2018年1月、カルタヘナで開かれた文学祭でJMクッツェーが行ったスピーチ。なぜ、英語で書くクッツェーがその言語を自分の言語ではないと思ったか、 詩と言語の関係、世界を映し出す鏡としての言語、少数言語に対する英語ネイティヴのアロガントな態度なども含めて。備忘のためにここにシェアしておきます。
http://coetzeecollective.net/audio/jmc-hegemony-of-english.mp3
カルタヘナの文学祭のようすは、ここで詳しく報告しました。
2018年1月、カルタヘナで開かれた文学祭でJMクッツェーが行ったスピーチ。なぜ、英語で書くクッツェーがその言語を自分の言語ではないと思ったか、 詩と言語の関係、世界を映し出す鏡としての言語、少数言語に対する英語ネイティヴのアロガントな態度なども含めて。備忘のためにここにシェアしておきます。
http://coetzeecollective.net/audio/jmc-hegemony-of-english.mp3
カルタヘナの文学祭のようすは、ここで詳しく報告しました。
「山陰中央新報」と「北國新聞」に、拙者訳のJMクッツェー『ポーランドの人』 (白水社)の書評が掲載されました。
twitter で記事の写真をシェアしてくださった方がいたので、ここでもシェアさせていただこうかな。この作品をしっかり読み込み、限られた字数内にポイントを過不足なく書き込む離れ技をやってのけたのは、吉田恭子さん! Merci beaucoup!
どうしても文字がぼやけます。くっきり読みたい方は、twitter で!↓
https://twitter.com/mayumi3141/status/1683011623978692609/photo/2
「山陰中央新報」のサイトはここです。(7/22)↓
https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/420902
「北國新聞」のサイトはこちら。(7/23)↓
オーストラリア版の The Pole and other Stories がText Publishing から出版されたのは今月の初めだった。早速、書評があちこちに載った。じつに細やかな、痒いところに手が届きそうな読みで展開された書評が The Conversation というネット雑誌(?)に載った。書き手のSue Kossew さんは1990年代、南アフリカ文学にまつわる研究書にいつも名を連ねている人だったという記憶がある。モナシュ大学で教えていらしたようで、2014年にアデレードで開かれたJ.M.Coetzee: Traverses in the World に参加したとき、わたしもチラッとお会いして話をした。
翌年2015年にイタリアのプラートで開かれたクッツェーと作品内に登場する女性をめぐるシンポジウムの主催者がモナシュ大学だった。そのこともまた、彼女の名前といっしょにわたしはしっかり記憶している。
今回の書評は、The Pole と他の短篇について、個別に紹介し論じる内容で、クッツェーのファンだけでなく、クッツェー初心者にとっても、この本を読むための良い手引きになるだろう。
書評ページの頭に犬の絵が出てくる。これがいい。このサイトにちょっとお借りすることにした。なぜ犬かというと、『モラルの話』では巻頭を飾った The Dog が今回の「短篇集」では最後に置かれているからで、その効果が抜群なのだ。今回の短篇集のような流れで読んでいくと、「犬」という短篇にはまた違った読みが可能で、動物と人間の生命との絡みで、ぐんと冴え渡る効果を生んでいるのだ。
その橋渡しをしているのがひとつ前の短篇「The Hope/希望」なんだけれど、どういうことかはぜひ、10月に出るイギリス版で確認してほしい。
今回の書評に見られる、「肉体が衰弱していくとき重要性が増してくるのは魂である」という読みは、キリスト教文化ならではの把握かもしれない。確かに。
ざっくり訳してみた以下の引用は、オーストラリア版の書籍中いちばん長い「The Pole=ポーランドの人」の驚くほど感動的なところへの評価です──翻訳できないことの悲劇、ことばにはその言語のネイティヴではない人間には永久に伝わらずに終わる意味の深さがある、という悲哀に満ちた感覚。
>The tragedy of untranslatability, the elegiac sense that words have depths of meaning forever lost to non-native speakers, is the most surprisingly moving thing about this book.
同時通訳のスペイン語が大きくかぶさっていますが、、、とりあえずシェアします。
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後記:2023.7.6──アクロバアティックな方法でざっくり見て聞いたところ、最初はベラスケスやフェルメールの絵画について語りながら、後半は『ポーランドの人』の翻訳をめぐる「言語」の話になる。相手はスペイン語翻訳者のディモプロスだから、話は超具体的。クッツェーとしては英語覇権の構造に異議申し立てをするためか、スペイン語訳をオリジナルテキストとしたい、それをオランダ語、ドイツ語、日本語などに翻訳するようにしたかったが、それはかなわなかったと。ヒエエエエーッ!すごいな。
このテクストがもしもアルバニア語で書かれていたなら、その方針はすぐに変更されたはずだとクッツェーは指摘する。確かにそうかも。
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2021.7.12──ここで20分ほどに圧縮されたクッツェーの話が聞けます。英語です。