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2022/12/14

「海外文学の森へ」──トニ・モリスン『タール・ベイビー』について

 復刊されたトニ・モリスンの『タール・ベイビー』(藤本和子訳、ハヤカワepi文庫)について書きました。2022.12.13付、東京新聞夕刊の「海外文学の森へ」です。
 このリレーコラムが始まったのが2021年の1月ですから、これでちょうど2年ほど。これがわたしにとって今年最後のコラムです。その全文を以下に。

***

 流れるチョコレートを思わせる表紙の『タール・ベイビー』は、恋の物語である。舞台はカリブ海の小さな島だ。

 登場するのはフロリダ州の黒人だけの小さな町で育ったサン、目にサバンナをたたえた黒人の男と、大富豪の白人の庇護を受けソルボンヌで美術史の修士号を取ったジャディーン、「白い文化によって構築された黒い女」だ。二人はふいに出会い、惹かれ合い、恋に落ちる。でも考え方も感じ方も激しく異なり、相手を理解できずに傷つけ合う。


「タール・ベイビー」とはアメリカ黒人の間に伝えられ広く流布してきた物語の一つで、狐と兎のエピソードに出てくるという。狐は人形に黒いタールを塗って囮にし、兎を捕まえ食べようとする。兎が人形に声をかけて触れた瞬間タールがくっついて離れなくなる。狐は白人、兎は黒人をシンボライズしている。

 サンとジャディーンの違いは、そのままアフリカ系アメリカ人の共同体内部の葛藤を指している。サンはジャディーンをタール・ベイビー的存在から救出して、民族の歴史との連続性を取り戻させたいと思い、ジャディーンはサンを向上させて、アンダークラスと呼ばれる最下階級の世界から救出したいと考える。


 二人が体現するこの差異のなかにモリスンは、作品が書かれた時代にアメリカ黒人全体が突きつけられた問題を示唆的に描きだす。人間以下の存在として売買された彼女ら彼らが「人間として」生き延びるために創造したのが、音楽、ダンス、語りに象徴されるアフリカン・アメリカン文化だった。それが大きな変容の波を受けるとき、サンかジャディーンかとどちらかを選ぶだけではすまないのだと。


 こうした作品のコンテキストを翻訳者の藤本和子はモリスンに直接インタビューして解き明かす。その文章は四半世紀後のいまも輝きを失わず、BLM運動の奥深い歴史的背景へと読者を繋いでいく。


 藤本の聞き書き『塩を食う女たち』『ブルースだってただの唄』が次々と文庫化されて「藤本和子ルネサンス」を迎えている。そこに『タール・ベイビー』が加わった。困難な時代を生き延びる手がかりが、また一冊復刊されたのが嬉しい。 


  くぼたのぞみ(翻訳家)   

                           


🌹🌹🌹🍾🍾🍾

(今夜はアクアパッツァでスパークリングワイン!──無事に暮れを迎えられそうなお祝いです)



2020/12/11

訳者あとがきってノイズ?──『ブルースだってただの唄』復刊を祝って


 この本(傍点)はあとがきを書くために翻訳した──と冗談まじりに口にしたのは、忘年会には少し早い、楽しい酒席でのことだった。するとテーブルの端から「訳者あとがき」について原稿依頼が飛んできた。締め切りまで間があったので、それは頭の引き出しにしまい込まれた。ところが、冬だというのになにやら薄暗がりでつぶつぶが芽を出して、光を放ちはじめた。あれはひょっとしたら、口から出まかせではなくて本当だったんじゃないか、本当にあとがきを書くために翻訳したんじゃないのか、とつぶつぶが問いつづけるのだ。

「この本」とは昨秋、新訳したJ・M・クッツェーの初作『ダスクランズ』(人文書院刊)のことだ。そういえば翻訳作業のスケジュールでは、あとがきを書く時間を二カ月と最初から見積もっていたんだ。約四十枚と編集担当者にも伝えてあったじゃないか──増えたけど。仕上がった訳をそばに寝かせて、あとがきを書いた。取り憑かれたように、二十四時間そればかり。あそこはやっぱりこうかもしれない、ふと浮かんだことばを書きつけるため、真夜中にがばっと起きあがってキーボードに向かう、そんな日がつづいて「J・M・クッツェーと終わりなき自問」がぼんやりと形になっていった。


 二〇一七年三月下旬にクッツェー研究の第一人者デイヴィッド・アトウェル氏が来日して事実関係をあれこれ確認できて、あとがきはとてもすっきりしてきた。だが、それにも増して自分でもはっきりさせたかったのは、一度日本語になった作品をあらたに訳し直す理由である。この作家は一九七四年に『ダスクランズ』を出してから現在までどんな作品を書き継いできたか、その作品群を一望にするとなにが見えてくるか、それは書いてみなければ分からなかった。クッツェーという作家を日本に紹介することになった拙訳『マイケル・K』の出版からでさえ、ほぼ三十年が過ぎている。作家を見る視点を日本の読者、世界の読者がどのように変化させてきたかも探りたかった。寝ても覚めてもとはこのことか、と思いながら遅い春の日々を送った。さて。


 翻訳はね、コンテキストが生命よ!──と藤本和子さんはいった。八〇年代初めにわたしが翻訳をやろうと思ったときのことだ。きっかけは、これまでにも何度か書いてきたが、「女たちの同時代 北米黒人女性作家選 全七巻」との出会いだった。その編集翻訳をやってのけたのが藤本さんと、朝日新聞社図書編集室の故・渾大防三恵さんだ。一九三九年生まれの藤本さんは、この仕事を三十代後半から四十代にかけてやったことになる(驚嘆!)が、そのとき『塩を食う女たち』という黒人女性の聞き書き集も出している(岩波現代文庫に入ったのは本当に嬉しい)。


 選集には「女たちの同時代」とあるように、同時代を生きる黒い女たちの圧倒的な声があった。その力強さと存在感に打ちのめされて、貪るように読んだ。知らないうちに自分は「衰弱」していたのではないかと気づいたのだ。気づけばあとは回復をめざすのみで、そのパワーをもっぱらアフリカン・アメリカンの女性たちの作品群からもらったのだ。

 怒涛の六〇年代末から七〇年代初めにかけてたまたま学生時代を送り、四苦八苦しながら子育てのトンネルに入り、出口に光が見えたのはこの選集と『塩を食う女たち』を読んだときで、あれはわたしにとって生き延びるための文学だった、といまも思う。だから翻訳紹介をするときは呪文を唱えるように、コンテキスト、コンテキストとつぶやいてしまう。藤本さんからは、ただの紹介屋にはならないで、とも言われた記憶がある。わたしがそう受け止めただけかもしれない。ところが。


「あとがきはノイズだ」と言う人がいると聞いた。唖然とした。

 アフリカから出てくる文学や、アフリカにオリジンをもつ作家を紹介するとき、その背景を解説するだけでかなりの分量になる。たとえ詳細に書いても、受け手の網の目が粗いときは思うように伝わらない。そんなもどかしさを体験してきた者に「あとがきはノイズ」とはびっくりするような主張だった。そこからは、あとがきなどなしに読者は作品とじかに接する方がいいと言う「正論」が響いてくる。作品の真価は作品のみで理解されるべきだと言い切れる強さがにじみ出てくる。だが、その強さはどこからくるのだろう。

 目を凝らし、耳をそばだてて観察すると、おぼろげに見えてくるものがある。「あとがきノイズ論」を支えているのは、かりにそこにあっても、目に見えるものだけが存在して見えないものは無、と断言できるマジョリティゆえの強さではないのか。ラルフ・エリソンの小説『見えない人間』を思い出す。人間以下のものとして無視されてきた存在が書くことで可視化され、書かれることで存在を主張しはじめる、そのことをこのタイトルは示している。


 敗戦後、日本に入ってくる情報は圧倒的にアメリカから、となった。それを世界の情報をめぐる「非対称性」と言ってみる。わかったようで実感の伴わない表現だ。でもほら、バドワイザーに訳註はいらないけど、チブクビールはどう? ワシントンといえばすぐに当たりがつくけど、アブジャと言っても「?」となるでしょ。かく言う筆者もメルカトール図法の歪みから頭を解放するため、就職したての娘に地球儀を買ってもらったのは何歳の誕生日だったか。それを見て、おお、イスラム世界のなんと広いことか、とため息をついたのだった。そして世界を、地球上の人間の営みの全体像を、地球儀に乗って爪先立ちするつもりで想像してみるのだ。眼球の表面にごしごしと、懐疑というブラシをかけて。


 アフリカ大陸南端で生まれた作家の作品を三十年前に翻訳しはじめたわたしは、「アフリカに文学あるの?」という問いに出くわすたびに絶句してきた。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェのTEDトーク「シングル・ストーリーの危険性」が世界を駆けめぐったころから、さすがにそんな、あからさまに差別的な質問を面と向かって言う人は少なくなったけれど。アフリカ大陸は、面積だけでも日本が約八十個すっぽり入る広さで、国の数はゆうに五十を超えるのだ。どれほど多種多様な人たちが多種多様な文化をいとなんできたか、いるか。「暗黒大陸」として学んだ者(わたし)が蒙を啓かれることに遅すぎはしないのだと、今日も地球儀を引き寄せる。


 なにをわたしは言いたいのだろう? 文学作品を日本語に訳して出版するプロセスで、あとがきがノイズだと言えることが、どれほど特権的かということだ。もちろん場合にもよるが、そこにはいちいち説明しなくても、読者がすでに作品の背景や文化をある程度知っている、あるいは知らなくていい、という前提が暗黙の了解としてある。それがいかに特権的なことか。イギリスの文化、フランスの文化、と言い換えてもこれはある程度あてはまるだろう。日本とアメリカとヨーロッパだけが「世界」の中心ではないのだと陳腐なことをまた言わなければならないのだろうか。でも「欧米」とひとくくりにする乱暴な物言いが「あとがきノイズ論」では生き生きとよみがえるのだ。


 一歩踏み込んで、もう少し奥行きをもって見てみると、そのアメリカでさえ、たとえば黒人文学と呼ばれるものは、ある程度の歴史的、社会的背景を浮上させる解説がなければ伝わりにくいことがわかるだろう。その事実と早い時期から向き合ったのが先述した「北米黒人女性作家選」だった。全七巻の各巻に、丁寧な解説と日本で書くことを仕事とする女性たちの「応答」の文章が添えられていた。ントザキ・シャンゲの『死ぬことを考えた黒い女たちのために』の巻末には、先日他界した石牟礼道子さんがエッセイを寄せている。つまり、読者の社会内部の「見えない存在」を照らし出す網が、国境や言語を越えるつながりとして準備されていたのだ。


 そこには、六〇年代南部アメリカの公民権運動、都市部の貧困対策として子供たちに給食を提供することから始まったブラックパンサーの運動、それらをくぐり抜けて滋味豊かな果実として生み出された黒人女性作家たちの作品と、その全体像を伝えたいと腐心する編者たちの熱意があった。通信手段は郵便、電話、テレックス等に限られ、インターネットはおろかファクスさえない時代だ。作品を日本語に移し替えて読者に手渡すときの立体化、コンテキストの可視化への努力がそこからはひしひしと伝わってくる。アフリカン・アメリカンのアート作品を全巻にあしらった美しい平野甲賀氏の装丁によるこの選集は、出版文化賞にあたいするきわめて先駆的な仕事だった。当時のアカデミズムには逆立ちしてもなし得ない性質の仕業だったのではないか。しかし、時代はバブル期へ向かい、その後の流れはアメリカ発のミニマリズムへと舵を切り、他者と関わらないことを強く決意する端正な文体の小説が読まれる時代へと向かった。


 いま、顔を黒塗りするミンストレルショーに差別のニュアンスがあることが指摘される時代を迎えて、ようやく奴隷制をめぐる歴史は過去のものではないと認識されるようになったのだろうか。だとすれば、これまで翻訳文化が「主に」追いかけてきたアメリカは「白い」アメリカだったと知るべきだろう。それが認識の地図を激しくゆがめてきたことも。


「訳者あとがき」はノイズなどではない。とはいえ、どれほど調べて書いても、それに代価が支払われるわけではなく、やればやるほどボランティア性が高くなる作業だ。それでも、訳者あとがきは、そばにあるのに見えなかった世界を示す広角レンズになる。広い視野から世界を見渡すパースペクティヴ装置にもなる。「コンテキストがすべて」とは、そのことを言っているのだろう。それは日本語文学に風通しのよさを吹き込む「同時代性」をも指差している。

 それで『ダスクランズ』の新訳とあとがきはどうなったかといえば、視界は良好、クッツェーの現在地を伝える最新作『モラルの話』を、なんと英語のオリジナルより先に出すため翻訳中(二〇一八年五月刊行)、とお伝えしておく。


(岩波書店「図書」2018年5月号掲載)

2020/11/11

藤本和子の名著『ブルースだってただの唄』ついに復刊!

 藤本和子の聞き書き第2弾『ブルースだってただの唄』が、ちくま文庫で復刊した。初版は1986年(朝日選書)だったから、かれこれ34年ぶりによみがえったことになる。

 解説が、べらぼうにいい。読んでいると、黒人女性たちのことばに耳を澄まして、ダイナミックに日本語にしていく藤本和子の姿がくっきりと浮かびあがるのだ。藤本和子は「聞き書き」という方法で、翻訳を含みこみながら独自の文体を作りあげていく作家だ。そんな独特のスタイルをもつ作家の魅力を、その方法論や思想の核心までさかのぼって明らかにしようとする姿勢が、この解説には感じられる。

 この聞き書き集がリアルにかいま見せてくれるのは、アメリカ社会内部の黒人女性の仕事や生活だけではない。戦後、海の向こうから押し寄せて極度に肥大化した「アメリカ」像の見えなかった部分(見ようとしなかった部分?)がクリアに迫ってくるのだ。「ブラック・ライヴズ・マター運動」が報道され、先の大統領選の余韻も冷めやらぬ2020年11月に、この本が復刊されたことには大きな意味があるだろう。それはまた読む者自身を照らし出し、その内部に日本社会を照らし出すことばを準備するかもしれない。そんな刺激的な藤本ワールドの特質を、解説はみごとに描きだしていく。

 朝鮮半島で生を受けて、敗戦後内地へ引き揚げてきた森崎和江から、藤本和子が受けた影響がどのようなものか、それを指摘する鋭い歴史感覚にも目をみはる。藤本和子を動かしてきたそんな歴史の力をひたひたと感じさせる解説を書いたのは、斎藤真理子さんだ。まるで藤本和子が斎藤真理子に憑依したかのような、深い響きをもつ解説である。

 そしてまた、帯が痺れるのだ。切れ味よく、濃密なことばを、これほどさらりとならべられる人もちょっといない! 岸本佐知子さん。


卓越した翻訳者である藤本和子さんは、耳をすますことの達人でもある。何度この本を開いて、そして撃ち抜かれたことだろう。 黒人の女たちの、生きのびるための英知の言葉に。そしてそれを引き出し聞き取る、すばらしい耳の仕事に。  

 

 わたしもページを開いて、撃ち抜かれた一人です! とつい叫んでしまった。おまけに今回は「特別付録」もついている。初版にはなかった「13のとき、帽子だけ持って家を出たMの話」は、かつて藤本さんが編集委員をしていた「水牛通信」に載ったもので、それを長いあいだ温めてきたのはその「水牛」を主宰する編集者、八巻美恵さんだ。これがとっても面白い。黒人女性Mの語りによって、藤本和子自身とその家族や友人たちの姿が活写されていて、とってもクール!

 みんなで知恵を出し合って、この本は復刊された。だから、感無量だ。復刊に関わった塩食いの仲間たちが、みんな口々に「感無量」といっているのがまた感無量なのだ。

 聞き書き集の第一弾『塩を食う女たち』が岩波現代文庫に入ったのが、ほぼ2年前の2018年12月だった。それについてはこの年ナイジェリアでアディーチェが開いたイベントに絡めて、ここで報告した。それから2年。こうして着々と藤本和子の仕事の全容が、若い読者に届けられていく。文章はちっとも古びていない。それどころか、彼女の先駆的な仕事が多くの人から歓迎されるようになって、ようやく時代が藤本和子の仕事に追いついたというべきかもしれない。「藤本和子ルネサンス」の時代がやってきたのだ!

 この世界の「この狂気を」生き延びるために、奴隷制が負の遺産として社会のすみずみに残る社会で「文字通り」生き延びてきた女たちのことばを、藤本和子は全身で受けとめて日本語にした。コロナで痛めつけられているこの社会で、この世界で、それでも生きていかざるをえない者たちを支えることばとして、多くの人に届いてほしいと思う。

 この本は、まぎれもない「生き延びるための文学」なのだから。



2019/01/04

誰の寵児にもならぬがよい

Be Nobody's Darling      by   Alice Walker


誰の寵児にもならぬがよい
除けものでいるのがよい
おまえの人生の
矛盾を
ショールのようにして
身を覆うがよい
石つぶてを避けるために
からだが冷えぬように

……
……
……

口にした
勇気ある痛烈なことばのために
数知れぬ者たちが死に滅んだ
川岸で
陽気なつどいをもつことだ

誰の寵児にもならぬがよい
除けものでいるのがよい
死者とともに
生きる資格をもて



朝日新聞社刊 1982
アリス・ウォーカー『メリディアン』(朝日新聞社、ちくま文庫、高橋茅香子訳)の解説「衰弱と再生」で引用されている詩で、藤本和子さんの訳です。ウォーカーの第二詩集『革命的ペチュニア』に入っている詩篇。

『塩を食う女たち』北米黒人女性の聞書集(岩波現代文庫)が多くの人から歓迎されているのは、作品のもつことばの力ゆえでしょう。でも、60年代の公民権運動の果実はほかにもあって、なかでもお薦めはアリス・ウォーカーの『メリディアン』。ピューリッツァー賞を受賞して映画化された『カラー・パープル』も有名ですが、じつは一作前の『メリディアン』がダントツにすばらしいんです。
 この作品で、ウォーカーは運動のなかの「暴力」について徹底的に自問しながら、白人、黒人のカラーラインを超えて仲間と対話する人物たちを登場させます。
 解説を書いている藤本さんの文章がまた、比類なきすばらしさ。ここで全文が読めますので、ぜひ!

 この7巻本の解説も、ぜひ1巻のアンソロジーとして復刊させたいと思っているのですが.......!!!!

2018/12/22

復刊『塩を食う女たち』とアディーチェの文学イベント

11月下旬にナイジェリアのラゴスで開かれた、パープル・ハイビスカス・トラスト(PHT)の文学イベントのようすが、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェのfacebookにアップされていました。
 YOUTUBEでも動画は見ることができたので、ここに貼り付けます。



今年で11回目を迎えるこのワークショップは、これまでの歳月、大きな成果を生んできました。ワークショップで学んだ人たちが、つぎつぎとステージにあがって自分の体験を披露。歌ありダンスありのイベント風景が祝祭気分をもりあげています。
 シンガーが歌い、小さな子がダンスを披露し、会場の参加者がてんでに踊る風景もとてもいいです。チママンダもいっしょになって踊っています。

 そして最後の最後にかかった曲! これは胸に熱いものがこみあげてきました。

 To be young, gifted and black!


タイトルは、トニ・ケイド・バンバーラの
The Salt Eaters から
言わずと知れた、若くして才能にあふれた作家ながら、34歳という若さで逝ったロレーン・ハンズベリー(1930~1965)の同名の戯曲をもとに、ニーナ・シモンが作った歌です。

 おりしも昨夜は、60年代から70年代にかけてアメリカの黒人女性作家が奮闘して生み出した作品群を編集、翻訳した藤本和子さんの聞書集『塩を食う女たち』(1982年刊)が岩波現代文庫で復刊されたお祝いをかねた忘年会でした。
 4人の「塩と火の女たち」が熱望してきた復刊が果たせて、祝杯をあげたところだったのですが、今朝はまた、朝日新聞の書評欄で、Title の店主である辻山良雄氏が薦める「文庫新刊」にも掲載されて!


 1982年と2018年が、みごとに繋がりました!

2018/03/28

美しい7冊の本たち:北米黒人女性作家選

なんだろう、このわけのわからない春の感覚は? この季節になるといつも、気持ちだけ、どこかへ連れていかれそうになるのだ。足元がおぼつかなくなる。ちいさいころからそうだった。雪の面をふきすさぶ寒風の音。亡霊の声のような。

 4年前の3月末に母が逝った。94歳だった。16年前の4月初めに、母と誕生日が4日しか違わない安東次男が逝った。82歳だった。母は雪解けの北海道で。東京が住まいだった安東は、花のもとにて春に。北の春は、汚れた残雪にかこまれて気分がひたすら鬱するが、東京の春はおだやかで美しい。

ため息が出るほど美しい装丁だった
1919年7月生まれのこの2人は、あの戦争を経験し、戦後の右肩あがりの時代を経験し、さらに安東より12年も長く生きた母は、東北大震災や原発事故を遠くからながめやり、「なんだかまた時代が変になっていく」と嘆きながら死んだのだった。

 そしていま、あれからもう37年が過ぎたのか、と感慨にふけってしまう本たちがある。こうして7冊全巻をならべると、ため息が出るほど美しい。少しだけ帯の背中が日焼けしている巻があるけれど、カバーに使われた、黒人女性たちの作品を撮った写真も、こうして見るとまだまだ色鮮やかだ。装丁は平野甲賀氏。編集は、藤本和子さんと朝日新聞出版局の故・渾大防三恵さん。

 1981年と82年に朝日新聞出版局から出た、北米黒人女性作家選全7巻を、書棚からそっくり出してきて、お天気のよい朝に写真に撮ってみた。この作家選については、もうすぐ岩波書店から出る「図書」に詳しく書いた。「訳者あとがきってノイズ?」という文章だ。明けても暮れても、クッツェーの『ダスクランズ』の解説「JMクッツェーと終わりなき自問」に取り憑かれていたころのことも、書いた、書いた。(訳者あとがきというより、解説のほうがぴったりくるだろうか。だって、とにかくクッツェーのデビュー作から現在までを、ざざーっと走り抜けるように書いたのだから。)そしてそこには、いま訳してるクッツェーの最新作『モラルの話』の予告も、ちらりと!

 「図書」5月号です。