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2024/03/21

プラド美術館で語るJ・M・クッツェー、マリアナ・ディモプロスとの対話

 昨年7月末にプラド美術館で開催された、ジョン・クッツェーとマリアナ・ディモプロスの対話の英語版(当初のバージョンはスペイン語の同時通訳がかぶさっていた)があった。ここ半年は『その国の奥で』の翻訳などに忙しく、フォローが遅くなったけれど、ここに備忘のためにシェアしておく。

 言語をめぐるJ・M・クッツェーという作家・思想家・言語学者の考え方の基本が伝わる動画だ。

 The Languages of Arts


最初は絵画(イメージ)と言語について、絵画の言語について語っているが、解釈、翻訳についても敷衍するかたちで話は進む。フェルメール、ヴェラスケスなどによって描かれる人物(写真に撮られる人物)の視線について、take the photograph(写真に撮る)、shoot them(彼らを写す)、という表現の動詞について。
 さらに翻訳する二言語間の歴史的、文化的差異について。例えばヴェトナム語にはbrotherにあたる語はなく、兄か弟しかないため(これは日本語もそうだけれど、アジアの言語の多くに見られることかもしれない)、原文にある2人のbrothersはどっちが兄でどっちが弟か、という翻訳者の質問に対してクッツェーは答えられなかった(つまり区別せずに書いているということ)、だからヴェトナム語の翻訳者が自分で決めてくれ、と(笑)。これはもう日本語への翻訳でいつもいつも悩むことだけれど、前後の文脈から訳者が自分で決めなければいけないことなのだ。質問しても答えはない! さらにresonance of the words の重要性についてスペイン語への訳者であるディモプロスは語る。

 そして『ポーランドの人』の翻訳の話になる。そこに描かれている2人の関係について、著者が言語上は意識せずに書いている「関係の変化」について、翻訳者は著者よりさらに意識的(創造的)に会話のことば遣いに配慮する必要があると、スペイン語訳者のディモプロスと非常に重要なことを語り合っているので、要注目だ。英語には二人称はyou しかないが、スペイン語などには距離をおく敬称 usted と、親しい人に使うtú があることの違いなど。

 The Pole という英語で書かれた作品が、スペイン語に翻訳され、そのスペイン語のテクストから(舞台はバルセロナ!)英語のテキストが作者自身によって書き変えられていくプロセスを語っていて、非常に面白い。確かに、最終的なテクストは最初に届いたPDFテクストから大幅に変化していた。照合するのが本当に大変だったなあと。ちょうど去年の今ごろ、その作業をやっていたんだった。


 さて、人とモノとのあいだには、そのモノを指し示す語がメディア(メディエーション)として入り込むが、絵画の場合はイメージが見る者にじかに伝わる。それから言語による解釈というテーマへと移っていったが、このメディアというテーマをクッツェーは第二作目『その国の奥で』で、主人公マグダが宇宙から飛行してきたと思われる存在に向かって、メッセージを必死で伝えようとするときに「あいだ」に入り込むものとして指摘している。
 マグダ(クッツェー)の場合、それはことばだ。面白いのは、第二作目の『その国の奥で』からクッツェーはメディアとしての言語にスペイン語を選んでいること。それも漆喰で白く塗った石を山肌に並べて、空飛ぶ円盤でやってきたものたちにそのメッセージを伝えようとすることだ。「スペイン語は普遍的な言語だ」として。実際に書かれたメッセージにはラテン語、フランス語、イタリア語などがゴチャゴチャと入り込んでくるのだけれど。


 そしてこの動画の最後に、イメージや絵画と小説を書くことの微妙で複雑な関係を、2人はきわめてシンプルな言語で表現していく。その「わかりやすさ」がこの動画のベストポイントだ。

2023/12/30

来年は、J・M・クッツェー『その国の奥で/In the Heart of the Country』です

 今年1年を振り返る時期になったけれど、ここには来年のことを書いておこう。

 現在、新訳を進めているのは、長らく絶版だったJ・M・クッツェーの第二作『In the Heart of the Country/その国の奥で』だ。河出書房新社から、来年半ばには刊行される予定。河出書房新社はチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの邦訳全作品を出している出版社で、クッツェーの『鉄の時代』が入っている池澤夏樹個人編集の世界文学全集の版元でもある。

 この第二作目はまったくもって一筋縄ではいかない作品だ。ファンタジックでゴシックで、実験的という点では初作『ダスクランズ』をはるかに凌ぐ。とにかくものすごい妄想、また妄想なので、読みこんで日本語にするのは作品との「格闘また格闘」となる。やたら時間がかかる。半ページしか進まない日もある。翻訳を始めたのは何年か前だが、全139ページがまだ終わらない。それでも、あと〇〇ページを残すところまできた。

 この作品の出版をめぐる経緯については、以前このブログでも書いた。ウォルコヴィッツの『生まれつき翻訳』について触れたときだ。(ここで読めます。)クッツェー作品としてこの小説が英米で初めて出版されたのは1977年、南アフリカ本国でバイリンガル版として出版されたのは翌年のことで、『鉄の時代』の年譜にも書いたし、自伝的三部作の年譜にも、『J・M・クッツェーと真実』の詳細な年譜にも、必ず書いた。この作品が出版された経緯は、この作家の作家活動にとって非常に重要な細部だからだ。

 当時の南アフリカにはまだ厳しい検閲制度があり、異人種間の結婚はおろか、性交まで禁止する法律があった。世界から切り離されたような南アフリカ奥地の農場を舞台に、極端に狭い人間関係のなかで、事件は起きる。姦通、泥酔、銃撃、殺人、レイプ、ect. ect. しかしそれが実際に起きたのか、起きなかったのか、事実と妄想の境界がきわめて曖昧なのだ。銃を握るのは三十代の独身女性マグダで、彼女の独白が全編を貫いている。

 日本語訳は原著の出版から約20年後の1997年、スリーエーネットワークの「アフリカ文学叢書」の一冊として出た。それから四半世紀以上が過ぎて、その間、この作家は二度目のブッカー賞を受賞、その3年後にオーストラリアへ移住、直後にノーベル文学賞を受賞した。そんなニュースと相前後して作品が次々と紹介されて、作品や作家の全容がほぼ見えるようになった。

 今年6月に日本語訳が白水社から出版された『ポーランドの人』(それについてはここで)は、非常に無駄のない、端正な、流れるような文体で書かれていた。このレイトスタイルへ至るまでの半世紀におよぶ長い道のり。

 これまでにクッツェーは南アフリカを舞台にした長編小説を8作書いている。出版順にいうと、『ダスクランズ』『その国の奥で』『マイケル・K』『鉄の時代』『少年時代』『恥辱』『青年時代』『サマータイム』で、このうち6冊を拙者訳で読んでいただける。来年は新訳『その国の奥で』が出る予定で全7冊となるはずだ。

 南アフリカの作家クッツェーと出会った者として、あまり知られていな南アフリカの自然や風土、作品舞台となった時代の人間関係の細部をあたうるかぎり潰さずに、なおかつ、含みをもって伝える責任を、これでほぼ果たせるように思う。感慨深い。

 手元にあるこの作品の紙の書籍3冊と、Kindle版1冊のカバー写真をあげておく。左上からペンギン版のペーパーバック(1982)、右へ行ってヴィンテージ版(2004)、スイユ版のフランス語訳(2006)、そしてKindle版スペイン語訳(2013)である。

 いろいろ心が砕けそうになる事件や出来事が起きた2023年だったけれど、それでも今年は藤本和子さんの4冊目の文庫や斎藤真理子さんとの往復書簡集『曇る眼鏡を拭きながら』が出版された年でもあった。

 人生はまだまだ続く。La lutte continue!

 🌹 みなさん、どうぞ良いお年をお迎えください!🌹


2023/10/01

J・M・クッツェー:ヨーロッパと外の世界──バルセロナ現代文化センターでの対話

 久しぶりの更新です。

9月30日、バルセロナ現代文化センターで、JMクッツェーとヴァレリー・マイルズの対話が行われました。

Europa i el món de fora/ヨーロッパと外の世界」という対話は、ヨーロッパ文化をめぐるいくつかの対話や講演の締めくくりだったようで、早速、カタルーニャ語のウェブサイトに報告が載りました。

詳細はいずれバルセロナ現代文化センターのウェブサイトに掲載されるそうですが、昨日の対話でクッツェーは<作家自身の「いま」と世界の「いま」>を結びつける重要な発言をしているようです。

とりわけ、この記事のタイトルとなった「J.M. Coetzee: “Escriure té més a veure amb cuinar que amb filosofar”」 の最後に、ロシアに対する世界のあり方をめぐるクッツェーの意見が紹介されていて、これは注目に値します。現在ロシアに対して行われている制裁が、国内にいて抵抗を続ける作家たちを見えない存在にすることにならないか、という危機感を表していて、アパルトヘイト時代の南アフリカに対して外部諸国が実行した文化制裁、経済制裁と、当時その国内にいたクッツェーの心情を彷彿とさせます。

(以下は記事をカタルーニャ語から英語、さらに日本語へG翻訳して、引用者が少しだけリライトしたもので、ざっくりした意味と理解していただければ幸いです。)

"ロシア古典の偉大な読者である作家は、この国についての彼の見解で話を終えたいと考えていたが、それはここ数十年の歴史、ソ連の敗北、そして90年代の資本主義の「有害な」押し付けによって彩られていると彼は語った" 

今はロシアとの関係を断ち、彼らを忘れ去るべき時ではない。 私たちはあらゆる機会を利用して、彼らの努力を支持していることを彼らに示さなければなりません。」(下線引用者)


***

J.M. クッツェー:「書くことは哲学よりも料理と関係がある」

ノーベル文学賞受賞者がCCCBでヴァレリー・マイルズとともに言語と文学について振り返る: 

Europa i el món de fora ヨーロッパと外の世界──ヌリア・フアニコ・ルマ、@バルセロナ 


作家 J.M. クッツェー(南アフリカ、ケープタウン、1940年生)は今週土曜日、バルセロナ現代文化センター(CCCB)を訪れ、ヨーロッパ大陸に対する自身の見解を語った。 しかし、クッツェーは南アフリカで生まれ、20年間オーストラリアに住み、残りの人生を米国で(引用者註・英国でも)過ごした。 このため、「Europa!」サイクルの締めくくりの話を始める前に、自分が習得していないものについて意見を言うことに非常にアレルギーがあると説明している。 「現在、全国民が自分の意見を広めるチャンネルを持っており、その意見の正当性や強さは、その意見が真実かどうかではなく、誰がその意見を支持するかによって決まります。私たちは、ある種の意見が生き残るダーウィンのような意見の市場に住んでいます。そうしない人もいます」とクッツェーは、作家・編集者のヴァレリー・マイルズ(ニューヨーク、1963年生)との会話で語った。


両者とも「ヨーロッパでは部外者」と感じていると告白しており、おそらくそれが地政学的問題よりも文学的な対話に焦点を当てた理由だろう。 この会議では、ガブリエル・ガルシア・マルケスやミゲル・デ・セルバンテスからロバート・バルザー、オクタビオ・パス、ギュスターヴ・フローベールまで、何人かの文学者を参照。 2003年にノーベル文学賞を受賞したクッツェーは、バルセロナを舞台にした最新小説『The Pole』(エディション62、ドローズ・ウディナ訳)の創作ギアを掘り下げている。

 カタルーニャ州の首都を主な舞台に選んだ理由は何ですか? 「書くことは、哲学することよりも料理と関係がある。私はバルセロナについてあまり知らないが、あの物語ではそれがうまくいった。私は直感に従って仕事をしている」とクッツェーは説明した。


アングロサクソン文化における「詐欺師」


『ポーランドの人』はピアニストと既婚女性の間のあり得ないラブストーリーだが、プロットを超えて、作家はこれが彼にとって完全な意思表示であることを示した。 クッツェーはここ数年はまずスペイン語で本を出版し、その後英語で発表してきた。 「スペイン語が英語に代わる優れた代替手段となり得ることを示したかったのです。私はアングロサクソン文化の中で詐欺師のように感じてきました。」と、芸術創作においてスペイン語がますます重要になっている著者は強調する。


「どの言語にも、哲学的、宗教的、歴史的に非常に大きな重みを持つ単語があります。それらを適切に翻訳するには、その背後にある意味論的な文脈を移す必要があります。英語で単語を書くとき、私はそれがどのような意味になるのかという問題を意識しています。 翻訳者に質問し、翻訳者が見つけられる解決策は何なのかを尋ねます。そのため、問題を引き起こす可能性のある造語は避けるようにしています」とクッツェー氏は振り返った。(下線引用者)


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対話の相手、ヴァレリー・マイルズは『ポーランドの人』の謝辞にあがっていた3人の1人で、他の2人はスペイン語訳者のマリアナ・ディモプロス、フランス語訳者のジョルジュ・ロリです。カタルーニャ語訳は3月末に、イタリア語訳も8月末に出版されたのに、なぜかフランス語訳が出ないですねえ。

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2021.10.2──付記:今日になって気がついたのですが、このバルセロナでの催しはKosmopolisという大がかりなフェスで、以前もこのブログで紹介したことがあります。ここです
 ルー・リードとアミラ・ハス、そしてJMクッツェーの写真が並んでいますが、ブログを見た友人に、この並びはすごい!と驚かれたことがありました。2009年3月でした。あれから、14年あまりのときがすぎたわけです!

2023/07/23

日本語訳『ポーランドの人』の書評が掲載されました

「山陰中央新報」と「北國新聞」に、拙者訳のJMクッツェー『ポーランドの人』 (白水社)の書評が掲載されました。

 twitter で記事の写真をシェアしてくださった方がいたので、ここでもシェアさせていただこうかな。この作品をしっかり読み込み、限られた字数内にポイントを過不足なく書き込む離れ技をやってのけたのは、吉田恭子さん! Merci beaucoup!

どうしても文字がぼやけます。くっきり読みたい方は、twitter で!↓

https://twitter.com/mayumi3141/status/1683011623978692609/photo/2

「山陰中央新報」のサイトはここです。(7/22)↓

https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/420902

「北國新聞」のサイトはこちら。(7/23)↓

https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1133119

2023/07/19

南アフリカ出身の文学研究者スー・コソーさんの書評

 まずシェアボタンのついている facebook や twitter でシェアして、つい後手後手にまわってしまうブログですが、 じつは後から検索をかけると、早く、確実に行き当たるのがこのブログだったりするので、やっぱりここに記録のために書いておきます。

the conversation の書評 

オーストラリア版の The Pole and other Stories がText Publishing から出版されたのは今月の初めだった。早速、書評があちこちに載った。じつに細やかな、痒いところに手が届きそうな読みで展開された書評が The Conversation というネット雑誌(?)に載った。書き手のSue Kossew さんは1990年代、南アフリカ文学にまつわる研究書にいつも名を連ねている人だったという記憶がある。モナシュ大学で教えていらしたようで、2014年にアデレードで開かれたJ.M.Coetzee: Traverses in the World に参加したとき、わたしもチラッとお会いして話をした。

 翌年2015年にイタリアのプラートで開かれたクッツェーと作品内に登場する女性をめぐるシンポジウムの主催者がモナシュ大学だった。そのこともまた、彼女の名前といっしょにわたしはしっかり記憶している。

 今回の書評は、The Pole と他の短篇について、個別に紹介し論じる内容で、クッツェーのファンだけでなく、クッツェー初心者にとっても、この本を読むための良い手引きになるだろう。

 書評ページの頭に犬の絵が出てくる。これがいい。このサイトにちょっとお借りすることにした。なぜ犬かというと、『モラルの話』では巻頭を飾った The Dog が今回の「短篇集」では最後に置かれているからで、その効果が抜群なのだ。今回の短篇集のような流れで読んでいくと、「犬」という短篇にはまた違った読みが可能で、動物と人間の生命との絡みで、ぐんと冴え渡る効果を生んでいるのだ。

 その橋渡しをしているのがひとつ前の短篇「The Hope/希望」なんだけれど、どういうことかはぜひ、10月に出るイギリス版で確認してほしい。

 今回の書評に見られる、「肉体が衰弱していくとき重要性が増してくるのは魂である」という読みは、キリスト教文化ならではの把握かもしれない。確かに。

2023/07/14

シドニー・モーニング・ヘラルドに掲載されたThe Pole and Other Stories の書評


シドニー・モーニング・ヘラルドに、英語版として世界で最初に出版されたJMクッツェーの最新作The Pole and Other Stories の書評が載りました。記事のタイトルは、"Is this the greatest living philosopher writing fiction?"(いま生きているもっとも偉大なフィクションを書く哲学者なのか?)評者はDoug Battersgy さん。

 シドニー・モーニング・ヘラルドの書評

ざっくり訳してみた以下の引用は、オーストラリア版の書籍中いちばん長い「The Pole=ポーランドの人」の驚くほど感動的なところへの評価です──翻訳できないことの悲劇、ことばにはその言語のネイティヴではない人間には永久に伝わらずに終わる意味の深さがある、という悲哀に満ちた感覚。

>The tragedy of untranslatability, the elegiac sense that words have depths of meaning forever lost to non-native speakers, is the most surprisingly moving thing about this book.

記録として。

2023/06/23

「恋愛」をめぐる UNLEARN

つい先日も日本のジェンダーギャップ指数125位 前年より後退、G7で最下位というニュースが流れたばかり。

 ブログ内を検索していたら、ちょうど5年前に書いた「はきちがえのはきだめから脱出するには?」という投稿を見つけた。

 80歳を過ぎた男性作家であるJ・M・クッツェーが書いた『ポーランドの人』(白水社)を、日本語に訳出した記念として、再度ここにアップしておく。光が当たっているテーマは、両者に通底しているからだ。日本語社会の周回遅れ、なんとかしたい!
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6月22日(2018年)

某大学教授で文芸評論家でもあるという60代の男性がセクハラで訴えられた。ニュースなどのことばを読むかぎり、自分が特権をもつ位置にある教育者だという認識が著しく欠如している。文学者であることで免除されると本人が思い込んできた長い歴史と、まあ仕方がないとそれを許してきた周囲の教育者・文学者などの価値観の、すべてが時代後れでゴミ箱に入れて削除してしまいたいようなウイルス性有害物と思われる。

 文学者であることを名乗るなら、まず、「恋愛」という表現の定義を学びなおしてほしい。

 恋愛感情とは、ひとりの人間がもうひとりの人間を、とても、とても大事に思い、憧れ、その人を独占したい、欲しいと思う性的欲望をも含んだ感情のすべてを呼ぶのだが、同時に、相手から自分もまたおなじように大事に思われ、憧れられ、独占したいと思われ、欲しいと思う性的欲望をもたれたいという気持ちであって、あくまで「対等な関係」が底になければ成立しないはずだ。それが近現代の思想的な始まりだったのだと。

 某教授のいう感情はまったくそれとは異なり、60代のオスの欲望にきれいなことばの衣をかぶせたものにすぎず、相手との「対等な関係」などまったく眼中にないものであることは疑いの余地がない。文学者として、これを「恋愛感情」などとゆめゆめ呼ばないでほしい。はなはだしく意味をはきちがえているといわざるをえない。近現代の日本の男性文学は(まあ女性文学もある意味)、この「はきちがえのはきだめ」からどう出られるか、が根底的に問われているような気がするが、どうだろう。

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2018年の付記:

備忘としてfacebook に記したオピニオンを転記しておく。ちょっと語調はあらいけれど、それも含めて。希望も含めて。

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2023年の付記:だから対等の人間として相手を見ているなら、「俺の女にしてやる」とか「俺の恋人にしてやる」とか「俺の女房にしてやる」という表現は全く出てこないはずだ。相手のことを深く知りたい、理解したい、という気持ちが相手に受け入れられたとき初めて、相互のやり取りが始まるんだ。一方的な「妄想」に突っ走ってしまわないことが、めっちゃ大切なんだよな。

追記:まあ、人間として対等であることは大前提だけど、恋愛感情のバランスに不均衡があるときは──そしてこれはいつの時代もとても多いんだが──悲しいかな、どちらかに悲恋、失恋が待ってるわけだけどね。でも支配、被支配の関係を示す「俺について来い」とか「お前を幸せにする」といったセリフが横行した時代が、ホント長かった。それって、どんだけ「主従の関係」を反映しているか、足元から考え直したほうがいいよね。いまだに自分の夫を「主人」と呼んでる女性たちも、もちろん男女問わずに「オタクのご主人」という人たちも!



2023/06/09

オリジナル英語版『ポーランドの人、その他の物語』がオーストラリアからやってきた:翻訳作業備忘録(5)

左がオーストラリア英語版、右が日本語版
 白水社から拙者訳が刊行されたばかりの J・M・クッツェー『ポーランドの人』、世界で最初に出版される英語テクスト『The Pole and other stories / ポーランドの人とその他の物語』がやってきた!
 オーストラリアのテクスト・パブリッシングから7月1日に出版されるバージョンだ。左の写真にあるように、カバーの真ん中に大きな文字で作家の名前が浮かんでいる。とにかく「J・M・クッツェー」で売るぞ!という本造り。

 英語版『The Death of Jesus(イエスの死)』が2019年10月に英米より先に発売されたときも、出版社はText Publishing だった。そのときはコロナ前だったので、日本からもオンラインショップで注文できた。そしてぴたりと発売日にとどいた。ここに書いたように。

 ところが今回、そろそろ出るころだなと出版社のサイトを見ると、オンラインショップがない。どうやって買えばいいのか、と問い合わせのメールを出したら、一冊ご好意で贈ってくれたのだ! Gracias!

 本は国際eパケットライトで送られてきたため、オーストラリア郵便が荷物を引き受けた時点から、現在どのような状態にあるか、何度もお知らせが来た。これはありがたい。「飛行機に乗ったところ」「着陸したので税関を通れば配送される」「配送された」と逐一メールがきたのだ。(残念ながら日本からの国際eパケットライトは現在取り扱い中止。)

 さて、この本には日本語訳となった『The Pole /ポーランドの人』の他に5つの短篇が入っている。パラパラめくっていくと、そのうち4つは日本語版『モラルの話』で読めるが、1つだけ新作が入っているとわかった。わお!

   The Hope

イギリス版
 ずばり「希望」だ。カタルーニャの村に住むエリザベス・コステロがいよいよ年老いて、物忘れがひどくなり、息子ジョンに電話をかける切迫した場面から始まる短篇。これは昨年7月にミラノの文芸フェスティバルでクッツェーが朗読したものに似ているけれど、ちょっと違うかな。最後から2つ目に置かれている。最後を締めるのが「犬」、『モラルの話』では真っ先に出てくる短篇だ。この二篇、「犬つながり」で読ませて「動物と人間」をめぐる強烈な余韻を残す流れになっている。

 このオーストラリア版と同じ内容のものが、10月にイギリス版として出版されるはずだが、サイトを見るとカバーが寒色系のモスグリーンから暖色系の濃いオレンジ色に変わっていた。そうなのか!The Hope が入る短編集だものなあ!


2023/05/30

「熱くならない火のような愛を描いた」J・M・クッツェーの恋愛小説:翻訳作業備忘録(4)


「シンプルな表現で、文芸コードを極限まで駆使して、熱くならない火のような愛を描いた画期的な作品スペイン語圏の新聞(el mundo)で絶賛された"El Polaco /The Pole"の日本語訳『ポーランドの人』、ついに発売です。

「緑の室内」がカバーになった本を「緑の屋外」で撮ってしまった!
と、あとから気づいた。

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版元サイトの紹介が、とても充実しています!

 https://www.hakusuisha.co.jp/book/b625006.html


 5月24日にはドイツ語版"Der Pole"も発売、それを南ドイツ新聞が大きなニュースで伝えていました。


J. M. Coetzee
hat sich jahrzehntelang streng an den kleinen Widersprüchen des Alltags abgearbeitet, die eigentlich unerträglich sind. Sein neuer Roman „Der Pole“ ist jetzt milder, fast versöhnlich. #SZPlus


 クッツェーは6月末から3週間、プラド美術館に滞在して短篇を書くプログラムに参加するというニュースが流れたばかり。美術と文藝を切り結ぶ興味深い企画「Writing the Prado」のトップバッターとしてクッツェーに白羽の矢が立ったようです。スポンサーはロエベ財団。どんな作品(短篇?)ができることやら、これもすごく楽しみです!

John Maxwell Coetzee, Nobel Prize for Literature (2003), has been selected as the first author to participate in the "Writing the Prado" program, a joint initiative with the Loewe Foundation that invites internationally renowned writers to engage literarily with the Museum's collections.

2023/05/21

カバーがアップされた──J・M・クッツェー最新作『ポーランドの人』:翻訳作業備忘録(3)


英語版より一足お先に日本語でお届けするJ・M・クッツェーの最新作『ポーランドの人』(白水社)のカバー写真が、版元サイトにアップされた。使われているのは、ナビ派の画家エドゥアール・ヴュイヤール(Édouard Vuillard)の「緑の室内」。

 じつはこの本の裏表紙には、ある楽譜が透けて見えるのだ。ショパン自身の手書きの楽譜である。なんの曲かって? ショパンがジョルジュ・サンドと逃避行したマヨルカ島で作曲したことがヒント。『ポーランドの人』は、その時代の精神が基本になっている、とクッツェー自身も語っているのだ。

 ダンテの『新生』や『神曲』が下敷きになっていることはすでに書いた。(『神曲』の原題が La Divina Commedia、「コメディ」だというのは重要なポイント。)

 この作家特有のシンプルで端正な文体で、サラリと書かれた短めの作品とはいえ、中身はまことに濃密だ。古典的な恋愛に強烈な光があたる。骨まで透けるような光だ。近づいて見れば悲劇的、でも遠くから見ればニヤリとなる辛口コメディに仕上がっている。もちろん読む人のジェンダー、年齢、恋愛観、経験などによって、その感じ方、考え方は大きく異なるだろう。

 ジョン・クッツェーは1940年ケープタウン生まれ、この時代にアフリカ南端の地でヨーロッパ系入植者の家計に生まれて育つことでどんな恋愛観を育むことになったか、それは『青年時代』に細かく描かれている。1960年代初頭にロンドンへ渡った若者が、時代の先端を行く態度を身につけようと必死になる地方出身者の姿だ。芸術至上主義、恋愛至上主義っぽいモダニストをめざす青年ジョン。

 この『ポーランドの人』には、そんな、クッツェーが生きてきた時代の恋愛観が総集編的に描かれているようだ。作家個人の姿はほとんど見えない。いくつかの会話やエピソードの下敷きになっているのが朧げにわかる程度。なにしろ80歳前後で人生を振り返るようにして書いた恋愛小説なのだから、そりゃあ骨っぽくもなるだろう。これはひょっとして「R〇〇指定」の作品かな、と思ったりもする。「〇〇」にどんな数字が入るかは、読者によって大きく異なるところだろうか。その理由は……読めば、たぶん、わかる、かな、きっと、わかる。

 とはいえ、72歳のポーランド人ショパン弾きヴィトルトの姿には、ここまで書くかというほど「リアルな」細部がちりばめられていて、「読者の想像力」を挑発してくる。なぜ挑発かというと、72歳のピアニストの心理を解剖するのが、49歳の保守的なアッパーミドルクラスの女性という設定だからだ。その内面を書いているのは80代の男性作家……。このよじれ(笑)。

 というわけで、クッツェーという作家が描いてきた「女性像」の変遷を振り返ってみずにはいられない。時代や舞台の設定はそれぞれ異なるとはいえ、第二作目『In the Heart of the Country/その国の奥で』のマグダ、五作目『フォー』のスーザン・バートン、それに続く『鉄の時代』のミセス・カレン、そして一連の作品に出てくるエリザベス・コステロ。

 しかしなんといっても『ポーランドの人』のベアトリスにその片鱗が見える人物たちは、『サマータイム』のジュリア、アドリアーナ、ソフィーだろうか。女性が語りの前面に出てくるクッツェー作品は多い。時代とともに、登場人物の設定によってなにが変わってきたか、変わらないものはなにか。しかし大きなヒントは『モラルの話』に含まれたある短篇にあったのだけれど。それについては「訳者あとがき」に書いたのでぜひ!

 この作品をガルシア=マルケスの晩年の作品と比べてみるのも面白いかも。ここまで違うかと。

 80歳を過ぎてなおマイペースのクッツェーは快調というしかない!


2023/05/04

翻訳作業備忘録(2):J・M・クッツェーUS版『ポーランドの人』

 日本にいる読者が、ネットショップなどで最初に入手しやすい英語版の『ポーランドの人/THE POLE』は、USのLiveright社から出版される。

 これまで米国では、クッツェーの本はずっとViking社から出版されていたが、今回から Norton という、ちょっと懐かしい名前の入った系列の出版社へと変わった。発売は9月の予定。

 先日そのアドヴァンスコピーが届いた。ザックリしたざら紙に印刷されたパルプフィクションふうの作りで、表のカバーに「ADVANCE READING COPY/NOT FOR SALE」とある。ひっくり返して裏を見ると「ADVANCE UNCORRETED PROOFS」とあって、まだこれから修正が入るということがわかる。開くと、確かに、ポーランド語のドットや修飾記号が未修正のままだ。ポーランド人女性のファミリーネームJabloṅska も「n」の真上にドットがついていない。「n'」のように、アポストロフィーっぽい位置についている。

 3月下旬に一行一行、全面的に照合したテクストはこれで、作家から「修正リスト」なるPDFがさらに送られてきたのだった。

 日本語版の編集・校正などは既に翻訳者の手を離れた。微妙な細部をつめるやりとりも今日、つい先ほど終わった。あとは入稿されて、印刷されて、製本されて、出来上がりを待つばかり。みほんが届くのが楽しみ! 発売は5月30日(白水社)だが、ネット書店などは6月1日になっている。

 どんなアートワークになったかって? とっても素敵なカバーになりました。楽譜の写真も使われて。それもショパンじきじきの手書きの楽譜です。どうぞご期待ください。

 とりあえず、連休半ばのご報告です。

2023/04/04

翻訳作業備忘録(1):J・M・クッツェーの最新作『ポーランドの人』

翻訳中のJ・M・クッツェーの最新作『ポーランドの人』の初校を返した。ふうう。

付箋だらけのスペイン語版とオランダ語版
 以下は備忘のための記録。

 The Pole として草稿が送られてきたのが2022年初めで、本格的に翻訳を開始したのが初夏だったか(アディーチェ『パープル・ハイビスカス』の仕事が終わったころ)、訳を仕上げたのが今年1月、翌月下旬に初校ゲラが手元に来た。

 昨年7月にまずスペイン語訳(写真左)がアルゼンチンの「アリアドネの糸」から出版されたが、今年3月にはオランダ語訳(写真右)も出て、続いて5月にドイツ語版が出る予定。そのことはここに書いた。

 ドイツ語版とほぼ同時に、カタルーニャ語版も出るようだ。作品の舞台となった都市バルセロナはカタルーニャにある。日本語版『ポーランドの人』もドイツ語版とほぼ同時に、、、という予定だったが、さて。

 スペイン語版が出たあと、昨年9月のEL PAÍSのメールインタビューで、作家は訳者ディモプロスと共同作業で作品を仕上げたと述べていた。取り寄せたスペイン語版をパラパラすると、確かに、最初に送られてきた英文テクストとは異なる内容が含まれている。あ、女性の身体部分について述べる微妙なところからウナギがいなくなったのね、とか、ベッドシーンで語られるトンチンカンな表現「ミ・カーラ」が「カリーニョ」になったんだ、とか、そういうことかと納得した(笑)。だって、舞台はスペインで訳者は登場人物のベアトリスと年齢が近い女性だものね。

オーストラリア版
 英語版の出版はまだだから、スペイン語訳で変更された部分も含め、改訂された新しい英文テクストが送られてくるだろうと待っていた。でも、どんどん時間が過ぎてゲラ読み作業まで進んでしまった。そこへ注文していたオランダ語版の本が届いた。さっそく問題のところを見ると、やっぱり書き換えられている。スペイン語版の内容に合わせてあるのだ。

 いや、これは困った。いったいどっちのテクストを使うべきなのか、英語の最新テクストを送ってほしいと作家にメールすると即座に、まるで空から降ってくるみたいに、改訂バージョンのPDFが送られてきた。エージェント経由で何度も催促してきたのに、なぜか届かなかったので大助かりではあるけれど、この期に及んで、一行一句、新旧のテクストをまるごと照合しなければならない。

イギリス版
 いやはや。でもやりましたよ。突き合わせ作業というのは一字一句の違いを見逃さないように緊張姿勢で読むため、背中が痛くなる。一週間かけて照合し、書き換えられた部分(ずいぶんありました!)を訳しなおしてゲラに反映させた。具体的には、訂正された日本語訳を部分的に印刷して切り取り、ペタペタとゲラに貼りつける。さらに作家から追っかけて修正リストまで送られてきて(細かなポーランド文字のドットなどの確認で、日本語訳には影響はなかったけど)、それではと思い切ってポーランド人の姓の発音をめぐる突っ込んだ質問をした。カタカナ表記付きでやりとりすると、これは興味津々の結果となった。

ヤブロンスカ Jabloṅska/ヤブウォンスカ Jabłońska」問題。


 訳者あとがきは、フレデリク・ショパンとジョルジュ・サンドのマヨルカ島への逃避行とか、ロマン主義的な恋愛観の「殿堂入り」とか、クッツェーがDiary of a Bad Yearでロマン派音楽についてここぞとばかりに書いている「音楽について」にも触れながら書きました。『ポーランドの人』はロマンチックラブを扱う「恋愛小説」なんです。72歳のショパン弾きヴィトルトと49歳の銀行家の妻ベアトリスの、まことに真剣な辛口のラブコメディ。ベアトリスが名前だけではなく銀行家の妻ってとこまで、ダンテのベアトリーチェを踏襲している。

 初夏には書店にならびます!

2023/02/09

2月9日はジョン・クッツェーの誕生日

Happy Birthday, John Coetzee!

February 9, 2023

🌹   🌹   🌹

J・M・クッツェー、故郷に帰る。

 83歳になるジョン・クッツェーが、10日午後、サイモンズタウンのイベントにあらわれます。ケープタウンからフォールス湾沿いに半島を南下したところにある港町。イベントでは7月に出版予定の新作 The Pole から朗読するのでしょうか。

(facebookのデイヴィッド・アトウェルさん情報をシェア!)


***追記***

このイベントにはアンキー・クロッホも参加するみたい。真実和解委員会のドキュメントを徹底ルポした『カントリー・オブ・マイ・スカル』(現代企画室)の著者、アフリカーンス語の詩人ですね。



2023/01/07

J・M・クッツェー『ポーランドの人』絶賛翻訳中

 今年の初仕事はやはりJ・M・クッツェーでした。3日から、翻訳中の『ポーランドの人/The Pole』の訳文見なおしをコツコツ進めて、今日7日にほぼ目処がつきました。

 昨年中に、3月に出るオランダ語版 De Pool と5月に出るドイツ語版 Der Pole の情報がアップされ、昨年暮れにはオーストラリア英語版の情報もシドニー・モーニング・ヘラルドとオーストラリアンの二紙に出ました。英語版は7月にText Publishing から出るようです。

 コッセ出版から出るオランダ語版の表紙が渋いこと! 左の木版画です。髭を蓄えた男性がピアノに向かっていて、白黒世界のはずが、燭台の2本の灯りだけ黄色く色がついています。

 これを見た友人が「あ、これはヴァロットン!」と教えてくれました。調べてみると現在、東京でヴァロットンの展覧会が開かれているんですね。29日まで。ヴァロットンとは、19世紀末から20世紀初頭にかけてパリを中心に活躍した、スイス生まれの版画家・画家だそうです。

 ネット上に最初に出たのがフィッシャー社のドイツ語版の表紙でした。絵柄は、室内から黒っぽいカーテンがかかった窓ごしに、どこか地中海沿岸の田舎を思わせる風景です。バルセロナ? それともやっぱりマヨルカ島かな、それとも、それとも……

 物語の舞台はおもにバルセロナ、マヨルカ島、そしてワルシャワです。多出するヨーロッパ言語の人名、地名などの固有名の読みを確認すること、それが今後の課題。スペイン語、イタリア語、ラテン語、ポーランド語、ロシア語などいろいろ出てくるところが、クッツェーらしい。

初夏には日本語版で読めるよう奮闘努力の最中です。