずかしさが全身を包んだ。なぜ、恥ずかしさ、だったのだろう、といまも思う。説明しがたいあの感覚は、いったいなんだったのか。
 歌声の主はアン・バートン。むかし聴き慣れたアルバムの、むかし聴き慣れたあの曲。しかし、カフェ・ラ・ミルで聴いた歌声の、歌詞として聴こえてくることばには、わたしの記憶と微妙にぶれるものがあって、どうやら恥ずかしさの震源は、そのぶれから立ちのぼる違和感のようだった。

 ことば。歌詞。歌声。

 アン・バートンが歌う歌詞は、よく耳を澄ますと、英語を第一言語として育った人のものとはちがう。そのことにわたしはカフェ・ラ・ミルで初めて気づいた。もちろん彼女がオランダ人であることは知っていた。知ってはいたけれど、1970年代初頭に学生をやっていた者の耳には識別できなかった。そのことが恥ずかしかったのだろうか? いや、ちょっと違うな。
 オランダ人の英語。
 彼女の歌い方がたどたどしい、というわけではないのだけれど、そこにある微妙なぶれが、丁寧に歌いあげている分、逆に、微かな居心地のわるさを感じさせたのだ。ゆったりとした、一語一語をかみしめるようにして歌う彼女の歌が、あのころの自分の心に深く沁みたからだ、とか、まるで借りを返していないみたいな気分に襲われたからだ、とか、月並みな説明もいまならできる。荒れ野にひとり立っているような、どうしようもなく暗くて、青くて、日々をやみくもに通過していた時期。京都も大阪も、まったくもって異国だ! 東京だってほとんどそうだ! わたしは「ニホンジン」じゃなかったのか! と憤りながら送る、おぼつかない都会生活の一日、一日に、あの歌声がわたしを繋ぎ留めてくれた、ということも、いまならできる。

バラッズ & バートン」は日本で2枚目に出た珠玉のアルバムだ。でも、ルイス・ファン・ダイク・トリオをバックに歌うのは、これが最後。突き抜けてくる冴えたピアノの音は、残念ながら、このアルバム以降、聴こえてこなかった。

 今回あらためて気づいたのは、現在手に入るアン・バートンのCDはメイド・イン・ジャパンだということ。AmazonのUKサイトへ行っても、USサイトへ行っても、日本語の帯のついた写真が出てくる。つまり、日本人こそが彼女のアルバムの最大の購買層なのだ。
 日本とオランダの長くて深い、しかし、日本人からはほとんど忘れられてしまった関係によって形成されたなにかが、深部でたがいに引き合う心情として、いまも残っているのだろうか。ウーン、これはなかなか興味深い。

では、珠玉のバラードからA面の出だしの曲を。
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A LOVELY WAY TO SPEND AN EVENING

This is a lovely way to spend an evening
I can't think of anything
I'd rather do
This is a lovely way to spend an evening
I can't think of anyone
As handsome as you
A casual stroll through a garden
A kiss by a lazy lagoon
Catching the breath of moonlight
Humming our favorite tune
This is a lovely way
To spend an evening
I want to save
All my nights
And spend them with you
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2008/01/10

読書、切り抜き帳(1)シュライナー、ゴーディマ、レッシング

 「南部アフリカから出てきたもっとも著名な三人の女性作家──オリーヴ・シュライナー、ナディン・ゴーディマ、そしてドリス・レッシング(彼女は「アフリカの作家」というレッテルを貼られることを好まないが、自分の感受性がアフリカで、アフリカによって、形成されたことは率直に認めている)──は誰もハイスクールを卒業していない。三人とも実質的には独学で学び、三人とも畏怖すべき知識人となった。このことは隔絶された、帝国の周縁に身を置く、思春期の少女たちが渇望してやまなかった生活、自分が切り離されていると感じていた精神生活を、彼女たちがどれだけ烈しくもとめていたかについて、あることを語っている──その烈しさが、本国で育った大方の少女たちのものより、途方もなく強かったことが明らかになっていったのだ。それは、少女たちが受けた教育の──家庭的であることを彼女たちの究極の宿命とする──歯車のすべての過程で加えられていた重圧が、いかに気まぐれなものであったかについてもまた、あることを語っている。」
       J.M.クッツェー著『Stranger Shores』──p288より

2008/01/04

「ブルー・バートン」

 初めてステレオシステムを買ったのは1971年2月だった。学生時代に住んだ最初のアパート、四畳半という真四角のちいさな空間の、ただひとつの壁を背にしてならべられたコンポ。近くのお茶屋さんでもらってきた小ぶりの茶箱に──LPジャケットがぴったりおさまる大きさだった──クリーム色のペイントを重ね塗りし、それにSONYのレシーバー(プリメインアンプとチューナーが合体したもの)を置き、そのうえにベルトドライヴ方式のLPプレーヤーを積んで、両側に置いたシンダーブロックのうえにクライスラーのスピーカーをのせた。
 そのコンポで初めて聴いたLPが、この「ブルー・バートン」(録音:1967年7月、LPの日本発売:SONP 50220/1970年5月)だった。
 コンポを買ったばかりのころは、用があって外出してもすぐに、いそいそと帰宅して、ストーブを点ける間ももどかしく、この盤に針を落とした。
 冴えわたるタッチのルイス・ファン・ダイクのピアノをバックにして、ゆったりと深い響きが立ちあがる。3回目の東京の冬だった。コートを脱いで、お湯をわかすころにはA面は終わり、ディスクを裏返してまた針を落とす。熱い珈琲カップを手に腰をおろすと、針はすでにB面の4曲目「IN THE WEE SMALL HOURS OF THE MORNING」の溝を走っていた。
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IN THE WEE SMALL HOURS OF THE MORNING

When the sun is high
In the afternoon sky
You can always find something to do
But from dusk till dawn
As the clock ticks on
Something happens to you

In the wee small hours of the morning
While the whole wide world is fast asleep
You lie awake and think about the boy
And never ever think of counting sheep
When your lonely heart has learned its lesson
You'd be his if only he would call
In the wee small hours of the morning
That's the time you miss him most of all

When your lonely heart has learned its lesson
You'd be his if only he would call
In the wee small hours of the morning
That's the time you miss him most of all
That's the time you miss him most of all

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 アン・バートン/Ann Burton(1933〜89)はオランダ生まれのジャズシンガー。レコード盤がガリガリになるまで聴いたこのアルバムに、再度針を落としたのはほんの数年前、どっしりと重い MICRO のLPプレーヤーが、友人Oからまわってきたときだ。数百枚のLPが押し入れの天袋の奥深くしまい込まれてから、長い時間がたっていた。
 そのころ読みはじめたクッツェーの訳詩集「漕ぎ手たちのいる風景─オランダからの詩/Landscape with Rowers」のなかで、とりわけ気に入った詩人ハンス・ファファレーイ/Hans Feverey(1933〜1990)の生年が、アン・バートンと同年。偶然とはいえ、不思議な気がした。没年もわずか1年の差。まさに同時代、いや同世代のオランダ人だ。

2008/01/01

エリック・アンダースンの「ブルー・リヴァー」

あけましておめでとうございます。

 今年は「わたしの好きな音楽」を書き加えていきたいと思います。最近のミュージックシーンからはひどく遠ざかっていますので、話はたぶん、むかし聴いた音楽、いまも変わらず聴いている音楽、とずいぶん偏った紹介になっていくでしょう。
 今年まず最初にかけたアルバムは、Eric Andersen の「Blue River」。このアーチストを初めて聴いたのは34年前、わたしがうだつのあがらぬOLをやっていたころです。先輩の同僚のお気に入りで、すすめられるままに聴いたアルバムは、全9曲が入った紙ジャケットのLP。そんな時代でした。
 LPは、当時ガリガリになるまで聴いたので、その後、再発売されたCDを買いなおしたのですが、あらたに賑やかなリズムの2曲が加えられていて、がっかり。静かに余韻を残して終わる構成が台無しになっていたからです。私の好みに合わないので、焼き直して、本来のLPのシークエンスに作り直して聴いています。
 とりわけ好きなのが、3曲目の「Wind and Sand」と、ジョニ・ミッチェルがバックコーラスに加わっている5曲目の「Blue River」。その、Blue River の歌詞を以下に。
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「Blue River」 by Eric Andersen

Old man go to the river
To drop his bale of woes
He could go if he wanted to
It's just a boat to row you know

-Listen to me now, -Chorus:
Blue river keep right on rollin'
All along the shore line
Keep us safe from the deep and the dark
Cause we don't want to stray too far

I spent the day with my old dog Mo
Down an old dirt road
What he's thinkin' Lord I don't know
But for him (I bet) the time just goes so slow...
don't you know

-but -Chorus:
Blue river keep right on rollin'
All along the shore line
Keep us safe from the deep and the dark
Cause we don't want to stray too far

Young Rob stands with his ax in his hand
Believin' that the crops are in
Firewood stacked, ten by ten
For the wife, the folks, the kids
and all of the kin... and a friend

-listen to me now - chorus:
Blue river keep right on rollin'
All along the shore line
Keep us safe from the deep and the dark
Cause we don't want to stray too far
No, we don't want to stray too far

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付記:CDバージョンに加わった2曲が賑やかなリズムの曲と書きましたが、そのうち「Come To My Bedside, My Darlin'」はスローな曲でした。賑やかなリズムの曲というのは最後の一曲。いずれにしても、ボーナストラックというのは曲者です。たいていは要らない。「おまけ」というのはなにかを壊してしまう。