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2022/03/16

今日はヒヨドリ

今日は緋寒桜にヒヨドリがやってきた。

 ウクライナで起きていること、ロシアで起きていること、SNS上のニュースを追いかけてばかりいる。

  沼野充義・沼野恭子編訳『ヌマヌマ』(河出書房新社)から、ミハイル・シーシキンの作品「バックベルトの付いたコート」を読んだ。

 母親がウクライナ人、父親がロシア人だったシーシキンは、いまの戦争を両親が生きて体験せずによかったと語っていた。それを読んで、アミラ・ハスがパレスチナの現状について、まったく同じことを語っていたのを思い出した。もう何年も前のことだけれど。

アミラ・ハス──私の両親は生きてこれを見ずにすんで幸運だ


2017/12/02

アミラ・ハスの番組:明日3日早朝、そして9日にも放映

9月末に来日したイスラエル人ジャーナリスト、アミラ・ハスを追って番組が作られ、明日3日早朝に放映されるようです。再放送は9日で、これは午後。いずれもEテレ。
 残念ながらわたしはTVをもっていないため、観ることができないけれど、どなたかDVDに録画してください(涙)。知人からまわってきたポスターを以下に貼り付けます。

*外側からパレスチナ/イスラエル問題を見る目には、彼女のことを「イスラエル人でありながらパレスチナに住んで……」と表現するほうが分かりやすいのかもしれませんが、彼女の著書『パレスチナから報告します』を訳した者としては、「イスラエル人であるからこそ」ということばのほうが、彼女の心情をより的確に伝えていると思っています。その違いを、考えてみてください。

2014/08/04

イスラエルのモラルの敗北は末永くわれわれにつきまとうだろう──アミラ・ハス


<イスラエルのモラルの敗北は末永くわれわれにつきまとうだろう>
 ──「ハアレツ」by アミラ・ハス  2014.7.28

パレスチナ人の死者は1000人を超えた。あと何人?

もしも勝利が死者の数で計算されるなら、イスラエルとイスラエル軍は大いなる勝者だ。土曜日にわたしがこのことばを書いているときから、あなたが記事を読む日曜日までに、すでに死者数は1000人(70-80%が一般市民)をはるかに超えているだろう。

あと何人? 10の死体、それとも18? 妊娠している女性がさらに3人? 子供の死者が5人? 目を半分開けたまま、口はぽっかりと開いて、乳歯が突き出たままで、シャツには血がこびりついた何人もの子供たちが、たった一台のストレッチャーに載せられて? もしも勝利が敵に、一台のストレッチャーに、人数分のストレッチャーなどないのだから、その一台に殺害された大勢の子供たちを積み上げるさせることなら、ベニー・ガンツ参謀総長、モシェ・ヤアロン防衛大臣、あなたたがは────あなたがたと、あなたがたを賞讃する民族国家は──勝利したのだ。

 そしてトロフィーもまた新設国家へ渡ることになる、今回は、知っていながら可能なかぎり少ない情報を報じた、新設された著名人たちのもとへ、また、多くの国際メディアとウェブサイトのもとへ。「おはようございます、昨夜は静かな夜でした」と軍のラジオ放送のキャスターは、木曜の朝、上機嫌でアナウンスした。その陽気なアナウンスに先立つ前日、イスラエル軍は80人のパレスチナ人を殺し、そのうち64人は一般市民であり、そこには15人の子供たちと5人の女性が含まれていた。そのうち少なくとも30人が、その静かな夜のあいだに、イスラエル軍砲兵隊からの抗うすべもない砲撃と銃撃によって殺された。ここには怪我人の数も吹き飛ばされた家の数も含まれていない。

 もしも勝利がこの2週間に一掃された家族の──両親と子供たち、片親と子供たち、祖母と義理の娘たちと孫たちと息子、兄弟とその子供たち、ありとあらゆる組み合わせの家族を読者は想像できる──その数で計算されるとしたら、われわれは圧倒的に優勢である。ここで、備忘のために名前をあげておく:アル・ナジャール、カラウア、アブ・ジャメ、ガーネム、クアナン、ハマッド、ア・サリム、アル・アスタル、アル・カラク、シェイク・カリル、アル・キラニ。これらの家族の、過去2週間のイスラエルの爆撃を生き延びた者たちのあいだには、いまや死者をうらやむ者までいる。

 忘れてはならないのは、われらが法曹界のエキスパートのための勝者の花輪だ。彼らなしではイスラエル軍は動きが取れない。彼らあってこそ、家を──家のなかに住人がいようがいまいが構わず──まるごと吹き飛ばすことがいとも簡単に正当化できるのだ。家族の一員が適切なターゲットであるとイスラエルが見なしさえすれば(その一員がハマースのメンバーでありさえすれば、それが上級であろうが下級であろうが、軍事部門であろうが政治部門であろうが、兄弟であろうが家族の客であろうが関係なく)。

「もしもそれが国際法にのっとって合法であるとするなら」と、西側のある外交官がイスラエルを支持するという自国のポジションに衝撃を受けながら、わたしに語った。「国際法のなかに胡散臭いものがある兆候だ」

 われわれへの助言者たち、つまりイスラエルとアメリカ合州国の、そしておそらくイギリスの、特権的なロースクール卒業者たちにもまた花束を手向けよう。もちろん彼らはイスラエル軍に対して、なにゆえパレスチナ人の救助チームを銃撃し、負傷者のもとへ到着不可能にすることが許されるかを助言する者だからだ。怪我人の救助に向かう7人の医療チームが、この2週間のあいだにイスラエル軍によって撃たれて死んだ。7人のうち2人はこの金曜のことだ。ほかにも16人が負傷している。救助隊員が被災地へ車で行くことをイスラエル軍が妨げるケースは、この数には含まれていない。

 あなたはきっと、軍のいう「テロリストが救急車のなかに隠れている」を復唱するだろう──パレスチナ人は本当は負傷者の生命を救おうとしているのではなく、廃墟の下で血を流して死んでいく者をなんとかしようと本気で考えているのではない、それがあなたの考えていることではないのか? われわれの賞讃すべき情報部は、ここ何年もトンネルによるネットワークを発見できなかったのに、イスラエル軍に直接爆撃されたあらゆる救急車内に、あるいは人命救助のために出かけて足止めを喰らう救急車のすべてに、実際に武装したパレスチナ人が乗っていることをリアルタイムで知っているのか? それになぜ、近隣地区をまるごと砲撃してまで1人の負傷兵を救い出すことが許されて、それでいて瓦礫の下に埋まった高齢のパレスチナ人を救い出すことが許されないのか? なぜ武装した男を、もっと正確にいうならパレスチナ人戦士を、救い出すことが禁止されるのか? その戦士は、自分の住んでいる地域を侵略する外国軍を撃退しているときに負傷したにもかかわらず。

 もしも、180万人の人びとに生涯にわたって(今回だけではなく)いつ殺されるかわからないというトラウマの原因をあたえることで、勝利の成果を計算するとすれば、勝利はあなたがたのものだ。
 その勝利は、つまるところ、われわれのモラルの内破となり、いまや自省のかけらもない社会の倫理的敗北となる。その社会とは、出発を延期された飛行機を嘆く自己憐憫にふけり、啓蒙された者たちの誇りでその身を飾る社会だ。これは40人以上の殺された兵士の死を、当然ながら、悼む社会であり、と同時に、自分たちが攻撃している相手の苦悩と、モラル上の努力と、ヒロイズムに直面して、みずからの心と精神を硬化させる社会であり、力のバランスが依拠するその範囲を理解しない社会なのだ。

「すべての苦悩と死のなかに、じつに多くの優しさと慈しみの表現がある」とガザから友人は書いてきた。人びとはたがいに世話を焼き合い、たがいを慰め合っている。両親を支えるには何が最良の方法かを探る子供たちはとりわけそうだ。まだ10歳にもならない多くの子供たちが、自分より年下の子供たちを抱き締め、なだめ、恐怖から遠ざけようと必死に努力しているのをわたしは目にした。こんなに幼い年齢ですでに他者の世話を焼く者となっているのだ。身近な誰かを失っていない子供に会ったことがない──親、祖母、友達、叔母、あるいは隣人を。そのときわたしは思ったのだ──もしもハマースが第一次インティファーダの世代から、あのとき石を投げた若者たちが銃弾を手にしたときに生まれたとするなら、この7年間にくり返された大虐殺を経験した世代によって、それはこれからも大きくなりつづけるだろうと。

 モラルの敗北は末永くわれわれにつきまとうだろう。

原文はこちら。

*****転載歓迎****

2014/07/28

イスラエルのガザ攻撃はパレスチナ人が占領を受け入れないことへの復讐である──アミラ・ハス


イスラエルのガザ攻撃はパレスチナ人が占領を受け入れないことへの復讐である。
 ──アミラ・ハス(2014.7.23)

ハマスのロケット弾についてあなたがなんと言おうと、あれは他の民族を支配することを正常とするイスラエルの信念の表層を、少なくとも、かろうじて引っ掻いてみせたのだ。

 狂気には方式がある。イスラエル人の錯乱は、ガザでの復讐の範囲を把握することを拒否しているが、この錯乱には現状に非常に都合のいい理由がある。国家全体が軍隊であり、その軍隊が国家であり、そして両者はユダヤ人の民主的な政府とそれに忠実な報道によって代弁されていて、その四者が共同で回避しているのが甚大な暴露──パレスチナ人が現状を常態と認めることを拒否しているという事実──なのだから。
 パレスチナ人は従順ではない。彼らは適応を拒否している。これまでは、彼らの少数をVIP待遇し、その幾人かに銀行口座がふくらむチャンスをあたえ、想像上のパレスチナ統治のポケットをふくらませる巨額の寄付が合州国とヨーロッパから寄せられ、それでわれわれにとってことは上手くいっていると考えていた。
 ヨルダン川西岸地区の村々で執拗に、断固たるデモンストレーションをしても、それが他民族を支配することを正常とするイスラエル人の信念の表層すら引っ掻くことがなかった。ボイコット、投資引き上げ、経済制裁の動きはわれわれのエゴを少しだけ混乱させはしたが、それではイスラエル人にメッセージを理解したいと思わせるにはまだ不十分なのだ。パレスチナの和解政府はわれわれを次のステップへ踏み込ませようとしているかに見えた。そこにはイスラエルによって命じられた常態のショーを拒否する道へ踏み出す可能性があった。だが、ファタハとハマース内のじつに多くの勢力がそれを支持しなかった。

 そこで次は、ハマースのロケット弾が占領者の安堵を攪乱する番だった。あなたがそれをなんと言おうが、彼らはデモンストレーションや、タプジナ・オレンジドリンクをボイコットしたり、コンサートをキャンセルしたりすることでは不可能だったことに成功したのだ。
 国家、軍隊、政府、そして報道。あなたには目もあり耳もあるのに、あなたは見ようとしないし聞こうとしない。あなたはいまも、われわれがすでに流し、これからも流さなければならないとするパレスチナ人の血が長期の気休めになってほしいと願っている。それでいつものようにわれわれが占領状態へ戻れるといいと願っている。あなたは、これ以上大きな災禍が起きる前に、タイミングよく自分の権限を使うことを拒んでいる──かつてあなたが拒んできたように、ずっと拒んできたように。

 いやはや、あなたは権限をもちたいと思うときその力をもつわけだ。キブツ・ニル・アムのトンネルから月曜日にあらわれた武装ハマース工作員はイスラエル兵の服を着ていた。ハアレツ紙のアモス・ハレルが、野戦指揮官は最初、彼らが兵士なのかテロリストなのか判断がつかなかった、と書いている。「最終的に、ドローン(小型無人機)が撮影した航空写真のおかげで、彼らがハマースの工作員だと分かった」とハレルは書いているのだ。「彼らはカラシニコフを持っていた、これはイスラエル軍が使っていないものだ」と。

 だからドローンが撮影した写真は、操作する者がそうしたければ、じつに精密に撮影できるわけだ。海岸や屋根の上に子供たちがいるかどうかは識別可能なのだ──法務省と軍がどれほど法的アクロバットをやろうと、子供たちを、われわれの爆弾のターゲットにする正当な理由などありはしない。ドローンはまた救急隊が負傷者を引き出すために到着したことも、家族が自分の家から逃げ出したことも認識できる。すべてドローンによって撮影し、クローズアップした写真で見ることができるのだから、爆弾や砲弾を投下する兵士がキーボード上の「殺人」ボタンを押す正当な理由はどこにもない。しかし、どういうわけか、小銃のさまざまな製造元の違いを見分けるドローンの目は、あそこにいる人物が子供であるとか、母親や祖母であると見分けることができない。見分ける代わりに、全員に死刑をあたえるのだ。

 いまこの瞬間イスラエル人であることは、まるでそのドローンのようだ。目がかすむことをあえて選んでいるのだ。主人である国の、善良で快適な生活にしがみついて、その被統治者に邪魔などさせるものかと思っている。防衛大臣のモシェ・ヤアロンはそれを政治言語に翻訳してこう述べる──「和解政府を認めることにわれわれは同意するつもりはないが、検問所のコントロールといった他の協定は受け入れてもいい。(パレスチナ政府首相のマフムード)アッバスは検問所をコントロールするだろうが、彼はガザ地区をコントロールするつもりはないだろう」
 これはわれわれが常套手段として用いるものだ。ガザとヨルダン川西岸地区は切り離されている。ハマースがガザ地区をコントロールしているが、それはあくまでわれわれの支配のもとでであり、ファタハとパレスチナ自治政府が西岸地区内の狭い地区を、われわれの条件に合致したかたちで「統治」しているようなものだ。もしもパレスチナ人がときには飼い馴らされる必要があるなら、われわれは血を流して、さらなる血を流して彼らを飼い馴らすことになるのだろう。イスラエルに平安あれ。

*転載歓迎*

写真は、1枚目がハアレツ紙(7月7日付)。2枚目はガザ東部のシジャイヤ地区(7月28日、撮影:RS

********
付記:この記事は基本的にイスラエル人が読者層と考えられる新聞「ハアレツ」に掲載されたものです。イスラエル人記者であるハスがまずヘブライ語で書き、それを英訳したものが英語版ハアレツに載りました。You, We, us, our はそのような設定です。

2014/07/26

パレスチナ/イスラエルの現実──岡真理さんからの情報です


このところのガザのジェノサイドについて、アミラ・ハスの記事を探していましたが、ヨルダン川西岸地区に足止めを食っているのか、あるいは「ハアレツ」紙の限界なのか、最新情報へのアクセスがさまざまな理由で以前にくらべて困難になっています。以下はfacebook からの転載です。
(地図を一枚つけます。この地図が1948年から現在にいたるイスラエル/パレスチナのもっとも大きな問題を物語っています。)


*******以下転載********
(中村一成氏より)
岡真理さんからの情報です。
ガザでの虐殺について、殺す側が喧伝し、マス・メディアが流布している「嘘」(たとえば「発端はイスラエル人少年3人の誘拐、殺人である」など)や、いくつもの「何故?」(たとえばエジプト停戦案をなぜハマースは拒否したかなど)に関して、学識者3人が答えているインタビューです。ぜひ読んでください。URLは原文、日本語は岡さんの訳です※シェア大歓迎
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ガザ紛争をめぐる誤解(July 23, 2014)
http://imeu.org/article/faq-misperceptions-about-the-conflict-in-gaza
回答者:
ダイアナ・ブット 
人権弁護士、ラーマッラーを拠点に活動するアナリスト。PLOアッバース議長の顧問も務めた。アル=シャバカ:パレスチナ政治ネットワークの政治アドヴァイザー。
ジョージ・ビシャーラート
カリフォルニア大学サンフランシスコ校ヘイスティングス法律カレッジ教授。パレスチナ研究所上級フェロー、パレスチナ法評議会もと法律コンサルタント。

ナディア・ヒジャーブ
アル=シャバカ:パレスチナ政治ネットワーク代表、パレスチナ研究所上級フェロー

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Q-何が、今回の暴力の爆発を引き起こしたのでしょうか?
ダイアナ・ブット(以下DB) 
4月に、[ファタハとハマースによる]パレスチナ民族統一政府の発足が発表されるや、イスラエルはそれを破壊することに照準を定めました。まず、政府を孤立化させようと圧力をかけ、それがうまくいかないとなると、3人のイスラエル人の少年たち(彼らはイスラエルの完全支配下にある西岸地区で誘拐されたのですが)の死を利用して、ガザのハマースを悪魔化しました。
少年たちが行方不明だった18日間のあいだに、イスラエルは西岸の、何百人ものパレスチナ人を逮捕しました。その中には、11名の議員と、3年前、捕虜交換で釈放された59名のもと囚人たちが含まれます。これらの人々は、3人のイスラエル人少年の死に何等かのかかわりがあるという証拠などまったくなしに逮捕されたのです。
さらに、イスラエルは、西岸の10人のパレスチナ人を殺害しました。うち3人が子どもです。そして3軒の家を破壊しました。イスラエルはガザ地区に空襲をおこない、国連が報告しているように、10歳の子どもを含む2人を殺害しました。これらはすべて、ハマースのロケット弾がガザから一発も撃ち込まれていない段階で起きています。イスラエルは、パレスチナ統一政府を外交的に解体することに失敗したとき、残忍な軍事攻撃に訴えることにしたのです。明らかなことは、既成事実が「正解」ではない、ということです。2012年の停戦段階に戻るということは、[今回は]機能しません。[2012年の停戦を]イスラエルはいとも容易に侵犯にしているからです。
ジョージ・ビシャーラート(GB)
イスラエルは、6月12日に誘拐され殺された、3人のイスラエル人の若者たちの悲劇的な死を、西岸のハマースを攻撃し、パレスチナの民族的和解を阻害するための道具として利用しました。外交的に、民族的和解を阻止しようとして失敗していたからです。
イスラエルは400人以上を逮捕し、2200軒もの家を家宅捜査し、捜査の過程で少なくとも9人のパレスチナ人を殺害しています。若者たちは、誘拐された直後に殺されたという証拠があがっていたにもかかわらず、イスラエル政府はそれを隠匿して、イスラエルの世論を狂乱状態に煽り、それが、ムマンマド・アブー・フデイルを焼き殺すというむごたらしい事態に直結しました。これらのシニカルな行動が、ガザの境界線に沿って暴力のエスカレーションを招きました。
ナディア・ヒジャーブ(NH)
イスラエルは、6月12日に3人のイスラエル人の10代の入植者が誘拐され殺されたことを利用して、西岸と東エルサレムに対する残忍な大弾圧を行いました。人権団体は、これを集団懲罰として非難しています。イスラエルはとりわけ、ハマースのメンバーを標的にしました。[少年たちの誘拐と殺害について]ハマースの犯行という証拠もなければ、ハマースも責任を否定しているにもかかわらず、です。真の標的は、ハマースが実現した民族的統一の合意でした。
しかし、事実を言えば、イスラエルによるガザに対する総力を挙げての攻撃は、遅かれ早かれ起きていたはずです。イスラエルは、ガザに対する自分たちのアプローチを「芝を刈る」と呼んでいます。つまり、2年か3年に一度は必ず、ハマースを攻撃し、弱体化しなければならない、ということです。ハマースが停戦に積極的であり、停戦を尊重しているということが証明されているのに、です。これが、イスラエルが、西岸と東エルサレムの占領と植民地化、そして、ガザの占領と封鎖を「経営する」やり方の一つです。
Q-イスラエルは自衛のために行動しているのですか?
DB いいえ、ガザに対する攻撃を最初に始めたのはイスラエルであり、ガザ地区(および西岸)に対して過酷な軍事占領を続けているという事実ゆえに、イスラエルは自衛を主張することはできません。それどころか、イスラエルは、その軍事支配下で生きるパレスチナ人を庇護するという国際法上の義務があるのです。
GB 自衛とは、暴力を最初に行使した国家が主張しうるものではないでしょう。イスラエルが西岸のハマースに対して暴力的な攻撃を行ったのですから。
NH そうです。戦争に関する規定を尊重すると誓う国際条約に署名した国連加盟国に、民間人や民間のインフラを無差別に攻撃する権利などありません。男性、女性、子供を問わず、実に大勢のパレスチナ人民間人が死傷しているという事実が、イスラエルの「自衛」の主張が嘘偽りであることを示しています。ハマースが停戦を維持することに積極的であったという事実によってもです。
さらに、イスラエルは、何十年にもわたって軍事占領し、植民地化している土地の住民たち、しかも封鎖下においている住民に対して「自衛」を主張することはできません。
停戦だけがパレスチナ人とイスラエル人を同じように守り、そして、占領と封鎖の終結こそが、恒常的平和への道を整えます。
ハマースもまた、民間施設を標的にするのをやめなければなりませんが、ハマースは国連加盟国ではなく、国際法の順守を誓う条約に署名していません。
Q-イスラエルは、ハマースを標的にして攻撃しているのですか?
DB いいえ。イスラエルは民間人の住宅や民間のインフラを攻撃していると思われます。今日までに、国連の算定によれば、殺された者たちの80%が民間人で、150人が子どもです。イスラエルは病院や学校、モスクも爆撃しています。これらはすべて、国際法で、標的にするのが違法とされているものです。
2000軒以上の家とその近隣の地区がイスラエルの攻撃で破壊されました。このようなことは、国際法とは矛盾します。住宅など民間の構造物が標的として合法の標的とされるのは、軍事目的に使用された場合だけです。
戦争に関する規定に関するジュネーブ条約追加議定書のⅠは、「信仰の場や、家その他の住居、学校といた通常、民間の目的のために使用される対象が、軍事行動のために効果的に使用されているかどうかが疑わしい場合には、軍事目的には使用されていないと推定しなければならない」 イスラエルは、パレスチナ人の家々が司令センターとなっていると主張していますが、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、こうした主張を退けています。
民間人と戦闘員を区別しない攻撃は違法です。イスラエルの論理を使えば、過去あるいは現在、イスラエルの兵士や警察官がいるいかなる家も合法的標的と言うことになります。軍が存在するところ、たとえば、テル・アヴィヴの防衛相も、合法的標的です。明らかに、このような論理は受け入れがたいものです。
これはヴィデオゲームではありません。イスラエル軍は、ハマースに関係している者なら誰であろうと攻撃しています。戦闘員であるかどうかなどおかまいなしに、民間の基盤施設であろうと一顧だにせずに。
GB イスラエルはどうやら、ハマースの幹部なら誰でも、「戦闘員」に分類しているようです。実際にどんな仕事をしているかなど関係なしに。たとえばガザの警察庁長官のタイシール・アル=バトシュは、彼が従兄の家を訪ねているときをわざわざ狙ってイスラエルは攻撃し、タイシールは負傷、彼の親族18人が殺されました。
国際法上、警察は民間人です。そして、これは、一見したところ、明らかな戦争犯罪です。個人の住宅に対してなされるその他、多数の攻撃も同様に戦争犯罪です。もちろん、最終的な結論を下すには、さらに調査してみる必要がありますが。
イスラエルは、病院や、浄水施設、下水道、その他、ハマースとは何の関係もない民間の基盤インフラも攻撃しています。実際のところ、イスラエルは、軍事目標と民間人を区別するという国際的な法的要請を尊重していると主張していますが、イスラエル自身の行動が、ハマースを政治的に弱体化させるために故意に民間人を殺すという政策をとっているということを物語っています。
NH 民間人の死傷者の数が、イスラエルの主張を切り崩しています。国連の数字によれば7月22日までに殺された、640人を超えるパレスチナ人の死者の中で民間人は433人。一方、イスラエル側で殺された民間人は2人です。この数字を比べてみてください。
Q-ハマースはなぜ、停戦を受け入れるのを拒否したのですか?
DB ハマースにしてもその他の党派にしても、エジプトが提案した停戦案について相談されませんでした。エジプトはパレスチナやパレスチナ人を代表などしません。パレスチナ人を代表するのはパレスチナ人だけです。提案された合意の場に主要な当事者がいないのに、事態が前進するなど考える方が愚かです。さらに、イスラエルは最近、必要物資をガザ地区に入れ、同時医、パレスチナ人が亡くなった者たちの遺体を埋葬できるようにするための人道的停戦を拒否しました。
GB ハマースは停戦の申し出を受け入れるのを拒否しましたが、この申し出について事前に相談されておらず、公平さという点で基本的な要件を満たせていませんでした。しかし、それから24時間以内にハマースその他のパレスチナのグループはイスラエルに対して10年間の休戦協定を申し出ました。この協定でイスラエルはガザ地区の封鎖をやめていただろうし、その結果、長期にわたりこの地域の安定も保証されていたでしょう。しかし、イスラエルはこの申し出に応えませんでした。[長期的安定よりも]イスラエルにとっては、定期的に「芝を刈る」ことの方が都合が良いようです。
NH ハマースは停戦を受け入れたいと思っていますが、しかし、それは、イスラエルが尊重し遵守する停戦であり、ガザに対する封鎖を解除する停戦です。ガザのパレスチナ人は、圧倒的多数を占める民間人もハマースその他の党派のメンバーも、2007年以来、[封鎖下で]緩慢に殺されるか、[攻撃で]一瞬で殺されるか、という二者択一を迫られています。イスラエルがガザに課し、エジプトもその維持に協力している厳格な封鎖の結果、飲料水もなく、栄養も不十分で、医療も十分ではないせいで、病気や疾病で死ぬのか、イスラエルが、そろそろ「芝を刈る」頃だと決めたとき、あっという間に死ぬかのどちらかだ、ということです。
「国境の検問所が開放されて、人々や物資が自由に移動できるようにならないかぎり、ガザのパレスチナ人は、もっとも基本的な権利のないまま、これからも生きることを強いられることになります。」
Q-ハマースはパレスチナ人を人間の楯に使っているのですか?
DB ガザは縦40キロ、横が最長でも12キロの土地です。そこに180万近くのパレスチナ人がいます。ガザ地区は、世界でももっとも人口過密な地域です。さらに、この攻撃の以前から、ガザ地区の35%の地域がパレスチナ人立ち入り禁止――進入は死の危険を伴います――になっており、イスラエルは、これらの地域を立ち入り禁止区域として維持しています。つまり、ハマースがこの小さな地区の内部で闘うとき、パレスチナ人の民間人を援護には使いません。
[ハマースが民間人を人間の盾に使っていると]イスラエルはずっと主張していますが、今日まで、国際的な調査によっても、これらの長期にわたる主張を裏付ける証拠は何もありません。にもかかわらず、この主張が、多くの者に受け入れられ、まかり通っているのです。皮肉なことに、その逆こそ、確証されています。イスラエルは、軍事作戦を行うとき、パレスチナ人の民間人を人間の楯として使っています。
GB ハマースは、居住区の内部から闘います。人口過密なガザ地区です。しかし、ハマースが攻撃避けに、故意に民間人を危険にさらしているという主張は、ほとんど実証されていません。この主張は、「犠牲者を非難する」ためのものです。確かに、パレスチナ人にとっては、パレスチナ人の血を流しているのはイスラエルだといういことは、疑う余地もなく明らかです。
NH イスラエルは、ニューヨークの半分以下しかないガザ地区の44%を軍事的な「バッファ・ゾーン[進入禁止区域]」にしています。誰が誰を人間の盾に使っているのでしょう?
Q-イスラエル軍は、民間人の死傷を避けるために、可能なあらゆる注意を払っていますか。
DB いいえ。「屋根をノックする」方式で、つまり、家を爆破するに先立ってまずミサイルを家の上に落とすということですが、死をもたらしています。アムネスティ・インターナショナルのフィリップ・ルーサーによれば、「民間人の家に向けてミサイルを発射することは、効果的な「警告」を構成するなどということはありえない。アムネスティ・インターナショナルは、ガザ地区に対するイスラエルのこれまでの軍事作戦において、このようなミサイルによって殺害された、あるいは負傷した民間人の事例をまとめている」と彼は語っています。
加えて、イスラエルは[攻撃を警告し、退避を勧告する]リーフレットを撒いていると主張しますが、これらのリーフレットには、人々がどこに行けば安全かということは書かれていません。イスラエルの人権団体が書いているように、「リーフレットを撒くことでは、その地域に民間人は一人も残っていないと見なして、民間の用地を攻撃してよい、という許可を軍に与えはしない。軍は、すべての住民がほんとうに自宅を後にした、と仮定してはいけない」
さらにイスラエルは、鉄のドーム・システムが、イスラエルの民間人の死を防ぐのに効果を発揮していると主張しています。この主張を踏まえ、また、イスラエルの民間人の死者が2名(パレスチナ人の死者数は650名)であることを踏まえると、民間人を傷つけずに、イスラエルに向けて発射されるロケットを問題にする別の方法があることは明らかです。
GB これまでの回答のいくつかが示唆しているように、もちろん、違います。民間人に対して、効果的な避難場所などどこにもない状況下で家を離れろと警告することは無意味です。シュハイバル家の3人の少年を含む多数のパレスチナ人が、イスラエルの「屋根をノックする」というやり方で――つまり、より破壊力のある兵器を使う前に、警告用とされているミサイルを発射することで――殺されています。
NH ガザは地球上でもっとも人口過密なところの一つです。空から、陸から、海から攻撃しておいて、何百人もの民間人を殺さないでいることなど不可能です。ガザの民間人の殺傷を防ぐ唯一の道は、停戦しかありません。ハマースは過去の停戦を遵守してきました。そして、平和を実現する唯一の道は、西岸と東エルサレムの占領と植民地化、およびガザの封鎖を終結し、長期にわたり否定されてきたパレスチナ人のその他の権利を尊重するという合意を結ぶことです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以上
PS:爆撃の写真はこの記事が載ったサイトではなく、英ガーディアンの記事からの転載、以下にキャプションとクレジットを。

Smoke from an Israeli air strike rises over the Gaza Strip on 25 July 2014. Photograph: Majdi Fathi/NurPhoto/Corbis

2014/07/18

世界横断クッツェー祭に参加

 11月中旬にアデレード大学で開催される「世界横断クッツェー祭」に参加するため、昨日、旅立っていきました。早々と。

 旅に出たのは書籍、つまり、拙訳『サマータイム、青年時代、少年時代』です。クッツェー祭の展示物のひとつになります。9月には、オースターの往復書簡集『ヒア・アンド・ナウ』も追いかけることになるでしょうか。
 
 
 

しっかりやっておいで、と子供を送り出す母の気持ち・・・はあ。


☆  ☆  ☆

PS: それにしても、昨日、イスラエルがガザに地上軍を侵攻させて、、、、「ハアレツ」に発表されたアミラ・ハスの記事を探すのだけれど、購読手続きをしないと新しい記事がまったく読めない。3日ほど経たないとオープンにならないのだ。それでも見出しだけなら昨日まで読めたのに、今日はまったくダメ。ハスの記事を検索する人が世界中からアクセスしているのだろうか。

2012/04/05

偶然のパレスチナ

さきほど、アミラ・ハスの『パレスチナから報告します』を書架から取り出してぱらぱらとページをめくった。苦労して訳して、友人知人の援助総動員で仕上げた。ちょうど2005年の、この季節に出版された本だ。残念ながら、いまは古書でしか入手できない。

 そして、ふと、ある知人のブログを見ていて、この映像を発見した。パレスチナの専門家とか、そういう人ではまったくない。これは偶然としかいいようがないけれど、だれもがいま、すでに知っているパレスチナ/イスラエルの関係を象徴的にあらわしている。「水」の問題をあつかった映像だった。



 今日もまた風が吹く。見えないものを含みながら。
 どこから吹いてくるのか、きみは? どこまで吹いていくのか、きみは?
 水の枯れた、いや、水を奪われた人たちにも、遠く、吹きつけているんだろうな、きみは。

4/6付記:「ハアレツ」紙の記者アミラ・ハスはいまも果敢に記事を書き続けている。詳しくはこちらへ。

2009/03/28

アミラ・ハスとルー・リードと J.M.クッツェーが

スペインのバルセロナで2年おきに開かれる大規模なフェスティヴァルがあるらしい。Kosmopolis。CCCB(Centre de Cultura Contemporània de Barcelona=バルセロナ現代文化センター)で開催されるフェスタだ。昨日、少し調べ物をしていてこの催しのサイトに行き当たった。(まあ、知る人ぞ知るフェスタなのだろう。)
 2008年10月22日から26日まで開催された第5回の催しに登場した面々がすごい。

 著名な人物がつぎつぎと出てくるので、いちいちあげるのもためらわれるが、ちょっと驚いたのは「ジャーナリズム」のジャンルに出てきた写真。これ、どこかで見たことがある顔だ。じっと見ているうちにそれが「アミラ・ハス」だと分かった。

 さらに「オーラル・リテラチャー」のジャンルには、ルー・リードとローリー・アンダースンが出てきて、「文学」のジャンルにはクッツェーの写真もある。

そして今日の「要注目ニュース」に登場しているのが、なんとあの、スーザン・ジョージ。「主要20カ国グループは危機を作り出した者たちにさらなる資金と権力をあたえる以外に、新しい考えをもっていないのか」と手厳しい。

 世界では日々、いろんなことが起きているわけだけれど、これはちょっと興味深い催し。広範囲におよびながら、すぐれて現代的な、的を射たセンスで開催されているように見受けられる。たぶん、観光スポットにもなっているに違いない。文化に対して、どこが、どのようにお金を出して、なにをやっているか。スペイン語文化圏はいま、このような勢いをもっているのだな、と改めて思った。

2009/01/16

アミラ・ハス──空爆標的の実践

ハアレツ紙/Last update - 21:04 15/01/2009
アミラ・ハス

空爆標的の実務経験

マルク・ガーラスコはペンタゴンで7年間働いた。「私は空爆標的の実務をやっていました──空軍司令部の人たちに、どこに爆弾を落とすべきかを伝える仕事です。イラク戦争で。」その前はコソボで。2001年9月11日の米国防省へのアルカイダの攻撃によって、彼はたくさん同僚を失った。ペンタゴンでは、アルカイダとサダム・フセインのあいだに結びつきがあるかどうか、彼は質問された。「ないことは知っていました」と彼はいう。「なぜならサダム・フセインの動きを追跡することが私の職務でしたから」

それが、彼が幻想から目覚める始まりだった。そのとき彼は自分の任務が政治的なもので、軍事的なものではないことに気づいたという。イラク攻撃が開始される前に、彼はヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)へ立候補したが、自分には市民に被害をあたえないようにすることができると考え、ペンタゴンで働きつづける決心をした。バグダッドでサダムの像が引き倒された2日後、彼はペンタゴンを去った。HRWの代表としてイラクへ行き、新たな立場からその目で、初めて「本物の」爆撃を見た。その後も(2004年と2005年に)レバノンで、グルジアで、ガザで。
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略記/イスラエルは違法兵器をガザで使用?(旧:ロケット砲の赤い炎のなかで)
マルク・ガーラスコが、現在イスラエル軍が使用している兵器がどのようなもので、どこで、いつごろ、どのような目的で開発され、何という会社がつくったものか、具体的に名前をあげて述べている記事です。使用法が国際法違反といわれる白燐弾は、水に触れるとさらに激しく燃えるもので、米国のGeneral Dynamicsが製造。先週、国連運営の学校を直撃したのは、イスラエルの兵器産業と米国のアリアントという会社が2006~7年に開発したGPS(全地球位置把握システム)誘導の迫撃砲。イスラエル軍は誤差30メートルの誤爆だというが、ガーラスコは標的への誤差は3メートルしか起きないはずだと述べる。
 今回使われている兵器の多くが米国製で、冷戦期にロシアの戦車を破壊するために開発された古い兵器。新兵器も実験的に使用され、イスラエルの要請で米国が売った1000の新型爆弾GBU-39は、ボーイング社製。

 この記事は、それぞれの兵器が一般市民にどのような甚大な被害をあたえるか、といったことが具体的に述べられている。ガザ市内で医療にあたる人びとから得たハスの情報も、使われた兵器の具体的な殺傷力の激しさを示している。

 ガザ地区には、外部のジャーナリストを含め、彼のような第三者が入ることをイスラエルが禁じているため、外側からの観測および写真などによって、ガーラスコは判断しているが、その指摘による「イスラエルの武器使用の国際法違反」は極めて濃厚だと思える。詳しくは

http://www.haaretz.com/hasen/spages/1055927.html

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2009/01/15

アミラ・ハス──パレスチナ人医師、治療中にイスラエル軍によって殺される

ハアレツ紙/ Last update - 07:30 14/01/2009
アミラ・ハス

パレスチナ人医師、治療中にイスラエル軍によって殺される

ガザの人権団体「ミザン」によると、ガザのジャバリヤ難民キャンプの28歳のパレスチナ人医師が、今週イスラエル軍の砲撃によって殺された。イスラエル軍ミサイルの標的となった建物から、負傷者を運び出している最中にだった。

彼の死によって、12月27日以降、イスラエル軍によって殺された医療関係者は7人になった、と人権団体は語った。

さらに、3つの病院と4つのクリニックが、この数日の銃撃によって損害を受けた、とパレスチナの情報筋はいう。

イッサ・サラーフ医師は、パレスチナ民間自衛サイービスのメンバーで、彼のチームが負傷者のいる建物に到着したのは、月曜の午後4時半すぎだった。その数分後、建物はイスラエル軍のヘリコプターが発射したミサイルの直撃を受けた。

住人たちは走って逃げた。最初のミサイルが、次々と落とされるミサイルで建物が破壊される前に、建物から避難しろ、という警告を意味することを知っていたからだ。

しかし全員が間に合ったわけではない。2発目のミサイルが直撃したとき、18歳の少女が殺され、2人の子どもを含む4人の住人が怪我をした。

サラーフは3発目のミサイルが直撃したときに殺された。彼の同僚もひとり怪我をした。その場から女性と4人の住人を避難させ、手当を受けさせようとしていたところだった。

一方、死んだ女性の23歳の妹と、20歳のもう一人の女性もまた、その建物に対するイスラエル軍の、続けざまの砲撃によって殺された。

ほかにも5人が怪我をした。

サラーフ医師の死は、負傷者をその場から移送するとき、パレスチナ人が直面している困難を際立たせている。

パレスチナの情報筋によると、昨夜までに、パレスチナの救急隊がイスラエル軍と調整して、負傷者を避難させることがほとんど不可能になっている地区が、少なくとも4つあるという。それは、ジャバリヤ、ガザ市近郊のサジャイエフ、トゥファフ、ゼイトゥンである。

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2009/01/14

アミラ・ハス──歴史はカッサムロケットで始まったわけではない

ハアレツ紙/Last update - 02:33 14/01/2009
アミラ・ハス

歴史はカッサムロケットで始まったわけではない

歴史はカッサムロケットで始まったわけではない。だが、われわれイスラエル人にとって、歴史はいつでもパレスチナ人がわれわれを傷つけるときに始まる。そのため苦痛が、完全に状況から切り離されたものになってしまう。われわれはパレスチナ人に、もっともっと大きな苦痛をあたえれば、最後には彼らも教訓を学ぶだろうと考えている。ある用語でこれを「成果」という。

しかしながら、多くのイスラエル人にとっては、その「教訓」が抽象的なままだ。イスラエルのメディアはその消費者に、情報ひかえめ、真実ひかえめの、厳格な食事療法を処方している。軍司令部の人間とその仲間たちのことだけはたっぷり含まれた療法だ。それは慎み深く、自国が達成した成果を自慢することはない──つまり、殺害された子どもたちや、廃墟のなかで腐敗していくその遺体、自国の兵士たちが救急隊員を銃撃したため血を流しながら死んでいった負傷者たち、さまざまな型の武器によってひどい怪我をしたため脚を切断された幼い少女たち、打ちのめされて辛い涙を流す父親たち、跡形もなく消し去られた住宅地区、白燐による激しい火傷、そして小規模移転──自分の家から追い出された何千何万という人たち、そしてこうしているいまも追い出され、命令によって家屋密集地域へ押し込められ、その地域はさらに頻々と狭くなっていき、なおかつ絶え間ない爆撃と砲撃にさらされていること、それが達成した成果だ。

パレスチナ政府が樹立されてからというもの、イスラエルの広報活動装置は、パレスチナ人がわれわれに見せかける軍事的な威嚇の危険性をおおげさに強調してきた。彼らが石から小銃に、火炎瓶から自爆攻撃に、路上の爆弾からカッサムロケットに、カッサムからグラッドに、そしてPLOからハマスに移ったとき、われわれは大声をあげて「だからいったじゃないか。彼らは反ユダヤ主義者だって」といったのだ。かくして、われわれは凶暴な行動にでる権利を得たわけだ。

イスラエル軍の凶行を可能にしたもの──それを表現するための正確なことばが私の辞書には見つからない──それは、着実に進められたガザ地区の隔離だ。隔離はガザ住民を、名前もなく住所もなく、さらに歴史もない──武装した男たちの住所を例外として──抽象的なモノに変えた。シンベトの公安警察によって決定された日付は別として。

ガザ包囲は、ハマスがガザ地区の警備機関を掌握したときに始まったわけではない。それが始まったのはギラド・シャリット(イスラエル軍伍長)が拘束されたときでも、ハマスが民主的選挙によって選ばれたときでもない。包囲は1991年に始まった──自爆攻撃が開始される前のことだ。それ以来、包囲はさらに巧妙に洗練されたものへと変形されただけで、2005年にピークに達した。
 
イスラエル広報活動装置は手際よく、恥知らずに事実を軽視しながら、(ガザからの入植地)撤退を占領の終了であると発表した。隔離と封鎖は、軍事的必須事項だと発表した。しかし、われわれは成人した男女であり、「軍事的必須事項」と首尾一貫した嘘が、国家の目標に与するものであることを知っている。その目標とは、二国家解決案を巧妙に阻むことである。この解決案は、1990年、冷戦の終了時に世界がその実現を一度は期待したものだった。完全な解決案ではないにしろ、しかしパレスチナ人はそのとき、この解決案を受け入れる用意があったのだ。

ガザは、その隣にある、平和を愛する小国、イスラエルを攻撃する軍事力などではない。ガザは、イスラエルが1976年に、西岸地区ともども占領した一地区なのだ。そこに住む人たちはパレスチナ民族の一部であり、この民族がその土地と故国を失ったのは1948年のことだ。

1993年(オスロ合意)、イスラエルはたった一度、世界に対して、われわれについて語られていることは真実ではないと告げる、またとないチャンスを得た──つまり、イスラエルは生来の植民地国家ではないこと、一民族をその土地から追放し、人々をその家から追放し、ユダヤ人を入植させるためにパレスチナ人の土地を強奪することが、国家としての存在の基本でも本質でもないことを告げるチャンスを、である。

1990年代に、イスラエルは1948年がそのパラダイムではないことを立証するチャンスがあったのだ。ところがイスラエルはその絶好のチャンスを逃してしまった。代わりに、ひたすら、土地を強奪し、人々を住んでいる家から追放し、パレスチナ人を隔離した飛び地へと追い込んでいった。そしていま、この暗くおぞましい日々にイスラエルは、1948年は決して終わらないと立証しているのだ。

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2009/01/13

アミラ・ハス──砲火と農地、ノーマンズランドに閉じ込められたガザ住民

ハアレツ紙/Last update - 08:07 13/01/2009
アミラ・ハス

砲火と農地、ノーマンズランドに閉じ込められたガザ住民

ガザ地区の周辺にある農業地域のなかで、多くのパレスチナ人が──いったい何人いるかは不明──イスラエル軍陣地に取り囲まれた小さな飛び地に、閉じ込められている。その飛び地を離れようとする者を、兵士は無差別に銃撃する、と彼らはいった。

彼らは、この地区にイスラエル軍が侵攻したとき、逃げることができなかったか、家に留まることにした人たちだ。しかし、親戚や、近くの町や村から、これほど長期間、切り離されるとはまったく思わなかっただろう。

そんな飛び地から断片的に入ってくる報告は、包囲されたパレスチナ人が次第に水、医療品、食料の窮乏に苦しめられていることを示している。少なくともジャバリヤの東にある飛び地には、薬が切れてしまったガン患者が1人いることを、ハアレツ紙は知っている。別の飛び地では、そこから糖尿病の患者と高齢者を避難させる試みが失敗に終わった。そこを離れようとする者を、飛び地を取り囲むイスラエル軍部隊が無差別に銃撃するのだ。

外部から完全に断ち切られ、ほかの飛び地とも、数キロ先の親戚との連絡も、まったく途絶えてしまった人たちもいる。たとえばベイト・ラヒアの北、シーファでは、ある包囲された地区の家屋に住む1人の女性とその息子が生きているのか、死んでしまったのか、親戚も隣人も知る手段がまったくない。彼らの要請によって、ハアレツ紙は、HaMoked(個人の権利防衛センター)と他のイスラエル人権団体に助けを依頼した。

HaMokedは包囲された人々の幾人かと連絡をとり、イスラエル軍と調整して、シーファに閉じ込められている約120人に食料の配達を手配しようとした。

日曜日にごくわずかな備品、医薬品、食料が配達されたが、イスラエル軍の一時的な砲撃停止が終わったため、配達は途中で中断された。

イスラエル軍は、閉じ込められた人たちの親戚に、ロバの引く荷車で品物を運ぶよう強要した。

配達を急ぐため、家族はもう1台の荷車を馬に引かせるよう、イスラエル軍と話をつけた。ところが、荷車がトラックに近づいたとき、兵士たちが馬を銃撃して、殺したという。

イスラエル軍の砲弾によって怪我をした、高齢の女性2人と4人の子どもを含む約20人のアル=アイディ家の人たちは、この週末に家から避難した──砲撃を受けてから1週間もすぎていた。彼らが怪我をした翌日、「赤十字」と「人権のための医師団」が病院へ避難させようとしたが、できなかったのだ。

一週間たち、ようやく救急の努力が実を結んだとき、救急車はガザ市の南東にある彼らの家に近づくことができなかった。家がイスラエル軍の陣地と銃撃目標のあいだにあるためだ。彼らは約2キロの道を歩かなければならなかった。

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2009/01/12

アミラ・ハス──死者の統計数に入らないよう、全力をつくすガザ住民

ハアレツ紙/Last update - 05:25 12/01/2009
アミラ・ハス
死者の統計数に入らないよう、最善をつくすガザ住民


昨日午前8時45分、ムスタファが電話をかけてきて、家を離れたという。8時10分、車を所有している、勇気ある友人に電話して、子どもたちを車に乗せ、北へ2キロ離れた、ガザ市近郊リマルにある義理の弟が借りたアパートへ連れていったのだ。義理の弟がそのアパートを借りたのは一週間前、ガザ市北端の自家から家族をつれて逃げだあとのことだ。ガザ市北端は爆撃、銃撃地帯だ。いまでは2部屋のアパートに15人が住んでいる。もちろん水はない。とにかく肝心なのは爆撃音が少しでも小さいことなのだ。

(爆撃が開始されて)15日がすぎて、シェイク・アジリーン地区へ戦車が入ってくるプレッシャーに彼らは耐えられなくなっていた。夜中、絶え間なくつづく銃撃音、海から撃ち込まれる迫撃砲。ヘリコプターからどさりと投げ出され、人々に家から出るよう呼びかけるパンフレット──それもまた神経を逆なでする。しかしなんといっても恐ろしかったのは、近くのアパート群に撃ち込まれたミサイルだ。近所の人が何人も殺され、そこにはヤセル・アラファトの公式フォトグラファーと、その一家も含まれていた。

昨日まで、ガザ市内の通りは逃げ出す人々でごったがえしていた──さえぎるもののない畑と農家のあるシェイク・アジリーン地区からも、人は逃げてきた。ハマス銃撃隊とイスラエル軍兵士のあいだの戦闘が起きている地区だが、その周辺の地区からも逃げてきていた。だれもが家財道具を運んで。

こうしてムスタファとその家族は、日増しに増加する、被退去者の統計数字に新たに加えられたわけだ。そのうち比較的少数の2万人が、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の学校へ避難し、それよりはるかに多くの人たちが、ガザ市、ラファ、ハーン・ユニス、ベイト・ハヌーン、そしてヌセイラト難民キャンプの、親戚や友人のところに身を寄せたのだ。

軍部は「人口密集地域」とされるエリアをじりじりと内部へ押し込めている。その周辺地区を「一掃しながら」──まず農地、そしていま農地の周辺の地区を──人々をさらに狭い領土へとどんどん追い込んでいるのだ。

死者をすべて数えあげることは難しい。しかし、家族全員が殺されたという報告はいくつもある。おなじ家族の人間が多数殺された例は、とりわけ住民が追い立てられた地区の周辺地区で多い。住民は死者の統計数に入れられないよう、全力を尽くしている。

先週の木曜日、午後3時40分、医療班が瓦礫のなかから4人の遺体を引き出した──そのうち3人が子どもだった──ベイト・ラヒヤの南西にあるアタトラ地区でのことだ。報告によると、4人は死後数日たっていた。金曜日の午後3時30分、無人飛行機がジャバリヤのファイズ・サルハの家に、警告のためのミサイルを撃ち込んだ。家族は、さらに大きな迫撃砲が2分後に撃ち込まれる前に、すぐに家屋から外へでることができず、家族6人が殺された。

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2009/01/11

アミラ・ハス──PAがガザ侵攻に抗議する人たちを追い散らす

ハアレツ紙/2009.1.11
PAがガザ侵攻に抗議する人たちを追い散らす・・・金曜日、ラマラ住民は衝撃を受けた。イスラエル軍のガザ侵攻に抗議する人たちを、パレスチナ自治政府の警察が催涙ガスと警棒によって追い散らしたのだ。

 →この日のデモについてはこちらへ、詳細なようす、アミラ・ハスとの会話も

ガザの戦闘地帯での暮らし・・・イスラエルとの境界に近い新しい墓地へ行くことを妨げられて、増える一方の死者を古い墓地に埋葬することを余儀なくされている。

2009/01/09

アミラ・ハス──イスラエル軍は民家にまず犬を送り込み、それから兵士が

w w w . h a a r e t z . c o m
ハアレツ紙/Last update - 05:59 09/01/2009
アミラ・ハス

イスラエル軍はガザの民家に、まず犬を送り込み、それから兵士が

パレスチナ人たちがいうには、イスラエル兵は戦車のなかに残っていて、最後の最後に、ガザの住居に乗り込んでくる。「兵士たちはわざわざ戦車から出て、われわれの家に入ってくることはありません──先に犬を送り込んでから、その地域を一掃するんです」とガザ北部の家から強制退去させられたパレスチナ人たちはいう。

Mは、ジャバリヤ難民キャンプの住人で、ハアレツ紙にこう語った。「軍はすごくゆっくり動きます。戦車が家々に近づくと、そこで彼らは犬を送り込みます。もしもその家が3階建てなら、3匹の犬を送り込むんです。犬は片方の足にカメラを装着されていて、もう一方の足にウォーキートーキー(携帯用の送受信両用の無線電話機)を装着されています。そうやって、犬に家のなかにあるものを伝達させています。それから、戦車が塀に乗り上げ、入口のところまで近づき、そこで兵士が戦車から出てくるんです」

Mによれば、兵士が入っていっても、女性と、子どもたちと、高齢者しかいないという。50歳以下の男たちは全員、拡声機で、学校へ集まるよういわれたからだ。

「国連が避難場所として開設した学校へ行ったり、モスクに身を隠すのを、みんなものすごく恐がっています。イスラエル軍がそこも爆撃するからです」とMは言い足した。

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今日のもう一つのハスの記事は:「人権グループが負傷したパレスチナ人への医療アクセスを要求

2009/01/07

アミラ・ハス──私の両親は生きてこれを見ずにすんで幸運だ

私の両親は生きてこれを見ずにすんで幸運だ

ハアレツ紙/Last update - 02:13 07/01/2009
アミラ・ハス

私の両親が死んでいて幸いだ。1982年、レバノンのパレスチナ難民キャンプ上を飛びまわるイスラエルのジェット戦闘機の騒音に、両親は耐えられなかった。テルアビブの自家にいても、キーンという飛行機の音に彼らはぞっとしていた。見なくても分かる、と彼らはいった。

そのときはそんな調子だった。そしていまはどうか。姉がノートに絵を描いているテーブルに素早くのぼってのぞき込む2歳のシャム、笑うと前歯のすきまが見える5歳のタイーヴ、大好きな絵本を抱えた6歳のカルメルのことを、私から聞いてどう思うだろうか。この子たちのまわりで世界が爆裂している、何度も、何度も、わずか10メートル、5メートル先のところで。もう10日も、分刻みの恐怖だ。分刻みの恐怖は、分刻みの死でもある。それに150万を掛け合せてみるといい。

私の両親は毎日の活動をすべて嫌悪していた──珈琲に砂糖を入れること、皿を洗うこと、横断歩道に立つこと──彼らの心の目に、それまでの個人的な経験から、子どもたちの目のなかの恐怖心、幼い子どもを守ってやれない母親の絶望、巨大な爆発音が住人の頭上に落下して高性能爆弾が家族全員を爆死させる瞬間が映るからだ。サルメフの母親はいう──「[不安な眠りから]目が覚めると驚くんです。自分がまだ生きていることがまったくの偶然だとわかっているから」

70歳にもなったウム・カーリドのことを私から聞いて、両親は毎日の日課にどう耐えられただろう。シャブラ難民キャンプの一角にある、閉め切ったコンクリートの部屋に爆弾が落ちて、市民が2人死んだ。なかが空洞のコンクリ建ての何十軒もの家が徹底的に破壊された。ウム・カーリドの頭から数センチのところにアスベストの屋根が一枚落ちた。半キロほど離れた娘の家に「避難した」のは、新しい家のほうが安全かもしれないという幻想からだ。「いまはもう、おまえたちに何かが起きる前に私は死にたい」と子どもたちに向かって、彼女はくり返す。

いま流行の洗練された言語表現が捻出される以前から、私の両親は「ガラリヤにおける平和のための戦争」とか「公共の秩序を乱すもの」といった表現に吐き気を感じていた。「公共の秩序」なるものが「占領」を意味し、「乱すもの」とは「それへの抵抗」だったのだから。秩序というのは、ユダヤ人がその権利を主張するものをパレスチナ人がもつことを妨害することなのだ。エフード・バラクとツィピ・リヴニが、自分たちはパレスチナ人にはまったく敵対していないと説明するのを聞かなくて、イスラエル政府の閣僚事務官が、人道上の危機はまったくない、それはハマスのプロパガンダにすぎない、と説明するのを耳にせずにすんで、両親はなんと幸運だったか。嘘であると認識するため、水道が5日以上も止まっている人々の名前を知る必要もない。爆撃のことなんか忘れろ、電気のことも、食物のことも、眠ることだって、忘れろ。でも水がないのは? 海から、陸から、空から爆撃されて、人々は市営の水道蛇口まで飲料水をくみにいくことさえできずにいる。かりにだれかが屋内で流水を手に入れても、それは飲むことはできない。

みずから経験したことのために、鉄条網のフェンスに囲われた狭い地域内に人々を閉じ込めることがどんなことか、私の両親は熟知していた。1年、5年、10年。1991年からだ。両親は好運だ。こんなふうに閉じ込められた人たちが、イスラエルと合州国の輝かしい軍事テクノロジーを用いた爆撃を受けるところを、生きて見ずにすんだのだから。「大至急ここにムハンマド・エル=バラダイ*を招いて、私たちが核兵器を保持していないことを証明してもらわなければ」と著名な喜劇俳優、リヤドは爆撃のなかでさえいう。しかし土曜の夜、彼はひたすら「むずかしい、むずかしい」といって電話を切った。

私の両親はその個人的な歴史ゆえに、ニュース番組の司会者がリラックスして夜間外出禁止令について述べたようすを嫌悪しただろう。両親がここにいなくて本当に幸運だ、コロセウムのなかで怒号をあげる群衆を目にしなくてすんだのだから。


* IAEAの事務局長(エジプト)、原子力の軍事目的使用を防止した努力が評価されて、2005年ノーベル平和賞受賞。
<訳注/ハスの両親は、ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅をもくろんだ第二次世界大戦時のホロコーストを生き延びた人たちでした。>

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今日のもう一つのハスの記事(共筆)はトップ記事:
http://www.haaretz.com/hasen/spages/1053418.html

2009/01/06

アミラ・ハス──ガザのインフラは崩壊寸前

ガザのインフラは崩壊寸前

ハアレツ紙/Last update - 06:09 06/01/2009
アミラ・ハス


60万人から70万人のガザ住民が、水のない状態におかれている。なかには、そんな状態が1週間も続いている人たちもいる。

約100万人が停電下にあり、汚水がそのまま通りを流れる場所もあちこちに見られる。とくにガザ地区北部では汚水が溜まって氾濫する危険が高まっている。

修理しようにも、砲撃と道路状態の悪化のために、修理人が駆けつけられない。携帯電話も地上電話も、ガザ地区のネットワークは、空爆と電力不足のために深刻なダメージを受けてしまった。次第に、ガザ住民は親戚や地方当局、救援、救急の連絡先に電話する手段がなくなってきて、孤立感とパニックが高まっている。

それが、ガザ住人や、海岸地区水道局の副局長マヘル・ナジャール、国連人道調整官マクスウェル・ゲイラードの報告から浮かびあがってくる、ガザのインフラの状態だ。ナジャールは、使用不能の井戸や水を十分確保できない井戸の数から判断して、ガザ住民の40パーセントから50パーセントが水を得られない状態にあると判断する。

連日の空爆が、上下水道の施設にさらなるダメージをもたらしている。水道局への苦情件数は刻一刻と増すばかりだ。たとえば昨日、ラファ地区内のウム・アル=ナスル村の給水管がダメージを受けて、1万の住民が断水状態になった。

ガザ地区中部の3万の住民に給水していた水道管もまた、イスラエル空軍の爆撃によってダメージを受けた。ガザ住民からハアレツへの声明、さらにナジャールから「運動の自由のためのギシャ法律センター」宛に出された供述書によると、人々は屋内の水瓶がカラになっても、イスラエル軍の爆撃のために、公共水道の蛇口まで水をくみに行けない状態だ。

約100万のガザ住民の家は、すでに5日から7日間もまったくの停電状態だが、原因は戦争によるインフラへのダメージと、発電所用重油の欠乏による。

ガザの上下水道の施設は電気で稼働している。電力が不足すれば、重油を燃料とする臨時の発電機によって動く。これらの発電機に2日以内に新たな燃料を補給しなければ、ガザ市内とガザ地区全域の残り25本の水道管は、水の供給をストップしてしまう。たとえばラファでは、70パーセントの住民が2日以内に水がまったくない生活になる。

配管、パイプ、フィルター類といった修理用部品はひどく不足している。イスラエルが、停戦状態以来、ガザ地区に持ち込ませなかったからだ。

赤十字社は昨日、エレズ検問所に到着した2万リットルの重油を搬入することについて、イスラエル軍と交渉していた。運転手たちはイスラエル軍に爆撃されること、さらに、ガザ地区の悪路と苦闘しなければならないことを恐れている。

ガザ地区にある37の給水施設のうち、32施設が電力不足のために部分的にしか稼働していない。残りの5施設はまったく稼働していない。

ベイト・ラヒヤの汚水処理場は、イスラエル軍の侵攻によって発電機がダメージを受け、稼働を停止した。その結果、汚水が通りに流れ込んでいる。ガザ市の4つの汚水処理場は予備発電のために重油を使い切ってしまい、3施設から出る廃液が海に流れ込んでいる。4つ目の施設からの廃液は近くの農場へあふれ出ている。残っている処理場へ数日内に燃料が新たに補給されなければ、おなじように汚水が通りへあふれることになるだろう。

ベイト・ハヌーンでは、汚水を下水処理場へ運ぶパイプがダメージを受けて以来、すでに6日間も汚水が通りを流れている。昨日までに、修理技術者の派遣についてイスラエル軍と調整する努力は失敗した。

ガザ地区北部の巨大な下水処理場に溜まった汚水が──氾濫を回避するため一カ月以上も前に処理され、カラになっているはずのものが──着々と増量し、近隣に住む1万の住民に危険が迫っている。

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2009.1.6/もうひとつの記事は:
http://www.haaretz.com/hasen/spages/1052983.html

2009/01/05

アミラ・ハス──ガザには人道上の危機はない?

IAF missile hits two Gaza boys heating water over a fire/イスラエル空軍のミサイルが、火でお湯を沸かそうとしたガザの少年2人を爆撃 
Last update - 04:08 05/01/2009

ガザには人道上の危機はない?
Last update - 09:41 05/01/2009

Wounded Gaza family lay bleeding for 20 hours/怪我をしたガザの家族が20時間、血を流しつづけたまま 
Last update - 12:43 05/01/2009

             (タイトルが3度変わりました)
ハアレツ紙/アミラ・ハス


ガザでイスラエル軍が地上侵攻を開始して3時間後、土曜日(註/1月3日)の夜、午後10時30分ころ、砲弾あるいはミサイル弾がフセイン・アル=アワイディとその兄弟の所有する家に命中した。ぽつんと一軒立つその家に21人が住んでいる。家はガザ市ツァイトゥーン地区の東部、農業地帯に位置している。爆撃のために5人が怪我をした。80歳代の女性が2人(フセインの母親と叔母)、14歳の息子、13歳の姪、そして10歳の甥だ。

20時間たったいまも、怪我人たちは家の庭にある小屋のなかで血を流しつづけている。電気はない、熱源もない、水もない。親戚たちいっしょにいるが、水をくみに庭を離れようとするたびに、イスラエル軍が彼らを銃撃するのだ。

アル=アワイディは携帯電話で助けを求めようとしたが、ガザの携帯ネットワークは崩壊している。砲弾がトランスポンダー(応答機)を直撃して、電気もなければ重油もないため発電機を稼働させることができない。電話がつながる瞬間は、ちょっとした奇蹟のようなものだ。

日曜日の正午、アル=アワイディはついにSに連絡を取ることができ、Sが私に電話してきたのだ。Sは近くに住んではいても、何もしてやれなかった。

アル=アワイディとは8年前からの知り合いで、私はPHR/人権のための医師団へ連絡した。彼らはイスラエル軍の渉外局に電話をかけ、負傷者を脱出させる手配を依頼した。ちょうど正午を過ぎたころだった──記者会見の時間になっても、渉外局はPHRに電話をかけなおさなかった。

そのうち、だれかがなんとか赤新月社に連絡をつけた。赤新月社が赤十字に電話し、イスラエル軍と協力して負傷者を脱出させることを依頼した。それが午前10時半──日曜の夜の記者会見の時間になっても、赤十字はまだ脱出を実現できずにいた。

PHRと私が電話で話しているあいだ、正午ごろのことだが、Hが電話をかけてきた。彼が伝えたかったのは、2人の子ども、10歳のアフメド・サビフと11歳のムハンマド・アル=マシュハラウィが、ガザ市の自分の家の屋根にのぼって、火でお湯を沸かそうとしていたことだ。電気もないし、ガスもない、だから燃えている火が最後の手段なのだ。

戦車が砲弾を吐き出し、ヘリコプターが雨のように銃弾を降らせ、戦闘機が地震を起こしている。なのに、住民たちにとっては、お湯を沸かすことがハマスの軍事組織に加わるのとおなじくらい危険だ、と認識することは難しいのだ。

イスラエル軍のミサイルがこの2人の少年たちを直撃し、アフメドを殺し、ムハンマドに重傷を負わせた。日曜日の午後遅く、インターネットのニュースサイトが、2人とも死んだことを報告した。しかし、Hの携帯電話には応答がない。だから私は事実を確認することができなかった。

Hに地上電話で連絡しようとするのは無意味なことだった。土曜日、一発の爆弾が彼の住む地区の電話システムをすべて破壊してしまったからだ。ターゲットは印刷所だった(これがイスラエル軍のいまひとつの「軍事」目標なのだ)。印刷所の所有者は、以前UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)で働いていて退職した人で、退職金のすべてをこの店に注ぎ込んでいた。

Bの近所では、爆弾が水道の本管を直撃したため、彼女は昨日の朝からまったく水が得られない。「電気なしでやっていくことにはもう慣れました。テレビもないけれど、なにが起きているかは電話してくる友人の話で聞いて知っています。ある友人はレバノンから電話してきてくれました。ハイファからかけてくれる友人もいます。ラマラからも。でも、水なしで、どうやってやっていけますか?」

Aは事態への彼なりの対応をとった。「子どもたちを窓のところで遊ばせないようにしているんです。F-16機が飛んでいますから。子どもたちに窓のところで遊んじゃだめだと、危険だから。海からこっちへ爆撃してくる。東からも。空からも爆撃してくる。電話が繋がっているときは、みんなが殺された親戚や友人のことを教えてくれます。妻はいつも泣いてます。夜になると妻は子どもたちを抱いて泣きます。寒いのに、窓は開いたまま。外は銃撃と煙。家のなかには水もないし、電気もないし、暖房用のガスもない。なのに、あなた方(イスラエル人たち)は、ガザには人道上の危機などないという。教えてくれ、あなたがたは正気なのか?」

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アミラ・ハス──緊急用の発電機さえ動かない

緊急用の発電機さえ動かない

ハアレツ紙/Last update - 01:37 05/01/2009
アミラ・ハス

殺到するおびただしい数の負傷者に加え、ガザの病院はあらたな問題に直面している。唯一の電力源である発電機の燃料がもうすぐ尽きてしまうのだ。

ガザ地区の多くでは、ガザ市も含めて、土曜の夜から停電が続き、イスラエルの地上攻撃によって電力の主力ラインが破壊されてしまった。イスラエルからガザのいくつかの地域に引き込まれていた、他の6本のラインも破壊された。

エジプトからラファ地域に電力を送り込んでいたラインもまた、イスラエルの攻撃によって破壊され、ガザの発電所は燃料がないため、12月30日以来ずっと閉鎖されたままだ。各病院は自家発電に完全に依存している。

これはまた別の問題をもたらしている。ノンストップ使用によって負担がかかり、発電機が故障しやすくなっているのだ。しかし、故障が起きてもそれを修復する手段がない。修理用の部品がないからだ。イスラエルがそういった部品をガザ地区に持ち込むことを禁止して、すでに2年になる。

ガザ市のシーファ病院の病院長、ハセン・カラフ医師が、昨日、非営利組織「アクセス」に語ったところでは、赤十字と世界保健機関に対して燃料輸送についてイスラエルと調整することを要請したという。しかし、現在まで、彼の請願は実を結んでいない。

そのうえ、発電機の発電能力が弱まり、病院内の酸素テントを十分機能させることができなくなっている。患者の生命が危険にさらされているのだ。

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2009/01/04

アミラ・ハス──ガザから出てきた人たちは…

イスラエルが300人にガザから出ることを認める──出てきた人の大部分がガザ住民と結婚した外国人とその子どもたちだった

ハアレツ紙/Last update - 01:41 04/01/2009
アミラ・ハス&マヤ・ズィンシュタインの記事

金曜日の朝、300人の住民がガザを出てアレンビー橋(註/ターミナルにあたる)に向かった。出国を確保するため、ここ数日間イスラエル政府と交渉してきた各大使館は、彼らを避難者と呼ぶが、脱出者というのがより正確だ。

大部分が外国のパスポートをもっていて、ガザ住民と結婚した外国生まれの妻とその子どもたちだった。

何人かの子どもたちは、自分が出てきたことを友だちは知らなかったと語った。

「どうして言えるの? だれも出られないのに、電気もないし、インターネットもないし、電話はつながらないんだから」と15歳の少年は言った。彼の妹は、自分がガザから出ていくことを友だちに告げるとき恥ずかしかったと認め、17歳の少年は彼の友だちがそれを知って羨ましがったと語った。子どもたちの大部分はただ黙って見ていたけれど、幼い子どもたちは泣き叫んで、お父さんの名を呼んだという。父親たちの大半はあとに残った。外国のパスポートをもっていないからだ。

「ターミナル」という語は、イスラエルとガザと呼ばれる国を区切る国境を意味するが、これは誤解をまねく。ガザ地区のパレスチナ人は、ヨルダン川西岸のパレスチナ人とおなじように、イスラエル内務省の人口登録局によってすべて記録されているのだ。もしもイスラエルのコンピュータシステムに登録されていなければ、そのときは彼らは存在しないことになる。だから「国境」のターミナルは、一国の内務省にすべて登録された人たちを選別しているのだ。

イスラエル人にしてみれば、「ターミナル」という語はガラス壁のビルのなかで、パスポートと手荷物カートの審査を受けることだ。ガザ住民にとってはまったく違う──厳しく見張られた、巨大な捕虜収容所の端みたいなものなのだ。この一週間のガザのことを「包囲されたときのレニングラードみたい」とスヴェトラナは言った。「電気もない、料理用のガスもない。一人にピタ(パン)が20枚。食糧が足りないのは誰の目にも明らか。でも、なんといっても恐怖よ。子どもたちが外で遊びたがる。家のなかにずっと閉じ込めておくことはできないから。外へ走り出るたびに、心臓が縮む思いだった」

ガザを金曜日に出てきた人の大部分がロシア、ウクライナ、その他の旧ソ連だった国々の市民だ。それらの国へ留学してきたガザ生まれの男性と出会った女性たちと、その子どもたちだ。ほかにもノルウェイ人が6人、トルコ人が7人、アメリカ合州国の市民16人とその親戚でU.S.パスポートをもたない幸運な11人もいた。

大使館と領事館のすべてが自国の市民を受け入れるために代表者を送っていたが、アメリカ大使館だけは──警備員1人と3、4人の役人が──国境を越えてきた彼らの国の市民がジャーナリストと自由に話をすることを禁止した。一人の若い女性がカメラとマイクに向かって屋外で話してくれたのだ。

東エルサレムの合州国領事館の広報官、ミカエラ・シュヴァイツァー=ブルムはハアレツ紙の質問に対して、禁止したのは「アメリカ市民のプライバシーを守り」彼らにとって事態がスムーズに運ぶようにするのが目的ですと答えた。

リリアは2人の子どもがいて、妊娠9カ月。彼女はガザに7年間住んできた。「夫は医者で、いつも病院に詰めていますが、そこさえ保護するものはありません。手術室に窓がなくなってもう随分になります。すべてそのまま。窓ガラスは全部外したんです。砕け散った窓ガラスが降ってくるより、寒さのほうがまだましですから」

ガリナの夫は彼女に留まってほしいと言った。

「昨日の夜まで留まるつもりだったんです。でも隣の家に爆弾が落ちて、うちの窓ガラスが全部こわれて、子どもたちが大声で泣きだしたんです。そのときわたし、もう耐えられないと思ったの。6夜つづけて一睡もしていないんです、とにかく眠りたい、目が覚めたとき、爆撃機が自分の頭の上を飛んでいないようにって、そればかり思いました。出てきたことに後ろめたさなんてありません。出てこられて神に感謝しています」

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