西日本新聞にエッセイが載りました。2023年2月26日(日曜日)
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⛄️ 雪のなかの早春譜 ⛄️
生まれ育った北国から東京に移り住んで半世紀あまりが過ぎた。一月は一年でいちばん寒い季節で、寒さの底へ降りていく感じがスリリングだ。でも東京は陽の光も多い。気温の変化が安定しているためか仕事が進む。
二月はそうはいかない。曇り空に風が吹く。紅梅白梅の香りにふっと気持ちが緩んでも、風は強い。そして冷たい。冷たい風に吹かれると、つい口からこぼれる歌がある──「早春譜」だ。
©︎ Brian Smallshaw |
春は名のみの風の寒さや
谷のうぐいす歌は思えど
時にあらずと声も立てず
初めて耳にしたのはいつだったのだろう。目を閉じると、台所仕事をしながら歌うメゾソプラノの母の声が微かに聞こえる。「早春譜」「庭の千草」「スコットランドの釣鐘草」、朗々と歌う声が雪に埋もれた家のなかに響いていた。
テレビさえまだない時代、家のなかで耳にした音楽といえば、母の歌と、ラジオから流れる音楽と、父が我流で弾いたバイオリンくらいだったかもしれない。やがて兄といっしょにバイオリンを習いはじめ、バスや汽車を乗り継ぎ遠くまで通った。
田舎では家と家のあいだがずいぶん離れていたので、大声で歌も歌えたし、バイオリンの練習も遠慮なくできた。そう気づいたのは十八歳で東京に住みはじめてからだ。
東京という街は家と家の間隔がなんて近いんだろうと最初は緊張した。建物群のあいだを走る狭い通路を「路地」と呼ぶことを知った。それはとても濃密な空間で、凍える手をポケットに突っ込んで足繁く通ったジャズ喫茶も、たいてい路地の一角にあった。
でも「早春譜」とともに真っ先に目に浮かんでくる光景は、深く積もった雪原なのだ。
北海道の雪は日本海側の雪にくらべて乾いていると言われる。たしかに、粉雪がひたすら降り積もった。晴れた日は、雪原にスカーンと空が青く、遠く広がる。積雪量の多い地域に住んでいたため、雪かきが大変だった。吹雪くと一階の窓は外が見えなくなる。二月はまだ正真正銘の真冬だった。温暖化で雪の量が減ってきたとはいえ、先日も知人から、雪下ろしをしていて脚立から落ちたという話を聞いたばかり。
そういえば小学生のころ、春が近づくと学校で告げられる「注意事項」があった──軒下を歩かないこと。太い氷柱が垂れ下がる屋根の庇から、積もり積もった雪が春近い日差しに溶けて、ザザザザーッ、ズシン! と地響きを立てて落ちる。子供はあっけなく下敷きになる。大人だって生き埋めになりかねない。
北国では雪が半年近く「そこにある」。そんな雪の記憶はだんだん遠くなっていくけれど、冬はいまも雪の恋しい季節だ。空から舞い落ちる雪片の美しさは比類ない。ミトンの手にふわりと受けた雪のひとひらが、そのまま結晶を形づくる不思議に、溶けるのを惜しんで見入った。
東京にも以前はよく雪が降った。立春のころとか、三月に牡丹雪とか。今年はまだ降らない。降るかな、降るかな、と曇り空を今日も見あげる──と書いた翌日、東京に雪が降った。
そしてあっけなく溶けた。
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