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2026/01/29

コレット・ドゥブレ淡彩画展を観に神保町まで行ってきた

 寒さの底を冷たい指が撫でる1月末です。

 ネット上にあふれる「気分はどれもこれもダウナー情報」に、自室にこもっていると精神衛生上よくないと思って、仕事に区切りをつけて出かけた。神保町へ。すずらん通りへ。

 まず文房具の老舗ミヤタで、入り口付近に並べてあった猫の絵の「こびんせん」を買う。それから通りを少し行ったティールームTAKANOで、ミルクティー用のセイロンティーの大袋を買う。シナモン入りのミルクティーでこの冬は越せそう! そしていよいよお目当ての文房堂へ。

 あれ、見慣れたファサードがない、、、と思ったら足場とシートですっぽり包まれて隠れていた。壁のお化粧直しなのね。櫓をくぐって店内へ。まっすぐエレベーターで3階の文房堂ギャラリーカフェへ向かう。

 コレット・ドゥブレ淡彩画展

翔びたつ女たち

 一枚一枚は画集で見るよりもちろん大きく(当たり前!)発色が鮮やかで細やかで(当然!)美しい。それでも不思議なことに、思った以上の差異は感じない。画集の制作プロセスで印刷にどれほど心を砕いたかに思いを馳せる。 


 ところが。これいいなあ、部屋に飾ってみたいなあ、と思った作品ほぼすべてに赤いシール(売約済)が貼られていたのだ。すごいや! まだ2日目とはいえ、出遅れ感が半端ない!(本当は昨日来る予定だったのに、、とぶつぶつ思いながらミルクティーを飲む。)やっぱりなあ、みんな目の付け所はそこか、と感じ入った。

 考えてみると、これは有名な西洋絵画の作品のなかから翔びたつ女たちを描いている(女たちを翔びたたせている)わけで、作品中の人物の存在感(激しい動き)が見るものにまっすぐビシッと刺さる。たとえばデューラーの「メランコリア」とか⎯でも、日本の文化って(とすみません、ここは一括りにするけど)淡いと間のたゆたいが好きだし、描かれたものの奥を読み取るのが好きだから、抽象的なもののほうが受け入れやすいのかもしれない。だって「翔びたつ女」がこっちへ向かって一直線に飛んでくるのはオッソロシイ🤭、まあそういう女たちには画集のなかにいてもらって。。。壁にはもう少し穏やかなものを。。。と考える人の方が多そうだ。おなじ動きでも横を向いているのは大丈夫なのかも😀。この理由づけは確かにわかる。

 使われているのは暖色系が多いけど、暖色と寒色が混じったのが💓いい。多色で飛沫のように描かれているのも動きがあって人気がありそう。

 お茶をいただいて、撮影OKとあったので、パチパチ何枚か写真を撮って、エレベーターで1Fへ戻る。そこで古いカメラの凸凹のついたバースデイカードと、「水仙月の4日」というタイトルのマスキングテープを買う。

 

 28日から始まったこの展覧会、2月3日までやってるそうです。ぜひ!
 今日は一人でゆっくり買い物日和でもあったけれど、やっぱり都心はあったかいなあ。電車を取り次いで東京西部戻ると、ツンとくる冷気につくづくそう感じる1月末、氷の指が弾き飛ばす立春はまだ少し先!


2025/11/18

すてきな本がとどいた⎯『翔びたつ女たち コレット・ドゥブレ淡彩画集』

ふらりと散歩に出ると目に飛び込んでくる、赤、紅、橙、黄、浅緑、深緑、濃茶など、あざやかに色づく樹木たち。今年は紅葉がじつに美しい。目から胸に、その奥に、深々と染みる色たち。そして今日、すてきな本がとどいた。

『翔びたつ女たち コレット・ドゥブレ淡彩画集


美しい。予告がでたときから心待ちしていた本だった。

フランスの画家コレット・ドゥブレ Colette Deblé194418日生まれだから、現在81歳。美術にうといわたしは初めて知る名前で、こうして画集となった絵も初めて見るのだけれど、なぜか、これ、好き、この透明な色合い、知ってる! と思うのだった。勝手な思い込みであることは重々承知で、そう言いたくなる衝動を抑えきれない。ラヴィLavis(淡彩画)というジャンルだそうだ。

最近は屋外で本の写真を撮ることもなくなっていたのに、これは冬の夕暮れ間近かのベランダで、パチリ、パチリ、パチッ!と素人写真を撮った。中身も1枚だけ。作品は右ページに、元になった絵が左ページにあって、これも絶妙。デューラーの「メランコリア」もあったり。ちなみに右の写真の見開きページの元の絵はフランソワ・ブーシェの「ユピテルとカリスト」。(追記:この本に寄せられた石川美子氏の文「視線は存在を自由にする」の最後に⎯ドゥブレによる「出典」メモには「ディアーナに化けてカリストを誘惑するユピテル」と書かれている⎯とある。ふうむ🤔)

カバーの折り返しに引用されていることばを少し。

  美術史のなかの女性の表象をめぐる造形的なこころみ。

  枠から出た女性たちを見ること。

この本に使われた原画が神保町のギャラリーで展示される予定だなんて、いまからワクワクしてしまう。どれほど美しい本か、実物にまさるものはないので、ぜひ書店で手に取ってみてほしい。『翔びたつ女たち』11月20日発売です。

2025/07/26

掌篇小説『憧れの火ともる昭和』: 東京新聞


東京新聞の「月刊掌篇小説」のページに『憧れの火ともる昭和』が掲載されました。短い「手のひら」サイズの小説です。フィクションの衣をつけてさらりと揚げましたが、素材の鮮度は保証します。掲載は7月25日夕刊ですが、一部の地域では翌26日の朝刊。書いた時期は今年5月から6月にかけてです。

 なんだか、2021年秋に出版されたメモワール『山羊と水葬』(書肆侃侃房)の続編というか、番外編というか、そんな感じになりました。書き出しは昭和30年代半ばの北の田舎。テレビが初めてやってきたころです。
「懐かしの昭和」がここにきて大流行りですが、懐かしがってばかりもいられないのが昭和の中身でした。「その子」にとって「憧れ」の狼煙のあがったのが、白黒テレビが一家に一台入ってきた昭和30年代、憧れを機動力にして北の大きな島から海を渡って東京へ出たものの、気分は大海原の漂流者(ここはちょっと駆け足で進んで)、、、、ようやく翻訳など始めてから、世界が少しずつクリアに見えるようになって。やがて「翻訳の世界」は、言語も、国境も、民族も超え、ジェンダーさえ超えうるのだと気づいていきます。まさにトランスローカルな世界観。

 そしていまは2025年、母や父が生きてくぐり抜けたあの戦争に負けてから80年の歳月が過ぎました。空を見あげて、100年前のアンダルシアへふわふわと飛びながら、また憧れかよ、それでどうなるの? これからどうするっていうの? と自分にツッコミを入れたくなる。そんな掌編です。

 挿絵に仔山羊と鶏がいるんだよ〜〜泣ける😭!と「その子」は思っています。じつはとってもセンチメンタルだから──💦💦 可愛い仔山羊の挿画を描いてくれた小河奈緒子さん、ありがとうございました。

****

 世代交代で「海外文学の森へ」からは抜けましたが、このところあちこちで翻訳が出るようになった「アフリカン文学」について、どんどん紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

2022/03/08

パウル・クレーのカレンダーがきた

 2月はいろいろあって、思い出すだけでも背中が痛くなりそうな、怒涛の日々が続いた。そして背中ではなく、なぜか左膝が痛くなった。

こういうときは好きなものを身近に引き寄せること、それで急に思い立って、パウル・クレーのカレンダーを注文した。2022年のカレンダーをいまごろ注文する人もめずらしいか、と思いながら、目的はクレーの絵をカジュアルに壁に飾ることだから、これでOKなのだと自分に言い聞かせる。

あっという間に届いたカレンダー、さっそく飾った。とにかく好きなのだ、パウル・クレー!

 3月は、片目でウィンクしてるみたいなこの絵です。

2021/08/01

1冊目のゲラがやってきた

 またずいぶん間があいてしまった。

 信じ難いほど非合理的なイベントが始まった。医療現場は急激に逼迫している。東京だけではないが、人とイベントが集中している東京はもう煉獄のような状態になってきた。

 家にTVはないけれど、仕事のためにPCを立ちあげると目に飛び込んできたのは、オリンピック関連のロクでもない記事ばかりだった。誰が辞任、誰が解任。その理由が次から次へと、なあんにも学んでないんだなあ、という感じで。それが先々週。

 そして先週からコロナ感染者数が急増している。死者数は比較的少ないが、病院に入院すべき症状の人が自宅待機を強いられているというニュースは、本当に辛い。なんのための……どうしてこんな状況でオリンピックか!と誰もが思っている。絶対に楽しめない。楽しむとしたら、個人ではどうしようもない現状に目をつぶるため、忘れるため、意見を棚上げにして、だったりする。

 自分=個人を手放して、ナショナリズムの臭気ふんぷんとする何やらに身を寄せて、一時凌ぎをやる心理が手にとるようにわかるけれど、これで個々人としてつながっていた関係が分断されているのだ。間違いなく。

 暑い季節にあっちでも、こっちでも、ゲラと奮闘する人たちがいることを、ここにお知らせいたします──って「宣言」したい気分になる。わたしもまた、何かの反動で動いているのかな?

 カメラが壊れてPCに接続できなくなった。写真をアップできないので、6年前に連日アップしていたパウル・クレーの絵をアップしよう。


 

2021/05/02

東京新聞(夕刊)「海外文学の森へ」第8回で『ウサギ』について書きました

 今回は、ジョン・マーズデン文、ショーン・タン絵『ウサギ』岸本佐知子訳、河出書房新社刊、について。4月27日の東京新聞(夕刊)です。

 素晴らしい本です。絵本だけれど、絵本だから、ここまで細かく細かく描けるのか、そして想像力による読解を読者に委ねることができるのか、とため息をつきたくなるほどすごい本でした。

 ショーン・タンが24歳のときに描いた絵は、とんがっていて、鮮やかで。ジョン・マーズデンのことばは、「コロンブスが新大陸に到達した500年」を記念する1992年にバリー・ロペスが書いた本を思い出させます。

 1990年代に出た本だけあって、あのころのオーストラリア政府の先住民に対する姿勢も考えることができます。とにかく、謝ったのですよ、それまでの白豪主義でヨーロッパ白人を優先させてきた人種主義を捨てて、政府がこれまでの政策について、先住民に対して謝罪した。歴史的に見て、それはもう間違いなく、画期的なことでした。

2019/05/12

オルセー美術館のカタログ

4月24日にfacebook にアップしたポストをこちらにもペーストしておく。備忘のために。
***
届いたのだ。

「ジェリコとマティスから現代まで」の黒いモデル。

パリのオルセー美術館でやっている展覧会「Le Modèle Noir」のカタログが。分厚いけれど、それほど重くはない。全384ページで、ざっくりとしたマット紙に印刷されている。いや、こうしてまとまって見るとすごいな。
ジョセフィン・ベイカーの写真もある、ある。

 いっしょにとどいた小さな赤い本は「Votre paix sera la mort de ma nation」というヘンドリック・ヴィットボーイの日記のフランス語訳。
 序文をJ・M・クッツェーが書いているのだ。

2017/12/27

パリジェンヌ展/世田谷美術館

さあ、来年のイベントです!

 年明け早々の1月13日から、世田谷美術館で「パリジェンヌ展」がはじまります。ボストン美術館からやってくる美術品の数々が展示され、それが「1715年から1965年までの、文化の首都で描かれた女性たちのポートレート」とはまた、興味津々です。


所蔵がボストン美術館というところが面白い。つまり、アメリカ東部にもっとも古くから建設された都市ボストンが所蔵してきた「パリ」をめぐるあれこれなんです。

 新世界の植民地アメリカがイギリスと戦争をして独立したのが1776年、そのアメリカがヨーロッパ、とりわけフランスの「文化の首都」をどう見てきたか、独立の少し前から20世紀半ばまでの、彼の地への屈折した「あこがれ」の視線がどうあらわれているか。そしてそれは、とりもなおさず、東アジアにある日本社会が近代以降、追いかけてきたヨーロッパへの憧れの視線と重複するのかしないのか。これはもう見どころ、考えどころがたっぷりありそうです。

 イベントもいくつか開かれ、光栄にも、『鏡のなかのボードレール』の筆者にもお声がかかりました。2月24日のトーク・イベントに顔を出します。

 <褐色の肌のパリジェンヌ──エキゾティシズムが生んだミューズたち>
  2月24日(土曜日)14:00~15:00 世田谷美術館講堂
  話:くぼたのぞみ、聞き手:キュレーターの塚田美紀さん、です。
 
 19世紀最大のロマン派詩人といわれるボードレールのミューズ、ジャンヌ・デュヴァルは褐色の肌をした女性でした。時代が下って、アメリカで徹底的な差別を受けたミズーリ州セントルイス生まれのジョセフィン・ベイカーは、パリへ渡って大成功をおさめたアフリカン・アメリカンの女性。そのベイカーが「エキゾティシズム」による「美のオブジェ」として、当時のパリでいったいどんなパフォーマンスをしたか、やらされたか。
 彼女は「ブラック・ヴィーナス」の異名をとり、最後はフランス国葬になりました。そんなベイカーの姿もこの展覧会には姿を見せています。

 詳しくはこちらへ!

***
メモ:ボストンは1630年にイングランドから来た清教徒たちの手によって築かれた古い町。そのボストンで起きた茶会事件をきっかけに、アメリカが独立戦争を経て宗主国イギリスから独立したのが1776年。フランスの植民地だったルイジアナをナポレオン・ボナパルトから破格の値段で買い取ったのが1803年。奴隷制度を廃止したのは南北戦争(1861~65)後の1865年とされるが、実際の差別は延々と残り、南部ではリンチが後を絶たず、1960年代の公民権運動、ブラックパンサーの運動、アファーマティヴアクションなどで徐々に改善されてきたとはいえ、負の遺産はいまも続く。

2015/08/20

パウル・クレーと夏日記(17)──跳ぶ人

「Jumper」とタイトルにある。跳ぶ人。飛び跳ねる人。バッタ人間か。翻訳をしていると、ことばとことばの間をひょんと跳んでいる感じはつねにあって、この「跳ぶ人」はそんな気分を映し出す。さて、夏日記は今日でおしまい。クレーってやっぱり秋か冬に向いている絵が多い。絵が、濃いのだ。



 でもよく見ると、この絵に描かれているのは、うまく飛べなくて、両手をあげてギヴアップしている姿にも見える。適切なことばがみつからずに、じたばた手足を動かしている翻訳者の姿かも。見る側の気分しだいで、そんなふうにも見えてしまうところが面白い。
 そして、やっぱり「赤」が入るのだ。クレーって、必ず絵のどこかに「赤」があることを、今回の日記で再発見した。

 ことばのソリディティについて考えつづけたい。噓や詭弁で言い換えられない、脈絡をもったことばの連なりについて。明快で、明晰で、凛とした硬質なことばについて。そしてどこかに、ぽっちりと暖かい「赤」が入ることばの束について。

2015/08/19

パウル・クレーと夏日記(16)──虫の音を聞きながら

日中はじりじりと暑いけれど、この時間になるとひんやり心地よい風が窓から入ってくる。虫の音がしきり。いつのまにか、蝉と交代している。

 ひんやり微風につられて、ついつい、遅くまで仕事をしてしまった。今日の締めくくりは、またクレーに戻ろう。涼しげな青。深い青。


 夏ももうすぐ終わる。日記ももうすぐ終わり。だって、北で育った者にとって、「夏休み日記」はいつだって8月20日までなんだから。21日は始業式だ。秋はすぐそこ。

2015/08/16

パウル・クレーと夏日記(15)──魚マジック

今日は、どんどん進んだ。ひたすら進めた。雨が降った。
「今日のクレー」は、ふたたび、魚。おなじ絵を二つならべてみる。トーンがずいぶん異なる。


夏休みの絵日記を書きあぐねている小学生の息子に、なにをしたか、感情ぬきに日記を書くといい、と親たちはいった。すなおな彼はそれにしたがって書いた。
 すると先生が、なにを感じたかをもっと書きましょう、と余白に書いてきた。むむむ。「嬉しかった、楽しかった、悲しかった」そればかり⭕️をつける国語の授業。共感の押し売りに近い主観表現の吐露ばかり。これはもうやめたほうがいい。
 むしろ、事実を描写する、行動や動作を的確な表現をもちいてあらわす、そういう細部を書き出す訓練をする、あるいは、秩序立てていいたいことを述べる構成力をつける。そういう文章力をきたえる指導をすべきだと思う。

 日本語のために。日本語人のために。

2015/08/15

パウル・クレーと夏日記(14)──domestic requiem

「今日のクレー」に選んだ絵。ロウソクが灯っている。ロウソクは祈りだ。タイトルが「domestic requiem(国内の、家庭内の、レクイエム)」、まずはこれだ。あの当時、勝手に拡大路線で「国」に含めた土地にいたすべての人たちを、正確に含めること。いまの国境によってではなく。



今日も残暑。蝉しぐれ。
 70年前に母たちはラジオから流れる天皇の声をこの日、聞いたのだろうか。それとも銃後の看護婦として走りまわり、人づてに、戦争は終わった、と知ったのだろうか。もういない彼女には確かめようもない。若い医者の卵はみんな、みんな戦争に行って、帰らなかった、と何度もいっていた母。北大の看護学校を出て、敗戦当時、26歳になっていた彼女はすでに北大病院から離れていたはずだから、その話はおそらく、同窓の知人友人から耳にしたのかもしれない。

 ずいぶん遅くなってから出征した父は、どこでこの日を迎えたのか? 満州へ行ったと聞いた。南洋にもいたといっていた。船に乗っていて下痢がとまらず、揺れる船の大きな上下といっしょに排便をしたという「笑い話」を語った父ももういない。ちゃんと聞いておくべきだった。もっと聞いておくべきだった。ただの体験談としてではなく、感情を抜きにして。

 そう、この「感情を抜きにして」ということができなかったのだ。それぞれの生死にかかわるほどの物語を、事実として、抒情などに流されない、筋のある話として再構築する試みを、親も子もすべきだったのだろうと、70年が過ぎてから思うのだ。遅すぎた。
 感情を込めて、歌いあげてはいけないのだ、歴史は。事実を事実として、分析的に伝えること。ちゃんと主語をつけて。行動主体を明らかにして。だれが、どこで、なにをしたのか。だれが、いま、なにを、どう考えるのか。辛かった、とか、ひどいめにあった、とか、被害者的な感情はひとまず横に置いて。なにをしたのか、なぜそれをしたのか、まず、事実を。
 自問、反省、自省、大きな枠組みのなかで、ひとつひとつ照らして、そこで確認したあとの謝罪は、相手の姿を視界におさめたうえでしなければ意味がない。

2015/08/14

パウル・クレーと夏日記(13)──あいまいな空洞化

 いまにも降りそうでいて降らない曇天、どんどん湿気だけが増えていく。 

 今日のクレーは、またまた怪しいクレー。解像度がいまいちなのも、怪しさを倍加させている。あの世とこの世を往復するような、赤い矢印。やっぱり赤が決め手か。右上にある赤い点は? ばらばらにほつれゆく魂か。旧盆の中日。

 この、あまりにも浅く埋葬する土地で。あまりにも浅くことばが入れ替わる土地で。座らずに、立って、ずっときみのことをかんがえてきたんだ。ずっと考えているんだ、きみのことを、ことばのことを。


 昨夜から今朝にかけて、ひゅんと気温がさがり、ほっと一息ついたのもつかの間で、また暑さがぶりかえす。こんな日が、まだまだつづくのだろうな。まだ8月なかばだもの。
 そして今日は金曜日。今夜もまた、国会前と官邸前に大勢の人があつまるだろう。そうせずにはいられない、何かに気づいて、なにが生まれつつある。やっと。やっと。

 主語のない、あんな、あいまいな、ことばと、ことばづかい。詭弁と、言い逃れと、歴史責任をあいまいにする、ことばを発する者の側の空洞化。ことばを愚弄する行為は、なさけない、絶対に許さない、許されない。

2015/08/13

パウル・クレーと夏日記(12)

西瓜に負けて白旗をあげた分、今日は少しだけ涼しくなったかなあ、と勝手に決め込む一日です。おかげで、いつもより仕事は進んだ。それでも午後も遅くなると、じりじりと西陽が射して。。。。

 今日のクレーは「1」です。白いはちまきに「1」と書かれているのは、走者か、はたまた、ダンサーか? なんだか死神っぽい雰囲気もあって。ひゃっ!


 がらんと人気の少ない電車、ぱらぱらと路上を歩く人、夏休みでみんな帰郷したのか、そんな、混雑とはちょっとだけ遠い街で、昨日は友人たちと冷酒を飲んだ。(う〜ん、だんだんホンモノの日記になっていくなあ/笑。)

2015/08/12

パウル・クレーと夏日記(11)──西瓜

 西瓜を食べた。とてもあまくて美味しかった。それだけで満たされた気分になった。暑い、暑い、と思っている感覚が、一瞬、ふっと消えた。
 こういう瞬間はかぎりなく貴重だ。
 ふと目をあげれば、窓からはうだる暑さに、風もなく、木々がじっと夏の光を受けている。


 考えると、パウル・クレーの色使いって、とっても濃い。8月のこの残暑には、がぜん暑苦しいのだ(笑)。日本の湿気った夏には不向きなのだ。ドイツやスイスのからりとした空や、くっきりした夏の光の下では(って行ったことはないけど/汗)はえる色なんだろうな。困ったな!

 そこであちこち探して、こんなのを見つけた。クレーの絵ではないかもしれない。クレーが西瓜を食べているところも、なんだか想像しにくいし。

 亜熱帯の夏には、やっぱり西瓜か!

2015/08/11

パウル・クレーと夏日記(10)── Integrity

 何年か前に、翻訳家の大先輩から「あなたには integrity がある。翻訳家としてのintegrityをもっている人はそういない」といわれたことがる。「ん?」「はっ?」と一瞬、ことばを飲み込んだけれど、とても嬉しかった。嬉しかっただけではなくて、背筋がぴんと伸びるような気がした。過分なことばだ、と思った。
 思えば、不器用に、たどたどしく、doggidly というしかないやり方で続けてきた翻訳という仕事も、その大先輩との出会いから始まったのだ。

 そして、integrity という語で思い出すのは、アドリエンヌ・リッチの詩「Integrity」。この出だし、一度読んだら忘れられない詩句になった。

   A wild patience has taken me this far
   
   暴れる忍耐力がこれほど遠くまでわたしを連れてきた



立秋もすぎたけれど、それは名ばかり。残暑のなかで今日もまた、クレーの絵を一枚! this far!


2015/08/09

いっそオメガのダミー──パウル・クレーと夏日記(9)

ここ2日ほど、ほんの少しだけ涼しかったけれど、今夜もまた暑い。
 しかし、また明日から、気合入れて行こう!
 今日のクレーは「ダミーのオメガ」か「オメガのダミー」か、赤の迫力が満点である! こんな暑さには、思い切って、たっぷりとした熱い赤で対抗するしかないような気がする。オメガである。ダミーである。よくわからないけれど/笑。


さあ、イフェメルはもうすぐナイジェリアへ帰郷するよ。大西洋をひとっ飛び!

2015/08/07

パウル・クレーと夏日記(8)──ちょっと涼しげに

暑い! この夏一番だそうだが、こんなに暑い日がべたでつづくのは何年ぶりだろう。30度をゆうに超える日がもう2週間以上つづいている。

 さてさて、今日はどんな絵をアップしようか。クールな頭になれる絵がいいな。落ち着いたニュートラルな色彩の絵がいいな。では、これはどうかな? ほら!
 それでも、まるいの、あれは太陽か? いたたまれずに燃えているのか? と思ってしまう、わたしの頭は……



あまりの暑さで、ちっとも仕事がはかどらないのだ! ざんぶりと水をかぶって。
今日は金曜日、いまごろ国会前では……

2015/08/06

パウル・クレーと夏日記(7)

今日も晴れ。気温は高め。広島に70年前、原子爆弾が落とされた日だ。

 それより10年ほど前に描かれたクレーのこの絵、「中心で/at the core--1935」というタイトルがついている。そうか、たしかに中心で赤い炎が燃えている。それとも赤い血がしたたり落ちたのか。いやいや、薄切りにした生ハムを、少しずらして重ねたようにも見えるな。



 爆心地、ということばがあることを知ったのはいつだったか。千羽鶴というのがあるのを知ったのはいつだったか。白血病ということばを知ったのはいつだったか。浴衣を着てベッドに寝ている女の子の映画を、学校の体育館で観た。原爆のせいで血が止まらなくなって、入院している子の映画だった。その子は10歳くらいに見えた。自分より年上だと思ったのだから、映画を観たのは小学校も低学年だったのだろう。白黒の映画だった。
 

2015/08/05

パウル・クレーと夏日記(6)

昨日はお休み。大都会のまんなかに用があって出かけたので、冷房のきいた電車と冷房のきいたビルを出たり入ったり、出たり入ったり、じっと座って待っているうちに、身体が芯まで冷えたりしたので、ぐったりしてしまった。
 でも、待ち時間と電車のなかで読みかけの本がずいぶん進んだ。夏休みの読書(じつは休みなんてないけどサ)を満喫でした。

 さて、今日のクレーは、Tanz-des-tarauenden-Kindes 「悲しみを踊る子供」? 


タイトルを知らなくても、この絵は子供だとわかる、踊ってるなとわかる、でもその子が「悲しい」なんて知らなかった、タイトルを見るまで。自分のせいでもないのに、理不尽な悲しみを背負う世界中の子供たちのために! シリアで、イラクで、パレスチナで、南スーダンで、コンゴで、中国で、フィリピンで、ブラジルで、etc. etc.、そして真夏のこの地でも。
 想像力を総動員して、思い、祈る。

 とても夏らしい一日。からりと晴れて、強い日差しが傾いていく。