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2020/05/01

河出文庫版 J・M・クッツェー『鉄の時代』

植木鉢にハーブの種など蒔いていると、予定より早く入手可能になっていました。河出文庫版のJ・M・クッツェー『鉄の時代』です。

 最初、カバーを見たときはびっくりしましたが、1990年に出たハードカバーとならべてみると不思議な共通点が浮かび上がることに気がつきました。ともに女性のプロフィールなんです。

右:Secker&Warburg 版 (1990)
原著の表カバーは打ちっぱなしのコンクリのような、木製のような、壁の上に何枚かのガーゼを重ねて、茶色の染みのようなものをにじませ、遠くから見るとギリシア彫刻の、おそらくデメテルの顔が、ぼんやりと浮上するようになっています。裏表紙もまた女性の写真で、顔の上にガーゼが置かれています。
 今回の文庫では、そんな「病んだ人間」を思わせる「ガーゼ」こそ使われていませんが、また別の要素が加味されて……まあ、カバーの話はこのくらいにして。

1990年版ハードカバー裏
これでクッツェー作品の文庫化は、2003年に集英社文庫『夷狄を待ちながら』、2006年にちくま文庫『マイケル・K』(その後 2015年に岩波文庫)、2007年にハヤカワepi文庫『恥辱』に続いて、4作目になります。

 舞台はアパルトヘイト末期のケープタウン、元ラテン語教師だったミセス・カレンが娘にあてて遺書代わりに書く手紙、という形式の小説です。2008年に池澤夏樹個人編集の世界文学全集の第1期に初訳として入りました。翻訳作業が作家の2度目の来日と重なって、膝詰めで疑問点を解決できたのは本当にラッキーでした。そんな裏話は、このブログ内にも<『鉄の時代』こぼれ話>のタグをクリックするとたくさん出てきます。

 作家クッツェーがまだケープタウンに住んでいたころの骨太の作品です。動乱の時代に目の前の現実にどこまでも真摯に向き合おうとする、そんな緊張感がみなぎった作品はこの「コロナの時代」を生き抜くための救命ボートにもなるでしょうか。なるといいなと思います。今回、文庫化にあたって新たに「訳者あとがき──よみがえるエリザベス」を書き下ろしました。J・M・クッツェーの現在地と、彼の作家としての世界的評価についても書きましたので、ぜひ!☆
 

2018/10/20

日経プロムナード第16回 高橋悠治のピアノ

日経プロムナード第16回、書きました。1970年代半ばからずうっと断続的に「聴いている音楽」について。

  高橋悠治のピアノ

 飽きることなく、しかし逆に、夢中になっておっかけて、もういいや、と区切りをつけて遠ざかるのではなく、「断続的に」(←ここが特徴)、これまで生きてきた山あり谷ありの時間、ずっと聴いてきた音楽。これからも、多分、変わらず聴きつづける音楽。それがグレン・グールドと高橋悠治のピアノなのだ。

2018/08/10

日経プロムナード第6回「紙とPDF」

日経プロムナードも8月に入って2回目です。

 紙とPDF


肩書きが「翻訳家」なので、つい、翻訳にまつわる話が多くなり、そうすると、つい、J・M・クッツェーが絡んでくる。これはもう自然というか、必然というか。
 翻訳をはじめたころはまだ紙が主流だった。小型のワープロはまだなかった。ワープロなるものはあっても、巨大な四角い大げさなものだった。それから30年あまりで、いまや iPad やらスマホやら。

 すぐに忘れてしまいそうなことを、自分にとっても記録として残しておきたい──そう思い立って書いているうちに、マシンと人の流れを追っていた。ワープロから小型パソコンへ移り、原稿用紙やタイプスクリプトからPDFへ激変する翻訳現場について、すこし調べた。いろいろ考えてしまった。

 あれこれ思い出しながら考えていると、浮上してきた J・M・クッツェーの『鉄の時代』をめぐるエピソード。あれは忘れがたい。いまでもあのときの作家の笑顔が、ありありと目に浮かんでくる。2007年12月初旬。
 東京の冬は寒いでしょ? とたずねると、いや、穏やかな(gentle とルビ)冬ですよ、と答えたジョン・クッツェー。その声が耳元で響く。

2017/11/03

アデレード大学エルダーホールの夕べ

備忘録として3年前の催しの動画を。アデレードで開催された Traverses: J.M.Coetzee in the World の初日:2014.11.11 の夕べ全体をYOUTUBE で見ることができる。クッツェーが朗読したのは、なんと、Age of Iron の冒頭だった。

2015/02/04

『鉄の時代』から朗読するクッツェー

 11月11日から3日間にわたってオーストラリアはアデレードで開かれた、Traverses: J. M. Coetzee in the World の初日、J・M・クッツェーがエルダー・ホールで朗読をした映像がYOUTUBE にありました。



 最初に彼を紹介するのは、朗読の前にピアノ演奏をしたアンナ・ゴールズワーシーさん。クッツェーさんはまず、今回のコロキアムを企画、実行した人たちへの謝辞を述べ、それから朗読を始めます。「20年以上も前に書いた小説ですが」といって読みはじめたのは、なんと『鉄の時代』でした。彼がなにを読むかは、主催者をはじめ、誰にも知らされていなかったので、びっくりしたのなんのって! 彼が読んだ部分の拙訳を少しだけ以下に。

****
 ガレージのわきに細い通路があるのを、おぼえているかしら、あなたがときどき友だちと遊んでいたところ。いまでは使われることもなく、さびれ、荒れ果て、吹きだまった枯れ葉がうずたかく積もり、朽ちている。
 昨日、この通路のいちばん奥に、段ボール箱とビニールシートでできた家があるのを見つけたの。なかで男が、通りから来たとわかる男が、身をまるめていた──背が高く、痩せこけていて、風雨にさらされた皮膚に、長い虫歯の犬歯、ぶかぶかの灰色のスーツを着て、縁のほつれた帽子をかぶっていた。その帽子をかぶったまま、縁を耳の下に折り込むようにして寝ていた。浮浪者よ。ミル通りの駐車場をうろつく浮浪者のひとり、買い物客に金をねだり、立体交差の高架の下で酒をあおり、ゴミ入れをあさって食べる浮浪者。雨の多い八月はホームレスにとって最悪の月、そんなホームレスのひとり。両脚をマリオネットのように外に突き出し、箱のなかで、あんぐりを口をあけて眠っている。まとわりつく、芳香とはおよそいいがたい臭気──尿、あまったるいワイン、黴臭い服、ほかの臭いも。不潔。
 立ったまましばらく彼をじっと見おろしていた。じっと見ながら臭いを嗅いでいた。訪問客、よりによってこんな日に、わたしのところに舞い込んできた客。
 サイフレット医師から知らされた日だった。知らせは良いものではなかったけれど、それは、わたしのもの、わたしのための、わたしだけのもので、拒むわけにはいかなかった。両腕で抱きあげ、この胸にたたんで、家にもち帰るものだった。首を横にふったり、涙を流したりせずに。「先生、どうもありがとうございました。率直にお話くださって」とわたしはいった。すると医師は・・・

          ・・・中略・・・

 男はぎょっとなることをした。まっすぐに、初めてわたしを直視して、ぺっと唾を吐いたのだ。ねっとりと、黄色い、珈琲の茶色い筋を含んだ唾の塊を、わたしの足もとのコンクリートの上に。それからマグをわたしに突き返し、ぶらりと歩み去った。
 ものそれ自体だ、そう考えると身震いが起きた。わたしたちのあいだに登場した、ものそれ自体。唾はわたしに、ではなく、わたしの目の前に吐かれた。わたしがそれを見て、調べて、それについて考えることができるように。彼のことば、彼なりのことば、その口から吐き出され、彼を離れた瞬間は温もりのあったことば。紛れもない、ひとつのことば、言語以前の言語に属するもの。最初は眼差し、それから唾を吐くこと。どんな眼差しかって? 敬意のかけらもない眼差しよ。ひとりの男からの、男の母親ほどの老齢の女に向けられた眼差し。ほら──おまえの珈琲だ、持っていけ。

*****
さらに偶然は重なるもので、この夜、わたしがホテルに帰ってパソコンを開けると、東京からメールが入っていたのです。それは世界文学全集第一期に入ったこの作品の邦訳『鉄の時代』(河出書房新社刊、2008年)が増刷されることになったというニュースでした。嬉しい偶然の一致でした!

2014/05/27

クッツェー三部作、作業終了! あとは本になるのを待つだけ。

すべて終った。ついに、クッツェーの自伝的三部作の翻訳作業が訳者の手を離れた。

 あとは装丁家にきれいな衣装を着せてもらい、編集者の細やかな配慮に見守られて「本」というかたちになって、書店という舞台にのぼるのを待つだけだ。当初の出版予定より少し遅くなるかもしれないけれど、みなさん待っていてくださいね!

 ここにいたるまでには、なんとも険しい山あり、深い谷あり、急流ありで、難所をいくつも通らねばならなかった。長い道のりだった。

 思い返すと、このトリロジーとの旅は1997年の北半球の秋、第一部『少年時代』が出版されたときに始まった。かれこれ17年も前のことだ。数ページ読んだだけで「あなたの仕事だよ!」と言われているような気がした。
 幸い『マイケル・K』を世に出してくれた編集者O氏の力で1999年、『少年時代』の拙訳は読者に届けられた。しかし、続編が難航した。第二部の『青年時代』が原稿で送られてきたのが2001年5月、いま読んでも、内容の苛烈なまでの面白さは文句なしなのだが。

『青年時代』を翻訳することは『少年時代』を訳した者の仕事/duty だと思う、そんなことをクッツェー氏とお茶を飲みながら話して、原著にサインをもらった。2007年12月に彼が再来日したときのことだ。そのサインページを撮影してフレームに入れ、仕事部屋の棚に置いた。それ以来、『青年時代』の翻訳は実現すべき課題となり、毎日「さあ、ちゃんと仕事をしなさい」と棚の上から激励されることになったのだ。
 2003年に作家がノーベル文学賞を受賞し、2006年、2007年と来日が続いたことは大きかった。『鉄の時代』が、河出書房新社の池澤夏樹個人編集による世界文学全集に入ったことも力強い追い風になった。Merci!

 2009年、みぞれ降る2月に、クッツェーの次の作品『サマータイム』が、なんと、自伝的三部作の最後の部分にあたることを知ったときの驚き。クッツェー氏に連絡すると、「まだ草稿の段階で完成していないが、数週間のうちに仕上げられるといいのだか」というメールが返ってきた。あれはゾーイ・ウィカムの『デイヴィッドの物語』と悪戦苦闘していたころだったろうか。

 それから数えて5年、1巻になった2011年から数えても3年、終ってみると、こうして年数ばかり数えてしまい、苦笑する。3冊分の翻訳期間として3年もらって、ついに完成だ。書棚の上から見下ろしていた写真も、もうすぐ、本ができてきたらお役御免かな。6年あまり激励の視線を注いでくれた写真たちの埃を、今日はきれいに払って記念撮影だ(いちばん上の写真)。本当に長い道のりだった。

 本ができあがるまでの時間は、いっときの脱力感に不思議なわくわく感とかすかな不安が混じり込む、いわく言いがたい時間だ。昨夜の雨でちょっと湿り気のある空気を、深々と吸い込む。書架にある写真の周辺にも、心地よい風が吹き抜けていく。
 

2011/11/17

クッツェー作品の舞台へ ── ケープタウン日記(3)

スクーンデル通り
昨日はケープタウンに到着して三度目の朝を迎え、さすがに長旅の疲れが出てきたので、ケープタウン大学へ行く予定をちょっと変更してフレデフーク界隈をまわった。

 ここは、スクーンデル通り、ミル通り、ブレダ通り、クローフ通り、デ・ヴァール公園といった地名がならぶ地区、『鉄の時代』の舞台となった場所だ。70歳の元ラテン語教師、エリザベス・カレンが住んでいたのはこのあたりだ。
 家政婦フローレンスの息子ベキと、その友人のジョンが自転車を相乗りして急な坂道を降りていく通りがスクーンデル通り。警察のヴァンが故意にドアを開けたため、自転車が転倒してジョンが怪我をして額からどくどくと血を流し、カレンがその傷を必死で押さえる場面があった。
 あるいは、警官たちが突入してきてジョンを撃ち殺したのち、カレンがふらふらと路上へ歩き出し、やがてフリーデ通り(平和通り)をファーカイルに抱えられて家へ帰る場面。

 通りの名前を示す標識を見るたびにいろんなシーンを思い出す。頭のなかでシャッフルされていた土地をあらわす記号が、こぎれいな屋敷、灰色のアスファルトの通り、高架下の薄暗い場所、オークの木立といった具体的なモノとなって、いま目の前にある、という奇妙な体験だった。

デ・ヴァール公園
さらに『マイケル・K』に何度も出てきた「デ・ヴァール公園」へとまわった。庭師マイケルが熊手で落ち葉を集める場所だ。時間がなかったので公園のなかには入らなかったけれど、春の緑のなかを乳母車を押して散歩する若い母親たちの姿が見えた。
 きらきらと強い光のなかに咲き残るジャカランダや、古い屋敷の庭先に咲きこぼれるブーゲンビリアの赤紫色が、本当にきれい。
 
 それから「フォルクスホスピタール/国民病院」のあった場所へ。これは『少年時代』に出てきた病院で、少年ジョンが当時住んでいたヴスターから汽車に乗り、ケープタウンまで出て、さらに母親や弟とケープタウン駅からバスに乗って病気のアニーおばさんを訪ねる。1950年代の話で、「国民病院」はすでになく、ここは民間のメディクリニックになっていた。

2008/12/07

Age of Iron 米国版の表紙

長いあいだ、 Age of Iron の米国版は Viking 社から出たものと思い込んでいました。ところが違った!
 最初に発表されたのはいつものように英国版。1990年9月に Secker & Warburg 社から出ています。ところが、米国版は Random House 社からでした。
 私はこの米国版ハードカバーをもっていません。コレクションの趣味はないし、部屋は狭いし、どうしても必要な本だけ手許におくよう心がけています。それでもどんどん増えてゆく書籍。まあ、積み上げていた本が雪崩て浴室のドアがあかなくなった、という経験は幸いにしてまだありませんが…。
 さて、Age of Iron は最初にタイプスクリプトで読んでしまったので、本を買った時期は、たぶん出版されてから少しあとだったような気がします。手許にある Secker&Warburg 社ハードカバーには(右側の写真)、表紙を開いたところに「4,940」という数字がエンピツで書き込まれています。たぶん東京の洋書店が書き込んだ値段。当時、1米ドルが約150円でした。

 先日、米国版のカバー写真をみつけました(最初の白黒の表紙)。まんなかのギリシア彫刻風のデメテル像を思わせるイメージに、制服姿の黒人高校生たちが走っている場面がかぶせてあり、右下に「A Novel」とあります。1990年ころの南アフリカの激動する政治状況を前面に押し出したイメージと、しかし、この本は「小説」である、とわざわざ断り書きをしているところに、米国の読者層の、南アフリカに対する距離感をはかることができます。
 英国にとって南アフリカは長年の植民地だったわけですから、ぐんと近い。それゆえか、説明的な表記はいっさいありません。米国版はあえてドキュメントを思わせる説明的なイメージ(写真の一部)を使いながら「小説」という文字をうたっている。この作り方のちがいは、いつもながら、クッツェーの小説の売り方が英と米ではっきり異なることを表していて、一考に値します。
 

2008/11/19

写真──『鉄の時代』こぼれ話(7)........... fin

 居間の壁に架けられた、トロイの秘宝で身を飾ったソフィー・シュリーマン、大英博物館で買ってきた長衣をまとったデメテルの写真、ピアノの楽譜に印刷された「写真のなかの太った人」と描かれるバッハの顔写真、アメリカに住む娘の写真、花壇のまえで兄ポールとならぶ2歳になるかならないころの主人公エリザベスの写真、ファーカイルが家のどこかから引っ張りだしてきた黒檀の箱に仕掛けられた親族の古い写真、犯罪者みたいなアングルのファーカイルの顔写真、娘の子どもたちがオレンジ色のライフジャケット姿でカヌーに乗っている写真。

 といったふうに、『鉄の時代』には写真がふんだんに出てくる。とりわけ、ユニオンデールの家の庭で撮影された幼い主人公の写真について語られる場面は、南アフリカの土地、労働、所有といったことが滲み出てくる場面で面白い。メタモルフォシスという語と巧みに絡み合わされ、時代が変わればそこに写っているものの意味も変わる、と時間/歴史との連想を誘って圧巻。クッツェーの写真論はやがて、2005年に発表された「Slow Man」のなかで詳しく展開されることになる。<了>
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日経新聞(10月12日付)に掲載された『鉄の時代』の書評がこのサイトで読めます。

2008/11/15

名前と人種──『鉄の時代』こぼれ話(6)

 クッツェー作品にはアパルトヘイト体制当時の人種をあらわすことばがほとんど出てこない。主人公は明らかに白人=ヨーロッパ系入植者とわかる場合が多いけれど、『マイケル・K』などは逆に、非白人であることだけは推測できても、黒人なのか、カラードなのか、よほどの事情通でなければ断定できない。かくいう私も初めてペンギン版のペーパーバックで読んだときはわからなかった。(ヒントは警察の調書のなかの記号「C」に隠されていたのだが。)
鉄の時代』の舞台となるケープタウンは白人よりも非白人、とりわけ「カラード」と呼ばれた人たちが多い都市だ。この小説に出てくる浮浪者「Vercueil/ファーカイル」は1980年代後半、どのような「人種」に区分けされる人物だったのだろう。
 最初、この名前の読みがわからなかった。2006年クッツェー氏が初来日したおりに私が「ヴェルキュエィルですか?」と訊ねると、「フランス語ではそうですが、これはアフリカーンス語でファーカイルです」とのことだった。
 第2章の初めのほうに、主人公エリザベス・カレンがメイドのフローレンスに向かって「ファーカイル、ファルカイル、ファルスカイル」、そんな名前だ、という場面が出てくる。英文は「Vercueil, Verkuil, Verskuil」で、三者の違いを日本語に変換するときは、頭を抱えた。著者にメールで問い合わせると、こんな答えが返ってきた。
 
──The first two are pronounced the same way but spelled differently (the first is the original French spelling, the second a Dutch spelling of the name). The third word means "hide away." The problem this poses for the translator may be insuperable.

 つまり、Vercueil と Verkuil は同音で、スペルは前者がオリジナルのフランス語風、後者がオランダ語風。三つ目の Verskuil には「隠れる」という意味がある。ここで生じる問題を翻訳者が克服するのは困難かもしれない──そこで訳者は苦肉の策として、前二つの綴りの違いを音の違いに変換し、三つ目は音をそのまま表記した。でも「隠れる」という含意は諦めざるをえなかった。

 お分かりのように「ファーカイル/Vercueil」はフランス語起源の名前だ。16〜18世紀、カトリックを国教とするフランスで「非国民」扱いされたユグノー(新教徒)にとって、南アフリカへの移民とはオランダ人社会への同化を意味した。つまり彼らは代を重ね、オランダ語を使うようになっていったのだ。その結果、オランダ語/アフリカーンス語風に発音されるフランス語起源の名前が残った。
 ファーカイルは白人か、というと話の筋からみて明らかに違う。では、当時の人種区分としてはどのカテゴリーに入るのか? もちろんクッツェー自身は本文中でも、本文外でも、ひとことも語らない。ヒントはデレク・アトリッジの著作にあった。「カラードだろう」というのだ。(ちなみに南アでいう「coloured=カラード」には先住民、白人や先住民との混血、アジア系との混血などさまざまな人たちが含まれ、使用言語は基本的にアフリカーンス語、バンツー系の黒人/ネイティヴとは区別され、アパルトヘイト体制のヒエラルキーでは黒人より優遇された。米国でいう「colored=黒人」とはまったく違うくくりなので、要注意!)

 白人入植者が父親で有色人種が母親、という組み合わせで子どもが生まれるケースは、世界の植民の歴史のなかには無数にある。母親が生まれた子どもに父方の姓を名のらせたがることも多かった──たとえば映画『マルチニックの少年』のなかのエピソード。
 白人男性と先住民女性の組み合わせからはじまり、混血がさらに進めば、名前だけから人種を断定するのは困難になる──ムクブケリ/Mkubukeli、ベキ/Bheki、タバーネ/Thabane といった、明らかにネイティヴ/黒人系の名前は別として…。
「クッツェー」という名前にしても、白人とはかぎらない。数年前に亡くなった南ア出身のサクッス奏者、バジル・クッツェー/Bazil Coetzee は、凛とした目鼻立ちの「カラード」だった。

2008/11/09

犬について──『鉄の時代』こぼれ話(5)

『鉄の時代』には、浮浪者ファーカイルが連れてきた犬が出てくる。良家の家から盗まれた犬ではないか、と主人公エリザベスが疑う犬、ドライブにもいっしょに出かける、よく訓練された犬だ。
『少年時代』にも犬は出てくる。母親がむかし飼っていたキムというジャーマンシェパードや、家族で飼うドーベルマンの血が入った雑種犬だ。少年は犬にコサックと名づけるが、だれかに砕いたガラスを飲まされて死んでしまう。クッツェーにとって犬は身近な動物だったのだろう。

 しかし『恥辱』に出てくる犬たちは、娘ルーシーの飼うケイティというブルドッグの老雌犬をのぞいて名前をもたず、それまでの作品とは趣を異にして、犬という動物として重要な役割を振られている。英国版ハードカバーの表紙には、病み衰えた一匹の犬の後ろ姿がじつに効果的に使われていた。第22章の最後など、「犬のように?」「ええ、犬のように」という父娘の会話で終わりさえする。
 1999年に発表されたこの作品で、なぜ、惨殺される犬や、処理される対象としての犬が前面に出てきたのだろう。そこで思い出すのは、当時、南アで起きたある事件のことだ。

 アパルトヘイト体制が撤廃された1994年前後のことだったと思う。地元の新聞に、警察犬が集団で「処分」されたという記事が載った。体制を維持するための有用動物として利用されてきた犬が、もう利用価値がないとして大量に殺されたのだ。
 嗅覚の鋭いジャーマンシェバードは警察が麻薬密売の摘発などのために、空港などでよく使う犬だ。南ア警察の場合、反体制活動のかどで逮捕する「黒人」を、犬を使って捜し当ててきた歴史がある。黒人を見ると、あるいはその臭いを嗅ぎつけると、襲いかかるよう訓練された犬。また、白人の大邸宅は、外壁上部に有刺鉄線を張ったり、ガラス片を埋め込んだりして、外部から侵入できないようになっていたが、これに加えて、どの家にもドーベルマンなど大型犬が数匹飼われ、夜間は庭に放し飼いされていた。(犯罪が減らないいまも強盗よけに飼われているのだろうか。)
 ひとたび訓練された犬の再訓練は不可能とみた行政は、「黒人」を襲うよう仕込まれた犬を大量に処分した。この「処置」に対して、74年にベジタリアンになったクッツェーが烈しい憤りを感じたであろうことは容易に想像できる。

 アパルトヘイト撤廃から5年後に発表された『恥辱』は、価値観が大きく変わる社会、それまで見えなかった暴力が強盗、レイプ、殺人といった一般犯罪として噴き出てきた社会を背景にした作品だ。「暴力」というキーワードで見るなら、女性に対する暴力(セクハラ、レイプ、レイプ殺人)と、動物に対する暴力、ということになるだろうか。
 クッツェーがこの作品を書いた時期に、おびただしい件数の暴力犯罪とともに、「警察犬の大量処分」があったことは記憶しておいていいかもしれない。

2008/11/05

「White Writing」──『鉄の時代』こぼれ話(4)

 クッツェーは『鉄の時代』を書きながら、じつは、南アフリカの白人文学についてエッセイを書いていた。1988年にイェール大学出版局から出る「ホワイト・ライティング/White Writing」である。
 1652年にアフリカ大陸南端の喜望峰にヨーロッパ人がはじめて植民地をつくってから、ヨーロッパ系植民者がどのような視点から文学を紡ぎだしてきたか、それを詩や、農場を舞台にした小説を具体的に論じながら解明した。そして、植民者たちがどのような人間的退廃をたどっていったかを明らかにしたのだ。
 クッツェーの結論は次のようなものだった。

「最終的にそういわざるをえないのは、アフリカにおける静寂と空漠との出会いを言祝ぐ詩のなかには、それまで、たとえ人間がひしめいていたわけではないにしろ、空っぽではなかったひとつの土地を静寂と空漠の土地と見なそうとする、そんな確かな歴史的意志があると読み取らないわけにはいかないことだ。そこは乾燥し、不毛であったかもしれないが、人間の生活に適さなかったわけではなく、もちろん、人が住んでいなかったわけでもない。ウィリアム・バーチェルからローレンス・ヴァン・デル・ポストまで、植民地支配のために書かれたものは、ブッシュマンを南アフリカのもっとも真正な先住民と見なしてきた。だが、そのロマンスはまさに、ブッシュマンが滅びゆく種族に属していることにあった。公式の歴史文書は長いあいだ、19世紀のキリスト教の時代まで、われわれが現在南アフリカと呼んでいる内陸がいかに無人であったかという物語を伝えてきた。空っぽの空間を詠う詩はいつの日か、同様のフィクションをさらに発展させたことで、告発されることになるかもしれない」

 植民地化された土地に対するこの見方は、『鉄の時代』のなかで一枚の写真をめぐって主人公エリザベス・カレンが述べることばとも響きあう。花壇の前で肩から幼児用ベルトをつけた幼い姿で、母や兄といっしょに撮影された写真。その写真の枠外にいる者たちのことを語る部分だ。
 クッツェーのこの視点は、オーストラリアへ移住したあとも「人はだれしも、出自に関係なく、新たに自分の住むことになった国の歴史上の過去を、自分のものとして受け入れる義務があるのだ──たとえ漠としたものであっても」と述べることばへとつながっていく。

2008/10/31

クッツェーの表情──『鉄の時代』こぼれ話(3)

<厳しさと柔らかさと>── 2007年12月初め、痩身の作家はオフホワイトのさらりとしたワイシャツ姿で約束の場所にあらわれた。南アフリカ出身でオーストラリアに住むノーベル賞作家J・M・クッツェー氏が初来日したのはその前年の秋。

(このつづきの主な部分、『鉄の時代』のタイトルをめぐるエピソードは、2009年11月に出る『南アフリカを知るための60章』(明石書店)に載せていただくことになりました。恐れ入りますが、ぜひ、そちらを読んでください。)

2008/10/29

バッハはやっぱりグールド──『鉄の時代』こぼれ話(2)

<ショパンはリパッティ、
バッハはやっぱりグールド>

鉄の時代』には、主人公のエリザベス・カレンが夕暮れに、ピアノにむかってバッハやショパンの曲を弾く場面がある。バッハは作者クッツェー氏のごひいきの作曲家だ。訳了した2007年9月、ふと、だれの弾くショパンやバッハが好みなのだろう、と思って訊ねてみると、こんな答えが返ってきた。

「ショパンは、若い演奏家は知りませんが、わたしが好きなのはたぶん、何年も前に亡くなったルーマニア出身のディヌ・リパッティです。バッハとなると、やはりグレン・グールドを選ばざるをえないと思います。とはいえ、ミセス・カレンがバッハの音楽に、グールドとおなじアプローチをしているわけではありませんが──」

 この最後のところでは、思わず脱力──!!

2008/10/15

名前のメタモルフォシス──『鉄の時代』こぼれ話(1)

「J.M.クッツェーの作品に出てくる名前をテーマにすると、それだけで論文がひとつ書ける」

といったのは、すぐれたJ.M.クッツェー論『J.M.Coetzee and the Ethics of Reading/J.M.クッツェーと読みの倫理学』(Chicago Univ. Press, 2004)を書いたデレク・アトリッジだった。

『鉄の時代』を訳しながら、よくこのアトリッジのことばを思い出した。そして考えたのは、主人公ミセス・カレンの名前のことだ。
 主人公は引退したラテン語教師で、ファーストネームをエリザベスという。ペーバーバックの原書や書評には当然のようにこの名が出てくるのに『鉄の時代』本文中には一度も出てこない。主人公が自分のイニシャル「E C」を末尾に記したメモを、キッチンテーブルに残す場面があるだけ。ではなぜ、「エリザベス」という名が広く知られるようになったのか。
 それは、作者であるクッツェー自身がデイヴィッド・アトウェルとのインタビューのなかで、ぽろっと明かしてしまったからだ。それも、原著(1990年刊)がまだ出版されていないときに…。でも、そのインタビューが掲載されたエッセイ集『Doubling the Point/ダブリング・ザ・ポイント』が出たのは、原著『鉄の時代』より少しだけあとのことでしたけれどネ。

 ガンの再発を告知され、物語の最終部で命を閉じる主人公「エリザベス・カレン」の名は、やがて、2003年9月に発表された『Elizabeth Costello/エリザベス・コステロ』となってよみがえる。この作品、原著が出たのはクッツェーがオーストラリアへ移住したあとのなで、中身はすべてオーストラリアへ移ってから書かれたものと思われがちだが、半分以上はケープタウンに住んでいたときに個別に発表されたテキスト。
 原著は8つの章から構成されているけれど(残念なことに邦訳は2つの章を削除)、その第1章におさめられたのは、1996年11月にチャップブックとして出された「What is Realism?/リアリズムとはなにか?」という講演記録だ。どうやらこのとき初めてクッツェー作品に「エリザベス・コステロ」なる人物の名前が登場したようだ。(付記:2019.2.12──1995年12月のオランダでの講演が最初で、翌年11月のベニントン・カレッジでの講演が英語圏での初登場。)
 『鉄の時代』が出てから約6年後、娘に遺書を書いてこの世を去ったケープタウンの元ラテン語教師エリザベス・カレン(Curren)が、歯に衣着せぬ発言をいとわないオーストラリアの作家エリザベス・コステロ(Costello)となって、見事によみがえったのだ。

 でも、よみがえったのはエリザベスだけではなかった。『鉄の時代』の主人公には、ポールという兄がいた。作中ではすでに死んだことになっているけれど、この名はオーストラリアへ移住して書いた初小説『Slow Man/スロー・マン』の主人公となってよみがえる。写真をめぐるイメージまで絡ませながら。ポールという名は、じつはほかの作品にも出てくる(2016.9.30付記:『青年時代』に出てくる大学時代の友人の名だ)。クッツェーにとって、よほどお気に入りの名前らしい。
 こんなふうに、クッツェーの作中人物の名前は転身したり、少しだけ変形したりして、それぞれの作品の余韻を残しながら、あちこちの作品内に登場する。もちろん交互に響き合う効果を考えてのことだろう。そういえば、最新作『Diary of a Bad Year/厄年日記』の主人公の名前が「ジュアン/フアン/Juan(Johnのスペイン語風)」とか「セニョール・C」となっていて『Waiting for the Barbarians/夷狄を待ちながら』という作品を書いた南アフリカ出身の作家という設定だから、ここにもまた作家であるクッツェー自身を連想させる、ちょっとずらした名前が埋め込まれているのがわかる。

 名前といえば、アトリッジはまたこんなこともいっていたっけ。
「クッツェー作品を論じる多くの文章のなかで、なぜか登場人物が女性の場合、それがファーストネームで呼ばれることが多いが、これはアンフェアではないか」と。たとえば『Foe/敵、あるいはフォー』の主人公はスーザン・バートンという名だが、論じられる文章のなかではもっぱら「スーザン」と呼ばれ、「ミセス・バートン」とは呼ばれない、と。
 これもまた一考に値する指摘かもしれない。

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付記:これから何回かに分けて、「解説」からこぼれてしまったエピソードや裏話のようなものを書いていきたいと思います。お楽しみください。

2007/10/08

鉄の時代/Age of Iron

 現在、南アフリカ出身の作家、J.M.クッツェーが1990年に発表した小説『鉄の時代/Age of Iron』を訳しています。クッツェー作品の翻訳は、本邦初訳の『マイケル・K』(1989年、筑摩書房)からはじまり、『少年時代』(1999年、みすず書房)についで三冊目──『マイケル・K』については全面改訳版が昨年8月、ちくま文庫に入りました。
 昨年9月にクッツェー氏が初来日したとき、実際にお目にかかっていろいろお話をすることができたためか、作品に登場する人物の声がよりいっそう、くっきりと聞こえてくるようになりました。翻訳をする者にとって、これはとても大きな助けになります。