Elizabeth Costello : I believe in what does not need to believe in me.──J. M. Coetzee

2019/10/18

最近のチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの動画

マンチェスターで10月5日に行われたチママンダ・ンゴズィ・アディーチェのトークの実況中継。OPEN FUTURE FESTIVAL.


以下に大雑把な内容を。(あくまで粗い聞き取りですので引用はお控えください。)

 まずアイデンティティについて質問された彼女:アイデンティティというのは外部からの要求によって変わる、たとえば、最近もUSAの空港でプレミアの列にならんでいたら、あなたはあっちだと指差されたのはエコノミーのほうだった。これは肌の色で判断したからで、ナイジェリアではありえない。ナイジェリアでは、エスニシティか、ジェンダーによって分けられる。だからアイデンティティというのは外部からの問いによって、いくつにも変わりうるのだ、と述べている。だから自分としてはそれをたったひとつに狭めることはできない。

ストーリーテリングについて、作家として、と問われると:もっといろんな声がでてくることが必要だと強く思う。文学作品を読むということは、可能性として、自分の体ではない体から発せられる声を聞くことだと思う。書くというのは、自分の体ではない体から発せられる声を書くことでもある。どんな声であれ、わたしを呼んでいるならその声を物語に響かせていきたいと。

 これまでアフリカ、アジア、ラテンアメリカの物語は長いあいだ、そこの出身の人たちによって語られてこなかった。だから、ロンドンの書店に行っても、本がコロニアルなテイストでならんでいることが多い。もちろんそれは大事よ、だってイングランドはナイジェリアを植民地化してきたんだし、歴史としては……中略……でも、数日前の香港を見てもわかるように、世界中の土地は過去にずっと取り憑かれつづけている。

 それから、『アメリカーナ』について、かなり突っ込んだ質問がきて、アディーチェも非常にクリアに答えている。もう少しニュアンスをつけて、と編集者からいわれたが、それは、もう少し正直さ=あからさまにいうことを控えて、ということだった。

 なんでも比較的率直に語る英語社会で、「もう少しニュアンスを」といわれたとしたら、このニュアンスだらけで空気を読めとかいわれる日本語社会では、どうなるんだ😅?なんて思いながら最後まで見ましたが、最後のほうでオーディアンスから質問が出て、それに真っ向から答えるチママンダ、そして白熱の議論が展開されるようにもっていく司会のジャーナリストもなかなか。

 あとは動画をじかに見てください。

 もしも日本にチママンダを呼ぶなら、同時通訳があいだにはさまるとしても、これくらいの丁々発止のやりとりができるステージになるといいなあ、と思います。
 

デレク・アトリッジ氏の最新情報:「クッツェーによる南」

あちこちでシェアしながら、ここでお知らせするのをすっかり忘れていました。

The South According to Coetzee

 来月初めに再来日するデレク・アトリッジ氏がとても、とても興味深い文章を書いているサイトをお知らせします。英語版よりいちはやくスペイン語版で La muerte de Jesus を読んでいることが、彼の文章からうかがえます。


タイトルのThe South According to Coetzeeは、つい「クッツェーによれば南は」と訳してみたい誘惑に駆られます。

 駒場で開かれる講演でも、この文章に書かれた内容について言及されることになるはずですが、クッツェーの最新作 The Death of Jesus の読書会に出る方には必読でしょう。

2019/10/11

デレク・アトリッジ教授が再来日します

2012年5月に初来日して、J・C・カンネメイヤーが書いたJ・M・クッツェーの伝記と作家自身の自伝的三部作『サマータイム、青年時代、少年時代』の最終巻『サマータイム』とを比較しながら、すばらしいお話を聞かせてくれたデレク・アトリッジ教授がまた来日します。

 来日中の講演と読書会のお知らせをここに!



 講演会は「翻訳、世界文学、マイナー言語の問題」について。まるでここ数年、英語版より先にスペイン語版で自作を出してきたJ・M・クッツェーの問題意識を解き明かしてくれるようなテーマ設定ですよね。
 読書会は10月1日にメルボルンの出版社から出たばかりの英語版The Death of Jesus を読むそうですよ〜〜。面白そう! わくわく。

 

2019/10/07

『文藝』に斎藤真理子さんとの対談が

今日発売の雑誌『文藝』(2019 冬号)に斎藤真理子さんとの対談が掲載されています。
 8月25日にB&Bで行なわれたイベント「今日も眼鏡をふいている──翻訳・移民・フェミニズム」を起こしてまとめたものです。対談のタイトルは:

 新たな視野をひらくアディーチェの文学

「ジャンピング・フェミ・トーク」になるかも、との予測どおり、当日はあれこれ話が飛んで、これは終わりそうもないわ、とわれながら感じていました。
 あがってきた文字原稿を見ると、アディーチェをめぐる話になっていました。さすが! そりゃそうですよね。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの2冊の本『イジェアウェレへ フェミニスト宣言、15の提案』と文庫『なにかが首のまわりに』のW刊行記念なんですから。😆

 そうはいっても、こうして読むと、ちょうど10年の年齢差のある2人が体験した80年代の話が圧倒的なリアリティをもっている、とあらためて感じます。「潮干狩り」の話なんかとてもシンボリックで、しかもリアル。
 翻訳をめぐる話では、クッツェーのことはすでにブログに書きましたが、歴史的な出来事を作品化するハン・ガンとかアディーチェなど、若手の作家たちの話もしたんだった。
 当日、会場へいらっしゃれなかった方も、いらっしゃった方も、ぜひ!

2019/10/04

ちいさな月桂樹を移植

 9月8日夜半の突風で倒れた月桂樹、根元から伸びていたちいさな若木を植木鉢に移植してみた。来年の春まで待って、もう一度、地面におろしてやろうと思う。うまく活着してね、ローレルくん!

 右の写真は、16年で大樹に育ったローレルが、どうと地面に倒れた姿。どうやら、表層は柔らかい土だけれど、すぐ下に硬い粘土質の土が広がっていたため、根の張り方が浅くて、激しい突風で根こそぎ浮いてしまったらしい。

 根は半分ほどついているので、今日もまだ葉っぱは青々としてるのだけれど。

2019/10/03

JMクッツェー『イエスの死』読了

今日は、J・M・クッツェーのイエスの三部作最終巻『The Death of Jesus/イエスの死』を、朝から夕方までずっと読んでいた。午後5時過ぎに読了。
 記録として書き記しておく。内容についてはあらためて。しかし、親として早い時期に子供を亡くすということは。。。と書いていると、読んだという知人からメールがきて、感想が書いてあったので、こちらも手短にこう返した。

*****
「いや、感動的という表現でいいのかと思いながら、ときどきグサッとこちらに刺さってくる表現があって、涙ぐみそうになりました。
 つい、作家の実人生と重ねて読めてしまう細部があるから、ということもありますが、書き方がね、世界に対してもうこれ以上ないほど自分を削って差し出しながら書いてる感じがして。終わり方が、図書館の本への子供たちの感想コメントというのもうまいなあと。読書会、楽しみです」

2019/10/01

J・M・クッツェー"The Death of Jesus"がとどく

10月1日発売の本が、ぴたりとその日の朝にとどいた。メルボルンの出版社からエアメールで。

 J・M・クッツェー著、The Death of Jesus(Text Publishing)

イエスの三部作最終巻だ。全197ページ。さっそく読みはじめる。机上には分厚いゲラがどさりと載っているのに……。まあ、あっというまに読み終えるだろうけど。
 とりあえず記録のために今日、10月1日の日付がついた写真をアップしておく。

2019/09/23

札幌北1条教会とヴスターのオランダ改革派教会

3日間の札幌への旅を終えて帰京したら、また台風の余波で、なんという湿気。札幌は気温が20度前後、湿度が50%を切るという快適な季節。ああ、こういう気候のなかでわたしは自己形成したのだと再確認する旅になった。その事実は動かしがたい。東京で感じる気管支の苦しさも否定しがたく目の前にある。

現在の札幌北1条教会
1919年生まれの母が15歳か16歳のときに洗礼を受けたという札幌北1条教会の写真を撮ってきた。洗礼を受けたのは、彼女が北海道大学医学部付属看護学校に入学したころだ。もちろん教会の建物は建て替えられただろうが、とんがった部分を見ながら、植民地に教会を建てる人たちのあこがれは、やっぱり「天」だったんだと思う(いや尖塔をもつ教会は世界中にあるけど……)。

「天にまします我らの神よ、願わくば……」で始まる主の祈りを、何度も聞かされながら、10歳まで通った滝川の教会には十字架はあってもトンガリはなかったような……。そこでふと浮かんできたのは、南アフリカのヴスターで撮った写真だ。

 内陸の町ヴスターのオランダ改革派教会の写真と、札幌北1条教会の写真をならべてみる。光と影の具合が不思議と似ているのだ。空気が乾いているせいか、とにかく空が青い。そして空に向かう建物が白い。ふむ。どちらも、からっとした空気のせいで光がとても美しい。

少年ジョンが8-10歳を過ごしたヴスターの教会
建築様式も違うし、建った時代も違うけれど、「決して人が住んでいなかったわけではない土地」を「無主の地」とみなして、先住の人たちを征服、支配するという、世界の植民地化を下支えした思想のひとつだった「キリスト教」に思いをはせる。

 イギリスからアメリカ経由で北海道へ入っていったプロテスタントのイギリス国教会長老派。やけに先鋭化して純化されたアメリカ開拓精神に「精神一到何事かならざらん」的な武士道がミックスされて、「北の大地」で勢いをつけたキリスト教の会派。

北1条教会の近くで摘んだオンコの実

 Boys, be ambitious. 
 少年たちよ野心的であれ。

(「少年よ、大志を抱け」は当時、近代国家形成をひた走る日本が「開拓」精神との合体を狙った意図的誤訳ですね。そう語ったと言われるクラーク博士は農学ではなく化学が専門で、札幌に滞在したのはわずか1年足らずだったそうだ。その彼の滞在が北海道帝国大学の存在基盤に大きな影響を残した。戦前は理系しかなかったというのも、いかにも、である。)
 
北1条教会の庭には母の好きだったダリアが
プロテスタント思想に染まった母は、というか、むしろ母は浄土真宗の寺が多い開拓村や一攫千金をめざす流れ者が集まる炭鉱の、すさまじい男尊女卑社会で売り買いされるモノに近い存在だった「女」であることを拒否して、「人間として」生き延びるための思想をキリスト教思想の最良の部分から吸収していったのだ。しかし、1930年代後半の日本の医学、医療の現場にいたため、当然ながら、優生学的なものの見方を批判する力はなかったし、宗教においてもまた宗派性から無縁ではなかった。

 カトリックは免罪符なんてのをこしらえて金儲けをした堕落したキリスト教だと教えられたらしく、娘のわたしも母からそう教えられた。イエズス会など権力への野心を積極的に具現化して植民地征服に強烈な力を発揮したカトリックは、しかし、思想的には妙に、とんがってない世俗を抱き込むふところの深さがあったと見ることも可能だ。人間の愚かさをも抱き込むように、ガス抜き手法として「告解」という制度を作ったカトリック……なんて考えられるようになったのはずいぶん後だったけれど。

11月刊のオランダ語版『イエスの死』
ヴスターのオランダ改革派教会の建物は広場に面して屹立する尖塔をいただいていた。少年ジョンの家族は教会には行かない人たちだったとはいえ、J・M・クッツェーはカルヴァン派の支配する政教一致の当時の南アフリカで教育を受けて育った。全人口の13%にすぎない白人が、神から選ばれた者として、有色の「人種」より優れていることを1994年まで是とした社会のなかで、長いあいだ暮らしたのだ。
 だから、作家生活の締めに彼が選んだテーマが「イエス」であることはとても興味深い。ユダヤ・キリスト教文化の選民思想の染み付いた教育環境、生育環境で自己形成したことを自省的に検証しながら作品を書いているのだろう。
 クッツェーにとって宗教、思想、哲学、文学、教育のすべてが、このイエスの三部作に凝縮しているのはまちがいない。その事実は否定しがたく目の前にある。

2019/09/16

トニ・モリスン『他者の起源』より

今年8月5日に88歳で他界したアフリカン・アメリカンの作家、トニ・モリスンが2016年にハーヴァード大学で6回にわたって行った講義の記録、『The Origin of Others/他者の起源』(2017)を読んでいる。

 キーワードは「Other/他者」、「Stranger/よそ者」、「Foreigner/異邦人」、「Outsider/アウトサイダー」といったいくつかの語で示されているが、なかでも「アフリカ」や「ブラック」「ニガー」という語が抽象的な意味合いで文学作品にあらわれるとき、それは作者のどのような心理を照らし出しているかを分析するモリスンの舌鋒は鋭く、たいへん興味深い。興味深いだけではなく、『白さと想像力』(1992)からしばらくご無沙汰していたせいか、ここまで明確に言語化されるようになったかと、感慨深いものがある。

 昨日42歳になったナイジェリア出身の作家、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ(お誕生日おめでとう、チママンダ!)は『アメリカーナ』のなかで主人公イフェメルに、自分はアメリカに渡って「人種」を発見したといわせたが、そんな若手の作品を訳したあとで、モリスンの分析を読むと、モリスンが描いてきた作品の風景がまったく異なったものとして立ち上がってくるのだ。

 とりわけ『The Origin of Others/他者の起源』の最終章に、次のような文章が出てきたときは、書き写さずにいられなかった。記録として、ここに引用しておく。


 With one or two exceptions, literary Africa was an inexhaustible playground for tourists and foreigners. In the works of Joseph Conrad, Isak Dinesen, Saul Bellow, and Ernest Hemingway, whether imbued with or struggling against conventional Western views of a benighted Africa, their protagonists found the world’s second largest continent to be as empty ...... The Origin of Others by Toni Morrison (2017)

 ひとつふたつの例外はあっても、文学作品に出てくるアフリカは、旅人やよそ者にとって無尽蔵の活動の場だった。ジョゼフ・コンラッド、イサク・ディネセン、ソウル・ベロウ、アーネスト・ヘミングウェイの作品のなかで、未開のアフリカという型通りの西欧的視点に染まっていようが、それに抗い奮闘していようが、主人公たちは世界第二の巨大な大陸をからっぽと見なした......
                                          『他者の起源』、トニ・モリスン(2017)

****
 読みながら、かれこれ11年も前にJMクッツェーの『鉄の時代』を訳していたとき、メモを取ったことを思い出した。アフリカ大陸に対する文学者たちの「からっぽ」という認識は、クッツェーが南アフリカの白人文学について書いたエッセイホワイト・ライティング/White Writingで、明確に論じられていたことでもあったのだ。1988年にイェール大学出版局から出た本だ。

 クッツェーは、1652年にアフリカ大陸南端の喜望峰にヨーロッパ人がはじめて植民地をつくってから、ヨーロッパ系植民者がどのような視点から文学を紡ぎだしてきたか、それを詩や、農場を舞台にした小説を具体的に論じながら解明した。そして、植民者たちがどのような人間的退廃をたどっていったかを明らかにしたのだ。

2019/09/10

ジョル大佐のサングラス── Waiting for the Barbarians

映画の「Barbarians」は「夷狄」でいいのかな?

映画 Waiting for the Barbarians
 ずいぶん前になるが、年末の2日間を費やしてJ・M・クッツェーの出世作 Waiting for the Barbarians(『夷狄を待ちながら』)を再読したことがある。最初に読んだのはキングペンギン版のペーパーバックで Life & Times of Michael K(『マイケル・K』)と2冊まとめて読んだときだったから、1980年代の後半だ。ほぼ20年ぶりの再読だった。
 作品は「帝国」と「夷狄/蛮族」という二項対立で語られることが多いが、それだけではない。あらためて通読していくつかの発見があった。主人公である初老の執政官の、男としての性的欲望の描かれ方のリアリティもそのひとつだ。この作品のほぼ20年後に出た Disgrace(『恥辱』)の初老の主人公の場合のそれと、重なったりずれていたり。そうか、70年代後半(作家は30代後半)に書かれた作品ではこうだったものが、90年代後半(作家は50代後半)ではああなるのか、と興味深く読んだ。もちろん舞台設定が一方は架空の帝国およびその植民地、他方はポストアパルトヘイトの南アフリカで、この違いは大きい。
 再読のきっかけは、わたしより5歳ほど年上の作家から「最後の章は要らないんじゃない?」という問いを受けたことだ。日本語で書いてきた男性の作家である。そのときは返すことばに詰まった。質問の内容を作品に照らして具体的に考え、反証するための情報が頭のなかになかったからだ。いくら好きで読んできた作家だとはいえ、20年前に読んだ作品の細部までは覚えていない。再読して気づいたのは、最終章は要らないどころか物語全体にくっきりとしたパースペクティヴをあたえるために不可欠ということだった。それが確認できたのは大きな収穫だ。なぜ「要らない」とその作家が考えるかもおよそ見当がついた。作品がクライマックスで終わるのを好むからだろう。
 
KingPenguin版
 物語の概要はこうだ。架空の帝国が支配権をもつ辺境の植民地で執政官を長年つとめる主人公(名前はない)のところへ、夷狄の襲来を懸念する帝国の第三局(ロシアの秘密警察を想起させる)からジョル大佐という人物が派遣される。そして夷狄狩りが始まる。ジョル大佐率いる部隊に連行されてきた夷狄の人たちは、人間以下の扱いを受け、尋問され、拷問を受ける。
 父親を殺され、自分も両足を潰され、視野も狂って、仲間に置き去りにされて、物乞いをするしか生き延びる手段のない夷狄の娘を執政官は街から拾ってくる。そして自分の本来の職務は法と正義を行なうことにあるはずだ──と、ジョルの行為や自分の立場をあがなうかのように、娘の足に油を塗り、撫でさすり、寝床をともにする。しかし性交に至ることがない。これまで女をつぎつぎと渡り歩いてきてなんの疑問も持たなかった執政官はそこで、自分の性的欲望について熟考することになる。

 旅籠屋の女たちに対してはなんの問題も生じない。女を「欲望することは彼女を掻き抱き彼女のなかに入ることを意味する、彼女の表面に穴を穿ち、その内部の静まりを掻き混ぜて恍惚の嵐を起こすこと、それから退き、終息し、欲望がふたたび結集するのを待つ。ところが、この女はまるで内部などないかのようで…」(p43)と男の性的欲望が詳らかに言語化される。これはそっくり、新しい土地(日本語では「処女地」などという差別的表現が使われてきたが)に対して帝国が抱く野望や欲望と重なるもので、ある種のアナロジーと読める。これはデビュー作『ダスクランズ』で描かれたあからさまな男の欲望のややソフィスティケイトされた形と読めるだろう。

 クッツェーはこの作品を書くためにモンゴル帝国の歴史を調べあげたといわれているが、確かに、季節の移り変わりと月の関係から、舞台は北半球を想定しているようだ。だが、主人公にも、褐色の肌の夷狄の女にも、名前があたえられることはなく、作中で名前があるのはわずかに3人。ジョル大佐、青い目のマンデル准尉(夷狄の娘をその仲間に返してきた主人公を逮捕して拷問する)、そして旅籠屋の料理女メイである。
 この料理女が不思議な存在なのだ。作品中で最初に登場したときは名前がない。その息子が獄舎に入れられた執政官に食事を運んでくる場面はあるが、その母親に名前があたえられるのは物語が終盤に入ってからだ。これは読んでいて奇妙な感じがする。それまで影のような、顔のなかった人物が突然、固有の名前と表情をもった人物となって、主人公の前にあらわれるのだから。

集英社文庫版
 このメイは、しかし、最終章できわめて大きな役割をはたす。主人公の語りを「聞く相手」──相対化の視点を運び込む役──として、さらに、主人公にはついに聞き取れなかった「夷狄の娘のことば」を聞き取ってきた者として、それを主人公に伝える存在として登場するからだ。唐突に名前をもった人物となる瞬間と、執政官の心理的変化があいまって、物語は一気に眺望が開けてくるのだ。

 物語の流れは、夷狄をめぐる嵐のような一年の出来事を追って描かれる。具体的にはジョルの到来、夷狄の捕獲、夷狄の娘を仲間に返還する旅、主人公の逮捕、さらなる夷狄狩り、拷問、ゲリラ戦で消耗した軍の破滅、大挙して逃げ出す住民たちのエグゾダス、残された少数の人びととの暮らし──といったプロセスをたどり、それまではおもに主人公の内面で生起することば(幻想/妄想も含む)によって展開されてきた物語に、この最終章で、その時間の経過を相対化する視点が入る。それによって主人公の経験と、その結果彼の内面に起きた変化が、ひとつのパースペクティヴのなかにくっきり浮かぶようになる。

 したがって、終章はエピローグとして機能し、物語はクライマックスで終わることなく、頂点を冷静に見つめる視点で終わる。そして視界は一気に見通しがよくなる。これはクッツェーのすべての作品に見られる、きわめて重要な特徴である。この章を読んでひとつのレッスンを修了し、クッツェー作品を読む醍醐味を味わうことができる流れなのだ。
 作品のタイトルWaiting for the Barbarians は、クッツェー自身が明かしているように、カヴァフィスの詩から採られている。コンタンティノス・P・カヴァフィスは1863年にエジプトのアレキサンドリアで裕福なギリシア人貿易商の家に生まれているが、一家の根拠地はコンスタンティノープルだった。それで思い出すのは、ランサム・センターに移されたクッツェーの草稿である。じつはクッツェーは第三作目をコンスタンティノープルを舞台にした世紀末的な暗いラブストーリーとして書きはじめた。しかし当時、南アフリカで起きたスティーブ・ビコの拷問死事件のためか、それを破棄してあらたに書かれたのがこの作品だった。その経緯はデイヴィッド・アトウェルの研究などで詳細が明らかになっている。

ジョンとジョナサン,アデレードで,2014
 作家自身のこの作品への言及は『ダブリング・ザ・ポイント』のインタビューにも見られ、当時の南アの監獄で起きていることに対する、病理学的応答として書いた作品だったと述べている。
 さらに2019年3月末に、オーストリア北部のハイデンライヒシュタインという町でクッツェーをフィーチャーした文学祭「霧のなかの文学」が開かれたとき、クッツェーは「この作品は現在とパラレルなのだ」と述べ、いわゆる野蛮に抗する側が野蛮になっていく、と現代の対テロ戦争を批判した。

 じつはこの作品の日本語タイトルは翻訳上の問題を抱えている。「barbariansをどう訳すかだ。英語のbarbarianの語源はギリシア語の「バルバロイ」、「わけのわからないことばをしゃべる者たち」という意味だが、手元にあるOED(オクスフォード英語辞典簡略版)を引いてみると「(古代に)(ギリシア・ローマ人やキリスト教徒を中心とした)偉大な都市文明に属さない人たち」とある。つまり「野蛮人」。日本語タイトルに使われた「夷狄」を辞書で引くと、古代中国で漢民族を中心にした「東の未開国を夷、北のそれを狄」と呼んだことが始まりとある。

 ここで、14年11月にアデレード大学で開かれた「トラヴァース・世界のなかのJ・M・クッツェー」の初日に、非常に興味深い問題提起がなされたことをお伝えしたい。基調講演でステージに立ったのはシカゴ大学の哲学教授ジョナサン・リアで、そこで扱われたのがこの Waiting for the Barbarians だった。
 ジョナサン・リアは、シカゴ大学社会思想委員会のメンバーだったクッツェーがノーベル賞受賞の知らせを受けたときいっしょにいた長年の友人で、彼はまずそのときのエピソードに触れて場内をなごませた。ノーベル財団がクッツェーに連絡を取ろうとしたが、本人はそのときケープタウン大学ではなく、シカゴ大学で教えていた。財団から連絡を受けたシカゴ大学の誰かがリア教授の電話番号を教えてしまったので、突如として彼の電話がひっきりなしに鳴りはじめた。前夜、リア夫妻はジョンとドロシーと4人でディナーをともにしたところだった──といったエピソードはシンポジウム参加者の大方が知っていたが、重要なのはそこではなくて作品をめぐる彼の問題提起である。
初期2作のシナリオ, 2014刊
 この作品は一般に、架空の土地を舞台にした、時代も不特定の小説として読まれることが多いが、それは違う、とリア教授はいうのだ。「注意深く読む」と、冒頭にちゃんと年代が書き込まれている、決め手は第三局からやってきたジョル大佐がかけていた眼鏡なのだと。この作品の書き出しを見てみよう。

I have never seen anything like it: two little discs of glass suspended in front of his eyes in loops of wire. Is he blind? I could understand it if he wanted to hide blind eyes.  But he is not blind. The discs are dark, they look opaque from the outside, but he can see through them.  He tells me they are a new invention.

「そんなものは見たことがなかった。彼の両眼のすぐ前で、2つの小さなガラスのディスクが、環にした針金のなかに浮いている。彼は目が見えないのか? 見えない目を隠したいというならわかる。だが彼は盲目ではない。ディスクは黒っぽく、はたから見れば不透明だが、彼からはそれを透してものが見える。新発明なんだそうだ。」

 これはもちろんサングラスのことだが、サングラスという語は使われていない。執政官はジョル大佐から「新発明」との説明を受ける、と書かれているところに注目すべきだとリアは語った。サングラスが発明されたのは20世紀に入ってからだ。だから、じつはこの物語にはしっかり時代が書き込まれている、つまり時代はわれわれの2代、3代ほど前にすぎないと。もうひとつ、この作品は「夢のよう dreamlike」と言われることが多いが、「夢 dreamではなくあくまで「夢のような dreamlike」であり、「夢のように」場所や時間が特定しにくいことが重要なのだと。なぜか?

 考えてみると、この作品が発表された1980年、南アフリカには厳しい検閲制度があり、検閲官がちくいちテクストを読み、発禁にするかどうかを決めていた。前作の『In the Heart of the Country/その国の奥で』が、通常なら一人の検閲官が審査するところを3人の検閲官によって詳細に検閲された事実が、今世紀になって明らかになっている。どのように書けば発禁にならずにすむか、作家自身も頭をひねりながら書いていた時代だ。検閲官が容易に判定できる語の明記を避け、架空の帝国と植民地、時代は特定できない作品と思わせながらじつは作者は、最初のページに時代をしっかり忍び込ませていたのだ。
 リア教授の基調講演を聴きながら、ある疑問がふつふつとわいてきた。日本語訳のタイトルで「夷狄」と訳したのは、はたして適切だったのか。「夷狄」とは19世紀までの中国で、漢民族を中心とした中央勢力から見た外部民族への蔑称である。したがって「夷狄」と銘打たれた小説を読む者は、否応なく一九世紀以前の時代へと導かれ、物語の舞台として東アジアのある特定地域を思い浮かべる。つまり過去の物語を読んでいることになる。
 リアの指摘に沿って時代を考えるなら、それでいいのかという問いが浮かんでくる。クッツェー自身も「現代とパラレル」と発言している。古典の翻案ではなく、同時代を生きる作家の作品の翻訳である。Barbarians は不特定な「蛮族」と訳すべきだったのかもしれない。
 しかし邦訳の出た91年、あるいはノーベル賞受賞後に文庫化された03年、日本語読者は「夷狄」という聞き慣れない語に、耳をそばだて関心を持ったという事実もまた否定できない。すぐに東アジアと理解できる人たちにとっては聞き慣れた語だからだ。したがってこれはひどく悩ましい問題にならざるをえない。しかしノーベル文学賞受賞後は、3度の来日もあって、クッツェーの名前は一般にも知られるようになり、作品についても詳細に論じられるようになった。同時代をともに生きる作家の意図をあたうるかぎり伝えることが訳者、編者に求められる姿勢だとするなら、「夷狄」という訳語はこのままでいいのかといういう問いは残る。悩ましい。

 ちなみに、この作品はコロンビアの映画監督シーロ・ゲーラによって映画化され、2019年9月にヴェネチア映画祭で上映された。ロケ地はモロッコの砂漠、イタリア、チリで、執政官をマーク・ライアンス、ジョル大佐をジョニー・デップ、マンデル准尉をロバート・パティンソンが演じている。重要なのなシナリオをクッツェー自身が書いていることだ。日本公開も楽しみだが、ちょっと気がかりなのは日本語のタイトルだ。モロッコやチリを舞台にしてヨーロッパ系の俳優たちが演じる物語に「夷狄」は無理だろう。18年に出版された池澤夏樹訳『カヴァフィス全詩』(書肆山田刊)でも、この詩は「蛮族を待ちながら」と訳されている。映画はやっぱり「蛮族を待ちながら」がいいんじゃないかと思うのだが、どうだろう。

***
クッツェー自身がこの作品の冒頭部分を朗読している動画を最後に埋め込んでおく。

2019/09/09

台風15号の突風でローレルが倒れた

昨夜の風はすごかった。雨はたいしたことはなかったけれど、風が、とりわけ突風が、ものすごい勢いで吹きつける。ものが飛ぶ。ひっくりかえる音が騒がしい。

 夜半、空気に臭気がまじってきた。工場地帯の煙突からたちのぼる黄色い煙を思わせるような異臭だ。窓のすきまから室内に容赦なく侵入する。これがめっぽう苦しい。胸をかきむしりたくなるほど、痛がゆく、苦しい。「切羽のカナリア」の身は異変をいち早く察知して、窓とドアをきっちり閉めて、扇風機を弱風にしながら、空気清浄機のフィルターを新しくしてフルパワー運転にする。

 一夜あけて、陽の光が差し込む窓の外を見ると、なんと、愛するダフネが倒れている。昨夜の突風であおられたせいで、月桂樹が、斜めにおよそ45度の角度に身を傾けて、根っこを陽にさらしているのだ。あんなに背が伸びた樹木の根も、こんなに浅かったのかと驚く。


 秋に引っ越しをしたので、移植するなら春がいいという助言にしたがい、翌年の春を待って1メートルほどの若木を植えた。それがみごとに葉と枝を繁らせて、毎年4月中旬になるとかわいらしい小花を咲かせ、夏には直径1センチほどの硬くて丸い実をつけるようになっていたのだ。その木が、昨夜の嵐で倒れた。移植されてから15年と5カ月か、とまるで亡くした子の年齢を数える親のように、指を折る。
 
 寒波、熱波、山火事。グリーンランドの氷が溶けて、南アメリカのアマゾンでも大規模な山火事が起きて。熱波以外は、まだまだ遠くで起きていることのように思えたが、どうと倒れた樹木の根を目前にすると、なにやら迫ってくるものがある。

2019/09/06

動画:ソウルで講演するチママンダ・ンゴズィ・アディーチェ

8月末にソウルの梨花女子大学を訪れて講演をするチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの動画がアップされました。

 アディーチェは8月17日に上海のブックフェアで基調講演を行って、その足で韓国を訪れました。先日のメールにその簡単な感想が書かれていましたが、8月20日の梨花女子大で行なわれた講演のようすを見ても想像できるように、ソウルでは大歓迎を受けています。ホールは満席、ステージの裾にあがって膝をかかえながら見入っている人もいます。(たぶん学生!)



 アディーチェは、ジェンダーをめぐるさまざまな問題点を具体的に述べながら、性暴力についてはっきりと語っています。なぜそれが「暴力」としてきちんと扱われないか、それは女性が男性とおなじ人間として対等に認められていないからだと分析しています。この不平等をことばにすることが、無意識に内面化されている問題点をあらわにする第一歩だと。法律を変えることは大切だけれど、マインドセット、つまりものの見方や考え方を変えることはもっと重要なんじゃないかと。
 そして、男性には性衝動を抑制できいない動物的、野性的なものがあるとするなら、そんな野性的な存在に社会を統御する政治的権力をもたせるわけにはいかないと。けだし名言です。

上海で、2019.8.17
さらに、歴史的な視点も入れながら突っ込んだ話もしています。たとえば韓国ではかつて女の子は10歳で結婚させられたけれど、いまはそうじゃない、これは文化が変わったからだ。「文化」は民族が存在し維持されていくことに必要だけれど、それは人が作ってきたものだから変えられるし、実際に変わってきたのだと。
 ちいさいときから男の子、女の子をジェンダーの慣習の枠内におさまるように育てることが、無意識に、いまの男尊女卑「文化」を保持することにつながる。男の子は泣いちゃいけない、強くなくちゃいけない、と刷り込まれて育つと、やさしさを見せることは自分が弱いことを認めることになりはしないかという恐れになっていくと。この話には『イジェアウェレへ』で指摘されていることも重なるけれど、さらに発展させる視点も含まれていて、とても興味深い。

ソウルで、2019.8.20
また、成功する女性は完璧でなければいけないというプレッシャーもおかしいと。法律違反をした女性の政治家が「女だから」という理由で男の政治家なら受けないバッシングを受けた例をあげ、あたりまえだけど、女性には善良な人も悪意にみちた人もいて、それは男性とおなじだと。成功する女性が男性以上に完璧に「善」でなければいけない、という考え方はちがうだろうと。

 アディーチェからきたメールには、日本にもまた行けたらいいな、みたいなことばがならんでいました。機は熟しているようです。どこかが正式に招待して、大きなホールで講演をし、それがTVに流れるという展開になってほしいものです! チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの再来日が近いうちに実現しますように! 
 そんな祈りをこめて記録としてここに残すために、上海とソウルでの写真をtwitter から拝借します。悪しからず!
 

2019/08/27

今日も眼鏡をふいている──無事に終了

25日に下北沢のB&Bで、斎藤真理子さんとしゃべりにしゃべったイベント、「今日も眼鏡をふいている──翻訳・移民・フェミニズム」、無事に終わりました。

 きてくださった方々、本当にどうもありがとうございました。たくさんの方がメモをとりながら熱心に耳を傾けてくださっているのが分かりました。あとで質問がたくさんくるなと予想していたのに、私たちの話が(予想どおり!)あっちこっちに跳びまくり、いっこうに終わる気配がなく、会場からの質問時間がとても短くなってしまいました。ごめんなさい! 本当に残念です。

Cool!──H・バルメスさんより
真理子さんは「真理」の子で、わたしは「希望」の子だということに、あらためて気づきました。フェイク情報と無論理のことばが有毒ガスのように充満する世界で、時代遅れといわれようとなんだろうと、きっぱり気合の入った名前に力をこめたくなります。だから。またやります! 

 💐 真理と希望のエンドレス・トーク!😅


 当日は「翻訳」にからんで、案の定クッツェーをめぐる話が出ましたが、クッツェーの翻訳論について、ドイツ語版のWaiting for the Barbarians の改訳がどういういきさつで出ることになったか、今朝クッツェーの意見をコピペして twitter にアップしたら、なんと、ドイツ語版を出すフィッシャー社のハンス・バルメスさんがそれをリツイート、やりとりの最後にこんな写真 ↑ を送ってくれました。

 今年3月にオーストリアのハイデンライヒシュタインで開かれた文学祭「霧のなかの文学」でのジョン・クッツェーさん。黒いT-シャツの胸にひらがなで「こんにちは」と刺繍がしてある。これにはびっくり! ここに記録として残しておきます。「こんにちは」T-シャツを着たジョン・クッツェーさんです。Cool!──とは、この写真についていたバルメスさんのことば😆!

2019/08/23

渇いた土地:ナマクワランド

ひさしぶりの更新になりました。

 うんざりするほど長かった梅雨に、いきなり猛暑が襲ってきて、疲労困憊の東京住人としては、そろそろ秋の訪れと、乾いた風を感じたいところですが、いっこうにその気配はなく、しとしと降る雨のなかで、終わりゆく夏を惜しんで蝉たちが鳴いています。
 気温は少し下がりましたが、今日も湿度は高く、そんなとき世界のあちこちに散らばった友人、知人たちがアップする写真にどれほど慰められるか。すずしい山の写真をみてほっと息をつきます。湿気の多い空気のあいまをぬいながら渇いた土地のことを思います。そんな「異界の」写真を2枚アップ!

Dried up Springbok area, 2019
8月末、南部アフリカのナマクワランドは冬から解放されて春が訪れる季節。その写真を2枚。撮影者は8年前のケープタウン旅行でお世話になった Fukushima Koshin さん。

 いつもなら一面に花が咲き乱れるころなのに、1枚めの写真にはまったく花がなく、石ころまじりの地面は乾ききっているとのこと。
 2枚めの写真にようやくナマクワの花、ナマクワランド・デイジーが……。これもほんの数週間の出来事のようです。
 以前、ここでナマクワランドのことに触れたのは、ゾーイ・ウィカムの『デイヴィッドの物語』を訳していたころ、ずいぶん昔です。2011年11月のケープタウン旅行でも、ナマクワランドまでは行くことはできませんでした。ケープタウンからはちょっと遠い。

Skilpad Nature Reserve,  Kamiesberg, 2019
その後、クッツェーのデビュー作『ダスクランズ』を訳しているとき、この作品の第二部がナマクワランドを舞台としていたことを思い出して、ああ、行っておくべきだったと思っても、あとの祭り! 
 2枚めの写真のまんなか奥に立っているのが、掘抜き井戸の翼です。オランダの風車を思わせる作りで、アフリカーナと自らを呼ぶようになったオランダ系の農民たちが、乾いた土地に井戸を掘り、水を調達したんですね。
 Kamiesberg カミスベルグは、忘れられない地名です。『ダスクランズ』に出てきたこの地名は、ヤコブス・クッツェーが象狩りの旅に出てまもなく、逃亡したディコップを従者クラーヴェルといっしょに追い詰める場所だった。

 南アフリカは、もう一度行ってみたい土地です。

2019/08/11

読売新聞にアディーチェ『イジェアウェレへ 』が!

今朝の読売新聞の書評欄は、特集「読書委員が選ぶ夏休みの1冊」です。

そこに岸本佐知子さんがチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『イジェアウェレへ フェミニスト宣言、15の提案』(河出書房新社刊)を選んでくれました。やった!

──フェミニズムは別に難解でもおっかなくもない、要は人間として対等に扱われたい、自由な個でありたいという意思の表明なのだと気づかせてくれる。

とあって、これはもう、このささやかな本が読み手にいちばん伝えたいところかも。そこがぎゅっとつかみとってあって嬉しい、嬉しい。
「読みおわったあと、この手のひらサイズの美しい本を、きっと誰かにプレゼントしたくなるだろう」って、涙です。岸本さん、どうもありがとう!


2019/07/31

8月25日イベントの予約始まりました

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『イジェアウェレへ フェミニスト宣言、15の提案』と『なにかが首のまわりに』(河出書房新社)W刊行記念で、斎藤真理子さんととことん話します。申し込み受付が始まりました。


今日も眼鏡をふいている──翻訳・移民・フェミニズム


     くぼたのぞみ × 斎藤真理子


8月25日午後3時~  場所は:下北沢B&B

申し込みは こちらから



<イベント紹介>
パソコンに向かって、原文と日本語の訳文をにらみながら、ふっと翻訳作業の手を止めて眼鏡をふく。画面から目を離して、曇った眼鏡を丁寧に布でふいていると、そうだった! と気づく。クリアになった眼鏡をかけなおし、またパソコン画面を見ると上手くいかなかった理由がわかる。軽くうつむいて眼鏡をふく一瞬が、作品をつらぬくコンテキストを探る動作になっていたのだ。

アフリカ社会で妹が兄を鋭く見つめる「セル・ワン」、主人公が成長していく「イミテーション」「なにかが首のまわりに」、未経験の歴史の痛覚「ゴースト」、少子化社会で子育てするとは不安を手なづけることなのかと問いたくなる「先週の月曜日に」、マンスプレイニングとパターナリズムの典型の物語。ナイジェリアと米国へ移民する人々の暮らしが絡まる短篇集『なにかが首のまわりに』を読むと、そうか、女たちはどこでもずっと「フェミニズム」の中身を生きてきたのだと気がつく。

 アフリカ発/系の文学を訳してきたくぼたのぞみと、韓国フェミニズム文学の大ヒットを生んだ斎藤真理子さんの、話しはじめたら止まらない「ジャンピング・フェミ・トーク」です。びっくりするような話が飛び出すかも。

2019/07/16

8月25日午後3時:アディーチェ新刊発売イベント


825日(日曜)午後3時から、下北沢のB&Bで、対談します!

こんな8月の暑い時期に、、、とお思いの方もいらっしゃるでしょう。その暑さに負けずに熱く語りあうお相手が、今回もまた豪華。なんと、いまをときめく:

   斎藤真理子 さんです!

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『イジェアウェレへ フェミニスト宣言、15の提案』と『なにかが首のまわりに』(河出書房新社刊)の刊行記念。

イベント内容は、B&Bのサイトにはまだアップされていませんが、月末にはお知らせできるはずです。メールで軽い打ち合わせをしているだけで、すでにあれこれ盛りあがっていて、いやいや、なんかすごい話が飛び出しそう! お楽しみに!

 それにしても、なにこの気温! という涼しさです。8月には暑くなるかな、なるかな。

2019/07/15

朝日新聞にアディーチェ文庫『なにかが首のまわりに』が!

7月13日(土曜)の朝日新聞読書欄で、「辛島デイヴィッドが薦める文庫この新刊」で拙訳のアディーチェ文庫『なにかが首のまわりに』が紹介されました。! 辛島さん、Muchas gracias!

(1)『不時着する流星たち』小川洋子著、角川文庫
(2)『静かな雨』宮下奈都著、文春文庫
に続いて、
(3)『なにかが首のまわりに』チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ著、くぼたのぞみ訳、河出文庫
が紹介されています。写真もネットではカラーで出てきます。

 これで、アディーチェも文庫化されて、大学の授業でいつでも使える、と喜んでくださる声があちこちから聞こえてきます。文庫の威力、底力です。よかった! 

2019/07/06

カナディアンロッキーのすばらしい写真です

いつも英語のネイティブチェックをお願いしているカナダの友人、ブライアン・スモールショーさんは無類の山好き。今年もまたカナディアンロッキーに登ってすばらしい写真をアップしています。7月だというのにまだ凍りついた湖。雪をいただく山。夜半の豪雨のあと、突然雷かと思うような轟音が聞こえてきたのは、雨で氷河が地滑りを起こしている音だと。。。スケールがすごい。熱波が襲う地域もあるけど、この悠然たる山々のすばらしさ、現地へ行った人の写真で楽しめる幸運!
Many thanks, Brian!














2019/06/28

アディーチェ新刊2冊

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの新刊が2冊ならんでいます。『イジェアウェレへ:フェミニスト宣言、15の提案』と、文庫化された短篇集『なにかが首のまわりに』です。

きれいな黄色い背景の上にならんだ写真を版元の営業の方が撮ってくれたので、ここにもアップしておきます。

 右の写真は「アンカラ柄」の『イジェアウェレへ』。アンカラって、西アフリカで女性たちが着る服に使われる布のことで、「アメリカ大使館」にもでてきました。その柄をあしらってカバーにしたわけですね。アンカラというのは、ろうけつ染みたいな手法で作られる布のようです。


2019/06/13

みほんが届きました!──『イジェアウェレへ』


イジェアウェレへ──フェミニスト宣言、15の提案』のみほんが届きました! チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの新刊です。

 カバーは地中海の色を思わせるAzureアズュールを、とお願いしました。きっぱりとした美しい色です。
 生まれたばかりの女の赤ちゃんをどんなふうに育てるか、をめぐって友人イジェアウェレへ、チママンダが心をこめて書いた手紙です。

 自分が「女の子として」育てられた過程で体験したことを、女の子「だから」という理由だけで自分の娘に体験させたくない、それにはどうしたらいいのか、というチママンダの知恵と愛が詰まっています。

 イジェアウェレ──という名前がイボ語で「すんなりといく旅」とか「安全な旅」という意味なのもいいなあと。この本をプレゼントすれば「あなたの人生の旅が安全でありますように! Have a safe trip of your life!」という意味になりますから。そう、人生の荒波を渡るためのお守りにもなるんです!

 性差別への怒りを他へそらせる文化装置を「豊かに」発達させてきた日本語社会で、一人ひとりがジェンダーの束縛から自分を解放するための足場=テクスト=護符になることを願って訳しました。

 梅雨のあいまの、まるで祝祭のように晴れやかな朝に、屋外で撮ったら本に後光が射しているようです! 

付記:2019.6.17──ニューヨークの本屋さんで行われたトークについてはここに書きました。
 

2019/05/23

アフリカのことをどう書くか

48歳で逝ったビンヤヴァンガ・ワイナイナを追悼して、Granta に掲載された有名なエッセイを期間限定で載せることにします。(無断転載はご遠慮ください。)
Granta 92, 2005

 アフリカのことをどう書くか 
  ──How To Write About Africa──
            ビンニャヴァンガ・ワイナイナ
                  くぼたのぞみ訳

 タイトルにはかならず「アフリカ」「闇」「サファリ」といった語を使うこと。サブタイトルに入れる語としては「ザンジバル」「マサイ」「ズールー」「ザンベジ」「コンゴ」「ナイル」「大きな」「空」「シャドウ」「ドラム」「太陽」、それに「過ぎ去りし」なんてのもいい。それから「ゲリラ」「時間を超越した」「原始の」「部族的」というのも役に立つ。注意して、「People」ときたら黒人以外のアフリカ人のことで、「The People」ときたらアフリカ黒人の意味だからね。
 きみの本の表紙には、社会にうまく順応したアフリカ人の写真なんかぜったいに使わないこと。本のなかでも、そのアフリカ人がノーベル賞でも受賞しないかぎり、使ってはいけない。AK-47とか、突き出たあばら骨とか、裸の胸、そういうのを使うこと。アフリカ人を含めなければならないときは、マサイとか、ズールーとか、ドゴンの民族衣装を忘れずに着せること。
 テキスト内では、アフリカをひとつの国のようにあつかうこと。暑くて、埃っぽくて、丈の高い草のはえた波打つ大地と、動物の大群と、背が高く、飢えてガリガリの人たちのいる国だ。あるいは暑くて湿気があって、霊長類を食べるうんと背の低い人たちがいるとか。精確に描写しようなんて泥沼にはまることはない。アフリカは大きい。五十四の国があって、九億の人間はみんな飢えたり、死んだり、戦争したり、国外移住なんてことに忙しすぎて、きみの本を読むひまなんかないんだから。この大陸は砂漠や、ジャングルや、高地や、サヴァンナや、ほかにも、なんだかんだといろいろあるけど、きみの読者はそんなこといちいち気にしないから、きみの書くものはロマンチックで、刺激的で、不特定なものにしておくこと。

──中略── 

Granta 92 の目次
 登場人物のなかにかならず「飢えたアフリカ女」を登場させて、半裸で難民キャンプをうろつかせ、西欧諸国の善行を待ち望んでいるようにしなければいけない。彼女の子どもたちはまぶたに蠅がたかっていて、膨らんだ腹をしていて、母親は胸がしぼんで乳が出ない。彼女はすっかり無力感に打ちのめされているように見えなければいけない。彼女には過去もなく、それまで生きてきた歴史もない。そんなわき道へ入ると、ドラマチックな瞬間が台無しになるからね。嘆き悲しむのがいい。対話のなかでは自分のことはいっさい話題にさせないようにして、話すとしても、ひたすら(ことばにならない)苦しみに限定すること。それから忘れずに、心温かい、母親のような女性を入れること、磊落に笑ってきみが満足しているかどうか気づかってくれる女性だ。彼女のことはただ「ママ」と呼んでおくこと。彼女の子どもたちはみんな非行少年だ。これらの登場人物たちに、きみのヒーローのまわりをぶんぶん飛びまわらせて、ヒーローの見栄えをよくしなければいけない。きみのヒーローには、非行少年たちにものを教えたり水浴びをさせたり、食い物をあたえさせてもいい、彼は赤ん坊をたくさん運搬して「死」を見てしまったとかね。きみのヒーローは(ルポルタージュなら)きみだし、あるいは(フィクションなら)美しい、悲劇的な、国際的に名の知れたセレブ/貴族で、いまは動物保護に心を砕いているような人物にする。

──以下略──

解説
ブックレット
 このエッセイを書いたビンニャヴァンガ・ワイナイナ(Binyavanga Wainaina)は、二〇〇二年に「故郷を発見しながら Discovering Home」で第三回ケイン賞を受賞した作家だ(このときチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの短編「アメリカにいる、きみ」が次点だった)。その賞金でワイナイナはナイロビでクワニ・トラストを立ち上げ、雑誌「クワニ Kwani?」を刊行して若手作家を育てた。「クワニ?」とはスワヒリ語のスラングで「だから?」という意味。文学作品のみならず写真なども多用して若々しい文芸+αを発信した。

 今回紹介する皮肉たっぷりの超辛口エッセイは二〇〇五年に雑誌「Granta 92」にまず掲載され、その後クワニ・トラストによってブックレットとして出版されたものである。額面通り受け取る人がいると困る。ワイナイナの意図はまったく逆で、これは反語的なエッセイなので要注意。アフリカをひとまとめ的視点から「ルポルタージュ」として描く欧米のマスコミへの長年の憤怒が彼にこれを書かせたらしい。つまり、ワイナイナもまたアディーチェ同様、ステロタイプのアフリカのイメージを長いあいだヨーロッパ人など外部世界が押しつけてくることに憤懣やるかたない思いを抱き、それをはっきり口にするようになった作家の一人なのだ。
 面白いのはこのエッセイがネット版「グランタ」のなかでアクセス数がだんとつに多いことで、確かにコメント数が半端ではない。これ以後、誰かが(例外なく白人だとか)アフリカについて書こうとするとき彼の同意や意見を求めるようになったと、またしても辛口ユーモアたっぷりに彼が書いているのは苦笑を誘う。
 だが、最近の論評を見ていると、この一方的なものの見方は、若い書き手によって乗り越えられつつあるようだ。たとえば先ごろ来日したばかりの、サラエボから米国に渡り、そのまま英語で書くようになった作家アレクサンダル・ヘモンがリシャルト・カプシチンスキの『黒檀』を「心得違いの旅」(ヴィレッジ・ヴォイス)と評したり、ケープタウン大学のヘッドリー・トワイドルがポール・セローの新作書評で「ポール、いったいそこでなにをしてるの?」(ニュー・ステイツマン)と突っ込みを入れたりしている。
 アフリカをアフリカ人が内部から書く作品もふえ、外部から書くにしても書き方が変わってきた。これにはナディン・ゴーディマ、ウォレ・ショインカ、J・M・クッツェーといったノーベル賞受賞作家らがパトロンになって開始されたケイン賞の果たした役割は大きい。

ワイナイナのメモワール
 どうやら、西欧人受けするリリカルな文章で「アフリカの心」とか「真のアフリカ」といった「アフリカひとまとめ的視点」から書いたルポルタージュを読むだけで「アフリカを理解」する時代は終ったようだ。
 ワイナイナはその後、二〇一一年にメモワール『いつか僕はこの場所について書く One Day I Will Write About This Place』を発表。独特なビートのきいた文体で、少年期、青年期の思い出を鮮やかに描き出して、大先輩の作家グギ・ワ・ジオンゴから「彼はことばのシンガーであり画家だ」と絶賛された。また彼は、じつはこの作品から削除した章があるのだといって、この一月、四十三歳の誕生日にみずからゲイであることを公表した。ナイジェリアやウガンダで反同性愛法が成立したことに対する勇気ある行動は、世界中のメディアの注目を集めた。ケニアから発信される彼の鋭い批判精神はこれからのアフリカ文学を牽引する大きな力になっていくだろう。

            『How To Write About Africa』(Kwani Trust, 2008)より
             訳および解説は「神奈川大学評論 77号」(2014春号)に掲載