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2025/04/29

山室静の「焼跡にて」という詩

 PC内の資料を整理していて、発見したものがある。「山室静」というフォルダだ。

 学生時代から山室静の名前は知っていた。教養文庫というのがあって、そこで山室静が、聖書やギリシア古典を簡略にリライトして、物語として読ませる本を何冊も書いていた。その日本語がわたしにはピッタリきた。変に学者ぶらず、小難しい衒学的な用語で読者を煙に巻くこともない。しなやかな、開かれた文章だった。

2025.4.29
 それから20年近くすぎたころ、図書館でふと山室静のエッセイ集を手に取って読んだ。抜群に面白かったのか、何冊か立て続けに読んだと記憶している。

 どんな生い立ちで、どんな活動をした人かは、調べるとすぐに出てくるので、ここでは詳しく書かないけれど、苦労して学び、信州と東北に住まい、堀辰雄らと季刊誌「高原」を創刊し、1946年には本多秋五、埴谷雄高らと共に「近代文学」の創刊に加わったとある。その後は日本女子大学で教えた。無類の酒好きだったらしい。

 山があっても登らなかった、海があっても泳がなかった、人生あともう少し──というようなことをエッセイ集のあとがきに書いていた。30代のわたしは思わず笑ってしまったけれど、妙に印象に残った。

 そんな面白さに惹かれて、たぶん詩も読んだのだろう。書き写して作ったファイルを2005年にPCに入れたところを見ると、よほど気に入っていたらしい。


***** 

   焼跡にて


昼はひねもす無用の書を読み

夜は夜もすがら埒もなき夢を見て--------


こんな詩句を書いてからでも

もう十年あまりたち

いつのまにか七十五歳を越えた

目が霞んできて本を読むのもさすがに物倦く

酒もめっきり弱くなって

酔うとやたらに転んでばかりいる

そんなところへ突然火を失して

書斎と半生をかけて蒐めた本を焼いた


それでも命のあるかぎりはうろたえずに

さりげなく生きて行かなければならぬ

昨日は牡丹を植え

今日はフシグロセンノウの種をまき

筍を二本掘り取った

あとは昨日も今日も焼け残った黒焦げの本の整理-----

ただページを開くとばらばら落ちる黒い灰や砂に

とても読む気力は出ない

そこで早目に寝床について

うまくもない酒をチビリチビリやりながら

睡りと埒もない夢が訪れるのを待つ


裏山でフクロウがホーホー鳴いている

                   山室静『詩と回想 ひっそりと生きて』

                   (皆美社 一九八六年七月三十日発行)

****

2025.5.2
 この詩が収められた『詩と回想 ひっそりと生きて』が発行されたのは1987年で、1906年生まれの山室は80歳を超えている。詩を書いたのは、いまの自分とおなじ年齢かといささか驚く。住んでいる家が火事になるって想像できないけれど。それでも、あれから40年近くが過ぎて、詩の一行一行が、その余白が、しみじみと腑に落ちる。

PS: 多くの人はアンデルセンとかムーミンとか児童文学の翻訳者として記憶しているんだろうな。わたしももちろん読んだけれど、結局、93歳で老衰で他界したんだよね、このかた。


2022/06/25

沼野充義さんが訳されたヴィスワヴァ・シンボルスカの詩集『瞬間』(未知谷刊)について書きました

2022年6月21日の東京新聞夕刊「海外文学の森へ 33」に沼野充義さんが訳されたヴィスワヴァ・シンボルスカの詩集『瞬間』(未知谷刊)について書きました。画像では文字が読みにくいので、ここに全文を!


<人生を凝縮したことば>


 無性に詩を読みたくなるときがある。心に響くことばをふいに目にして、いま自分は詩を必要としているとわかる瞬間がある。

 昨秋から訳者、沼野充義氏のSNSを通して、折々にとどけられてきたヴィスワヴァ・シンボルスカの詩が瀟洒な書籍となった。詩人晩年の作品だという。

 読みすすむうちに、晩年とは死を前にして、これまでの時間を一瞬のうちに含み込む凝縮したことばを生み出すときだと知る。詩句が放つ硬質な透明感が、ページから比類なき確かさで立ち上がってくるのだ。

 いつもいつも詩のことを考えているわけではないのだけれど。大波のような危機に襲われたとき、シンボルスカの詩を読んできたように思う。

 それは3・11の直後に読んだ詩集『終わりと始まり』の「またやって来たからといって/春を恨んだりはしない」で始まる「眺めとの別れ」であったり、昨秋からくりかえし読んできた「ひしめき合う世界で」であったり。

 詩人はみずからを「地上にひしめきあう数えきれないほど多くの生き物たちと比較して」こう書く。


  私も自分で選んだわけではない

  でも不平は言わない。

  はるかに個性のない

  誰かであったかもしれないのだから。

  魚の群、蟻塚、ぶんぶんうなる群の誰か 

  風に乱される風景のひとかけらだったかもしれない。



 そして読者はいきなりこんな詩句に出会うのだ。


  運命はこれまでのところ

  私にやさしかった。


 この二行を目にしたとき、ある試練のなかにいたわたしは、思わず涙した。

 この詩集の翻訳と解説の執筆は、入院中の病室で行われたという。それが「気ままに飛び去りそうな魂をつなぎとめる唯一の方法だったような気がする」と沼野氏は謝辞に書いている。

 一篇ごとの解説は詩人への切実な応答となり、奇跡の訳詩集として結実した。


                        くぼたのぞみ(翻訳家・詩人)

2022/06/18

ハン・ガン詩集『引き出しに夕方をしまっておいた』きむ・ふな/斎藤真理子訳を読む


   六月の朝、窓ガラスを拭いた。

    机に向かい目をあげると

   ぴかぴかの板を通して見える樹木。

    雨あがりのこんな朝は

   ハン・ガンの「解剖劇場」も

    すっと理解できる。

   若くて、生なましい

    突き抜ける痛み。


ハン・ガン詩集『引き出しに夕方をしまっておいた』きむ ふな/斎藤真理子訳(クオン刊)

2020/02/25

ロマン派について考えて、好き放題書いてみることにした(1)

piano:Leif Ove Andsnes, 2004
2月はずっと、イアン・ボストリッジIan Bostridge の歌うシューベルトの「冬の旅/Winterreise」を聴いていた。ボストリッジは1964年12月25日生まれのイギリス人で、歌手になったのはすいぶんあとになってからだという。まずYOUTUBEに出てくる映像と歌が合体したのをたっぷり聴いたあと、CDを買った。2004年録音だからボストリッジ39歳のときの録音ということかな。
 しかしこの人、名だたる新聞などに評を書くインテリでもあり、こんな本を書いている。

 Schubert's  Winter Journey: Anatomy of an Obsession
 『シューベルトの冬の旅:オブセッションの解剖』

日本語訳はタイトルが『シューベルトの「冬の旅」』と、なぜか副題の「オブセッションの解剖」がない。残念だ。というのは、この副題にこそ深い意味があるからだ。ボストリッジがヴィルヘルム・ミュラーの詩を分析する鋭くも現代的な視点というか、それこそがこの本の真価ではないか。つまり、それぞれの詩行をドイツ語から英語へと翻訳し、スパッと解剖するように分析しながら「ロマン派のオブセッション」に光をあてていく、そこがこの本の読みどころなのだと思う。めっちゃスリリングではないか!
 
 なぜこの本に出会ったかというと、J・M・クッツェーの『サマータイム』が引用されているとfb友達が書いていたのを知ったからだ。
 えっ!シューベルトって、あの「ジュリア」の章に出てくるシューベルトの弦楽五重奏曲のアダージョにあわせて、ジョンがジュリアとセックスしようとする箇所?と思って聞いてみると、その通り。その方がくだんの箇所を教えてくれて、読んだ。ナポレオン・ボナパルト亡きあとのオーストリアで、、、という笑えて泣かせる箇所を再読した。

 それで、はまってしまった。もう一度、クッツェーの『サマータイム』を「オブセッションの解剖」という視点から読み返そう。もう一度、シューベルトの『冬の旅』を聴き直そうと。

 ボストリッジは日本でも有名なテナー歌手で、何度も来日しているし、アルバムも出していた。そうなんだ〜!
 わたしは中学生の少女時代あの天鵞絨のような声をしたディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウでシューベルトにばっちりはまったことがある。1960年代はじめのことだけど。

 クッツェーが10代半ばのカレッジ時代にロマン派の詩人にあこがれて、キーツみたいな詩を書こうとしたことは『青年時代』(2002)にも出てきた。

「なんでまた、キーツにひどく惑わされて、自分でも理解できないキーツ風ソネットを書こうなどと思ったのだろう」(『青年時代』─インスクリプト刊の三部作p199

 そこではたと考える。クッツェーにはロンドンに渡ってもやっぱりロマン派的な嗜好、思考、志向がベースにあったし、おまけに旧態然とした旧植民地の南アフリカで21歳まで(1961年まで)学んだ人だったから、人一倍「中央の都市文化」への「憧れ」は強かっただろう。だから『青年時代』は、もっぱらそのころの自分に対する鋭くも批判的な視点で書こうとするんだけど、どうも不完全燃焼ぎみ。
 そこで第3部『サマータイム』(2009)はがらりと様式を変えたわけだ。三部作ってのは、いつも第二部がちょっと面白くなくなるんだ、これは避けられない宿命なのだ。

ボストリッジの本はシューベルトの『冬の旅』を一曲一曲丁寧に分析して、英訳も載せている。『サマータイム』が出てくるのは第4曲「凍結」の章で、読んでみると、その分析がじつに冴えている。ミュラーの詩の「ストーカー性」をみごとに暴いているのだ。

 ロマン派ってとどとつまりは、自分の思いや感情にとらわれて他者がまったく見えない「ストーカー」的な心情だと分析している。分析するだけではなくて、そのオブセッションを体現するかのように『冬の旅』を歌う、その歌がこの上なくいい。なぜだろう。そこを考えてみたい。若いころの録音がとくにいい。そう、30代のあまくてソフトな声がいいのだ。ディースカウはいま聴くと退屈だが、ボストリッジは聴き飽きない。その違いを、ゆっくり考えてみたい。
つづく

2017/04/09

抒情詩との決別──安東次男のことば

 安東次男氏が逝ってから15年がすぎた。今日4月9日は彼の命日。1950年8月、安東次男は初詩集『六月のみどりの夜わ』を出した。「あとがき」から引用する。


 ぼくは時には政治という風景を、時には文学という風景をじぶんに許されたものとしてしらずしらずそれをゆるめたかたちで書いてきたようにおもう。しかしこれは安易にあまえた態度であり、最後のぎりぎりのところでじぶんの人間的立場をあいまいにするものだということを感じはじめている。
 そういうところからぼくはもういちど歌いなおさねばならぬ。ぼくにはアラゴンのいうような「たたかい」も「人」もうたえてはいない。そのことはぼくに、あらゆる「たたかい」の場に於て──ぼくがそれを黙認してきたかたちになつたかつての日本帝国主義侵略期の戦争をもふくめて──いかに抵抗を持ちつずけることがむつかしいかということをおしえた。このおしえはぼくにとつてもう決定的なものとなるであろう。
 そういうところからぼくは持続する歌をうたっていきたい。感情の高まりの頂点に立つような歌ではない。感情の低まつた谷間谷間がそのままで頂点に立つような歌をだ。

(下線は引用者)


人それを呼んで反歌という

「叙情詩は危ない」時代がある、という危機感をもったのはいつだろう。抒情的なものに感動し、なにかと一体化する至福感に酔って、足元を一気にすくわれていくのは危ないと思ったのはいつだろう。抒情的なものに満たされる自分がいることに気づいたときがあった。日本的抒情(あわれ)が現実を見えなくすることにも、そのとき気づいた。うっとりと溶ける、自他の境界が消える、それはこの土地では、下手をすると、自己憐憫や自己惑溺と表裏一体だ、という覚醒が危機感のように襲ってきたのはいつだろう。


 抒情については、1969年の激動の時間のなかでよく考えた。それはよく覚えている。抒情というのとは少しずれるが、セックスによって全宇宙との一体化をめざすヒッピー思想が嫌いだったのは、それが理由かもしれない。女は当然のように「一体化される客体」としてもとめられた時代だ。それを称揚する歌も流行った。奥村チヨの「恋の奴隷」、広田三枝子の「人形の家」。和製フォークもひどく薄っぺらく思えた。いつか足をすくわれる、日本浪漫派のように、と思った。

 暴力について、人と人がかかわることについて、両方の立場から考えてみることを自分に課したのもそのころだった。人とのかかわりが、結果として、抑圧や暴力となってしまうことがあるのかと、愛も、情も、そういうものを伴わずにはありえないのだろうか、と。


 以来、ぬくもりはいつも渇いた場所で見つけてきたように思う。男も女も、厳しい表情がふいに破れて笑顔になるときほど、その人の優しさが強く感じられるときはない。

 たぶん、抒情詩と別れたのは、あの時代だったのかもしれない。うっとりする、足をすくわれる、それはなにかに盲目になることを意味すると、気づいてしまったからだ。Love is Blindという歌に、だから、泣いた。


 安東次男のことを、晩年は「国内亡命者」のように暮らしていた、といったのは確か 粟津則雄氏だった。

 この国を捨てばやとおもふ更衣   流火

 しかし、いまにして思えば、安東次男のことばは、あの戦争に駆り出された被害者としての自己認識はあっても、加害者としての自己認識は不完全だった大正生まれの、わたしの親の世代に共通するものだったかもしれない。

「自然は じつに浅く埋葬する」と歌った詩人は、日本語の外部へ出ることを最終的に恐れ忌避した。その問題を問題として問いそこねた次世代である「われわれ」は、いま、まだ不完全な自己認識を、自己への批判性を、時代の裂け目に試されているような気がする。


2015/10/30

『戯れ言の自由』── 平田俊子さんの新しい詩集

 今日、半透明の紙に包まれて、一冊の詩集が届いた。瀟洒な装丁の、平田俊子さんの『戯れ言の自由』(思潮社)という詩集だ。

 平田さんの詩のことばは、いま、こうして読んでみると、とても心が休まる。なぜだろう。読み手が頭をフル回転させたり、気持ちの持ち出しをしなくても、ことばが穏やかに、いっしょに歩いてくれる、そんなリズムがあるからだろうか。短い詩行が数ページ続いて終わる。ほどよい飛翔感を残して着地するひとつひとつの詩が、日々、目にする、すさんだ日本語の荒れ地のなかに、まっさらな飛び地のように、すなおに広がっている、そんな気がするからだろうか。一篇、書き出してみる。


  〈美しいホッチキスの針〉

   きょう届いた数枚の書類は
   ツユクサの花の色をした
   美しい針で綴じられていた
   灰色の地味な針しか知らない私に
   その色は新鮮だった
   曇天のように重たいこころを
   艶やかな針の色が
   少し明るくしてくれた

   ホッチキスの役目は紙を綴じること
   針の色にこだわる必要はないのに
   美しい色に染めた人がいて
   その針を選んだ人がいて
   そのうちの一本が
   旅をし 私のもとに届いた
   ツユクサを通して
   知らない人たちと
   手をつないだような気分だ

   人のこころを慰めるのは
   花ばかりではない
   油断すると指を傷つける
   小さく危険なものにさえ
   人は心を遊ばせる
   夕焼けの空 朝焼けの空
   空が青以外の色に染まったときも
   人は満たされ 立ち尽くす


 詩集の最初に置かれた詩だ。最後まで読んでこの詩に戻ってきたけれど、じつは、平田さんの詩の後ろには、ぴりりと辛い真実も潜んでいて、歳月の厳しい雨風、それを通り越した暴風雨にも耐えて、生き延びてきたような確かさもあるのだ。でも、風通しがじつにいい。観念語の多用でいつまでも現実に届かない、読む側の焦燥感をかきまわす、ことばの無駄がない。

半透明の紙に包まれて届いた
 最後から二つ目に置かれた「揺れるな」は懐かしい(とためらいながらも言ってしまおう)。2011年3月11日の大震災のあと、渋谷で開かれた「第一回 ことばのポトラック」で朗読された詩だ。わたしも参加させていただいたとき、何年ぶりかで平田さんと会ったのだった。そのとき平田さんが開口一番おっしゃったことばが、ずいぶん昔の記憶を呼び起こした。平田さんとは一度、あるトークの会でご一緒したことがあったのだ。そのときのことを、平田さんも、わたしの顔を見て思い出したらしい。
 シスネロスの『マンゴー通り、ときどきさよなら』から朗読したときのことだったから、1997年とか1998年ころだろうか。場所はたしか駒込だった。平田さんは駒込が出てくるご自分の詩を読まれたのだった。
 こんなふうに、わずかな点と点を結ぶような出会い方ではあるのだけれど、平田さんの詩を読むと心が休まるのは、多分、同時代を生きてきた人のことばがここにあると確認できるからかもしれない。それが嬉しい。しかも、それは時代を超える戯れ言たちでもあるのだ

2015/08/11

パウル・クレーと夏日記(10)── Integrity

 何年か前に、翻訳家の大先輩から「あなたには integrity がある。翻訳家としてのintegrityをもっている人はそういない」といわれたことがる。「ん?」「はっ?」と一瞬、ことばを飲み込んだけれど、とても嬉しかった。嬉しかっただけではなくて、背筋がぴんと伸びるような気がした。過分なことばだ、と思った。
 思えば、不器用に、たどたどしく、doggidly というしかないやり方で続けてきた翻訳という仕事も、その大先輩との出会いから始まったのだ。

 そして、integrity という語で思い出すのは、アドリエンヌ・リッチの詩「Integrity」。この出だし、一度読んだら忘れられない詩句になった。

   A wild patience has taken me this far
   
   暴れる忍耐力がこれほど遠くまでわたしを連れてきた



立秋もすぎたけれど、それは名ばかり。残暑のなかで今日もまた、クレーの絵を一枚! this far!


2014/06/15

「アフンルパル通信 14号」がとどいた!

ひさびさに出ました。札幌の書肆吉成が出しているアフンルパル通信 14号!

 2年ぶり。わたしも「サイロのある家」という一文を書きました。
 書いたのは少し前のことだったけれど、つい最近、北海道の、生まれ故郷である新十津川を訪ねて、「サイロのある家」に書かれている山二線の赤いトタン屋根の家──まだ建っていた!──と再会してきたばかりだったので、このタイミングのよさに唸りました。でも、行ってみると曲がり角に建っていたサイロの家はもうなかったな。
 
 執筆者の面々は:橋口譲二、木下哲夫、石塚純一、管啓次郎、河野聡子、山田航、山田亮太、小川基、宇波彰、くぼたのぞみ。

 表紙のモノクロの写真がすごい迫力です。管さんの詩はどの詩集におさめられたものだろう。タイトルがその名もずばり、Agend'Ars。4冊のシリーズとして出た詩集、『Agend'Ars』『島の水、島の火』『海に降る雨』『時制論』の思想的根幹をなす詩だと思う。4冊を読んだあと、いま、こうしてAgend'Ars という詩を読んでいると、この詩人の原点/方法論/みずからに課した運命論、のようなものを見る思いがする。初心、ということばもまた思い出される。お薦めです。

2014/03/17

それでも春はくる


 机に向かうと窓の向こうに、濃いピンクの花芽がちらちら揺れる。寒彼桜が一足早く咲きはじめた。今年もまた、ヒヨドリがやってきた。2羽そろって桜の木の枝を大きく揺らして、どこかへ飛んでいった。
 どんな災厄が襲ってきても、毎年、春はやってくるのだ。「春をうらんだりはしない」という詩を思い出す季節はやってくるのだ。

この3年、いったい「わたしたち」は、なにを失い、なにを得たのか。この3年、「わたしたち」は途轍もなく鍛えられた。それだけは間違いない。


 またやって来たからといって
 春を恨んだりはしない
 例年のように自分の義務を
 果たしているからといって
 春を責めたりはしない

 わかっている わたしがいくら悲しくても
 そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと


あの有名なヴィスワヴァ・シンボルスカの詩(沼野充義訳)だ。今年もまた、この詩のことばを一行一行、噛み締める。