ラベル 好きな音楽 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 好きな音楽 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024/06/13

フランソワーズ・アルディの訃報、開花数が増える朝顔、そしてクチナシ

昨日は、爽やかな風が吹いた。そして、フランソワーズ・アルディ(1944~2024)の訃報が流れた。それからずっと「Ma Jeunesse Fout le Camp・もう森へなんか行かない──私の青春が逃げていく」を聴いていた。R.I.P.🥀 
 この曲をめぐる記憶については、こことここに書いた。もうずいぶん昔だけれど。


2024.6.12
 あけて今日は曇り空。でも、朝顔はしっかり咲いている。陽の光が強い日はあっけなく萎む花も、薄曇りの日は長いあいだ咲いているのだ。

 数日前は、朝起きて見ると、2輪、3輪だった開花数が、昨日からぐんと増えた。昨日は7つ、今朝は8つも咲いていた。あれ、葉っぱの陰に隠れているのを数えると、もっと多そうだな。(ちゃんと数えると10の花が咲いていた。)

2024.6.13
 比較的早く種を蒔いた植木鉢から先に咲き始めたのだけれど、大きめのプランターも負けていない。絡まる蔓を競って伸ばして、ぐんぐん上の方へ葉群れが広がっていく。午後の強い風に吹かれて、蔓の先は心もとなげにあっちこっち揺れながらも、朝になると、さらに長く伸びている。朝顔は強いなあ。

 そこへ新顔がやってきた。ミニチュアの西洋クチナシだ。ビリー・ホリデイがステージに立つとき、いつも耳のところに差していたというクチナシ。いい香りがする。この季節の華だ。


西洋クチナシ

 ミニチュアだから、葉っぱも花も小ぶり。バス停までの道すがら、いつも前を通る茂みでたくさん花を咲かせるクチナシは、丈もぐんと大きく、花も大ぶり。花が咲き始めると、香りがあたり一面にただよって、遠くからでもすぐにわかる。一瞬、しあわせな気分になる。雨の季節の風物詩。



2023/08/09

渋谷で映画「サントメール ある被告」を観てきたのだ

 朝から雷が鳴って、ざざーっと雨が降り、いきなり青空に白い雲が浮かんだかと思うと、また一天にわかにかき曇り……というのがくり返される1日だった。

 でも行ってきたのだ。金輪際いくもんかと思っていた「渋谷」へ。宮下坂側のBunkamuraシネマで観てきたのだ。噂の映画「サントメール」を! とてもよくできた映画だった。映画館で映画を観るのは、7年ぶりだ。

 まず大学の講義で始まる。マルグリット・デュラスがカメラに収めた白黒の映像が流れる。髪を切られて丸坊主にされる女性たち。対独協力者のフランス女性たち。

 講義をするラマは、売り出し中の若い作家だ。彼女が北部の町サントメールヘ赴くのは、そこで開かれる裁判を傍聴するためで、被告は15ヶ月の赤ん坊を満潮の浜辺に置き去りにした(自分では育てられない赤ん坊を海に返してやった?)女子学生ロランス。セネガルからやってきて、完璧なフランス語を話すロランスは、幼いころから現地語であるウォロフ語を話すことを禁じられて育った優等生だ。親の期待が重たかったと語るロランス、父は法律を学ぶなら学費を出すと言ってくれたが、彼女は哲学を学ぼうとする。すると学費を打ち切られ、身を寄せていた叔母との関係もうまくいかなくなって、ある男性と暮らし始める。やがて妊娠、ひとりで出産することになり、そして赤ん坊を……ラマはこの裁判を元に新作を書く予定なのだ。

 実際に起きた事件の裁判記録を用いてシナリオが書かれ、この映画が制作されたという。監督はセネガル出身のアリス・ディオップ。

 裁判の過程で、何が起きたかが少しずつ明らかになっていくのだけれど、このやりとりが絶妙。俳優の選び方もいい。裁判官も、被告の弁護士もキレキレの、しかし、人間的な心を失わない女性として描かれている。黒人女性のラマとロランス、白人女性の裁判官と弁護士、彼女たちの表情の変化と無変化で、観るものの想像力が否応なく掻き立てられる。

 何度か傍聴に通ううちに、ラマはロランスの母親と知り合う。直感力の鋭いその母親に、ラマは妊娠していることを見抜かれる。自分の母親と感情的にすれ違う記憶が何度もラマの脳裏をよぎる。

 事件の背景に埋もれる事実を掘り起こすための「なぜ?」が全編にあふれているが、決して「説明」的にならない。むしろそう簡単に文化の差異や歴史の暴力が、人間と人間の関係(ここでは母と娘)におよぼすものを言語化できるわけがないのだ。なぜ? と観客も自問し、考えながら、積極的にコミットすることをこの映画は要求してくる。裁判の結果も出さない。最終弁論と裁判官のコメントだけで終わる。それでいて、観るものにはある納得が準備されていもいて、制作者が安易な結論を観客へ押し付けない演出がなされている。そこがこの映画の最良のポイントだと言えるだろう。

 ヨーロッパ言語では「説明不可能」なものを、ヨーロッパ言語を使いながら、そこに浮かび上がらせる手法。

 シナリオを書いたのが、かの、マリー・ンディアイだと知って、膝を打つ。

 最後の方で、いきなりニーナ・シモンの「Little Girl Blue」が流れ、おそらくダカールと思われる街並みが映し出される。ここで感情がグッと柔らかくほぐされ、ほろりとしそうになるのだけれど。ああ、そうだよな、最後はやっぱり母と娘の関係の、繋がりの、、、ちょっとだけほの明るい場面が挿入されて終わる。それでこれは記憶のハッピー・メンテナンスなんだな、と納得するのだ。

 途中、ホテルでラマがPCで観る映画のなかに、息子を溺愛する母親の映像が挿入されていて(どうやらモロッコかアルジェリアが舞台の映画)、その息子が弦楽器を奏でる夢想シーンがある。そこに流れるのが、三味線を弾きながら女性が歌う端唄か小唄のようなんだが、そこがなんとも「エキゾチック趣味で」おかしかった。

(追記:PCの映画はパゾリーニの『王女メディア』1969 だそうです! 学生のころ観たけどな、全然覚えてなかったよ、マリア・カラス!😅)


******
2023.8.12──付記。上の感想は作品構成とか背景とか描かれ方とかを中心に書いたのですが、この映画は2組の移民の「母と娘」を炙り出す映画でもあるんですね。

また、57歳の白人男性が、自分の娘の結婚式のときロランスを赤ん坊ともどもホテルに追いやっておいて、家族には絶対に紹介しなかったことが描かれているが、彼が身分の不安定な若いセネガル人留学生を「人間として壊れるほど軽く扱った」ある種の記録映画のようでもある←ここ、次に細かく書いてみたい。

2023/06/18

コンサート:2人のフランツ、青柳いづみこ & 高橋悠治 トークコンサート

 備忘のために昨日のコンサートのことを書いておこう。

 昨日はひさびさに都心まで出かけた。日比谷の「ベヒシュタイン・セントラム 東京 ザール」で開かれた、青柳いづみこ & 高橋悠治というビッグなピアニスト2人のコンサート。コロナもあけて、フランソワ・クープランとフランツ・シューベルトと聞けば出かけずにはいられません!

 帰りの電車が、事故の影響で動いているのは各駅停車のみで、ちょっと時間がかかったけれど、6月の晴れ渡った空を見ながらゆっくり帰宅。最寄り駅にたどりついてもまだ西の空は茜色。

 生で聴くピアノタッチの美しさが、胸に染み入るサイコーの一日だったナ。


2023/05/21

カバーがアップされた──J・M・クッツェー最新作『ポーランドの人』:翻訳作業備忘録(3)


英語版より一足お先に日本語でお届けするJ・M・クッツェーの最新作『ポーランドの人』(白水社)のカバー写真が、版元サイトにアップされた。使われているのは、ナビ派の画家エドゥアール・ヴュイヤール(Édouard Vuillard)の「緑の室内」。

 じつはこの本の裏表紙には、ある楽譜が透けて見えるのだ。ショパン自身の手書きの楽譜である。なんの曲かって? ショパンがジョルジュ・サンドと逃避行したマヨルカ島で作曲したことがヒント。『ポーランドの人』は、その時代の精神が基本になっている、とクッツェー自身も語っているのだ。

 ダンテの『新生』や『神曲』が下敷きになっていることはすでに書いた。(『神曲』の原題が La Divina Commedia、「コメディ」だというのは重要なポイント。)

 この作家特有のシンプルで端正な文体で、サラリと書かれた短めの作品とはいえ、中身はまことに濃密だ。古典的な恋愛に強烈な光があたる。骨まで透けるような光だ。近づいて見れば悲劇的、でも遠くから見ればニヤリとなる辛口コメディに仕上がっている。もちろん読む人のジェンダー、年齢、恋愛観、経験などによって、その感じ方、考え方は大きく異なるだろう。

 ジョン・クッツェーは1940年ケープタウン生まれ、この時代にアフリカ南端の地でヨーロッパ系入植者の家計に生まれて育つことでどんな恋愛観を育むことになったか、それは『青年時代』に細かく描かれている。1960年代初頭にロンドンへ渡った若者が、時代の先端を行く態度を身につけようと必死になる地方出身者の姿だ。芸術至上主義、恋愛至上主義っぽいモダニストをめざす青年ジョン。

 この『ポーランドの人』には、そんな、クッツェーが生きてきた時代の恋愛観が総集編的に描かれているようだ。作家個人の姿はほとんど見えない。いくつかの会話やエピソードの下敷きになっているのが朧げにわかる程度。なにしろ80歳前後で人生を振り返るようにして書いた恋愛小説なのだから、そりゃあ骨っぽくもなるだろう。これはひょっとして「R〇〇指定」の作品かな、と思ったりもする。「〇〇」にどんな数字が入るかは、読者によって大きく異なるところだろうか。その理由は……読めば、たぶん、わかる、かな、きっと、わかる。

 とはいえ、72歳のポーランド人ショパン弾きヴィトルトの姿には、ここまで書くかというほど「リアルな」細部がちりばめられていて、「読者の想像力」を挑発してくる。なぜ挑発かというと、72歳のピアニストの心理を解剖するのが、49歳の保守的なアッパーミドルクラスの女性という設定だからだ。その内面を書いているのは80代の男性作家……。このよじれ(笑)。

 というわけで、クッツェーという作家が描いてきた「女性像」の変遷を振り返ってみずにはいられない。時代や舞台の設定はそれぞれ異なるとはいえ、第二作目『In the Heart of the Country/その国の奥で』のマグダ、五作目『フォー』のスーザン・バートン、それに続く『鉄の時代』のミセス・カレン、そして一連の作品に出てくるエリザベス・コステロ。

 しかしなんといっても『ポーランドの人』のベアトリスにその片鱗が見える人物たちは、『サマータイム』のジュリア、アドリアーナ、ソフィーだろうか。女性が語りの前面に出てくるクッツェー作品は多い。時代とともに、登場人物の設定によってなにが変わってきたか、変わらないものはなにか。しかし大きなヒントは『モラルの話』に含まれたある短篇にあったのだけれど。それについては「訳者あとがき」に書いたのでぜひ!

 この作品をガルシア=マルケスの晩年の作品と比べてみるのも面白いかも。ここまで違うかと。

 80歳を過ぎてなおマイペースのクッツェーは快調というしかない!


2023/02/28

雪のなかの早春譜──2月も今日で終わり

西日本新聞にエッセイが載りました。2023年2月26日(日曜日)

******

⛄️ 雪のなかの早春譜 ⛄️

生まれ育った北国から東京に移り住んで半世紀あまりが過ぎた。一月は一年でいちばん寒い季節で、寒さの底へ降りていく感じがスリリングだ。でも東京は陽の光も多い。気温の変化が安定しているためか仕事が進む。


 二月はそうはいかない。曇り空に風が吹く。紅梅白梅の香りにふっと気持ちが緩んでも、風は強い。そして冷たい。冷たい風に吹かれると、つい口からこぼれる歌がある──「早春譜」だ。 

©︎ Brian Smallshaw

 春は名のみの風の寒さや

 谷のうぐいす歌は思えど

 時にあらずと声も立てず


 初めて耳にしたのはいつだったのだろう。目を閉じると、台所仕事をしながら歌うメゾソプラノの母の声が微かに聞こえる。「早春譜」「庭の千草」「スコットランドの釣鐘草」、朗々と歌う声が雪に埋もれた家のなかに響いていた。


 テレビさえまだない時代、家のなかで耳にした音楽といえば、母の歌と、ラジオから流れる音楽と、父が我流で弾いたバイオリンくらいだったかもしれない。やがて兄といっしょにバイオリンを習いはじめ、バスや汽車を乗り継ぎ遠くまで通った。


 田舎では家と家のあいだがずいぶん離れていたので、大声で歌も歌えたし、バイオリンの練習も遠慮なくできた。そう気づいたのは十八歳で東京に住みはじめてからだ。

 東京という街は家と家の間隔がなんて近いんだろうと最初は緊張した。建物群のあいだを走る狭い通路を「路地」と呼ぶことを知った。それはとても濃密な空間で、凍える手をポケットに突っ込んで足繁く通ったジャズ喫茶も、たいてい路地の一角にあった。


 でも「早春譜」とともに真っ先に目に浮かんでくる光景は、深く積もった雪原なのだ。

 北海道の雪は日本海側の雪にくらべて乾いていると言われる。たしかに、粉雪がひたすら降り積もった。晴れた日は、雪原にスカーンと空が青く、遠く広がる。積雪量の多い地域に住んでいたため、雪かきが大変だった。吹雪くと一階の窓は外が見えなくなる。二月はまだ正真正銘の真冬だった。温暖化で雪の量が減ってきたとはいえ、先日も知人から、雪下ろしをしていて脚立から落ちたという話を聞いたばかり。


 そういえば小学生のころ、春が近づくと学校で告げられる「注意事項」があった──軒下を歩かないこと。太い氷柱が垂れ下がる屋根の庇から、積もり積もった雪が春近い日差しに溶けて、ザザザザーッ、ズシン! と地響きを立てて落ちる。子供はあっけなく下敷きになる。大人だって生き埋めになりかねない。



 北国では雪が半年近く「そこにある」。そんな雪の記憶はだんだん遠くなっていくけれど、冬はいまも雪の恋しい季節だ。空から舞い落ちる雪片の美しさは比類ない。ミトンの手にふわりと受けた雪のひとひらが、そのまま結晶を形づくる不思議に、溶けるのを惜しんで見入った。


 東京にも以前はよく雪が降った。立春のころとか、三月に牡丹雪とか。今年はまだ降らない。降るかな、降るかな、と曇り空を今日も見あげる──と書いた翌日、東京に雪が降った。

 そしてあっけなく溶けた。


******


2022/05/27

花はどこへ行った? 5月30日午後9時(日本時間)に全世界で歌おう!

昨夜、詩人・作家の池澤夏樹さんから呼びかけるメールがきました。

1955年に米国のピート・シーガーが作った曲「Where have all the flowers gone? 花はどこへ行った?」を全世界で歌おうという内容でした。ヴェトナム反戦歌として非常に有名なこの曲は、シーガーがその直前に読んだというショーロホフの『静かなドン』のなかに出てくるコサックの民謡「Koloda-Duda」から採られているそうです。メロディーはアイルランドの労働歌が用いられているとか(Wikipedia による)。ロシアとウクライナの文化がミックスされた歌が本歌、だから、それを全世界で一斉に歌おうということです。

 英語はジョーン・バエズ、フランス語はジュリエット・グレゴ、ドイツ語はマレーネ・ディートリッヒが、それぞれ歌っている動画がYOUTUBEに出てきます。

 びっくりしたのはロシア語のバージョンです。沼野恭子さんによると、「歌っているのはジャンナ・ビチェフスカヤЖанна Бичевская(1944年生まれ)というシンガーソングライターで、1970年代にとても人気がありました」とのこと。

 歌い上げずに、淡々と歌うところが、とてもとても心打たれます。日本語の字幕もついています。ぜひ聞いてください。そして、何語でもかまわないから、5月30日午後9時にみんなでこの歌を歌おう。

英語バージョンの最後、「When will they ever learn? いつになったら彼らは学ぶんだ?」というルフランが、痛みを持って迫ってくる。

2021/04/28

1964年はブリティッシュ・ポップスばかり聴いていた。

 先日、駅前のスーパーで買い物をしていたときだ。不意に耳に飛び込んできた。「ショート、ショート、……」なんだったっけ、この曲? 日本語で歌われてるみたいだけど、これ、原曲は英語だったな。60年代なのは間違いない。でも、思い出せない。気になってしかたがない。

 気になると、はっきりするまで徹底的に調べるのが癖なのだ。でも「ショート、ショート、……」だけでは手がかり不足で、数日がすぎた。

 少女期からのメモワール原稿をしあげていると1964年ころのことが出てきた。中学2、3年だった。北海道の田舎町で、古いラジオのダイヤルを東京の局に必死で合わせながら「ハローポップス」なんかを聴いていた。その年のヒット曲チャートをにぎわした曲を、記憶を頼りに手あたりしだいにGoogle やYouTube で調べた。圧倒的に1964年のものが多かった。

 出てきた!「恋はスバヤクShort on Love」ガス・バッカスGus Backus。これだ!発売は1963年だけど、あのころ洋楽が日本に入ってくるには時差があって、1年遅れなんてのはザラだった。でもスーパーで耳にしたのは日本語で歌っていた(ような気がした)のだけれど、誰? 

 まあいいか、とそこまでは深追いせずに、あのころのブリティッシュ・ポップスを調べているうちに出てくる、出てくる、当時はラジオと限られた写真しかなかったから、情報を次から次へ渡りあるいているうちにたっぷり夜は更けていった。

 ダントツ大好きビートルズは言わずもがな、デイヴ・クラーク・ファイブ、ゾンビーズ、ピーターとゴードン、サーチャーズ、ほとんどがブリティッシュのポップスだ。まあ、ロックといってもいい、4人組、5人組の男の子グループ。「グループ・サウンズ」の走りだ。

 ガス・バッカスはアメリカンだけどドイツで活躍した。アメリカンのヒットソングを次々とYouTube を見てると、ブリティッシュとは体の動きが決定的に違うのがわかる。面白い。なんか変にくだけてるのだ。ビートルズが流行らせた(とわたしは勝手に思っているのだけれど)襟なしスーツの、一応カチッとしてるブリティッシュとは決定的に違う。

 先日これもまたひょんなことからサーチャーズの「Love Portion No.9」という曲の歌詞を調べた。シングル盤やEP盤を買ったビートルズの曲は曲がりなりにも歌詞がついていたけど、耳から入るばかりの曲は、意味はほとんどわからない。日本語が「恋の特効薬」だったかな。

 英語の意味がサイコーにおかしいのだ。媚薬をゴクリと飲んだら目に入るものに手あたり次第にキスをすることになって、お巡りさんまで……という。。。そんなこと全然知らずに聞いていた中2、中3の少女だったなあ。笑うしかない。

2020/12/31

2020年はマヘリア・ジャクソンのDown by the Riverside で終わる

 今年2020年は、2018年の『塩を食う女たち』に続いて、藤本和子の2冊目の聞き書き集『ブルースだってただの唄』が復刊された年として記憶されることになるだろう。アメリカで始まった #BlackLivesMatter 運動が世界中に広まった年としても、しっかり記憶したい。

 アフリカン・アメリカン文化にとって River という語はさまざまな意味を持つキーワードだったのではないか。歌詞の語彙は少ないながら、歌うことでリズムや声の表情によって、複層的な意味合いをこめる、それが彼女・彼らの文化の真髄だったのではないか。表層のことばの意味の背後を想像すること。歌を聞き、その声を聞き、そこにこめられた感情の、思いの、複合的な意味を想像できる「耳」を持ちたいと思う。


 ニーナ・シモン、アレサ・フランクリンなど60年代から70年代にかけて音楽シーンで活躍したアメリカの黒人女性たちは、いってみれば、トニ・モリスンやアリス・ウォーカーの姉妹だった。

 藤本和子は、ややもすれば文学とか美術とか音楽とか、細かくジャンル分けしがちな商業的視野に、彼女たちはひとつの独自の文化から出てきた姉妹だったと述べることで「アフリカン・アメリカン文化」の最重要な性質を伝えてくれた。その文化の力で生き延びてきたものたちの存在を可視化させたのだ。

 このブログでも何度かシェアしてきたけれど、今年はそんなシスターたちの「大地」のようなゴスペルを歌い続けたマヘリア・ジャクソン(Mahalia Jackson 1911-72)のDown by the Riversideを聴きながら終わろうと思う。

みなさま、どうぞ良いお年をお迎えください。

2020/03/29

解説──ガエル・ファイユ『ちいさな国で』

朝、目が覚めると外は雪。大ぶりの牡丹雪が降っていて、すでに樹木はこんもりと白い帽子をかぶっていた。3月の末、東京はよくこんなぼた雪が降るんだった。満開の桜たちはどうしてるだろうなあ。さて。

 文庫化された本に解説を書きました。epi文庫『ちいさな国で』、早川書房から4月2日(木)の発売です。単行本として出た年に、日経新聞に書評を書き、「はじめての海外文学」でもおすすめの1冊にあげた作品でした。

   ── ガエル・ファイユのふたつの世界 ──

     自伝はすべてストーリーテリングであり、
       書くということはすべて自伝である。
            ──J・M・クッツェー

 この本は、ブルンジ出身のフランス語で書く作家でありラッパーであるガエル・ファイユの小説で、訳者は加藤かおりさん。とにかく書き方がうまいし、そこに出てくる事実に圧倒されます。おもしろくてぐいぐい、訳も読みやすく、最後は心に染みて、しばし沈黙──という感じです。

 ブルンジという小国で、フランス白人の父、ルワンダ難民のアフリカ人の母のあいだに生まれたガブリエルは、内戦が激しくなったブルンジからフランスへ向かう飛行機に、妹といっしょに乗せられていきなり「旅立つ」ことを強いられる。その体験の向こうに、その奥になにがあったのか。

 通称ギャビーが少年期の多感な日々を思い出しながら、あるいは創作しながら、みずみずしいタッチでつづったオートフィクション。背景にあるのはヨーロッパがアフリカを植民地化した歴史と、ルワンダ虐殺です。

 ガエル・ファイユはラッパーとしても活躍していて、むしろこっちが本業なんじゃないかと思うのですが、その魅力はYOUTUBEでも味わうことができます。ぜひ! この本と同名の「Petit Pays」の動画です。


 

(記録のために始めたブログ、最近はちょっと間があくことが多くて反省。。。こまめに書いておくと、不確かな記憶を探るため、あとで検索かければいろいろ確認できる。そう、わたしにとっては、それが本来のブログの役目だった。)



2020/03/23

MALIA ふたたび、Covid-19とのつきあい

春だというのに部屋からあまり外に出ない暮らしがつづく。

©2014 Malia
ゲラ読み、書評書きも一段落して、ここ数日は少しゆったりした。そうだ、2月初めにとどいていたのに、まだ封も切らずにおいてあったCDが2枚。このところイアン・ボストリッジばかり聴いていたので、それとはまったく異なるジャンルで、異なるタイプの音楽を、と思ってかける。

 MALIA の CONVERGENCE

 このCDアルバムは最後のTurner's Ship がすごくいい。どこかアフリカンなリズムやメロディー。そうそう、Malia のお母さんはマラウィの出身で、10歳ころまでMalia も家族とマラウィに暮らしていたんだった。

 今月に入ってまだここに2回しか書いてなかった。そう気がついて唖然。2月、3月はぎっしりと仕事が詰まっていたことにあらためて気づく。おまけにコロナ、コロナ、である。Covid-19とのつきあいは、これからだ。先は長い。だって、治療法が見つかるまでは、とにかく緊張はつづくんだから。生活もつづくんだから。

 長いコロナウィルスとの共生まで 、今朝、NさんがまとめていたTV番組の内容を私なりに理解すると

(1)手指消毒──こまめに、丁寧に手指を洗う
(2)マスク──飛沫感染を避けるため、できるだけする
(3)ドアノブなど多数の人が触れるモノは消毒

次の3条件が重なる「場」を避けること

(1)密閉空間で換気が悪い
(2)手の届く範囲に多くの人がいる
(3)近距離での会話や発声がある。

 最初の(2)マスクについては、誰もが検査を受けられるわけではない日本では、自分が感染してるかもと思う人は、咳など症状がなくても、マスクしたほうがいいわけで、これは自分の予防のためではなく、他者を感染させないために必要だと思う。 マスク不足をとにかく解消すべき。まずは医療、介護関係者に重点的に支給すべき。買い占めは絶対にだめ。

 3条件が重なる「場」を避ける、といっても会社勤めをしている人にはほとんど無理な条件だから、ある程度おさまるまで、絶対量、絶対回数を減らすしかない。在宅勤務を積極的に取り入れるとか、交代制にするとか、ざっくりいっても、従来の考え方を変換する必要がありそう。
 もちろん、自粛自粛の結果として収入が激減して生活が成り立たなくなる人たちへの支援は絶対に必要。これは政治の仕事だ。

 なんか足りないところあるかな? とにかく長期にわたるから、これ。たぶん長期戦。Covid-19に対する治療法が出てくるまで。


2020/03/12

ロマン派について考えて、好き放題書いてみることにした(2)

2月に入ってから集中してきたJMクッツェー『鉄の時代』(河出文庫)のゲラ読み作業が一段落(発売は5月7日です)。さて、まわりは? と見わたすと。こもって仕事をする生活にコロナウィルスはほとんど影響しないことがわかった。人混みは、ふだんから極力避けているし。この2ヶ月のあいだ、ペースはほとんど変わらない。

 残念なのは友人との会食の回数がちょっと減ったこと。レストランやカフェなどは軒並み、がらん、街の店先も人影まばら。でも通勤する人たちにはあまり変化はないみたい、あの車内空間はまちがいなく最大の感染温床じゃないかな、と思う……。大変だよなあ。在宅勤務とやらの推奨もかなりあるらしいけど。子供は学ぶ機会を奪われて←これはひどいよ!対応策がなさすぎ!

 わたしのような「ひきこもり仕事」は自分で「区切る」ことがとても大事なので、ひとくぎり! 窓の外は春うらら。

 そこで余白に、「ロマン派アナトミー」の作業をすこしずつ進めよう。というわけで先週とどいたシューベルトの小曲がたっぷり入っているイアン・ボストリッジのアルバムを毎日聴いている。
「鱒」からはじまって「魔王」で終わる25曲。ピアノはジュリウス・ドレイク。1998年録音だから、1964年生まれのボストリッジは33歳か、若い!青い! 31歳で死んでしまったシューベルトには最適! とにかく、年老いて成熟する前に死んでしまった人なのだ、シューベルトは。こんなに「青春」と深く絡めて「ロマン派」を語るにふさわしい作曲家もいないんじゃないか、と勝手に思うことにした。

 じつは、このアナトミーはわたし自身の少女期の経験を分析してみようという作業でもある。1950年代後半から1960年代半ばというのは、ロマン派文学の翻訳が全盛を迎えた時代だったんじゃないだろうか?

 先日も少し年下の男性と話をしたんだけど、「ぼくたちが若かったころって新潮文庫をつぎつぎと読んだよね。「海外文学」と銘打たれた末尾カタログに載っているタイトルと著者名を、たとえ読まなくても、暗記するほどじっとながめてたよね」と彼はいう。
 それで身近に残っている60年代新潮文庫の後ろをながめてみた。最初に出てくるのがたいてい「フランス文学」、ずらりと「名作」がならぶ。それからイギリス文学、ドイツ文学、アメリカ文学、ロシア文学、その他の文学とくるのだ。この「その他」がねえ、摩訶不思議なジャンルだった。中学生のころ毎月楽しみにしていた「赤毛のアン」シリーズは、この「その他」、だってカナダだもん。

 ゲーテ『ウェルテルの悩み』、ヘッセ『車輪の下』、モーム『月と六ペンス』を全集で読んでから、この新潮文庫のリストをかたっぱしから読破、まずドーデ『風車小屋便り』から、という感じだった。

 肥大化した「フランス」「イギリス」「ドイツ」、いまなら考えられないほど末席におかれた「アメリカ文学」。イタリア、スペインなんか影も形もなかった。このようにして、60年代の読書人(!?)の頭のなかに世界地図が形成されていった。もちろんアフリカに文学があるなんて、ゆめゆめ考えもしない。なにしろ「暗黒大陸」だったんだから!!「本格派」はいつだって「西ヨーロッパ」の主要国から、だったのだ。とくにフランスとイギリス、ドイツ。

 戦後、手のひらを返したような「アメリカ化」が無批判に迎え入れられて、ハリウッド映画が怒涛のように流れ込んできた時代。テレビでもアメリカのホームドラマと西部劇が全盛で、「翻案」された和製ポップス(たいていアメリカから、ちょっとだけイタリアから、ほんのすこしだけシャンソン)が白黒テレビで流れた時代。
 そこへフランスからヌーベルバーグの新しい波がやってきた。映画青年たちはこぞって映画館に入り浸った。イギリスからはビートルズやローリングストーンズのロックミュージックが入ってきた。そんな時代。あのころの若者はどんな心情を育てながら生きていたのか?(つづく
 

2020/02/25

ロマン派について考えて、好き放題書いてみることにした(1)

piano:Leif Ove Andsnes, 2004
2月はずっと、イアン・ボストリッジIan Bostridge の歌うシューベルトの「冬の旅/Winterreise」を聴いていた。ボストリッジは1964年12月25日生まれのイギリス人で、歌手になったのはすいぶんあとになってからだという。まずYOUTUBEに出てくる映像と歌が合体したのをたっぷり聴いたあと、CDを買った。2004年録音だからボストリッジ39歳のときの録音ということかな。
 しかしこの人、名だたる新聞などに評を書くインテリでもあり、こんな本を書いている。

 Schubert's  Winter Journey: Anatomy of an Obsession
 『シューベルトの冬の旅:オブセッションの解剖』

日本語訳はタイトルが『シューベルトの「冬の旅」』と、なぜか副題の「オブセッションの解剖」がない。残念だ。というのは、この副題にこそ深い意味があるからだ。ボストリッジがヴィルヘルム・ミュラーの詩を分析する鋭くも現代的な視点というか、それこそがこの本の真価ではないか。つまり、それぞれの詩行をドイツ語から英語へと翻訳し、スパッと解剖するように分析しながら「ロマン派のオブセッション」に光をあてていく、そこがこの本の読みどころなのだと思う。めっちゃスリリングではないか!
 
 なぜこの本に出会ったかというと、J・M・クッツェーの『サマータイム』が引用されているとfb友達が書いていたのを知ったからだ。
 えっ!シューベルトって、あの「ジュリア」の章に出てくるシューベルトの弦楽五重奏曲のアダージョにあわせて、ジョンがジュリアとセックスしようとする箇所?と思って聞いてみると、その通り。その方がくだんの箇所を教えてくれて、読んだ。ナポレオン・ボナパルト亡きあとのオーストリアで、、、という笑えて泣かせる箇所を再読した。

 それで、はまってしまった。もう一度、クッツェーの『サマータイム』を「オブセッションの解剖」という視点から読み返そう。もう一度、シューベルトの『冬の旅』を聴き直そうと。

 ボストリッジは日本でも有名なテナー歌手で、何度も来日しているし、アルバムも出していた。そうなんだ〜!
 わたしは中学生の少女時代あの天鵞絨のような声をしたディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウでシューベルトにばっちりはまったことがある。1960年代はじめのことだけど。

 クッツェーが10代半ばのカレッジ時代にロマン派の詩人にあこがれて、キーツみたいな詩を書こうとしたことは『青年時代』(2002)にも出てきた。

「なんでまた、キーツにひどく惑わされて、自分でも理解できないキーツ風ソネットを書こうなどと思ったのだろう」(『青年時代』─インスクリプト刊の三部作p199

 そこではたと考える。クッツェーにはロンドンに渡ってもやっぱりロマン派的な嗜好、思考、志向がベースにあったし、おまけに旧態然とした旧植民地の南アフリカで21歳まで(1961年まで)学んだ人だったから、人一倍「中央の都市文化」への「憧れ」は強かっただろう。だから『青年時代』は、もっぱらそのころの自分に対する鋭くも批判的な視点で書こうとするんだけど、どうも不完全燃焼ぎみ。
 そこで第3部『サマータイム』(2009)はがらりと様式を変えたわけだ。三部作ってのは、いつも第二部がちょっと面白くなくなるんだ、これは避けられない宿命なのだ。

ボストリッジの本はシューベルトの『冬の旅』を一曲一曲丁寧に分析して、英訳も載せている。『サマータイム』が出てくるのは第4曲「凍結」の章で、読んでみると、その分析がじつに冴えている。ミュラーの詩の「ストーカー性」をみごとに暴いているのだ。

 ロマン派ってとどとつまりは、自分の思いや感情にとらわれて他者がまったく見えない「ストーカー」的な心情だと分析している。分析するだけではなくて、そのオブセッションを体現するかのように『冬の旅』を歌う、その歌がこの上なくいい。なぜだろう。そこを考えてみたい。若いころの録音がとくにいい。そう、30代のあまくてソフトな声がいいのだ。ディースカウはいま聴くと退屈だが、ボストリッジは聴き飽きない。その違いを、ゆっくり考えてみたい。
つづく

2019/05/02

ドレスは揺れても、髪が揺れない

「水牛」にひっさしぶりに書きました。タイトルは

 難破船とヴァルタン(星人?)

シルヴィです。深夜に「アイドルを探せ」という曲を聞いたら、急に思い出したのです。なにを? ふふふ、ぜひ、「水牛」をみてね!




2019/04/21

ストラヴィンスキー:高橋悠治と青柳いづみこ

高橋悠治と青柳いづみこのピアノ連弾。ストラヴィンスキーの「春の祭典」と「ペトルーシュカ」から。撮影、編集は大塙敦。



あまりにおもしろい、というか、興味深いやりとりなのでここに貼り付けておく。撮影は2017年。YouTubeへの公開は昨日。

***
以下は青柳氏のことばからの引用。

この動画は、2年前にラ・フォルジュルネで「春の祭典」を弾いたとき、レコード会社のアール・レゾナンスが撮影したリハーサル風景がもとになっている。

高橋さんとは楽譜の読み方などで意見がくい違い、しばしば衝突したものだが、このときも言い合いになり、撮影隊も譜めくりさんも青ざめるシーンがあった。
今となっては、どうしてそうなったかよくわかる。普通のクラシック教育を受けてきた私は、一般的なデュオがそうであるようにすべての融合を求め、もう少し広いフィールドに身を置く高橋さんは、各パートの独立を求めたゆえなのだが、当時は意味がわからなかった。
たとえばプリモが旋律を奏でて、セコンドがリズムを刻む場面、プリモはもっと旋律に寄り添う伴奏をしてほしいと思い、セコンドは、伴奏に関係なく歌ってほしいと思っていたのだから、衝突するわけだ。
アンサンブルで「合わないほうがいい」なんて初めてきいたけれど、のちにジャズ・ピアニストの高瀬アキさんが同じことを言っていらしたのでびっくりした。

2019/04/11

Cool Cool Filin 2──クバの音楽

ひさしぶりにCDを買った。キューバの、いや、クバの音楽。

 COOL COOL FILIN 2

ブエナ・ビスタから何年になるのだろう。新しいミュージッシャンたちが確実に育っている。新しい音楽、でも、なつかしい音楽。女性ヴォーカルたちの声がいい。適度にクールで、適度にあまく、とっても心地よい。

 またスペイン語を学びなおさねば、などと思っているところなので、タイミングもいい。ルンバ、マンボ、弾むリムズと、耳から入るストリングスのメロディーにのって聞こえるスペイン語の詩。一語一語が聞こえてくるのもいい。意味はよくわからないけど💦。練習のために、曲のタイトルをタイプアップ!

01   Sentimiento
02   Nada son mis Brazos
03   Déjame ir
04   Cómo te atreves
05   Tony y Jesusito
06   Imágenes
07   Háblame de amor
08   Contradicción
09   Mi corazón baila mambo
10   Mariposa
11   Meditación
12   Mi mejor canción
13   Canto de amor a la Habana


2018/11/05

ジュリエットの歌う Les Corons

今日、知ったシャントゥーズ。ジュリエット。
フランスのシャンソンから遠く離れて──というほどのこともないけれど、とにかくこの人の歌はすばらしい。Les corons というのは炭鉱の住宅のこと。




Les corons
Nos fenêtres donnaient sur des fenêtres semblables
Et la pluie mouillait mon cartable
Et mon père en rentrant avait les yeux si bleus
Que je croyais voir le ciel bleu

J'apprenais mes leçons, la joue contre son bras
Je crois qu'il était fier de moi
Il était généreux comme ceux du pays
Et je lui dois ce que je suis

Au nord, c'étaient les corons
La terre c'était le charbon
Le ciel c'était l'horizon
Les hommes des mineurs de fond

Et c'était mon enfance, et elle était heureuse
Dans la fumée des lessiveuses
Et j'avais des terrils à défaut de montagnes
D'en haut je voyais la campagne

Mon père était "gueule noire" comme l'étaient ses parents
Ma mère avait les cheveux blancs
Ils étaient de la fosse, comme on est d'un pays
Grâce à eux je sais qui je suis

Au nord, c'étaient les corons
La terre c'était le charbon
Le ciel c'était l'horizon
Les hommes des mineurs de fond

Y avait à la mairie le jour de la kermesse
Une photo de Jean Jaurès
Et chaque verre de vin était un diamant rose
Posé sur fond de silicose

Ils parlaient de 36 et des coups de grisou
Des accidents du fond du trou
Ils aimaient leur métier comme on aime un pays
C'est avec eux que j'ai compris

Au nord, c'étaient les corons
La terre c'était le charbon
Le ciel c'était l'horizon
Les hommes des mineurs de fond

Le ciel c'était l'horizon
Les hommes des mineurs de fond

ソングライター: Jean-Pierre Lang / Pierre Andre Bachelet
Les corons 歌詞 © Universal Music Publishing Group

*terill =ボタ山

(北海道の赤平、歌志内、夕張、炭鉱のあった町を身近に育ったわたしは、この歌を涙なしには聞けない。ボタ山にも登ったよ、歌志内の歌鉱のボタ山。歌志内のちょっと手前の駅で文殊というところに母の実家があったんだ。)

2018/10/20

日経プロムナード第16回 高橋悠治のピアノ

日経プロムナード第16回、書きました。1970年代半ばからずうっと断続的に「聴いている音楽」について。

  高橋悠治のピアノ

 飽きることなく、しかし逆に、夢中になっておっかけて、もういいや、と区切りをつけて遠ざかるのではなく、「断続的に」(←ここが特徴)、これまで生きてきた山あり谷ありの時間、ずっと聴いてきた音楽。これからも、多分、変わらず聴きつづける音楽。それがグレン・グールドと高橋悠治のピアノなのだ。

2018/10/03

Nina cried Power



今日はもうひとつ! この曲、サイコーに好き! ニーナってもちろんニーナ・シモンよね。
映画:Cry Freedom (1987)を思い出す。南アのアパルトヘイト時代に拷問で殺されたスティーブ・ビコが主人公の映画。日本では「遠い夜明け」なんて変なタイトルになってしまったけど、全然、夜明けは遠くなかった!

Nina Cried Power

[Verse 1: Hozier]
It's not the waking, it's the rising
It is the grounding of a foot uncompromising
It's not forgoing of the lie
It's not the opening of eyes
It's not the waking, it's the rising

[Verse 2: Hozier]
It's not the shade, we should be past it
It's the light, and it's the obstacle that casts it
It's the heat that drives the light
It's the fire it ignites
It's not the waking, it's the rising

[Verse 3: Hozier]
It's not the song, it is the singing
It's the hearing of a human spirit ringing
It is the bringing of the line
It is the baring of the rhyme
It's not the waking, it's the rising

[Chorus: Mavis Staples and Hozier]
And I could cry power (power)
Power (power)
Power
Nina cried power
Billie cried power
Mais cried power

And I could cry power
Power (power)
Power (power)
Power
Curtis cried power
Patti cried power
Nina cried power

[Verse 2: Hozier]
It's not the wall but what's behind it

The fear of fellow men, his mere assignment
And everything that we're denied
By keeping the divide
It's not the waking, it's the rising

[Chorus: Hozier and Mavis Staples]
And I could cry power (power)
Power (power)
Oh, power
Nina cried power
Lennon cried power
James Brown cried power
And I could cry power
Power (power)
Power (power)
Power, lord
B.B. cried power
Joni cried power
Nina cried power

[Bridge: Mavis Staples]
And I could cry power
Power has been cried by those stronger than me
Straight into the face that tells you
To rattle your chains if you love being free

[Chorus: Hozier and Mavis Staples]
I could cry power (power)
And power is my love when my love reaches to me
James Brown cried power
Seeger cried power
Marvin cried power

Yeah ah, power
James cried power
Lennon cried power
Patti cried power
Billie, power
Dylan, power
Woody, power
Nina cried power

2018/08/18

アレサ・フランクリンを偲んで

アレサ・フランクリンの訃報。享年76歳。
ブラック・パンサーのアンジェラ・デイヴィスに対して、危険をかえりみず、いち早く支持を表明したシンガーのひとりだったと、トレヴァー・ノアが言っていた。すごい才能のあるビジネスウーマンだったとも。ギャラは必ず、前払いで、現金で受け取ったと。中間にピンハネされないために。きっと苦い体験から学んだ結果なんだろうな。やるな、アレサ!



Chain of the Fools ── アレサ・フランクリン

Chain, chain, chain
(Chain, chain, chain)
Chain, chain, chain
(Chain, chain, chain)
Chain, chain, chain
(Chain, chain, chain)
(Chain of fools)
For five long years
I thought you were my man
But I found out, I'm just a link in your chain
Oh, you got me where you want me
I ain't nothin' but your fool
Ya treated me mean
Oh you treated me cruel
Chain, chain, chain
(Chain, chain, chain
Chain of fools)
Every chain, has got a weak link
I might be weak child, but I'll give you strength
Oh, babe
(Woo, woo, woo, woo)
You told me to leave you alone
(Ooo, ooo, ooo, ooo)
My father said 'Come on home'
(Ooo, ooo, ooo, ooo)
My doctor said 'Take it easy'
(Ooo, ooo, ooo, ooo)
Oh but your lovin is just too strong
(Ooo, ooo, ooo, ooo)
I'm added to your
Chain, chain, chain
(Chain, chain, chain)
Chain, chain, chain
(Chain chain, chain)
Chain, chain, chain
(Chain, chain, chain)
Chain of fools
Oh, one of these mornings
The chain is gonna break
But up until the day
I'm gonna take all I can take, oh babe
Chain, chain, chain
(Chain, chain, chain)
Chain, chain, chain
(Chain, chain, chain)
Chain, chain, chain
(Chain, chain, chain)
(Chain of fools)
Oh!
(Chain, chain, chain, chain, chain, chain, chain)
(Chain, chain, chain)
Oh-oh!
(Chain, chain, chain, -ain, ain, ain, ain)
Your chain of fools
ソングライター: Don Covay / Donald Covay
Chain of Fools 歌詞 © Warner/Chappell Music, Inc, Springtime Music Inc

2018/08/03

日経プロムナード第5回「ニーナ・シモン」

 1973年10月に初来日したニーナ・シモン。
 ニーナ・シモンの舞台の迫力は、それまで「ジャズでなければ、絶対にジャズよ!」といっていた若い学生にとって、頭から冷水をかけられるような体験だった。

 日経新聞の金曜プロムナード。今回はニーナ・シモンについて。1960年代に米国で血を流しながら戦われた黒人たちの公民権運動、そのディーヴァだったニーナ・シモン。

 今日のコラムでも書いた、わたしのイチオシ、「ブラウン・ベイビー」の歌詞を貼り付けておこう。

 61年録音のアルバム「ニーナ・シモン・アット・ザ・ヴィレッジ・ゲイト」に収録されている。
 最後の一連の「この手には決して入らなかったものをおまえが手にするようになると嬉しいねえ」というところで、いつも涙がでてくる。ニーナの絶唱です。

 YOUTUBEでも、すぐに見つかるので、ぜひ!

Brown Baby

Brown baby brown baby
As you grow up I want you to drink from the plenty cup
I want you to stand up tall and proud
And I want you to speak up clear and loud
Brown baby brown baby brown baby

As years go by I want you to go with your head up high
I want you to live by the justice code
And I want you to walk down freedom's road
You little brown baby

So lie away lie away sleeping lie away singing
Lie away sleeping lie away safe in my arms
Till your daddy and you mama protect you
And keep you safe from harm
Brown baby

It makes me glad you gonna have things that I never had
When out of men's heart all hate is hurled
Sweetie you gonna live in a better world
Brown baby brown baby brown baby

ソングライター: Oscar Brown Jr.
Brown Baby 歌詞 © Cmg Worldwide Inc