Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2012/01/27

2012/01/17

書評:J・M・クッツェー『遅い男』

時事通信社からの依頼で書評を書きました。2005年発表の J・M・クッツェー『Slow Man』が、昨年暮れに早川書房から鴻巣友季子さんの訳で『遅い男』となって出ました。

 本日17日の配信。地方紙に掲載されますので、ぜひチェックしてみてください。

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こちらにリンクしました。

2012/01/16

管啓次郎著『コロンブスの犬』──アフロブラジルが近くなる

昨日はひさしぶりに都心へ出かけた。夕暮れの表参道駅からとことこ歩いて、曲がる角をまちがえて、引き返し、やっとたどりついたレイニー・デイ・ブックストア&カフェ。

 文:管啓次郎+写真:港千尋による『コロンブスの犬』(河出文庫)が出たことを記念して開かれたイベントは、時間も内容も予想をはるかにうわまわり、たっぷり中身のつまった話だった。管さんも、港さんも、そして旦さんも80年代初めからかかわってきたブラジルという国と、その文化と、都市と、音と、音楽と、言語と、強盗に襲われたときのことなど、もろもろ、もろもろの、エッセンスがぎゅっと詰まった話は、聞いていてまったく飽きなかった。いや、じつにおもしろかった。

 それにしても、この『コロンブスの犬』は、じつは、今回はじめて手にした管さんの本で、彼がまだ20代のころ書いた初期の作品。スピード感のある文体にぐんぐん引き込まれる快感がある。ほとんど、どこから読んでもOK というフレンドリーな開放性が特徴。管啓次郎という人の仕事はここからはじまったのだな、ということがよくわかる。まさに原点ともいうべき本だ。いろんな意味で、とってもお薦めです。

 以前から気にはなっていたけれど、あまり縁のなかった「ブラジル」という地球上のひとつの地域が、昨夜ぐんと身近になったような気がした。
 ありがとう、みなさん!



 そして今朝、なんの気なしにクリックしたサイトで見つけた番組に、ついつい、食い入るように見入ってしまった。それがこれ!
 アフリカン・アメリカンの文化を研究してきたヘンリー・ルイス・ゲイツがブラジルという国をたずね、その奴隷制の歴史といまを映像により、さまざまな人へのインタビューで描いていく53分。映像は昨日の話とみごとにクロス! アフリカン・アメリカンということばは、なにもアメリカ合州国に限定されるものではなく、むしろ数百倍のアフリカンが南米に船で運ばれた歴史的事実を教えてくれる。
(それにしても、このゲイツという人、どこかで耳にした名前・・・と思っていたら、2009年に米のニュースをにぎわした、「窓から自宅に入ろうとして、近所の人に通報され、逮捕されたアフリカン・アメリカンの教授」でした!)

2012/01/14

アニヴァーサリー・ブルース/エドウィージ・ダンティカ

何周年記念日というのは傷つける。身体を残忍なほど無感覚にする。気持ちをしたたか殴りつける。大災害から何周年というのはとりわけ。わたしたちは死者のことを思い出すから、1人や2人ではない、何百、何千という人たちの、正確にいうと30万人の死を思い出すから。自分の痛みがやっと静まったと思ったちょうどそのとき、またよみがえってきて、日々のうずきから、いつの日か消えることを願っているそのうずきから、世界が終わると思えたあの瞬間に経験した苦しみへ、ずきんずきんと広がっていくから。
 
2年前、ハイチでは大地がぱっくりと口を開けて、建物は崩れ落ち、人びとが死んだ。軍隊が降り立ち、軍の展開は戦闘地区さながらだった。NGO組織もまた群れをなしてやってきて、総勢およそ1万から1.6万にまでふくらんで、ハイチは人口一人当たり、世界でもっとも多くのNGOを受け入れる国となった。世界中の権力者から、大小の規模にかかわらず、送られると約束された資金は、99億ドルにものぼったけれど、実際に手渡されたのはその半分にも満たない。

2年前、・・・

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「プログレッシヴ」に掲載されたエドウィージ・ダンティカの「Aniversary Blues」の出だしです。ハイチを大地震が襲ったのはちょうど2年前のことでした。それから1年あまりたった昨年の3月11日、日本にもカタストロフはやってきた。
 ダンティカのこの文章は、「ブルース」とタイトルがついているだけあって、原文はとっても音楽的、というか、ことばがたたみかけるようなリズムをもっていて、心に、ずんずん響きます。全文はこちらへ。

文末に、Edwidge Danticat is a fiction writer, essayist, and memoirist. In 2011, she edited “Haiti Noir” and “Best American Essays.” This is an excerpt from Edwidge Danticat's essay in the February 2012 issue
とありますので、本を入手すれば、完全バージョンを読むことができます。

2012/01/04

2012年はどんな年に?

今日はケープタウンで仕入れたワインを飲みながら、62歳の誕生日をすごしています。女性が年齢をおもてに出さない時代はとうにすぎた、と思っていたら、また最近そのような風潮が、という感じがしていますが、どうなんでしょう?
 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェは「若い、若い」といわれるのにうんざりして、年齢相応に見られるのがいちばん嬉しい、と書いていました。同感です。わたしもずっと前からそう思っていました。人に歴史あり、なんですから。その歴史を隠したりしたくない。

 さて、この人もすてきに歴史の刻まれた声と歌をとどけてくれた人でした。セザリアの歌を聴いてはじまる2012年は、いったいどんな年になるのでしょうか?

 私個人としては、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの第二短編集を 3月に刊行予定!
 秋には、ケープトニアン訛りがたくさん出てくる、ゾーイ・ウィカムの『デイヴィッドの物語』を出したいと思っています。ケープタウンから帰って、この物語はほんとうにすごい作品だということを実感。クッツェーが「tremendous achievement/途方もない偉業」と最大級の讃辞をよせた意味を、あらためて痛感しています。

 さらに、今年はその J・M・クッツェーの自伝的三部作『少年時代』『青年時代/YOUTH』『サマータイム/SUMMERTIME』の翻訳作業に本格的に取り組みます。ケープタウンの旅でえた情報や土地感覚などが、ウィカムやクッツェーの作品世界を深く理解するためにどんと背中を押してくれています。ありがたい!

 暦が変わっても、たんたんと作業をつづけるのみです。今年もどうぞよろしくお願いいたします。