とりわけ『The Origin of Others/他者の起源』の最終章に、次のような文章が出てきたときは、書き写さずにいられなかった。記録として、ここに引用しておく。
With one or two exceptions, literary Africa was an inexhaustible playground for tourists and foreigners. In the works of Joseph Conrad, Isak Dinesen, Saul Bellow, and Ernest Hemingway, whether imbued with or struggling against conventional Western views of a benighted Africa, their protagonists found the world’s second largest continent to be as empty ...... The Origin of Others by Toni Morrison (2017)
ずいぶん前になるが、年末の2日間を費やしてJ・M・クッツェーの出世作 Waiting for the Barbarians(『夷狄を待ちながら』)を再読したことがある。最初に読んだのはキングペンギン版のペーパーバックで Life & Times of Michael K(『マイケル・K』)と2冊まとめて読んだときだったから、1980年代の後半だ。ほぼ20年ぶりの再読だった。
作品のタイトルWaiting for the Barbarians は、クッツェー自身が明かしているように、カヴァフィスの詩から採られている。コンタンティノス・P・カヴァフィスは1863年にエジプトのアレキサンドリアで裕福なギリシア人貿易商の家に生まれているが、一家の根拠地はコンスタンティノープルだった。それで思い出すのは、ランサム・センターに移されたクッツェーの草稿である。じつはクッツェーは第三作目をコンスタンティノープルを舞台にした世紀末的な暗いラブストーリーとして書きはじめた。しかし当時、南アフリカで起きたスティーブ・ビコの拷問死事件のためか、それを破棄してあらたに書かれたのがこの作品だった。その経緯はデイヴィッド・アトウェルの研究などで詳細が明らかになっている。
ここで、14年11月にアデレード大学で開かれた「トラヴァース・世界のなかのJ・M・クッツェー」の初日に、非常に興味深い問題提起がなされたことをお伝えしたい。基調講演でステージに立ったのはシカゴ大学の哲学教授ジョナサン・リアで、そこで扱われたのがこの Waiting for the Barbarians だった。
I have never seen anything like it: two little discs of glass suspended in front of his eyes in loops of wire. Is he blind? I could understand it if he wanted to hide blind eyes. But he is not blind. The discs are dark, they look opaque from the outside, but he can see through them. He tells me they are a new invention.
考えてみると、この作品が発表された1980年、南アフリカには厳しい検閲制度があり、検閲官がちくいちテクストを読み、発禁にするかどうかを決めていた。前作の『In the Heart of the Country/その国の奥で』が、通常なら一人の検閲官が審査するところを3人の検閲官によって詳細に検閲された事実が、今世紀になって明らかになっている。どのように書けば発禁にならずにすむか、作家自身も頭をひねりながら書いていた時代だ。検閲官が容易に判定できる語の明記を避け、架空の帝国と植民地、時代は特定できない作品と思わせながらじつは作者は、最初のページに時代をしっかり忍び込ませていたのだ。