2011/01/27

ウェルカム、生命!──ハイチから(2)


「ハイチ シテソレイユを訪ねた。子供の頃から知っている女性は、今や母親。双子の幼児に母乳を同時に与えていた。圧巻!たくましい!」──佐藤文則さん撮影&コメント。

 ほかのサイトでも紹介しましたが、とってもすてきな、かっこいい写真なので、こちらでも!

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付記:「welcome-life」を唱えるブログ管理者は、さまざまな条件付きですが、あくまで「pro-choice」ですので、誤解なきよう!

2011/01/22

ハイチから(1)


 現在、ハイチ入りしているフォトジャーナリストの佐藤文則さんが撮影した写真です。カワイイ!

 佐藤さんのつけたキャプションはこうです。

「ハイチ 今朝、農園で生まれたばかりのヤギの赤ちゃんとおかあさん。可愛いでしょう!美味しく育てください!」

う〜ん、「美味しく育ててください!」というところがリアル。現場にいる人の口から出るこのことば、びんびん伝わってきます。わたしも幼いころ山羊と暮らしていました。

2011/01/17

アディーチェが「文藝」2011年春号に

昨年9月に来日したチママンダ・ンゴズィ・アディーチェさんが、いま発売中の「文藝」2011年春号「池澤夏樹特集」で対談しています。お相手はもちろん池澤夏樹さん! 中身の濃い対談です。

 くだけた話から始まって、作家として書くときの姿勢や方法をめぐり、臆せず語る若い作家と、beyond に惹かれて世界を「移動」しつづけてきた懐の深い作家との、白熱した対談です。
 アフリカとヨーロッパについて、アジアと日本について、しなやかなことばで展開される議論。アディーチェ発言のなかでなんといっても光るのは、アフリカをめぐる歴史的「他者表象」についての意見でしょうか。

 また、都甲幸治さんによるアディーチェへのインタビューも載っていて、これもまたアディーチェという作家の別の魅力を伝えています。
 
 彼女の作品を紹介、翻訳した者としては大変うれしい特集です。ぜひご一読ください!

2011/01/11

一年と一日のあとハイチでは──エドウィージ・ダンティカ

2010年1月12日、大地震がハイチを襲ってから明日でちょうど一年になる。
 世界中のニュースカメラがいっときカリブ海のエスパニョーラ島に集まり、世界中の人々の目が、その西側のちいさな国に集まった。あれから一年、復興は遅々として進まないという情報が入ってきたり、大統領選に有名ミュージシャンが立候補したというニュースが流れたり。

 ハイチ出身の在米作家、エドウィージ・ダンティカが「ニューヨーカー」に寄せた記事を紹介する。ハイチでは一年と一日、死んだ人の魂が水のなかに留まっているという。頭部分を少しだけ訳出する。興味のある方はぜひニューヨーカーのサイトへ行って、読んでみてほしい。なめらかな口調ながら深く心に響く文章が読める。また、YOUTUBE には地震直後にマイアミ・ヘラルドのTVに出て語るダンティカの映像もある。
 日本ではおりしも、ダンティカの長編小説『The Farming of Bones, 1998』の翻訳『骨狩りのとき』(佐川愛子訳、作品社刊)が出たばかり。2009年には「天才奨励金」と呼ばれるマッカーサー・フェローシップを受け、いまでは押しも押されぬ作家となったエドウィージ・ダンティカ、二児の母でもあるというところがまことに頼もしい。

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一年と一日           エドウィージ・ダンティカ
「ニューヨーカー」2011年1月17日号

 ハイチのヴードゥーの伝統には、死んだばかりの人の魂が川や小川にすべりこんで、水の下で一年と一日、留まっていると信じられている。その後、魂は祈りや歌といった儀式によって誘い出されて水の外へ出てきて、スピリットが生まれ変わるのだ。こうして甦ったスピリットが樹木に住みつき、耳を澄ますと、風のなかにその密やかなささやきが聞こえる。スピリットはまた、山岳地帯に浮かんでいたり、ちいさな洞穴や、横穴のあたりでうろついていることもあって、その名前を呼ぶと聞き慣れた声でこだまとなって返ってくる。一年と一日の記念祭は、それを信じてまつる家族の家では、必ず行わなければならない栄誉あるお勤めだ。ある意味それは私たちハイチ人を、どこに住んでいようとも、何世代もの自分の祖先につなぐ超自然的な連続性といったものを確かなものにするからだ。

 ハイチに数多くあるもののひとつ、この死という中断によって、二十万人の魂が昨年の一月十二日の地震のためにアンバ・ドロ(水の下)へ行ってしまった。しかし彼らの肉体は他所にあった。多くは家、学校、仕事場、教会、ビューティーパーラーの瓦礫の下に埋もれていた。多くはブルドーザーのパワーショベルによって共同墓地に放り込まれたまま。がらくたを集めて燃やす焚き火のように燃やされたものも多い。生者に感染症がうつるのを恐れて・・・。
「ハイチでは、人は決して死なないんだよ」子どものころ祖母たちが言っていたことばだ。わたしは変だなと思った。ハイチではいつでも人が死んでいたから。・・・

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 ハイチの地震からの復興を支援したい、という方がいらっしゃったら、大きな組織よりも、現地に直接かかわりながら活動している、ちいさな組織を支援することをおすすめします。
ハイチ友の会」「ハイチの会セスラ

2011/01/08

『サラ・バートマンとホッテントット・ヴィーナス』──(2)

この本は歴史学者が書いたものですが、堅苦しいところはあまりなく、図版も豊富に使われています。本扉を開くと図版の説明があり、そのつぎに「DRAMATIS PERSONAE/登場人物」と銘打たれたページがもうけられています。これが面白い!
 1770年代生まれのサラ・バートマンから始まって、彼女を解剖したフランス人医師ジョルジュ・キュヴィエにいたるまで、すべて歴史上実在した人物です。なんとディケンズの『ピクウィック・ペーパーズ』に出てくる人物のモデルになった人まで登場します。まことにドラマチック。
 では、以下にそれを紹介します。

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Sara Baartman and the Hottentot Venus : A Ghost Story and a Biography, by Crais & Scully : Princeton,2009

<登場人物>
サラ・バートマン:ヨーロッパで「ホッテントット・ヴィーナス」として知られた女性。サーキ・バートマンともいう。Sara(サラ), Saartje(サーキ), Sarah(サラ) とも表記される。

デイヴィッド・フーリー:植民者、サラの最初の主人。

コルネリウス・ミュラー:植民者、サラの二番目の主人。

ライダー・バートマン:サラの兄弟。

ピーター・セザール:ヘンドリックの兄弟で、エルツァーに雇われていた。サラをケープタウンに連れて行った男。

ヤン・マイケル・エルツァー:裕福な肉屋で、ケープタウンでのサラの最初の主人。

ヘンドリック・セザール:アンナ・カタリーナ・スタールの夫で、サラをイギリスへ連れて行った二人の男のうちの一人。

アンナ・カタリーナ・スタール:ヘンドリック・セザールの妻。

ヘンドリック・ファン・ヨンク:サラのオランダ人パートナー。

ヨハネス・ヤコブス・フォス:Burgher Senate(オランダ系市民議会) の大統領、ヘンドリック・セザールが借金をしていた相手。

アレグザンダー・ダンロップ:王立英国海軍の船医、ケープ・スレイブ・ロッジの医者でもあった。サラをイギリスへ連れて行った二人の男のうちの一人。

ウィリアム・ブロック:リヴァプール博物館の所有者。この博物館はロンドン博物館あるいはエジプト博物館としても知られる。

「聖」ザカリー・マコーリー:主要な奴隷廃止論者。イギリスでのサラの処遇について調査を指導した人物。

「聖」トマス・ベイビントン:主要な奴隷廃止論者。

スティーヴン・ガスリー:軍医ダンロップの弁護士、1815年にナイト爵に叙され、1824-37年に民事訴訟判事をつとめる。ディケンズの『ピクウィック・ペーパーズ』に出てくる「ステアリー判事」のモデルとなった人物。

クイーンズベリー公爵:ロンドンの有名な遊蕩者で、サラを自分が所有するピカデリーハウスで見せ物にするため連行させた人物。

ヘンリー・テイラー:サラをパリへ連れて行った男。

レオー:パリの動物調教師、店の持ち主で、ケープタウンではサーカス団のメンバーでもあったらしい。サラの最後の所有者。

ジョルジュ・キュヴィエ:科学者、比較解剖学の確立者。

(イギリス人、オランダ人、フランス人、さらに、もと奴隷の人につけられた名前と多様なネーミングがあるので、読み方がはたして正しいかどうか、ちょっと不明なところもありますのであしからず。)
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付記:人名の発音については、その後、明らかになったところを訂正しました。

2011/01/06

『サラ・バートマンとホッテントット・ヴィーナス』──(1)

文末に「付記」を加えました。
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いま読んでいる本です。ひとりで読むにはもったいないので、ここで紹介します。ゾーイ・ウィカムがこんなふうに絶賛する本です!(サラ・バートマンについては、以前のブログを参照してください。)

Sara Baartman and the Hottentot Venus : A Ghost Story and a Biography, by Crais & Scully : Princeton,2009

「サラ・バートマンの神話化された生について、典拠の確かな、信頼できる書物がついに出た。細部にいたるまで正確に調査されたテーマが、クレイスとスカリーという二人の歴史学者の手によって具体化されたのだ。彼らは歴史的バイオグラフィーを書くことにつきものの落とし穴を巧みに回避し、細心の注意を払って、サラ・バートマンという一人の女性とイコンとなったホッテントット・ヴィーナスとを峻別して記述する。さらに、優雅な文体で書かれ、情熱と共感を込めながら注意深く状況を追跡した研究のなかには、彼らが発見した事実がひるむことなく提示されている。すばらしい・・・過去と未来にわたる南アフリカ文化へのずば抜けた貢献である」──ゾーイ・ウィカム

 昨秋、フランスで「VENUS NOIRE/黒いヴィーナス」という映画が公開されたことをネット情報で知りました。チュニジア出身の男性監督が撮った映画だそうですが、サラ・バートマンと当時のフランス人がどんなふうに描かれているのか、とても気になります。3月にはDVDになるそうですから、それを待ちましょう。

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付記:1770年代に南アフリカで生まれたサラ・バートマンという女性と、彼女をもとにしてヨーロッパ近代がどのようなイメージを作り上げたか、その結果どんな価値観が成立していったか、そのプロセスを知る手がかりとして、吉見俊哉著『博覧会の政治学/まなざしの近代』はとても役立つ、というか必読書に近いかもしれません。

2011/01/01

今年もウィカムとアディーチェ

あけましておめでとうございます。

今年もまたゾーイ・ウィカムの『デイヴィッドの物語』です。主人公はクッツェーの『Disgrace/恥辱』に登場する人物とおなじ名前のデイヴィッド、舞台が南アフリカのケープタウンと東ケープ州であることもおなじですが、こちらは「カラード」と呼ばれた人たちのなかでも先住民族「グリクワ」にオリジンを持つ人たちの話です。(「ホッテントット・ヴィーナス」としてヨーロッパ人の見せ物にされたサラ・バートマンの話も、彼女の遺体を解剖して標本にした医師キュヴィエの話も皮肉たっぷりに登場します。)

 グリクアの人たちが、北ケープのナマクワランドから民族大移動をして東ケープへ移るところは、ボーア人のグレイトトレックを思わせますが、主人公が反アパルトヘイト闘争で ANC 軍事部門で活躍したフリーダムファイターであるところが、1991年当時の南アの状況と微妙な絡みを見せます。カラードの女性たちが置かれていた状況もありありと浮かんで、小説ならではの、内部の声が伝わってきます。

 J. M. クッツェーが「何年ものあいだ、アパルトヘイト後の南アフリカ文学はどのようなものになるだろうかと、私たちはずっと待っていた。いま、ゾーイ・ウィカムがその逸品を届けてくれた。ウィットに富んだ語調、洗練された技法、多層的に織り込まれた言語、そして政治的にはだれの恩恵も受けていない『デイヴィッドの物語』は、途方もない達成であり、南アフリカの小説を創り直す大きな一歩でもある」と高く評価した作品を、もうすぐ日本語でお届けできるのは嬉しい。
 
 さらに今年は、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの日本オリジナル短編集第二弾も進行中です。
 2009年に英語版で出た短編集『The Thing Around Your Neck』から未邦訳の6編と、雑誌 Granta や NewYorker に掲載された作品などを集めてお届けします。最新作も入ります!

 お楽しみに!!

ねずみは眠る、猫も寝る、ゆたんぽ抱えて夢をみる2011年、今年もどうぞよろしく!