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2023/06/11

「海外文学の森へ 56」『過去を売る男』:ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ著、木下眞穂訳『過去を売る男』

東京新聞(6月6日夕刊)のコラム「海外文学の森 56」でジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ著、木下眞穂訳『過去を売る男』(白水社)を紹介しました。

 このリレーコラム、最初は「書評より、もっと柔らかく、身近なことも含めてエッセイふうに」という依頼だったように記憶しています。「柔らかく」がうまくいってるかどうかは別として、今回は、むかしのこともちょっと書いたり。

タイトルは、担当の記者の方が付けてくれたものです。

***アンゴラの風に乗って***

「トッケー、トッケー」と鳴くヤモリが壁を這う家に泊まったことがある。小さな娘たちとタイへ旅した遠い昔だ。『過去を売る男』を読んで、アンゴラのヤモリは笑うのか! と溜め息をつく。アンゴラのヤモリの声も聞いてみたかった。そんな叶わぬ旅への憧憬をかき立てる作品だ。

 主人公フェリックス・ヴェントゥーラはアルビノの黒人、資料を集めて過去を創作し、それを売ることを生業にしている。ポルトガル移民で古書店主の祖父、その息子が養父、という彼の系譜自体が謎めいている。おまけに家に住み着いたヤモリ語りに遠い記憶が入り込む。このヤモリ、かつては人間だったらしい


 舞台となるアンゴラはアフリカ南西部の大きな国だ。西は大西洋に面し、北はコンゴ民主共和国、南はナミビアに隣接し、かつてはポルトガルの植民地で奴隷の輸出国だった。独立は一九七五年だが二〇〇二年まで内戦が続いた。


 六〇年生まれのアグアルーザは、ポルトガル語にいくつかバンツー系言語が混じる環境で育ったのだろう。作品内には渇いた風が運ぶいくつもの微かな声音が響き、鮮やかな色調が揺れる。


 南部アフリカにはトカゲ、ヤモリといった動物が登場する神話、民話が多い。ズールー民族の詩人マジシ・クネーネが記録した民族創世神話ではカメレオンが神の使者だし、モザンビークの作家ミア・コウトにはハラカブマ(センザンコウ)が男の内部に棲みつく物語がある。


 本書は三十二の短章が深い奥ゆきをもって連なる。過去を買いにきた男、美貌の写真家、浮浪者といった登場人物を天井から眺めるヤモリ。エピグラフのボルヘスが道づれとなり先へ先へと飽きずに読ませる。夢のなかで真実と嘘が一瞬のうちに入れ代わり、過去と現在の境が揺らぐ。


 フェリックスがヤモリと語り合うときは、書き留めたくなることばが多い。雲は「夢の出口に見えない?」とか「幸福とは、たいていの場合、無責任だ」とか。


 土地に染みついた裏切りの記憶がカラフルな房糸となって、一気にほつれて謎が解ける。その向こうに「アンゴラの海」が見えるだろうか?


                      くぼたのぞみ(翻訳家、詩人)


PDFでアップできないので、そっくりペーストします。

2017/05/29

クロッホとクッツェーとコウト

昨年の9月にブエノスアイレスのサンマルティン大学で行われた「南の文学」講座のことは、ここでも触れましたが、その後、アンキー・クロッホとミア・コウトとJMクッツェーが仲良くならんだ写真が見つかりました。記録のために、ここに貼り付けます。
南部アフリカ出身の3人の作家たち

写真が小さいとジョン・クッツェーの顔が怖い顔に見えるけれど、拡大してみてください。3人とも、かすかに微笑んでいるんですよ〜〜。

*****
2017.5.30付記──アンキー・クロッホについてJMクッツェーが『厄年日記』に書いた文章をここで紹介しました。ミア・コウトは雑誌「すばる」に抄訳をのせましたが、それについてはこちらへ。

2017/04/05

「すばる 5月号」にミア・コウトの「フランジパニの露台」が

今月号の「すばる」には、表紙にはありませんが、「すばる海外作家シリーズ」の34回アグネス・オーエンズと35回ミア・コウトが掲載されています。オーエンズは柴田元幸さんの翻訳と解説、コウトはわたくしめの拙訳と解説です。

 アグネス・オーエンズはスコットランド出身の作家(1926~2014)で、今回は「アニー・ロジャーソン」と「金貸し」という二編の短編が訳されています。グラスゴー近辺を舞台にした労働者階級の家族の物語で、どれもとても面白い。

 一方のミア・コウトは1955年生まれで、モザンビークのポルトガル語で書く作家です。今回訳した「死んだ男の夢」は長編(というか中編ですね)『フランジパニの露台』の第1章にあたります。作品については少し前にここに書きました。よかったら、ぜひ!

2017/02/28

ミア・コウト『フランジパニの露台』抄訳しました


気の早い予告です。まだひと月も先のことなんです。でもいわずにいられない/笑。

 モザンビークの作家、ミア・コウト(1955~)の作品を抄訳しました。1996年に出た『フランジパニの露台/A Varanda do Frangipani』から第1章「死んだ男の夢」です。

 訳したといっても、原著はポルトガル語で書かれていますから、わたしには手が出ません。デイヴィッド・ブルックショーが英語に訳した『Under the Frangipani』(2001)からの重訳で、ひと月ほど先の、4月初旬発売の「すばる 5月号」(集英社)に掲載される予定です。

 この作品を読んですっかり魅了されたのは、アフリカ南部に共通する世界観のようなものが色濃く出ているからです。でも、そんなことをいったらコウトのほかの作品だってそういえる、と反論が返ってきそうですが、とくに「カメレオンが神さまから人間に永遠の生命をさずけるというメッセージを運んでいくうちに手間取って、そのうち神さまの気が変わって反対のメッセージを伝える使者が出されて……」という話がふいに出てきて、あ、これはマジシ・クネーネだ、あの「ズールーの創世記神話」の骨格になった話型そのままだ、と思ったのがこの作品をまずとりあげた理由です。

 あれは必ずしもズールー民族に固有の神話ではないかもしれない、アフリカ南東部に住み暮らす人たちには、多少の違いはあっても、広く共通する世界創生の神話かもしれない、と思ったのですが、とにもかくにもそれが大きな収穫です。偏狭なナショナリズムは「俺たちに固有」という言い方をやたら強調したがるけれど、じつは周辺にいる複数の民族のあいだで共有されてきた話が多いのではないかと。でも、じつはこの本にはエピグラフに「シャカ」のことばも引用されています。ズールー民族の武勲のほまれ高い英雄です。ということは……?!

本来ならポルトガル語に達者な方が直接、原語から翻訳すべき作品だと思いますし、ミア・コウトが日本の文学圏に紹介されるべき作家であることは間違いないのですが、待てど暮らせどそんな知らせが聞こえてこない。それで、しびれを切らして試訳しました。
 あらためて思ったのはミア・コウトは詩人なんだということと、環境生物学者であること、です。かならずといっていいほど作品に動物が出てくる(フラミンゴとかライオンとか)。動物と人間の不可分の関係が(これこそ「アフリカに固有の」といえる?)摩訶不思議な話となって紡がれていきます。
 たとえばこの『フランジパニの露台』では「ハラカブマ」と呼ばれる「センザンコウ」が大きな役割を演じます。背中がびっしりと鋭い鱗でおおわれた哺乳動物です。蟻を食べる。くるりとまるくなる。検索するとたくさん写真も出てきますが、作中ではこの「鱗」が暗示的に、効果的に使われています。

 解説に「白い肉体、黒い魂」というタイトルをつけました。この作品の英訳にある故ヘニング・マンケル(スウェーデンの著名な作家、児童文学者)の前書き「White Body, Black Soul」からいただいたタイトルです。これはフランツ・ファノンの『黒い皮膚、白い仮面/Peau Noir, Masques Blancs』を意識したものでしょうね、きっと。

 ミア・コウトについては、じつはここでも触れました。ブエノスアイレスのサンマルティン大学で、J・M・クッツェーが年に2回開いている「南の文学」講座に、昨年、南アフリカのアンキー・クロッホといっしょに、講師として招かれていたのです。
 まあ、とにかく本邦初訳です。「すばる 5月号」、ぜひのぞいてみてください。