Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2020/02/25

ロマン派について考えて、好き放題書いてみることにした(1)

piano:Leif Ove Andsnes, 2004
2月はずっと、イアン・ボストリッジIan Bostridge の歌うシューベルトの「冬の旅/Winterreise」を聴いていた。ボストリッジは1964年12月25日生まれのイギリス人で、歌手になったのはすいぶんあとになってからだという。まずYOUTUBEに出てくる映像と歌が合体したのをたっぷり聴いたあと、CDを買った。2004年録音だからボストリッジ39歳のときの録音ということかな。
 しかしこの人、名だたる新聞などに評を書くインテリでもあり、こんな本を書いている。

 Schubert's  Winter Journey: Anatomy of an Obsession
 『シューベルトの冬の旅:オブセッションの解剖』

日本語訳はタイトルが『シューベルトの「冬の旅」』と、なぜか副題の「オブセッションの解剖」がない。残念だ。というのは、この副題にこそ深い意味があるからだ。ボストリッジがヴィルヘルム・ミュラーの詩を分析する鋭くも現代的な視点というか、それこそがこの本の真価ではないか。つまり、それぞれの詩行をドイツ語から英語へと翻訳し、スパッと解剖するように分析しながら「ロマン派のオブセッション」に光をあてていく、そこがこの本の読みどころなのだと思う。めっちゃスリリングではないか!
 
 なぜこの本に出会ったかというと、J・M・クッツェーの『サマータイム』が引用されているとfb友達が書いていたのを知ったからだ。
 えっ!シューベルトって、あの「ジュリア」の章に出てくるシューベルトの弦楽五重奏曲のアダージョにあわせて、ジョンがジュリアとセックスしようとする箇所?と思って聞いてみると、その通り。その方がくだんの箇所を教えてくれて、読んだ。ナポレオン・ボナパルト亡きあとのオーストリアで、、、という笑えて泣かせる箇所を再読した。

 それで、はまってしまった。もう一度、クッツェーの『サマータイム』を「オブセッションの解剖」という視点から読み返そう。もう一度、シューベルトの『冬の旅』を聴き直そうと。

 ボストリッジは日本でも有名なテナー歌手で、何度も来日しているし、アルバムも出していた。そうなんだ〜!
 わたしは中学生の少女時代あの天鵞絨のような声をしたディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウでシューベルトにばっちりはまったことがある。1960年代はじめのことだけど。

 クッツェーが10代半ばのカレッジ時代にロマン派の詩人にあこがれて、キーツみたいな詩を書こうとしたことは『青年時代』(2002)にも出てきた。

「なんでまた、キーツにひどく惑わされて、自分でも理解できないキーツ風ソネットを書こうなどと思ったのだろう」(『青年時代』─インスクリプト刊の三部作p199

 そこではたと考える。クッツェーにはロンドンに渡ってもやっぱりロマン派的な嗜好、思考、志向がベースにあったし、おまけに旧態然とした旧植民地の南アフリカで21歳まで(1961年まで)学んだ人だったから、人一倍「中央の都市文化」への「憧れ」は強かっただろう。だから『青年時代』は、もっぱらそのころの自分に対する鋭くも批判的な視点で書こうとするんだけど、どうも不完全燃焼ぎみ。
 そこで第3部『サマータイム』(2009)はがらりと様式を変えたわけだ。三部作ってのは、いつも第二部がちょっと面白くなくなるんだ、これは避けられない宿命なのだ。

ボストリッジの本はシューベルトの『冬の旅』を一曲一曲丁寧に分析して、英訳も載せている。『サマータイム』が出てくるのは第4曲「凍結」の章で、読んでみると、その分析がじつに冴えている。ミュラーの詩の「ストーカー性」をみごとに暴いているのだ。

 ロマン派ってとどとつまりは、自分の思いや感情にとらわれて他者がまったく見えない「ストーカー」的な心情だと分析している。分析するだけではなくて、そのオブセッションを体現するかのように『冬の旅』を歌う、その歌がこの上なくいい。なぜだろう。そこを考えてみたい。若いころの録音がとくにいい。そう、30代のあまくてソフトな声がいいのだ。ディースカウはいま聴くと退屈だが、ボストリッジは聴き飽きない。その違いを、ゆっくり考えてみたい。
つづく

2020/02/14

AMAZWIの写真を追加

新設された文学館AMAZWI

NELM時代に収められたクッツェーの第二作「IN THE HEART OF THE COUNTRY」のゲラ(RAVAN PRESS)
**追記:上の写真はtwitter から拝借しました。あしからず!

2020/02/11

大成功のAMAZWIのイベントをめぐる写真をいくつか

南アフリカの東ケープ州グレアムズタウンに開設されたAMAZWI(旧NELM)で、JMクッツェーの80歳の誕生日を祝う会が開かれた。


 カンネメイヤーの伝記によれば、NELM時代の1970年代後半に、Dusklands の原稿*をこの文書館におさめたいと、ケープタウンにJMクッツェーを訪ねたのが、その当時ここの仕事をしていたドロシー・ドライヴァーだったとか。


東京でも/@国立文流、すてきなデザートプレートを用意して、ささやかなお祝いの会が開かれた。(ロウソクを灯して写真を撮っていたら、アイスクリームが溶けだして、クッツェーさんの顔の左側が消えそうになって……あせった!💦💦💦)

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追記:2020.1.12──AMAZWIのfacebookのサイトから拝借した写真。Picture: Lara Salomon

以下はAMAZWIの(展示?)写真からのようです。






クッツェーが朗読するようす、ドロシー・ドライヴァーがレクチャーをする写真、ティナ・ショッペのイベントの写真もありました。とても充実した文学館になったようです。

ここからふたたびイベントの写真です。
ローズ大学副学長シズエ・マビゼラと握手するジョン・クッツェー
デレク・アトリッジ(右)の司会でJMクッツェーの影響について語り合う
(左から)ミヒール・ヘインズ、シピウォ・マハラ、エレケ・ブーマー、ンティケン・モシェレ

ジョン・クッツェーとヘンリエッタ・ダックス

ジョン・クッツェー満面の笑み!
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追記:2020.2.13──でも、今日になって感激的(わたしにとって)な写真がアップされていました。Clerke's Bookshop のオーナー、ヘンリエッタ・ダックスとジョン・クッツェーがことばをかわしている写真です。ケープタウンを訪れたときこの古書店に何度も足を運びましたが、ヘンリエッタさんは残念ながら不在で会うことができなかったのです。
1990年代、まだネット書店もないころ、このクラーク書店からファックスで何冊も本を取り寄せました。南ア版の書籍はいまでもここから取り寄せたりします。カンネメイヤーの伝記も(オーストラリアやイギリス版が出る前に)まっさきにここから買いました。

このブログポスト、最初は2月11日にアップしましたが、追記しているあいだに2月9日から始まったイベントは火曜日(11日)に終わり、大成功をおさめたとメイン参加者からの情報がありましたので、それにまつわる写真やコメントを追加しました。これを書いている現在は2月13日お昼(日本時間)です。

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2023.12.2──*NELMの職員だったドロシー・ドライヴァーさんが1970年代後半にケープタウンにクッツェーを訪ねたとき、原稿を譲り受けたいと申し出た作品は『ダスクランズ』でした。『その国の奥で』ではなく。カンネメイヤーの伝記(Scribe)p.374に出てきます。勘違いをお詫びして、訂正いたします。

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写真のうち、AMAZWIのfacebookから拝借したものは©Lara Salomonです。





2020/02/09

Happy Birthday, John Coetzee!

お誕生日おめでとう、ジョン!

A BOOK OF FRIENDS
J.M.クッツェーは今日で80歳になる。

 2020年2月9-10日に南アフリカの東ケープ州グレアムズタウンで、J・M・クッツェーの80回目の誕生日を祝うイベントが行われる。そのことはここでも書いた。いまごろ、いや時差を考えると、もうすぐ始まるのだろうな。
 それにちなんでジョン・クッツェーの友人たちが文章を寄せた本も、メルボルンのTex Publishing から出る。
 A BOOK OF FRIENDS:In Honour of J. M. Coetzee on his 80th Birthday。編者はパートナーのドロシー・ドライヴァー。


 そしてもう一冊、これはすでに出版されている興味深い本がある。
 ジョン・クッツェーは少年時代、写真家になりたいと思っていた。本気で職業として考えていた。カレッジ時代にカルティエ・ブレッソンにあこがれ、ヴェガのカメラを郵便で注文して購入し、自宅に暗室まで作って現像や引き伸ばしをやっていた。母親ヴェラや弟デイヴィッドの写真、学校の教師である修道士たちをスパイカメラでこっそり撮った写真、ラグビーやクリケットに興じる生徒たちの写真、フューエルフォンテインの大晦日、農場で働いていた人たちの写真など、『少年時代』を読んだ人には、ああ、これがあのときの……と興味はつきないだろう。きわめつけは何枚もさまざまな角度から撮影された自撮りのポートレートだ。

 2014年にケープタウンのフラットを処分するとき見つかったその写真類(といっても多くはネガフィルムの状態)や機材が、そっくりウェスタンケープ大学のヘルマン・ウィッテンバーグに託された。詳しいことは3回に分けてここに書いた。ロンデボッシュのギャラリーで展覧会が開かれたり、イギリスの大学などでイベントにも展示されたりしてきたけれど、その写真類がついに本になった。

 J. M. Coetzee: Photographs from Boyhood

 ウィッテンバーグが序文をつけて、クッツェーが自伝的三部作『少年時代』から引用しながらキャプションを書き、インタビューもついている。英語版は Protea というプレトリアにある出版社から出たが、オランダ語版、イタリア語版、スペイン語版も出るとか。
 
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それにしても、今年もまた東ケープ州は旱魃に悩まされてるらしい。もう何年も雨らしい雨が降らないという。
https://www.afpbb.com/articles/-/3265677


2020/02/07

生き延びるか、ローレル

昨秋の台風15号でローレルが倒れた。そして先日、斜めにかしいだその樹木があっけなく切り倒され、細切れにされて持ち去られた。しかたがないのかなあ──でも心は痛むなあ。だって木そのものはまだ生きていたんだから。枝は繁っていたんだから……斜めだったけど。というわけで15年あまりをともに生きた愛しのダフネもこれまで!

 しかし。ここ3ヶ月ほどのあいだに根元から天にむかって新しい芽がのびていたのだ。その一部を植木鉢に移植した。最初は根が伸びるように、たっぷりと水をはったバケツに鉢ごと漬けておいた。植えられた小さな芽は、真冬の寒風にもめげずに、ベランダで太陽の光をもとめて身を伸ばそうと懸命だ。けなげ。

 ブログに載せたローレルの写真をざっとふりかえってみた。わがダフネの歴史。

2008.4
2009.4 
2009.7

2012.8

2014.2
2014.4



2014.4
2019.10
2020.2

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ローズマリーも大きな鉢に移植した。昨年、枝を切って透明なガラス瓶に活けて根出しをし、とりあえず手元にあったちいさなプラスチックの鉢に土といっしょに植え付けておいたローズマリー、そろそろ日差しも暖かくなってきたので、大きな鉢に植え替えた。

  もうすぐ春だからね、じきに暖かくなるからね、きみたちは元気に生き延びておくれ!とささやきかけておく。植物だって、話しかけると喜ぶんだよ、知ってた?

2020/02/02

聖性を鏡に映すダークコメディ:木村友祐『幼な子の聖戦』

 あれよあれよといううちに2月になった。

2020.1.24 集英社刊
今年は、小さな人を迎えてお正月を祝ったあと、すぐに翻訳を数ページやって、暮れからの宿題だった木村友祐著『幼な子の聖戦』の書評にとりかかった。2400字の枠ならかなり書けるし、書かなければならない──と背筋を伸ばした。そして書いた。「すばる 3月号」26日発売(集英社)。

 聖性を鏡に映すダークコメディ

 八戸が舞台の小説である。八戸というのは「耳懐かしい」地名なのだ。学生時代に夏休み、冬休みになると上野から青森まで夜行列車に乗った。青森から函館までは青函連絡船だ。函館からさらに特急を乗り継いで滝川へ。
 その旅で、青森に着く少し前の駅が八戸だったと記憶している。降りたことはないけれど。作中に出てくる青森弁というか八戸弁というか、東北訛りというか、とにかく全部がすべて理解できるわけではないけれど、この本にでてくる会話はルビの振られた「意味」を見なくてもおよそあたりがつくものが多い。なかには、これは聞いたことがある、耳にしたことがある、いやいや、わたし自身が使ったこともある、という語に何度か出くわした。

つまり、わたしが育った北海道中部の農村の訛りは、八戸の訛りと共通する表現が多々あったことに、いまさらながら気づいたのだ。ふむふむ、ふむ。土臭い、というか、泥臭いというか。そこには洗練という名のトリックがない。

 ずどんと心の底まで打つような、その八戸訛りのパワフルなこと。それが作品に「劇薬的な効果」をおよぼしていて、すばらしいのだ。そのことは書評にも書いた。しかし、それ以外のことは、まあここでは触れないでおこう。クッツェーとか、ドストエフスキーとか、宮澤賢治とか、出てきます。詳しい内容は、ぜひ、書評そのもので確認してください。

  聖性を鏡に映すダークコメディ

「すばる 3月号」26日発売(集英社)に掲載です。