2016/11/24

英語の「豆」がフランス語では「スープ」になる話

朝起きてみると外は雪。
 11月に東京で雪が降るのはずいぶん久しぶりです。それもこんなに積もるなんて。でも、1968年に東京に出てきたころは、いまにくらべるとずいぶん寒くて、10月にはもうストーブを引っ張り出していた記憶があります。ある決定的な記憶としては、10月21日に雪が降った年があったこと。あれは、1969年だったかな。

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さて、先日ある小説のオリジナル英語版とフランス語訳を読みくらべていて、すごく面白い例に行き当たりました。英語の「豆」がフランス語では「スープ」になっていたのです!

英語の原文はこうです。

I was always a clever child, a good child and clever child.  I ate my beans, which were good for me, and did my homework.

ぼくはいつだって頭のいい子だった。良い子で頭のいい子だった。身体にいいからと豆も食べたし、宿題もやった。

それがフランス語ではこうなっていたのです。

J'étais un enfant intelligent, un bon petit et un enfant intelligent.  Je mangeais ma soupe pour grandir, et je faisais mes devoirs.

ぼくはいつだって頭のいい子だった。良い子で頭のいい子だった。大きくなるためにスープだって食べたし、宿題もやった。


こんなふうに慣用的な表現をその言語独自の表現に変換する例は多々ありますが、これは英語圏と仏語圏の日常的な「食文化」の違いがはっきりあらわれている例で、とても面白いですね。

はてさて、この作品はなんでしょう? 
来年中にはきっと書店にならぶはずです。
お楽しみに!


2016/11/11

ジャニス・ジョップリンの「薔薇」

訂正します──これはベット・ミドラーがジャニスをモデルにした映画の主題歌として歌った曲でした。1979年のことです。ジャニス・ジョップリンは1970年に27才で他界しています。でもいい曲ですねえ。心にひたひたときます。




"The Rose"

Some say love, it is a river
That drowns the tender reed.
Some say love, it is a razor
That leaves your soul to bleed.
Some say love, it is a hunger,
An endless aching need.
I say love, it is a flower,
And you its only seed.

It's the heart afraid of breaking
That never learns to dance.
It's the dream afraid of waking
That never takes the chance.
It's the one who won't be taken,
Who cannot seem to give,
And the soul afraid of dyin'
That never learns to live.

When the night has been too lonely
And the road has been too long,
And you think that love is only
For the lucky and the strong,
Just remember in the winter
Far beneath the bitter snows
Lies the seed that with the sun's love
In the spring becomes the rose.

Written by Bette Midler and Gordon Mills

2016/11/09

自分の時間は自分が満たす

「アメリカ大統領選挙のニュースばかり流れる今、思い出したのは米国市民のポール・オースターに J・M・クッツェーが返した手紙のことばだ。オースターが自国アメリカについて語る楽観的なことばに、鋭く切り込むクッツェー」と書いて昨日、facebook などに以下の文章を引用して載せたのだけれど、備忘録のためにここにも書いておこう。
 手紙の日付は2010年11月29日だ。
 
「二インチ前進、一インチ後退」──それが君の国における社会的進歩を表現するために君が使うフレーズだが、その国は世界の主導権を握る者であるゆえに、ある重要な意味において僕の国でもあり、この惑星上のほかのもろもろの人間にとってもそうであるにもかかわらず、われわれ部外者はその政治的プロセスに参加できないという条件の元におかれている。
 生涯にわたり支配される階級の一員である僕自身の、いくぶん偏見を抱いた目には、われわれを支配する者がわれわれをより良き未来へ導くと見るのはナイーヴに映る。」

                    ──『ヒア・アンド・ナウ』p237より


 今回のアメリカの大統領選を、世界中が固唾を飲んで見守りながら、悔しい思いで地団駄踏んで、絶望的な気持ちになった理由は、下線を引いた部分にこそあると思う。しかしサンダーズ候補が舞台から消えた時点で、ほとんど幕引きだったようにも思えるな。

 しかし。それでも。地球はまだあるし、とりあえず地面はまだ足の下に横たわっていて、わたしはまだ生きている。夜空を見上げれば、冷たい空気のなかで、こうこうと輝く冬の月。遠くから、消防車が鳴らす「火の用心」の鐘が近づいてきては、また遠ざかっていく。

 明日からもまた生きていくのだと思う。いたずらに絶望的になってみても始まらないのだ。暴力的に介入してくる「情報」なるものにあらがいながら、私たちの時間は私たちが満たす。じっくりと、ゆっくりと、本を読もう。
 そうだ、そうしよう。

2016/11/05

J・M・クッツェーの『三つの物語』

J・M・クッツェーの『Three Stories/三つの物語』、フランス語の訳が出たみたい。スイユから。Trois histoires.



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付記2016.11.8:三つの物語とは「スペインの家」「ニートフェルローレン」「彼とその従者」で、「スペインの家」はこの秋の「すばる 10月号」に詳しい解説といっしょに訳出しました。「ニートフェルローレン」は2013年「神奈川大学評論」の特集「アフリカの光と影」に訳しました。「彼とその従者」もすでに訳してあります。
日本語版もぜひ、本にしたいなあ。