2010/05/31

ワールドカップまであと半月

南アフリカがサッカーのワールドカップ開催国に決まり、ネルソン・マンデラ元大統領の満面の笑みが世界のメディアに流れてから6年、開催を危ぶむ報道があふれ、国内でもさまざまな危惧の声があがり、心配の種はつきないようだが、とにもかくにもアフリカ大陸で初めて開かれるワールドカップ開催まで、ついに半月を切った。

 FIFAはこの間、善後策をつねに考えていたようだが、南アは予想以上に奮闘した。10のスタジアムは早くに準備済みで、9万人を収容できるアフリカ最大のジョハネスバーグ会場のサッカーシティー、海に面したダーバンの超近代的なアーチ形の建物、ケープタウンは古いスタジアムを解体再利用した浴槽形の会場、と工夫が凝らされている。
 アパルトヘイト(人種隔離政策)が撤廃されて16年、治安の悪さや会場間を陸上移動する手段に未解決の部分は残るものの、何世紀にもわたる人種間軋轢を越えるシンボリックな意味合いの大会開催が人々に何をもたらすか、じっくり見ていきたいものだ。

 このところ南ア関連書籍がメディアでよく取り上げられているが、いま一度、注目したいのは、峯陽一編『南アフリカを知るための60章』(明石書店刊)だ。
 歴史、人種、エスニシティをめぐるこの国の成り立ちから始まり、ポストアパルトヘイト時代の政治、世界が注目する経済、ダイナミックに変容する社会、底流をなす文化力、日本と南アとの深い関係、アフリカのなかの位置、とこの国に熱い関心を寄せてきた32人が思い思いの切り口で書いている。コンパクトにまとめられた情報は読み物としても面白い。

 また、南アフリカの新聞「メール&ガーディアン」のウェブサイトにもうけられた、ワールドカップ特設ページの「news」もお薦め。

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北海道新聞5月25日夕刊のコラムに加筆したものです。

2010/05/25

アムステルダムで朗読する J・M・クッツェー

「Is dit JM Coetzee?/Is this JM Coetzee?」と銘打たれた催しが、5月13〜16日、アムステルダムで開かれた。

今年2月に70歳になったことを祝って、4日間にわたる催しを開いたのは、クッツェーの作品を出してきたオランダの出版社だ。14日のプログラムにはオランダの作家や英国から招かれたデイヴィッド・アトウェル、エレケ・ブーマーといったクッツェースポッターたちも同席して、彼の人柄や南アフリカの歴史について語ったようだ。

クッツェーは最終日の16日、最新作「Summertime」から朗読。最初にオランダ語で聴衆に語りかけてから朗読するクッツェーの姿はこちらで観ることができる──約16分。

少しだけアレンジして朗読されるのは「Summertime」の「Margot」の章で、いとこのマルゴが病気になった母親をノーザンケープから救急車でケープタウンのフローテ・スキュール病院まで運ぶ場面。病院で母親の容態が落ち着き、医師に休息をとるようすすめられたマルゴは、ジョンに電話をかけ、迎えにきたジョンの家にその夜は泊まる。ケープタウン郊外の、もとは農場だったトカイという地区にある彼の家は、農場労働者のコテージだったぼろ家で、それを改装しながら、父親と住んでいるようすが、マルゴの目から描かれていく。
どうしてもっといい家を買わないの? 本を書くんだ。ベストセラーを書いて、お金もたっぷり・・・と冗談めかして彼はいう。そんなふうには生まれついていないみたいだけど・・・そんな会話が夜の散歩のあいだに交わされる。

救急車に同乗して母親を看てくれたアレッタという「カラード」の看護婦、それより若い運転手のヨハンネス、この2人のてきぱきした仕事ぶりにマルゴが心のなかで感謝のことばをつぶやく場面が出てくるが、これは、作家がマルゴにいわせている作家自身のことばのように響く。

ちなみに、朗読の3分の2あたりに2度ほど、マルゴのことばとして「the Coetzees」という語が出てくる。文字通り「クッツェー家の人間」という意味だが、作家が自分のファミリーネームを公の場で口にしている貴重な音源だ。
 
アムステルダムを訪れて、比較的リラックスした表情で朗読する作家を見ていると、ある感慨を抱いてしまう。今月初旬はテキサスのオースティンでも大学院時代の思い出をスピーチをしたようだが、昨年6月のオクスフォードでの朗読の映像ともども、ネット上には出てこないのだ。

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付記、2012.6.22:オースティンでの映像は見ることができます。リンク先は:

http://www.utexas.edu/know/2010/05/21/nobel_laureate_coetzee/

2010/05/18

進化する「きみ」と「首のまわり」──チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ

9月に開かれる「国際ペン東京大会2010」のために、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェが初来日することはすでに書きました。早稲田大学で開かれる「文学フォーラム」では24日にステージにあがる予定です。そこで取りあげられるのは、邦訳短編集『アメリカにいる、きみ』(河出書房新社刊、2007)に入った表題作。でも、この短編作品、話がちょっとややこしいのです。

 短編「アメリカにいる、きみ/You in America」は最初、Zoetrope という雑誌に掲載されました。2001年冬号です。このバージョンは『Discovery Home』(Bellevue:Jacana, 2003)という本に入りました。2002年のケイン賞受賞作品を集めたアンソロジーです。
 ところが2004年、この短編はタイトルが「なにかが首のまわりに/The Thing Around Your Neck」に変わり、内容にも少し手が入り Prospect という雑誌に再録されて、さらに2年後には『This Is Not Chick Lit』(NY. Random House, 2006)や、Ms. Magazine(2006、夏号)にも再々録されることになります。

 訳者は最初のZoetrope 版を読んで、日本独自版短編集の企画を立てましたが、最終的には、2007年に出版する時点での最新バージョンを使いました。あとがきにも書きましたが、作家から「これを使って」と新しいバージョンが送られてきたからです。

 ところが、2009年4月に英語版として出た短編集『The Thing Around Your Neck』(表題作が邦訳短編集と同一作品だった! タイトルは変わりましたが)を読んでみると、なんと、それよりさらに進化したバージョンが入っているではありませんか。細かく比較してみると、どのページも大幅に書き直し、手直し、段落の入れ替えなどが行われていました。わ〜っ、どうしよう!
 そこで、この短編をステージにのせるため、全面改訳することにしました。作家が来日して、朗読するとなると、やはり、最新バージョンですよね。

 注目したいのは、その進化の中身です。ナイジェリアのラゴスから運良く米国のヴィザを取得して渡米した「きみ」が、そこで出会う違和感、カルチャーショック、ステロタイプのアフリカ人像、そして働いているレストランへやってきた金髪の男の子と仲良くなるプロセスなどをめぐって、微妙かつ明確な書き換えが行われているのです。
 読後感が「くいっ」と違います。詳細は英語版を読めばわかりますが、9月24日に実際に早稲田に足を運んで、日本語として耳から体験していただくのも面白いはず。

 アディーチェという32歳の作家がここ数年間で、どんなふうに力をつけてきたか、どんな方向へ向かおうとしているのか、この「アメリカにいる、きみ」いや「なにかが首のまわりに」をめぐる微妙な変化は、それをとてもよく表しているように思えます。ファン、必見のステージです!

2010/05/09

Regresso ── レグレッソ/帰還

ギニア・ビサウつづきで、アミルカル・カブラル(1924~1973)の詩にジョゼ・アゴスティーニョが曲をつけた「Regresso/レグレッソ」のことを少し書いておこう。

アミルカル・カブラルはギニア・ビサウの生んだ、知る人ぞ知る革命家/詩人だけれど、父親がカボヴェルデの人で母親がギニアの人だった。だから、ポルトガルからの独立解放運動はギニアとカボヴェルデの両方をいっしょにやった。それでこの曲「レグレッソ」にもカボヴェルデ(緑の岬)の緑野が出てくる。
 カブラル自身はギニア・ビサウ独立の数カ月前、解放を見ることなく死んだ。曲はかぎりなく美しく、心にしみる。
 
Regresso (José Agostinho/Amílcar Cabral)

Mamã velha, venha ouvir comigo
O bater da chuva lá no seu portão
É um bater de amigo
Que vibra dentro de meu coração

Venha mamãe venha ouvir comigo
Recobre as forças e chegue ao seu porlão
Que a chuva amiga já falou mantenha
E bate dentro do meu coração

A chuva amiga, Mamãe velha
A chuva que há tanto tempo não
Batia assim...
Ouvi dizer que a Cidade Velha,
A ilha toda em poucos dias
Já virou jardim...

Dizem que o campo se cobriu de verde,
Da cor mais bela
Que é a cor de esperança
Que a terra agora é mesmo Cabo Verde
É tempestade que já virou bonança...

Venha comigo, Mamãe velha, venha
Recobre a força e cheguese ao portão.
A chuva amiga já falou mantenha
E bate dentro de meu coração


上の歌詞はポルトガル語。(ちゃんと書けたかな?)
この曲は、なんといってもセザリア・エヴォラとカエターノ・ヴェローゾの歌が白眉。左のアルバムにも入っている。くりかえし何度も聴いた。
 さあ、思い込みで訳してみよう。もちろん英語から。


<帰還>

年老いたママ、ここに来て耳を澄まそうよ
ドアを打つ雨の音に、ほら、
やさしい音が、僕のこころのなかで
とくとくと脈を打つ

来て、年老いたママ、耳を澄まそうよ
力をふりしぼってドアまでやって来て
雨が、僕たちの友である雨が、救いを送ってくれて
僕のこころのなかで脈を打つ

雨だ、僕たちの友の雨だ、老いたママ
もう久しく、こんなふうには
降らなかった雨だ
聞いたよ、シダーデ・ヴェーリャが
島ぜんたいが、ほんの数日で
緑の楽園になったって

聞いたよ、野原がいちめん緑におおわれたって
もっとも美しい色に
希望の色に
いまでは土地が本当にカボヴェルデ/緑の岬みたいで
嵐が去って平穏がやってきたって

来て、年老いたママ、来て
力をふりしぼってドアまでやって来て
雨が、僕たちの友である雨が、救いを送ってくれて
僕のこころのなかで脈を打つ

リンクが飛べなくなったので、この曲の録音場面をうつす動画を以下に。
(カエターノ・ヴェローゾとの共演──いいですよねえ!)



2010/05/02

Lôpe Kai ── エネイダ・マルタの魅力(つづき)

エネイダ・マルタのアルバム『Lôpe Kai』のタイトル曲(作詞作曲:Juca De Igado/Guto Pires)がとっても面白い内容なので、説明書きをちょっと写しておこう。タイトルの意味は「Le Pagne est tombé/His Loincloth Has Fallen/腰に巻いたラッパーが落ちた」というのだから笑える。

An old man who is dancing enthusiastically fails to notice that his loincloth has fallen. He continues to dance, striking his backside, without paying attention to what has happened. He tells all the youg people that the Gumbé* lights up our smiles and brings us joy.
The song speaks up for life and for the need to live certain moments intensely.

*Popular dance in Guinea-Bissau(ギニアビサウのポピュラーなダンス)

 アフリカ文化のなかでダンスがどれほど重要な要素か、なんとなく伝わってくる内容だ。でも伝統曲ではなく、ちゃんと作詞作曲者の名前がクレジットされていて、これは現代曲。

 もう1曲、お薦めの曲がある。8曲目の「N'pirdi Coragem/j'ai perdu le courage/I feel discouraged」、しみじみ聴けるトラディッショナル曲だ。
 ギニアの諺に「qui souffre est toujours récompensé/When you suffer, you'll always be rewarded/苦しんでいる人はかならず報われる」というのがあるそうだ。Don't give up for fighting for your love!
『Acoustic Africa』のカバー写真も載せておこう。カラフルな色合いが素敵!

Eneida Marta/エネイダ・マルタの魅力

このところ仕事のあいまによく聴くのは、Eneida Marta/エネイダ・マルタの「Lôpe Kai/ロペ・カイ」。ギニア・ビサウ出身のシンガーで、アルバムは2006年発売。2007年に日本版も出ている。

 ギニア・ビサウはアフリカ大陸のいちばん大西洋側に位置する小国。独立は1974年と比較的新しい。独立運動のさなかに暗殺された、詩人で革命家のアミルカル・カブラルを生んだ国だ。新大陸アメリカスに向かって少し行ったところに、セザリア・エヴォラのカボヴェルデ(緑の岬)があって、いずれも、アンゴラ、モザンビーク、サントメプリンシペとならぶ、ポルトガル語圏の国だ。

 音楽もまた文学のように、旧宗主国との繋がりに、よくもわるくも強く影響されるもの。このアルバム、ファドで名高いポルトガル音楽のトーンが、軽快にアレンジされた曲の背後に哀愁にみちた調子で流れている。
 コンチャ・ブイカのような、乾いた錆声がきつくなったら、たっぷりとサウダージが染みた、ポルトガル風クレオール語で歌うエネイダの声が心地よい。

 お薦めは11曲目の「N'sunha/J'ai rêver」、いちばん甘い歌声は4曲目の「Mindjer Dôce Mel」、清岡智比古さんのブログで知った「Acoustic Africa」にも入っている曲だ。意味は「Femme douce comme le miel」、ふふ、日本語にはしないでおこうかな。

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5月の「水牛」に「ルサカの闇」が載りました。
コヨーテ人管啓次郎さんの「犬狼詩集 5, 6」も。

2010/05/01

追悼、沢田としきさん

沢田としきさんの訃報は2日前、新聞の朝刊で知った。
「ええっ!」と思わず声をあげてしまった。享年51歳、あまりにも若い。

 沢田さんには、1996年に2冊出した訳本にすてきな絵を描いていただいた。80年代の米国でブレイクしたメキシコ系アメリカ人/チカーナ作家、サンドラ・シスネロスの『マンゴー通り、ときどきさよなら』と『サンアントニオの青い月』(共に晶文社刊)、スペイン語と悪戦苦闘して訳した2冊だった。

『マンゴー通り』のカバーをよく見ると面白いことがわかる。本のなかに登場する人物が、一人ひとり丁寧に描き込まれているのだ。訳文を読み込み、内容にぴたりと沿って絵を描いてくださった。絵のまんなかにスペイン語で「EL BARRIO ES NUESTRO(このバリオはあたしたちのもの)」とあるのは、沢田さんが奮発して、ご自分で書き入れてくださったもの。最初は原著者がどう思うかなあ、とちょっと心配になったけれど、まったくの杞憂だった。

 シスネロスさんは2冊つづけて出版された邦訳書を手にして、とても喜び、そのときまでに出た訳書のなかでいちばんお気に入りの装丁です、と手紙をくださったのだ。

『サンアントニオの青い月』を読んだ沢田さんが「聖なる夜」が衝撃的でいちばん印象的だった、とおっしゃっていたと編集者からきいた。訳者にとってそれは、軽い驚きとともに、まだお会いしていないこのイラストレーターの人柄を知るひとつの手がかりとなった。

 沢田さんとはたった一度だけお目にかかったことがある。「アフリカ子どもの本プロジェクト」(代表はさくまゆみこさん)の発起人に名を連ねる彼が、西アフリカの太鼓/ジェンベをすばらしい音で叩くのを、このプロジェクトの原画展で拝見したときだ。その後、何度も展覧会のお知らせをいただきながら、忙しさにまぎれて、結局うかがえなかったのが、本当に心残りだ。

 ご冥福を心よりお祈りいたします。