ラベル 『サマータイム』 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 『サマータイム』 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022/05/06

「すばる 6月号」に「曇る眼鏡を拭きながら 5」が

 今朝は少し雲が多いけれど、でもまだまだ気持ちのいい初夏の一日、斎藤真理子さんとの往復書簡「曇る眼鏡を拭きながら」も第3ラウンドに入りました。

 今日発売の「すばる 6月号」に載っているのは、斎藤真理子さんへ、くぼたのぞみが書く3通目の手紙です。

 先月号の手紙で真理子さんから、クッツェーの『青年時代』の切り抜きの意味を質問されたので、お返事としてそれについて書きましたが、予想通り、書いているうちにどんどんハマって、クッツェー祭りになってしまいました(笑)。

『青年時代』はクッツェー自伝的三部作の第2巻で、2014年にインスクリプトから出た『サマータイム、青年時代、少年時代──辺境からの三つの<自伝>』に入っています。

 第1巻と第3巻に挟まれて、やや影が薄い作品のように見えますが、どうして、どうして、改めて読むと、これはサンドイッチの中身のようにコクがあって、噛み締めると味がにじみ出てくる作品です。どこまでもドライな筆致で書かれていますが、若いってこういうことだったよなあ、と納得の一冊です。納得だけではなく今回は『ダスクランズ』を翻訳した後初めて読んだこともあって、新たな発見がいくつもありました。

 この第2部は、自分を死んだことにして、生前の友人や恋人へのインタビュー構成で読ませる第3部『サマータイム』に比べると、やや地味に見えますが、青春の嵐をくぐり抜けた人がじっくり読むと、きっとジーンとくること間違いなしです!

2020/02/25

ロマン派について考えて、好き放題書いてみることにした(1)

piano:Leif Ove Andsnes, 2004
2月はずっと、イアン・ボストリッジIan Bostridge の歌うシューベルトの「冬の旅/Winterreise」を聴いていた。ボストリッジは1964年12月25日生まれのイギリス人で、歌手になったのはすいぶんあとになってからだという。まずYOUTUBEに出てくる映像と歌が合体したのをたっぷり聴いたあと、CDを買った。2004年録音だからボストリッジ39歳のときの録音ということかな。
 しかしこの人、名だたる新聞などに評を書くインテリでもあり、こんな本を書いている。

 Schubert's  Winter Journey: Anatomy of an Obsession
 『シューベルトの冬の旅:オブセッションの解剖』

日本語訳はタイトルが『シューベルトの「冬の旅」』と、なぜか副題の「オブセッションの解剖」がない。残念だ。というのは、この副題にこそ深い意味があるからだ。ボストリッジがヴィルヘルム・ミュラーの詩を分析する鋭くも現代的な視点というか、それこそがこの本の真価ではないか。つまり、それぞれの詩行をドイツ語から英語へと翻訳し、スパッと解剖するように分析しながら「ロマン派のオブセッション」に光をあてていく、そこがこの本の読みどころなのだと思う。めっちゃスリリングではないか!
 
 なぜこの本に出会ったかというと、J・M・クッツェーの『サマータイム』が引用されているとfb友達が書いていたのを知ったからだ。
 えっ!シューベルトって、あの「ジュリア」の章に出てくるシューベルトの弦楽五重奏曲のアダージョにあわせて、ジョンがジュリアとセックスしようとする箇所?と思って聞いてみると、その通り。その方がくだんの箇所を教えてくれて、読んだ。ナポレオン・ボナパルト亡きあとのオーストリアで、、、という笑えて泣かせる箇所を再読した。

 それで、はまってしまった。もう一度、クッツェーの『サマータイム』を「オブセッションの解剖」という視点から読み返そう。もう一度、シューベルトの『冬の旅』を聴き直そうと。

 ボストリッジは日本でも有名なテナー歌手で、何度も来日しているし、アルバムも出していた。そうなんだ〜!
 わたしは中学生の少女時代あの天鵞絨のような声をしたディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウでシューベルトにばっちりはまったことがある。1960年代はじめのことだけど。

 クッツェーが10代半ばのカレッジ時代にロマン派の詩人にあこがれて、キーツみたいな詩を書こうとしたことは『青年時代』(2002)にも出てきた。

「なんでまた、キーツにひどく惑わされて、自分でも理解できないキーツ風ソネットを書こうなどと思ったのだろう」(『青年時代』─インスクリプト刊の三部作p199

 そこではたと考える。クッツェーにはロンドンに渡ってもやっぱりロマン派的な嗜好、思考、志向がベースにあったし、おまけに旧態然とした旧植民地の南アフリカで21歳まで(1961年まで)学んだ人だったから、人一倍「中央の都市文化」への「憧れ」は強かっただろう。だから『青年時代』は、もっぱらそのころの自分に対する鋭くも批判的な視点で書こうとするんだけど、どうも不完全燃焼ぎみ。
 そこで第3部『サマータイム』(2009)はがらりと様式を変えたわけだ。三部作ってのは、いつも第二部がちょっと面白くなくなるんだ、これは避けられない宿命なのだ。

ボストリッジの本はシューベルトの『冬の旅』を一曲一曲丁寧に分析して、英訳も載せている。『サマータイム』が出てくるのは第4曲「凍結」の章で、読んでみると、その分析がじつに冴えている。ミュラーの詩の「ストーカー性」をみごとに暴いているのだ。

 ロマン派ってとどとつまりは、自分の思いや感情にとらわれて他者がまったく見えない「ストーカー」的な心情だと分析している。分析するだけではなくて、そのオブセッションを体現するかのように『冬の旅』を歌う、その歌がこの上なくいい。なぜだろう。そこを考えてみたい。若いころの録音がとくにいい。そう、30代のあまくてソフトな声がいいのだ。ディースカウはいま聴くと退屈だが、ボストリッジは聴き飽きない。その違いを、ゆっくり考えてみたい。
つづく

2020/01/25

NELMがAMAZWIに:そしてジョン・クッツェーは80歳に!

北半球が真冬のいま、南半球は真夏だ。
 1940年2月9日、真夏のケープタウンでジョン・クッツェーは生まれた。そして今年2020年に、彼は80歳の誕生日を迎える。

 南アフリカの東ケープ州にグレアムズタウンという都市がある。ローズ大学の所在地だ。そこにAMAZWI (ズールー語でWORDの意味)という文学館ができる。ここは、NELM(National English Literature Museum)という文学館だった。今回あらたに改修されて総合的な施設に生まれ変わるらしい。そのこけら落としとして、クッツェーの誕生日とその翌日にフェスタを行う予定だとか。そこから招待状がきた。

 NELMはとても懐かしい名前だ。1990年にクッツェーの最初のビブリオグラフィーを発行したところで、Kevin Goddard と John Read による編集、序文はなんとあのTeresa Doveyが書いている。ラカンの心理的分析をもとにして、初めてまとまったクッツェー論を書いた人だ。

1990年刊行のNELMの冊子
 1991年に『マイケル・K』の訳書を作家に送ったとき、このビブリオグラフィーについて質問すると(当時は紙の手紙だった!)、ジョン・クッツェーは親切にこの冊子を送る手配をしてくれた。だから、いまもわたしの手元に1冊ある。右の写真がその表紙。
 2003年にノーベル文学賞を受賞したとき、彼の名前をジョン・マイケル・クッツェーだと伝えた「タイムズ紙」や「ニューヨークタイムズ紙」の誤情報に対して、あるいはそんな「北」の大手新聞の情報を鵜呑みにした「世界文学事典」の類まで、それは誤りだと主張するための貴重な資料となった。

 フェスタでクッツェーはいつものように朗読をするらしい。やっぱり新作のThe Death of Jesus からだろうな。

 南アフリカは2011年11月にケープタウンを訪れて以来ずっと、もう一度行ってみたいなあと思いつづけてきた土地だが、この年齢で真冬の東京からいきなり真夏の南アへ行くのは……体力的に……やっぱり。こういうときの自分の体力のなさは本当に歯がゆいけれど、残念ながら涙を飲んだ。

 このイベントのあとクッツェーはスペインに行ってなにやら賞を受けるらしい。クッツェーのスペイン語圏重視はまだまだ続くのだな。それからオランダにも行くのだろうか。70歳の誕生日はアムステルダムでコッセ・パブリッシャーが中心になって3日にわたるイベント「これがクッツェー?」が開催された。
 2009年秋に『サマータイム』が出てブッカー賞ファイナルにノミネートされた直後だったから、クッツェーは『サマータイム』から「マルゴ」の章を朗読したんだった。オランダで読む章がジョンのいとこの「マルゴ」の章であること、本文中に「We white」という表現があることなど、なるほど、とうなずける。クッツェーはまず最初にオランダ語でこれから読む内容についてちょっとコメントしている。オランダ語を話すクッツェー、めずらしい動画だ。再度ここにも埋め込んでおこう。



 そしてアムステルダムのこの2010年2月に開催された3日にわたるイベントでは、2018年の『モラルの話』に入ることになった短編「老女と猫たち」も朗読していたのだけれど、その動画が見当たらないのが残念!
***
2020.1.28──The Old Woman and the Cats を朗読する動画は、じつはジャイプールでの朗読があるにはあるのだけれど、音割れがひどくておすすめできないのだった。