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2020/07/09

J.M.クッツェーの展覧会 Scenes from the Southをヴァーチャルツアー

今年2月9日に80歳の誕生日を祝ってマカンダのAMAZWIミュージアムで開かれた展覧会:Scenes from the South をヴァーチャルで見ることができます。

 入り口はここ!

行ってきました! 面白かった、という表現をはるかに超える興味深い写真がたくさん展示されているのですね。
1970年代後半でしょうか、ディアズ・ビーチで息子ニコラスとクリケットをする父ジョン・クッツェーの写真があって。しばらく見入ってしまった。

2019/10/18

デレク・アトリッジ氏の最新情報:「クッツェーによる南」

あちこちでシェアしながら、ここでお知らせするのをすっかり忘れていました。

The South According to Coetzee

 来月初めに再来日するデレク・アトリッジ氏がとても、とても興味深い文章を書いているサイトをお知らせします。英語版よりいちはやくスペイン語版で La muerte de Jesus を読んでいることが、彼の文章からうかがえます。


タイトルのThe South According to Coetzeeは、つい「クッツェーによれば南は」と訳してみたい誘惑に駆られます。

 駒場で開かれる講演でも、この文章に書かれた内容について言及されることになるはずですが、クッツェーの最新作 The Death of Jesus の読書会に出る方には必読でしょう。

2019/05/06

J・M・クッツェーのレジスタンス──「すばる 6月号」

すばる 6月号」(5月7日発売)に「カテドラ・クッツェー」のラウンドテーブルについて書きました。 2018年4月末にブエノスアイレスで行われた長い、長いラウンドテーブルのなかのクッツェーの発言についてです。

  北と南のパラダイム
     ──J・M・クッツェーのレジスタンス
  
 J・M・クッツェーが「南の文学」を提唱して、南部アフリカとオーストラリアと南アメリカを「北を介さずに」つなごうとする試みについて、具体的な例をあげながら論じていくようすを伝えます。ちょっと衝撃的な内容です。これを日本語話者であるわれわれはどう受け止めるか、英語を中心に世界がまわっていくヘゲモニーに対して、日本語話者はどんな位置にあるのか、じっくり考えさせられます。

   動画はここ!

*一部引用*


 全講座を通して、惜しみなく、献身的かつプロフェッショナルな仕事ぶりを発揮したアナ・カズミ・スタールへの謝辞のあと、クッツェーはあらためて、講座の達成目標とは「北を介さずに」直接、南の文学者や学生が相互に交流することだったと述べた。視野に置いたのは、たがいに距離的、言語的に離れてはいるが、背後でひとつの大きな歴史から影響を受け、土地との関係も共通する文学。つまり広い南アメリカのなかでもアルゼンチン文学や、それほど広くはないが注目にあたいする南部アフリカとオーストラリア文学の実践者たちの相互交流である。翌月スペインのマドリッド、ビルバオ、グラナダの三都市で行われた『モラルの話』のプロモーション・イベントでも、これはくりかえし語られることになった。

「北の仲介なしで」とはどういうことか、なぜそれが重要だと考えるのか。クッツェーはシンプルなストーリーを用いてそれを説明する。話はメディアをめぐるものだが、アフリカの架空の国をとりあえずアシャンテと呼び、そこを舞台にした出来事に絡めて文学にもこれはいえるとラディカルに疑問を投じていく。物語はこうだ。

──ある朝、アシャンテの首都に住む人びとは、通りを轟々と進む戦車の音で起こされる。。。。。。。

2019/03/29

アデレードで:テーマは「Telling Truths:真実を語る」

マレーネ・ニーカークにインタビューするジョン・クッツェー
オーストリアの「霧のなかの文学祭」について3回書きましたが、じつはその前に、3月2日から7日まで、アデレードで面白い催しがあったのです。

アデレード・ライターズ・ウィーク2019」です。

 今年のテーマは「Telling Truths:真実を語る」。真実Truthsが複数形であるところが要注意です。語るときはそれぞれの真実がある、ということでしょうか。でも語ることによって、「他を排除しない空間」をつくっていくことは可能なんだと。文学祭はそのためにこそあるといっているような気がします。

左からマンデラ、ムシマン、ニーカーク
ウィークというくらいですから1週間にわたってあちこちで、さまざまな催しがあったのですが、そのなかで気になったのが3月6日の午前、アフリカーンス語で書いてきた作家マレーネ・ニーカークにジョン・クッツェーがインタビューをしたことです。

プログラムにはさまざまな作家や詩人が名を連ねていますが、アフリカ大陸関連ではほかにもナイジェリアのベン・オクリや、南アのンダバ・マンデラ(ネルソン・マンデラの孫)、シソンケ・ムシマンの名前があがっていました。

*** 
マレーネ・ファン・ニーカークMarlene van Niekerkは彼女の世代で最も重要なアフリカーンス語作家だ。最初のヒット作であるTriomf Agaat (The Way of the Women) が有名。南アフリカのプア・ホワイトのなかで生きることをめぐる彼女のSteinbecken な語りは、ポスト・アパルトヘイトの暮らしに、毅然とした、論争をよぶ視線をなげかけている。すごい強烈さと腹の底から突き上げるようなエネルギーに満ちたマレーネの作品は、多くの賞にかがやき、国際マン・ブッカー賞の最終候補(2015)にもなった。

Chair: John Coetzee 


Marlene van Niekerk has been described as the foremost Afrikaans writer of her generation. She is best known for her two major works Triomf and The Wayof the Women. Her Steinbeckien accounts of life amongst the poor whites of South Africa cast an unflinchingand controversial eye on post-Apartheid life. Imbued with a robust intensity and visceral energy, Marlene’s
work has received multiple awards and been shortlisted for
the Man Booker International Prize. 

2018/08/19

アルゼンチンの作家2人にクッツェーがインタビュー

8月17日付の Sydney Review of Books に面白い記事が載った。

'Other ways of saying'──他の語り方


2018.5マドリッドで
アルゼンチンの2人の作家が、JMクッツェーのインタビューを受けている記事だ。現在オーストラリアに──最初はアデレード大学に、次にはシドニー大学に──滞在する2人の作家は、マリアナ・ディモプロス(1973年生)とアリエル・マグヌス(1975年生)。書いてまとめたのはクッツェーで、インタビューは7月に行われたとある。
 
クッツェーの最初の質問はこう始まる。

Balzac famously wrote that behind every great fortune lies a crime.
どの巨万の富の裏にも犯罪があるとバルザックが書いたことは有名だ。)

引用元のフランス語はこんな感じ。

Le secret des grandes fortunes sans cause apparente est un crime oublié, parce qu’il a été proprement fait.
明白な根拠のない巨万の富の裏には忘れられた犯罪が隠されている。なぜなら犯罪は適切に犯されたからだ。)

そしてクッツェーは次のように続ける。──One might similarly argue that behind every successful colonial venture lies a crime, a crime of dispossession.(おなじように人は、植民地的な大胆な試みが成功した裏には犯罪が、土地や富を奪ったという犯罪があると言うかもしれません。)

マリアナ・ディモプロス
 19世紀にバルザックが書いたことばが、長いあいだにさまざまに引用されて、クッツェーが冒頭に置いたかたちになっていったプロセスは、とりもなおさず、植民地主義による巨万の富がいかに形成されてきたかを自覚するヨーロッパ人(とその子孫たち)の認識の変化をあらわしているように思える。これは面白い。

 アルゼンチンは17世紀にスペイン人が入っていって先住の民を征服したコンキスタドーレスの時代、それ以後も独立してから「砂漠」と呼ばれた土地を奪っていったコンキスタの時代──これがいまあるアルゼンチンの文化/野蛮の基礎だとディモプロスは語る──といったことが、このインタビューを読むとわかる。

アリエル・マグヌス
 そんなアルゼンチンの歴史と、1976年から1983年代まで続いた軍政と、それに直接かかわった彼らの親世代を通して、2人の書くものにもその影響は影として浸透していると述べていく。
 さらに面白いのは、この2人の1970年代生まれの作家たちが、ドイツ語からスペイン語への翻訳をしている人たちだということ。とりわけ、ディモプロスはフランクフルト学派から影響を受けて翻訳をすすめ、また、マグヌスはボルヘスとライプニッツを絡めて修士論文を書いたそうだ。
 文学者たちはアルゼンチンの歴史をオーストラリアの歴史と絡めて、考え、見透し、作品と作家の再評価を行おうとしているようだ。横につながる「南の文学」が具体的に動き出しているのだ。

 日本も、ヨーロッパの帝国主義をまねて、短期間に領土拡大をしようとした時期があった。しかし、それ以前にも、着々と領土拡大は列島の南北に広げられ、北は「北海道」と名付けられていた。アイヌを追い出し、追い詰め、土地を奪っていった歴史が今年でちょうど150年だとか。tamed and renamed(飼い馴らして改名した) プロセス。わたしもその歴史上の一点に生まれ落ちた。
 北海道のほとんどの地名がアイヌ語由来であること、それが何を意味するか、じっくり考えてみたいと、あらためて思う。

 とにかく、オーストラリアとアルゼンチンを「文学」でつなぐ、とても面白い記事だ。おすすめ!

*****
付記:Other ways of sayings という記事のタイトルは、クッツェーが「culture」という語を嫌って、その代わりによく使う表現:a way of living と響き合うものです。
「他の語り方」と一応、訳しましたが、「語るための他の方法」とか、「他の語りの方法」といろいろ訳はあてられるでしょうか。言い方には別の方法がある、というか、見方を変えれば、というニュアンスもここには含まれていそうな気がします。

2018/05/28

6月9日にイベント──J・M・クッツェー『モラルの話』刊行記念

J・M・クッツェー『モラルの話』の日本語訳(人文書院)がついに発売になりました。さっそくイベントのお知らせです。

日時:6月9日(土)午後3時から
場所:下北沢のB&B

第3回「境界から響く声達」読書会
J.M.クッツェーをくぼたのぞみさんと読む 

  都甲幸治 ×くぼたのぞみ 

   詳しくはこちらへ!


 都甲幸治さんとクッツェーの話をするのは、2014年夏の自伝的三部作『サマータイム、青年時代、少年時代』(インスクリプト)の刊行記念の会と、2015初夏に新宿紀伊国屋南口店で開かれた『マイケル・K』の岩波文庫化記念トークにつづいて3度目です。
 今回は都甲さんが主役で、「境界から響く声達」という英語圏文学を読んでいく読書会に誘っていただきました。シリーズの第3回。
 カリブ海から始まり、チカーナ文学へ進んだこのシリーズ、今回の『モラルの話』は舞台がオーストラリア、フランス、スペインですが、クッツェーの出身地は南アフリカ。ここ数年のこの作家の行動範囲を考えると、3つの大陸を、北を介さずに横に結びながら、アメリカスはラテンアメリカまで延長。

  クッツェーが提唱する「南の文学」活動とその趣旨については、このブログでも何度か触れてきましたが、この『モラルの話』は5月17日にまずスペイン語で出ました。彼の第一言語である「英語ではない」というところが決め手です。アルゼンチンの編集者と翻訳家の仕事であることも重要です。それを追いかけるように日本語訳が5月29日に出ましたが、この意味はこれから日本語読者が考えていくことになるでしょうか。

スペイン・ツアーの日程表
英語という大言語を批判するクッツェーは、英語が行く先々で小言語を押しつぶすやり方が好きではない、と1月にカルタヘナで明言しました。この身振りは5月末にスペインのどこでイベントをするかを見ると納得できます。まず首都マドリッドで2日間、そしてバスクのビルバオ、さらにカタルーニャのグラナダへ、という行程です。バスクは長いあいだ独立闘争をしてきた地域、カタルーニャはつい最近独立の住民投票の結果をスペイン本国が弾圧した土地です。
 
こうして、クッツェーは「北と南」というパラダイムを可視化させながら、「南の文学」を「las literaturas del sur」と表現します。あくまで複数形です。「グローバル・サウスの文学」とひとくくりにせずに、個々の地域の、個々の言語による複数の文学を可視化させようとします。スペイン国内の北と南にも光をあてている。バスク語とカタルーニャ語はスペイン語(カスティーヤ語)とは異なる言語ですから。そこは要注意!
イベントでクッツェー自身が語るメッセージがどんなものだったか、Google でもtwitter でもキーワードを入れると即座に写真入りでリンク先が出て来ます。多くのスペイン語の雑誌や新聞が伝えていますので、ぜひ! Google訳でもヨーロッパ言語間なら、まあ、意味は把握できる!

2018.5 Madrid
「世界」というとき、人は何をイメージするでしょう? 「世界文学」というときはどんな作家や詩人の作品をイメージするでしょう? その「世界」のなかに日本語文学はいったい、入るのか、入らないのか? クッツェーは常に刺激的な視点を指し示してくれます。そして、結論は各自で出しなさい、と突き放します。ここがキモですネ。    

2018/05/20

2015年5月のMALBAでのクッツェー

ここ数日、2014年からはじまったクッツェーの南アメリカ諸国への探訪について調べていた。2015年のブエノスアイレスでの動画を備忘のためにここに貼り付けておく。これもまた、アナ・カズミ・スタールとの対話だ。


MALBA:2015年5月8日に公開されたもの(この動画は2015年4月7-17日「南の文学 第一回」と重なるはず)。




2018/05/06

第7回 CÁTEDRA COETZEE「南の文学」ラウンドテーブル

撮影:Pablo Carrera Oser
「北は、エキゾチックな味付けをしていない南のストーリーには興味をもたない」

2018年4月24日、サンマルティン大学で学生が見まもるなかで行われた第七回「南の文学」ラウンドテーブルのようすが動画になった。過去3年間に6回にわたる講義そのものは終わったが、これまでの経緯や目的などをまとめるラウンドテーブル!まず「世界を読む」プログラムのディレクター、マリオ・グレコが挨拶。参加者はアルゼンチンから3人の作家・翻訳家だ。作家・翻訳家のマリアナ・ディモプロス、作家のペドロ・マイラルと、ファビアン・マルティネス・スィカルディ。ビデオメッセージとして出てくるニコラス・ジョーズはアデレードから、アンキー・クロッホはケープタウンからだろう。そして「南の文学」のチェア、JMクッツェーとそのコーディネーター、アナ・カズミ・スタール。
 クッツェーの発言は12分15秒あたりからで、まずスペイン語で感謝を述べ、14分10秒あたりから英語で17分ほどスピーチをする!

















 まず、これまでの6回にわたる南の文学講座の個別のテーマを振り返り、そこに招待した作家、編集者、出版者、ディレクター、シナリオライターの名前をあげていく。その果実としてアルゼンチンではオーストラリアの、オーストラリアではアルゼンチンの作家の作品が翻訳されたり、作家を招聘したりしたことも。

 クッツェーの話ががぜん面白くなるのはそこからだ。

 クッツェーはメッセージのなかで、アフリカの架空の国アシャンテを想定し、そこで起きた事件をめぐって北と南の力関係を指摘する。BBCやCNNといった北のジャーナリズムが派遣する特派員のリポートと現地のジャーナリストが発するテクストの違い、北と南のそれぞれ個別の事情をめぐる言語化の例をあげて、北と南をめぐるパラダイムを可視化しようとするのだ。たとえば現地記者のリポートは現地の細かな情報をふんだんに盛るが、北側の視聴者はそんな詳細には興味はない。文学も似ていて、北が南の物語を決めるとすればそれは南とは無縁の物語となる。翻訳またしかりで、南の文学が北で翻訳されて出版されると、編集者がここで読者を獲得できると感じるものによって、結果は南とは無縁のものとなる南アフリカやオーストラリアの作家の書くものでどこが面白いか、その評価を最終的に定めるのはロンドンとニューヨークなのだと述べる。(付記:しかしアシャンテ国内のメディアが統制されているとき、全体像を知るためには北のメディアにアプローチせざるを得ない状況があるとしたら、、、と視点の転換をうながして考えることをクッツェーは忘れない。)(これらはあくまで筆者のおおまかな、それもごく一部分のまとめですのであしからず。)

 アルゼンチンのスペイン語文学については、英語圏ほど北との緊密なつながりがないと。そこにクッツェーは希望を見つけようとしているのだろうか。これは巷でかしましく論じられる「世界文学」がどういう指向性をもっているか、もっと俯瞰して再考をうながす視点だと思う。これまでの講義は、北のメトロポリスを介さず、南と南が直接触れ合うことで実施された、そのことの意味を考える。南の地域は北側と動物相や植物相が異なるだけでなく、共通するのは植民地化の歴史と文化であり、無人であると北がみなした土地であり、、、

 クッツェーは自分が「グローバル・サウス」という言い方をしないことに注目してほしいと述べる。北はそう呼ぶことで南の抽象的なストーリーを作りあげる。すこしだけエキゾチックなテイストを加味した作品をよしとして、北の読者が満足しそうなストーリーを出版する。南の作家は、どうしたら北側に受け入れられるかを考えて、その門をくぐるためにエキゾチシズムを含めて書くようになってしまう。
 そんなふうにロンドンやニューヨークの出版社が指導権を握るあり方をクッツェーは根底的に批判し、自分たちを中心に考えてまったく疑わない北側のヘゲモニーへの抵抗を宣言する。そして、北を介さずに南どうしがやりとりする場を3年にわたってアルゼンチンで設ける試みをしたのだ。
 これは英語をめぐる1月末の「カルタヘナでのスピーチ」と対をなすものだろう。

 北側の覇権に抵抗する具体的行動として、クッツェーは自分の最新作を、英語ではなく、まずスペイン語でSiete cuentos morales として出した。日本語でも5月31日に『モラルの話』(人文書院)として出る。(編集担当者Aさんと訳者が、がんばりました。)

 結果として、そこでまた大きな宿題を抱え込むことになったが。およそ「モラル」と呼べる社会規範を支える言語体系の根幹にひびが入ってしまったかに見えるこの日本語社会で、この日本語の『モラルの話』がどのような意味をもつか、ということだが、それはまた別の機会に。

***
2019.11.8──付記。

先日こんな世界地図を見つけたのでアップしておく。地球を「北と南」に分けるのは地理的な「赤道」ではなく、社会学的な抽象概念による、と指摘するクッツェーの論はこの地図を見るとよく理解できる。赤い部分がいわゆる「グローバルサウス」なのだろう。



2018/05/01

ジョン・クッツェーとポール・オースターがふたたび

昨日、4月30日にブエノスアイレスのMALBAで、J・M・クッツェー、ポール・オースター、そしてソレダード・コスタンティーニとアナ・カズミ・スタールが舞台に。早々と動画がアップされたので、シェアします! よく響くオースターの低い声に、ひかえ目でハスキーなクッツェーの声。



 アルゼンチンとの関わりから始まる一般的な話題、そしてドキュメンタリー、映画、音楽などにふれながら、友情についてと話は進みます。とりわけオースターとクッツェーがやりとりした手紙で構成された『ヒア・アンド・ナウ』の内容に少し突っ込んだ質問が出てきて、率直なやりとりがありますが、どこか知ってる話だなあとも。
スタールがジョンに英語について質問します──手紙を書いているときも英語は自分の言語ではないような気がしますか? それに対してクッツェーは自分の英語との関係はどんどんアンハッピーなものになっていく。オースターはどうか、という質問に、延々と英語の歴史を語るオースター。自分はラッキーだったと最後にまとめる。
 話題はもっぱら二人の往復書簡から、ですね。全体に、カテドラ・クッツェーの発表時の緊張感にくらべると、なんともゆるい会話(笑)。

2018/04/08

2016年4月のMALBAでのクッツェー

ほぼ2年前のいまごろになるのか。2016年4月にMALBAで行った講演を備忘のためにアップしておく。「アリアドネの糸」からは、12冊の個人ライブラリーのほかに、クッツェーのエッセイ集から4冊のノンフィクション、そしてフィクションの新訳が数冊、出版された。そのノンフィクションからクッツェーが朗読し、それについてスタールと対話している。長いけれど、とても面白い。

1)What is the classic? から。
2)ドリス・レッシングの自伝についてから。
3)ウィリアム・フォークナーの伝記についてから。
そして、アナ・カズミ・スタールとのやりとり。

2018/01/28

カルタヘナのクッツェー:越境もここまできたかと

27日、カルタヘナの文学祭でステージにあがったJMクッツェーは、スペイン語でイントロを少しやって、1999年に初めて書籍のなかに登場したエリザベス・コステロの履歴とその書籍がまとめられたいきさつを述べた。

 文学祭アカウントがtwitter でアップしたコメントによると(付記:2018.1.30──twitter 上ではなく、webの記事に基づいてできるだけ正確な表現に変えました)、クッツェーはこんなことを言ったようだ。『ヒア・アンド・ナウ』でもすでに述べていたことだけれど(ここでも触れました)、彼がこのところスペイン語圏で、それもアメリカスのスペイン語圏で活躍する理由が、ここから判断できるだろう。


・わたしは英語で作品を書いてきたが、英語が自分の言語だと思ったことはない。

・わたしは英語が世界を乗っ取っていくやり方が好きではない。英語が進む道の途中でマイナーな言語を押しつぶすやり方が好きではない。英語がもっとも普遍的であるかのようなふりをすること、つまり、世界とは英語という言語の鏡に映るものであると疑いもしない考えが好きではない。


 クッツェーという作家は、スペイン語圏へ足しげくおもむいて、それも、西側というか北側を「中心に」まわっている創作、出版活動からできるかぎり距離を置いた地点から発信する方法を選んでいる。南アフリカという生地から外へ、国境はすでに超えた。アパルトヘイトからの解放についても「一国だけの解放」に興味はない、と明言して周囲を驚かせたクッツェーは、いま、言語の境界を内部から超えようとしている。

 小さなアフリカーナー社会から広い世界へ出ていくために両親が(とりわけ母親が)家庭では英語を使い、英語で教育を受けさせた結果、クッツェーは英語で書いてきたし、おもに英語を使って生きることになった。しかし、人間として、作家として心身の内部に染み渡るその言語が、いまも自分の言語のように思えない──という。これはどういうことか?
 彼の姿は、まるで自分の胸を切り裂いて、子供たちに餌として食べさせるペリカンの母のようにさえ見えてきた。これはクッツェーがよく用いる例なのだけれど。

 ちなみに写真の左手に座っている女性は、ブエノスアイレスの出版社「アリアドネの糸」の編集者(MALBAのディレクターでもある)ソレダード・コスタンティーニさん。クッツェーが英語で読んだテクスト「The Dog」を、スペイン語で読んだようだ。その短編を含む新刊書 Siete cuentos morales ももうすぐ出るらしい──どうやら3月発売のようだ。


*****
付記:2018.2.4──El Pais に掲載された記事によれば、27日は文学祭のステージで、28日はカルタヘナ市内の書店で、それぞれコスタンティーニさんと二人で「朗読」と「トーク」(サイン会も)を行ったそうだ。上の投稿にはその2つの内容が混在していることをお断りしておきます。

2017/09/16

J・M・クッツェーとUNSAMの仲間たち

9月11日から13日まで、アルゼンチンのブエノスアイレスにあるMALBAおよびUNSAMで開かれたイベントと「南の文学」の写真をいくつか、備忘のためにアップしておく。

MALBAでアナ・カズミ・スタールと

JMクッツェーとカルロス・ルタ
スペシャル・ゲスト、キャロル・クラークソン
クラークソンの話にはヘッドフォンは不要😎

研究発表
ヘッドフォンでシンポを聞きながらメモするクッツェー、めずらしく黒いシャツ姿
「Foe」の演劇キャスト、スタッフたちと
左端がアナ・カズミ・スタール、3人目がキャロル・クラークソン
UNSAMの仲間たち、みんな笑顔



2017/08/24

「南の文学」講座のお知らせ

クッツェーも77歳。今回で6回目、たぶん最終回になるはずのサンマルティン大学で開かれる「南の文学」講座。今年は9月12日、13日に集中して行われるようだ。


 どんな内容になるんだろう? 全6回の講座を、クッツェーはどうまとめるのだろう?

2017/05/29

クロッホとクッツェーとコウト

昨年の9月にブエノスアイレスのサンマルティン大学で行われた「南の文学」講座のことは、ここでも触れましたが、その後、アンキー・クロッホとミア・コウトとJMクッツェーが仲良くならんだ写真が見つかりました。記録のために、ここに貼り付けます。
南部アフリカ出身の3人の作家たち

写真が小さいとジョン・クッツェーの顔が怖い顔に見えるけれど、拡大してみてください。3人とも、かすかに微笑んでいるんですよ〜〜。

*****
2017.5.30付記──アンキー・クロッホについてJMクッツェーが『厄年日記』に書いた文章をここで紹介しました。ミア・コウトは雑誌「すばる」に抄訳をのせましたが、それについてはこちらへ。

2017/04/20

第5回「南の文学」のテーマは映画!

 2015年から毎年2回、ブエノスアイレスのサンマルティン大学で行われている「南の文学」講座。第5回目にあたる今年は、5月3日から7日まで。テーマは「本からスクリーンへ」、つまり「映画」! 文学作品をシナリオに書くことについて学ぶコースがあるとか。

 ゲストはオーストラリアから映画『Disgrace』のシナリオを書いたアナ・マリア・モンティセッリ、『ロミュラス、わが父』(日本での上映名は「ディア・マイ・ファーザー」)の原作者レイモンド・ガイタ、アルゼンチンからはトリスタン・バウアー監督が参加する予定らしい。おもな講師陣がUNSAMのサイトにアップされているのでぜひ!


 そうだ、すっかり忘れていた。クッツェーの第三作『夷狄を待ちながら』がコロンビアの若手監督シーロ・ゲーラによって映画化されるんだった。詳しくはここで。

*****
追記:加筆しているうちに、消えてしまった箇所があって、あらためて書き直しました(汗)。講師陣については、ある記事を参照して書いたのですが、公式サイトのほうが確かかも。

2017/02/28

ミア・コウト『フランジパニの露台』抄訳しました


気の早い予告です。まだひと月も先のことなんです。でもいわずにいられない/笑。

 モザンビークの作家、ミア・コウト(1955~)の作品を抄訳しました。1996年に出た『フランジパニの露台/A Varanda do Frangipani』から第1章「死んだ男の夢」です。

 訳したといっても、原著はポルトガル語で書かれていますから、わたしには手が出ません。デイヴィッド・ブルックショーが英語に訳した『Under the Frangipani』(2001)からの重訳で、ひと月ほど先の、4月初旬発売の「すばる 5月号」(集英社)に掲載される予定です。

 この作品を読んですっかり魅了されたのは、アフリカ南部に共通する世界観のようなものが色濃く出ているからです。でも、そんなことをいったらコウトのほかの作品だってそういえる、と反論が返ってきそうですが、とくに「カメレオンが神さまから人間に永遠の生命をさずけるというメッセージを運んでいくうちに手間取って、そのうち神さまの気が変わって反対のメッセージを伝える使者が出されて……」という話がふいに出てきて、あ、これはマジシ・クネーネだ、あの「ズールーの創世記神話」の骨格になった話型そのままだ、と思ったのがこの作品をまずとりあげた理由です。

 あれは必ずしもズールー民族に固有の神話ではないかもしれない、アフリカ南東部に住み暮らす人たちには、多少の違いはあっても、広く共通する世界創生の神話かもしれない、と思ったのですが、とにもかくにもそれが大きな収穫です。偏狭なナショナリズムは「俺たちに固有」という言い方をやたら強調したがるけれど、じつは周辺にいる複数の民族のあいだで共有されてきた話が多いのではないかと。でも、じつはこの本にはエピグラフに「シャカ」のことばも引用されています。ズールー民族の武勲のほまれ高い英雄です。ということは……?!

本来ならポルトガル語に達者な方が直接、原語から翻訳すべき作品だと思いますし、ミア・コウトが日本の文学圏に紹介されるべき作家であることは間違いないのですが、待てど暮らせどそんな知らせが聞こえてこない。それで、しびれを切らして試訳しました。
 あらためて思ったのはミア・コウトは詩人なんだということと、環境生物学者であること、です。かならずといっていいほど作品に動物が出てくる(フラミンゴとかライオンとか)。動物と人間の不可分の関係が(これこそ「アフリカに固有の」といえる?)摩訶不思議な話となって紡がれていきます。
 たとえばこの『フランジパニの露台』では「ハラカブマ」と呼ばれる「センザンコウ」が大きな役割を演じます。背中がびっしりと鋭い鱗でおおわれた哺乳動物です。蟻を食べる。くるりとまるくなる。検索するとたくさん写真も出てきますが、作中ではこの「鱗」が暗示的に、効果的に使われています。

 解説に「白い肉体、黒い魂」というタイトルをつけました。この作品の英訳にある故ヘニング・マンケル(スウェーデンの著名な作家、児童文学者)の前書き「White Body, Black Soul」からいただいたタイトルです。これはフランツ・ファノンの『黒い皮膚、白い仮面/Peau Noir, Masques Blancs』を意識したものでしょうね、きっと。

 ミア・コウトについては、じつはここでも触れました。ブエノスアイレスのサンマルティン大学で、J・M・クッツェーが年に2回開いている「南の文学」講座に、昨年、南アフリカのアンキー・クロッホといっしょに、講師として招かれていたのです。
 まあ、とにかく本邦初訳です。「すばる 5月号」、ぜひのぞいてみてください。

2016/09/21

アルゼンチンの刑務所を訪れたクッツェー

現在ブエノス・アイレスにいるJMクッツェーについて、興味深い記事がアップされた。Folha というサンパウロの媒体の記事だが、ざっとgoogleで訳したものを部分訳して引用する。現在、この作家が何を考え、どのような活動をしているか、それを理解するための大いなる助けになることは間違いない。

*******
アルゼンチンの刑務所を訪れたクッツェー
シルヴィア・コロンボ(Folha de S.Paulo)

つい最近、ホセ・レオン・スアレスを訪れたクッツェー
──アルゼンチンの刑務所を訪問するようになったのはどうしてですか? 南アフリカや他の国々でもこのような活動をしているのですか?

JMC──このプロジェクトは、わたしが国立サンマルティン大学を初めて訪問したときにスタートしました。刑務所で「ワークショップ」をしたことはありませんでしたが、南アフリカでは朗読や囚人が書いた文章にコメントするといったことには参加していました。

──2015年のマルバで行われたパネルディスカッションで、アルゼンチンの作家たちとともに、ヨーロッパやアメリカの出版社の調停に対する批判をしていました。彼らは翻訳や、他の世界から出てくる文学をプロモートすることにほとんど関心を示さないと、作品と大きな距離をとりながら、相互交流を阻んでいると。それは変わってきている思いますか?

JMC──変わってきたという明らかな証拠は見えません。それ以上に、ここ数ヶ月のあいだにこの目で見たことは、ラテンアメリカ諸国による相互交流がいかに困難かということでした。ラテンアメリカの作家たちの作品をラテンアメリカ諸国内で独自に出版流通させる手段がない、それが理由です。

──アルゼンチンの刑務所と南アフリカの刑務所の相違点と類似点はどんなものでしょうか? 

JMC──どんな国へ行っても、刑務所での日課は相違点より類似点が多いものです。でも、わたしは個人的には刑務所経験はありません。そこで生きている人たちの経験についてあれこれ語る資格はわたしにはないと思います。

──では、相互交流したアルゼンチンの囚人の作品ですが、その文学的な性質についてはどうお考えですか?

JMC──彼らは自分の感情を表現したい、非常に情熱的な考え方を表現したい、と思っていますが、それには限界がある。なぜなら、十分な教育を受けていないため、また文学になじみがないため、明らかに最も基本的なものにさえです。刑務所の教師たちは、自己表現の練習を刺激しながらすばらしい仕事をしています。

──この南アメリカでの経験をこれからお書きになる作品で使う計画はありますか?

JMC──作家として、そういうやり方をわたしは採りません。
 (取材前に、メールによって行われたンタビューです)

2016/09/17

9月のクッツェー、今年もチリ、エクアドル、アルゼンチンへ

受賞者に賞を手渡すクッツェー
9月のクッツェーの活動です。
 まず、チリでクッツェーの名を冠した文学賞(18歳までが対象の短編小説賞)の受賞者に賞を手渡し、つぎはエクアドルのグアヤキルで開かれたブックフェアに参加してキーノートスピーチを行い(テーマは「検閲」で、クッツェーさんはスペイン語でスピーチをしたそうです)、12日からはアルゼンチンのサンマルティン大学で、恒例の「南の文学」講座に参加。23日まで。詳細はここで。

検閲について語るクッツェー
 ゲスト講師は、モザンビークからミア・コウト/Mia Couto、そして南アフリカからはアンキー・クロッホ/Antjie Krog。

テーブル席最左がコウト
 ミア・コウトはポルトガル語圏屈指の作家で、数年前に国際マンブッカー賞のファイナルに残りました。専門は環境生物学で、両親はポルトガルからの移民です。ミア・コウトは幼いころからモザンビークで南部アフリカの風土を皮膚から吸い込んで育ったために、いわば、アフリカ的感覚とヨーロッパ的知性が渾然一体になったような文章をポルトガル語で書いている(らしい)。(何冊も英語に訳されています。)この作家の作品を日本語に訳してくれる人があらわれないかと、首を長くして待っているひとが何人もいるのですが……。

 一方、アンキー・クロッホは南アフリカのオランダ系の名前。アフリカーンス語で書く詩人でジャーナリストです。1994年にアパルトヘイトから解放された直後、デズモンド・ツツ主教の先導で真実和解委員会がたちあげられました。アパルヘイト政権下で行われた暗殺、拘禁、拷問死など、数々の不正に手をくだした人間が、もし、犠牲者の家族の目の前で真実を語るなら恩赦をあたえよう、という趣旨で始められた委員会でしたが、このやりとりの一部始終を詳細にわたって報告したのがアンキー・クロッホでした。


クッツェーとアンキー・クロッホ
 その結果が Country of my Skull (1999)という分厚い本にまとめられて出版されました。日本でも『カントリー・オブ・マイ・スカル』(現代企画室)というタイトルで2010年に訳が出ています。*
 アンキー・クロッホについては、クッツェーが『厄年日記』で一章をさいて書いているのを、何年か前にこのブログでも紹介しました。ここです。


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2017.5.29──このときの写真や動画が見つかりましたので埋め込みます。



左がクロッホの、右がコウトの、スペイン語訳



2016/04/23

ブックフェアでトークショーに出るクッツェー:9月には新作も

 この21日から始まったブエノスアイレスのブックフェアに参加しているジョン・クッツェー、以前ならこういった「トーク」にはほとんど出ない姿勢を崩さず、ケープタウン時代は「引きこもり作家」などと呼ばれていたのに、オーストラリアへ移ってからずいぶん変わったものだ。とても社交的になって、自宅に友達や同僚や仲間を招いて、冗談をいいながら話もするようになったのだから。(おかげでわたしも2014年にフェスの参加者といっしょに招かれ、彼の手料理までご馳走になった!)

 とりわけここ数年の南アメリカ諸国訪問への、彼の熱の入れようはすごい。先日もメキシコへ行ったばかりだった。コロンビアもよく訪れている。ブエノスアイレスのこのブックフフェアのあとは、サンマルティン大学で3回目のセミナーを控えてもいるわけだから、とりわけアルゼンチンへの出没頻度が高いといえる。

 臨機応変にその場で応答するのが苦手だから、講演はもっぱら書いたものを朗読する形式でやってきたクッツェーだが、チャレンジ精神旺盛に、大きく自分の殻を破っていく姿がまぶしい。今年で76歳になったクッツェーは、人生の残り時間は若い人たち、とりわけ「南」の人たちへ何かを確実に手渡そうという意気込みが強く感じられる。
 2013年に出た小説 The Childhood of Jesus は、ある種の哲学小説、あるいは、文学的テーマパークのようにさまざまなテーマを浅くちりばめた作品と見えながらも、大きな枠組みで見ると、あれはクッツェー流の「子育て論」であり「教育論」ではないかとわたしなどは思ってきたのだけれど、今年9月に出るという The Schooldays of Jesus という新作のタイトルを見ると、やっぱりなあ、と思わざるをえない。タイトルを日本語にすると『学校へ通うイエス』というか、『イエスの学生時代』というか、制度としての「学校」と「教育」に重点を置く作品になるのかしらん、と想像してしまう。

少年時代、青年時代』はまさしく彼のSchooldays だったわけだし、立場は変わるけれど『サマータイム』だって、今度は職場としての学校が舞台になった作品だった。彼の母親が長年教師だったこともあって、クッツェーはずっと「教育」と切っても切れない関係に身を置いてきた人間なのだ。社会制度としての教育に鋭い光をあてるときがやってきても、少しもおかしくはない。作家としてのクッツェーと、教師としてのクッツェーは、まぎれもなく同一人物なのだから。そして、二人の子供を育てた「親」としてのクッツェー。この部分がとても微妙なのだけれど。
 
 自分がこの世に生まれてきたのはなんのためか、自分の vocation/天職はなにか、とずっと自問しつづけてきた人ならではの視点で書かれる彼の文章は、いつだって、ややもするとたった一つの「国」の内部で視野狭窄におちいりがちな人間を、ぐんと見晴らしのいいパースペクティヴのなかへ連れ出すパワーをもっている。このパワーがなんといってもクッツェーの文章の醍醐味なのだ。新作が楽しみだ。

 今日もまた、あいかわらずのクッツェー話でした!

2016/04/08

「第4回 世界文学・語圏横断ネットワーク研究集会」のために

明日は本郷で「第4回 世界文学・語圏横断ネットワーク研究集会」が開催されます。明日のプログラムのタイトルは「南の文学」。そこで思い出すのは、昨年のいまごろ

  メトロポリスと周辺──J・M・クッツェーたちの挑戦

というタイトルでブログを書いたことで、そこではクッツェーがアルゼンチンのサンマルティン大学で開催する「南の文学」講座のことを紹介しました。そのとき、明日のコーディネーターをなさる柳原孝敦さんらに助けていただいて紹介したクッツェーのインタビューを、参考までにここに再掲します。

4月と9月に開かれるこの「南の文学」講座は、今年も第三回目が今月末に開催されるようです。

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「われわれ(の文学)がマイナー文学であるという考えに抵抗しなければならない」

2003年にノーベル文学賞を受賞した南アフリカ生れの作家、JMクッツェーはすでに何度もこの地を訪れているが、今回はアルゼンチンのサンマルティン国立大学で開催されるセミナー「南の文学」のディレクターをつとめる。大学院の授業として開かれるこのセミナーは、アフリカ、オセアニア、南アメリカの文学を横につないで「南の文学」を創造する試みだ。今日から始まるセミナーではこの三つの地域から作家、研究者、教師、文藝批評家が一堂に会する。第一回はオーストラリアの文学に焦点をあてる。参加するのはゲイル・ジョーンズとニコラス・ジョーズ。

セミナーについて、クッツェーは「クラリン」誌の質問にメールで次のように答えている。

Q:南の文学に共通する基本的な要素とは何でしょうか?


JMC:それはまさに、われわれがこのセミナーで答えたいと思っていることです。これらの地域の作家と文学研究者どうしの繋がりはあまり強くはないので、そのため英語を使う世界への影響が、北から南へという方向になり、南から北へはあまりない。この位置関係を今回のセミナーによって覆すことが願いです。

Q:以前あなたは「スイス人が言うには、スイス人であることはマイナーな存在であることを運命づけられている」と書きました。それはオーストラリア人にも言えることでしょうか? 中心以外の文学で「マイナー」でいられずにすむ文学というのはありますか?

JMC:メトロポリスの出身でないかぎり、そして一般的に、北のメトロポリスのことを語らないかぎり「田舎者」であり「マイナー」であると運命づけられるという考えこそ、われわれが抵抗しなければならないものです。

Q:植民地であった点で共通しているオーストリアと南アフリカで、植民地化の影響の類似点と相違点は?

JMC:オーストラリアの文化的生活に、かつての植民地権力であった英国がおよぼした影響は、20世紀半ばまで強力なものでした。それ以降は英国に代わって、特にアメリカのポップカルチャーが文化モデルになりました。しかし、最良のオーストラリア人作家は独自の立場から、みずからの声で語るようになっています。

Q:オーストラリア文学は「エキゾチックな」文学に含まれるのでしょうか? それともアルゼンチンのようにそれを拒否するのでしょうか?

JMC:世界文学(ここでは単一の「世界文学」ではなくて「世界のいろいろな文学」のニュアンス)というのは結局、北の大都市以外のところから出てくる文学を指す婉曲語法なので、オーストラリア文学も世界文学の一員であるなどと考える以前に、北のメトロポリスの文学とそうでない文学(地方的でマイナーな文学とされるもの)を区別する必要があるでしょう。

Q:中央と周辺という考えは、ヨーロッパの危機とグローバリゼーションと再定義してもいいでしょうか?


JMC:それは厄介な質問です。グローバリゼーションとは概念として、中央と周辺のあいだの対立を超越するもののように見えながら、実際は「北」がみずからを中心と見なし「南」を周辺と見なしています。