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2017/09/05

メアリー・ワトソンを訳しました──「すばる 10月号」

すばる 10月号」が「あの子の文学」という特集を組んでいて、とても充実している。わたしも南アフリカ出身の作家、メアリー・ワトソンの短篇「ユングフラウ」を訳出した。
 2004年に出版された短篇集『Moss・苔』に収められたこの作品で、ワトソンは2006年にケイン賞を受賞した。同年9月に初来日したJ・M・クッツェーと会ったときも、この作品のことが話題になった。あれから10年あまりが過ぎて、ようやく翻訳紹介できた。嬉しい。
 
Mary Watson
「ユングフラウ」の舞台は海岸沿いの居住区、どうやらケープタウン南東に広がるケープフラッツの南端、グラッシー・パークらしい。ワトソンが生まれ育った土地だ。そこに住む少女の目からポスト・アパルトヘイト時代の日々を描く物語は、ワトソンが修士過程で書いたものが原型になっているという。ということは1990年代後半、クッツェーが『恥辱』を書いていた時期とかぎりなく重なる。ということもあって、多くの人に読んでいただきたいが、とりわけ『恥辱』ファンにはおすすめだ。

セックスをめぐる語りの中心が、片方は白人男性、もう片方が十代の(間違いなく非白人の)少女で、ジェンダーも人種も、いわば真逆の視点から、当時のケープタウンの人々の関係をのぞきみることになる。二つの作品は相互に強く響き合う要素をもっているのだ。「歴史の哲学」を最重要テーマとして『ダスクランズ』から出発したクッツェーがたどりついた『恥辱』、そして「ユングフラウ」を読むと、ふたつの物語の背後に広がる世界がじわり、じわりと迫ってくる。

 Mary Watson は1975年生まれ、ケープタウン大学で映画と文学を学び、クリエイティヴライティングの修士過程では故アンドレ・ブリンクの指導を受けた。2003年に出版された、南部アフリカの女性作家たちのアンソロジー『Women Writing Africa──The Southern Region』に協力者としてワトソンの名前がある。この分厚い本を編集した一人は知る人ぞ知るドロシー・ドライヴァー、クッツェーのパートナーだ。ドライヴァーはケープタウン大学の教授でもあったから、ワトソンはドライヴァーの教え子だったかもしれない。さらにワトソン自身がケープタウン大学で講師として映画論を教えていたという。めぐり、めぐる、人と時間。

「すばる 10月号」には、ほかにも岸本佐知子さん、柴田元幸さん、斉藤真理子さん、古市真由美さんが、それぞれとても興味深い作品を紹介している。ピンクの濃淡、青と紫の色に縁取られた特集号だ。

2014/09/25

Disgrace におけるクッツェーと「英語」その2

さて、その引用箇所である。原文は:

──He [David] would not mind hearing Petrus's story one day.  But preferably not reduced to English.  More and more he is convinced that English is an unfit medium for the truth of South Africa.  Stretches of English code whole sentences long have thickened, lost their articulations, their articulateness, their articulatedness.  Like a dinosaur expiring and settling in the mud, the language has stiffened. Pressed into the mould of English, Petrus's story would come out arthritic, bygone.(Disgrace, p117)

「感情」を表現する語を焼き払うよう推敲しているというクッツェーの文体に即して、できるだけ淡々と訳してみる。

──彼[デイヴィッド]はペトルスの物語をいつか聞いてもいいと思う。だが、できれば無理に英語にせずに。英語は南アフリカの真実を伝える媒体として不適切との確信は強まる一方だ。文のすみずみまで英語文法を適応させようとするあまり、文全体が濁って粘つき、明晰さを失い、明確に述べることも、述べられることもない。絶滅寸前の恐竜が泥土に足をとられたように、この言語は身を強ばらせている。ペトルスの物語も英語という鋳型に押し込められるや、関節炎を患い、古色蒼然たるものとなってしまうだろう。

 ここを初めて読んだときに思い出したのは、90年代初めに南アを訪れたある人のことばだった──タウンシップで黒人たちと話していて思ったの、英語で話をするんだけれど、そのときは真面目に、外向きの顔で、きちんと話そうとするのが分かる。でも内輪でズールーやコーサといった言語でくだけた会話をするとき、彼らの表情が変わるのよ。顔つきが、まるでNHK教育チャンネルから民放チャンネルに切り替わったみたいに、ぱっと変わるの。すごくリラックスした感じになる。

 このTVチャンネルの比喩は面白い。公式の表向きの言語と、本音が語れる親密な言語の違いをあらわす絶妙の表現である。大きくなってから学習して獲得した言語は、その人の個人史や環境によって重さ、位置づけなどはさまざまだ。旧植民地の先住系、元奴隷などの系譜の人たちが、仕事を得るうえで学ばざるをえない言語が宗主国の言語である。非インテリの人間にとって、それはどういうことか? 読者は想像する必要がある。
 南アフリカ、と一般化することの危険性をあえて承知で言うなら、ここでクッツェーが述べている「南アの英語」を媒介に、ルーリーのようなインテリ男が農民ペトルスとコミュニケーションしようとすると、英語(ペトルスにとっては仕事のための言語、解放前までは支配者から命令される言語)という分厚い皮膜を通した、歯がゆいものにならざるをえない。むしろ「ペトルスの物語」を聞くなら、その母語によって語られる、もっと本音が出た繊細なものとして聞きたい。細やかな感情を表現でき、本音の底まですくいとることが可能な言語で語られる物語を、と主人公は言っているのだ。たぶんコーサ語を母語とするペトルスの物語が「英語」に押し込められるなら、やりとりは細やかな感情の伝わりにくい、不完全なものにならざるをえない、と。

 作品内で登場人物に語らせながらも、ここにはクッツェーという作家の「本音」に近いものがちらりと見えはしないか。うわべを取り繕うことを忌避し、本来の対話が成り立つ条件にこの作家はこだわる。インタビューではそれはありえない、と。そこには、ことばで構築した信念によって生きてきた人間の不器用さも露出している。沈黙を読み取ることで真実を伝えたい、心を通わせたい、とするこの作家の根源的な願望が書き込まれてもいる。(上の引用箇所直前にある、ペトルスといると at home だという表現は、この白人インテリ男の善意/勝手な思い込みを描いているとも取れなくもないが、それはまた別の機会に。)
 上の引用は、したがって、南アという土地で歴史的条件を背負って個別の生を生きる人間たちを描きながら、クッツェー作品にとって普遍的な要素が深々と埋め込まれている、大いに注目すべき箇所なのだ。

「言語」と繊細な「表現」をめぐるクッツェーのこういった感覚、思想、立ち位置は近々刊行されるポール・オースターとの往復書簡集『ヒア・アンド・ナウ』(岩波書店)で詳しく語られることになる。現在74歳のクッツェーが、68歳から71歳までのあいだにポール・オースターに宛てて書いたこの書簡集では、手紙という形式によって、いよいよ本音に近い、率直な語りが展開される。自伝的三部作の『サマータイム』(インスクリプト)を書いていた時期とも重なり、まるでこの作品の種明かしのような話も出てくる。読者はこの作家の一皮も、二皮も向けた姿を垣間見る瞬間に立ち会うことになるはずだ。
 映画「Disgrace」でルーリーを演じるマルコヴィッチは「きみが言っていたようにミスキャスト」とオースターが明言していることも付け加えておきたい。

2014/09/24

Disgrace におけるクッツェーと「英語」その1

南アフリカ最大の文学賞である、M-Net 賞が一時中止になったと先日発表された。
 この賞は1991年に、それまでのCNA賞を受け継ぐものとして創設され、南アフリカ解放後に公用語となった言語で書かれた作品もまた対象としてきた。英語やアフリカーンス語だけでなく、コーサ、ズールー、ンデベレ、ソト、などいくつかの言語で書かれた作品も受賞対象だったが、それがなくなるということは、出版産業のなかでメジャーではない言語の文学には大打撃となる。これは想像にかたくない。
 これまで訳した作品との関連でいうと、2001年にゾーイ・ウィカムの『デイヴィッドの物語』がこの賞を受賞し、2005年にはズールー民族詩人であるマジシ・クネーネが、その生涯にわたる業績に対して受賞している。

 さて、この22ー23日、京都の立命館大学衣笠キャンパスで開かれた「世界文学 言語横断ネットワーク」の第一日目に参加してきた。最初のセッションのなかで、クッツェーをめぐる発表があった。それは『夷狄を待ちながら』と『恥辱』の関連性を、ランサム・センターが所蔵するクッツェーの創作ノートを参照しながら論じる興味深いものだった。
 発表者のKさんは南アにおける英語についてクッツェーが記述する部分にも注目していたので、わたしもひと言コメントした。コメントの内容はおもにドロシー・ドライヴァーが(かなり前に)発表した論文の情報から「南アでは英語を母語とする話者が減ってきているという統計」のこと、さらに、バンツー系の人たちが受けてきた教育制度のなかで英語がどのような位置にあるか(小学3、4年生までは個々の民族言語によって学習し、それ以後は英語で学習する)だった。そのとき言い足りなかったことをここで補足しておきたいと思う。

「英語は南アフリカでは at home ではない」というクッツェーのことばとも響き合うことだが、『恥辱』では「英語」をめぐってかなり突っ込んだ議論が展開される。それは「コミュニケーションの不可能性」と解釈されることが多く、そう聞くとなんとなく分かった気持ちにさせられてしまう。しかし、それで分かったといえるのか? とわたしなどはずっともやもやとした疑問を抱えてきた。「コミュニケーションの不可能性」という表現は、一見、的を射たものでありながら、むしろ、重要なことを見えなくしてはいないだろうか? それがどういうことか、と問うことを忘れさせてはいないだろうか? と思ってきたのだ。
 
『恥辱』では英語が人びとの暮らしのなかでどのような位置にあるかが具体的に述べられている。描かれているのではなく、主人公デイヴィッド・ルーリーの口を借りてクッツェー自身が述べているといっていいだろう。それを見て行くうえで、ペトルスという、母語も、民族も、階級も異なる一人の男と、英語英文学を教える主人公とのやりとりはきわめて示唆に富む部分である。
 ルーリーは52歳の元大学教授、英文学を専攻する。とくにロマン派の代表的作家、バイロンの研究をやっているという設定だ。(バイロンはクッツェーがテキサス大学時代に集中的に読んだ作家である。)セクハラを追求されて大学を辞め、娘ルーシーのやっている農場に身を寄せた主人公が、そこで娘の農場仕事を手伝っている男ペトルスと出会う。過去の社会構造と解放後の現在の人間関係を比較しながらつぶやくルーリーと、白人に奪われた土地の返還要求手続きを済ませたという農民ペトルスとのやりとりのなかに、南アにおける英語の位置が具体的に、端的に表現されているのだ。22日の発表でも引用されていた以下の部分は、わたしが「南アの英語」について大いに気になってきたことと深く結びついている。

つづく

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付記:さっそく日付の間違いを指摘してくださった方がいます。21-22日、と書きましたが、正しくは22-23日で、訂正しました。Sorry! & Merci!