2008/02/11

ドリス・レッシング著『草は歌っている』

山あいのこの朽ちた窪地の
ほのかな月明かりのなか、倒れた墓石のうえで
草は歌っている、礼拝堂のことを
空っぽの礼拝堂があるが、ただの風のすみかだと。
窓はなく、大きく開いては閉じる扉、
渇いた骨が傷つけるものもない。
  ・・・・・・
           T.S. エリオット『荒地』より

 T・S・エリオットの長詩「荒地」の第五部「雷鳴が告げたこと」からの引用ではじまるこの小説『草は歌っている/The Grass is Singing』(山崎勉・酒井格訳、晶文社)は、昨年ノーベル文学賞を最高齢で受賞したドリス・レッシングが、幼い息子と原稿をたずさえ、ほぼ無一文でアフリカの植民地からロンドンに渡った翌年、1950年に発表した作品である。ときに作家、30歳。

 1919年にペルシャで生まれたドリスが南ローデシア(現在のジンバブエ)に移民したのは、両親がそこで農場経営にのりだしたからだ。おもな作物はトウモロコシ。植民地の農場はどこも、あくまで、手っ取り早く金を稼ぐための場所と見なされていた。

 元看護婦の母親はすばやく適応したが、第一次大戦で片足を失った父親は、農場経営に必要な根気強さを欠き、借金に苦しむ。しかし「その土地がもともとそこに住んできた黒人たちのものだとは(私の両親は)ゆめゆめ思わなかっただろう」とは、作家自身が後に自伝に記したことばである。

 この小説が描き出すのは、無惨なまでの敗残者の姿だ。だが、周囲の英国人は彼らを「プアホワイト」とは呼ばない。それはオランダ系白人を指すことばで、誇り高き大英帝国人には絶対に使われてはならないからだ。このあたり、人間の差別と集団意識の欺瞞性をはっきりと描いていて興味深い。
 作品の舞台はそのまま、少女ドリスが育った場所や環境に重なるが、彼女の両親はロンドンから本を取り寄せ、夜ごと子どもたちに読んで聞かせたというから、この小説の主人公たちとはかなり違う。

 物語の展開は殺人事件の謎解きといった趣。孤立した白人夫婦が破滅にいたる経緯が、夫婦の性格や心理、暮らしぶりを執拗に追って明かされていく。最後に、奴隷のように使役された黒人ハウスボーイが女主人を殺す場面で、話が冒頭の殺人事件と結びつく。妥協を許さないまなざしの奥には、どこまでも真実を書く、というこの作家の姿勢が貫かれている。

 小説の出版とおなじ年に、入植の歴史をもつ土地に生まれた評者には、作品内の風景がふと「紙の鏡」のように思える瞬間が何度もあって、いまこの地球上に生きる自分の立ち位置を、つくづくと考えてしまった。
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付記:2008年2月10日付、北海道新聞書評欄に掲載されたものに大幅に加筆しました。

2008/02/08

J・M・クッツェー作品──「名前」をめぐる、あれこれ

 昨年12月7日のクッツェー氏との会見では、最初、今回の旅行のガイドをつとめるMさんが同席していたこともあって、ひとしきり「名前」をめぐる話に花が咲きました。
 「クッツェー」という名の日本語表記について、Mさんから問われるままに説明していると、1989年に『マイケル・K』の邦訳を出すときに、なにに基づいて決めたか、といったことも話題になりました。
「典型的なオランダ系の名前だと聞いたので、アフリカーンス語としての音を、できるだけそれに近いカタカナ表記に変換しました」というと、作家からは「それで正しい」とおすみつきをいただきました。
 ついでに、突っ込んで、ケープタウンなどでは「クツィア」とか「コツィア」と発音されている、という人もいますが──と訊ねると、彼はひとこと「それは方言/dialectです」。それで終わり。 Oh!

 『鉄の時代』に出てくる、古いオランダ語に由来する通りの名前/Schoonder Street や、病院の名前 Groote Schuur、タウンシップ内の店舗に焼け残った看板に記された人名 Bhawoodien(「インド系の名前です」とクッツェー氏は何度も念を押した)などなど、調べのつかなかったものについては、具体的に声に出していってもらい、わたしがカタカナ表記を決めて、日本語風に発音し、これでいいかと確かめました。(実際にどう発音するかは、拙訳『鉄の時代』が出たときの、お楽しみ──。)

 名前の発音については、こだわりの強い方ではないか、とかねがね思っていたのですが、やはり。「本当の名前をなのりあう関係」あるいは「本名を明かさない関係」ということが『鉄の時代』でも何度か言及されています。どのようにその人を呼ぶか、どんな名前をなのるか、それは民族や人種に権力関係がからんでくるときのキーポイントにさえなります。

 『マイケル・K』のなかにも、主人公マイケルを「マイケルズ」と決めつける警察署長や医師が出てきましたが、名前をめぐる人と人の信頼関係の不在や権力構造を可視化することは、彼の作品内に頻出する重要なモチーフといってもいいでしょう。ですから、この作家が名前にこだわるのは、しごく当然なことなのです。

 『鉄の時代』には主人公のミセス・カレン(70歳の白人女性)が、生まれて初めてタウンシップに足を踏み入れる場面が出てきます。長いあいだ住み込みで働いてくれたメイドのフローレンスを、家族のもとへ送っていくシーンです。
 タウンシップというのは、アパルトヘイト政策によって狭くて不毛な土地(ホームランド)に閉じ込められた黒人たちが、職をもとめて都市(タウン)周辺へ出てきて住みついた場所のことで、まずスクオッターキャンプ=不法居住地区と呼ばれました。もっとも有名なのがヨハネスブルグの南西にできた「ソウェト」です。ケープタウンの場合はググレトゥ、ランガ、ニャンガといった場所ですが、「クロスロード」という名前も1985〜86年に起きた、ある事件によって世界中に知られるようになりました。

 ミセス・カレンは、元教師のタバーネという40代の男性に案内されて、雨のなかを歩いて行きますが、「タバーネ/Thabane」という名前は南アフリカにはよくある黒人系の名前です。その頭に「マ/Ma」のついた「マタバーネ/Mathabane」というのもあって、他のクッツェー作品にも出てきます(Disgrace です!)。また作家自身の娘さんの名前は「ドイツ風の名前で、ギゼラ/Gisela」だそうです。

 このように作家自身のミドルネームを含めて「クッツェーと、それをめぐる名前」は、なかなか奥の深いコンテキストを抱えています。すぐれたクッツェー論を著書にもつデレク・アトリッジという人など、「J.M.クッツェーの作品に出てくる名前をテーマにすると、それだけで論文がひとつ書ける」とその著書『J.M.Coetzee and the Ethics of Reading』(Chicago Univ. Press, 2004)のなかで述べているほど。
 この作家の立ち位置からくる、一筋縄ではいかないかに見える作品の背景も、しかし、名前をキーにして注意深く作品内の声に耳を澄ますと、もつれた糸がさらさらと解けてくる面白さがあります。そうすれば、読後の充足感も、よりいっそう濃密なものになるはずです。
 
 たかが「名前」、されど「名前」。うーん、奥が深い!

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2013.3.28付記:ゾーイ・ウィカムの『デイヴィッドの物語』の翻訳で協力してくれた文化人類学者の海野るみさんによれば、ひと言でアフリカーンス語といってもさまざまで、発音も一筋縄では行かないとのこと。たとえば、オランダ系植民者である白人の使うアフリカーンス語はよりオランダ語に近く、混血の進んだ「カラード」の使うアフリカーンス語は、もともとキッチンランゲージだったこともあって、オランダ語からの距離はより大きいはずだ。それが混じり合っているのが現在の南アフリカで使われているアフリカーンス語らしい。
 Coetzee という名前の発音も、したがって、さまざまなバリエーションがある。作家、J. M. Coetzee の場合は、あくまでオランダ語の発音に近い音、クッツェー/kutse:/ が、自分の名前の発音としては正しいと述べている。念のため、手元にある1991年1月11日付けの彼の手紙の文面をここに書き写しておく。

 My family name is pronounced /kutse:/.  The /u/  is short, the stress falls on the second syllable, the syllable break is between the /t/ and the /s/.

2008/02/06

『厄年日記/Diary of a Bad Year』

 昨年9月、南アフリカ出身のノーベル賞作家、J・M・クッツェーの新しい小説『厄年日記/Diary of a Bad Year』が出版された。小説と銘打たれてはいるけれど、この作品には凝った仕掛けがある。

 舞台は、現在この作家が住むオーストラリア、主人公は一人暮らしの72歳の男性作家、「強力な意見」を書いてくれという、ドイツの出版社からの注文に応じて原稿を執筆中だ。国家の起源について、アナーキズムについて、デモクラシーについて、と「意見」が述べられていく。
 ある静かな春の朝、彼が住む高層マンションの1階ランドリールームで、真っ赤なワンピースを着た、若くて魅力的な女性、アンヤを見かけたところから「物語」が始る。

 冒頭部分が、作品の出版より数カ月前に、ある雑誌(New York Review of Books)に発表されてから話題沸騰のこの作品、じつは各ページが3段に区分けされているのだ。上段に「意見」が、2段目に老作家の声が、下段にアンヤの声が展開する。混成3部合唱のような、ポリフォニックな物語構成は、まるで室内楽のスコアを見ているよう。
(こんな構成の本を翻訳するときは、どうすればいいのか?! 横書きの言語ならそのまま移すこともできるけれど、日本語のような縦書き言語の場合は──翻訳者も編集者も思案に暮れそう!)

 さて、新境地を開くクッツェー氏が、一昨年の秋につづいて、昨年12月初旬に再来日した。今回は国際交流基金の招きで、東京、金沢、京都、広島、愛媛、長崎を訪ねてまわる2週間の旅だ。
 今年10月に刊行予定の拙訳『鉄の時代/Age of Iron』内の、メールでは伝わりにくい、固有名詞の発音上の疑問点を解決するために再会した。滞在先のホテルを訪ねると、几帳面なクッツェー氏はふたたび約束の時間きっかりにあらわれた。でも今回は初対面のときの緊張感はなく、終始にこやかに会話が進み、稔り多い会見になった。(この作家の「名前へのこだわり」については、次回に。)

 それから10日後の12月17日に、東京駒場で開かれた自作朗読会でのこと。作家は三声の『厄年日記』を微妙にアレンジし、切り替えのたびに「スイッチ」といいながら朗読した。印象的だったのは、朗読後、珍しく会場から質問を受けつけ、それに丁寧に答えていたことだ。

 駆け足で各地をまわった作家の日本への関心は、さて何処に? 長崎の出島記念館をまず第一の希望として訪れた、オランダ系植民者の末裔であるクッツェー氏、次作には江戸時代の日本が登場するのだろうか?
 ちなみに『鉄の時代』は、河出書房新社刊の世界文学全集第1期11巻に入る。
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2008年2月5日、北海道新聞夕刊に掲載されたコラムに加筆しました。