みほんができた。作家が30代前半に書いたデビュー作は、
「クッツェー、すげえ!」と口走りたくなるような本だった。こう書くか、ここまで書くか!と。
|
新訳『ダスクランズ』(人文書院刊) |
彼の作品を訳しはじめて何年になるだろう。ペンギン版の『マイケル・K』と出会ったのは1988年だから、かれこれ30年か……とつい回顧的になってしまう。まあそういう年齢だからね(笑)。なにこれ?という驚きから始まり、ただならぬ作家と知って居住まいを正し、翻訳者としてこれは外せないと思うところを調べているうちに今日にいたった。この30年、いまも発見の連続なのだ。
最初のきっかけとは前後するが、南アフリカ関連の書籍や短編をいくつか訳してきた。収穫は大きかった。それは翻訳する作品の時代背景を探るための、訳者として欠かせない作業にとどまらず、作家の生い立ちや考え方を形成したものを知る作業でもあった。いや、過去形ではなく、現在形としてそうなのだ。
・IDAF/UNESCO『まんが アパルトヘイトの歴史』1990
・マジシ・クネーネ『アフリカ創世の神話』1992
・ベッシー・ヘッド『優しさと力の物語』1996
・ゾーイ・ウィカム『デイヴィッドの物語』2012
・メアリー・ワトソン「ユングフラウ」2017──雑誌「すばる 10月号」
|
J.M.Coetzee in the World
|
クッツェーは「数々の偽装を凝らした作品」を書いてきた。だから、いろんなアプローチが可能だ。しかし彼にとってまず切実なテーマは「
歴史の哲学」だった。『
ダスクランズ』に入った第二部「ヤコブス・クッツェーの物語」は、米国滞在中に書きはじめた作品で、やむなく南アフリカへ帰国するころには、ほぼできあがっていた。この部分を訳しながら、作家としてのスタートラインを再確認できたのは大きかった。ここでクッツェーはみずからの「歴史的ルーツ」と「同時代的な現在」を見出そうとしたのだ!
この作品には、自分が生まれ育った土地を中心にしたスパンの長い歴史を、強烈な「透視」によって貫こうとする強い意志がみなぎっている。それはいまだから見えるもので、『ダスクランズ』が発表された1974年は、かの地にはアパルトヘイトという人種に基づく暴力的搾取制度があり、それがクッツェー作品とどう繋がるか、部外者には見えにくかった。
|
カンネメイヤーの伝記 |
米国滞在期にヴェトナム戦争報道や反戦運動を目の当たりにして帰国してから、クッツェーは第一部「ヴェトナム計画」を書いた。1994年、日本語の訳書として4冊目にあたる『ダスクランズ』の初訳が出たころは、この二部構成の不可解な作品で作家がいったい何をしようとしているのか、よくわからないと言われたものだ。
「歴史の哲学」を軸にして、二つの土地をゆるく、ときに緊密につなぐこの『ダスクランズ』から、ポストアパルトヘイトの状況を非情なまでに明晰な文体で描いた『恥辱』へと、数々の技巧を駆使した作品をクッツェーは書き継いでいった。だが、その底流を支えるものが誰の目にも明らかになったのは、2012年に「クッツェー・ペーパー」が公開され、JCカンネメイヤーの伝記や、デイヴィッド・アトウェルの本が出たあとだった。
|
自伝的三部作 |
とはいえ、2009年に出た自伝的三部作の最終巻『サマータイム』には、『ダスクランズ』を書いてデビューする若い作家の姿がリアルに描かれていた。『少年時代』や『青年時代』にくらべてフィクション性が強く、妻も子もいない独身者という設定になっているが、それでも、ここにはデビュー当時の作家の心情が強く滲み出ていた。当時の自分に対する作家自身のコメントが、登場人物の口を借りてはっきりと語られ、長い時間軸の上に自分の仕事をのせて、強烈な光をあてながら分析しているのだ。だから、『サマータイム』を訳したときから、『ダスクランズ』で始まるクッツェー作品全体を見直す作業が、避けて通れない課題になってしまった。
『ダスクランズ』の翻訳中には、これが、ここが、作家 J・M・クッツェーの紛れもない出発点だったのか、と再確認する瞬間が何度かあった。そこには、クッツェーがさまざまな実験を試みながら作品を書いていく萌芽がほぼすべて出そろっていたのだ。たとえば、作品は最初から「翻訳」だった。まさに born translated だ。作者が作中人物をどこか「外側から見ている感覚」が常につきまとっていた。運命に翻弄される人物を描き出す筆致は、じつは、サミュエル・ベケットのような究極のダーク・コメディをもとめていた、などなど。
作家、J・M・クッツェー誕生とその後の軌跡について知るためには、『ダスクランズ』は必読の書だろう。30歳前後のワカゾーが書いた、聞きしにまさるエグい小説だけれど!! 解説は、この作家の始まりから現在までをざっと見通せるよう、いくつかのキーワードでまとめてみたが、おそらく作家クッツェーの真髄は、こんな「まとめ」をことごとくすり抜けてしまうところにあるのかもしれない。
最後に残るのはテクストのみだ。